「まだ燃えてるところってあるのか?」
「どうだろうな……。見える範囲ではもうなさそうだけど……」
 火消しの指示を受けながら消火を続けていた男たちは、火が消えて暗くなった通りを見て顔を見合わせた。
「もしかして……消し切れたのか……?」
 見渡す限り、炎はもうどこにも見えなかった。

 そのとき、爆発音が響いた。
 暗い空に光の線が走る。
 皆が空を見上げると、光は美しく輝きながら弧を描いて静かに消えた。

 川辺に静寂が訪れる。
 皆、固唾をのんで、ひとりの男の言葉を待っていた。
 静けさに耐え切れず皆が顔を見合わせ始めたとき、ようやく声が響く。

「協力に感謝する! 仕事は終わりだ!! 火はすべて消えた!!」

 川辺にいた観衆はゆっくりと顔を見合わせる。
 そして次の瞬間、弾けるような歓声を上げた。
「消し止められたんだ!!」
「俺たちの手で火を消したんだ!!」
「もう大丈夫なのね! 帰れる……これで帰れる……!」
「俺たちが江戸を守ったんだ!!」
「ちょっとそれは大げさでしょう!」
「大げさじゃねぇよ! 俺たちが消したんだ!」
 観衆の興奮は冷めず、火が消えてしばらく経ってからも帰り始める者は誰もいなかった。



 その頃、町奉行の指示で集められた火消したちは、両国橋に着くと辺りを見渡して言葉を失った。
 火の消えた川辺は薄暗くはっきりとは見えなかったが、崩れかけた橋や対岸に並ぶ屋台だと思われる瓦礫の山、川に沈みかけている舟はぼんやりと確認できた。
 そんな光景の中で、人々が興奮して騒ぐ声だけが明るく響いている。
「どうなってるんだ……。火は消えたのか……?」
 火消しの男が呟く。
 これだけの規模の火事が一夜もかからずに消えたということが信じられなかった。
「みんなで消したってことですかね……?」
「ああ……、それしか考えられないな……」
「俺たちの出番はなしですね。やることと言ったら、お奉行様への報告ぐらいですか」
 火消しの男は肩をすくめて言った。

「まぁ、そうでもないさ……。あそこのござが敷いてある一帯……、たぶんあそこに怪我人が集められている。安全なところに運んで医者を呼ぼう」
 火消しのひとりが対岸の川辺を指さした。
「あ、本当ですね! じゃあ、さっそく行きますか!」
「ああ、そうだな」
 遅れてきた火消したちは、安全に怪我人を運べるよう慎重に準備を始めた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 叡正は川辺に腰を下ろし空を見上げていた。
(本当に消せたんだな……)
 観衆はいまだに歓声を上げていて、静かな怪我人たちも目に涙を浮かべて喜びを噛みしめているようだった。
 叡正は子どもを見る。
 皆が興奮している中で、子どもだけは静かに怪我人に寄り添い布で怪我人の涙を拭っていた。
 叡正は苦笑する。
(あの子が一番大人だな……)


「おい! 舟が来るぞ!」
 観衆のひとりが川を指さして言った。
 対岸から無数の舟がこちらに向かってきている。
「纏があるな……。火消しか?」
「今さら火消しが来たって遅ぇよ!」
 観衆たちが笑った。
「結局間に合ってたのは、や組だけか……」
「やっぱり、や組の組頭はすげぇな!」
「俺、チラッと消火してるところ見たけど、すげぇカッコよかった……」
「え~、私も見たかった!」
「なんかあの人の周りだけ光ってるっていうかさぁ……」
「光ってるって、さすがに大げさだろ!」
「大げさじゃねぇよ! なんか……この人がいれば大丈夫だって、その光を見て思ったんだ。……って、おい! 笑うなよ!」
「はいはい、そうだな」
 観衆たちは笑い合った。

 そうしているうちに舟が岸に着いた。
 火消したちは舟から降りると、怪我人を安全なところに運んで医者に診せることを説明し、火傷のひどい者から順番に舟に乗せていく。

 叡正はふと、ひとりの火消しに目を留めた。
 四十くらいのどこか武士のような風格のある男が叡正の目の前を横切っていく。
(この男……どこかで……)
 どこかで見た記憶があったが、それがどこなのか叡正は思い出せなかった。
(火消しの知り合いなんて、や組の人たちくらいだしな……。まぁ、それより今は怪我人を運ぶのを手伝おう……)
 叡正が火消しの男を追い抜いて、怪我人のもとに駆け寄ると背後で小さな呟きが聞こえた。

「こりゃあ、失敗だな……」

(え……?)
 叡正が驚いて振り返ると、そこには先ほどの火消しの男が立っていた。
 叡正がじっと見ていると、火消しの男は不思議そうに叡正を見つめ返す。
「どうした?」
(聞き……間違いか……?)
「あ……いや、怪我人を運ぶのを手伝おうと思って……」
 叡正はなんとかそれだけ口にした。
「そうか! それは助かる!」
 火消しの男はそう言って笑うと、怪我人の横にしゃがんだ。
 その瞬間、男の額の左側にある刀傷が目に入った。

(この傷……。やっぱり……どこかで……)
 叡正が傷を見ていると、火消しの男が眉をひそめて叡正を見上げた。
「おい、手伝ってくれるんじゃねぇのか?」
「あ、ああ! すまない!」
 叡正は慌ててしゃがみ込んだ。
(今はそんなこと考えてる場合じゃない……)
 叡正は頭を振ると、今やるべきことに集中することにした。