背中の痛みに、華音の意識は現実へ帰って来た。
虚ろだった琥珀色の瞳ははっきりと、目の前の光景を映す。
顎の下にはふんわりと口が広がった赤い袖があり、顔を右へ向けるとくすんだ赤髪の少女の顔があった。その豊満で柔らかい胸が身体に押し当てられているが、華音に恥じらう余裕はなかった。
血相を変え、庇ってくれた少女の名を呼ぶ。
「桜花! ご……めん。オレは……」
「良かった。無事みたいね」
桜花は華音を見下ろしてニコリと笑い、立ち上がった。
斜め上で結った、くすんだ赤い長髪、胸元や足元で輝く赤い宝石、胸元と太腿をしっかり見せる赤いヒラヒラの服、腰にコルセットで固定した上質な白い布……桜花のその姿はドロシー王女そのもの。
既に魔法使いを憑依させていた。
桜花はローズクオーツ水晶の杖と敵意を、新たな魔法使いの登場に瞬きをしている火星の魔女に向けた。
「わたしが相手よ!」
「何か、増えた。うーん、と。何だか見覚え、ある。えーっと、あ。そうだ。人間の国の王女様だ。名前までは知らない。どうでもいい。燃やすもの、増えた。それだけ」
火の魔法少女と火の魔女が視線をぶつけ合い、火花を放つ。また、物理的にも炎をぶつけ合った。
目の前で炎が爆ぜるのを見、華音は倒れている場合じゃない、と己を叱咤して起き上がり、味方に加勢する。
烏は杖に変化し、自然と華音の手に収まった。
氷の刃を敵目掛けて放つが、周囲で荒れ狂う炎の熱であっさりと溶かされてしまう。
2つの強大な炎の力を前に、水の魔法使いの立ち入る隙はないかに思われた。
ところが、徐々に桜花の炎が押され始め、遂にはエンテの炎に飲まれ、肥大化したそれが大波となって桜花を飲み込まんとした。
桜花は悲鳴を上げて、全力で後退する。
華音は全身の痛みと仲間の危機で乱れる心を、夜半の静かな水面の様に穏やかに保ち、マナの流れを感じ取る。
少しでも水面が揺れれば飛散してしまうそれを必死に止め、脳内に浮かんだ言葉をなぞる。
「メイルストローム!」
水のマナがぐるぐる回転し、やがて巨大な渦となって炎を丸呑みする。
涼しげな水に、興奮状態の炎の姿はすっぽりと隠された。
桜花が何もない所で躓き、華音が受け止める。
2人でエンテの方を見ると、大渦潮が蒸発して形をなくし始めていた。
炎も勢いを削がれたのか、大渦潮が消えた後に自然消滅。その開けた先に、平然と魔女が空中浮遊していた。
華音と桜花は頷き合い、左右に散る。
塀を走り抜け、エンテに近付く。
エンテはどちらを先に攻撃しようかと、ゆっくりと、マイペースに悩んでいる。そうしている間に、2人の魔法使いが辿り着く。
2人は飛躍し、華音は水を、桜花は炎を、それぞれエンテへ向かって放つ。
エンテはルビー色の瞳に両方を映し、静かに両手を広げ、見えない力で弾き飛ばした。
2つはマナへ還って消滅。
更に、エンテはその両手から火球を2人へ放つ。
華音と桜花は宙返りして地上へ着地するも、桜花だけは上手くいかず、転んで尻餅を着いた。
対象を失った火球は夜空の煌く星の1つとなって、遥か彼方へ消えていった。
すると、地面が大きく揺れ、亀裂が入り、火山の様にそこから炎が上がる。
華音はどんどん炎上していく場所から逃れる為、必死に駆け抜ける。最早、桜花を気にしている余裕はない。
一方の桜花も何とか立ち上がって、華音同様、火柱に追われて何ふり構わず逃げ惑う。
やがて、揺れが小さくなり、火柱もピタリとやんだ。
華音は電柱に凭れ掛かり、自分の身体を抱きかかえて肩で呼吸した。
華音が戦線離脱すると、再び炎と炎がぶつかり合った。
桜花は押され始める自分の炎に、更にマナを上乗せして抵抗する。
桜花の手や額からは汗が滲むのに、エンテは無表情を保ったまま……力を半分も出していないといった様子だ。
『オウカちゃん、避けて!』
脳内にドロシーの声が響き、桜花は横へ大きく跳ぶ。
エンテの炎に押し出された桜花の炎が、桜花の数秒前居た場所を焼き払って消滅。アスファルトから黒煙が上がった。
息付く間もなく、火球が桜花の頭上より降り注ぐ。
魔術による相殺は不可能なので、躱すしかない。後ろへ大きく宙返りし、赤い長髪を振り乱しながら、クルクル軽やかに舞う。
火球が塀や道路標識を焦がしていく。
攻撃が一時止み、桜花は透かさず走る。
エンテは首を傾け、自分の胸や腹を摩っていた。そこへ、桜花が飛躍して杖を振り下ろす。
すぐに気付いたエンテはスッと躱し、地上へ着地した桜花の頭上に剣を象った炎を落とす。
桜花は横へ跳ぶが、剣先が少し腕に掠って血が飛び散った。
傷を押さえ、もう1度エンテのもとへ向かう。
エンテはまた身体に違和感を覚えたのか、頻りに胸や腹を気にし始め、一時桜花から意識を外した。その為に、2度目の桜花の攻撃は躱す事が出来なかった。
脾腹にローズクオーツ水晶がしっかり食い込み、小さな身体は簡単に吹き飛ぶ。地面に着くギリギリで体勢を立て直し、地面に立つ。
「今の、結構痛かった。アルナに抓られた時よりも。ずっと」
エンテは無表情、無感動な口調で、脾腹を押さえる。
「じゃあ、反対側もやってあげる」
桜花は宣言通りの箇所を狙う。
しかし、エンテの眼前で形成された無数の炎の剣が行く手を阻む。円を作っていた剣は一斉に剣先を桜花へ向けて飛んでくる。
桜花は杖で弾くが、次々と形成されて飛んでくるそれらを完全に退ける事は出来ず、身体に生傷が増えていく。
横殴りの剣の雨の向こう、魔女は無表情に程近いが、何処か楽しげな顔で右手を翳していた。
剣の雨が止んだ時にはもう、桜花は爆風に飲まれていた。
華音の白いローブのあちこちに血が滲み、足元には赤色の水玉模様が出来ている。
息をするだけで苦しい。目を開けているのも辛い。
向こうで微かに聞こえる敵と味方の声が遠くなり、視界も狭くなっていく。
現実が揺らぐ。
「きゃあっ!」
不意に、華音の耳に届いた少女の悲鳴。
ドサッと音がし、狭くなった視界に映ったのは背中を地面に預けている桜花の姿。
全身傷だらけで、杖は手放してしまっている。
華音は目を見開き、叫んだ。
「桜花!」
鉛の様に重い身体を動かし、駆け付ける。
彼女を庇おうとするも、両足に力が入らず、一歩手前で両膝をついてしまう。
見上げた先には、両の手の平を天へ向けて赤く輝く魔法陣を展開させている無表情な魔女の姿。
魔法陣は外側へ向けて、どんどん広がっていき、夜空を覆っていく。
華音と桜花の敗北どころではない。あんなものから魔術が繰り出されたら、この街全てが消し炭となる。
華音は大切な人達の顔を思い浮かべ、歯を食いしばって詠唱する。しかし、一瞬で水面が揺れて、マナが分散してしまう。
エンテは成す術のない地上の魔法使い達を見下ろし、可愛らしく小首を傾げた。
「ばいばい。オズワルドモドキと王女様モドキ」
華音と桜花の内側から、スペクルムの魔法使い達の必死な叫び声が響く。魂と魔力だけを送っている彼らではそれだけで精一杯だ。
その上、そろそろ魂の滞在時間がごく僅かに迫っていた。
夜空を覆い尽くした魔法陣が更に強い光を放ち、炎が溢れ出る。
エンテは無表情で、片手を振り上げる――――と、
「ごほっ!」
突如、エンテの口から真っ赤な炎が吐き出された。
魔法陣が消え、その後もエンテの咳き込む声が地上へ落ちて来た。
華音は顔だけを天上へ向け、桜花も上体を起こして、魔女の異変に目をやった。
エンテは胸をギュッと押さえ、激しく咳き込み、炎を口から散らす。無表情は完全に崩れ、苦痛に身悶えていた。
虚ろだった琥珀色の瞳ははっきりと、目の前の光景を映す。
顎の下にはふんわりと口が広がった赤い袖があり、顔を右へ向けるとくすんだ赤髪の少女の顔があった。その豊満で柔らかい胸が身体に押し当てられているが、華音に恥じらう余裕はなかった。
血相を変え、庇ってくれた少女の名を呼ぶ。
「桜花! ご……めん。オレは……」
「良かった。無事みたいね」
桜花は華音を見下ろしてニコリと笑い、立ち上がった。
斜め上で結った、くすんだ赤い長髪、胸元や足元で輝く赤い宝石、胸元と太腿をしっかり見せる赤いヒラヒラの服、腰にコルセットで固定した上質な白い布……桜花のその姿はドロシー王女そのもの。
既に魔法使いを憑依させていた。
桜花はローズクオーツ水晶の杖と敵意を、新たな魔法使いの登場に瞬きをしている火星の魔女に向けた。
「わたしが相手よ!」
「何か、増えた。うーん、と。何だか見覚え、ある。えーっと、あ。そうだ。人間の国の王女様だ。名前までは知らない。どうでもいい。燃やすもの、増えた。それだけ」
火の魔法少女と火の魔女が視線をぶつけ合い、火花を放つ。また、物理的にも炎をぶつけ合った。
目の前で炎が爆ぜるのを見、華音は倒れている場合じゃない、と己を叱咤して起き上がり、味方に加勢する。
烏は杖に変化し、自然と華音の手に収まった。
氷の刃を敵目掛けて放つが、周囲で荒れ狂う炎の熱であっさりと溶かされてしまう。
2つの強大な炎の力を前に、水の魔法使いの立ち入る隙はないかに思われた。
ところが、徐々に桜花の炎が押され始め、遂にはエンテの炎に飲まれ、肥大化したそれが大波となって桜花を飲み込まんとした。
桜花は悲鳴を上げて、全力で後退する。
華音は全身の痛みと仲間の危機で乱れる心を、夜半の静かな水面の様に穏やかに保ち、マナの流れを感じ取る。
少しでも水面が揺れれば飛散してしまうそれを必死に止め、脳内に浮かんだ言葉をなぞる。
「メイルストローム!」
水のマナがぐるぐる回転し、やがて巨大な渦となって炎を丸呑みする。
涼しげな水に、興奮状態の炎の姿はすっぽりと隠された。
桜花が何もない所で躓き、華音が受け止める。
2人でエンテの方を見ると、大渦潮が蒸発して形をなくし始めていた。
炎も勢いを削がれたのか、大渦潮が消えた後に自然消滅。その開けた先に、平然と魔女が空中浮遊していた。
華音と桜花は頷き合い、左右に散る。
塀を走り抜け、エンテに近付く。
エンテはどちらを先に攻撃しようかと、ゆっくりと、マイペースに悩んでいる。そうしている間に、2人の魔法使いが辿り着く。
2人は飛躍し、華音は水を、桜花は炎を、それぞれエンテへ向かって放つ。
エンテはルビー色の瞳に両方を映し、静かに両手を広げ、見えない力で弾き飛ばした。
2つはマナへ還って消滅。
更に、エンテはその両手から火球を2人へ放つ。
華音と桜花は宙返りして地上へ着地するも、桜花だけは上手くいかず、転んで尻餅を着いた。
対象を失った火球は夜空の煌く星の1つとなって、遥か彼方へ消えていった。
すると、地面が大きく揺れ、亀裂が入り、火山の様にそこから炎が上がる。
華音はどんどん炎上していく場所から逃れる為、必死に駆け抜ける。最早、桜花を気にしている余裕はない。
一方の桜花も何とか立ち上がって、華音同様、火柱に追われて何ふり構わず逃げ惑う。
やがて、揺れが小さくなり、火柱もピタリとやんだ。
華音は電柱に凭れ掛かり、自分の身体を抱きかかえて肩で呼吸した。
華音が戦線離脱すると、再び炎と炎がぶつかり合った。
桜花は押され始める自分の炎に、更にマナを上乗せして抵抗する。
桜花の手や額からは汗が滲むのに、エンテは無表情を保ったまま……力を半分も出していないといった様子だ。
『オウカちゃん、避けて!』
脳内にドロシーの声が響き、桜花は横へ大きく跳ぶ。
エンテの炎に押し出された桜花の炎が、桜花の数秒前居た場所を焼き払って消滅。アスファルトから黒煙が上がった。
息付く間もなく、火球が桜花の頭上より降り注ぐ。
魔術による相殺は不可能なので、躱すしかない。後ろへ大きく宙返りし、赤い長髪を振り乱しながら、クルクル軽やかに舞う。
火球が塀や道路標識を焦がしていく。
攻撃が一時止み、桜花は透かさず走る。
エンテは首を傾け、自分の胸や腹を摩っていた。そこへ、桜花が飛躍して杖を振り下ろす。
すぐに気付いたエンテはスッと躱し、地上へ着地した桜花の頭上に剣を象った炎を落とす。
桜花は横へ跳ぶが、剣先が少し腕に掠って血が飛び散った。
傷を押さえ、もう1度エンテのもとへ向かう。
エンテはまた身体に違和感を覚えたのか、頻りに胸や腹を気にし始め、一時桜花から意識を外した。その為に、2度目の桜花の攻撃は躱す事が出来なかった。
脾腹にローズクオーツ水晶がしっかり食い込み、小さな身体は簡単に吹き飛ぶ。地面に着くギリギリで体勢を立て直し、地面に立つ。
「今の、結構痛かった。アルナに抓られた時よりも。ずっと」
エンテは無表情、無感動な口調で、脾腹を押さえる。
「じゃあ、反対側もやってあげる」
桜花は宣言通りの箇所を狙う。
しかし、エンテの眼前で形成された無数の炎の剣が行く手を阻む。円を作っていた剣は一斉に剣先を桜花へ向けて飛んでくる。
桜花は杖で弾くが、次々と形成されて飛んでくるそれらを完全に退ける事は出来ず、身体に生傷が増えていく。
横殴りの剣の雨の向こう、魔女は無表情に程近いが、何処か楽しげな顔で右手を翳していた。
剣の雨が止んだ時にはもう、桜花は爆風に飲まれていた。
華音の白いローブのあちこちに血が滲み、足元には赤色の水玉模様が出来ている。
息をするだけで苦しい。目を開けているのも辛い。
向こうで微かに聞こえる敵と味方の声が遠くなり、視界も狭くなっていく。
現実が揺らぐ。
「きゃあっ!」
不意に、華音の耳に届いた少女の悲鳴。
ドサッと音がし、狭くなった視界に映ったのは背中を地面に預けている桜花の姿。
全身傷だらけで、杖は手放してしまっている。
華音は目を見開き、叫んだ。
「桜花!」
鉛の様に重い身体を動かし、駆け付ける。
彼女を庇おうとするも、両足に力が入らず、一歩手前で両膝をついてしまう。
見上げた先には、両の手の平を天へ向けて赤く輝く魔法陣を展開させている無表情な魔女の姿。
魔法陣は外側へ向けて、どんどん広がっていき、夜空を覆っていく。
華音と桜花の敗北どころではない。あんなものから魔術が繰り出されたら、この街全てが消し炭となる。
華音は大切な人達の顔を思い浮かべ、歯を食いしばって詠唱する。しかし、一瞬で水面が揺れて、マナが分散してしまう。
エンテは成す術のない地上の魔法使い達を見下ろし、可愛らしく小首を傾げた。
「ばいばい。オズワルドモドキと王女様モドキ」
華音と桜花の内側から、スペクルムの魔法使い達の必死な叫び声が響く。魂と魔力だけを送っている彼らではそれだけで精一杯だ。
その上、そろそろ魂の滞在時間がごく僅かに迫っていた。
夜空を覆い尽くした魔法陣が更に強い光を放ち、炎が溢れ出る。
エンテは無表情で、片手を振り上げる――――と、
「ごほっ!」
突如、エンテの口から真っ赤な炎が吐き出された。
魔法陣が消え、その後もエンテの咳き込む声が地上へ落ちて来た。
華音は顔だけを天上へ向け、桜花も上体を起こして、魔女の異変に目をやった。
エンテは胸をギュッと押さえ、激しく咳き込み、炎を口から散らす。無表情は完全に崩れ、苦痛に身悶えていた。