「光希くん遅い!」
夏休みが始まって三日目。今日は約束通り、朱莉と二人で出かけることになっている。
前日にどこに行くか話したが、僕が意見を出さないからか、朱莉がしびれを切らして映画に行くことを提案してきた。
9時30分に家に来て欲しいと、朱莉に言われたので、時間通りに行ったらこの有様だ。
「時間通りだろ」
「普通は10分前には着くのがマナーでしょ!」
とんでもないことを言い出す朱莉。確かに5分前行動や10分前行動を心がけろ、と中学校の時に何度も言われた。
生憎、僕には誰かとどこかに行くという機会が少ないので、あんまり気にしていない。玄関から出てきた朱莉はとても夏らしい服装をしている。
白のブラウスをデニムに合わせたコーデ。白で統一された彼女の姿は清潔感がある。
いつもの子供っぽい雰囲気とは異なり、今日はとても大人っぽさが漂う。
「それじゃあ行こう!」
ノリノリな彼女の半歩後ろをついて行く。最初に向かったのは映画館だ。
僕たちはチケットを買い、アナウンスがなるまで待機する。今日見る映画はホラー映画だ。僕はそこまでホラーは得意では無いが、朱莉が見たいとうるさかったので見ることにした。
一応どんな映画か下調べをしたが、今から僕たちが見る映画はかなり怖いらしい。今回の映画を作成した監督は、超絶怖いと有名なホラー映画を何本も作成しているプロ。
だから今回の映画も怖いと有名だ。そして、開演10分前を知らせるアナウンスが鳴り、僕たちは中へと入る。
チケットに書かれている席に座り、映画が始まるのを待つ。いつも通り始まるまでは少し時間がある。
テレビなどの予告と比べ、なぜ映画館での予告は、その映画を見たくなってしまうのか。いつも不思議に思う。
幕間の時間も終わり、明かりが消える。
「始まるね」
耳元で小さく呟く朱莉。彼女からは微塵も恐怖を感じなかった。もしかしたら怖いのが得意なのかもしれない。と思ったが、そんなことは無かった。
映画の始まりと同時に、観客をビビらせるような大きな音が館内に響く。不意打ちをつかれ、声が出そうになったのを必死に抑える。
隣にいる朱莉も身体をビクッと震わせていたのが少し面白かった。ネットの情報通り、怖いシーンはとても多い。
僕たちは終始声を出さないように気をつけていた。映画もクライマックスに差し掛かり、緊迫した空気が流れる。
最後の最後、映画が終わる瞬間に大きな音と霊がスクリーンに映し出される。もう完全に来ないと思っていたので、完全にやられた。
映画の内容は面白く、最初から最後までドキドキハラハラしていた。
「面白かったね、それじゃあ行こっか」
館内の明かりがつき、移動しようと朱莉に声をかける。
「あ、あのー光希くん・・・・・・その・・・・・・」
「ん? どうした?」
彼女は座ったままどこか申し訳なさそうな表情で、何かを言おうとしている。彼女にしては珍しい光景だ。
「怖くて腰抜けちゃったのでよろしければ手を貸してください・・・・・・」
下を向いて恥ずかしそうに言う朱莉。僕はその姿が面白く、つい吹き出してしまった。
「そんなに笑わないでよ・・・・・・」
更に顔を赤らめて言う彼女はどこか愛おしかった。
「しょうがないな、はい」
僕は彼女に手を差し伸べる。彼女の白く細い指が僕の手に触れる。
──ドクン・・・・・・
彼女の手が触れた瞬間、僕の鼓動が早まる。次は僕の方が顔を赤くする。
決して朱莉のことが好きな訳では無い。なのになぜ触れられただけで顔を赤くしているんだ。
僕はそんなことを思ったが、これまで女子とほとんど関わりを持たなかったのだから仕方がない。
「ありがとう・・・・・・」
席を立った彼女は、小さく呟いて手を離した。手のひらには微かに残る彼女の温もり。
しばし僕たちの間には沈黙が流れる。どうにかこの状況を打開できないのか。
そう思った僕は、咄嗟に口を開く。
「あの映画思った以上に怖かったね」
こんな風に話題に困った時は、映画の感想を話せば良いとネットで見たことがある。もしもの時に調べておいたことは、僕だけの秘密だ。
「本当にそう! 私腰抜かしそうだったもん!」
まぁ抜かしたんだけどね、と笑いながら彼女は話す。まるでさっきの光景は嘘かのように。
その後は朱莉に連れ回されっぱなしだった。あの服みたい、とか、あのキーホルダーかわいい、とか色んなお店を行ったり来たりする。
僕はただ楽しそうに見て回る彼女の後ろを着いていくだけ。
「光希くんは何か見たいものないの?」
約一時間以上も歩き続けて、もう見るものが無くなったのか、彼女は僕に尋ねてくる。僕はこれと言って見たいものなんて無かった。
「特にないかな」
僕の返答に、じゃあどうしよっか、と悩み出す朱莉。普通なら僕の方がスキンシップをして、色々考えるべきなのだろう。生憎、僕は慣れていないから仕方がない。
この後の予定について、僕たちは休憩がてら話をしたが、結局まともな案は出ず、少し早いが解散するということになる。
解散と言っても家の方向が同じなため、まだ解散では無いけど。時刻はまだ五時三十分を過ぎたあたり。
夏ということもあり、外はまだだいぶ明るい。特に帰ってもやることなんてなく暇だから、僕は彼女を家まで送ることにする。
最寄りの駅で降りて二人肩を並べて歩く。その時だった。
「あそこ、煙上がってない?」
彼女が指さす方に目をやる。その方向には真っ黒な煙が空に立ち込めている。
「行ってみよう」
そう言って彼女は煙が上がっている方向に急ぎ足で向かう。僕もそのすぐ後ろを急いで着いていく。
近づくにつれ、煙はどんどん濃くなっていく。そして最初に目に映ったのは、大きく燃え盛る炎だった。
住宅一棟が燃えるほどの炎。周りには僕らと同じ野次馬ばかり。
消防に電話をしている人や、スマホで動画を撮りSNSに拡散している人もいる。近くには家の主と思わしき夫婦が避難していた。
夫婦と言ってもまだ二十歳前半ぐらいだ。家の人たちが無事なら良かった。安心したのもつかの間。
「娘が・・・・・・娘がまだ中にいるんです!」
「・・・・・・」
この炎の中にまだ人がいるだと。それにこの夫婦の年齢を考えると、娘と言うのはきっとまだ小さいだろう。
そんな子がこの中にまだ居るなんて考えるだけで鳥肌が立つ。消防車もまだ来ていない状況で、この中に入るのは不可能だ。
それに、この炎の中じゃ生きているかも分からない。僕たちは子供はただ見ていることしか出来ない。旦那さんが炎の中に入ろうとするのを、周りの男性たちが必死に止める。
「ばか! 今入ったら死ぬぞ!」
必死に叫ぶ夫婦の声はとても辛い。その場には多くの人がいる。それでも誰一人として何もすることが出来ない。
そんな自分の無力さを実感した時、
「は?」
隣にいる朱莉が動き出す。しかもそれは燃え盛る炎の方に向かって。僕は理解が追いつかない。
それでも咄嗟に彼女の腕を掴んだ。
「ばか! 危ないだろ!」
「助かるかもしれない命を放っておくことなんか出来ない!」
「子供の僕たちに何が出来るって言うんだ!」
「子供だからって何! 子供じゃ命を救えないの? そんなことないでしょ! 人の生死がかかっているのに子供だからとか言ってる場合じゃない!」
朱莉の目はいつにも増して真剣だった。だけどここで僕が手を離したら、彼女の身が危険になってしまう。
僕はなんとしても彼女を止めないといけない。
「だからって危険すぎるだろ!」
「今動かなかったらきっと後悔する」
「おい!」
僕が強く掴んでいたはずの手を、朱莉は思い切り振り払い炎の中へと入っていく。
──どうすればいいんだ
僕も急いで中に入る? でもそれは危険すぎる。
消防が来るまで待つ? それじゃあ手を遅れだ。
そんなことを考えるよりも先に、僕の体も炎の中へと動いていた。今までの僕なら絶対にこんなことはするはずが無い。
危険だとは分かっている。それでも朱莉を放っておくことなんて僕には出来ない。
周りから大人の声が聞こえる。
「おい、お前ら何してる!」
「危ないぞ戻れ!」
聞こえてくる声に僕は耳を傾けることなどなく炎の中へと入った。テレビでしか見た事がない光景が、目の前に広がっている。
火の粉を巻き上げながら、どんどん大きくなっていく。
「朱莉! どこだ!」
燃え盛る炎の中を僕は必死に進む。
「あっつ・・・・・・」
体が燃えるように熱い。さすがは炎の中。煙を吸ってしまえば、一巻の終わりだ。
できる限り体勢を低く、煙を吸わないように進む。この熱さに何分耐え切れるだろうか。
早く朱莉と女の子を連れて、ここから出ないと三人とも命を落としてしまう。
「光希くん、こっち!」
僕を呼ぶ声が聞こえ、急いで向かう。向かった先には小学生ぐらいの女の子を抱き抱えた朱莉がいた。
女の子の意識はほとんどなく、一刻を争う状況だ。
「急いで出よう」
朱莉から女の子を預かり、急いで来た道を戻る。無事に外に出ることが出来ると、遠くから消防車と救急車のサイレンが聞こえてくる。
「よかった・・・・・・」
安心したのも束の間。僕の意識は次第に遠くなっていく。
「・・・・・・きくん・・・・・・こうきくん!」
目を覚ますと、そこは救急車の中だった。どうやら僕は煙を吸いすぎて倒れたらしい。
僕たちは幸いにも何一つ命に別状はないとの事だった。そして一番の喜びは、あの女の子も煙をだいぶ吸ってしまったらしいが、命に別状は無いらしい。
一つの命を救えたことが何よりも嬉しい。だけど、僕たちは後から大人の人たちに、こっぴどく怒られた。
「生きていたから良かったけど、死んでしまったらどうするんだ」
「もうこんな危険なことはしないように」
そんな感じに言われたが、僕たちの心には全く響いて居ないだろう。だって、あそこで僕たちが行かなければ、きっとあの女の子は亡くなっていたから。
もしもあの時、行かなければきっと後悔していただろう。
後日、僕たちの元へ一通の手紙が届いた。差出人は例の夫婦からだ。丁寧に書かれた感謝の言葉を、僕と朱莉は何度も読んだ。
本当にあの子が無事でよかった。僕たちは心からそう思った。
『助かるかもしれない命を放っておくことなんか出来ない』
僕をここまで動かしたのは、きっと彼女の言葉だ。
彼女が居なければ、僕はあの子を助けることなんてなかった。

だけど、あの時の行動で疑問に思ったことがある。
何で朱莉は燃え盛る炎の中で、あんなにも平常を保てたのだろうか。
普通の人なら暑さに耐えるだけでも辛いのに。
もしかしたら彼女はなにか隠してるのかもしれない。