『八雲立つ地』とは言わずと知れた出雲のこと。
年に一度国中の神が集まるとされる出雲には出雲大社という大きな社があり、我が国の信仰にとって重要な地でもある。
残念ながら俺はまだ行ったことがないが、海と山に囲まれ四方八方から雲のわき立つ神秘の地だと聞く。

「あくまでのお忍びでございますから、荷物は少なめにお願いいたします」
「ああ、わかっている」

すでに自分の支度を終えたらしい宗太郎が、俺の荷造りを心配をしている。
いい加減過保護だなあとは思うが、初めて宮殿を離れる俺を心配する気持ちはわからなくもない。

「表向きには宮殿に籠っておられることになっていることを、くれぐれもお忘れないようにお願いしたします」
「ああ」
しつこいなとは思いながら、俺は素直にうなずいた。

先日成年式を終え晴れて皇太子となった俺は、昔からの言い伝えに習い3カ月間屋敷に困って神に祈りをささげることになっている。
その間は公的な行事も一切入ってこないため、この時間を利用して出雲へ行くことにしたのだ。
本来なら神に祈るための時間であるのだが、これもまた「己の道を行け」と仰った神の思し召しと信じて向かうことにした。

***

「出雲は雪深い土地でございますから、温かい服をご用意いたしますね」
「ああ、頼む」

いつの間にか荷造りを始めていた千景に自分でするからいいとは言い難く、任せることにする。
今回のことを知っているのは父上と宗太郎と千景と、後は俺の影武者になってくれる侍従だけ。
皆口が堅いから外に漏れることはないだろうが、俺が都にいることになっている以上現地で不測の事態に見舞われても自力で何とかするしかない。
そう言う意味では、自分の身は自分で守るしかないわけだ。

「なあ宗太郎、明日宮殿を出た後は俺のことを『ハク』と呼んでくれ。間違っても『珀斗様』なんて呼ぶんじゃないぞ」
「しかし」

事前に言っておかなければ旅先でも様付で呼ばれそうで念を押したのだが、やはり宗太郎は困った顔になった。

「とにかく怪しまれないのが一番なのだから、そのように頼む」
「・・・はい」

不満そうではあったが、宗太郎は承知してくれた。
これから先2人で旅をするからには周りから見て主従関係を気づかれない方がいいに決まっている。あくまでも友人同士の二人連れを俺は装いたいのだ。

「おっしゃる通り街中でお呼びすることを考慮して、『ハク』呼ばせていただきます。その代わり珀斗様も私の意見をお聞き入れ下さい。普段のように後先考えずに行動されたのでは困ります」

そんなことはしていないと言い返したいところだが、思い当たることが多すぎて言葉が止まった。
確かにすぐに体が動いてしまうことは否定しない。そのことで宗太郎に文句を言われることも多々あるし、俺が何をしても宗太郎をはじめとする側近たちがいてくれるからと安心しているのは事実かもしれない。

「わかった、気を付ける」
言い負けるようで悔しさはあるものの、自覚がある以上はおとなしく認めるしかないだろう。

***

「では、参りましょう」
「ああ」

翌日、宗太郎と二人で大きな荷物を持って宮殿を出たのは夜明け前のこと。
普段は使わない通用口に行くと見慣れない車が一台停まっていて、俺の姿を見つけると運転手らしき男性が出てきてドアを開けてくれた。

「人目につかぬようにと小さな車にいたしましたので、狭いかもしれなせんがご勘弁ください」
「いや、かまわない」

電気もガスも通るようになり列車網も国中を網羅するようになった昨今では車も乗り合いバスも珍しくはなくなったが、それでも自家用車の台数は限られている。
ましてや王宮の印をつけた黒塗りの車が走っていれば、目立つに決まっている。
そう言う意味では使い古した感のある小さな自動車の方がありがたい。

「朝一番の列車を予約してはおりますが、出雲までは半日ほどかかる予定です」
「わかっている。宗太郎も少し休んでおけ」
俺を気遣って声をかけてくれた宗太郎に返事をして、俺もシートに体を預けた。

朝早く出発してもつくのは夕刻で、それだけ出雲は遠いところだ。
気候的にもかなり寒いと聞くし、移動の間にできるだけ体を休めておいた方がいいだろう。

***

「帽子を持ってこられたのですね」
俺が座席に置いた帽子を見て、宗太郎が意味ありげな顔をする。

「ああ、千景に持たされた」
「そうですか」

出雲大社へ正式参詣となれば正装の必要があるし、そうなれば帽子だって必要になる。
しかし二十歳の男二人の旅行であれば当然普段着だし、帽子だって必要ない。
それでも俺を赤ん坊の頃から育てた千景には思いがあっての行動だと理解しているから、おとなしく持ってきた。

「申し訳ありません」

宗太郎の口から出た言葉は、母に代わっても侘びなのだろう。
しかし、謝ってもらう必要はない。

「気にすることはない。千景には千景の思いがあるのだし、そうなるだけの過去もあるのだとわかっている」
「しかし・・・」

宗太郎の困った顔。
俺はあまり気にはしていないのだが、宗太郎や千景にとっては複雑な思いがあるのだろう。
千景が俺に帽子をかぶらせたい訳、それは・・・

***

我が国の国民の特徴は漆黒の髪に黒い瞳と白い肌。
顔立ちや体格には個々に違いがあるが、髪色と瞳の色、透き通るような肌だけは共通した特徴と言える。
そんな中で、俺は金色の髪で生まれてきた。
それも、王家では珍しい男女の双子。
一緒に生まれた妹は漆黒の髪をしていたために、俺は呪われた子ではないかと随分騒がれたらしい。
乳母として俺と妹を育てていた千景は周囲からの心無い声に胸を痛め、俺にはいつも帽子をかぶらせていた。
俺自身の子供時代の記憶にも、真夏の暑い日に帽子をかぶらされた覚えがある。
それはある種、千景にとってもトラウマなのだろう。

「私から注意しておきます」
帽子を自分の鞄へとしまいながら、宗太郎はペコリと頭を下げた。

「いや、いい。千景にわざわざ悲しいことを思い出させる必要はない」
「・・・承知しました」

***

今、俺の髪は漆黒だ。
この国では生まれるはずのない金色の髪を持って生まれた俺は、3歳の時宮殿内の池に落ちて溺れ生死をさまよった。
半月もの間意識が戻らなかったらしく、本当に瀕死だったようだ。
しかし奇跡的に意識を取り戻し、1月ほど寝込んだのちに元気になった。
その時、金色の髪はすべて抜け落ちて漆黒の髪に生え変わったらしい。
実は、俺と一緒に池に落ちた妹が溺れて命を落としたため、漆黒の髪色だった妹の魂が乗り移ったのではないかと秘かに噂されている。
そんな事情もあり、もし俺の髪色の話題を口にすれば千景は妹のことを思い出すだろう。
だから、できるだけその話題には触れたくない。
俺が帽子をかぶって千景の気が済むのならそれでいいじゃないかと思っている。

「俺はつくづく兄弟運のない人間らしいな」
深い意味はなく、自虐的に口にした。

本来世継ぎであった兄は10年前から行方知れずで、共に生を受けた妹も不慮の事故により亡くなってしまった。
それ故に今この国に残された王位継承者は俺しかいないのだから、世間から見れば悲運の皇子に見えることだろう。

「珀斗さまは一人ではございません。私が付いております」
「ああ、わかっている」

皆に支えられて俺はここにいる。
そのことには感謝もしているし信頼だってしているが、数奇な運命であることに違いはないだろう。
それに、

「ハクと呼んでくれと言ったはずだが?」
「ああ、そうでした」
やはり宗太郎もすぐには慣れないらしい。