***
教育実習が始まって、早数日。
未だに朝と帰りのホームルームは緊張するけれど、先生モドキとしてどうにか過ごしていた。先生と呼ばれても、最初は違和感しかなかったが、何度も呼ばれ続けると不思議と馴染んでくるものだった。
実習は想像以上に忙しくて、佐々木美希と接触することもほとんどなく、指導案を作っている時以外はほとんど走り回っていた。
指導案は授業の設計図だ。どんなテーマで、どんなめあてや目標を持って授業を行うのか、評価基準や授業の時間配分などを事細かに計画して、授業を円滑に進めるためのものである。
教育実習生は素人同然なので、まずは指導案を作って教員にチェックしてもらう。指導案がなくては実習生は授業ができないのだ。
そして、肝心の指導案の作成はなかなかに難航していた。
「導入が弱いかな。最初の五分、だらだら説明するんじゃなくて、導入でいかに生徒の興味を引くかがその後の授業に関わってくる。生徒っていい意味でも悪い意味でも正直だからさ。つまらない授業って本当に聞いてくれないわけだよ。澤村さん」
「はい……」
「人物画の歴史話なんてね、君みたいな美大生は大好物かもしれないけれど、高校の授業でやったらものの数分で何人かは夢の世界行きだよ。もうちょっと素人でも興味を引く簡単な内容で話し始めないとねえ。ましてや、実技科目は舐められがちというか、生徒も休憩気分で来ちゃうから余計にね」
「はい……」
「時間配分だけど準備と片づけに五分ずつ取ってね。休み時間まで押しちゃうと次の授業の先生に迷惑かけちゃうから。やりたいことや伝えたいことがたくさんあるのは結構だけど、時間配分は余裕を持つべきだ。我々、実技は特に。まあ、授業の内容は悪くないから、もう少し修正してきなさい。以上です」
「はい、ありがとうございました……」
がっくりしながら、赤ペンが幾つも入った指導案を抱えて私は美術準備室を出た。大学の授業で指導案作りや模擬授業をしたこともあったが、やはり実際に学校で授業するとなると全く別物だ。高岡先生に指摘されることはその通りのことばかりで、もしこの指導案のとおりに授業をしていたら大惨事になっただろうな、と真っ赤になった指導案を見ながら思った。
指導案を抱えて小会議室に戻ると、一ノ瀬と黒川も同じように指導案で頭を悩ませていた。
「二人ともお疲れ様」
二人は疲れた顔で「お疲れ様」と言いながら顔を上げた。
「高校生の頃とか、授業の一時間がすごく長く感じたのに、指導案作ってると時間足りねー⁉ってなんない?」
「なる!」
「なりますね!」
私と黒川は首が取れそうなくらい大いに頷いた。
「何気なく授業受けてたけど、一時間でしっかり内容を収めて教えてくれていた先生たちに、俺は今猛烈に感謝してる。先生たち、すごいわ。あー、疲れた!」
一ノ瀬はぐっと背中を反らして、伸びをした。私は空いている椅子に座った。
「そう言えば、二人はどんなテーマで授業するの?」
「私は古典臨書を……えーと、美術で言うところのデッサンみたいなことをします」
黒川の広げていた教科書の字を見て私は思わず「難しそう」と呟いた。
「書いてみると楽しいものですよ。一ノ瀬くんは授業で何を?」
「俺は作曲の授業をする予定だよ。俺、音大って言っても作曲科なんだよね」
「一ノ瀬くん、曲とか作るの?すごい!」
「理論を学べば、誰でもできるよ。良し悪しは別としてだけど。澤村さんは授業で何するの?」
「私は人物画……っていうか、自画像を描かせる予定なの。なかなか指導案、うまく書けないけど」
「それは俺も同じ」
「私もです」
三人とも添削で赤だらけになった指導案を見せ合って笑った。
「黒川さんと澤村さんは放課後、部活も出てるんでしょ?大変だね」
「書道部はもともとゆったりした部なのでそうでもないですよ」
「私も美術部は先生が忙しい時に少しアドバイスするくらいしかやってないよ。一ノ瀬くんは部活やってなかったの?」
「俺、放課後は受験対策でピアノ教室に通ってたから部活してないんだ。でも昨日の放課後、教頭が暇でしょって言って俺とか部活やってなかった奴らを集めて、倉庫片づけたりちょっとした雑用の手伝いしたよ」
「それはそれで大変そうですね」
「今後もたまに呼ぶからさっさと指導案を終わらせろって言われたんだけど、全然終わりそうにない。音楽の静先生って高校の時も普通に怖かったけど、実習生の立場だと倍怖い。いや……百倍?」
「ハキハキした感じのかっこいい女性の先生だよね?」
「歩いている姿もきりっとしてて格好いいですよね、あの先生」
「そう!指示的確だし、超いい先生なんだよ!でも怖い」
「一ノ瀬くんみたいなちゃらついた感じの男子に容赦なさそうだもんね」
「だからそれ誤解だって!」
「じゃあ、実習前の髪色は?」
「うっ、ちょっと明るい色だった時はありました……」
「普通にチャラチャラしてますね」
「黒川さんまで!でも、静先生にも初見でお前チャラチャラしてるなって言われた。実習に向けてちゃんと黒髪にしたのに」
「普通に見抜かれてるじゃん」
教育実習が始まって、早数日。
未だに朝と帰りのホームルームは緊張するけれど、先生モドキとしてどうにか過ごしていた。先生と呼ばれても、最初は違和感しかなかったが、何度も呼ばれ続けると不思議と馴染んでくるものだった。
実習は想像以上に忙しくて、佐々木美希と接触することもほとんどなく、指導案を作っている時以外はほとんど走り回っていた。
指導案は授業の設計図だ。どんなテーマで、どんなめあてや目標を持って授業を行うのか、評価基準や授業の時間配分などを事細かに計画して、授業を円滑に進めるためのものである。
教育実習生は素人同然なので、まずは指導案を作って教員にチェックしてもらう。指導案がなくては実習生は授業ができないのだ。
そして、肝心の指導案の作成はなかなかに難航していた。
「導入が弱いかな。最初の五分、だらだら説明するんじゃなくて、導入でいかに生徒の興味を引くかがその後の授業に関わってくる。生徒っていい意味でも悪い意味でも正直だからさ。つまらない授業って本当に聞いてくれないわけだよ。澤村さん」
「はい……」
「人物画の歴史話なんてね、君みたいな美大生は大好物かもしれないけれど、高校の授業でやったらものの数分で何人かは夢の世界行きだよ。もうちょっと素人でも興味を引く簡単な内容で話し始めないとねえ。ましてや、実技科目は舐められがちというか、生徒も休憩気分で来ちゃうから余計にね」
「はい……」
「時間配分だけど準備と片づけに五分ずつ取ってね。休み時間まで押しちゃうと次の授業の先生に迷惑かけちゃうから。やりたいことや伝えたいことがたくさんあるのは結構だけど、時間配分は余裕を持つべきだ。我々、実技は特に。まあ、授業の内容は悪くないから、もう少し修正してきなさい。以上です」
「はい、ありがとうございました……」
がっくりしながら、赤ペンが幾つも入った指導案を抱えて私は美術準備室を出た。大学の授業で指導案作りや模擬授業をしたこともあったが、やはり実際に学校で授業するとなると全く別物だ。高岡先生に指摘されることはその通りのことばかりで、もしこの指導案のとおりに授業をしていたら大惨事になっただろうな、と真っ赤になった指導案を見ながら思った。
指導案を抱えて小会議室に戻ると、一ノ瀬と黒川も同じように指導案で頭を悩ませていた。
「二人ともお疲れ様」
二人は疲れた顔で「お疲れ様」と言いながら顔を上げた。
「高校生の頃とか、授業の一時間がすごく長く感じたのに、指導案作ってると時間足りねー⁉ってなんない?」
「なる!」
「なりますね!」
私と黒川は首が取れそうなくらい大いに頷いた。
「何気なく授業受けてたけど、一時間でしっかり内容を収めて教えてくれていた先生たちに、俺は今猛烈に感謝してる。先生たち、すごいわ。あー、疲れた!」
一ノ瀬はぐっと背中を反らして、伸びをした。私は空いている椅子に座った。
「そう言えば、二人はどんなテーマで授業するの?」
「私は古典臨書を……えーと、美術で言うところのデッサンみたいなことをします」
黒川の広げていた教科書の字を見て私は思わず「難しそう」と呟いた。
「書いてみると楽しいものですよ。一ノ瀬くんは授業で何を?」
「俺は作曲の授業をする予定だよ。俺、音大って言っても作曲科なんだよね」
「一ノ瀬くん、曲とか作るの?すごい!」
「理論を学べば、誰でもできるよ。良し悪しは別としてだけど。澤村さんは授業で何するの?」
「私は人物画……っていうか、自画像を描かせる予定なの。なかなか指導案、うまく書けないけど」
「それは俺も同じ」
「私もです」
三人とも添削で赤だらけになった指導案を見せ合って笑った。
「黒川さんと澤村さんは放課後、部活も出てるんでしょ?大変だね」
「書道部はもともとゆったりした部なのでそうでもないですよ」
「私も美術部は先生が忙しい時に少しアドバイスするくらいしかやってないよ。一ノ瀬くんは部活やってなかったの?」
「俺、放課後は受験対策でピアノ教室に通ってたから部活してないんだ。でも昨日の放課後、教頭が暇でしょって言って俺とか部活やってなかった奴らを集めて、倉庫片づけたりちょっとした雑用の手伝いしたよ」
「それはそれで大変そうですね」
「今後もたまに呼ぶからさっさと指導案を終わらせろって言われたんだけど、全然終わりそうにない。音楽の静先生って高校の時も普通に怖かったけど、実習生の立場だと倍怖い。いや……百倍?」
「ハキハキした感じのかっこいい女性の先生だよね?」
「歩いている姿もきりっとしてて格好いいですよね、あの先生」
「そう!指示的確だし、超いい先生なんだよ!でも怖い」
「一ノ瀬くんみたいなちゃらついた感じの男子に容赦なさそうだもんね」
「だからそれ誤解だって!」
「じゃあ、実習前の髪色は?」
「うっ、ちょっと明るい色だった時はありました……」
「普通にチャラチャラしてますね」
「黒川さんまで!でも、静先生にも初見でお前チャラチャラしてるなって言われた。実習に向けてちゃんと黒髪にしたのに」
「普通に見抜かれてるじゃん」