怒りに満ちた声で、黒川が言った。私はびっくりして黒川を見る。佐々木も面食らった顔をしていた。
「私は画家としての澤村さんのファンでもあります。澤村さんの絵は素敵です、馬鹿にされるようなものじゃない。澤村さんがどんな絵を描くか、知りもしないで勝手なこと言わないで下さい」
「うざ。そんなん、知りたくもないし、興味もないっての」
佐々木は黒川に言い返されて、あからさまに不機嫌になった。
「興味がない?おかしいですね、ついさっき佐々木さんは澤村さんの絵の話をしていたじゃないですか」
「はあ?意味わかんないんだけど!いつあたしがそんな話したわけ⁉」
黒川は佐々木を指差した。正確には、彼女が手に持っているCDを。
「そのCDのジャケット、誰が描いたか知らないんですか?」
黒川はにやりと笑って言った。
「澤村さんですよ」
黒川の言葉に室内が一気にざわめいた。私はどうしていいか分からず、横であたふたしていた。
「はあ⁉そんなわけないでしょ!こんな有名な歌手のジャケットをなんであいつが描くのよ⁉あり得ないし!」
佐々木は黒川を怒鳴りつけた。黒川は負けじと言い返す。
「私はその歌手のファンを何年もやってるんです!ちゃんと調べてから否定してくださいよ!」
すると、実習生の一人がすぐさま携帯で検索し始めた。そしてすぐに「えっ」と悲鳴みたいな声を出して、検索画面を佐々木に向かって見せた。
「本当だ……調べたら、澤村香って名前出てくる」
「そん、な……嘘でしょ」
画面を見て、佐々木は信じられない様子で呆然としていた。
「金輪際、澤村さんの絵を馬鹿にしないで下さいね。行きましょう、澤村さん」
黒川に腕を引かれ、私は慌てて古雑誌を抱えて大会議室を出た。ドアを閉めようとしたとき、はっとして私は振り返る。佐々木と、そして一ノ瀬を馬鹿にした男達を見据えて言った。
「一ノ瀬くんだって、すでにプロの作曲家として活動してます!彼の曲のファンだってたくさんいる。彼のことも、もう馬鹿にしないで!」
それだけ言い残して、ばたんとドアを閉めた。黒川と逃げるように古雑誌を抱えて、階段を降りた。事務棟一階の、資源ごみ置き場の前で私達は立ち止まって顔を見合わせる。そして「怖かったぁ」と互いの声が重なった。
「ごめんなさい、勝手に……」
「いいよ、黒川さん。言い返してくれてありがとう」
「私、エミーの大ファンだからもうあの状況が許せなくて」
「偶然とはいえ、私の絵が描いてあるCD持って馬鹿にしてくるなんてよく考えたら笑えるね」
「確かに、よく考えたら笑えますね。私はエミーと澤村さんのファンだから、怒りが先に来ちゃったけど」
エミーというのは、さっき話題になっていたCDの歌手の愛称だ。
彼女はエマという名前で活動している米国の女性シンガーだ。世界的に有名な歌手だが、何故か一昨年、私のSNSに突然彼女から英文のメールが届いたのだ。
作品と作業工程を淡々と載せるだけのSNSに有名歌手の名前でメールが届き、その内容は「偶然あなたの絵を見てファンになった、私の絵を描いてほしい」とあった。どう考えても詐欺だと思った。無視していたらしつこくメールがきて、さらに無視していたらついには大学に彼女の代理人がきてしまう事態になった。
それからあれよあれよと話が進み、気付いたら私は米国に連れて行かれ、彼女と会い、彼女を描いていた。そうして出来上がったのが件のCDのジャケットだった。
歌のタイトルが未完成だというので、彼女と相談して、彼女の顔の半分は下書きの状態で、もう半分は忠実に、繊細に、そのままの彼女を描いた。
強く、気高い歌手の仮面を被った、本当はナイーブな彼女を。
その絵を彼女はたいそう気に入って、とんでもない金額で絵を買い取ってくれた。税金の申告が大変だったことが一番の苦労だったと思い返していた。
「あのお姉さんって、そんなに人気者だったんだね。私、あんまり音楽聞かないから実感が無くて。強引だったけど、優しくて気のいいお姉さんだった。ごはんいっぱい奢ってくれたし」
「私生活のエミー……!私生活でも姉御肌で優しいんですね!」
黒川は歌手の大ファンらしく、私のSNSもその歌手がフォローしていたから知ったらしい。
古雑誌を捨てて、実技棟に戻るのに大会議室を避けて、遠回りしながら歩いた。小会議室に入ろうとしたとき、黒川がそう言えば、と思い出したように口を開く。
「さっき一ノ瀬くんのことも言ってたましたけど……一ノ瀬くんってプロの作曲家なんですか?」
「あ……!そうだ、腹が立って一ノ瀬くんのこと勝手に言っちゃった!どうしよう」
「俺がどうかした?」
背後から唐突に声がして、私は肩を跳ね上げた。振り返ると、やはり目の前にネクタイがある。背の高い彼を私はいつも見上げなくてはならない。
「一ノ瀬くん!」
一ノ瀬はにこにこと人の良い笑みを浮かべて「どうしたの?」と尋ねる。私は慌てて事の次第を伝える。
「そんなわけで、勝手に一ノ瀬くんのこと話しちゃった。ごめんなさい」
「深刻な顔するからどんな大ごとかと思ったら、そんなことか。構わないよ。普通に本名で活動してるし、隠してるわけでもない。実習中だから、生徒に変に騒がれると面倒だから生徒には言わないでほしいけど」
「良かった……ごめんね、ついムキになって」
「俺の為に怒ってくれたんでしょ?」
「だって、ね、黒川さん!あの人たち酷いかったよね⁉」
黒川は首が取れそうなくらい大きく頷いた。
「芸術に恨みでもあるのかってくらい酷い言い様でしたよ。佐々木さんが澤村さんにあまりに酷いこと言うんで、私も我慢できなくて怒ってしまいました」
「黒川さんを怒らせるなんて、相当だな……」
「今日で最後なのに私のせいで嫌な思いさせてごめんね、黒川さん」
「澤村さんのせいじゃありません。謝らないで下さい。それより、私、一ノ瀬くんの作った曲聞いてみたいです!」
「へ?いいけど、ちょっと待って、どの曲が良いかな……」
一ノ瀬がポケットから携帯を取り出して、音楽アプリを起動して何やら操作している。そうこうしている内に飯森も小会議室に戻ってきて、四人でわいわい話した。来週から黒川がいないのかと思うと、急激に寂しくなって彼女が帰る前にたくさん、たくさんお礼を言った。黒川の通っている大学は関東にあるので、互いの卒展を見に行こうと約束をした。
高校時代に友達がいなかった私に、教えてあげたい。
教育実習で高校に戻ったら、私の為に怒ってくれる友達ができたよ、と。
「私は画家としての澤村さんのファンでもあります。澤村さんの絵は素敵です、馬鹿にされるようなものじゃない。澤村さんがどんな絵を描くか、知りもしないで勝手なこと言わないで下さい」
「うざ。そんなん、知りたくもないし、興味もないっての」
佐々木は黒川に言い返されて、あからさまに不機嫌になった。
「興味がない?おかしいですね、ついさっき佐々木さんは澤村さんの絵の話をしていたじゃないですか」
「はあ?意味わかんないんだけど!いつあたしがそんな話したわけ⁉」
黒川は佐々木を指差した。正確には、彼女が手に持っているCDを。
「そのCDのジャケット、誰が描いたか知らないんですか?」
黒川はにやりと笑って言った。
「澤村さんですよ」
黒川の言葉に室内が一気にざわめいた。私はどうしていいか分からず、横であたふたしていた。
「はあ⁉そんなわけないでしょ!こんな有名な歌手のジャケットをなんであいつが描くのよ⁉あり得ないし!」
佐々木は黒川を怒鳴りつけた。黒川は負けじと言い返す。
「私はその歌手のファンを何年もやってるんです!ちゃんと調べてから否定してくださいよ!」
すると、実習生の一人がすぐさま携帯で検索し始めた。そしてすぐに「えっ」と悲鳴みたいな声を出して、検索画面を佐々木に向かって見せた。
「本当だ……調べたら、澤村香って名前出てくる」
「そん、な……嘘でしょ」
画面を見て、佐々木は信じられない様子で呆然としていた。
「金輪際、澤村さんの絵を馬鹿にしないで下さいね。行きましょう、澤村さん」
黒川に腕を引かれ、私は慌てて古雑誌を抱えて大会議室を出た。ドアを閉めようとしたとき、はっとして私は振り返る。佐々木と、そして一ノ瀬を馬鹿にした男達を見据えて言った。
「一ノ瀬くんだって、すでにプロの作曲家として活動してます!彼の曲のファンだってたくさんいる。彼のことも、もう馬鹿にしないで!」
それだけ言い残して、ばたんとドアを閉めた。黒川と逃げるように古雑誌を抱えて、階段を降りた。事務棟一階の、資源ごみ置き場の前で私達は立ち止まって顔を見合わせる。そして「怖かったぁ」と互いの声が重なった。
「ごめんなさい、勝手に……」
「いいよ、黒川さん。言い返してくれてありがとう」
「私、エミーの大ファンだからもうあの状況が許せなくて」
「偶然とはいえ、私の絵が描いてあるCD持って馬鹿にしてくるなんてよく考えたら笑えるね」
「確かに、よく考えたら笑えますね。私はエミーと澤村さんのファンだから、怒りが先に来ちゃったけど」
エミーというのは、さっき話題になっていたCDの歌手の愛称だ。
彼女はエマという名前で活動している米国の女性シンガーだ。世界的に有名な歌手だが、何故か一昨年、私のSNSに突然彼女から英文のメールが届いたのだ。
作品と作業工程を淡々と載せるだけのSNSに有名歌手の名前でメールが届き、その内容は「偶然あなたの絵を見てファンになった、私の絵を描いてほしい」とあった。どう考えても詐欺だと思った。無視していたらしつこくメールがきて、さらに無視していたらついには大学に彼女の代理人がきてしまう事態になった。
それからあれよあれよと話が進み、気付いたら私は米国に連れて行かれ、彼女と会い、彼女を描いていた。そうして出来上がったのが件のCDのジャケットだった。
歌のタイトルが未完成だというので、彼女と相談して、彼女の顔の半分は下書きの状態で、もう半分は忠実に、繊細に、そのままの彼女を描いた。
強く、気高い歌手の仮面を被った、本当はナイーブな彼女を。
その絵を彼女はたいそう気に入って、とんでもない金額で絵を買い取ってくれた。税金の申告が大変だったことが一番の苦労だったと思い返していた。
「あのお姉さんって、そんなに人気者だったんだね。私、あんまり音楽聞かないから実感が無くて。強引だったけど、優しくて気のいいお姉さんだった。ごはんいっぱい奢ってくれたし」
「私生活のエミー……!私生活でも姉御肌で優しいんですね!」
黒川は歌手の大ファンらしく、私のSNSもその歌手がフォローしていたから知ったらしい。
古雑誌を捨てて、実技棟に戻るのに大会議室を避けて、遠回りしながら歩いた。小会議室に入ろうとしたとき、黒川がそう言えば、と思い出したように口を開く。
「さっき一ノ瀬くんのことも言ってたましたけど……一ノ瀬くんってプロの作曲家なんですか?」
「あ……!そうだ、腹が立って一ノ瀬くんのこと勝手に言っちゃった!どうしよう」
「俺がどうかした?」
背後から唐突に声がして、私は肩を跳ね上げた。振り返ると、やはり目の前にネクタイがある。背の高い彼を私はいつも見上げなくてはならない。
「一ノ瀬くん!」
一ノ瀬はにこにこと人の良い笑みを浮かべて「どうしたの?」と尋ねる。私は慌てて事の次第を伝える。
「そんなわけで、勝手に一ノ瀬くんのこと話しちゃった。ごめんなさい」
「深刻な顔するからどんな大ごとかと思ったら、そんなことか。構わないよ。普通に本名で活動してるし、隠してるわけでもない。実習中だから、生徒に変に騒がれると面倒だから生徒には言わないでほしいけど」
「良かった……ごめんね、ついムキになって」
「俺の為に怒ってくれたんでしょ?」
「だって、ね、黒川さん!あの人たち酷いかったよね⁉」
黒川は首が取れそうなくらい大きく頷いた。
「芸術に恨みでもあるのかってくらい酷い言い様でしたよ。佐々木さんが澤村さんにあまりに酷いこと言うんで、私も我慢できなくて怒ってしまいました」
「黒川さんを怒らせるなんて、相当だな……」
「今日で最後なのに私のせいで嫌な思いさせてごめんね、黒川さん」
「澤村さんのせいじゃありません。謝らないで下さい。それより、私、一ノ瀬くんの作った曲聞いてみたいです!」
「へ?いいけど、ちょっと待って、どの曲が良いかな……」
一ノ瀬がポケットから携帯を取り出して、音楽アプリを起動して何やら操作している。そうこうしている内に飯森も小会議室に戻ってきて、四人でわいわい話した。来週から黒川がいないのかと思うと、急激に寂しくなって彼女が帰る前にたくさん、たくさんお礼を言った。黒川の通っている大学は関東にあるので、互いの卒展を見に行こうと約束をした。
高校時代に友達がいなかった私に、教えてあげたい。
教育実習で高校に戻ったら、私の為に怒ってくれる友達ができたよ、と。