「星都高校二年で生徒会長をしています、一ノ瀬(いちのせ)日菜(ひな)と申します。よろしくお願いします」
 淡々と自己紹介し、頭を下げる。

 ごくシンプルな紺襟のセーラー服姿のわたしとは違い、目の前に立つ二人は、濃緑のチェックのボトムスにパリッとした白シャツ、そして胸元にはボトムスと同じチェックのネクタイという、とてもオシャレな制服姿。これが、撮影用の衣装というやつか。

「で、こっちが主演の双葉(ふたば)悠李(ゆうり)で、こっちが満元(みつもと)依茉(えま)ね」
 撮影スタッフの男性が、順番に二人を手で示して紹介してくれる。
「よろしくー」
「よろしくお願いします」
 ネクタイを緩め、制服を着崩した双葉さんが気だるげに挨拶するのに対し、満元さんは礼儀正しくわたしに向かって頭を下げた。

「学校内のことでなにか困ったことがあったら、この一ノ瀬さんが対応してくれることになっているから」
「ふうん、そうなんだー」
 廊下の窓から差し込む太陽の光が当たって、双葉さんの明るい金髪が、透き通って見える。
「なにかありましたら、遠慮なくおっしゃってください」
 わたしがそう言うと、ふんわりボブヘアの満元さんが、はにかんだような笑みを浮かべた。
「ありがとう、一ノ瀬さん」

「撮影中、この学校の生徒さんたちには校舎内の立ち入り制限なんかでご迷惑をお掛けすると思うけど、こちらも、できるだけみなさんの邪魔にならないよう、気をつけるから。もしなにかあったら、こっちにも遠慮なく言って」
「はい。わかりました」
 スタッフさんに向かって、うなずいて見せる。
「じゃあ、さっそく最初のシーンのリハを始めるから。二人とも、スタンバイよろしく」

 挨拶を済ませ、立ち去る三人の後ろ姿を見送っていたら、遠くの方から注がれる視線に気がついた。
 わかってる。ちゃんとやるってば。
 小さくうなずいて見せると、わたしは少し距離を保ったまま三人の背中を追った。


 実は、一学期の終業式を迎えた今日から八月の終わりまで、うちの学校で映画の撮影が行われることになったのだ。
 生徒会長だからといって、どうして主演俳優のお世話までしなくちゃいけないんだろうと最初は思ったけれど、まあ、事情が事情なだけに仕方ないと思うことにした。
 撮影場所にこの学校を選んだのも、きっと理由の半分くらいは、ここにわたしがいたからに違いないと思っている。まあ、「ここの風景が、映画のイメージにピッタリだったから」などともっともらしいことを言ってはいたけれど。

 最初のシーンの撮影は、滞りなく終了。
 次のシーンの準備をしている最中に、さっそく問題が発生した。

 ——双葉さんが、いない。

『悠李くんは、目を離すとすぐふらっとどこかへ行く癖があるんだ。だから、彼から目を離さないようにして欲しい。この映画は、彼にとってすごく大切なものになるはずだから。必ず最後まで無事撮り終えたいんだ』
 そう言って映画監督の父・佐伯隆に頭を下げられたのは、今年のゴールデンウィークのことだった。

 父といっても、今は一緒には住んでいないし、苗字も違う。
 わたしが中学を卒業するタイミングで、両親は離婚。仕事の忙しい母とも離れ、わたしは母方の祖父母の住むこの田舎町で、高校の三年間を過ごすことにした。
 ちなみに、大学はまた東京に戻って、一人暮らしをする予定だ。もう、いろいろなことに振り回される生活はごめんだから。だったら、一人の方がよっぽどいい。

 校内をあちこち探し回ったあと、グラウンドに向かう途中で、ぼーっと運動部の活動を眺める男子生徒を発見した。
 全身が透き通って見えるかのような、透明感のある立ち姿。特徴的な金髪が、さらりと風になびいている。きっと双葉さんに違いない。
「勝手に一人で校内を歩き回らないでください!」
「……高校生って、こうやって青春すんだなー」
 双葉さんに駆け寄って声を掛けると、わたしの方を見もせず、双葉さんがつぶやくように言う。
「双葉さんも、同じ高校生じゃないですか」
 わたしの話をまったく聞いていないことに多少イラっとしながらも、必死にその感情を押し込め、淡々と返す。
「俺にそんな時間あるように見える?」
 苦笑いしながら、やっとわたしの方を見た。
「そうですね。……すみませんでした」
「ははっ。そんな素直に謝んなって。でも、実際俺の高校生活って、ほとんど映画やドラマの中だからさ。普通に高校生だったら、何部に入ってたんだろーとか。ふっと考えたりするんだよね」
 そう言いながら、再び視線をグラウンドへと向ける。
『運動がお好きなんですか?』
『昔、なにか運動をなさっていたのですか?』
 いろいろな言葉が、頭に浮かんでは消える。
「わかりました。では、見学に行かれても結構ですが、騒ぎになって活動の妨げになるのは困りますので、生徒会長として同行させていただきます」
 そう言うわたしをまじまじと見つめていた双葉さんが、突然ぷはっと吹き出した。
「あくまでも、俺がファンに絡まれないようにじゃなく、部活動を守るためなんだ。一ノ瀬さん、だっけ? あんた、案外ちゃんとした生徒会長なんだな」
「案外は余計です」
「ねえ、ずっとそんな固いしゃべり方してて疲れない?」
「慣れていますので。問題ありません」
「まあ、別にどーでもいいけど。そんじゃお言葉に甘えて、生徒会長様に体育館まで案内してもらおうかな」
「一応確認ですが、まだ撮影に戻らなくても大丈夫なんですね?」
「ああ。次は、依茉たち女子だけのシーンだから」
「そうですか。わかりました」

 体育館の入り口付近ですれ違った女子生徒が、双葉さんの方をチラッと見てから、わたしに会釈をして通りすぎていく。
 体育館の入り口を入ってすぐのところで双葉さんと並んで見学している間も、こちらをチラチラ見ながらヒソヒソ話す声は聞こえてきても、部活動自体は滞りなく進んでいるようだ。今のところ、心配していたように、双葉さんがファンに囲まれることもない。
「なにあんた、ひょっとして怖がられてんの? 俺がこんなとこに突っ立ってて騒ぎにならないってのが、逆に信じられないんだけど」
 隣に立つ双葉さんが、こそっと耳打ちしてくる。
 なんというか、ものすごい自信だ。
「さあ、どうでしょう」
「もっとみんなと仲良くすればいいのに。そんなんで、学校生活楽しい?」
「たった三年ですから。なにも問題ありません」
「たった三年……か。そうだよな。三年なんて、あっという間だよな」
 双葉さんの声に、一瞬寂しげな色が混じる。
 ああ、しまった。言葉選びを間違えた。
 そう思ったけれど、それ以上は特に気にした様子もなく、双葉さんがもう一度明るく口を開いた。
「そうだ。その後ろでぎゅっとひとつに束ねてる髪を下ろしたら、少しは怖くなくなるんじゃね? せっかくそんなキレイな黒髪してんのに、もったいねえな。それに、その銀縁メガネも止めて、コンタクトにしたら——」
「ですから、わたしの友人関係まで心配していただかなくて結構です。部活動の邪魔になりますので、これ以上のおしゃべりは謹んでください」
「はいはい、わかったよ」
 淡々と返すわたしに、双葉さんは肩をすくめ、諦めたように言った。

***

 撮影が始まってから、五日が過ぎた。
 特に大きな事件が起こることもなく、たまに双葉さんに付き添って校内を案内するくらいの、簡単なお仕事だ。
 これなら別にわたしじゃなくてもよかったのでは、と思うこともあったけれど、やはり行く先々で双葉さんに注がれる好奇の眼差しを考えると、芸能人にまったく興味のないわたし以上の適任者はいないのかもしれない。

 お昼休憩は、そんな雑務から唯一解放される、安息の時間だ。
 わたし以外に誰もいない生徒会室で、家から持参したお弁当をのんびり食べていると、コンコンコンと誰かが扉をノックした。
「はい、どうぞ」
「しっつれいしまーす」
 ガラガラっと勢いよく扉を開けて入ってきたのは、双葉さんだった。

 わたしの安息の時間終了。
 思わず吐きそうになったため息を、ぐっと堪える。

「なあんだ。いっつも昼になるといなくなると思ったら。こんなとこで一人で弁当食ってたんだ」
「ここが一番落ち着きますので」
「俺も、ここでちょっと休憩させてもらってもいい?」
 そう言いながら、わたしの返事を聞く前に、その辺にあった折りたたみイスにどさりと腰を下ろす。そんな双葉さんの方をチラッと見ると、十分ほど前に現場で最後に見たときとは全然違う、すごく疲れた表情をしていた。
 さすがにこんな表情を見せられて追い出せるほど冷酷ではない。
「……構いません」
 とりあえずいないものとして淡々とお弁当を食べていると、双葉さんがわたしのお弁当を覗き込んできた。
「うわっ、でっかいミニトマトだな」
「ミニトマトではなくて、中玉トマトです。祖父が庭で育てていて。ミニトマトよりこっちの方がおいしいからって言うんですけど、お弁当用にしては、少し大きすぎて食べにくいんですよね」
「へえ、そうなんだー」
 軽く相槌を打ちながらも、双葉さんの視線はトマトに注がれたまま。
「……よかったら、食べてみますか?」
「マジでいいの? 俺、トマト大好物なんだよね」
「実はわたし、ちょっと苦手なんです」
「じゃあ、お互いの利害が一致したっつーことで」
 わたしが差し出したお弁当箱の中から嬉しそうにトマトをつまむと、大きな口を開け、二口で食べ切った。
「うまっ。マジでうまいな、これ。太陽みたいな味がする」

 ——ああ、この人って、こんな顔で笑うんだ。

 数日間一緒に過ごしてきたけれど、初めて本当の笑顔を見たような気がする。
「そういえばあんた、いやに芸能人慣れしてるよな。今も『きゃーっ、双葉悠李くんと二人っきりなんてどうしよう~』なんて全然考えてねえだろ」
「そうですね」
 むしろ、昼休みくらい一人で静かに休ませて欲しいとすら思っている。
 初日にも思ったけれど、まったく自意識過剰な人だ。
 というより、この人が今まで置かれてきた環境が異常だったというべきか。

 そのとき——コンコンコン。
 再び遠慮がちに扉をノックする音がする。カラカラカラとゆっくり扉を開けて入ってきたのは、満元さんだった。
 無言で室内に入ってくると、そのままなにも言わず双葉さんの腕を引く。
「わかった。行くよ。行けばいいんだろ」
 小さくため息を吐く双葉さんに向かって、満元さんがニコッと微笑む。

 最初に挨拶を交わしたときは、感じのいい人だなと思ったのだけど。
 一言くらい、わたしにもなにか言えばいいのに。一般人のわたしとは、話もしたくないってことね。
 そんなモヤッとした気持ちを押し込め、「午後の撮影も、お二人とも頑張ってくださいね」と言うと、満元さんは、わたしに向かってニコッと笑ってぺこりと頭を下げた。

 はぁ。芸能人なんかにイライラしたって時間の無駄。
 バカバカしい。もういいや。