「あー、本当に話通じない人と喋るのだるいわ。とにかく、昔のこととか余計なこと話さないでよね。もし、あたしの邪魔したら高校の時より酷い目に遭わせてあげるから、ね?」
佐々木は突然手を伸ばして私の髪を掴むと、俯く私の顔を無理矢理引き上げた。髪が強く引っ張られてぶちぶちと千切れる音がする。
「わかったら返事しようよ、香ちゃん?」
彼女は声音を低くして、虫を殺す子供みたいに残虐に嗤っていた。彼女は私をいじめる時いつも愉しそうに嗤う。それが私はずっと怖かった。人を傷つけることを愉しんでいることが理解できなくて、怖かった。
でも私はもう高校生じゃないから、大人だから。
怖くても逃げない。
「離して」
私は髪を掴む彼女の手を振り払った。
「……佐々木さんって、教師になりたいの?」
「は?」
私が震える声で絞り出した言葉に、彼女は不快そうな顔をした。
「教育学部なんでしょう?佐々木さんって教師になりたかったの?とてもそんな風には見えないけど」
「別に、適当に進学しただけだし。就活して良い会社の内定もらえたら教師になんかならないよ。教免も教採もただの保険だし」
「そう。それ聞いて安心した。あなたみたいな人が教師になるなんて生徒が可哀想だから」
「なんかさあ、香ちゃんが反抗的になってて残念だわ。一回、高校の頃のこと思い出し方がいいんじゃない?」
彼女はそう言うと、私を突然突き飛ばした。私は身構えることすらできず、床に倒れた。手に持っていた鞄や紙袋が吹っ飛んで、床に荷物が散らばる。彼女は、倒れた私を躊躇なく踏み潰すように数回蹴った。
「苛々する。やっぱりあたし、あんたのこと大嫌いだわ」
「こっちの台詞だよ!」
私は言い返しながら、腕を振り回して彼女の足を払い除けた。そして、身体を起こして彼女きっと睨み上げた。
「私は高校の時と違う。貴女に屈したりしないし、逃げない」
「何それ、気持ち悪い。白けるわー……私が悪者みたいじゃん、やめてよね」
佐々木は冷めた目で私を見下ろして言った。そして、しゃがみ込むと私の襟首をがっとつかんだ。
「いじめられるあんたが悪いんだから、正義の味方みたいな顔やめなよ。目を覚ましたら?」
彼女はすっと手を振り上げる。あ、叩かれる。そう思った瞬間、ぐっと体が強張った。その時だった。大きな手が私たちの間に割って入ってきて、私の視界は広い背中で遮られた。私は驚いて目を丸くし、その人を見上げた。
割り込んできたのは、見覚えある男だった。佐々木は慌てて手を引っ込める。彼は走ってきたのか息を切らしていた。
「大丈夫⁉」
その人は焦った様子で私を振り返ると、心配そうに私を見つめる。そんな彼の顔を見て、はっと気づいた。校門で助けてくれた人だ。
「え、何、そんな必死で?なんか誤解してるー?転んでたから助けてあげようとしただけだよ?」
佐々木はいじめっ子の顔を引っ込めて取り繕ったように笑う。普通なら無理があるが、彼女は手慣れていた。それまでの不穏な雰囲気など一掃して、何事もなかったかのように普段通り振る舞う。あまりの自然さに教師を含めいつも周りは誤魔化されていた。
「でも、今……」
「ね、香ちゃん。大丈夫?足くじいてない?」
佐々木は心底心配しているような顔をして、私に手を差し伸べた。私は彼女を無言で睨み、その手を取らずに自分で立ち上がった。すると、彼は私をかばうように私の前に立った。
「あらら……えーと、何くんだっけ?まあ、いいや。何か誤解してるみたいだけど、私と香ちゃんって友達だから」
「本当に?廊下から大きな声が聞こえてここまで走ってきたら、争ってるように見えたんだけど」
「えー?大きな声?美希たちは知らないなあ。外の音じゃない?」
「そんなはずは……」
私は追求しようとする彼のスーツの裾をつんと引っ張って「大丈夫です」と小さな声で言った。親切な彼は私をちら、と顧みると、少し悩んだ顔をしてから「勘違いならいいんだ」と呟いた。
「分かってくれてよかった!てかもう、こんな時間!一緒に帰ろっか、香ちゃん。話の続きしたいし」
佐々木は男の後ろにいた私に向かって、まるで本当の友達かのように言った。私は「帰らない」と首を横に振った。笑顔を張り付けたまま、彼女の眉だけがぴくりと動く。私は彼女をまっすぐに見据えてきっぱりと言い放った。
「佐々木さん、今更昔のことを掘り返すつもりはないよ。その代わり、私にもう関わらないで」
佐々木はほんの短い時間、見定めるようにじっと私の顔を見た。
「そう、まあいいや。またね!」
佐々木は明るい笑顔で言った。そして、彼女は背を向けてさっさとその場から去っていく。遠ざかっていく彼女の背中を見ながら、私は彼女を大声で呼び止めた。
「佐々木さん、待って!ひとつ言い忘れた」
いくらか離れたところにいた彼女は振り返って「何?」と答える。私は彼女を睨むように見つめ、怒りを込めて言葉を放った。
「あなたは絶対、教師にならないでね」
夕闇で翳った廊下では、離れた場所にいる彼女の表情はよく見えない。一体どんな顔をして聞いていたのだろう。
彼女は何も答えずに去った。
佐々木は突然手を伸ばして私の髪を掴むと、俯く私の顔を無理矢理引き上げた。髪が強く引っ張られてぶちぶちと千切れる音がする。
「わかったら返事しようよ、香ちゃん?」
彼女は声音を低くして、虫を殺す子供みたいに残虐に嗤っていた。彼女は私をいじめる時いつも愉しそうに嗤う。それが私はずっと怖かった。人を傷つけることを愉しんでいることが理解できなくて、怖かった。
でも私はもう高校生じゃないから、大人だから。
怖くても逃げない。
「離して」
私は髪を掴む彼女の手を振り払った。
「……佐々木さんって、教師になりたいの?」
「は?」
私が震える声で絞り出した言葉に、彼女は不快そうな顔をした。
「教育学部なんでしょう?佐々木さんって教師になりたかったの?とてもそんな風には見えないけど」
「別に、適当に進学しただけだし。就活して良い会社の内定もらえたら教師になんかならないよ。教免も教採もただの保険だし」
「そう。それ聞いて安心した。あなたみたいな人が教師になるなんて生徒が可哀想だから」
「なんかさあ、香ちゃんが反抗的になってて残念だわ。一回、高校の頃のこと思い出し方がいいんじゃない?」
彼女はそう言うと、私を突然突き飛ばした。私は身構えることすらできず、床に倒れた。手に持っていた鞄や紙袋が吹っ飛んで、床に荷物が散らばる。彼女は、倒れた私を躊躇なく踏み潰すように数回蹴った。
「苛々する。やっぱりあたし、あんたのこと大嫌いだわ」
「こっちの台詞だよ!」
私は言い返しながら、腕を振り回して彼女の足を払い除けた。そして、身体を起こして彼女きっと睨み上げた。
「私は高校の時と違う。貴女に屈したりしないし、逃げない」
「何それ、気持ち悪い。白けるわー……私が悪者みたいじゃん、やめてよね」
佐々木は冷めた目で私を見下ろして言った。そして、しゃがみ込むと私の襟首をがっとつかんだ。
「いじめられるあんたが悪いんだから、正義の味方みたいな顔やめなよ。目を覚ましたら?」
彼女はすっと手を振り上げる。あ、叩かれる。そう思った瞬間、ぐっと体が強張った。その時だった。大きな手が私たちの間に割って入ってきて、私の視界は広い背中で遮られた。私は驚いて目を丸くし、その人を見上げた。
割り込んできたのは、見覚えある男だった。佐々木は慌てて手を引っ込める。彼は走ってきたのか息を切らしていた。
「大丈夫⁉」
その人は焦った様子で私を振り返ると、心配そうに私を見つめる。そんな彼の顔を見て、はっと気づいた。校門で助けてくれた人だ。
「え、何、そんな必死で?なんか誤解してるー?転んでたから助けてあげようとしただけだよ?」
佐々木はいじめっ子の顔を引っ込めて取り繕ったように笑う。普通なら無理があるが、彼女は手慣れていた。それまでの不穏な雰囲気など一掃して、何事もなかったかのように普段通り振る舞う。あまりの自然さに教師を含めいつも周りは誤魔化されていた。
「でも、今……」
「ね、香ちゃん。大丈夫?足くじいてない?」
佐々木は心底心配しているような顔をして、私に手を差し伸べた。私は彼女を無言で睨み、その手を取らずに自分で立ち上がった。すると、彼は私をかばうように私の前に立った。
「あらら……えーと、何くんだっけ?まあ、いいや。何か誤解してるみたいだけど、私と香ちゃんって友達だから」
「本当に?廊下から大きな声が聞こえてここまで走ってきたら、争ってるように見えたんだけど」
「えー?大きな声?美希たちは知らないなあ。外の音じゃない?」
「そんなはずは……」
私は追求しようとする彼のスーツの裾をつんと引っ張って「大丈夫です」と小さな声で言った。親切な彼は私をちら、と顧みると、少し悩んだ顔をしてから「勘違いならいいんだ」と呟いた。
「分かってくれてよかった!てかもう、こんな時間!一緒に帰ろっか、香ちゃん。話の続きしたいし」
佐々木は男の後ろにいた私に向かって、まるで本当の友達かのように言った。私は「帰らない」と首を横に振った。笑顔を張り付けたまま、彼女の眉だけがぴくりと動く。私は彼女をまっすぐに見据えてきっぱりと言い放った。
「佐々木さん、今更昔のことを掘り返すつもりはないよ。その代わり、私にもう関わらないで」
佐々木はほんの短い時間、見定めるようにじっと私の顔を見た。
「そう、まあいいや。またね!」
佐々木は明るい笑顔で言った。そして、彼女は背を向けてさっさとその場から去っていく。遠ざかっていく彼女の背中を見ながら、私は彼女を大声で呼び止めた。
「佐々木さん、待って!ひとつ言い忘れた」
いくらか離れたところにいた彼女は振り返って「何?」と答える。私は彼女を睨むように見つめ、怒りを込めて言葉を放った。
「あなたは絶対、教師にならないでね」
夕闇で翳った廊下では、離れた場所にいる彼女の表情はよく見えない。一体どんな顔をして聞いていたのだろう。
彼女は何も答えずに去った。