あの場所から我が家に帰還した後、ワタシは力を使い果たしたのか、実態を保つのも困難になっていた。
 形の定まらない靄のような存在となり、彼女の周りを漂っていた。
 この時のワタシの自我は曖昧で、栞恩に何があったのか、詳しいことが何も分からなかった。
 それでも、栞恩の心が死んでいくのを感じていた。
 
 時が流れ、緩やかに彼女の記憶から、ワタシという存在は薄れていった。
 栞恩がワタシを忘れても、消滅することはない。
 何故なら、ワタシの核は別の所にあるからだ。
 ただそれも徐々に失われつつあり、ワタシの寿命も遂に尽きるのか、と覚悟していた頃。
 ある人物との出会いが私達の運命と呼べるものを大きく変え、ある悲劇への引金を引くことになった。
 それは皮肉にも居鶴の置き土産から始まった。


 青年は名を燐灯と言った。
 彼が家にやってきてから少しづづ、栞恩を取り巻いていた絶望感が緩くなっていくのを感じた。
 それを決定づける出来事はやはり、居鶴が残したあの本だ。
 間違いなくあれが、二人を繋ぎ止めた。
 もちろん、燐灯の人柄も要因だろう。
 居鶴を非常に慕っていたのも、彼女の心を溶かす足掛りになった。
 更に自然と居鶴の話題になると、栞恩も素直に思い出に浸っていた。
 そのおかげもあってこの頃、再びワタシの存在は安定していた。
 
 実を言うと、理由はそれだけではない。
 二人を繋いで夢になった本には、新たに付喪神が生まれる力を宿していた。
 ただ顕現出来るほどの力は無かった為、ワタシの憑代とする形で、有り難く共存させて貰った。
 ソレとワタシは成り立ちが近しく、よく馴染んだ。
 一つ難点を挙げるなら、栞恩はある場所に仕舞い込んでしまったので、ワタシはその周辺から動けなくなった。

 栞恩は極力他人との交流を絶っており、外出も滅多にしない。
 そんな中、交流が唯一あったのは、燐灯ただ一人。
 しかしどれだけ親しくなろうとも、栞恩はずっと一線引いた状態を保ち続け、燐灯もそれは承知していたらしかった。

 二人は不思議な距離感で逢瀬を重ねていた。