リビングに通すと、エステルはソファーに座ったまま、依然として俯いていた。
 僕は落ち込んだ女の子に出せる最善の飲み物として、砂糖を溶かしたホットミルクを作り、テーブルへ持って行く。
 小さじ1杯の砂糖を入れたんだけど、多かっただろうか。


「飲んで」

「……」


 コト、とテーブルに温まったマグカップを置くと、光る蝶がエステルの顔の前を横切って、ソファーの背もたれに止まる。
 エステルはビクリと肩を震わせて、揃えた膝の上でギュウッと手を握り込んだ。


「……どうしたの?」


 隣に座って、エステルの手にそっと触れる。
 突然帰ってしまうまではいつも通りだったのに、様子が変だ。


「わたし……」


 エステルは消え入りそうな声で言った。
 少し聞き取りづらくて、頭を寄せる。


「……わたし、もうすぐ死ぬの……っ」


 震えた声は、今にも泣き出しそうに思えた。
 ……もうすぐ、死ぬ?

 僕は呆気に取られて、ぽかんと口を開ける。エステルは一体、どうしてそんなことを考えたんだろう。


「死ぬ、って?」

「お母さんの、言う通りだわ……っ! 光の蝶がずっと追ってくるの! どれだけ走っても、消えてくれない!」

「蝶?」


 僕はソファーの背もたれを見た。
 そこには悠然と、羽を動かす蝶がいる。

 こいつにずっと付き纏われて、気が滅入っているのか?

 確かに綺麗な蝶だけど、ずっと傍にいられたら気味が悪いかもしれない。
 僕は1人で納得して、光る蝶を追い払おうと手を伸ばした。

 スカッ、スカッと手が空を切って、ふわりと飛んだ蝶を捕らえられない。
 こいつ、見た目はゆったりと飛んでるのになかなか素早いぞ。


「死期を嗅ぎつけて、現れる蝶……! ここは日本なのに、わたしが王族の血を引いているから……!」

「え?」


 エステルは背中を丸めて、頭を抱えた。
 死期を嗅ぎつけるだの、王族の血だの……もしかしてエステルは、僕をからかおうとしてるのか?


「エステル……」

「死にたくない……っ! 怖いよ、世那……!」


 冗談は、と言いかけた口は、中途半端に開いたまま、なんの声も発することがなかった。

 だって、エステルの声は真剣だったから。
 何かに怯え切って、震えていたから。
 何よりも雄弁に、ポタポタと膝の上に落ちる涙が、冗談なんかではないことを語っていた。

 僕は喋る代わりに、横からエステルを抱き締める。


「大丈夫。大丈夫だ、エステル」

「っ……!」


 エステルはきつく、僕の服を握って、額を胸に擦りつけた。
 触れてみて、初めて気付く。エステルの体は小刻みに震えていた。

 何に対して、こんなに怯えているんだろう……。
 僕の恋人を恐怖に陥れている、憎むべきものは、一体なんなのか。


「何が、そんなに怖いの? 僕にも分かるように教えてくれないか?」