再びリビングに沈黙の帳が降りる。耳が疼くほどの静けさに抗うのは、小雪に取っては勇気のいることだった。

「ありがとう、トニー。トニーこそ私に英語をたくさん教えてくれてありがとう。私は英語がすっごく苦手だったのに、今は赤点知らずになったし。トニーのおかげだよ」

ズキンという胸の痛みを無視して、小雪は努めて明るく振る舞う。トニーの言う好きは、他のクラスメイトにも何度か言っているのを小雪は知っている。君の正直なところはボクは好きだよ、とかそんな風に言っていた。だからこれは愛の告白でも何でもないのだ。トニーは感情をストレートに表現するので、それで勘違いしていた女子がトニーに告白して玉砕するのを何度か見届けたことすらある。そしてトニーは必ず、ボクには心に決めた人がいると添えるのだ。それを盗み聞いた小雪は、自分の恋が儚く散る音を聞き、夜にベッドでこっそりと涙して、淡いその恋心をたくあん石のような重りをつけ、心の底に放逐した。

(だめよ、小雪……勘違いしたら。トニーの「好き」はただの褒め言葉なんだから)

それでも少しでも自分に好意があると思ってしまう小雪は、まるで最初は甘く、後味の苦い甘草を食べた気分になり、心の所在が落ち葉のごとく風に弄ばれて落ち着くことはなかった。トニーのどこか辛そうに歪めた眉も、見てみぬふりをした。

「ほとんどはコユキの努力だよ。だって授業でやる英単語とかってボクが普段使わないのも多いから。何ならボクも英語の辞書が欲しかったくらいだね。それにアメリカで使われてる英語が主流だから、あんまりボクも力になれなかった気がするんだ。まあそれでもボクは英語を教えるのは楽しかったし、英語の成績が上がってきたコユキの顔を見るのも嬉しかったよ」

からきし英語が駄目だった頃の事を思い出して懐かしそうにしている小雪に、トニーは寂しそうに微笑みかけたが、すぐに目元と口元を真っ直ぐにする。

「そうだ。コユキにお願いがあるんだ。聞いてくれる?」

灰青色が真剣に小雪を見つめるので、彼女はそれに押されるように頷く。

「ボクが今日帰る間際に、コユキに言ってほしい言葉があるんだ。ちょっと発音しにくいからここで練習して欲しいんだけど、いい?」

「うん。それはどんな言葉なの? 私の知らない英語?」

トニーはいたずらっぽく微笑んで首を振り、ゆっくりと発音する。

「テュ、ム、フェ、クラケ」