涙を一筋流す。
 わたしはおばさまに頂いた長い布を脱ぎ去って、一歩一歩、海に近づいて行った。


「フィロメーナ?」

「ダニオ……わたし……」


 眉を顰めて、心配そうにわたしを見上げるダニオの元へ、真っ直ぐ向かう。
 足を止めないわたしを見て、ダニオは何かを悟ったように慌て始めた。


「おい、それ以上近づけば!」

「わたし……みんなの元に、帰りたい……っ」


 ちゃぷ、と足が海水に浸かる。
 ぐっと砂を踏みしめて、ダニオの胸へ飛び込んだ。


「フィロメーナ!」


 ざぷん、と海水が跳ねる。
 最後に触れた人肌は温かくて、止まったと思った涙がまた溢れた。

 足先の感覚がなくなっていく。


「バカっ、何をしてるんだ! くそっ、止まれ、止まれ!」


 ダニオがわたしを抱いて、砂浜へ泳いでいく。

 もういいの、わたし。
 陸の上になんて、行きたくない。


「彼に、ね……恋人が、いたの……」


 まだ感覚が残っている腕を、ぎゅっとダニオの背中に回して、囁くように言った。


「!」

「泡になって消えても、海に帰りたい……みんな、大好きよ……」


 どんどん体の感覚がなくなっていく。
 痛みがないのが救いかしら。

 いいえ、この胸の痛みは、わたしが消えるその時まで、なくなりはしないわね。


「バカが、何を早まってるんだ! 失恋の傷なんて、俺が慰めてやるってのに!」

「ダニオ……ありがとう……」


 あぁ、背中に当たる大きな手の感覚すら、消えていく……。


「二度と海に戻れなくても、俺が一緒に生きてやる! だから消えるな! 俺はお前が――ずっと好きだったんだ!」

「……!」


 そう、なのね……。

 ごめんなさい、ダニオ……。




****



 人魚姫は、陸に上がったその日に、頬を涙で濡らし、海へと帰りました。
 陸の上で何があったのか、残された者には分かりません。

 けれど、さぞかし辛いことがあったのでしょう。
 心優しい人魚姫を失った皆は、悲しみに暮れました。

 そして、決めたのです。


 “人魚、陸に上がるるべからず。
 この掟を破りし者、泡となって消える。”




fin.