半年ほど前、いつからか始めたあてもなくぶらぶらと歩く真夜中の散歩に行き先が出来た。
 それが今、私と彼がいるさびれた神社裏だ。
 住宅街からも商店街からも離れた何もない場所にぽつりと立っている誰かが管理しているのかさえも分からない神社は鳥居のあちこちが錆びていた。
 心霊スポットになってもおかしくないほどの不気味さを持つ神社は普通なら見向きもせず通り過ぎるはずだが人前にいることが疲れた私には人が寄り付かなそうなこの神社は休憩場所としてぴったりだった。
 それから半年間、毎週木曜日に足を運び夜が明ける前に何事もなかったのように家に帰るのが日常となっていた。
 そんな日常は先週、唐突に終わりを迎えた。
 その日は神社に入る前からおかしかった。
 いつもは風で葉が舞う音しか聞こえないはずの道でギターのような音がした。
 ただ聞こえたり聞こえなかったりするギターの音を私はさほど気に留めることはなく神社の中へと進んだ。
 だからこちらに気が付いた彼が私に声をかけてきた時私は飛び上がるほど驚いた。
「こんばんは」
「ひっ!」
 飛び上がった私の顔は強張っていただろう。けれど月の光だけでは顔がきちんと見えなかったからか、さほど私を驚かせたことを気にしていなかったのか彼は特に謝ることもなくぐいぐいと話しかけてきた。
「ねえ、お姉さん常連さん?」
 彼はパッとスマホの明かりを灯す。髪も格好もぼろぼろの姿を見せることが恥ずかしく目を逸らせば彼の足元にギターケースが置いてあるのが見えた。先ほどかすかに聞こえてきたギターの音は彼の元から発せられていたらしい。
「常連、かは分からないですけどまあ半年くらいは」
 俯きながらも逃げずに答えたのはそれだけここが私にとって大切な場所になっていたからだ。出来ることなら私の私だけの世界を取り戻したかった。
「え! 半年も。すごいですね」
 何がどうすごいのかよく分からなかったが彼と会話することが面倒だった私は特に聞き返すことはしなかった。
 ただ、私が知りたかったのは彼がこれからもここに来るつもりなのかだけだった。
「あの」
「ん?」
 彼は首を傾げる。
「これからもここに来ますか」
「んー?お姉さんは?」
 質問に質問で返すなと言いたいところをぐっと抑えて私は言う。
「私、毎週木曜日に来てるんです」
 金曜日は塾がなく学校の授業も副教科ばかりだ。だから木曜日が一番翌日に影響がないと考えて毎週足を運んでいるのに彼のせいで全てが狂ってしまう。
「だから、ここ来るなら木曜日以外にしてほしいんですけど」
「分かった」
 そうだ。あの時、確かに彼は分かったと言ったはずだ。
 そう文句を言えば彼は笑う。
「別に何を分かったかは言ってないでしょ? 俺が分かったって言ったのは雪が毎週木曜日来るって所だけだよ」
 お手本のような屁理屈を言う彼にもうこの人には何を言ってものらりくらりと交わされるのだと悟った。
 そもそも初めて会ったこの間だって私が帰ると言った時彼は言ったのだ。
「じゃあさ、最後の思い出ってことでお願いがあるんだけど」
 最後の思い出だとあの時、確かに言っていた。けれどもうあの時から彼は私と会うことを最後にするつもりはなかったのだ。
「ねえ、名前なんて言うの」
「え?」
「な、ま、え」
 彼は私が聞き取れなかったと思ったのか今度ははっきりと発音する。
 けれど私は聞き取れなかった訳ではない。ただ何故、名前を聞くのか分からなかっただけだ。
「そんなのどうでも良くないですか」
 酷く冷たい声が出る。
 けれど彼の表情が歪むことはなかった。
 もう面倒だ。彼の言葉をかわし続けるくらいならいっそ名前を口にしてしまった方が早い。
 けれどせっかくの休憩の場所で自分が大嫌いな名前を口にするのはどうしても嫌だった。
「……雪」
「雪?」
 咄嗟に出たのは私の欲しいものを全部持っているお姉ちゃんの名前だった。