けれど、三年生になった春。
クラス替えで浜木綿香と同じクラスになった。最悪だ、と思った。
三年生の初日、教室に入ると顔見知りは何人もいた。スクールカースト上位の友人が私の周りに集まり、私はクラスの中心にいた。遅れて教室に入ってきた浜木綿香は誰とも話さず、静かに席についていた。化粧っ気もなく、暗くて、地味な子。髪だって、ただ結んでいるだけ。静かだから目立ちはしないけれど、浜木綿香は相変わらず美人だった。私と違って、何のメイクもしてない。髪だって巻いてもないのに。
何の努力もせず、美しい容姿を持って、勉強もできて、その上、絵まで描ける。
そんなの、狡すぎる。
友人と大声で話してクラス内に存在をアピールする私と逆で、一人でも平気そうにしている彼女。中学時代、コンクールで競い合った私にどうして気づかないのか。
始業式の後、クラスで自己紹介が行われた。そう言えば、中学の時と私は見た目が大分違う。だから彼女は私に気づいていないのだ。今、私の名前を聞いて、浜木綿香も気づいただろう。そう思い、彼女の席を振り返るが、彼女はぼうっと自己紹介を聞いているだけだった。
担任の号令で解散となり、私は帰ろうとしている浜木綿香の席に近づいた。
「ねえ、浜木綿さん」
「何ですか?」
突然、話しかけられて彼女はきょとんとして私を見上げた。
「香ちゃんって呼んでいい?」
にっこり笑って言うと、浜木綿香は戸惑いながら「あ、うん、どうぞ」と答える。反応が鈍すぎてよく分からない。苛々しながら仕方なく、私は名乗った。
「私、佐々木美希だよ」
目の前で名乗れば、この鈍い女もきっと「ああ、中学の時の」と思い出すに違いない。そうしたら、私はあんたのせいで絵を描くのをやめたと詰るつもりだった。
それなのに。
「佐々木さんって言うんだね。初めまして、これからよろしく」
笑顔を張り付けたまま、黙った。浜木綿香は「部活があるから」とさっさと帰って言った。怒りで頭の中が沸騰しそうだった。
絵を描くのが大好きだった。この子のせいで描けなくなったのに。
私はずっと浜木綿香を憎んで、恨んできたのに。
浜木綿香は私のことを、覚えてすらいなかった。
「どうしたの、美希?帰りどっか寄って行かない?」
呆然と立ち尽くしている私の肩を友人たちが叩いた。込み上げてくる憎しみと怒りはもう溢れてしまって、どうしようもできなかった。今まで抑えていた加虐心が一気に膨れ上がった。
あの子も絵が描けなくなればいい。
「いいね、行こ行こ!」
友人たちに笑顔で答える。中でも、特に噂好きでいじめっ子気質の友人の隣に言って囁く。
「ねえねえ、浜木綿香ちゃんってさ……」
友人たちは興味津々で浜木綿香に関するガセネタを聞いてくれた。その日のうちに内輪のグループチャットでは浜木綿香は性格最悪で、男好きで、嘘つきの最低女になっていた。いじめに誘導するのは簡単だった。私だけじゃない、みんなも誰かをいじめてストレス発散させたかった。だって、誰かをいじめるのは愉しいから。
次の日から浜木綿香の地獄は始まった。
毎日、いじめられて涙を見せる浜木綿香を見ては留飲を下げた。明日は何をしてやろう。学校にばれないようにいじめを企てるのは愉しくて仕方なかった。暫くして彼女は学校に来なくなった。いい気味だと思った。そのまま、学校も絵もやめてしまえと思った。
けれど、浜木綿香は絵を描くのは辞めなかった。
休んでいる間に凄まじい作品を仕上げて、国際的な学生コンクールで入賞までしていた。玄関前に掲げられた作品を見て、あまりの出来に言葉を失った。私がどれだけ練習しても、時間をかけても、到底描けそうもない精密で緻密な大作。それをいじめられながらあの子は描き上げた。
絶対に勝てないという絶望、こんな絵が描ける羨望。それは激しい憎悪に変わった。腹いせに描きかけの作品を一つ壊してやった。本当は玄関前の作品を壊したかったがリスクが高すぎる。
卒業までずっと飾られたあの作品は、目障りでしょうがなかった。
そのうち受験勉強が本格化して、成績の悪い私は浜木綿香に構っていられなくなった。クラスの皆も、浜木綿香が不登校になってからは最初ほどいじめを愉しまなくなった。彼女は学校に来ても、保健室に逃げてあまり姿を見せなくなった。
まあ、いい。卒業すればあの女の絵を見なくて済むのだから。
それからは、いじめは遊び程度に、受験勉強に集中した。けれど、第一志望も、第二志望も、滑り止めも何校か落ち、偏差値のそんなに高くない大学に何とか合格した。学歴に傷がつくと浪人を希望したが、親が浪人を許さなかった。仕方なくそのまま進学して大学生になると浜木綿香のことはすっかり忘れていた。
教育実習の説明会で母校に行くと、澤村香になった彼女と再会した。驚きながら、実習生名簿に描かれた担当科目と出身大学を見て、高校の頃の憎しみが一瞬で蘇えった。
浜木綿香の担当は美術、誰でも知っているような東京の有名美大に進んでいた。
あの女はまだ絵を描き続けていた。しかもこんなに良い大学に入って。
どうして、この女は私のコンプレックスばかり刺激してくるのだろう。
「香ちゃん」
放課後の廊下、澤村香を呼び止めた。綺麗な黒髪を靡かせ、細身にスーツを纏い、化粧をして高校生の頃より美しくなった澤村香。彼女は今にも泣きそうな、怯えた顔で私を見つめる。恐怖に染まった顔は懐かしくて愉快だった。
教育実習の間、愉しみが出来て良かった。心の底からそう思ってほくそ笑んだ。
邪魔が入って、最後の最後に失敗したけれど、彼女をいじめたことを私は何も後悔していない。
私と浜木綿香のこれまでの話をしたら、なぜか両親は泣き崩れてしまった。
クラス替えで浜木綿香と同じクラスになった。最悪だ、と思った。
三年生の初日、教室に入ると顔見知りは何人もいた。スクールカースト上位の友人が私の周りに集まり、私はクラスの中心にいた。遅れて教室に入ってきた浜木綿香は誰とも話さず、静かに席についていた。化粧っ気もなく、暗くて、地味な子。髪だって、ただ結んでいるだけ。静かだから目立ちはしないけれど、浜木綿香は相変わらず美人だった。私と違って、何のメイクもしてない。髪だって巻いてもないのに。
何の努力もせず、美しい容姿を持って、勉強もできて、その上、絵まで描ける。
そんなの、狡すぎる。
友人と大声で話してクラス内に存在をアピールする私と逆で、一人でも平気そうにしている彼女。中学時代、コンクールで競い合った私にどうして気づかないのか。
始業式の後、クラスで自己紹介が行われた。そう言えば、中学の時と私は見た目が大分違う。だから彼女は私に気づいていないのだ。今、私の名前を聞いて、浜木綿香も気づいただろう。そう思い、彼女の席を振り返るが、彼女はぼうっと自己紹介を聞いているだけだった。
担任の号令で解散となり、私は帰ろうとしている浜木綿香の席に近づいた。
「ねえ、浜木綿さん」
「何ですか?」
突然、話しかけられて彼女はきょとんとして私を見上げた。
「香ちゃんって呼んでいい?」
にっこり笑って言うと、浜木綿香は戸惑いながら「あ、うん、どうぞ」と答える。反応が鈍すぎてよく分からない。苛々しながら仕方なく、私は名乗った。
「私、佐々木美希だよ」
目の前で名乗れば、この鈍い女もきっと「ああ、中学の時の」と思い出すに違いない。そうしたら、私はあんたのせいで絵を描くのをやめたと詰るつもりだった。
それなのに。
「佐々木さんって言うんだね。初めまして、これからよろしく」
笑顔を張り付けたまま、黙った。浜木綿香は「部活があるから」とさっさと帰って言った。怒りで頭の中が沸騰しそうだった。
絵を描くのが大好きだった。この子のせいで描けなくなったのに。
私はずっと浜木綿香を憎んで、恨んできたのに。
浜木綿香は私のことを、覚えてすらいなかった。
「どうしたの、美希?帰りどっか寄って行かない?」
呆然と立ち尽くしている私の肩を友人たちが叩いた。込み上げてくる憎しみと怒りはもう溢れてしまって、どうしようもできなかった。今まで抑えていた加虐心が一気に膨れ上がった。
あの子も絵が描けなくなればいい。
「いいね、行こ行こ!」
友人たちに笑顔で答える。中でも、特に噂好きでいじめっ子気質の友人の隣に言って囁く。
「ねえねえ、浜木綿香ちゃんってさ……」
友人たちは興味津々で浜木綿香に関するガセネタを聞いてくれた。その日のうちに内輪のグループチャットでは浜木綿香は性格最悪で、男好きで、嘘つきの最低女になっていた。いじめに誘導するのは簡単だった。私だけじゃない、みんなも誰かをいじめてストレス発散させたかった。だって、誰かをいじめるのは愉しいから。
次の日から浜木綿香の地獄は始まった。
毎日、いじめられて涙を見せる浜木綿香を見ては留飲を下げた。明日は何をしてやろう。学校にばれないようにいじめを企てるのは愉しくて仕方なかった。暫くして彼女は学校に来なくなった。いい気味だと思った。そのまま、学校も絵もやめてしまえと思った。
けれど、浜木綿香は絵を描くのは辞めなかった。
休んでいる間に凄まじい作品を仕上げて、国際的な学生コンクールで入賞までしていた。玄関前に掲げられた作品を見て、あまりの出来に言葉を失った。私がどれだけ練習しても、時間をかけても、到底描けそうもない精密で緻密な大作。それをいじめられながらあの子は描き上げた。
絶対に勝てないという絶望、こんな絵が描ける羨望。それは激しい憎悪に変わった。腹いせに描きかけの作品を一つ壊してやった。本当は玄関前の作品を壊したかったがリスクが高すぎる。
卒業までずっと飾られたあの作品は、目障りでしょうがなかった。
そのうち受験勉強が本格化して、成績の悪い私は浜木綿香に構っていられなくなった。クラスの皆も、浜木綿香が不登校になってからは最初ほどいじめを愉しまなくなった。彼女は学校に来ても、保健室に逃げてあまり姿を見せなくなった。
まあ、いい。卒業すればあの女の絵を見なくて済むのだから。
それからは、いじめは遊び程度に、受験勉強に集中した。けれど、第一志望も、第二志望も、滑り止めも何校か落ち、偏差値のそんなに高くない大学に何とか合格した。学歴に傷がつくと浪人を希望したが、親が浪人を許さなかった。仕方なくそのまま進学して大学生になると浜木綿香のことはすっかり忘れていた。
教育実習の説明会で母校に行くと、澤村香になった彼女と再会した。驚きながら、実習生名簿に描かれた担当科目と出身大学を見て、高校の頃の憎しみが一瞬で蘇えった。
浜木綿香の担当は美術、誰でも知っているような東京の有名美大に進んでいた。
あの女はまだ絵を描き続けていた。しかもこんなに良い大学に入って。
どうして、この女は私のコンプレックスばかり刺激してくるのだろう。
「香ちゃん」
放課後の廊下、澤村香を呼び止めた。綺麗な黒髪を靡かせ、細身にスーツを纏い、化粧をして高校生の頃より美しくなった澤村香。彼女は今にも泣きそうな、怯えた顔で私を見つめる。恐怖に染まった顔は懐かしくて愉快だった。
教育実習の間、愉しみが出来て良かった。心の底からそう思ってほくそ笑んだ。
邪魔が入って、最後の最後に失敗したけれど、彼女をいじめたことを私は何も後悔していない。
私と浜木綿香のこれまでの話をしたら、なぜか両親は泣き崩れてしまった。