季節はあっという間に冬を過ぎ、短い春も終わって、またジメジメとした季節がやってきた。
『近畿地方から関東地方の広い範囲で、昨日梅雨入りしたとみられます』
 テレビの天気予報がそう告げる頃、お父さんから試写会のチケットが送られてきた。
『絶対見に来いよ』という、悠李くんからの手書きのメッセージ付きで。
 最後に悠李くんに会ったときには、「東京まで映画だけ見に行くなんてできないよ」なんて言ったけれど。
「ねえ、おじいちゃん、おばあちゃん。悠李くんの映画の試写会、行ってきてもいい?」
 夕飯のときに、わたしは思い切って切り出した。
「どうしても、悠李くんに会いたいの。ねえ、行ってもいい?」

***

 新幹線が走り出すと、景色がどんどん後ろに流れていく。
 実は今、週末は演技の勉強のために、東京へ通っているんだ。
 そこで、風の噂で両親の話を耳にした。
 離婚後もお互い連絡を取り合い、相談し合う仲。むしろ離婚直前よりも良好な関係を築いているらしい。
 まだまだ子どものわたしには、『離婚してよかった』とは思えないけれど、それでも離れた方がいい場合もあるんだっていうことも、少しは理解できたような気がする。
 わたしが芸能界に片足を突っ込まなければ、きっと知ることができなかったことだ。
 悠李くんと出会って、殻に閉じこもった生活から抜け出して、視野がぐんと広がったおかげで、知ることができた。
 全部、悠李くんのおかげだよ。


 稽古場をいつもより少し早めに出ると、試写会の会場へと向かう。
 早足で歩いている間も、興奮が収まらない。
 やっと……悠李くんに、また会えるんだ。


 映画が始まるとすぐ、元気な彼の姿が大きなスクリーンに映し出された。
 ちゃんと会いにきたよ、悠李くん。
 悠李くんは、わたしの笑顔を見たがっていた。
 だったら、最後まで笑顔でいる。絶対に悠李くんに泣き顔なんか見せない。

 病気で徐々に聴力を失う栞と、音楽に人生を懸ける星夜の、出会いと別れの物語。
 本当は星夜とずっと一緒にいたいと思っているはずなのに、彼のことを想って別れを決意する栞。
 星夜もまた、自分が一番聴いて欲しい相手に自分のメロディーが届かなくなる未来に絶望し、別れを受け入れる。
 別れの日、星夜が栞の前でギターを弾きながら歌うと、絶対に届かないはずの彼の奏でるメロディーが、彼女にちゃんと届くんだ。
 そこで気付く。届かなくなると決めつけた自分の間違いに。
 そして、離れてからも、いつまでも彼女のために音楽を届け続ける。届くと信じて——。

 あ……このギターの音色。
 少し拙さの残る演奏が、逆にこのシーンをよりリアルに盛り上げている。
 そっか。悠李くんの演奏、そのまま使ってもらえたんだね。
 思わず熱いものが込み上げてきたけれど、ぐっと我慢する。

 黒地に白の筆記体のENDの文字がスクリーンに映し出されると、しばらくして会場内に明かりが灯る。
 よかった。すごくよかったよ、悠李くん。
 順番に立ち上がり、会場を後にする人の流れができる中、わたしは放心状態で、自分の席から動けなくなっていた。
 つんつん。
 隣の人に肩をつつかれ、「ご、ごめんなさい。もう出なきゃですよね」と慌てて立ち上がろうとすると、ぐいっと手首を掴まれた。
 思わず悲鳴を上げそうになったわたしに掛けられた「待って」という声に、今度は息が止まりそうになる。
「感想。まだ聞いてないんだけど?」
 ゆっくりと隣の『彼』を見下ろすと、わたしを見上げる彼の視線と交わった。
「なん、で……」
 頭が混乱して、うまく言葉にならない。
「いや、主演俳優としては、やっぱ見とかなきゃだろ」
「いや、そうじゃなくて……」
「ああ、アレ? 余命ってのはなあ、延ばすためにあるんだよ」
「なにそれ。そんなの、聞いたことないよ」
 思わず涙声になる。
「実は、ちょっと前に家に戻ってさ。まあ、まだ体力とかは全然戻ってねーんだけど。でも、今日だけはどうしてもここに来るって決めてたから」
「だったら、もっと早く声を掛けてくれればよかったのに」
「だって、そうしたらおまえ、映画に集中できなかっただろ?」
「そ、そうかもだけど……」
「それに、俺はずっと隣で日菜の表情をこっそり観察できたから、満足なんだよ」
「!? そんなことしてたの!?」
 かぁっと頬が熱を持つ。
 悠李くんとの思い出と、映画の中の悠李くんの姿が重なるたびに、何度も何度も涙を堪えた。そのたびに、きっと変な顔をしていたはず。
 やり直したい。今すぐ全部やり直したい……!
 恨めしげな目で悠李くんを見ると、悠李くんがぷはっと吹き出した。
「大丈夫だよ。日菜が思ってるほど、変な顔してなかったって」
「それ、変な顔をしてたって言っているようにしか聞こえないんですけど」
「日菜と出会って、日菜が俺の映画見て笑ってるとこ見るまでは、絶対に死ねないって思って今日まで頑張ってきたんだから。このくらいのご褒美、くれたっていいだろ」
 そういうこと、急に言わないでよ。
「去年の夏の撮影前に、新しい治療の話が出たんだ。すごく効くかもしれないけど、その治療のせいで、余命が縮まる可能性もあるって言われてて。だから、ずっと怖かったんだ。でも、勝てる可能性が少しでもあるならって、勇気を出して踏み出せた。それができたのは、日菜と出会えたからだよ。日菜と出会って、日菜と一緒に未来を歩きたいって。そんな欲が出た。俺、まだまだ頑張るからさ。だから、俺のこと、ちゃんと待ってて。一緒に、カメラの前に立てる日が来るまで」

 ——ああ、なんだ。わたしだけじゃなかったんだ。悠李くんも、同じことを思ってくれていたんだ。

 そう思ったら胸が熱くなって、せっかく我慢していたのに、一筋の涙が零れ落ちた。
「悠李くんもだよ。わたしがカメラの前に立てるようになるまで、絶対待ってて」
 やっと言えた。最後に会ったときには、どうしても言えなかった言葉が。
 まだまだ全然悠李くんには追いつけないけれど。
 でも、いつかきっと。

 流れ星に込めた、願いが叶いますように。



(了)