馬車に揺られて数分で、城下街ヴィダルシュに辿り着いた。
中央広場の噴水前で降り立ったマルスは大きな伸びをし、隣でオズワルドは大きな溜め息を吐いた。
「どうしたっすか? オズくん」
「……結局、お前のペースに乗せられて此処まで来てしまったと思うと何だか頭痛がしてきてな。って、何だ。その呼び方は」
「さすがに街中で、本名呼びはマズイっしょ? 騒ぎになるよ。だから、オズくんも年相応に見えるように気を付けてね?」
「…………覚えていろ」
マルスの言い分は最もである為、オズワルドは反論したい思いを震える拳に一時封じ込める事にした。
目的の物を購入し、さっさと城へ戻ればいい。
オズワルドは頭を冷まし、辺りを見渡した。
広場を囲うように並ぶ建物は、その殆どが純白の外壁に茜色の屋根で構成されて窓辺から色取り取りの花が咲き乱れていた。
民家もあれば、薬屋、雑貨屋、武器屋が軒を連ねていたり、道端に露店を出している商人が居たりして、沢山の人々で賑わっていた。
その為、城の兵士が彼方此方で警戒の目を光らせていた。
兵士は城に在住する騎士とは違い、各村や街に駐在してそこを警備している。
此処に居るのは人間ばかりではなく、エルフや人の姿に化けている竜族、髭をたっぷり蓄えたドワーフ、虹色の翅を生やした妖精が、商売をしていたり、観光を楽しんでいた。
他種族同士の恋愛は禁止されてはいるが、どの国も友好関係にあるので、交流は盛んなのだ。但し、人間とエルフは表面上そうであって、未だに互いへ憎しみを抱いている者も少なくない。
オズワルドは、通り過ぎるエルフ達の確かな視線を受け流し、ブルーヴェイル産の黄色い果実を片手によく通る声で客を呼び寄せる竜族商人を眺めた。
エルフにはオズワルドが純血でない事ぐらい、一目見ただけで分かる。それ故、彼に向けた視線は明らかな嫌悪だった。
「竜族は相変わらずだな……」
嫌悪感から気を逸らす様に、オズワルドが呟くと、マルスがニマッと八重歯を見せた。まるで、身内が褒められた時の様に胸を張ってみせた。
「陽気っしょ? 種族関係なく、ああなんだよねぇ。オズくんにも、普通に接してくれるよ」
「……まあ、種族の頂点に立つ者の余裕かな」
「それもあるけど、単純にそう言う性格なんっすよ。自分以外に興味津々って言うか、ある意味無垢って言うか……」
「お前みたいだな」
何の気もなしにオズワルドが返すと、マルスの顔から笑みが消えた。
オズワルドは不審に感じたが、それは一瞬だけで、すぐにマルスの顔に朗らかな笑みが舞い戻って来た。
「さて、茶葉を買いに行こう! 確か、あっちだよね」
「そっちじゃない」
オズワルドは、マルスの向いた方とは真逆の方へ歩いて行った。
マルスは慌てて追い掛ける。
「オズくん、知ってるの!?」
「昔、街を歩いた事があるからな。……だいぶ、その頃と街並みは変わったが」
「そうなんだ。人間は寿命が短い分、モノの移り変わりが早いっすからね。10年もすれば、すぐに変化する。それが100年であれば、もう面影も残らないぐらいに」
「400年前とは別世界の様だ」
オズワルドが皮肉めいた口調で零すと、マルスは苦笑した。
「違いないっす」
「……お前は実際に見ていないだろう」
「そりゃ、勿論! 僕、産まれて37年しか経ってないっすからね」
「お前、37歳なのか……。若いな。20代かと思ったぞ」
「若く見えるんすよ。オズくんだって、10代にしか見えないけどね?」
「それは私が混血だから。……本当に、変わったな。この国は」
オズワルドは、建物が犇めき合って狭くなった青空を眩しそうに見上げた。
先頭を歩いていたオズワルドは、背後に足音と気配が途切れた事に気が付いて足を止めた。少し来た道を戻ると、ちょっとした人集り(その大半が若い女性)が出来ていた。
気になって人の合間から向こうをみると、へらへら笑う休暇中の騎士の姿があった。
マルス……!
オズワルドはこれを機に、1人で行動しようと思った。が、マルスが何かしでかすのではないかと不安になり、せめて遠目から様子を見る事にした。
化粧の濃い女性は香水の匂いをばらまきながら、上目遣いでマルスの腕を絡め取る。
「マルスちゃ~ん。せっかくの休暇なんだから、お姉さんとイイコトしましょう?」
すると、透かさず隣の清楚な女性が厚化粧女を押し退けた。
「そんな年増より、私と劇を観に行きましょうよ」
「年増って、何よ!」
「言葉通りです!」
2人の女性が互いに火花を散らし、その間に他の女性が隙あらばとマルスに迫った。
「んー。気持ちは嬉しいんだけどねぇ。僕、今連れが居るんだよね」
マルスは爽やかな笑みを浮かべ、女性達の好意を手馴れた様子で流した。
チラリと、マルスの視線がオズワルドに向き、更に女性達の鋭い視線も加わって、オズワルドはギクリとした。
「なんだ。男の子か~」
オズワルドの姿を認めた途端、忽ち女性達から敵意が消えていった。
それどころか、何故かまたざわつき出した。
「帽子で顔がよく見えないけど、何か格好良くない?」
「すごい可愛い~」
また、オズワルドの心臓が跳ねた。
ここへ留まる事を決めた数分前の自分が憎い。この状況はオズワルドにとって、とても不愉快であった。
反対に愉快な笑みを浮かべたままマルスがオズワルドのもとへやって来て、その後を女性がついて行こうとした。
「駄目っすよ~。あの子、人見知りだから大勢で詰めかけたら恐がっちゃう。それに、僕には好きなヒトがいるんで」
振り返ったマルスの笑みは、女性達の心臓を1本の矢の如く貫いた。
女性達が大人しく引き、オズワルドは安堵の表情でマルスを迎えた。
「やあ、お待たせっす」
だが、笑みと言う名の矢はオズワルドの心臓には刺さらなかった。一瞬で表情が安堵から軽蔑に変わった。
「……お前、女癖も悪かったんだな」
「やだなぁ。僕から話し掛けたんじゃないっすよ? ほら、僕、お城の騎士でカッコよくて強いからモテるのは自然なんだよ」
自分で言うなよ、とオズワルドは心の中で突っ込んだ。
「それに、言ったじゃない。好きなヒトが居るって」
マルスは笑みを消して、真摯なサファイアブルーの瞳にオズワルドを映した。
オズワルドは首を傾げた。
「それは本当だったのか。ほぼ毎日限られたところにいる騎士に、恋愛する暇があったとは……」
「……オズくんは居ないの? ドロシー王女とか」
「…………あの娘はそう言うのではない」
「そう、なんすね」
自然と会話が終了し、オズワルドが歩き出して、その後をマルスが追い掛けた。
茶葉の店は、建物が作り出した複雑に入り組んだ小路の先にあるのだが……。
またも、マルスの寄り道でなかなか辿り着けずにいた。
「オズくん、見て見て! これ面白いよ!」
マルスは露店の前で足を止め、オズワルドに手を振っていた。
オズワルドは仕方なく、彼のもとへ歩いて行った。
「何が面白いんだ」
「ほらほら!」
マルスは露店に並ぶ商品を掴み、オズワルドの眼前に近付けた。
「マンドラゴラじゃないか。別に面白くも、珍しくもない」
もさもさの葉っぱの下に伸びる極太の根っこに剽軽な顔がついている、スペクルムではごく一般的な薬の材料である魔獣だ。
普段は葉っぱだけを地上へ出して地中に埋まっており、引っこ抜いた途端に耳を劈く悲鳴を上げて逃走する。悲鳴以外に攻撃方法はなく、それさえ防げば恐くないのだ。
ちなみに、魔獣と魔物は名称の響きは似ているが、全く異なる存在だ。前者は生物が突然変異して凶暴化したもので、スペクルム中の至る所に棲息し、時々人間や他の種族を襲う。後者は魔女達が自らの魔力を用いて作り出した意思のない生命体で、ブラックホールの魔女がその能力を分け与えたのではないかと考えられている。
マルスと、商人の妖精の男が同時に「ちっちっちっ」と指を振った。
商人が商売魂を燃やして、商品を指差して舌を振るう。
「このマンドラゴラは色合いが珍しくてね! ほら、この足先が真っ白だろ? まるで、靴下を履いているかの様じゃないか。薬として磨り潰すのもよし、観賞用に窓際に置いておくのもよしさ」
「うんうん。僕だったら、暫く窓際に置いて、時が来たら愛情を持って磨り潰すね」
「お。騎士様、なかなかの歪んだ愛情だね!」
「愛なんてのは、綺麗な形をしていないもんっすよ」
「さっすが~!」
騎士と妖精が意気投合して盛り上がり始め、所在なさげにオズワルドはその場から少し離れた。
背の高い植木の陰にベンチがあり、そこへ爪先を向けた。
その時、髪と帽子で完全に隠れたハーフエルフの耳に小さな足音と子供のはしゃぐ声、それを追っているであろう若い女性の声が流れ込んで来た。
「ルイス!」
え……。
その名に、オズワルドの身体は一瞬で凍り付いた。
脳裏を400年前のあの男が埋め尽くす。
――――ドン。
動かない両足に何かがぶつかり、脳内からあの男は出て行った。
オズワルドは自由になった顔を下へ向けた。
「あ。おい、無事か」
そこには、3歳ぐらいの男の子が尻餅をついていた。
「ああ、ルイス!」
母親が漸く追いついて、男の子に近付いて立ち上がらせた。そして、オズワルドへ深く頭を下げた。
「うちの子がすみません!」
「気にしていない」
「ほら、ルイスも。このお兄さんに謝って」
母親が眉を吊り上げ、息子の頭を掴んだ。
男の子は素直に「ごめんなさい」と謝った後、不思議そうにオズワルドの顔を覗き込んだ。そして、指を差した。
「おにいちゃん、おうさまとおなじ! めのいろがおなじ!」
「え? あ……ああ」
オズワルドは男の子の純粋な視線が気不味くなり、帽子を目深に被って軽く親子に会釈をしてベンチへ向かった。
「琥珀色って、珍しいっすもんね」
ベンチへ腰を掛けると、不意に声が掛かった。
目の前に立つ人物が誰なのか分かっていたオズワルドは、あえて顔を上げなかった。
「あのマンドラゴラを買ったのか?」
「いや。何だかんだ言って、あの妖精兄さん気に入っていたみたいだったし。僕も、魔獣を愛でる趣味はないんで。オズくんが喜ぶと思ったのになぁ」
「私は子供ではない」
「そうだったっすね。でも、妖精兄さんもけっこー年いってるみたいだったけど、子供みたいに楽しそうだったよ。オズくんも、もっと楽しめばいいのに」
「楽しんでなどいられない。今にも、世界が滅ぶかもしれないのに」
「何も……貴方1人で背負う事じゃないと思いますけど。……さて! そろそろ行きますか!」
マルスがうんっと伸びをし、軽快に歩き出した。
オズワルドは立ち上がって、彼を追い抜いた。
「さっさと目的を済ませて帰るぞ」
「はーい」
中央広場の噴水前で降り立ったマルスは大きな伸びをし、隣でオズワルドは大きな溜め息を吐いた。
「どうしたっすか? オズくん」
「……結局、お前のペースに乗せられて此処まで来てしまったと思うと何だか頭痛がしてきてな。って、何だ。その呼び方は」
「さすがに街中で、本名呼びはマズイっしょ? 騒ぎになるよ。だから、オズくんも年相応に見えるように気を付けてね?」
「…………覚えていろ」
マルスの言い分は最もである為、オズワルドは反論したい思いを震える拳に一時封じ込める事にした。
目的の物を購入し、さっさと城へ戻ればいい。
オズワルドは頭を冷まし、辺りを見渡した。
広場を囲うように並ぶ建物は、その殆どが純白の外壁に茜色の屋根で構成されて窓辺から色取り取りの花が咲き乱れていた。
民家もあれば、薬屋、雑貨屋、武器屋が軒を連ねていたり、道端に露店を出している商人が居たりして、沢山の人々で賑わっていた。
その為、城の兵士が彼方此方で警戒の目を光らせていた。
兵士は城に在住する騎士とは違い、各村や街に駐在してそこを警備している。
此処に居るのは人間ばかりではなく、エルフや人の姿に化けている竜族、髭をたっぷり蓄えたドワーフ、虹色の翅を生やした妖精が、商売をしていたり、観光を楽しんでいた。
他種族同士の恋愛は禁止されてはいるが、どの国も友好関係にあるので、交流は盛んなのだ。但し、人間とエルフは表面上そうであって、未だに互いへ憎しみを抱いている者も少なくない。
オズワルドは、通り過ぎるエルフ達の確かな視線を受け流し、ブルーヴェイル産の黄色い果実を片手によく通る声で客を呼び寄せる竜族商人を眺めた。
エルフにはオズワルドが純血でない事ぐらい、一目見ただけで分かる。それ故、彼に向けた視線は明らかな嫌悪だった。
「竜族は相変わらずだな……」
嫌悪感から気を逸らす様に、オズワルドが呟くと、マルスがニマッと八重歯を見せた。まるで、身内が褒められた時の様に胸を張ってみせた。
「陽気っしょ? 種族関係なく、ああなんだよねぇ。オズくんにも、普通に接してくれるよ」
「……まあ、種族の頂点に立つ者の余裕かな」
「それもあるけど、単純にそう言う性格なんっすよ。自分以外に興味津々って言うか、ある意味無垢って言うか……」
「お前みたいだな」
何の気もなしにオズワルドが返すと、マルスの顔から笑みが消えた。
オズワルドは不審に感じたが、それは一瞬だけで、すぐにマルスの顔に朗らかな笑みが舞い戻って来た。
「さて、茶葉を買いに行こう! 確か、あっちだよね」
「そっちじゃない」
オズワルドは、マルスの向いた方とは真逆の方へ歩いて行った。
マルスは慌てて追い掛ける。
「オズくん、知ってるの!?」
「昔、街を歩いた事があるからな。……だいぶ、その頃と街並みは変わったが」
「そうなんだ。人間は寿命が短い分、モノの移り変わりが早いっすからね。10年もすれば、すぐに変化する。それが100年であれば、もう面影も残らないぐらいに」
「400年前とは別世界の様だ」
オズワルドが皮肉めいた口調で零すと、マルスは苦笑した。
「違いないっす」
「……お前は実際に見ていないだろう」
「そりゃ、勿論! 僕、産まれて37年しか経ってないっすからね」
「お前、37歳なのか……。若いな。20代かと思ったぞ」
「若く見えるんすよ。オズくんだって、10代にしか見えないけどね?」
「それは私が混血だから。……本当に、変わったな。この国は」
オズワルドは、建物が犇めき合って狭くなった青空を眩しそうに見上げた。
先頭を歩いていたオズワルドは、背後に足音と気配が途切れた事に気が付いて足を止めた。少し来た道を戻ると、ちょっとした人集り(その大半が若い女性)が出来ていた。
気になって人の合間から向こうをみると、へらへら笑う休暇中の騎士の姿があった。
マルス……!
オズワルドはこれを機に、1人で行動しようと思った。が、マルスが何かしでかすのではないかと不安になり、せめて遠目から様子を見る事にした。
化粧の濃い女性は香水の匂いをばらまきながら、上目遣いでマルスの腕を絡め取る。
「マルスちゃ~ん。せっかくの休暇なんだから、お姉さんとイイコトしましょう?」
すると、透かさず隣の清楚な女性が厚化粧女を押し退けた。
「そんな年増より、私と劇を観に行きましょうよ」
「年増って、何よ!」
「言葉通りです!」
2人の女性が互いに火花を散らし、その間に他の女性が隙あらばとマルスに迫った。
「んー。気持ちは嬉しいんだけどねぇ。僕、今連れが居るんだよね」
マルスは爽やかな笑みを浮かべ、女性達の好意を手馴れた様子で流した。
チラリと、マルスの視線がオズワルドに向き、更に女性達の鋭い視線も加わって、オズワルドはギクリとした。
「なんだ。男の子か~」
オズワルドの姿を認めた途端、忽ち女性達から敵意が消えていった。
それどころか、何故かまたざわつき出した。
「帽子で顔がよく見えないけど、何か格好良くない?」
「すごい可愛い~」
また、オズワルドの心臓が跳ねた。
ここへ留まる事を決めた数分前の自分が憎い。この状況はオズワルドにとって、とても不愉快であった。
反対に愉快な笑みを浮かべたままマルスがオズワルドのもとへやって来て、その後を女性がついて行こうとした。
「駄目っすよ~。あの子、人見知りだから大勢で詰めかけたら恐がっちゃう。それに、僕には好きなヒトがいるんで」
振り返ったマルスの笑みは、女性達の心臓を1本の矢の如く貫いた。
女性達が大人しく引き、オズワルドは安堵の表情でマルスを迎えた。
「やあ、お待たせっす」
だが、笑みと言う名の矢はオズワルドの心臓には刺さらなかった。一瞬で表情が安堵から軽蔑に変わった。
「……お前、女癖も悪かったんだな」
「やだなぁ。僕から話し掛けたんじゃないっすよ? ほら、僕、お城の騎士でカッコよくて強いからモテるのは自然なんだよ」
自分で言うなよ、とオズワルドは心の中で突っ込んだ。
「それに、言ったじゃない。好きなヒトが居るって」
マルスは笑みを消して、真摯なサファイアブルーの瞳にオズワルドを映した。
オズワルドは首を傾げた。
「それは本当だったのか。ほぼ毎日限られたところにいる騎士に、恋愛する暇があったとは……」
「……オズくんは居ないの? ドロシー王女とか」
「…………あの娘はそう言うのではない」
「そう、なんすね」
自然と会話が終了し、オズワルドが歩き出して、その後をマルスが追い掛けた。
茶葉の店は、建物が作り出した複雑に入り組んだ小路の先にあるのだが……。
またも、マルスの寄り道でなかなか辿り着けずにいた。
「オズくん、見て見て! これ面白いよ!」
マルスは露店の前で足を止め、オズワルドに手を振っていた。
オズワルドは仕方なく、彼のもとへ歩いて行った。
「何が面白いんだ」
「ほらほら!」
マルスは露店に並ぶ商品を掴み、オズワルドの眼前に近付けた。
「マンドラゴラじゃないか。別に面白くも、珍しくもない」
もさもさの葉っぱの下に伸びる極太の根っこに剽軽な顔がついている、スペクルムではごく一般的な薬の材料である魔獣だ。
普段は葉っぱだけを地上へ出して地中に埋まっており、引っこ抜いた途端に耳を劈く悲鳴を上げて逃走する。悲鳴以外に攻撃方法はなく、それさえ防げば恐くないのだ。
ちなみに、魔獣と魔物は名称の響きは似ているが、全く異なる存在だ。前者は生物が突然変異して凶暴化したもので、スペクルム中の至る所に棲息し、時々人間や他の種族を襲う。後者は魔女達が自らの魔力を用いて作り出した意思のない生命体で、ブラックホールの魔女がその能力を分け与えたのではないかと考えられている。
マルスと、商人の妖精の男が同時に「ちっちっちっ」と指を振った。
商人が商売魂を燃やして、商品を指差して舌を振るう。
「このマンドラゴラは色合いが珍しくてね! ほら、この足先が真っ白だろ? まるで、靴下を履いているかの様じゃないか。薬として磨り潰すのもよし、観賞用に窓際に置いておくのもよしさ」
「うんうん。僕だったら、暫く窓際に置いて、時が来たら愛情を持って磨り潰すね」
「お。騎士様、なかなかの歪んだ愛情だね!」
「愛なんてのは、綺麗な形をしていないもんっすよ」
「さっすが~!」
騎士と妖精が意気投合して盛り上がり始め、所在なさげにオズワルドはその場から少し離れた。
背の高い植木の陰にベンチがあり、そこへ爪先を向けた。
その時、髪と帽子で完全に隠れたハーフエルフの耳に小さな足音と子供のはしゃぐ声、それを追っているであろう若い女性の声が流れ込んで来た。
「ルイス!」
え……。
その名に、オズワルドの身体は一瞬で凍り付いた。
脳裏を400年前のあの男が埋め尽くす。
――――ドン。
動かない両足に何かがぶつかり、脳内からあの男は出て行った。
オズワルドは自由になった顔を下へ向けた。
「あ。おい、無事か」
そこには、3歳ぐらいの男の子が尻餅をついていた。
「ああ、ルイス!」
母親が漸く追いついて、男の子に近付いて立ち上がらせた。そして、オズワルドへ深く頭を下げた。
「うちの子がすみません!」
「気にしていない」
「ほら、ルイスも。このお兄さんに謝って」
母親が眉を吊り上げ、息子の頭を掴んだ。
男の子は素直に「ごめんなさい」と謝った後、不思議そうにオズワルドの顔を覗き込んだ。そして、指を差した。
「おにいちゃん、おうさまとおなじ! めのいろがおなじ!」
「え? あ……ああ」
オズワルドは男の子の純粋な視線が気不味くなり、帽子を目深に被って軽く親子に会釈をしてベンチへ向かった。
「琥珀色って、珍しいっすもんね」
ベンチへ腰を掛けると、不意に声が掛かった。
目の前に立つ人物が誰なのか分かっていたオズワルドは、あえて顔を上げなかった。
「あのマンドラゴラを買ったのか?」
「いや。何だかんだ言って、あの妖精兄さん気に入っていたみたいだったし。僕も、魔獣を愛でる趣味はないんで。オズくんが喜ぶと思ったのになぁ」
「私は子供ではない」
「そうだったっすね。でも、妖精兄さんもけっこー年いってるみたいだったけど、子供みたいに楽しそうだったよ。オズくんも、もっと楽しめばいいのに」
「楽しんでなどいられない。今にも、世界が滅ぶかもしれないのに」
「何も……貴方1人で背負う事じゃないと思いますけど。……さて! そろそろ行きますか!」
マルスがうんっと伸びをし、軽快に歩き出した。
オズワルドは立ち上がって、彼を追い抜いた。
「さっさと目的を済ませて帰るぞ」
「はーい」