カナダで暮らす私はカナダでいう高校4年生、日本でいう高校2年生。両親が共に日本人だけど、両親はカナダで過ごすことを決め、私はカナダで生まれ育った。高校4年生というと不思議な感じだが、カナダでは新学期は9月に始まり、一般的に小学校を8年間、高校を4年間というシステムになっている。つまり、私は日本では高校2年生だとしても、カナダでは受験生になる。日本の受験と違うことはカナダはテストではなく4年間の成績、特に3年生、4年生の成績の平均を見る。
そして、仮にカナダで生まれ育ったとしても、当然ネィティブのように流暢に英語は喋れない、勇気を出しても聞き取られなかったり、違う解釈をされたり、相手の言うことが分からなくて適当に愛想笑いで流すのは日常だ。私は今年高校を卒業して秋から大学生になる。コロナで始まり、めちゃくちゃだった高校生活、そんな私の高校生活は振り返ってみれば大変なことばかりだった気がする。そしてこの4年間のうち、自分の中のある一つの事件から、ずっと思っていたこと、そしてしたかったことがある。

 2020年6月、8年間通った小学校の卒業式はコロナで無くなった。本来友達と写真を撮ったり、ドレスを着てのダンスパーティーはすべて奪われた。

 2020年9月、楽しい高校生活を送る予定だった。インスタにあるようなキラキラ輝いた青春を夢見ていた。妄想も数えきれないほどした、友達と遊びにいく、買い物に行く、映画を見る、ドライブに行く。だけど、コロナの流行で高校生活のスタートは夢見ていた理想とはかけ離れていた。

 高校1年目は週2~3回は登校、他の曜日はオンライン。はたまた、学校に戻れても同じ時間割を6時間など、学校生活1年目は常に未知だった。また、1年目から成績は重要のため私は常にやり方もわからないまま、勉強ばかりしていた。周りに同級生がいないオンライン授業は「自分だけ取り残されているかも」「自分だけ後れを取っているかも」という孤独と不安の連続だった。

2年目からはやっと登校できるようになったけど、1年目はほとんど登校できなかったかせいで、ただでさえ難しい友達作りがより難しくなった。それに加えて英語力に自信がなかった自分は登校したら一生懸命人の輪に入って、会話をして友達を作ろうと必死だった。それでも、やっぱり、自分の英語力の自信のなさはが邪魔して会話には混じれず、友達作りに常に悩んで結局母にメールをして逃げていた。そんな中でも数ヶ月経つ頃にはやっと友達と言える人に出会えた。理科のクラスで出会ったEちゃんとKちゃん、二人とも優しくてとても価値観があった。夏には一緒にお菓子をもって、ビーチに行ったり、キャンプファイアーをしたりしてやっと思い描いていた高校生活が始まった。はずだった。しかし、Kちゃんは家庭の事情で転校してしまい、私は特にEちゃんと一緒に過ごしていた、時間割も共通しているものが多く、自然と過ごす時間が増えた。そのうち私とEちゃんは他の3人の女の子(Sちゃん、Gちゃん、Mちゃん)と仲良くなり、5人組で過ごすようになった。みんなでハロウィンを過ごしたり、休み時間は他愛もない会話をしたりした。

 ある歴史の授業で、私たちはグループワークをすることになった、そこでJちゃんという女の子が私たちのグループに参加して作業することになった。これがきっかけで私の高校生活が大きく変わったのかもしれない。Jちゃんはまわりで授業をサボったりする1軍女子とは違って、優しい子で、私たちは大歓迎だった。ただ、彼女はADHDがあって少し空気が読むのが苦手で、人付き合いで苦労すること多かった。それでも、そんなことは気にも留めず、私たち5人は歓迎してグループチャットにも招待した。ただJちゃんは時間割が違うので歴史の授業くらいしか会う機会がなかったし、休み時間もJちゃんは違う子と過ごしていた。

 ただ、私とEちゃんは仲良くしていたが、5人組の他の女子、とくにSちゃんとGちゃんの気が変わったみたいだった。その年のバレンタイン、Jちゃんはいつも通り違う友達と過ごしていたので。変わらず、5人で昼休みを過ごしていた、そしてみんなお互いにお菓子を準備していた。だけど、私とEちゃんはしっかり全員分持ってきたのに、SちゃんとGちゃんは私とEちゃんの分だけ持ってこなかった。あとから聞いたのは私とEちゃんがJちゃんと仲良くしているのが気に入らなかったみたいだ。原因はおそらく彼女のADHDだた。

 その日から、私たちのグループはSちゃん、Gちゃん、Mちゃんの3人と私とEちゃんの2人に分かれた。それでも私たちはそんなことで人を判断するのは間違ってると思うし、Jちゃんとの付き合いを続けていた。ただ、ショックだった私たちは新しい友人関係を築くため、Eちゃんの誘いで学校のボランティアクラブといって社会やコミュニティーのために慈善活動を行うクラブにに入った。優しい彼女らしい選択のクラブに私も賛成して二人で参加した。そんなことがあった2年生の冬だった。
 一方で6人のグループチャットではSちゃんは何度もJちゃんを弄んで、グループチャットから退出させたり、招待したりしてJちゃんの反応を見て楽しんでいた。私もEちゃんもあまりその対応はよくないと思っていながらも、私たちはなにもしなかった。

 ある日、Mちゃんが「やっぱり私はあなたたちとの方が合う」という理由で寝返ってきた。私もEちゃんもあまり気にしなかったし、信用した。3人で学校裏の階段でお弁当を食べながら「お互い裏切らないよね。」と約束をしたのを覚えている。3人でMちゃんの自宅に行って、ゲームをしたり、映画を見たりもした。

 でもある時から、Mちゃんは私を除け者にし始めて、私が知らない間にEちゃんとMちゃんが二人ですごすようになっていた。そしてあのバレンタイン事件から数か月間で大きく変わった友人関係。5月になると温かく、仲良く過ごしていた5人組に加えて、Jちゃんをはじめとする同級生5人、私含めて合計10人ほど集まって外で食事をするようになった。だけど一番仲良かったEちゃんは私に背を向けて、Mちゃんとその彼女の友達とばかり話すようになった。私はJちゃんともう一人違う友達とで話すようになった。みんな同じグループにいるはずなのに、MちゃんやEちゃんがいるグループは空気感も温度感も違っていた。45分の昼休み隣に座っているのにEちゃんと一言も交わさなくなることが増えた。

 あんなに穏やかで価値観が共通していたEちゃんはMちゃんと過ごすにつれて、服装の雰囲気、話し方、キャラ、インスタの投稿すべてが変わっていって、私と付き合っていたころのEちゃんの面影は薄れていった。
 そして、思い描いていた高校生活からかけ離れていく中、一番つらい事件が起きた。例のグループチャットからJちゃんがまた強制退出させられていた。またSちゃんかと思ったけど、グループチャットを開いて目を疑った、犯人はあの優しいEちゃんだった。グループが分かれて除け者にされても、グループチャットでいじめが起きても、かならずJちゃんの味方だったEちゃんが、Jちゃんをいじめだした。抜けた後もEちゃんはJちゃんの陰口をほかの友達と送り合っていた。他にも、Jちゃんから聞いたところからEちゃんから直接悪口を言われたりしていた。大好きで一番仲が良かったEちゃんはMちゃんと付き合いだしてから大きく変わってしまった。高校に入ってから3回目の友達の裏切りだった。バレンタインのチョコレート一つから始まった事件は私の中で友達作りが苦手だった気持ちにさらに拍車がかかった。勇気が出せない自分ももちろん悪いが、それでも人付き合いは少しトラウマになっていた。

 ただ、一番仲が良くて、そんなことをするはずがないと信じていた。Eちゃんだったからこそショックが大きかった、受け止めきれない現実に何十回も泣いた。学校から帰ってきて怒りに任せて、以前貰ったMちゃんからのクリスマスプレゼントのぬいぐるみを投げたりした。ベッドやシャワーでも思い出すたびに大号泣していた。
 そんなこんなであっという間に時が過ぎ、高校3年生になった。Eちゃんは依然としてMちゃんと付き合っていたし、時間割が偶然にも全く重ならなかったことで、1年以上話さなかった。あの時友達作りのために入ったボランティアクラブにEちゃんは次第に顔を出さなくり、裏切られてショックなはずなのに、皮肉にも私はボランティアクラブに残り続けた。

 それから、Eちゃんとの関係は自分の中でなかったかのように心の奥底に閉じ込めた。スマホに入ってる彼女の写真は見ると辛いからアルバムの奥底にしまった。結局Jちゃんと付き合っていた5人のうち付き合いを続けたのは私だけだった。そして、私はJちゃんともう一人仲が良かった同級生と遊ぶようになったし、今も付き合いが続いている雄一の友人だ。問題はJちゃんはほとんど時間が合わないしもう一人の子はオンライン授業を取っていてあまり会えない。

あとから、SちゃんとGちゃんと同じクラスになったときは、なぜだが割と普通に過ごせた。そこでちらっと耳に挟んだのはJちゃんのことだった。Jちゃんはなぜか、あんなにもSちゃんにひどいことをされていたのに、彼女の家に遊びに行って解散時間になっても何時間も滞在していたようだった。他にも、ひどいことをされた相手の家に行って何時間も滞在することが多々あったらしい。そんなときふと思った疑問は、彼女が私の家に来たときだ、彼女はなぜだか我が家に来るとあまり滞在しようとせず、解散時間にはすんなりと帰ってしまうのだ。正直、いじめられた相手の方が私と付き合うよりいいのだろうかと思うとかなり複雑な気持ちとなぜだか、悲しみがこみ上げてきてしまった。

 そして、今年で4年生になり、EちゃんとJちゃんと同じクラスになってしまった。1年ぶりに同じクラスになり、まともに話すEちゃんは気まずそうに、そしてどことなく私に申し訳なさそうに接してくる。ただ、接してくる彼女のファッションはもちろん年頃だから多少変化するのは当たり前だが、明らかにテイストはMちゃんや話さなかった1年の間にできた友達グループのものだった。
「直接なにかされたのは、私ではなくJちゃんだし、Eちゃんも根は悪くない」そう自分に言い聞かせてる。ギクシャクした空気感で彼女は私の隣に座った。
 私は正直許せなかった。今更仲良くしようとしたって、1年の間でお互い変わったし、お互い知らないことばかりだろう。その1年の空白は埋めるのがとても難しい、現に今も毎日彼女が隣の席に座る3時間目は少し苦痛だ。あの時の裏切りと悲しみ、どれだけ私があの事件以来高校で人付き合いが苦手になったのか、どうして常に見方だったあなたがJちゃんにあんなことをしたのか?怒りをぶつけてしまいたい感情に強く駆られる、喉までこみあげてくるその言葉を毎日必死に飲み込みながら。一見普通に接するようにしている。

 最初にも書いた通り、私は今年卒業して、秋から大学生になる。6月にある卒業パーティー、通称プロムは高校生活4年間を華々しく終わる一大イベントだ。私は小学生の時からドレスを着て、恋人と行くのを夢見ていた。でも、高校に入って、友達グループができたころには恋人とではなく、友人と行きたいと思うようになった。でも何度も友人に裏切られ、人付き合いで心閉ざすようになった自分は、プロムが少し憂鬱だ。誰と行ったらいいのかさっぱりわからない。4年前の自分が描いていたような楽しい友達との生活とはかけ離れてばかりだった。

 そんな私にも夢ができた、それは大学に入って看護師になることだ。文化や言語の違いで常に周りとなじむのがヘタクソで、高校で経験した辛い経験を糧にどんな文化的背景を持つ人も、どんな性格の人にも共感し、心身ともにサポートし、患者を心の底から笑顔にできる看護師になりたいと思えるようになった。そして、大学に入るころには、人付き合いに対する苦手意識を克服させて、同じ目標を持つ同志とともに高校でできなかったぶんの青春を送りたい。