金箔銀箔のあしらわれた屏風を背にして腰かけるのは、この宴会場……いいや、鬼の一族の中で最上位に君臨する頭領である。
息をのむほどに美しい顔立ち。艶のある銀髪に金色の瞳、角は白で、2本。しかしその性格は非常に冷酷で、ひとをモノとしか見ない。
そんな鬼の前に、周りを鬼たちに囲まれながら、席も用意されずにただ崩れ果てることしかできない。
「そんな……どうして」
やっとのことで絞り出した声に、クスクスと美女の笑い声が混ざり、そっと頭領の首に色白の腕を巻き付ける。
そんな美女をうっとりと見つめた頭領は、再び私を凍てつくような目で見据える。
「どうもこうも、私は弥那花と出会い、愛し合うと言うことを知った」
私の名は決して呼ぶことがなかったのに、美女……いや、妹の名だけは呼び慣れたようにするりと口からこぼれさせる。
恐ろしい鬼の頭領にとっては、人間は鬼の一族の繁殖のための道具でしかなかった。
道具には個別の名などいらない。ただ、鬼の花嫁となる特別な人間を、区別するために鬼の花嫁と呼ぶ。
頭領の花嫁でさえあればいい。頭領の花嫁と言う道具には名などいらない。
そう教えてこまれていた。
毎晩のように、できない日だってかまわない。鬼は毎日、毎日、生殖のために私を使った。
繁殖のための道具を使ってきた。自由になったのは、息子を身籠っていた時だけ。
産めばそれで、私は息子を取り上げられた。
息子は鬼の跡取りとして育てられる大切な宝。道具には過ぎたものだからと。
けれど、鬼の頭領と言う強大な存在。表の人間社会に紛れ、影で牛耳る存在。そんな頭領を敵に回すことなどできない。
むしろ実家もずっと、私を厄介者扱いしてきた。今さら、帰る家もない。
だから諦めていた。全てを。ただひとつ、息子に会いたい。その想いだけを、糧に。
「それに……弥那花は素晴らしい跡継ぎを産んでくれた」
は……?跡継ぎ……?
「おいでぇ、白矢」
弥那花が連れて来たのは、私の息子と同い年であろうか、3歳くらいの男の子だった。しかし何よりも驚いたのは。
寸分たがわぬ、頭領と同じ色。
まさか……まさか頭領と弥那花は、3年前から……いや、私が嫁いでからずっと肉体関係にあったの……?
「うふふ、お姉さまぁ。私と白玻の子なのよ?うふふ」
私が決して呼ぶことの許されなかった頭領の名を、弥那花は難なく呼び捨てにしていた。
「そろそろこの道具も飽いた」
非情な鬼の言葉が突き刺さる。
「んもぅ……、白玻も早く私と結婚したかったんでしょう?でも……お姉さまに夢を見させてあげるのも、姉孝行じゃない……?」
違う……地獄だ。頭領に嫁いで早4年。人間の世で生きていた頃から、私に生きる価値などなかった。鬼の頭領の道具として嫁ぐことも、価値はなく、ただの儀礼的な生贄だ。その生贄に、意味はない。毎晩のようにあの頭領の餌食となるための、生贄。
だがしかし、頭領は、鬼は見目麗しい。弥那花は暴れた。どうして見目麗しい弥那花ではなく、私が嫁ぐのだと。
両親はそんな弥那花に代わりの鬼をあてがった。そして弥那花も嫁いだはずだった。けれど……弥那花は諦めていなかった。
頭領を誘惑し、その心に人間を、弥那花を愛することを覚えさせた。
そして3年もの間、頭領との子どもを隠しながら、不倫を続けていたのだ。
「さすがに道具を娶ってすぐにと言うのも私の名声に傷が付く。そろそろ潮時だ。貴様は出ていけ」
「充分夢は、見られたでしょう?お姉さまぁ?」
出ていって、私に行く宛てはあるのだろうか。
けれど。
「む……息子は……息子は、返してください!」
せめて、息子だけは……っ!
「はぁ……?道具のお前に、鬼を?ふざけるな。そんなこと許してやる義理はない」
「そうよぉ。お姉さまの息子も?とぉってもかわいがってあげるから」
弥那花の嗜虐性溢れる笑みに恐怖を覚える。恐らく頭領は、自分に似た白矢にしか興味がない。愛する弥那花が産んだ白矢にしか。
そして弥那花のあの笑みは……いつも私を虐げる時の笑み……!
今度は息子が、私の代わりに弥那花に酷いことをされる……!
「お願いです!息子だけは返して!」
それでも必死に手を伸ばす。
「くどい!そもそも、貴様のものではない!」
「きゃっ!?」
頭領が容赦なく脚で蹴飛ばしてくる。
痛い……全身がひび割れそうなほど、痛い。毎晩痛め付けられている身体の悲鳴と、鬼と言う人外の脅威が与える衝撃が、身体をさらに蝕んでいく。
「やだ、汚い。せっかくの私のための宴なのに」
「そうだったな、弥那花」
頭領が、私にも周りの鬼にも向けない甘い声で弥那花を呼ぶ。
「これはとっとと捨てさせよう。よいか、みなのもの、よく聞くがよい!」
頭領が声を張り上げる。
「我はもう、この道具はいらん。これからは愛する弥那花を花嫁に迎え、跡継ぎは白矢とする」
では、私の息子はどうなるのか……?恐ろしい鬼は、それにすら何も触れない。
鬼たちが頭領の言葉に狂ったような歓声を捧げる中、ひとつだけ違う声が混ざった。
「花嫁とは……どういうことですか、頭領!その者は私の花嫁で……っ」
弥那花の……夫の鬼……?
鬼だからこそ、顔立ち整っているが地味な色の角、金茶の髪に橙の瞳の自信なさげな青年だ。
「我が花嫁を、自分の花嫁だと抜かすか!弥那花は我が花嫁だ!頭領である我が決めたこと!貴様なんぞに我が言葉を翻す権利など与えた覚えはないぞ!貴様のような無礼者は、今日この時を以て、鬼の一族から追放する!!」
「そんな、頭領……!!」
弥那花かわいさに……配下の鬼すらも非情に切り捨てるだなんて……っ!
「良かったぁ~~、いつまでもこの鬼がストーカーみたいについてきたら嫌だもの。アンタ、顔立ちはきれいだけどパッとしないし……白玻が一番……カッコいいもの」
「あぁ……弥那花」
何と言う、下らない。
弥那花は所詮は、顔立ちがよく何よりもの権威を持ち、自分に金銀財宝を与えてくれるものがいいのだ。頭領はそれをすべて兼ね備えた、まさに弥那花の理想郷。
「さて、とっととこのモノたちを捨ててこい!」
頭領の非情な言葉に、鬼たちはどっと沸き立つ。
「何をしてもよいぞ」
何を、させる気。目の前が恐怖で塗り尽くされる。嫌だ……嫌だ……誰か……助けて。
けれど助けなど来ないことを……今までの人生で私は思い知っていた。
衣を剥ぎ取られ、あられもない姿にされていく。動かない身体で、閉じることすらできない眼が、ひとではない異形の怪物たちを無限に映し続ける。
私だって……幸せに、なりたかった……。
――――あぁ、神さま。
『呼んだか、壱花!?』
――――は?私の……名前?
そして襖が開け放たれる音がした。
私の身体を掴んでいた鬼の手が一瞬にして放れていき、すとんと畳に落下した私の目に映ったのは……畳の上に浮かぶ巨大な……落花生……?
つまりは……ピーナッツ。
いや、本当に、落花生……?
『控えおろう、鬼の子らよ!』
いやいや、待って。落花生がそんなことを言って、鬼が聞くわけが……。
しかしながら私の身体は解放されている。
『さてヒトの娘よ、我を呼んだと言うことは、やはりその鬼よりも我の方が好きだと言うことよな!?』
は……はい……!?なぜそうなる!
『違うのか?』
その鬼と言うのは頭領のことなら、好きじゃない。好きになるわけがない。
でも……息子のことは、会えなくても私は愛している。
『なんと麗しい』
私は黒髪黒目の平凡な女なのだけど。
『まさにピーナッツサーンドッ』
何を言っているのかまるで分からない、このピーナッツ。
『では、我が花嫁の子も、共に迎えようではないか!』
はい……?花……嫁?
『うむ……!そなたは我を呼んだ』
いや、落花生は呼んでない、呼んでない。
『我が花嫁は照れているのだな。なんとかわいらしい!!』
照れてはいないけど……。
『よいか、鬼の子らよ。我は壱花を花嫁として迎え、その息子をもらって行くぞ!!』
私を……花嫁に……!?
落花生が!?
そして案の定、甲高い爆笑が響いてくる。
「あはははははっ!アーッはっはっはっはっ!お姉さま……お姉さまがピーナッツの嫁だなんて……!何て滑稽なの!?お姉さまには人間ですらもったいない!ピーナッツで充分ね!あはははははっ!」
不思議なほどに静寂となる空間に響き渡る弥那花の不快な笑い声。
でも、彼女に楯突けば、その先の末路など決まっている。耐えるしか……ないの。
『我の壱花が不快に感じている。そこの醜女、豆鉄砲を加えてやろう!』
……はい?
そして次の瞬間、落花生の殻ががばりと開き、その中から……ヒト……?いや、角を生やした鬼が姿をあらわした。
藍色の髪に金色の瞳を持ち、角は黒で、4本。不敵な笑みを浮かべながら、全身裸の身のどこからそんなものを出せるのか分からないが、勢いよく大量の豆を弥那花に打ち付ける。まさに、乱れ豆鉄砲……っ!
「そのネーミングはなかなかだ!我が妻よ」
妻……花嫁は、確定なのかしら。
「うむ、確定申告しよう!」
違う、それはそれで合ってるようで違う!
「うなれ!我が乱れ豆鉄砲っ!人間に食されることのなかった豆たちの怨み……甘んじて受けるがよいわっ!!」
「ぎゃ……ぐごぼごがごおぉぉぉぉっ!!?」
豆が喉に詰まったのか、弥那花の苦し気な声と鬼たちの悲鳴が響き渡った。