「なあ、次のオフなんだけどさ。ちょっと遠出して、これ食べに行こうぜ」
 翌週のお昼休憩中に生徒会室に押しかけてきた悠李くんが、わたしにスマホの画面を掲げて見せる。
 画面に映し出されていたのは、季節限定のぶどうパフェ。地元食材を使ったパフェが売りのお店らしい。
 悠李くんが『ちょっと遠出』と言った通り、ここからだと、バスと電車を乗り継いで、片道一時間はかかる場所だ。
「あの……もう止めませんか?」
 この前の満元さんの怒った顔が、目の前にチラつく。
「ひょっとして、あいつになんか言われた?」
 悠李くんが、低い声で言う。
「いえ、そういうわけでは……ないですけど」
 目も合わせず咄嗟に嘘を吐くわたしの顔を、悠李くんがじっと見つめてくる。
 顔をうつむかせ、ぎゅっと両手を握りしめていると、悠李くんがため息を吐くのが聞こえた。
「まあ別に日菜が一緒に行ってくれなくても、俺一人でも行く気満々なんだけどなー。余命半年なのに、こんなかわいいワガママも聞いてもらえない彼氏の俺。ああ、なんて可哀そうなんだろう」
 芝居がかった口調で、悠李くんが言う。
 こういうときだけその設定を都合よく引っ張り出してくるんだから。
 小さくため息を吐くと、わたしは重い口を開いた。
「わかりました。でも、その代わり……」
「誰にも見つからねえように、こっそり抜け出してくるから。そういうのは得意なんだ。任せとけ」
 悠李くんが、ぐいっと親指を立てて、満面の笑みを浮かべる。
 こんな顔を見ていると、なにが本当で、なにが噓なのか、本当にわからなくなってくる。

***

「ふわぁ~すごい……かわいい」
 地元特産の皮まで食べられるフレッシュな巨峰とマスカットが、生クリームが見えなくなるくらいたっぷりトッピングされている。グラスの中も、ぶどうアイスにぶどうゼリーと、ぶどう尽くしだ。
「実物見てガッカリするパターンはよくあるけど、これは実物の方が数倍すげーな」
 感嘆の声を上げる悠李くんに、こくこくと何度もうなずいて見せる。
「——どうせ俺がふらっといなくならないようにって、スタッフに見張りでも頼まれてんだろ、おまえ。だから今日も付き合ってくれたんだろ?」
「へ!?」
 驚いてぱっとパフェから顔を上げると、頬杖をついてわたしの方を見る悠李くんと目が合った。
 いったい、いつからバレていたんだろう。
「だからまあ、これは俺からの礼だ。こんな面倒な役目、引き受けてくれてありがとな」
「……正直に言うと、見張りを頼まれているというのは、正解です」
 まっすぐに悠李くんを見つめてわたしが言うと、悠李くんの瞳に一瞬落胆の色が浮かぶ。
「でも、今日ここに一緒に来たのは、見張りのためではありません。役作りのために、お付き合いしているフリをして欲しいという悠李くんの頼みがあったからです。彼氏がもしそういう状況なら、きっと多少無理をしてでも彼のやりたいことに付き合うのが彼女の役目だと思うので。これでもわたしだって、この映画が少しでもいいものになって欲しいって思っているんですよ」
 悠李くんが穏やかに微笑むのを見て、膝の上で両手をぎゅっと力いっぱい握り締めた。
 わたしだって、悠李くんとなにも変わらないじゃない。平気な顔で嘘を吐く自分が、嫌でたまらない。
「映画っていいよな。たとえ俺がいなくなったとしても、ちゃんとここに俺がいたって証だけは残せるんだから」
「そんな……縁起でもないことを言わないでくださいよ」
 震えそうになる声を、必死に堪えて言う。
「ははっ、真に受けんなって。たとえばの話だよ。それでもさ、『ああ、こんなやついたなー』って、みんなの心に少しでもなにか残せるような作品に、どうしてもしたいんだ」
「きっとそんな作品になるって、わたしも信じてます。残りの撮影も、頑張ってくださいね」
「ああ。本当に、あと少しだからな。気ぃ引き締めて、全力で走り切るわ」


「はぁ~、おいしかったぁ~」
 お店を出た瞬間、思わず素の言葉が漏れ出て、慌てて口を押える。
「ははっ。日菜のそんな心からの声、初めて聞いたかも」
「な、なにかの聞き間違いです」
「ほらまたそうやってすぐ通常モードに戻りやがって。素直な方がかわいいのに」
「別にかわいくなくて結構です。……ほら、急がないと信号が変わってしまいますよ!」
 ごまかすようにしてそう言うと、青信号を目指して先に走り出す。
 こんなふうに熱くなった頬を、悠李くんに見られるわけにはいかないから。
 勘違いしちゃいけない。これはあくまでも悠李くんの遊びに付き合ってあげているだけなんだから。
「おい、ちょっと待て……」
 悠李くんの慌てた声が後ろで聞こえ、その二、三秒の後、「キャーッ!」と若い女性の悲鳴が響いた。
 ひょっとしたら、俳優の双葉悠李だとバレてしまったのかもしれない。
 地方都市とはいえ、祖父母の家の辺りよりは、よっぽど都会だ。今の今までバレなかったことの方が奇跡と言えるだろう。
 恐る恐る後ろを振り返ると、道の真ん中で誰かがうつ伏せで倒れているのが目に入った。
 被っていたキャップが脱げ、輝くような金髪が露わになっている。
 ざーっと音がしそうなほどの勢いで、体中の血の気が引いていく。

 まさか、そんな……。

「おい、どうした、大丈夫か!?」
 会社員風の男性が、倒れた悠李くんのそばにしゃがみ込む。
 どうしよう、このまま悠李くんが死んでしまったら。
 わたしのせいだ。わたしがちゃんと止めていたら、こんなことにはならなかったのに。
 忙しい撮影の合間に、こんな遠出なんかさせるべきじゃなかった。もっと、悠李くんの体のことを考えるべきだった。
 こんな簡単なことなのに、なんでもっと早く気付けなかったんだろう。
 倒れたまま身じろぎひとつしない悠李くんを見下ろし、呆然と立ち尽くしていると、母と同じくらいの年齢の女性に声を掛けられた。
「あなた、この子のお友だち?」
「……」
「この子の家族と連絡は取れそう?」
「……」
「しっかりしなさい。今この子が頼れるのは、あなたしかいないのよ!」
 その女性が、わたしの両肩を掴んで強めに揺する。
 ハッと我に返ると、わたしはその女性の顔を見た。
「連絡……取れるか、聞いてみます」
 お父さんなら、きっと連絡を取る手段があるはずだ。
 わたしは、震える手でカバンからスマホを取り出すと、お父さんに連絡した。

***

「どうしてこんなことになっているんですか!? きちんと見ていてくださるっていう約束だったはずじゃないですか」
 救急車で病院へ搬送された数時間後、悠李くんのお母さんらしき人が病院に駆け込んでくるなり、スタッフを怒鳴りつけた。
 わたしがお父さんに連絡すると、悠李くんのマネージャーさんを通してすぐにお母さんへと連絡が行き、悠李くんの事情を知る少数のスタッフのみが病院に駆け付けた。今ここにいるのは、悠李くんのマネージャーさん、監督であるわたしの父、そしてプロデューサーさんの三人だ。
 医師の診察の結果、幸い今すぐ命にかかわるような状況ではなく、軽い貧血を起こしただけだったらしい。しばらく安静にしていれば、今日中に帰れるそうだ。
 悠李くんのお母さんへの事情説明にわたしが加わると、話がややこしくなるから出てくるなとお父さんには言われているけれど。スタッフのせいだと思われたら、このまま悠李くんは連れて帰られてしまうかもしれない。
 それはきっと、悠李くんの望んでいることではないはずだ。
 しばらくの間、離れた場所で一人ぽつんと座り、事の成り行きを見守っていたけれど、意を決して立ち上がると、わたしは悠李くんのお母さんの元へと歩み寄った。
「ごめんなさい。全部わたしのせいなんです。悠李くんに出掛けたいって言われても、体のことを考えたら、無理をさせず、きちんと止めるべきでした」
「あなた……あなたと一緒に、悠李は出掛けていたというの? いったい悠李とはどういう関係なの?」
「今回悠李くんの映画撮影を行っている星都高校生徒会長の一ノ瀬……」
 途中で遮るようにして、悠李くんのお母さんが大きなため息を吐く。
「どうして関係者でもないあなたと悠李は一緒だったの?」
「私が娘に頼みました。悠李くんを一人にするなと。今回のことは、すべて私に責任があります。誠に申し訳ございませんでした」
 お父さんが一歩前に出て、深々と頭を下げる。
「監督の、娘さん?」
 しばらくの間わたしのことをじっと見つめていた悠李くんのお母さんが、黙ったままゆっくりと首を横に振る。
「……もう、なにもかも信用できません。今すぐ撮影は中止してください。悠李は、このまま連れて帰ります」
「ダメです! あと少しで撮影が終わるって言ってました。だから、どうか最後まで……」
「だから、関係者でもないあなたが口出ししないでちょうだい!」
「でも、関係者じゃないからこそ、悠李くん、わたしにいろいろ話してくれました。映画には、たとえ自分がいなくなったとしても、ちゃんとここにいたって証だけは残せるって。『ああ、こんなやついたなー』って、みんなの心に少しでもなにか残せるような作品にしたいって。悠李くんの思いを、なかったことにしないでください。お願いします」
「——俺からもお願い。あと少しだから。だから、最後までやらせて」
 みんなが一斉に声の方を向くと、悠李くんが点滴のスタンドに捕まるようにして立っていた。顔色がまだ真っ青だ。
「悠李、なにをやっているの!?」
「母さんの声が大きすぎるからだよ」
 悲鳴のような声を上げるお母さんに、悠李くんが苦笑いする。
「まだ横になってなくちゃダメよ」
「だったら、僕の好きにさせてくれるって約束して。そうしたら、今すぐベッドに戻るから。ここで帰ったら、後悔しか残らない。だから、お願い」
 そんな悠李くんのことを、お母さんは心配そうな瞳でじっと見つめている。
 どれくらいそうしていただろう。たった数秒だったかもしれない。でもわたしには永遠に感じるくらいの長い時が過ぎ、悠李くんのお母さんが再び口を開いた。
「今度倒れたら、首に縄をつけてでも連れて帰りますからね」
「うん、わかった。そうならないように、絶対気をつける」
 事の成り行きを静かに見守っていたスタッフの間に安堵が広がり、わたしも思わず詰めていた息を吐き出した。


「ちょっと二人で話したいんだけど」
 悠李くんに指名され、わたしはおずおずと悠李くんのいる個室へと足を踏み入れた。
 点滴に繋がれ、ベッドに横たわる悠李くんを見る。さっきよりはましになったみたいだけど、まだ若干顔色が悪い。
「……まさか一番の嘘つきが日菜だったとはな」
 悠李くんが、冷たい声で言う。
「……」
 わたしはなにも言い返すことができず、両手をぎゅっと握りしめ顔をうつむかせた。
「知ってたんだろ、俺の病気のこと。余命半年ってのが、役じゃなくてリアルだってことも。今さら噓吐いても無駄だからな。全部聞こえてた」
「細かくは知らない。それは本当。でも……騙すようなことをして、本当にごめんなさい」
「監督が父親だったのか。ってことは、母親は俳優の一ノ瀬澪さんか。はぁ~、どうりで演技がうまいわけだ」
「別にわたし、演技をしていたつもりなんか……」
「いやに俺の言いなりになってくれると思ったんだよな。なにも知らないフリして、可哀そうな俺に付き合ってくれてたってわけか」
「そんなつもりじゃ……!」
「それに真面目な生徒会長ヅラだって。あんた、中学までは芸能人が多く通う学校だったんだろ? 中学んとき一緒だったってやつに、あんたの噂、聞いたことある。事務所に所属してないのに、中学んときからかなり目立ってたらしいじゃん。なんでこんな田舎町にいるんだよ。なんでこんなとこでそんな冴えない演技して自分騙して暮らしてんだよ」
「……そんなの、芸能界がわたしの家族を壊したからに決まってるじゃない! 芸能界なんて、大っ嫌い。芸能界にいる人間も大っ嫌い。みんなわたしみたいな一般人のことなんかどうでもよくって、自分勝手で、自分の都合で平気で嘘を吐く。お父さんも、お母さんも。……そんな人間に自分がなりたいだなんて、思うわけないじゃない」
「まあ、自己中なやつが多いってのは否定できないかもな」
 今まで心の中にずっと溜め込んできた思いをぶちまけるわたしに、苦い顔をしながらも悠李くんが相槌を打つ。
「最初は、悠李くんが噓ばっか吐くのを見て、やっぱり芸能界の人はみんなそうなんだって思ってた。けど……今は違う。悠李くんと一緒に過ごすうちに、芸能界の人って一括りにして、悠李くんのことをちゃんと見てなかったって気付いたの。そうしたら、悠李くんのことが、もっと知りたくなった。一人の人間としての悠李くんを、ちゃんと知りたいって思うようになったの」

 それに、悠李くんの言った通り、わたしだって無邪気に芸能界に憧れていたときもあった。いつかお母さんみたいに、テレビや映画に出て、みんなを感動させられるような人になりたいって。
 でも、両親の仲がどんどん悪くなって、離婚して。そうしたら、そんな気持ちも、いつの間にかどこかに行ってしまっていた。
 でも、自分の仕事に一生懸命な悠李くんや満元さんと出会って、昔の気持ちを思い出してしまったの。

 悠李くんの険しかった目が柔らかくなる。
「じゃあ、最後のワガママ聞いてくれる? 今度の月曜日の夜。最後のデートして」
「なに言ってるの? もうダメだよ。本当に撮影を中断してでも、お母さんに連れ戻されちゃう」
「うん。だから、俺が泊まってるホテルの庭で待ってる。それならいいだろ? 日菜が来るまで、いつまででも待ってるから」
 真剣な表情でじっと見つめられたけれど、結局返事ができないまま、わたしは病室を後にした。


 そのまま一人で病院を出ると、キャップを目深に被った誰かが、こちらに向かって大股で歩いてきているのに気がついた。
 そっと視線を逸らし、その人の横を通り過ぎようとした瞬間、かぁっと頬に熱が走り、反射的に頬を押さえながら足を止めた。
 その人の方を見ると、ギラギラした瞳でわたしのことを見上げる満元さんがいた。
「なんで悠李の邪魔をするの!? 悠李がどれだけこの映画に懸けてるか、知ってたんでしょ? わたし、この前ちゃんと言ったよね、もうこれ以上悠李と関わらないでって」
 満元さんの声が、怒りに震えている。
 満元さん、ひょっとして悠李くんの病気のこと、知ってるの?
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
 ずっと堪えていた涙がぼろぼろと零れ落ち、コンクリートの地面に黒いシミを作っていく。

 悠李くんのそばには、ちゃんと心配してくれる人がいる。だったら、わたしが悠李くんのそばにいる必要はなかったんだ。
 もう、本当に終わりにしよう。しなくちゃいけないんだ。