「姉ちゃーん。雪、来たからパソコン借りるよー!」
「はーい、ちょっと待って! 今、下降りる!」
 ──明日、というか今日の放課後来れる? 
 いつ行けばいいのかと聞くと西条くんはあまりにも急な提案をしてきた。
 幸い塾はない。お母さんには塾の自習室で勉強してきたとでも嘘をつけばいい。
 何も問題はなかった。けれどあまりにも急だったものだから私の心の準備は西条くんの家に上がった今になっても出来ていない。
 西条くんの家は綺麗な一軒家だった。
 両親は仕事でいない時が多いらしく大学生のお姉さんと家に二人でいることが多いと言っていた。
 どすどすと大きな音がこちらに近づいてくる。お姉さんが階段を駆け降りてきているようだ。
 扉が開きお姉さんと目が合う。
「お邪魔してます」
 声は震えながらも会釈をした私に対してお姉さんはこちらを見て目を丸くしていた。
「姉ちゃん?」
「あー、ごめん、ごめん。雪ちゃん、可愛いからつい見惚れちゃった」
「もーう、姉ちゃん相変わらず可愛い女の子好きなんだから」
 明らかに誤魔化しだった。けれど西条くんはそんなお姉さんの様子に気付いていなさそうだった。
 知り合いだったりしたのかともう一度、お姉さんの顔を見ても特に心当たりはなかった。
 こちらが覚えていないのに会ったこととかありますか? なんて聞く勇気はなく私はお姉さんにお礼を言いながら菓子折りを渡し席に着く。
 既に機械に詳しいお姉さんが一番使いやすいソフトを入れておいてくれたらしく私はまだ作れていなかった所を作るだけでよくなっていた。
 とはいえ、初めてのソフトの使い方に悪戦苦闘し時間がかかる。
 もうそろそろ終わるかという時にあ、とお姉さんが声を上げた。
「朔弥、お母さんが卵買ってきてだって」
 お姉さんの言葉で西条くんはあからさまに嫌な顔をする。
「えー、姉ちゃんが行けばいいじゃん」
「朔弥に買わせてこいってご指名」
 お姉さんがスマホの画面を見せると西条くんは大きくため息をついた。
「分かったよ。雪、姉ちゃんが変なことしたらドロップキックでも何でもしていいから」
「何よー、あんたと違って私は変なことなんてしないですからー! ほらとっとと行った」
「もーう。雪! 本当にドロップキックしてくれていいから!」
「あ、う、うん……?」
 本当に本当にいいからねー! と念押しする西条くんは普段、お姉さんにどんな扱いを受けているのだろう、なんてことが気になってしまう。
 扉がガチャンと閉まりどうすればいいのか気まずい雰囲気の中、私はお姉さんに軽く会釈をすると作業を続けた。
「ねえ、雪ちゃん」
「あっ、はいっ!」
 少し前にお姉さんのことを確認した時はソファに座りながら作業をしていた様子だったのにいつの間にか隣に座っていたらしい。
「朔弥に聞いたんだけど熱心にやってくれてるんだね」
 この兄弟は仲が良いようだ。
「いえ、ただやるからには真剣にやらなきゃと思っただけです
「ふふ、そっか。真面目なんだね」
 どきりと胸が音を立てる。
 真面目。まただ。変われていたと思っていたのは私だけだったのか。やっぱりお姉ちゃんみたいに私はなれないのか。
 昔からそうだった。真面目だから、あなたは出来る。真面目だから、あなたがやらなきゃいけない。
 真面目という言葉は私を縛り付ける鎖のようなものだ。
 真面目になりたくなかった。お姉ちゃんみたいに不真面目ねと呆れられたかった。
 自由に生きたかった。西条くんの前だけでは自由に生きられていると思っていた。
 それなのにやっぱり私は真面目らしい。
「……あれ、嫌だった?」
「あ、いえいえ。そんなことは……」
 顔に出てしまっていたのかもしれないと急いで首を振る。
「私が言う真面目は堅苦しいとかそういう意味じゃないよ」
 お姉さんは私の考えを全部見透かしているようだった。
「真面目ってことは色々なものを大切に出来るってことでしょ」
 今まで誰にも言われたことのない言葉に私は戸惑う。
「それはきっと人もそうだと思う。だからお姉ちゃんとしては朔弥が雪ちゃんみたいな子と友達になってくれるのは嬉しいの」
 お姉さんは私の手を両手ですくい微笑む。 
 知らなかった。今まで真面目な自分と自由に生きたい自分は共存できないのだと思っていた。
 自由に生きたいなら真面目な自分を捨てなければいけないと思っていた。
 けれど違う。 
 私は私を変えないまま、真面目のまま自由に生きていいんだ。
 そう気がついた時、何故だか目頭が熱くなった。