家に着くと、母親が張り切って夕食を用意していた。昨日、東京から帰ってきたときもそうだったが、母親はなぜ子供が帰って来ると張り切って大量のご飯を作るのだろう。
小さなちゃぶ台には大皿が幾つも並び、乗り切らない程だった。事実、乗り切らなかったサラダ類は畳の上にいるのだから。料理の量がおかしいのは目に見えて明らかだった。
到底、大学生の女と五十代の母親、八十代の祖母の三人で食べきれる量ではない。我が家には食べ盛りの野球部の男子高校生でもいただろうか。
「ほら、香!豚の角煮好きでしょう?たんと食べなさい!」
「好きだけど、こんなたくさん食べられないってば。このやりとり、昨日の唐揚げでもやったよ……」
「まだ若いんだから食べなさい!どうせ、絵ばっかり描いてろくに食べてないんでしょう?」
「食べてるよ。自炊してる」 
「本当かしらね。香ったら滅多に帰って来ないし、こんなガリガリになってるし!お母さんがどれだけ心配しているか分かってるの⁉折角、長期間いるんだからふくふくに太って帰りなさいよ」
「だから食べてるって言ってんでしょ。話聞いてよ」
「香や。お前さん、角煮もっと食べんかいね」
「……ありがとう、おばあちゃん。もう嫌になるくらいたくさん食べてるよ」
母も祖母も何のバグか分からないが、送信機能のみで受信機能が欠如しているようだ。二人とも全くこちらの話を聞かない。
うっぷ、とえづきながら、まるで仏壇に供える御仏様のように盛られたご飯を何とか口に放り込んだ。こんな漫画みたい山盛りのご飯なんて食べきれるわけがないのに。
ひっきりなしに私への文句を言いながらも、母が少し嬉しそうなことには気づいていた。祖母も口数は少ないけれど、いつもより賑やかな食卓に笑みを零している。ここは母の実家、もともとは祖母が一人で住んでいた金沢の古い町家だった。犀川がよく見える川辺に立つ一軒家だ。
高校を卒業するまでは金沢駅近くのマンションで両親と三人で暮らしていた。高三の時に親が離婚して、母は実家に出戻り、私は東京で一人暮らしするため、自然と一家離散した。父は今もあのマンションで暮らしているらしい。家を出る時、マンションの鍵は渡されなかったので、私は必然的に母のいる祖母宅に帰省している。
離婚の原因はよく知らない。
「それで、香、あんたどうするの?卒業した後は。金沢に帰って来るの?東京にいるの?」
「いやあ……まだなんとも」
「まだって、あんたねえ!もう四年生よ⁉小学校の同級生のリカちゃんなんて地元の銀行に内定貰ったらしいし、中学のユキちゃんだって大阪の会社に内定したって言ってたわよ⁉」
「へー」
「もう!教育実習しに来たってことは美術の先生になるってことよね?」
「いや、教免あったら安心かなあってぐらいでそこまで考えてなかったていうか……教採の勉強もしてないし、受ける気ないし、アハハ」
「先生になるんじゃないの⁉何のために来たのよ!よく知らないけど、美大って就職難しいんでしょ?ニートかフリーターにでもなるつもり?言っときますけど、うちにはお金ないからね!」
「わかってる……もうちょっと考えさせて」
「もうちょっとって言ってる間に卒業しちゃうわよ!」
母親にがみがみと説教をされながら、憂鬱な夕食は終わった。
この家に自室はもちろんないので、仏間に布団を敷いて寝転がる。食べ過ぎて横にならないと苦しいぐらいだった。この調子でここにいたら実習が終わる頃には倍の体重になっていそうで怖い。重い体を動かしてごろりと寝返りを打つ。
古い畳の匂いがした。怖い木目のある天井も、カーテンじゃなくて障子しかない窓も、色あせた襖も、祖父の遺影も、何もかもが私の家ではないと言われているようだった。
水色の壁紙、好きな画家の画集が詰まった本棚、シールが張られた学習机、お気に入りのぬいぐるみ。子供のころから過ごしたあの部屋はもうないのだと改めて実感する。
東京へ引っ越すとき、荷物になるものはすべて捨てた。あの時、私は私という存在を刻んできた思い出も捨ててしまったのかもしれない。仕方ないことだったと分かってはいるけれど、少しだけ切なくて、寂しい。
隣の部屋から祖母のいびきが聞こえてくる。元気ないびきに笑みがこぼれた。何故だか祖母のいびきを聞いていると安心した。
私はいつの間にか眠っていた。