「あの、ルキさんはどうしてわたしのところに……?」
「きみが一途に白神ヒトヤを見ていたのは知っているからね」
「えっ、わ……恥ずかしい……誰にも気付かれてないと思ってたのに……。ルキさんは、誰よりわたしを見ててくれたんですね」
「……まあね。それが僕の仕事だから」
「なるほど、お仕事熱心なんですね!」
天使のふりをした僕は羽根を引っ込めたまま、ノエルにだけ見える姿で常に傍に居ることにした。今までのように遠くから見守るよりも、そちらの方が効率がよかった。
いつもひとりぼっちなノエルは独り言のように僕と会話するけれど、周りの人達はそんな奇行も気にしない。元から浮いているのか、そもそも関わりたくないとでも思われているのか。
確かに、何もないところで盛大に転んだり、買ったばかりのアイスクリームを一口も食べず落としたりする彼女だから、近付いたら何かしらの被害を受ける可能性もあるけれど。
一人慣れしているノエルは話し相手が出来たのが嬉しいようで、ことあるごとにそわそわとした様子で僕に話しかけてきた。
そんな彼女の不幸を願って傍に居るというのに、何かにつけて感謝されたり褒められたりして、どうにも調子が狂った。
「……あのさノエル。恋愛より、まずは友達作りが先じゃないか? 僕以外にも話し相手を作れ」
「えっ?」
「他人とのコミュニケーションに慣れないと、好きな男と話すなんて夢のまた夢だろ」
「そ、それはそうかもですけど……わたし、友達なんてそんな……」
「とりあえず時間ないから巻きで。今日中に友達確保して」
「ええ!?」
僕の指導はスパルタだ。誰かに声をかけて会話が成立するまでおやつ抜き。彼女は渋々従った。
「ほら、例えばあのメガネの子。いつも図書室でノエルの好きな本読んでるから、話し合うんじゃない?」
「わたしの好きな本知ってるんですか?」
「あとそっちのポニーテールの子は白神ヒトヤの部活のマネージャーだけど彼氏持ちだから、仲良くなればライバルにならずにヒトヤの話が聞けるはず」
「なんでそんなの知ってるんです……?」
「悪……、天使の情報網的な」
「へえ、すごい……さすが天使」
「とりあえず、その辺の共通の話題があれば話せるだろ」
「や、やってみます! ……えっと、あの、そちらの知的なメガネの方、すみません……!」
「いや、声のかけ方……」
クラスメイト相手とは思えない出だしに失敗を覚悟したものの、ノエルにしか見えない僕の存在は、とても役に立った。
いつもなら一人で過ごす昼休み、僕が隣で時にはアドバイス、時にはフォローしながら何とかクラスメイトと世間話を繰り広げた彼女は、放課後興奮気味に喜びをあらわにした。
「お話、出来ました……!」
「ん。良く頑張ったじゃん」
「ルキさんのおかげです、ありがとうございます!」
「それはそう。もっと崇めて」
「素晴らしい天使様ありがとうございます……!」
「……うん。僕は、天使だから」
ノエルは荒療治の甲斐もあってどうやら他人への苦手意識は減ったようで、翌日には自分から、まずは挨拶することから挑戦し始めた。一日言葉を発しないこともあった彼女としては、大きな進歩だった。
俯いてばかりだった彼女は、次第に背を伸ばして歩くようになった。
ひとりぼっちだった彼女は、笑顔で友達と呼べる子と過ごすようになった。
好きな相手と廊下ですれ違っても、逃げるようにすることはなくなった。それどころか、会釈したり、すれ違う瞬間も目で追って笑顔を浮かべることすらあった。
「……白神ヒトヤも、ノエルのことちゃんと認識したみたいだな」
「え?」
「よし、次は見た目。もうちょっと気を遣って。率直にダサい」
「え!?」
彼女に派手な格好は似合わないし、無理に背伸びしたところで意味がない。
ありのままの彼女の魅力は、僕が一番知っている。
髪型を工夫したり、制服の着こなしを少し変えるだけで、野暮ったい印象は拭えるだろう。
あとは適当に、色付きリップのひとつ程度でいい。彼女の笑顔に彩りを添えれば、それだけで十分だ。
見た目が変われば意識も変わって、周りからの視線も変わる。友達も出来近頃明るくなったノエルに、これまで無関心を貫いてきたクラスメイトたちも声をかけるようになった。
これでいい。人並みになって、自信さえ持てればその内ヒトヤに告白するだろう。そうしたら、フラれてまた自信喪失するかもしれないけれど。
僕がこんなにも努力しているのは、あくまで食事のため。労働の後のご飯って特に美味しいし。
ノエルが誰を好きで告白しようと、僕には関係ない。
フラれたノエルが傷付いたところで、僕には関係ない。
「……あと振る舞いも直した方がいい。ノエルは注意力散漫なんだから、気を付けて。歩く時ぼんやりしない。転けるから」
「わ、わかりました!」
アドバイスするのも、親身になるのも、ノエルに自信を持たせてヒトヤに告白させるため。
目的は最初から変わらない。なのに、何故だか胸のもやもやは増える一方だ。
「喋り方もさ、どうにかなんない? 慣れないのはわかるけど友達相手にも敬語なのは距離あるからさ、もっとフランクでいいと思う」
「なるほど……じゃあ、ルキさんにも敬語じゃなくていい、かな?」
「は……?」
「だって、わたしの初めてのお友達だから……」
「……悪魔が友達なんて、笑わせる……」
「え?」
「ううん……何でもない。僕を喋りの練習台にでもしたら?」
「……うん!」
気付けば彼女には笑顔が増えて、日々いい方向に変わっていく。
ヒトヤに告白する勇気を持つためのただの過程のはずなのに、いつまでもこうして見守っていたいだなんて、おかしな話だ。
彼女と過ごすようになってから、そろそろ一ヶ月。定めた期限は刻一刻と迫っていた。
そんなある日、やっぱり夜中まで勉強を頑張っていたノエルは、不意にやけに改まった様子で振り返り、手持ち無沙汰に本を読んでいた僕に向き直る。
「……ねえ、ルキさん」
「ん?」
「わたし、あなたに会えてよかった」
「は……? 何、いきなり」
「あの日、あなたがわたしの前に現れてから、素敵なことばかりだなぁって」
彼女は約一ヶ月前の出会いの夜を思い返すように、懐かしそうに微笑む。
思い返せばあの夜、天使だなんて嘘をつかなければ、こんな面倒なことにも、こんな気持ちにもならなかったのだろうか。
「あの日ね、わたし、本当は死んじゃいたいなって思って泣いてたの」
「え……っ」
「どうしようもないダメな自分が嫌で、本当は、消えちゃいたかった……そんな時に、あなたが現れた」
眠い目を擦るようにして勉強していた彼女は、本当は涙を拭っていたのかと、今更になって知る。
弱気で自信のない彼女は、それでも僕が来てから、スパルタ指導にだって一度の泣き言も吐かなかった。だから、彼女の泣き顔なんて見たことがなかったのに。
「でもね、あなたがこんなわたしを変えてくれた……あなたが居たから頑張れた、あなたがわたしに勇気をくれた」
あの夜、天使だなんて嘘をつかなければ、この感謝も素直に受け入れられたのだろうか。否、そもそも僕は悪魔だ。もとから感謝なんてされる立場にない。
「だからね、わたし……明日、告白する!」
決意のこもったノエルの言葉に、胸が痛んだ。
目的達成。喜ぶべきことなのに、明日が来ないで欲しいとさえ思った。それでも、僕は言葉を絞り出す。
「そっか……ノエルなら、きっとうまくいく。頑張れ」
「うん! 頼れる天使様がついてるもんね!」
満面の笑みを浮かべる彼女は、随分明るくなったし、可愛くなった。何ならクラスの男子から告白紛いのアプローチだって受けた。
あいにく、ノエルはヒトヤのことしか眼中にないから、そのアプローチに気付きすらしなかったけれど。
ノエルは交遊関係を広げても、変わらず一途にヒトヤを好きで居続けた。近頃よく目が合うし、軽く会話したり遠くから手を振ったりすることもあった。
こんな彼女が、本当にフラれるのだろうか。いっそ、僕が変に手を出したせいで、いい方向に運命を変えてしまったのではないか。彼女はこのままもっと、幸せになれるのではないか。
「だとしたら、そんなの、本当に天使じゃんか……」
そんな想像をして、自嘲がこぼれる。僕はどうしたって、どんなに願ったって、今さら純粋無垢な天使にはなれない。生まれながらに悪魔なのだ。
食事のためだったはずなのに、彼女の告白が失敗して傷付くところは見たくない。
けれど、彼女の告白が成功してあいつと両想いになるところも見たくない。そんなの、矛盾している。
もうどれが嘘でどれが本当か自分でもわからない複雑な心を持て余し、彼女におやすみを告げて部屋を出た。
久しぶりに飛びたい気分で、僕は自慢の翼を広げる。悪魔の証がやけに重たい。
そのままベランダから真夜中の空に向かって羽ばたこうとして、ふと、僕はようやく気付いた。
あの日ノエルが纏っていた失恋の気配は、彼女の失恋ではない。彼女に対する、僕のものだったのだ。
「あー……なるほど、そんなパターンもあるのか。……悪魔が失恋だなんて、本当、笑える……」
あの日と似た暗い夜空を飛びながら、僕は真上に輝く月に向かって語りかける。ノエルと居る内に、僕も誰かと話すのが癖になったようだ。
「ねえ、ずっと見てたよね? どう思う? この僕が、人間に恋をしたなんて……しかも、失恋するなんてさぁ、皮肉なものだよね。これまで散々、恋心を食い物にしてきた罰なのかな……」
当然月は答えないし、相変わらず綺麗に夜を照らしている。
僕の黒い羽根も、月明かりの下ならば白い天使のように見えるのだろうか。
「……失恋の味、好きだったはずなのにさ……全然美味しくないや。変なの……」
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