名月と言えば、旧暦8月15日の十五夜が有名である。同時に、もうひとつ。
旧暦9月13日の十三夜と言うものがある。
新暦で言えば年によって前後するものの、お月見に対して10月頃が多いとされる。その日はお月さまに豆を供えて、豆を食べる日。
人間にとって豆名月と呼ばれる月見の日は、鬼たちにとっては鬼神の子が落花生の精の血を引くからこそ、落花生鬼神への宴を催す特別な日。
「鬼……鬼が、たくさん」
八雲と一緒だから安全安心とは言え、やはり鬼の角を見ると、恐い。
「どうしよう。俺の嫁がかわいい。俺にめっちゃくっついてきてくれてかわいすぎる。俺……やっぱり帰ろうか。殻の中にすっぽり包んで、ピーナッツバタークリームのようにでろあまにするのだ……っ!」
私が恐がって八雲にくっついていたからか、八雲がとんでもない思考に走っている……っ!
ピーナッツバタークリームのようにって……どんな……。
しかし思いもよらないところから救いの手が入る。
「那砂さんに勧められてついてきて正解でした。祭祀の頭領が困るので、帰るのはダメですよ」
夜霧さんに指摘され、八雲が口を尖らせていた。
因みに那砂さんは、予定どおり今夜は社で玻璃を見てくれている。
「でも……夜霧さんは良かったんですか……?その……ここには……」
くだんの頭領・白玻がいる。夜霧さんからしてみれば、かつての妻・弥那花とダブル不倫をしていた相手。しかも子どもまで作っていたのだ。
「その件は……そうですね。もともと人間側が強く推してきたと言われる縁談でしたし……あの場では頭領が軽率なことをしようとしていたので……告げましたが」
そう……そうか……もしかしたら夜霧さんも弥那花の異常性に気が付いていたのだろうか。弥那花の周りでは、常に弥那花が正しく、全て弥那花のものだった。それは私の物、服、友人、そして自由さえ。
唯一弥那花のものにできなかったのは、娘ができたことで両親が嬉々として鬼の頭領の花嫁の座を確保したがために結ばれた私と白玻の縁談である。
そればかりは両親、親戚一同が弥那花の方が適任と見なしても、弥那花がどんなにねだっても、簡単にすげ替えることなどできなかった。
鬼や異形との契約と言うのは、人間が考えるよりもずっとずっと重たいもので、簡単に覆せるものでもないのだから。
それでもダブル不倫はできてしまうと言うのだから、世の中不条理すぎる。
「うむ……頭領と言うのは時に権力の象徴だからな……?人間も昔は一夫多妻と言うのをやっていただろう?」
えっと……平安時代とかの話だろうか……?世界には一夫多妻の国もあるそうだが……現在のこの国では基本は一夫一妻。
「だが不倫やダブル不倫と言うのは現代だからこそよな」
クツクツと嗤う八雲。
「だが……俺は壱花一筋だ。こうして夫婦になった以上は壱花と……殻の中でひとつになりたい」
その……たとえが独特すぎると言うか、落花生ならではでちょっと反応に困る。
「ならば試しにこの場でひとつになろうか……?」
「え……っ!?」
「いえ、みな宴会場で待っているんですから、急ぎますよ」
夜霧さんが呆れたように告げれば。
「お前は真面目すぎる!!」
いや、八雲のノリが独特なだけでは……。
けど。
「ふふっ」
「壱花?」
「何だか、楽しいなって」
お陰で鬼への恐怖が和らいだような気がするのだ。
「ならばよい。今夜の俺は結構上機嫌だ」
「それは何よりです」
まぁ、私も八雲も楽しいなら……良かったかも。
八雲と夜霧さんと共に、宴会場へと向かう。途中給仕の鬼とすれ違いびくついたものの、何故か相手も恐縮した。今までと明らかに違い、こちらが驚いたのだが。
やはり八雲の守護……なのだろうか?
そして宴会場の扉の前にも鬼がおり、私の姿に驚いたような表情を見せる。
「恐れながら、その娘は……っ」
鬼が咄嗟に八雲を見て声をあげる。
やっぱり私……場違い……なのかな。道具でしかなかった私を、知っている鬼は多いだろう。特に白玻に関わる鬼ならば。
彼らに散々笑い者として見せつけられたから。
「我が花嫁だ。何か文句があるのか……?」
ふわりとひんやりとした空気が上がってくるのを感じたのは、気のせいではない。
八雲の表情は今までの人懐っこい表情とは違い、どこか他を寄せ付けない空気を纏う。
八雲に問うた鬼は何か恐ろしいものを前にしたように身をこわばらせる。
――――だが。
「壱花?」
ぱあぁぁぁぁっと広がる笑みはいつもの八雲である。戻……った……?
「さぁ、入ろう」
「……え、うん?」
あの鬼はいいのだろうか。
「あれは気にしなくていいですよ」
夜霧さんも……そう言うのなら。
不安な気持ちも、八雲と一緒ならちょっと落ち着く。
「八雲さまと壱花さまは上座ですから、このまま」
「はい」
夜霧さんの案内で席に向かえば、そこから聞き慣れた不快な声が響いてきた。
「何でよ!?ここは私の席よ!だって一番豪華で、ご馳走がたんまりあるじゃない!」
み……弥那花だ。
相変わらず煌びやかな容姿を持つ彼女は、あの時の宴のようにうんとおしゃれをして、豪華な着物にアクセサリーを身に付けている。相変わらず……である。
私の一度目の祝言の日ですら、自分が一番とばかりに着飾ってきた。
まるで主役は自分であると言わんばかりに。まぁ……実際そうだったのだが。彼女は白玻の愛人となり、それから……本当の花嫁になったのだから。
そしてその弥那花の傍らには。
「やめろ!弥那花!私たちの席はここではない!」
白玻だ。
私には一度も同席を認めなかったのに、弥那花だけは普通に連れてきたのか。連れてこられても困ったが……それでも白玻以外の鬼を知れただろうか。
しかしあの白玻が、ひどく狼狽えている。
弥那花をあんなにもうっとりと見つめていた顔はそこにはなかった。何かをひどく恐れているように焦りながら、弥那花をその場から引き剥がそうとしている。
「何で!?何でよ!白玻は鬼の中でも一番強くて偉いんでしょう!?なら、一番豪華なここが、私たちの席よ!」
私たち……か。
本来ならば、人間の花嫁でも、連れてくるのは普通だったのだろうか。
「何を騒いでいる。鬼の子らよ」
その時、あの時のようなよく通る八雲の声が響き渡り、周囲の目線が私たちに……いや、正確には隣の八雲に集中するのが分かった。
そして白玻が絶望したように八雲を見、そして弥那花は八雲の隣の私を見付けて目を吊り上げる。
「ちょっとぉっ!何でここに壱花がいるのよ!」
普段外では容姿に恵まれぬ姉を哀れむいいこを装って【お姉さま】と呼んでくるのだが、家の中ではそのように呼び捨て、暴言を浴びせる。
彼女が【一番】と称する鬼を手にして、もういいこの皮を被る必要もないと思ったのか。
白玻の花嫁になったから、全てが自分の思い通りになると確信したのか。
「鬼の頭領である白玻に捨てられたたかだか道具が!私のための宴に顔を出す権利がどこにあるの!?」
同じ人間の花嫁だと言うのに、私は道具。彼女はそうではない。その基準は……美醜……いや違う。弥那花であるか、それ以外であるかだろう。
「ち、違う!弥那花、やめろ!これはお前の宴では……」
白玻が焦って弥那花を後ろから力の限り押さえ付ける。
「何言ってるの!?白玻!だってそうでしょう!?私が白玻の花嫁となったことを鬼の一族総出で祝ってくれる宴でしょ!?」
「違う!聞くんだ、弥那花!」
「嫌よ!これは私の宴よ!ここは私の席よ!それから……アンタみたいな道具はこの場には分不相応だわ!出ていけ!!」
「……っ」
たとえ言われなれていても……傷付かないわけではないのだ。
「壱花が……傷付いている……!」
「……っ、八雲……」
ハッとして八雲を見上げれば。
「泣いて……いるのか」
「……え……、あ、これは」
いつの間にか目尻に涙が浮かんでいた。
「これくらい何とも……」
「おのれ、許せん!俺の壱花を泣かした罪、その身で贖うといい!いでよ……っ、刺身と餃子を食べた後に残って捨てられたソイソースの怨み……とくと味わうがよい!」
え……ソイソースって……醤油……っ!?
「あの、畳が……」
シミになるのでは。
「それもまた、よいな。壱花が豆のシミが染み込んだ畳の上で微睡む……素晴らしい」
そうだろうか。それはそれで醤油まみれにならないだろうか。
「では……ピーナッツオイルを染み込ませよう」
「いや……その、油分だから、畳に染み込ませるのはちょっと……」
良くないのでは……?
「私は、ピーナッツバターサンドで、いいから」
「壱花……っ、それ、最高にかわいい。俺、超愛されてねぇ……?」
「そりゃぁ……」
八雲のことは……好きだけど。
「あぁ、俺の壱花がかわいい……っ!」
八雲がでれっでれな顔を向けてくる中、突然割って入った声にハッとする。忘れていた。いや、彼女たちにとっては忘れられていたほうが、幸福だったのではなかろうか。
「ちょっと、何をごちゃごちゃしゃべってるのよ!そんなブスよりも、私の方がかわいいわ!」
「あ゛……?」
弥那花に比べれば私なんて……。でもその言葉に八雲の声色がぐぐっと低くなったのが分かった。
「あ……や……っ」
呼び掛ける前に、八雲の手がすっと弥那花たちに伸び、八雲が叫んだ。
「ソイ・ソース・ポルカ・ドット――――――っ!」
え……醤油水玉……?
そして次の瞬間、弥那花と白玻が見事な醤油水玉に染まった。