「おやすみ!またあしたね!」これが最後の言葉だった。

私は、ごく普通の高校三年生として卒業を目指すはずだった

-あの日、あの言葉を聞くまでは。

「あなたは....腫瘍を患っています。検査の結果、悪性の可能性が非常に高いです。」

白い部屋。無機質な光。医者の声だけがやけに遠く響いた。母の手が震えていたことな鮮明に覚えている。

それから一週間。心も体もまだ現実を受け止めきれていなかった。



「光莉!起きなさい、遅刻するわよ!」

母の声で目が覚めた。体は鉛のように重い。起き上がりながら、ふと今朝も思ってしまう。

学校に行きたくないな。

でも、何も知らない家族の前では、いつも通りの私を演じなきゃいけない。そう自分に言い聞かせながら朝食を口に運び、制服に袖を通した。

玄関で靴紐を結び終えたとき、ポケットのスマホが震えた。

「ブー、ブー。」

画面には、幼馴染の名前 ―優希。
『今日の時間割教えてー』

返す気力がなくて、既読もつけずにポケットへ戻した。

すぐにまた振動。
『おーい、無視すんなよー!』
スタンプが何度も送られてくる。スマホまで疲れてしまいそうなほど。

ほんと、こんな時でもお茶目なんだから。

だけど私は知っている。
彼には、お茶目さ以上の優しさがあるってことを。



教室の窓から差し込む朝の光は暖かいのに、心はどこか冷たかった。授業の声も遠く、黒板より窓の向こうの景色ばかりに目がいく。

「光莉!聞いてんのかー?」
突然、先生の声が響く。
「この問題を答えてみろ。」

黒板に書かれた数式をぼんやり見つめながら、私は小さく呟いた。

「……分かりません。」

教室の空気が一瞬止まり、次の瞬間、小さく笑い声が広がった。

そのとき、隣の席から小さな声。
「この答え……1059だよ。」

ちらりと横を見ると、優希が笑いもせず、ただまっすぐな目でこちらを見ていた。悔しさと、少しの羨ましさが胸に残った。



放課後。
私は、優希と図書館で待ち合わせをしていた。
彼と会うのは嬉しい。けれど、同時に不安も胸の奥で鈍く疼く。

――あのことを、いつか話さなくちゃいけないのかな。

図書館へ向かう途中で、視界が揺れた。

「……光莉?光莉!!」

誰かの声が遠くから聞こえる。足元が崩れ、世界が暗く染まっていく。



次に目を開けたとき、真っ白な天井が見えた。

「ここは……どこ?」
「病院だよ。」

声の主は優希だった。心配そうに眉を寄せ、私の顔を覗き込んでいる。

時計を見ると、もう夜の7時を過ぎていた。

「お前、なんか隠してることあるだろ。」

その言葉に、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。黙っていることはできなかった。

私は、唇を噛んで、小さく息を吸って――言った。

「……私ね、悪性腫瘍なの。」

時間が止まったみたいだった。優希の目が大きく開き、言葉を失っている。

視線を落とした私の頭に、そっと暖かいものが乗せられた。彼の手だった。

「光莉……辛かっただろ。気づいてやれなくて、ごめんな。」

その一言で、張りつめていたものが壊れて、涙が止まらなくなった。
あの日のことを境に、私は病院で生活することになった。

最初は、白い壁と消毒液の匂いが怖かった。けれど一週間、二週間と過ぎていくうちに、それは少しずつ“日常”になっていった。

ナースコールの音が1日に何度か鳴る以外、この場所はとても静かだ。
弟たちの喧嘩の声が響く自宅より、ここはずっと穏やかだった。



それから、優希はほぼ毎日会いに来てくれたからだ。

「よう、今日も元気そうじゃん。」
「今日はお前の好きなプリン買ってきたからな。」
「うん。ありがとう」

彼の声を聞くと、病院の冷たい空気が少しだけあたたかくなる気がした。


そして、ある日。

「なぁ光莉……今度さ、遊びに行かね?」

思ってもみなかった言葉だった。
私は苦笑して言った。

「無理だよ、この体じゃ……。お医者さんが許さないよ。」

「じゃあ、説得すればいいじゃん。俺、言ってくるわ!」

冗談かと思った。でも、本気だった。
彼は何回も医者に頭を下げ、何度もお願いして――

「1日だけなら許可します。」

そう言わせたのだ。



- 約束の土曜日-

窓から差し込む朝の光が、いつもより眩しく見えた。

「行きたい場所、ある?」
「……動物園に、行きたい。」

少し驚いたあと、優希は笑った。
「いいよ。当たり前だろ。」

病院からバスで1時間。
道中、バスが揺れるたびに体が少し傾く。そのたび、優希の肩に触れてしまい、心臓が跳ねた。

「さぁ、着いたぞ!」

入口をくぐると、草の匂いと動物たちの鳴き声。
あぁ、こんな日がまだあるなんて。

「なぁ、見ろよ、ハムスター。ちっちゃくて可愛いよな〜。」

(……優希くんのほうが、可愛いよ)

心の中でだけ呟く。言葉にしたら、全部壊れてしまいそうで。


広場を出ると、少し静かなゾーンに出た。
そこには大きな亀がゆっくり歩いていた。

「亀ってさ、200年生きられるんだぜ。」

その言葉が胸に刺さる。
私の命は、あと半年。
医者に余命一年と言われてから、もう六ヶ月が経っていた。

200年と、半年。
あまりにも違いすぎて、思わず笑えてしまいそうだった。

「……どうした?顔、ちょっと暗くなってるぞ。」

「ううん、眠くなってきただけ。」

優希はそれ以上何も言わなかった。ただ、心配そうに私を見つめていた。

「ねぇ、ちょっとここ寄ってもいい?」
「おう。」

そこは小さなグッズショップ。
ガラスの棚には、動物をモチーフにしたアクセサリーが並んでいた。

その中にうさぎのネックレス。
小さくて、可愛くて、触れるだけで壊れそうなくらい繊細で。

「欲しいのか?」
「ううん、ちょっと見てただけ。」

本当は欲しかった。でも高校生には少し高い値段だった

「ガタゴト、ガタゴト」

バスで疲れた体をシートに預けた瞬間、瞼が重くなる。
次に目を開けたとき、私は――

優希の肩に頭を乗せていた。

「お、おい……起きたか。」
「えっ、うそっ!?ご、ごめん!!」

耳まで真っ赤になった顔を隠すように俯いたら、優希は少しだけ笑って、「気にすんなよ」と呟いた。

病院に着くと、夕暮れの光の中、優希は手を振った。
その背中が、少しだけ遠く感じた。光莉の病気を知ってから数日が経った。
彼女は病院の生活にも少しずつ慣れて、笑う回数がほんの少し増えたように見えた。

ーある夜ー

スマホが震えた。
『昨日は楽しかったね〜 また今度カフェでも行こーぜ。』と優希から。

光莉は笑って、すぐに『いいよ!駅前に新しくできたカフェ行きたい!!』と返した。

その数時間後のことだった。

深夜。
光莉の病室にナースコールの音と、慌ただしく走る足音が響いた。

彼女は突然、激しい頭痛とめまいに襲われ、そのまま意識を失った。

胸の奥のどこかが「いやだ」と叫んでいた。
だけどその叫びは声にならず、ただ白い天井の下で無情に時だけが流れた。

「ブー、ブー」

スマホが鳴った。
光莉のお母さんからだったを

『もしもし、優希くん?……今、病院なの。光莉が倒れて、まだ意識が戻らないの。』

耳鳴りがした。世界の色が一瞬で薄暗くなっていった。

『……すぐ行きます。』

服を掴んで外に飛び出す。鼓動は速いのに、景色はスローモーションみたいだった。
「死ぬはずない。まだ半年あるって……」
何度もそう呟きながら、バスに飛び乗った。

「ガタゴト、ガタゴト。」

あのときは楽しかったのに。今はただ、揺れるたびに心臓が軋む。

病室に入ると、光莉は静かに眠っていた。
モニターの電子音が淡々と鳴っている。

「……光莉? なぁ、目を覚ましてくれよ。」

手を握ると、指先が冷たかった。
声をかけ続けても、長いまつげは震えることもなかった。


「優希くん……これ、光莉から預かっていたの。もしもの時に、あなたに渡してって。」

封筒の紙が震える指先で擦れる。
中には、少し歪んだ文字で書かれた手紙。

俺は震える手で手紙を読んだ。

『優希くんへ』

優希くんは幼稚園からの付き合いだったよね。
毎日が楽しくて、辛くても悲しくても、いつも隣にいたのは君だったよ。

私はいつ爆発するかわからない“時限爆弾”を抱えていて、優希くんに嫌われるのが怖かった。
それでも君は『ずっと味方でいるよ』って言ってくれたよね。
その時に私の心はもう爆発してたのかもしれないね。

私が入院しても毎日来てくれて、動物園にも行ってくれてこの日が続けばいいのにの思っていた。私も亀みたいに長生き出来ればよかったのにね!

でもね、優希くんのおかげでどんなことも乗り越えられる気が来ていた。
だけど、実際、ずっと怖くて、寝てしまったら、もう、目を覚まさないんじゃないかって、もう会えなくなるかもなって。どんどん朝を迎えるのが嫌だった。
もうすぐで旅立っちゃうんだなって、優希くんの顔が見れなくなってしまうって毎日思っていたんだよ。

ねぇ、覚えてる? 授業中に教えてくれた答え「1059(天国)」のこと! この手紙を見てるってことはここにいるのかもしれないね。

弱かった自分をここまで強くしてくれたのもずっと一緒に居た優希くんのおかげだよ!ありがと!

私ね、優希くんにちゃんと言ってなかったけど
「世界で1番!いや、宇宙で、1番愛してるよ(大げさすぎたかな?笑)」

最後になると思うけど今までこんな私の隣にいてくれてありがとうこれからは遠く離れてしまうけどこの先もずっと一緒だし、私は味方だよ!

『光莉より』

握っていた光莉の手が少しぎゅっと動いた気がした。

手紙を読み終えたとき胸の奥が熱くなって、視界が滲んでいた。 気づけば服のえりが涙で濡れていた。

「なんでだよ...なんで、俺じゃなくて光莉なんだよ。」声にならない叫びで静かに病室の空気へと溶け込んで行った

ーあれから3年ー

大学生になった今でも、放課後になると俺は決まって墓地まで向かう。

「よう、光莉。今日はちゃんとレポート出したぞ。」

彼女の好きだった花「ストック」を墓石の前にそっと添える。この花の花言葉のように俺と光莉は「永遠の愛の絆」で結ばれている。

きっと光莉は遠くから応援してくれているはずだ。

冷たい墓石に触れながら空を見上げる。

「俺さ、まだ光莉のこと好きだぞ。だから、もうちょっと待っててな。また逢える日までさ。」

優しい風がソッと静かに吹いた。まるで優しく「うん!」とほほえみかけているかのように。

END