〈神楽坂大地side〉
 日曜日が終わる。明日から学校だ。
 また、光莉ちゃんや岡田と顔を合わせる事になる。避ける事ばかりに体力を使ってしまうので、疲れてしまう。何で、こうなったんだっけ……
 僕はリビングで本を読んでいた。すると、スマホが震える。見ると、雲英ちゃんからの電話だった。珍しいな……彼女からの連絡、それも電話。まあ僕の場合、電話が来る事自体が珍しいのだが。
 出ようか迷っていると切れた。何だったんだと思いながらスマホを置こうとすると、また震えた。見るとまた雲英ちゃんからだった。もしかして、何かあったのだろうか。僕は電話に出る。
「もしもし?」
「もしもし……大地か?」
「う、うん……」
 彼女にしては珍しく疲弊した声だ。
「どうした?」
「落ち着いて聞いて。光莉が……事故に遭った」

 〈春原光莉side〉
 あれ、何がどうなったんだっけ……
 体全体に襲う痛みで脳が働かない。何にも聴こえない。視界もぼやけている。でも、何となく雲英ちゃんと武蔵先生の顔がある……ような気がする。気のせいかな……
 私、これからどうなるんだろう……ああ、この状況、あの時と同じだ……

 〈神楽坂大地side〉
 光莉ちゃんが事故に遭ったという雲英ちゃんの連絡を受け、僕は病院に向かっていた。何故か少し遠めの病院だったので時間はかかったが。
 確か、救急科の入り口からの方が近いって言ってたな……何とか探し出して入口にはいる。
「春原光莉っていう人が運びこまれたって聞いたんですけど……」
 受付でそう尋ねる。
「知り合いの方ですか?」
「はい……」
「でしたら……」
 受付のお姉さんの案内通りに僕は歩き出す。すると、雲英ちゃんの姿が見えた。だが、そこには何故か武蔵先生もいた。
「え、何故武蔵先生まで?」
「おお、神楽坂くん。」
「光莉ちゃんは?」
「今、手術室の中。」
「そう……」
 僕は雲英ちゃんの隣に座る。
「……何があったの?」
「今日、私の甥が遊びに来ててね。」
「甥?」
「うん。一番上の姉の子供。」
「うん。」
「姉と三人で買い物に出かけたんだけど、その甥の姿が見えなくて。姉と探してて。」
「うん。」
「途中で武蔵先生に会って、先生も一緒に探す事になって……」
 だから、武蔵先生も……
「やっと見つけたんだけど、道路に立ってて、トラックが迫っていて。そこに光莉が飛び出して、その甥を助けようとして……」
 そこで雲英ちゃんはうつむいた。
 大体状況は読めた。光莉ちゃんはその男の子を庇おうとして……
 気まずい沈黙が流れる。でも、何を話せばいいのか分からない。
 どれぐらい時間が経っただろう。口を開いたのは武蔵先生だった。
「神楽坂くん、来てくれてありがとう。もう帰っていいよ。」
「えっ、でも……」
「どうせ家の人には話してないんでしょ?今ならまだ遅くはない。帰りなさい。」
「……はい。」
「大地。動揺して呼んでしまった。ごめん。」
「ううん、いいよ。またね。」
 気を落とさずにと言おうと思ったが、辞めた。
「また落ち着いたら連絡するからね。」
「はい。」
 僕は心配を残しつつも帰途についた。
 幸い、母さんはまだ帰っていなかった。とりあえず一安心だ。多分、あの学校公開の時に武蔵先生は何かを察して、ああ言ってくれたのだろう。本当は残りたかったが、トラブルに発展しかねない。それに、あそこにいたって出来る事は何もなかっただろう。
「ただいま、大地。」
「おっ、お帰り。」
 タイミング良く母さんが帰ってきた。
「ちょっと待ってて。すぐにご飯にするから。」
「うん。」
「あら、これって……」
 母さんは床にあった本を拾った。
 連絡を貰った時、動揺して本を落としていった気がする。
「あっ、ごめん。」
「これって、私の本。」
「うん……勝手に借りて読んでた。」
「別にそれはいいんだけど……これ、あんたの父さんが書いたものよね?」
「えっ!?」
 さっきまでの事が一瞬吹っ飛んだ。
「そうなの?これ?」
「うん。」
 文化祭の展示のおすすめにも選んだこの蒼空。まさか父さんが書いたものなんて……
「これね、あんたが生まれた時の事をモデルに書いたものなのよ。」
「うっそ……」
 知らなかった。妙に懐かしさがあったのは、そのせいなのか?
「……父さんって何でいなくなったの?」
 何となく聞いてみた。
「さあね。」
 本当に知らないのか、それともフリか……
「ほら、座って。ご飯よ。」
「あ、うん。」
 今日はお弁当だ。ちょっと色々あったので、これぐらいが丁度良かったかもしれない。
「いただきます。」
「どうぞ。あっ、そうだ。」
「ん?何か?」
「あんたが体育祭の時に選んだ女の子いるわよね?」
「えっ、うん……」
 母さんは、体育祭は借り物競争だけ見たらしい。後は仕事に行っていて見てないらしい。
「あの子とは関わるのは辞めなさい。」
「……分かってるよ。」
 まあ、今はそんな状況でもないけど……
「あの子なんだから。」
「何が?」
「小さい頃のあなたを庇って轢かれたの。」
「…………は?」
 衝撃な言葉が聞こえてきた。危うく箸を落としかけた。
「いや、だって、その人は死んだって……」
「だって、後遺症で聴力を失ったんだから、死んだも同然でしょ。」
 心臓をつかまれたような衝撃とは、こういう事を言うのだろうか……
 僕は何とか食事を喉に通し、自分の部屋のベッドに沈み込む。
 頭がもうぐっちゃぐっちゃだ。あの時の、僕を助けた人が光莉ちゃん?
 でも、一つだけ心当たりがあった。光莉ちゃんは昔事故に遭って後遺症で聴力を失ったと聞いた事があった。あれがまさか僕のせいだったなんて……
 まだ混乱しているまま、僕は眠りについてしまった。

 〈春原光莉side〉
 目を覚ますと、どこかの道路に立っていた。
 さっきまでいた道路かと思ったが、少し違っていた。でも見覚えはある。
 と、その時。ボールが転がって来た。それを追いかける男の子。
「危ないよ!」
 私はそう声をかけるが、男の子には聴こえてないようだ。でも、あの男の子は何となく見覚えがある。
 その時、車が迫ってくる。危ないと思ったが、その瞬間、女の子が男の子を突き飛ばした。その女の子は紛れもない、小さい頃の私だった。
 そうか、これは過去の記憶、聴力を失うきっかけになった出来事だ。やがて、女の子、つまり私は車に轢かれた。多分、過去の事だからか、冷静に見つめている自分がいる。私の元にお母さんが駆け寄ってきた。
「○$!大丈夫!?」
 多分男の子の母親らしき女性がその男の子に駆け寄る。過去の出来事だから見覚えがあるのは当たり前のはず。だけど、何故か引っかかるものを覚える。何かもっと別の場所で会ったのかもしれない……
 記憶はそこで終わった。夢かもしれない。だけど、そこからはずっと真っ暗なままだった。どこを向いても暗くて、何処が上で下なのかも分からない。音も聴こえない。いや、聴こえないのは、私自信が聴こえないから?
 どうしよう……私は迷いながらも歩く事にした。進んでいるのか分からないけど。

 〈神楽坂大地side〉
 月曜日になった。母さんから学校は臨時休校で休みになったと聞いた。まあ、あんな事があったから当然かもしれない。
 多分時間はお昼ぐらいだろうけど、起きる気はなかった。何となくさっきからスマホの通知がすごい気がするが、それを見る気力さえない。なんにもやる気がしないし、寝ようと思うのだが、さっき見た夢のせいで寝られない。
 事故の時の出来事の夢を見てしまった。そういえば、確かにあの人は僕と同じぐらいの年齢の子だったなぁ……考えれば考えるほど一本の糸に繋がってしまって、嫌気がさす。
 どれぐらい時間が経っただろう。三十分?一時間?下手したら三時間ぐらいかもしれない。
 何となくスマホを見る。通知がすごかった。特にすごかったのが武蔵先生、雲英ちゃんからの連絡だ。電話、メッセージの両方来ていた。
 ああ、そういえば、落ち着いたら連絡するって言ってたっけ……色々あって忘れていた……
 僕は武蔵先生に電話をかける。一コールで出た。
「神楽坂ー!早く出てよーーー!」
「わぁっ……」
 いきなり怒鳴られた。
「す、すみません……」
「あんたまで何かあったかと思うじゃない!越水さんにも要らぬ心配かけちゃったじゃない!」
「はいぃ……」
 確かに、あんな事があった後に連絡がつかなくなったら、その思考になってしまうか……もしかすると、雲英ちゃんからの連絡も武蔵先生に言われてかも。
「ちょっと色々あって帰ってご飯食べてから眠りに入っちゃって……」
「全く……本題入るわね。春原さんの手術は成功したわ。」
「そ、そうですか……」
「うん。でも意識は戻らない。」
 さっき見た夢が蘇ってしまう。追い払うように頭を振った。
「このまま意識が戻らないって事は……」
「……察して。」
「……はい。」
 最悪の事態もあるらしい……
「そんなにショック?」
「え……」
 まあ、ショックはショックだ。ただ、今回の事だけではなく……
「ちなみに明日は普通に学校あるよ。来られる?」
「……気が向いたら。」
「分かった。無理はしないでね。後、越水さんにも連絡してあげて。」
「はい。」
 それで電話は終わった。次は雲英ちゃんにかける。三コールで出た。
「もしもし?」
「もしもし……大地……」
 かなり疲弊している。まあ無理もないか……あの瞬間を目の前で見てしまったから。
「あの、武蔵先生に電話してあげてって言われて……」
「ああ……無事で何より。」
「うん……僕は大丈夫だから。」
「うん……明日は大地学校行くの?」
「うーん……多分行く。」
「そっか……」
「……雲英ちゃんは無理しなくていいからね。」
「……ありがとう。」
 そこで電話は終わった。かなり弱ってるな……
 僕はため息をついた。
 すると、また電話がかかってきた。武蔵先生か雲英ちゃんかと思い、受信名を見ずに出てしまった。
「もしも」
「大地ーー!無事か!?」
 耳がキーンといった。相手は莉子先輩だった。
「うん、無事……」
「良かった……急に臨時休校になったから、もしかして何かあったかと思って無事確認してたんだ。」
 ああ……学校からは諸事情により臨時休校としか言われていないらしい。だから、莉子先輩は何があったのか知らないのか……
「昨日からグループでも無事を確認してるのに誰からも返事来ないから心配してたんだぞ!?」
「ああ、それは……」
 光莉ちゃんは当然、僕と雲英ちゃんもそんな余裕はなかった。全員文学部員でグループはこの四人だから誰も返事なくて心配になってしまったのだろう。まあ、この心配が合っているのだが……
「良かった……」
 莉子先輩は心から安堵している。
「雲英と光莉からは連絡来たか?」
「……」
 非常に答えづらい質問だ。これ、勝手に話していいのか?
「所で大地と喋るの久しぶりだな。」
「え?……あ。」
 すっかり忘れていた。今、人断ち中だった。
 莉子先輩とは同じ青団だったので顔を合わせる事はあったが、話すのは確かに久しぶりだ。
 まあ、今は緊急事態だし、仕方がない。
「元気そうで良かったよ。」
 今はそんなに元気はないけど……
「明日は学校来るよな?」
「……分かりません。」
「一限目はなんか集会らしいんだけど、サボらない?」
「……」
 スマホにほぼ目を通してないので、あまり状況が分からなかった。明日は学校はあるが、一限目は全校集会らしい。確かに、登校したとして、集会はサボっていいかもしれない。
「そうしようかな……」
「よし!決定!今日はゆっくり眠れそうだ。」
 ……もしかすると、寝てないのかな。僕は莉子先輩からの愛情を改めて感じた。
 電話は終わった。僕はメッセージを打つ。雲英ちゃんに向けてだ。
 『莉子先輩が連絡が取れないって心配してる。そんな気分じゃないかもだけど、電話はしてあげて。一言言ってから切っても構わないから。』
 送信した。ますます辛くさせるだけかなと思ったが、これ以上莉子先輩に心配をかける訳にもいかなかったのでそうした。
 翌日。僕は遅めに起きて制服に着替えた。食欲はなかったので朝食は取らずに登校した。教室に行く気は起きなかったので、部室に行った。
 部室には雲英ちゃんが来ていた。
「おはよう……」
「おはよう、大地。」
 昨日よりは少しマシになっていた。昨日のメッセージは返事は来なかったが、既読はしていた。
「ごめんね、私のせいで……」
「気にしないで……むしろ僕のせいかもしれないから。」
「……えっ?」
 それ以上は話さなかった。
 朝のホームルームはサボった。クラスの人と顔を合わせられるような顔と気分ではなかったから。
「ひーどい顔。」
「そっちも負けてないよ。」
 雲英ちゃんがそう言ったので、負けじと僕も言い返した。
「お互い、全然人の事言えないね。」
「うん。」
 一限目のチャイムが鳴った。すると。
「よっ。」
 莉子先輩がやってきた。
「莉子先輩……」
「集会は?」
「サボっちゃった。」
 宣言通りサボってきたらしい。
「良かったんですか?」
「うん。先生の話聞くより君達の話聞いた方がいい気がしたから。」
 莉子先輩にはお見通しかもしれない。
「光莉は?」
 やっぱり出て来てしまった、その名前。
 二人とも答えられないでいると。
「春原さんなら入院中。」
 まさかの武蔵先生がやって来た。
「武蔵先生!?」
「何で!?」
「私もサボって来ちゃった。」
「いや、教師がサボるって問題ですよね?」
「いや、あなた達のケアの方が大事な気もしたし。」
 それに関しては言い返せない。
「で、入院ってどういう事ですか?」
「……実は。」
 雲英ちゃんが涙目になって途切れながらも説明した。
「うーん、そういう事が……」
 最後までしっかり聞いた莉子先輩はそう言った。
「それは辛かったな。」
 莉子先輩は雲英ちゃんの背中をさすってあげた。
「で、大地はどうした?」
「え?」
「見るからに当事者の雲英より顔色悪いぞ。」
「それは私も気になってたんだよね。」
「……」
 話していいのだろうか。彼女の過去にも関係しているから、勝手に話していいものか……
「大地、さっき僕のせいかもって言ってたでしょ?それと関係ある?」
「……」
 答えられなかった。図星だった。だけど、こうなってしまった以上、話すしかないのか?
「……実は……」
 僕は全部話した。昔、彼女と会った事がある事、僕を庇った彼女の後遺症、それからの僕の事……
「そういう事だったんだ……」
「光莉って昔から優しかったんだな……」
「……」
 その時、一限終了のチャイムが鳴った。
「私、次授業あるから行かないと……」
「私も……」
「二人は?どうする?」
「……行きます。」
「……私も。」
「分かった。」
 僕と雲英ちゃんは荷物を持ち、みんなでそれぞれの教室に向かった。
「大地!」
 教室に入った途端、岡田がやって来た。
「大丈夫か?顔色悪いけど……」
「大丈夫。心配、ありがと。」
 僕は自分の席につく。何となくひそひそされている気がするが、気にしない。
 その後、授業は普段通りに進むが、何にも頭に入ってこない。ノートは取ってるのに、意味は分からない。
 心の穴が広がったような感覚でこの数日間は過ごしていた気がする。テストもあったはずなのに、何にも覚えていない。文化祭の準備も進められているのに、何も手につかない。
 あれから雲英ちゃんと莉子先輩とは会っていない。雲英ちゃんは休む時と来ている時があると武蔵先生からは聞いた。
 いつの間にか一ヶ月が過ぎた。ついこの間体育祭が終わったはずなのにあっという間に文化祭がやって来た。
 登校はするものの、何もする気が起きなくて部室に籠る。それは雲英ちゃんも同じだった。
「最近、食べてる?」
「……多分?」
「多分って。」
「こうやって生きてるから多分食べてるんだろうけど、何を食べてるかは全然。」
「……私も。食事の味が分からない。病院は?行ってる?」
「……行ってない。」
 光莉ちゃんは今も意識が戻らないと聞いている。面会自体は出来るらしいが、何だか怖くて行けていない。
 光莉ちゃんのお姉さんが僕に会いたがっていると武蔵先生から聞いた。でも勇気が出なくて行けてない。
「ずっと、このままなのかな。」
「……」
 僕と雲英ちゃんはやっぱり気が合うらしい。考えている事がほぼ同じだ。
 すると。
「大地、雲英!」
 莉子先輩がやって来た。
「え、何ですか、その格好。」
 メイド姿の莉子先輩。
「今日は文化祭だ。ウチのクラスは喫茶店をやるんだ。それで無理やりこれを着せられた。」
「はぁー……」
「で、来いよ!」
「えっ?」
「喫茶!」
「そんな気にはなれません。」
「放っておいてください。」
「ふぅ……光莉は絶対に目覚める。私達が信じてやらなくてどうする?」
「……そんな事言われても……」
 それでもし目覚めなかったら?
 そもそも、目覚めない原因が耳が聴こえないというのもあるらしい。補聴器は事故で壊れてしまって、予備はないらしい。そして、そうなったのは……
「私達、莉子先輩みたいに強くないんですよ……」
「うん……」
 莉子先輩は隣に座った。
「前に私がテニス部にいた事は話したよね?」
「?はい……」
 全然脈絡のない話が聞こえてきた。
「私の独り言だと思って聞き流してもらって構わない。手首の怪我が原因でやめたと言ったが、あれは言い訳だ。いや、表向きの理由かな。」
「……本当は何だったんですか?」
「後輩を追い詰めてしまった、事かな。」
「え?」
「当時、私は部長で、新しく入った一年生の指導を任されていた。その内の一人は、私とは正反対で繊細な心の持ち主だったんだ。私はビシバシ指導していて、その子は精一杯頑張っていた。朝も、夕方も、部活が終わっても、休日も……その子だけ上達が遅かったから、私も少し厳しくしてしまったんだ。だから、自分で自分を追い詰めてしまったのだろう。」
「……その子はどうなったんですか?」
「練習のやり過ぎで倒れてテニスをやめた。その子は確かに上達は遅かったが、テニスは大好きだったんだ。なのに、私は上達して欲しいという思いだけでその子に大好きな事を辞めさせてしまった。」
「そう、だったん、ですか。」
「私は何にも考えられなくなって、手首を怪我して、それを言い訳にテニスを辞めた。」
「……」
「私もそんなに強くはないんだ。見せかけの強さというやつかな。」
「……」
 先輩も僕と同じように苦しい時期があったのか……
「今は、苦しくないんですか?」
「今も、たまに苦しくなる事はあるよ。その後輩が今どうしているかは知らないしね。でも、苦しいながらも楽しめるんだ。」
「……どういう事ですか?」
「夏休みにみんなで遊んだだろ?実はその時もちょっと苦しい時期でね。」
「えっ?」
「文学部の廃部の危機と部長問題は話しただろ?」
「はい……」
 自分の事で精一杯ですっかり忘れていた。
「それに加えて進路問題もあったからね。」
「そうだったんですか……」
「あれは、私なりの気分晴らしだったんだ。付き合わせて悪かったね。でも、楽しかっただろ?」
「……はい。」
 今はとても苦しい。だけど、あの日の事は忘れる事はなかった。
「悲しみながらも楽しめる。怒る事だって出来る。笑う事も出来る。無理に、とは言わないけど、ここは一つ、文化祭、楽しまないか?」
「……」
 とても説得力があった。
「本当に、いいんですかね……?」
 そう言ったのは雲英ちゃんだった。それは僕も同感だった。
「今日という日は今日しかないんだ。それに、君達がどんな事を考えていようが、この体に明日が来る限りは生きている。」
 それは痛い程痛感している。明日は世界からいなくなっていればいいのにと考える事は幾度となくあるが、残念ながら明日はやって来る。
「なら、今を楽しまないか?それに、気持ちは伝染するんだ。不安な気持ちが光莉に伝わったらどうしようもないだろ。光莉を目覚めたい気持ちにさせるためにも楽しもう。」
「「……はい。」」
 ここまで言われたら素直に従うしかなかった。
 早速、莉子先輩のクラスの喫茶店に向かった。
「二名様、ごあんなーい!」
「「「いらっしゃいませー!」」」
「好きな席、座りな。」
 そう言われたので、適当に座った。他にもお客さんはいて、繁盛しているらしかった。
「好きな物、頼め。奢ってやる。」
「……いいんですか?」
「もしかしたら、これが最後かもしれないからな。」
「「……」」
 莉子先輩はこの文化祭が終わってから引退する事が正式に決まった。その後は受験勉強に専念すると聞いているので、確かにこんな機会はもうないかもしれない。
「じゃあ、このコーヒーを……」
「私、クリームソーダ。」
「……もっと頼んでいいぞ?」
「食欲ないです。」
 申し訳ないが、今は甘いものは気分ではなかった。
「……そっか。コーヒーとクリームソーダ一丁!」
「「はーい!」」
 喫茶店というよりラーメン屋感がある。
 しばらくすると、注文したものがやって来た。僕はコーヒーに砂糖と牛乳を入れて飲む。
「大人じゃないんだね。」
「ん?」
「コーヒー頼んだ時は意外に大人だなって思ってたけど、牛乳と砂糖……」
「……別に大人にみせるために頼んだ訳じゃないから。」
「くすっ。」
 雲英ちゃんが少しだけ笑った。
 出会った時は無表情で怖い印象だった。でも、今はこうやって普通に話せている。これは……莉子先輩と光莉ちゃんのおかげか……そう考えるとまた泣きそうな気持ちになる。
 完飲して喫茶店を出た。ただ、仲が良いのは莉子先輩しかいないので、他のクラスに入る勇気はなかった。僕ら一年は展示担当なのでお店は出していない。
「……行きたい所ある?」
「……ない。」
 目的もなく僕らはただふらついている。外には屋台がいっぱいあった。
「おーい!大地!」
 慣れ親しんだ声が聞こえた。岡田だ。
「ああ……」
「我ら陸上部は焼きそばを売ってるんだ!」
「要らない。」
 あいにく、そんな気分でもなかった。
「そっか……」
「岡田?」
 雲英ちゃんが声を発した。
「ん?お前、越水か?」
「え?二人、知り合い?」
 クラスも部活も体育祭の団も別で接点がないはずの二人。
「小学生の時同じ学校だったんだよ。」
「へえ……」
「久しぶりだね。元気そうで何よりだよ。」
「ああ、まあな……」
 ちょっと気まずそうな顔をしている岡田を見るのは初めてだった。
「随分変わったね。」
「そ、そうか?」
「……昔の岡田ってどんな奴だったの?」
 最近過去を思い出しているせいか、はたまた誰かの過去を知らされているせいなのか、ちょっと昔の岡田を知りたくなった。
「んー、めっちゃ大人しかったよ。出会った時の大地並に。」
「えっ。」
 全く想像が出来なかった。今は元気いっぱい人気者の岡田が……
「特にあの時はひどかったな……」
「おいっ、それ以上は」
「何かあったの?」
 岡田を制止して僕は聞き出す。
「弟が亡くなったんだっけ。」
「……そうなの?」
 岡田はバツが悪そうな顔をして頷いた。
「元々病気でな……あの頃の俺は学校に通えない弟に悪くて大人しくしてたんだ。」
「へえ……」
 知らなかった。どんなに明るい人でも裏では色々あったりするんだな……
「今は大丈夫なの?」
「んー、大丈夫じゃない時もある。」
 珍しい岡田の弱音に僕は驚いた。
「でも、弟に誇れる兄貴になってやろうって思ってるんだよ。多分、それが弟の願いだろうしな。」
「……」
 多分、完全には立ち直ってはないんだろう。それでも前を向いて生きているんだ……
「大地。お前は磨けば光るダイヤだ。」
「いきなり何言ってんだ。」
「岡田もそう思うか?」
「おっ、越水も?」
「同感。」
 まさかの雲英ちゃんまで……
「お前見てると昔の俺思い出すんだよ。多分お前はもっと明るくなれる。」
「……もしかして、だから話しかけてる?」
「うん。中学の時から知ってはいたけど、クラスが違ったしな。」
「えっ、知ってたの?」
「うん。」
 まさかの衝撃事実……
「さすがに名前までは知らなかったけどな。高校に入ってお前と同じクラスになって、これは運命だと思ってお前に話しかけたんだよ。」
「……」
 開いた口が塞がらない。
「全く……」
 この瞬間、岡田には叶わないと感じた。
「咲也の焼きそば、食べていいか?」
「おう、勿論!……って、今咲也って呼んだか?」
「うん。でも食欲ないな。」
「いやいや、待て待て!」
「なら私と半分こする?再会記念に私も食べるわ。」
「待て待て!俺を置いていくな!」
「岡田はこれぐらいが面白いよね。」
「同感。」
 僕と雲英ちゃんはお金を出しあって焼きそばを一緒に食べる。
「光莉に嫉妬されちゃうな……」
「え?」
「今のは忘れて。」
 完食した。
「美味しかったか?」
「うん。ありがとう。」
「俺、今から休憩だから一緒に回らね?」
「うん。」
 咲也と一緒なら安心感がある。
 咲也はほぼ全クラスの知り合いらしく、色々回りまくった。久しぶりにいっぱい歩いたので疲れてしまったが、楽しかった。
 休憩がてら文学部の展示を見る事にした。
 光莉ちゃんのは本の感想文が貼ってあった。
 『何が起こるのかが分からないのが人生だと思います。だからこそ、私達は悔いなく生きているのだと思いました。』
 何だかそのフレーズが頭に残った。
「大地のおすすめの本、いいね。」
「ああ、それ?」
 雲英ちゃんが言っているのは、蒼空だ。
「私、この神さんの本全部読んでるけど、この蒼空が一番好き。何でだろう。」
 実は僕の誕生物語をモデルにしてる、なんて言えないか。自慢みたいになってしまう。
「最近だと夜っていう、なんかシンプルなタイトルなのに何か考えさせられる事があるんだよね。」
「最近……?」
 僕は何か引っかかる物を感じた。
「僕、この神って言う人の本、これしか読んでないけど、他にも本出してるの?」
「うん。最近だと、三ヶ月ぐらい前に出したかな。」
「……」
 という事は……父さんは生きてる?今もどこかにいる?
 そして、文化祭は無事に終了した。後夜祭があったが、それには参加せずに帰った。
 何となく今日は一生忘れる事のない一日だった気がする。
 僕は家に帰った。
「ただいま。」
「お帰り。」
 母さんは本を読んでいた。
「ご飯は?」
「食べたから大丈夫。」
 今日は文化祭だったので、ご飯は自由に食べていいと言われていた。
「……何読んでるの?」
「蒼空。」
「父さんが書いたやつ?」
「自然をタイトルにした本を書くのは大体父さんよ。」
「……そっか。そういえば、僕の名前も自然に関しているけど、もしかして。」
「そう。名付け親は父さんよ。」
 僕の名前については、聞く機会がなかったし、僕も知りたい気持ちがなかったので聞いた事はなかった。
「この本を読んであんたが生まれた時を思い出したわ。」
「僕が、生まれた時……」
 知りたかった。多分みんなの意外で全然知らなかった過去を聞いたからかもしれない。
「生まれたのはお昼時。雲一つない青空だったわね。父さんも立ち会ってね。まあお互いに大変だったけど、生まれた時は二人とも泣いたわ。」
「へえ……」
「で、名前を決めるっていう時に、父さんが大地って思いついたのよ。」
「……理由は?」
「青空の下には緑色の大地が広がっている。青空と大地のように広くて優しい心を持って欲しいってね。」
「青空と大地が優しい?」
 広いは分かるが、優しいはちょっと意味が分からなかった。
「青空と大地は人間の心に感情を与える。綺麗と感動する、切なくて泣く、走り回って楽しい。」
「……」
 最後のはちょっと無理やりな気もするが、意外な答えだった。
「父さんって、ロマンチストだったんだね。」
「ええ。私にはない考えだったから、そこに惹かれて結婚したんだわ。」
 まさかの母さんと父さんの結婚秘話まで聞いてしまった。
「ごめんね。」
「えっ?」
 何故か謝られた。
「大切な人作らないでねって言って。」
「……」
「大切な人がいると悲しみが倍になる。それは変わらない真実だけど、それ以上に毎日に色が与えられる。」
 それは確かに。しばらくはモノクロの世界だった気がするが、今日はちゃんと色がついたカラフルな世界だった。
「この蒼空と文学部に気付かされたわ。」
「文学部?展示見たの?」
「うん。あんたがどんな事やってるのか気になったからね。あの写真、とっても楽しそうだったじゃない。」
 文学部の展示には本の感想やおすすめ、自作の小説の他に普段の様子として写真も貼られていた。写真部にもちょっとだけ僕の写真が貼られていた。
「今から作りなさいとは言わないけど、あんたが笑うなら自由にしなさい。もう何も言わないって約束するから。」
「……」
 母さんとちょっとだけ和解した気がする。
「父さんって、今はどこにいるの?」
「知らない。」
 父さんの居場所は頑なに教えてくれなかった。
 
 数日後。この日は振替休日で学校は休みだったが、僕は外出した。行き先は光莉ちゃんが入院しているという病院だ。
 入り口に入ると、早速知った顔を見つけた。
「武蔵先生。」
「あっ、神楽坂くん。君もお見舞い?」
「いや、その前にお姉さんに会いたくて……」
 多分、光莉ちゃんに会う前にお姉さんに会った方がいい気がした。
「お姉さんなら仕事でいないみたいだけど。」
「なら、出直します。」
 僕は去ろうとするが。
「お腹空いてる?」
「えっ?」
 僕は先生に引っ張られるようにカフェに入った。
「えっと……」
「顔色が良くなった記念に奢るから心配しないで。」
 僕の周りは太っ腹な人が多い。
 僕はコーヒーだけ頼んだ。
「須藤さんと岡田くんから聞いたわ。文化祭、楽しんだようね。」
「はい、おかげさまで……」
 コーヒーが来たので、ミルクと砂糖を入れて混ぜて飲む。
「……ミルク入れるならカフェラテ頼めば良かったのに。」
「自分で丁度いい味に作るのがいいんですよ。」
「……それは分からない事もないけど。」
「……先生は強いですか?」
「いきなり何?」
 僕は一口飲んでからこう聞いた。
「文化祭の時、咲也と莉子先輩の事を聞いて、みんな本当は強くないんだなって思って。」
「まあ、そうね。」
 武蔵先生は全部知っていたのだろうか。
「で、先生もあの事故の後も普通に学校に来て授業してたからめっちゃ強いなって思ってたんですけど……」
「あのね、私は君らとは違って大人なの。それも教師なの。お金をもらってるんだから、ちゃんと出勤して授業しないといけないし。それに、私の生徒は春原さんや越水さん、神楽坂くんだけじゃないんだから。そんな簡単に休む訳にはいかないの。」
 ああ、先生って本当に大変な仕事なんだな……
「それに、人間って結局みんな弱いの。大事なのはどれだけ心を磨くかよ。」
「心を……磨く?」
「心って脆くて。今回みたいなトラウマ級の出来事に直面したら、心は平然を保てない。」
 それは分かる。こうしないとと思っても心がそれを拒み、それと連動するかのように体も動かない。
「磨かないままだと、落ちる所まで落ちていって、気づいたらもう後戻り出来ないぐらいになっている。」
「それが、心の病気、ですか?」
「そうね。でも、心を磨けば磨く程光るし強くなる。」
「心を磨くって、どうすればいいんですか?」
「さあ?それは人による。答えを見つけられるのは自分だけだし、磨けるのは言葉だけ。」
「言葉……」
 何だかしんみり来る。
 咲也も、弟さんを亡くして悲しかったけど誇りになるって決めて強くなった。
「それに本当に強い人は自分の事を強いとは思ってない。」
「まあ、確かに……」
 質問を間違えたかもしれない。良い事は聞けたが。
「……だけど、磨くきっかけは自分一人だけじゃ出来ないかもね。」
「……」
「ずっと磨いてるのって疲れるでしょ。だからたまには休みも必要。でもその間にまた汚れたら更に磨くのを頑張る必要がある。一人だと挫けるでしょ?」
「そうですね。」
 先生の話には説得力がある。
「一人じゃない事が自分を強くする……のかもね。」
「はい。」
 僕はまた一口飲んだ。
「……あのさ。」
「はい。」
「君は君だよ。」
「へ?」
「君がどんなに素敵な人間かは私が知ってる。ううん、私だけじゃなくて須藤さんも、岡田くんも、越水さんも。もちろん春原さんだってね。」
「はい……」
 何を言いたいのかが分からない。
「だから、誰かの言いなりになる必要なんてない。自分は自分らしく生きていけばいいの。」
「……」
「この前、君が話してくれたよね?友達を作らない理由。」
「あ、はい……」
 そういえば、あの時、武蔵先生もいたんだったっけ……
「私は聞いてる感じ、親の言いなりになっているようにしか聞こえなかった。」
「……」
 その通りかもしれない。
「だって、本当の君は友達が欲しかったんだから。」
「えっ……」
「この半年間、委員会とか文学部とか一緒に過ごしたよね?色んな人と関わっている君はきらきら輝いていた。一人でいるよりも生き生きしてたよ。」
「……」
 ……もしかすると、雲英ちゃんもその事に気付いていたのかもしれない。
 ‘本当は友達が欲しいんじゃない?’
 何回も蘇ったこの言葉。誰かに聞かれた事もあった。でも否定は出来なかった。きっと、僕自身が、友達が欲しかったから。いや、一人が嫌だった可能性もあるんだけど。
 きっと、部室に毎日行くようになったのは、無意識に人と関わりたかったからかもしれない。
「君は自分が好きだと思う自分でいればいい。」
「武蔵先生……」
「大丈夫。みんないるから。」
「……はい。」
 僕は手を握らされた。武蔵先生の手は冷たかった。きっと、本当は不安なのに我慢しているんだろう。
「おっ、君が待ち望んでいた人があそこに。」
「えっ?」
 武蔵先生が指指した先には、光莉ちゃんのお姉さんがいた。
「行ってきな。泣きたくなったらいつでも部室においで。」
「……はい。」
 もしかして、あの部室の鍵が常に開いてるのは、僕達がどうしようもなくなった時に逃げられるように、なのかな?
 僕は急いでカフェを出て、お姉さんを捕まえた。
「愛梨さん!」
「んっ……神楽坂くん。」
 前会った時より少しやつれた気がする。
「……会いたかったよ。座ろうか。」
「はい。」
 僕とお姉さんは近くのベンチに座った。
「あなたでしょ?」
「……」
「十二年前、光莉が助けた男の子って。」
 やっぱり、気付いていたんだ。
「いつ、気付いたんですか?」
「学校公開の時。あの時の男の子のお母さんとそっくりな人がいて、まさかとは思ってた。光莉から神楽坂くんを紹介された時、確信した。あの時の男の子だって。」
「その節は大変申し訳ございませんでした。多分、あの事故がなければ全部……」
「……確かにあの事故で人生は百八十度変わった。私達、両親に捨てられたしね。」
「……えっ?」
 初耳だ。
「捨て、られたんですか?」
「あれ?光莉から聞いてない?」
「はい、両親の事に関しては全然……」
 光莉ちゃんは両親の話になると、話しづらそうにしていたのでみんな追及しなかった。
「優しいんだね。」
「……そんな事は。」
「ううん。多分、光莉も話しづらかったんだと思う。あの事故があるまでは私達二人共可愛がられていたんだけど、光莉が事故で聴力を失ったと分かった途端、両親は私たちを捨てていった。」
「それは……」
「気にしないで。さっきは可愛がったって言ったけど、本当はネグレクト気味な所もあったから。もし事故がなかったら、もしかしたら私たちの人生、もっとぐっちゃぐちゃになってたかもしれない。」
「捨てられた後は……」
「おじいちゃんとおばあちゃんの所でお世話になっていた。ただ、私が高校卒業するまでに死んじゃったからそこからは二人暮らし。だから、私は働いているし、光莉の保護者って訳。」
「そうだったんですか……」
 確かに、お姉さん以外の家族の事を光莉ちゃんの口から聞いた事はなかった。
「親戚は……」
「いるのか分からない。まあいたとしても今さら引き取ってもらえないでしょ。」
 確かに。小学生とかならともかく、高校生と既に成年を迎えている姉妹。引き取ってくれる可能性は低いかもしれない。
「神楽坂くん。」
「はい。」
「光莉の事、友達としてじゃなくて一人の女の子として、好き?」
「……はい。」
 僕は頷いた。
 多分、いや確実に僕は光莉ちゃんに恋しているのだろう。でなければ、あの事故の日、雲英ちゃんから連絡をもらった時にすぐに飛んでくるなんてしなかっただろう。
「光莉のどんな所が好き?」
「……光莉ちゃんは、障害という限られた世界の中でも自由に羽ばたいています。やりたいと思う事は何でもやるし、やりたくない時はやらないって言う。それに、彼女の持つ明るさは僕達を照らしてくれます。名前の通り、光莉ちゃんは僕達の光です。明るくて優しくて可愛い、そんな所に惹かれています。」
「体育祭の時、可愛い女の子として光莉を選んでくれたよね?」
「……はい。」
「嬉しかったよ。光莉の魅力を分かっている人がいて。あの子は強い。聴力を失った時、悲しんだり悔しんだりするんじゃなくて、早く誰かと喋ろうと頑張っていた。」
「それは、お姉さんがそばにいたからですよ。」
「……それはあるかもしれない。光莉は優しい子に育った。嬉しかった。」
 それも、お姉さんがそばにいてくれたから、ずっと頑張ってこれたんだろう。光莉ちゃんの強さの元は間違いなくお姉さんだ。
「光莉に会って欲しい。」
「……はい。」
 正直、拒否されるんじゃないかと怖かった。だけど、こんなにも優しい言葉をくれる。自分は悲しみでいっぱいのはずなのに。
 僕はお姉さんと病院の中に入り、病室まで案内される。
「私、ここで待ってるから。」
「……はい。」
 僕は病室の中に入った。
 久しぶりに見た光莉ちゃんは眠っていた。所々に巻かれた包帯が事故の悲惨さを物語っていた。
「……光莉ちゃん、久しぶり。」
 光莉ちゃんは反応しない。
「文化祭、楽しかったよ。莉子先輩のメイド姿、咲也の焼きそば……」
 少し涙目になってしまった。
「後、文学部の展示。とってもいい感じだった。君の感想文、あれに君の全てが詰まっている気がした。」
 光莉ちゃんは微動すらしない。
「……好きだ。君の、全てが。」
 僕は光莉ちゃんの手を握った。
「みんな、待ってるよ。早く戻っておいで。」
 僕は写真を置いた。文化祭の日、帰る前に莉子先輩と雲英ちゃんに光莉ちゃんに会う事を話したら、莉子先輩にこれを持っていけとこの写真をもたされた。文化祭でも飾られた、夏休みのあの日の写真だ。
 僕は病室を出た。お姉さんと武蔵先生がいた。
「……大丈夫?」
「はい。会わせてくれてありがとうございます。」
「たまにでいい。会ってやって。」
「……はい。」
「神楽坂くん、帰ろうか。」
「はい。」
「愛梨、またね。」
「うん。ありがとう、夏芽。」
「……」
 僕は武蔵先生と歩き出す。
「何ですか、今の。」
「ああ。私と愛梨……春原さんのお姉さんとは同じ高校に通っていて、先輩後輩の関係だったんだ。」
「えっ……世界って狭いですね……」
 昔命を助けてくれた光莉ちゃんと助けてもらった僕。小学校の時に同級生だった咲也と雲英ちゃん。そして高校で一緒だった武蔵先生とお姉さん。
「違うよ。世界は広い。これは運命なんだ。」
「運命……」
「運命が交わった。ただそれだけの事。あっ、そうそう、君に会いたいっていう人がもう一人いるんだ。」
「へ?」
 誰だろう……
「ほら、あそこに座っている男の子。」
 待合室で座っている僕と同じぐらいの男の子。彼は耳に補聴器を付けていた。
「誰ですか?」
「春原さんの同級生。スマホ使って話してあげて。」
「はい……」
 武蔵先生はかなりの回数光莉ちゃんのお見舞いに行っているらしい。そこで知り合ったのかな……
 僕はその男の子の肩を叩いた。男の子は振り向いた。
 ‘’僕に会いたいって聞いたけど、君で間違いない?”
 スマホのメモにそう入力して見せた。男の子は頷いた。椅子に目線を移したので座った。
 ‘’俺は及川颯太という。お前は?”
 スマホの画面を見て驚く。お前……一応初対面なのだが。
 ‘’神楽坂大地。”
 ‘’なるほど。俺は小さい頃から光莉と一緒にいる。”
 もしや、ライバル宣言だろうか。
 ‘’でもこの前、ちょっとケンカしてな。”
 ケンカ……
 ‘’俺が勝手に告白したのが原因。”
 もしかして、随分前、暴露会の時に、僕にだけ教えてくれた、告白の子だろうか。
 ‘’光莉が事故に遭った日、俺と光莉は会っていた。”
 ‘’そうなの?”
 及川くんは頷いた。
 ‘’光莉は俺に告白の返事をくれた。俺の家はこの辺でな。まあ遠いはずなのにわざわざ来てくれた。”
 そういう事か。何であの日、光莉ちゃんはこんな遠い所にいたのだろうかと疑問だったが、それが今分かった。
 ‘’話をして分かれて、次の日かな。光莉が事故に遭ったって愛梨さんから聞いた。俺のせいだと思った。すまない。”
 及川くんは頭を下げた。
「頭、上げて。」
 ‘’いいよ。そんなに思い詰めないで。”
 ‘’で、お前に言いたい事は”
 なんだろう……
 ‘’光莉をよろしく頼む。”
「へっ?」
 ‘’本当は俺が言っちゃいけないと思うけど、光莉はお前が好きだ。”
「はあ……」
 思いがけない所で光莉ちゃんの気持ちを知ってしまった。
 ‘’お前、体育祭で可愛い女の子として光莉を選んだだろ。”
「!!??」
 まさかのそれが出て来ると思わなくてあたふたしてしまう。
 ‘’な、何で?”
 ‘’俺も見ていた。”
 まさかの及川くんにも知られていた……穴があったら入りたい……
 ‘’その時、思ったんだ。俺はお前に叶わない。だから光莉はお前にやる。”
 光莉ちゃんは物じゃないけどな……
 ‘’泣かせたら承知しない。”
 僕は頷いた。
 ‘’光莉ちゃんの事、小さい頃から知ってるって言ったよね?”
 及川くんは頷いた。
 ‘’教えて欲しい。光莉ちゃんの小さい頃。”
 ‘’分かった。代わりに今の光莉を教えろ。”
 ‘’もちろん。”
 しばらく光莉ちゃんの話で盛り上がった。

 〈春原光莉side〉
 あれからどれくらい時間が経ったんだろう……
 あれから、私はずっと真っ暗な世界から抜け出せないでいた。光も見えない。音も聞こえない。上も下も分からない。
 泣いた事もあった。早く、ここから抜け出したい。早く、みんなに会いたい。
 お姉ちゃん……雲英ちゃん……颯太……流花……莉紗……莉子先輩……武蔵先生……それに。
「光莉ちゃん」
 どこからか音が聴こえた。でも、周りをいくら探しても出処は見当たらない。
 だけど、この音は……私が今一番求めていた声だ。
「好きだ。」
 大地くん!
「君の全てが。」
 大地くん!私も、好きだよ!いつも優しいその声、どんな時でも隣にいる、自覚のない優しさ、だけどちょっとぼけている所……
「早く戻っておいで。」
 早く帰りたい。声が、音がする方向に走っていく。
「みんな、待ってるよ。」
 早く会いたい。
 時間の感覚がもう分からない。数十分?数時間?いや数日?私はとにかく走る。方向は合っているかは分からない。だけど、こっちだと直感が言っている。
 やがて、一筋の光が見えた。誰かがいる。逆光で分からない。でもその人は手を伸ばしている。私はその手を握る。その人……彼も握り返す。彼の後ろからいくつもの手が現れ、私の手を握ってくれる。
 その時、眩しい光が放たれ、私は目を瞑った。
 真っ黒な世界から一転、真っ白な世界に変わった。目を開けると、真っ白な世界は消え、別の世界がぼやけて見える。
 だんだんと形になっていった。視界に後ろ姿がある。
 確信した。
「だ、いち……」

 〈神楽坂大地side〉
 あれから数日が経った。僕はしっかり学校に通っている。立ち直ったかと言えばそうでもない。夜はたまに思い出して涙ぐむ事もある。だけど、確実に、前を向いて歩いている。
「大地、おっす!」
「おっす。」
 あれから僕は人断ちはやめた。といっても、話してる人は今までと変わらずだけど。
 莉子先輩は部活を引退した。本当はお別れ会を予定していたが、光莉ちゃんがいないため、延期された。今は受験勉強に励んでいる。会う回数はめっきり減ったが、それでもたまに会うと全然変わってなくて安心する。
 雲英ちゃんもちゃんと学校に来ている。何と、この度、文学部部長に任命された。武蔵先生と莉子先輩の綿密な会議を重ねた結果らしい。理由は年齢でいえば雲英ちゃんが年上なため。
 咲也とはすっかり仲良くなった。咲也の熱い所はたまについていけない時もあるけど、それでも彼といると安心する。
 武蔵先生とは……特に変わらずだ。今まで通り、生徒と先生という関係だ。ただ、何かあれば相談をするようにはなった。それに、尊敬する人になりつつある。
 そうそう、及川くん。客観的に見るとライバル関係のはずなのに、何故か仲良くなってしまった。と言っても、会話の九割は光莉ちゃんの事で盛り上がる。この前、それを雲英ちゃんに話したらドン引きされた。
 そして、光莉ちゃんは今も目覚めない。たまにお見舞いに行って近況報告をしている。聴こえてないはずなのに、何となく聞いている気がしている。
 その日も、近況報告のために光莉ちゃんに会いに行っていた。彼女はいつも通り眠っていた。僕はお見舞い品の山に視線を移す。彼女の周りにどれだけ人がいるかが一目で分かる。壁には一枚だけ写真が飾られていた。多分愛梨さんが貼ったんだろう。
 もう帰ろうと思い、歩き出した、その時。
「だ、いち……」

 〈春原光莉side〉
 彼は振り向いた。間違いなく、私が求めていた、大地くんの顔だ。いつぶりだろう。
 彼は私の元に駆け寄り、何かを言っている。何を言ってるかは分からなかった。それでも久しぶりの、私が求めていた彼の顔に嬉しくなり、彼を抱きしめた。彼も抱き返してくれた。涙も、流したような気がする。

 〈神楽坂大地side〉
 その声が聞こえた時、空耳かと思った。
 振り向くと、光莉ちゃんが、確実に目を開けていた。
 僕はすぐに彼女の元に駆け寄った。
「光莉ちゃん!?分かる!?」
 というか、聴こえてないから、分からないか……
 そう思った時、胸ぐらを掴まれた。一瞬殴られるかと思ったが、気づいたら抱きしめられていた。彼女が何を考えているかは分からなかったが、僕は抱きしめ返した。静かに涙を流した。

 〈春原光莉side〉
 驚いた。気付いたら一ヶ月ちょっと過ぎていた。
 検査、警察からの事情聴取に勤しんでいたら数日が過ぎた。
 補聴器はあの事故で壊れて、今新しい補聴器を作っている最中らしかった。だからしばらくはまだ音のない世界を過ごす事になった。でも、大地くんからの告白はしっかり耳に残っていた。夢だったのかもしれないけど。
 目を覚ました後、お姉ちゃんが駆けつけてくれた。お姉ちゃんが来るまで、大地くんがそばにいてくれたが、お姉ちゃんが来たら、すれ違いに帰って行った。
 ‘’光莉、本当に良かった”
 久しぶりに見るお姉ちゃんの顔、手話。
 ‘’心配かけちゃってごめんね”
 ‘’もう、いいの。”
 お姉ちゃんは私を抱きしめてくれた。私が覚えている、匂い、温かさがちゃんとあった。
 数日間面接禁止になり、今日解禁された。一番にやって来たのは武蔵先生だった。事情は警察とお姉ちゃんから大体聞いていた。
 武蔵先生は来て一番に私を抱きしめた。
 ‘’本当に、良かったよ。”
 先生は、音声認識アプリで私に話してくれた。
「心配おかけしました。」
 ‘’本当だよ。あんな無茶もうしちゃダメだよ!”
「はい……」
 ちゃんと守れるかは分からないけど。
「事故に遭った時、薄れる意識の中で武蔵先生の顔、見えたんですけど……」
 ‘’当然でしょ。私達が通報してずっとそばについてたんだから。”
 事故に遭った時、武蔵先生と雲英ちゃんがいたらしく、先生が通報してくれたらしい。最後に聞こえたあの声はやっぱり二人のものだった。
「あの日、泣いてましたけど、大丈夫ですか?」
 ‘’バカなの?大丈夫な訳ないでしょ”
 目を覚ました日、一瞬だけ顔を見せてくれた。
 次に来たのは颯太。
 ‘’大丈夫か?”
 ‘’うん。心配かけてごめん。”
 ‘’こっちこそ、遠い所からわざわざ行かせてごめん。本当は俺が行けば良かった。”
 ‘’気にしないで。私が行くって決めたから。”
 ‘’生きてくれて、良かった。”
 颯太はちょっと涙目になっていた。私は颯太の頭を撫でた。
 次は、武蔵先生と一緒に雲英ちゃんがやって来た。
 ‘’あんな目に合わせてごめん。”
 雲英ちゃんは開口一番、私にそう言った。
「気にしないで。別に雲英ちゃんのせいじゃないから。」
 ‘’後、ありがとう。甥を助けてくれて。”
「うん……」
 私が助けた男の子は雲英ちゃんの甥だったらしい。
 ‘’あのままいなくなってたら、私どうかしていたかもしれない。本当に良かった、助かって。”
「うん、ありがとう。心配かけてごめん。」
 雲英ちゃんの手を握った。雲英ちゃんは抱きしめ返された。
 ‘光莉、ダメ!’
 きっと、あの言葉は一生忘れない。雲英ちゃんがどれだけ私を想ってくれているかが分かるから。
 大地くんは私が目を覚ましてしばらく経ってからまたやって来た。
 ‘’調子はどう?”
「悪くはないよ。」
 その頃には大分包帯も取れていた。左腕は骨折しているらしく、完治までは時間がかかるらしい。足も骨折まではいかないが、まだ痛かった。
 ‘’君って恵まれてるんだね”
「みたいだね。」
 病室は暇だったので、お見舞い品の数々に目を通していた。
 まだ音は戻らない。だけど、あの事について思い切って聞いてみる事にした。
「大地くんさぁ……私に告白した?」
 彼はびくっとし、顔が赤くなった。それで全て察した。
「やっぱり?私、周りの音は全然聴こえてなかったんだけど、何故かこれだけ聴こえたんだよね。」
 ‘’何言ったか覚えてる?”
 彼は顔を手で隠しながらそう尋ねた。
 もちろん、忘れる訳がない。
「好きだ。君の全てが。みんな、待ってるよ。早く戻っておいで。」
 彼は更に顔が赤くなった。
 ‘’後半はともかく、前半は聴こえて欲しくなかった”
「何で?私嬉しかったよ。多分、あの告白のおかげで私戻ってこれたようなものだし。」
 本当に。あの告白がなければ、私は今も眠ったままだったかもしれない。
 ‘’あの……君に伝えなければならない事があるんだ”
「えっ?何?」
 ‘’君は昔男の子を庇って事故に遭った。その庇ってもらった男の子というのが、僕だったんだ”
「……そうなの?」
 初耳だ。
 でも、確かに、唯一見たあの夢?記憶?の男の子はどこかで見た顔だと思っていた。あれは大地くんだったんだ。多分、お母さんの方も、学校公開ですれ違ったのを覚えていたのかもしれない。
 ‘’ごめんね。僕のせいで君は聴力を失った。”
 彼の顔はまだ赤いままだったが、真剣な顔をしていた。
「……ねえ、大地くん。私が今、不幸に見える?」
 彼は首を振った。
「そりゃあ、色々苦しい事はあったよ。」
 いきなり音を失い、両親も失い……
「でもね、私は一人じゃなかったから、幸せだった。もちろん、今も。」
 お姉ちゃんだけは私のそばにいてくれて、おばあちゃんおじいちゃんの所に引き取られた。聾学校に転園して、颯太、流花、莉紗に出会った。
「それに、たまに思うんだ。もしあの出来事がなかったら、きっと大地くんとは出会わなかったかもしれない。ううん、大地くんだけじゃなくて、雲英ちゃんや莉子先輩、武蔵先生も。だから、あの出来事は苦しいだけじゃない。巡り巡って、みんなと出会えたきっかけになったんだよ。」
 ‘’君は本当に強いね。”
「そう?」
 彼はこくっと頷いた。
 ‘’あ、あの……告白なんだけど”
「それは保留にさせて。」
 彼は驚いた顔をしていた。
 「音が戻った時にもう一回聞きたい。」
 それが、私の今の目標だ。
 ‘’分かった。”
 そして、お見舞いに来てくれたのはもう一人。
 私が入院しているのは大学病院。なので、小川先生が隙間時間に来てくれていた。
 実は、目を覚ました時、死角となってた位置に小川先生がいた。なので、あの抱きしめている所を見られていた。幸い彼は気付いていなかったが、私は気付いた。
 ‘’彼、良い男だね”
「そうですね……否定はしません。」
 あのシーンをよりによって小川先生に見られた事が一番恥ずかしかった。
‘’事故に遭ったって聞いた時は動揺したけど、無事で良かったし、良い所も見れたし。”
「あはは……」
 私は苦笑した。

 〈神楽坂大地side〉
 光莉ちゃんが目を覚ました時、本当に嬉しかった。あの後はお医者さんと愛梨さんを呼んで、愛梨さんが来るまでは彼女のそばにいた。愛梨さんが来た後は二人きりにさせた。多分、積もる話があるはずだから。
 病室を出た僕は、武蔵先生、雲英ちゃん、莉子先輩に目を覚ました事を伝えた。案の定、みんな喜んでいた。武蔵先生に関しては、その日の内に光莉ちゃんに会ったらしい。
 数日後に彼女に会った。そこで知らされたのは、あの告白が光莉ちゃんに伝わっていた事だ。嬉しいやら、恥ずかしいやら……昔の事故については僕から言ってと愛梨さんからは言われていたので、しっかり伝えた。その結果、彼女の強さを思い知らされた。告白に関しては、彼女が音を戻したら、という事になった。いつになる事やら……
 少しだけ日常が戻ったある日。
 その日は部室で雲英ちゃんとテスト勉強をしていた。
「光莉っていつ退院出来そうなの?」
「テストまでには出来るって聞いた。」
「ふーん……」
「二人ってこんなに寂しいんだね。」
 莉子先輩は部室に来ない。まあ引退したから当然だけど。
「それより申し訳ない気持ちになるよ。」
「え?」
「浮気してるような気分になる。」
「いや、まあ……」
 光莉ちゃんにこっそりでもなかった告白をした事は話してある。
「ちゃんと返事はもらった訳じゃないし……」
「音が戻ったらもう一回聞きたいはほぼイエスでしょ。」
「確かに。これでノーだったら、泣きまくるよ。」
「てか、部室ではイチャイチャしないでよ?私の居所がなくなる。」
「多分、しないよ。光莉ちゃん、雲英ちゃんの事大好きだから。」
「それはそれで複雑なんだけど。」
「でもさ、何であの告白だけ聞こえたんだろう。」
 僕はそこがずっと疑問だった。眠っている時は全然音は聞こえなかったと彼女は言っていた。
「そんなん、奇跡が起こったんでしょ。」
「奇跡?」
「うん。大地が光莉を想う気持ち。」
「そうなのかな……」
「どんなに考えたって多分正解は出ないだろうし、そういう事にしておこう。」
「うん。」
 日はまた過ぎていき、光莉ちゃんの退院の日。
 まだ音は戻っていないし、腕は怪我したままらしいけど、お祝いとして文学部メンバーでお茶をする事になった。更に、愛梨さんからの頼みで、病院まで迎えに行く事になった。
「まだかな。」
「早く会いたいな。」
 受験勉強とテスト勉強を控えていた莉子先輩はお見舞いに一回も行かなかったらしい。だから、会うのは本当に久しぶりらしい。
 しばらく待ってると、光莉ちゃんが出てきた。
「光莉ー!」
 真っ先に走ったのは莉子先輩だ。僕と雲英ちゃんも後に続いた。
「会いたかったー!」
 莉子先輩は光莉ちゃんを抱きしめている。光莉ちゃんは嬉しそうに笑った。
「行こう。」
 久しぶりに揃った文学部メンバーでカフェに向かう。光莉ちゃんは足を引きずるように歩いていたけど、僕達は光莉ちゃんのスピードに合わせて歩いていたし、雲英ちゃんがサポートしていた。
 カフェに到着し、各々好きなものを注文する。
 音声認識アプリを使いながら光莉ちゃんと会話する。このアプリは颯太に教えてもらった。颯太とは連絡先を交換して、メッセージで今も話している。
「学校は行くのか?」
「テストの日だけ行って、後は補聴器が来るまで休む予定です。」
「進級は大丈夫なの?」
「成績が問題なければ大丈夫かもしれない。」
 光莉ちゃんの成績は、学年で一、二を争うぐらいだ。
「勉強は?分からない所ある?」
「私今、受験勉強してるから、それぐらいなら教えるぞ?」
「ありがとう。でも大丈夫。大地くんの解説、分かりやすいから。」
「「ふ~っ!」」
「辞めてよ……」
 丁度注文したものが来たので、食べ始める。食欲はすっかり戻った。
「武蔵先生が光莉によろしく言ってたよ。」
「うん、ありがとう。」
 それからも、いっぱいお喋りをした。
 きっと、光莉ちゃんがいなければ、きっと僕はここにいなかっただろう。
 僕はこの瞬間の今を噛みしめながら自家製コーヒーを飲む。

 〈春原光莉side〉
 テストを受けた後、しばらくしてから補聴器が来た。それまでは、学校は休み、話す時は音声認識アプリを使ってもらっていた。何より、音のない世界はやっぱり寂しい。
 緊張しながら補聴器を付ける。
 その瞬間、何ヶ月かぶりの音が聞こえてきた。風の音、車の音、誰かの声……
「光莉、聞こえる?」
 大好きなお姉ちゃんの声。
「うん!聞こえるよ!」
 嬉しかった。これで、もう一回、彼からの告白が聞ける。
 翌日、私は早めに学校に向かった。テストは教室じゃない別室で受けたので、ほぼ久しぶりに等しい。でも、約束があるので、まずは部室に向かう。
 全ての出会いの元凶。それがこの部室だ。ここは文学部ための教室。私の青春を語る時には外せない。
 中に入ると、約束の人物は既にいた。
「大地くん!」
 大地くんは振り向いた。
「光莉ちゃん。」
 彼の全てを包み込むような優しい声。久しぶりに聞けた。私は嬉しくなって、彼に抱きついた。
「わっ!」
 彼は驚きつつも抱き返してくれた。彼はとても温かい。その温かさに私は顔を綻んだ。
「好きだよ。君の全てが。」
「!」
 耳元で囁かれるようにそう言われた。
「私も!神楽坂大地くんが、好きです!」
 私はそう返した。
「……付き合うって事でいいよね?」
「うん。よろしくね、うさぎくん。」
「ははっ。その呼び名、懐かしいな。」
 うさぎくんは出会った頃に私達が考えたあだ名。いつしか呼ばなくなったけど。
「いやー、長かったな。」
「うん、本当に良かった。」
「本当におめでとう。」
 三人の声が聞こえた。振り向かなくても分かる。莉子先輩と、雲英ちゃんと、武蔵先生だ。
「ひ、光莉ちゃん?恥ずかしいから離れてよ……」
「やーだ。」
「ははっ。」
「良かったな、大地、光莉。」
「はい……」
 絶対に離したくない、この温かさ。