火消しの男は、怪我を負った男の腕を自分の肩に回して、支えるように歩いていた。
(思ってたよりも怪我人が多いな……)
 火傷だけでなく人に押しつぶされて怪我を負った人たちも多く、怪我人の避難だけでまったく消火に手が回っていなかった。
(このままじゃ、向こうの長屋まで燃え広がっちまう……)
 火消しの男は焦る気持ちを押さえながら、慎重に怪我人を運ぶ。

 すると、橋に近づいてきたとき、突然人の波がこちらに向かってきた。
(なんだ……? 橋で何かあったのか!?)
 火消しの男が茫然としていると、観衆のひとりと目が合った。
「おい! その人、向こうの川辺に運ぶんだろう? 運ぶだけなら俺がやるよ。あんた火消しだろ? 消火を頼む」
 観衆の男は、火消しにそう言うと怪我人の腕をとった。
「え……?」
 突然のことに火消しの男は言葉が出なかった。
(なんだ!? どうなってるんだ!?)
 火消しの男が呆気に取られているうちに、観衆の男は怪我人を支えて川辺に去っていった。

「おい! あんた火消しなんだろ? 俺たちは何をしたらいい!? できることはやるから言ってくれ!」
 別の男が、背後から火消しに向かって言った。
「え!?」
 火消しの男は慌てて振り返る。
「……手伝って……くれるのか?」
「手伝うも何も、やらなきゃみんな焼け死ぬんだ! さっさとやり方を教えてくれ!」
 男は苛立った口調で、火消しの男に詰め寄る。
(さっきまで逃げてたのに、どういう心境の変化だよ……)
 火消しの男がたじろいでいると、背後から声が聞こえた。
「ござとか羽織とか、なんでもいいから水で濡らして炎に覆いかぶせてくれ! 水で濡れてれば多少は燃えにくくなるから、それで少しでも炎を抑えて一気に水をかけて消していく! 火の近くの作業は俺たちでやるから、ござや羽織を集めて濡らしてくれ! 頼めるか?」
 火消しの男が驚いて振り返ると、そこには別の火消しの男が立っていた。
「ああ! わかった! 周りにいるやつらにも伝えておく!」
 男はそう言うと、足早に去っていった。

「何がどうなってるんだ……?」
 そう呟くと、後から来た火消しの男は目を丸くした。
「おまえ、さっきのお頭の言葉聞いてなかったのか?」
「お頭? ……お頭が来たんですか!?」
「おまえ……あんなデカい声が聞こえないなんて、問題だぞ……。まぁ、いい。お頭が逃げずにみんなで火を消せって言ったんだ」
「え!? 言ったらみんなが言うこと聞いてくれたってことですか!? そんな馬鹿な!?」
 火消しの男がポカンと口を開けた。
「まぁ、うちのお頭だからな。そんなことより、風向きが変わった。この火、消せるぞ」
 そう言うと、川に視線を移した。
 火消しの男もその視線を追って、川辺を見る。
 たくさんの人々がござや着物を拾い集めていた。
「これだけやってもらってるんだ。今さら消せないなんて言えねぇぞ」
「……そうですね」
 火消しの男は、気合いを入れるために両手で自分の頬を叩いた。
「消しましょう! 絶対!」
「ああ」
 二人の火消しは決意を新たに川に向かって走り出した。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「危ない!」
 目の前の人の叫び声を聞き、男が視線を追って上を見ると、燃えて折れた松の枝が男の頭上に落ちてきていた。
 男は反射的に両手で頭を覆ってしゃがみ込む。
 しかし、いつまで待っても熱さや痛みは感じられなかった。
 男が恐る恐る手をどけると、目の前に大男が立っていた。
「大丈夫か?」
 大男はしゃがみ込むと、男に聞いた。
 男は目を見開く。
「あんた、や組の……組頭の……」
 男はそう呟くと、男の手の甲を見る。
 はっきりとはわからなかったが、赤くただれているように見えた。
(守ってくれたのか……)
「あんたこそ……大丈夫か……?」
「ああ、このくらいなんともねぇよ」
 新助は自分の手の甲を見た後、男を見て笑った。
「それより、ありがとな。消火、手伝ってくれて」
 新助はそう言うと、男の肩を力強く叩いた。
「おかげですぐ消せそうだ」
 その瞬間、男はなぜか少し泣きたくなった。

「でも、ここは危ねぇから。川の近くの消火を手伝ってくれ。こっちは風下だし、火に巻き込まれるかもしれねぇからな」
 新助はそう言うと立ち上がった。
「さぁ、もう行きな」
 男は新助を見つめたままゆっくりと立ち上がると、新助に言われた通り川辺に向かって歩き始めた。



「さてと……」
 新助は大きく息を吸い込んだ。
「手を貸してくれたことに感謝する!! おかげで早く消せそうだ!! さぁ、さっさと消してみんなで帰るぞ!!!」
 新助は力一杯叫んだ。

 川辺にどよめきが広がる。
「早く消せそうだって!」
「私たち帰れるの……?」
「もう大丈夫なのか……?」

 どよめきの中、新助の声が響く。
「俺からの礼だ!!! 帰ったら、俺のツケで好きな店で好きなだけ飲み食いしてくれ!! 今日の報酬だ!!!」

 一瞬、皆が呆気にとられた。
 静寂に包まれる中、ひとりの観衆が思わず吹き出す。
「や組の組頭のおごりか! そりゃあ、いい!」

 しだいに川辺に笑いが広がっていく。
「こんなひどい目にあったんだ!! 破産するぐらい酒飲んでやるから覚悟しな!!」
「好きなだけだってよ!」
「お金落とすなら、うちの店にしてよね」
「報酬なんだから、まずしっかり働かなきゃ」
「そうだな。さっさと消して、酒飲みに行こう」

 薄暗い川辺は、しだいに明るい声が溢れていった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「すげぇな……。お頭……」
 新助の声を聞き、火消しの男は川辺を見た。
 ござや羽織を水に浸し、必死に消火を行ないながらも、観衆の顔は一様に明るかった。
「もう誰も……自分が死ぬかもなんて不安になってねぇんだな……」
 火消しの男が、そう呟きながら桶で水をかけていると、腰に鋭い痛みを感じた。
 慌てて腰を見ると、羽織に火がついていた。
(マズい!! このままじゃ……)
 火消しの男が慌てた瞬間、勢いよく水をかけられた。
「……え?」
 火は一瞬にして消えた。

「おいおい、しっかりしろよ」
 その声に火消しの男は顔を上げる。
 周りには観衆の男たちが立っていた。
「あんたが丸焦げになったらダメだろ? 俺たちだけじゃ、火は消せねぇんだから」
 観衆の男は、火消しの男の背中を叩いた。
「頼りにしてんだから、頑張れ」
「まぁ、俺たちも頑張れって話しだよな!」
「俺たちなりに頑張ってるさ」
 男たちはそう言って笑い合いながら、また川辺に戻っていった。
 火消しの男は、茫然と男たちを見送る。

「おい! さっき大丈夫だったか!? 火、ついてただろ!?」
 別の火消しの男が、駆け寄ってきた。
「…………大丈夫じゃないです」
 火消しの男は茫然としたまま呟く。
「なんだ!? 火傷ひどいのか!?」
 火消しの男は、ゆっくりと顔を動かす。
「俺、泣きそうです……。まさか……町の人が俺たちを火から守ってくれるなんて思わなくて……」
 火消しの男の目には涙が浮かんでいた。
(火消しは守る側で守られることなんてないと思ってたのに……)

 駆けつけた火消しは目を丸くした後、静かに微笑んだ。
「そうだな……。でも、泣くのは後だ! 後で飲みに行ったときにいくらでも泣けばいい!」
 火消しの男は半纏の袖で涙を拭った。
「……そうですね! お頭のおごりですし、吐くほど飲みながら泣きます!」

 駆けつけた火消しの男は苦笑した。
「お頭は今日で破産だな……」
 消火の持ち場に戻りながら、火消しは心の底から新助に同情した。