「おっはよー光希くん!」
教室に入った直後。どこからか飛んでくる僕に対する言葉。
明らかにその声が男子では無いことはわかる。
僕に挨拶をしてくる異性などいないはず。
だから必然的に声の主が姫野さんであることはすぐに分かった。
彼女の声が大きすぎるが故、僕に注目が集まる。
目立つことは苦手だからやめて欲しい。
「おはよう」
軽く挨拶を返し、僕は逃げるように席に着く。
女子と話してるなんてバレると男子たちにからかわれてしまう。
座った直後、予想通り周りからすごく視線を感じる。
「あいつ朱莉と仲良いの・・・・・・?」
「岩瀬のやつやるなー・・・・・・」
僕の耳に入ってくる男子たちの会話。
クラスの人気者である姫野さんが、僕に挨拶なんてしたら話題にもなるだろう。
男子たちの冷たい視線はとても痛かった。
ていうか昨日初めて話したばかりなのに、すぐに挨拶してくるもんなのか。でも彼女ならありえるか。
「光希お前朱莉ちゃんと仲良いのかよ。羨ましいなー」
僕に話しかけてきたのは去年から同じクラスの湊音だ。彼はクラスで僕が最も仲の良い友達だ。
他にも友達と呼べるやつは何人かいるが、クラス事になると、僕は湊音と共に行動している。
コミュ力がある。運動も出来る。身長も高い。バスケ部に所属していて、一年の頃から今もずっとレギュラーとして試合に出ている。
どうしてそんな彼と僕が仲がいいのか。
僕と湊音が仲良くなった理由はバスケだ。
中学の時の僕はバスケプレイヤーとして少し有名だった。足を怪我するまでは。
そのため湊音は僕のことを知っていて、話すようになり今に至る。
僕の足の怪我のことを知っている数少ない一人だ。
「別に仲いいってほどではないよ。昨日少し話しただけ」
「へー」
絶対に信用してないような返事をする湊音。
まぁいいや、と言って彼は先日行われたプロバスケの試合について話してくる。
湊音のバスケに対する思いはすごい。
プロの試合を見るために、アメリカまで行ったこともあるそうだ。
だから一度バスケの話が始まるとなかなか抜け出せない。
しかし、授業開始を知らせるチャイムがなり、彼の話は強制的に終わりを告げる。
チャイムに助けられたな。
それからの授業中、姫野さんは何度もこちらをチラチラと見てくる。
そんな彼女と目が合うので、僕は彼女の方を極力見ないように意識する。
別に目が合った所で悪いことなどないけど。
午前の授業が終わり、昼休みになるとみんな食堂へと向かう。
いつもは湊音と食べているが、残念なことに今日は彼はお弁当を忘れてしまい食堂に行ってしまった。
一人になってしまった僕も食堂に行こうと思い教室を出る。
「おっ! 光希じゃん! 一緒に昼飯食おうぜ!」
教室を出た直後、僕と小学校の頃から仲がいい向井亮太に声を掛けられる。
彼とはクラスは違うが、今も仲がいい。
「お、学校で会うの久々だね。あれ、昼練は?」
亮太はテニス部に所属していて、毎日昼練をしている。
彼のテニスをしている姿は見たことないが、噂では彼は県ベスト四に入るぐらい強いらしい。
学校で表彰されていたこともあるので、どうやら本当のようだ。
「昨日の雨でコートが使えないから今日はオフー」
嬉しそうに話す亮太。確かに昨日の雨じゃ練習は厳しいだろう。部活が好きだった僕からしては、オフの嬉しさはいまいち分からない。
「どこで食べる?」
僕の教室で食べるのでも良かったが、大半の男子は食堂に行き、教室にはほとんど女子しかいない。
そのためそこで食べるのは少し躊躇った。
「適当に空いてる教室行こうぜ」
そう言って僕たちは適当に空いてる教室を見つけ、ドアを開け中に入る。
そして机をくっ付けてお互いに弁当を食べ始める。
亮太と昼を一緒に食べるのは久々だったため、話に花が咲く。
「光希はもうバスケはやらないの?」
不意に言った亮太の言葉に僕は喉を詰まらせかけた。彼は僕の事情を知っているからこそ、バスケのことについて触れてこなかった。
それに僕も触れて欲しくはなかった。
きっと亮太は僕にもう一度バスケをして欲しいと思っているんだろう。あの時の僕はとても輝いていたから。その姿は今とは比べ物にならないくらいに。
それは本気で夢を追いかけていたから。
「光希ならもう一度バスケをすることが出来ると思うよ。それに・・・・・・」
「そんなこと分かってるよ! でも僕の足はもう無理なんだよ・・・・・・」
予想以上に大きな声が出てしまう。
「あっ、ごめん・・・・・・」
僕の声に驚いた亮太は口を大きく開けたままだった。
僕だってバスケをもう一度したいとは思っている。
それでも運動ができるほど足は動かない。病院の先生に言われたあの言葉は今でも覚えている。
『残念だけど君はもうバスケをすることは出来ないんだ』
中学生というまだ幼い時に、僕は初めての挫折を味わった。バスケしか取り柄がなかった僕は、バスケを失った後は、毎日死んだように生きていた。
高校に入ってからはこのままではダメと分かり、少しは前向きになれることが出来た。それでもバスケだけは頭から離れなかった。
僕の言葉のせいで重たい空気が教室に流れる。どうにかしてこの空気を変えないと。その時。
──ガラガラ
「あれ? 光希くんじゃん!」
ドアを開けて入ってきたのは、姫野さんだった。でもどうして姫野さんがここに?
それに姫野さんの隣には、同じクラスの常盤さんがいた。彼女は姫野さんとは真逆で長い髪の毛に大人しそうな印象の子だ。
亮太は全く状況を飲み込めていなく、キョロキョロと何度も目を泳がせていた。
「あっ、光希くんと同じクラスの姫野朱莉です! よろしくね!」
急に自己紹介を始める姫野さん。きっと亮太の戸惑っている様子を見たからだろう。しかしそんな彼女の行動にはその場の誰もがついていけなかった。
「そしてこっちの子も同じクラスの常盤莉緒ちゃんです!」
「あっ、よろしくです・・・・・・」
姫野さんの隣にいる彼女も状況を飲み込めていないらしく、戸惑っている様に見える。
「おいおい光希、お前いつの間に女の子と仲良くなってるんだよ!」
「いやまぁをかくかくしかじかで」
「それにめっちゃかわいいじゃん・・・・・・」
僕の耳元でうるさく話す亮太。中学では僕が女子と関わるのなんて見てこなかったから、きっと驚きもあるのだろう。
「俺は隣のクラスの向井亮太! よろしく!」
そしてすぐに切り替え自己紹介をする亮太。
そんな彼を見て、環境適応能力が高すぎると僕は思った。
亮太も姫野さんも似たような性格だから、相性がいいのかもしれない。
「私たちお弁当食べる場所探してたんだけど、ここで一緒に食べてもいい?」
「どうすっ・・・・・・」
「もちろんいいぜ!」
僕の話など聞かずに許可を出す亮太。少しは聞く耳を持って欲しい。
「ありがとう!」
結局四人でお弁当を食べるという形になってしまう。こうして女子と一緒にお弁当を食べるのなんて初めてだった。
姫野さん達と初対面の亮太は持ち前のコミュ力ですぐに打ち解けていた。
対してコミュ障の僕は常盤さんと話すことが難しい。
同じクラスでも彼女と話したことはまだ無かった。それでも亮太と姫野さんが話題を投げ掛けてくれるおかげで、話せる程度までになれた。
常盤さんは姫野さんとは真逆でお淑やかな印象だったが、実際には姫野さんと似ている部分が多かった。
──キーンコーンカーンコーン
授業五分前を知らせるチャイム。話に夢中で時間を全く見ていなかった。
「やばっもうこんな時間だ! 明日もみんなで食べよう!」
「そうだね!」
「賛成!」
姫野さんの発言に同調する亮太と常盤さん。僕だけが完全に取り残されてしまう。
「光希くんもだからね!」
僕の反応がないことに気づいた姫野さんは、すかさず僕に向けてそう告げてくる。
「分かってるよ」
そして僕たちは机を元に戻し、空き教室を出て、各自教室に戻る。
「詳しい話はまた後で聞かせろよ」
教室に入る直前、亮太にそう言われた。きっと姫野さんたちの話だろう。特に話すことなどないのに。
わずかながらにも僕はあの時間が楽しいと思えた。あの三人と話しながらお弁当を食べたあの時間が。
明日も一緒に食べれることが、少しだけ楽しみだったことは胸に秘めておく。
五時間目は魔の授業と呼ばれる古典だ。
なぜ魔の授業と呼ばれるのか。担当の先生がおじいちゃんということもあり、大半の生徒が夢の世界へと入ってしまう。
特に食後である五時間目では、起きているということは至難の技だ。第一に今の御時世になぜ古典なんて習うのだろうか。
誰もが一度は考えたことがあるだろう。古文や漢文を覚えたとして、いつどこで使うのだろう。そんなことをするなら現代文をもっとやるべきだ。
僕は現代文もそこまで得意では無いけど。
いつも通り緩い感じに授業が始まり、時間が流れていく。残り時間二十分と言ったところで、クラスメイトの約三割の瞼は閉じている。
必死に眠気に抗おうとする人や今にも寝てしまいそうな人ばかり。中には寝ないためか、携帯を出している生徒もいた。
湊音はほんとに授業中なのか疑うくらい爆睡。常盤さんも時折、瞼が閉じており眠いのだと分かる。
僕が驚いたのが、意外にも姫野さんは真面目にノートに板書をしていた。
肩にギリギリかからない黒髪。パッチリとした大きな目。拳くらいの小さな顔。
僕はその横顔につい見とれてしまっていた。彼女がクラスの男子から人気の理由が分かった気がした。
僕の視線に気づいたのか姫野さんがこちらを見る。目が会った瞬間、僕は慌てて前を向く。その後は何事もなく時間が過ぎていく。
結局半分以上の生徒は眠気に勝てず寝てしまっていた。授業の終わりを知らせるチャイムで次々と目を覚ますクラスメイト。
先生も寝ている生徒など気にせずに、授業を終わらせる。ほんとにこんな授業で大丈夫なのか。僕は少し心配だったが、点数が引かれてる気もしないから良しだ。
次の時間は体育のため、急いでジャージに着替える。
ジャージに着替えた僕は靴を持って体育館へと向かう。
今の体育では体力テストを行っている。今日の種目は立ち幅跳びだ。足が使えない僕は基本体育は見学のみ。
足の件は先生たちや家族、それに湊音と亮太しか知らない。そのためクラスメイトには体育の時に見学のことについて毎度突っ込まれる。
その時に僕は足が悪いとだけ伝えている。全部を話すと嫌なことを思い出すから。
軽い運動や足を使わないものなら出来るが、さすがに立ち幅跳びは厳しかった。今日の見学は僕だけでは無かった。
「あれ? 光希くんも見学なの?」
姫野さんも僕と同じで見学の様だった。どうしてこんなにも彼女と似ているのだろうか。
「今日はちょっと足が痛くてね」
いつもは男女で体育は別々だが、今日は女子の方の担当の先生が休みだった。体力テストは男女合同でも問題無しとなり、男女合同でやることになったらしい。
さすがは高校生男子。女子と一緒だとわかった瞬間に歓喜の声を上げる。
やはり男子ってバカなのだと僕は思ってしまった。
いつもは男女別々なので、姫野さんやクラスの女子は僕はいつも見学だということを知らないのだろう。
「逆に姫野さんは何で見学なの?」
「女の子には色々事情があるんだよ」
そう言われてしまっては、僕はそれ以上聞くことは出来ない。それ以上聞くのはデリカシーが無いと思われてしまうし、人として良くない。
みんなが体力テストをしているのを僕たちはただ見ているだけ。時折、えぐいジャンプ力のやつを見て、僕は圧倒されていた。
体育を見学することはとても退屈だ。授業中でもあるから、姫野さんと話すことも僕は控えていた。だけどそんなこともお構い無しで、彼女は話しかけてくる。
「光希くんって趣味とかないの?」
「趣味か・・・・・・今は特にないかなー」
少し考える仕草をとったが、僕には趣味という名の趣味などない。今までにバスケ以外に没頭したものなどなかったから。
僕の返答に姫野さんはつまらなそうな顔をする。
実際に事実を言っただけなので、僕は何も悪くない。
それなのにそんな顔をされるのはどこか気に食わない。
「ちなみに私の趣味はねー! 音楽を聴くこととか、バスケの試合を見るのも好きだよ!」
誰も聞いてないのに勝手に一人語りする姫野さん。本当に彼女は不思議な人だ。だけど姫野さんがバスケの試合を見るのが好きなのには少し興味があった。
音楽はともかく、バスケの試合を見ることが好きなのは僕も同じだった。
もしかしたら彼女もバスケ経験者なのかもしれない。
「姫野さんってもしかしてバスケ部だ・・・・・」
「おいお前らー、見学だからって喋ってばっかしてるんじゃねーぞ!」
タイミングが悪く、僕の言葉を遮るように先生からの注意を受ける。バスケの話が出てきてつい我を忘れてしまっていた。
「怒られちゃったね」
全く悪びれる様子などなく、むしろ姫野さんは楽しそうに見えた。きっと気のせいだろう。
その後は極力話さないように努めた。授業が終わった後、僕たちは先生に呼ばれ軽く説教を受けた。別に少しぐらい話してもいいと思うのに。
そんなことを思ったが、火に油を注ぐだけと分かっていたので言わないでおいた。帰りのホームルームも終わり、各々部活へ向かう生徒たち。その生徒たちの横を通り抜け俺は下駄箱へと向かう。
「光希くんちょっと待ってー!」
後ろから僕を呼び止める声。振り返るとそこには息を切らした姫野さんが立っていた。
少し意地悪でもしてやろうと、僕は何も聞こえなかったかのように前を向き歩く。
「ちょいちょい!」
僕は服の袖を掴まれ強制的に止められる。だけどその力は全く運動をしてない僕でも、簡単に剥せる程だった。さすがに可哀想だから振り払うことはせずに、彼女の方を向く。
「どうしたの?」
今日は週番の仕事もないし、僕と姫野さんが関わる理由は特にないはずだ。だけどこんなに急いでいるということは、なにか大事な用なのかもしれない。僕は彼女が喋り出すのを静かに待つ。
「一緒に帰ろ!」
てっきり急用なのだと思った僕がバカだった。周りからの視線を集めるのは嫌だったが、姫野さんがわざわざ息を切らしてまで来てくれたので、断るのは申し訳なかった。
それに彼女と話すのが僕も少しばかり楽しいと思ってしまった。僕の隣を並行して歩く姫野さん。いつもは早足で帰る僕も、今だけは彼女のぺースに合わせて歩く。
昨日とは打って変わって今日はとても快晴だった。もうそろそろ梅雨が明けるのだと、感覚的に分かった。
「ねぇ光希くん、ずっと思ってたんだけどさー私のこと姫野さんって呼ぶのやめてくれない?」
「それじゃあ何て呼べばいいの?」
「うーん、朱莉って呼んで欲しいな!」
急に突拍子もない要求をしてくる彼女に僕は少し困った。同い年の女の子を下の名前で、ましてや呼び捨てなんて僕にはハードルが高すぎる。
せめて朱莉さんが限界だ。だけどそんな僕のことなどお構い無しに、彼女は僕に呼ばれるのを待つように目をキラキラさせてこちらを見る。
その姿はまるで新しいおもちゃを前にする小さな子供のようだ。
「あ、朱莉・・・・・・」
気恥しい気持ちを隠しながらぎこちなく名前を呼ぶと、彼女は満足気に喜ぶ。
「よく聞こえない! もう一回!」
「えぇ・・・・・・」
僕は新手のいじめにでもあっているのだろうか。もうどうにでもなってしまえばいい。
「朱莉」
今度は姫野・・・・・・いや朱莉に聞こえるよう声で告げる。
「はーい! よく出来ましたー!」
朱莉はパチパチと手を叩き、分かりやすく喜ぶ。彼女といるとどっと疲れる。
僕は彼女にバレないように小さくため息をつく。そして先程聞けなかった質問をする。
「朱莉ってもしかして、バスケやってたんじゃない?」
「えぇすご! なんで分かったの!?」
僕の質問に驚いたようにこちらを向く彼女。どうやらその予想は当たっていたらしい。バスケの試合を見るのが好きなら、バスケに何かしら関係があるのが妥当だと思った。
それに勘違いかもしれないが、僕は朱莉の名前を初めて見た時に、その名前に見覚えがあった。
一向に思い出すことは出来なかったが、彼女がバスケをやっていたなら見覚えがあるのも納得いく。
「ねぇ光希くん! なんで分かったの!」
「僕もバスケやってたからなんとなく」
気になりすぎてどうしようも無い彼女は、問い詰めるように聞いてくる。
見覚えがあったからなどと言うと、またしつこく聞かれるかもしれない。
それは面倒だから適当に嘘をつく。
「君の方こそどうしてバスケ部に入らなかったんだい?」
朱莉が僕にしてきた質問。僕も彼女がなぜバスケをやめたのか気になっていた。
「えっとねー・・・・・・私バスケめっちゃ下手で高校では無理な気がしたの。だから今はバスケを辞めた!」
一瞬の間が少し気になったが、それ以上深く追求はしない。僕が嫌だったように、誰にでも触れてほしくないことは一つや二つあると思うから。
暗くなってしまった空気を壊すため無理やり話題を変える。
「朱莉って音楽聴くのも好きって言ってたよね。どんな曲聴くの?」
咄嗟に思いついた質問。だが、話題を変えるにはちょうど良かった。
「恋愛ソングとかあと洋楽とかも聴くよ!」
さっきまでの空気が嘘だったかのように、彼女はまた笑顔になる。恋愛ソングをよく聴くあたり、女子高生なんだなと実感する。
僕も色々な曲を聴くが、洋楽だけはあまり聴かない。その理由は単純に英語なんて全く理解出来ないからだ。
「光希くんはどんな曲聴くの!」
「僕は洋楽以外なら幅広く聴いてるよ」
「なんで洋楽は聴かないの!? もしかして・・・・・・英語が分からないとか」
朱莉はニヤつきながら僕の方を何度も見てくる。実際にはその通りだけど、それを認めるのは癪だった。
「何も言わないってことは図星かな?」
彼女は楽しそうに笑いながら勝手に納得している。僕も否定は出来ないので、しょうがなく認める。
第一に日本人である僕たちがなぜ他の国の言葉を覚えなきゃいけないんだ。将来外国で暮らすとかならまだしも、僕は外国に行くなど考えたことも無い。
僕はそんな子供じみた考えを持っていた。これだから一生英語の点数が上がらないのだ。
そんなこんなで話に夢中になっていると、朱莉の家の前に着いていた。
気がつけば僕は無意識に彼女を家まで送っていた。
「今日も送ってくれてありがとね! 明日も一緒に帰ろう!」
「別にいいよ、また明日」
ずっと手を振っている彼女に小さく手を振り、駅へと向かった。
まだ時刻は五時前であったから、駅のホームには人はあまりいない。電車を待っている時に僕は彼女の言葉を反芻する。
「明日も一緒に帰ろうか・・・・・・」
小学、中学とバスケばかりで恋愛なんてしてきてこなかった僕は、彼女との関わり方に少し不安だった。もし変なことを言って彼女を傷つけてしまったらどうしよう。
女の子はとても繊細な生き物だ、などと、どこかで聞いたことがある。だから避けていたということもある。
しかしそんな不安も吹き飛ぶぐらいに、僕はありのままの自分でいることが出来た。変に気にするでも、優しい言葉を使うなどもしなくて良かった。それはきっと朱莉だからだろう。
彼女の性格だからこそだと僕は思った。
それと同時になぜ彼女は僕なんかと関わろうと思ったのか。
週番が一緒だったから?
ただそんな理由で全く面識の無かった男子と、一緒に帰ろうなんて言うのだろうか。
──君と仲良くなりたいからだよ!
あの言葉の裏にはきっと何かが隠されていると思う。朱莉が僕と仲良くなりたかった本当の理由。
そんな疑問を持ちながら、僕はやってきた電車に乗った。
教室に入った直後。どこからか飛んでくる僕に対する言葉。
明らかにその声が男子では無いことはわかる。
僕に挨拶をしてくる異性などいないはず。
だから必然的に声の主が姫野さんであることはすぐに分かった。
彼女の声が大きすぎるが故、僕に注目が集まる。
目立つことは苦手だからやめて欲しい。
「おはよう」
軽く挨拶を返し、僕は逃げるように席に着く。
女子と話してるなんてバレると男子たちにからかわれてしまう。
座った直後、予想通り周りからすごく視線を感じる。
「あいつ朱莉と仲良いの・・・・・・?」
「岩瀬のやつやるなー・・・・・・」
僕の耳に入ってくる男子たちの会話。
クラスの人気者である姫野さんが、僕に挨拶なんてしたら話題にもなるだろう。
男子たちの冷たい視線はとても痛かった。
ていうか昨日初めて話したばかりなのに、すぐに挨拶してくるもんなのか。でも彼女ならありえるか。
「光希お前朱莉ちゃんと仲良いのかよ。羨ましいなー」
僕に話しかけてきたのは去年から同じクラスの湊音だ。彼はクラスで僕が最も仲の良い友達だ。
他にも友達と呼べるやつは何人かいるが、クラス事になると、僕は湊音と共に行動している。
コミュ力がある。運動も出来る。身長も高い。バスケ部に所属していて、一年の頃から今もずっとレギュラーとして試合に出ている。
どうしてそんな彼と僕が仲がいいのか。
僕と湊音が仲良くなった理由はバスケだ。
中学の時の僕はバスケプレイヤーとして少し有名だった。足を怪我するまでは。
そのため湊音は僕のことを知っていて、話すようになり今に至る。
僕の足の怪我のことを知っている数少ない一人だ。
「別に仲いいってほどではないよ。昨日少し話しただけ」
「へー」
絶対に信用してないような返事をする湊音。
まぁいいや、と言って彼は先日行われたプロバスケの試合について話してくる。
湊音のバスケに対する思いはすごい。
プロの試合を見るために、アメリカまで行ったこともあるそうだ。
だから一度バスケの話が始まるとなかなか抜け出せない。
しかし、授業開始を知らせるチャイムがなり、彼の話は強制的に終わりを告げる。
チャイムに助けられたな。
それからの授業中、姫野さんは何度もこちらをチラチラと見てくる。
そんな彼女と目が合うので、僕は彼女の方を極力見ないように意識する。
別に目が合った所で悪いことなどないけど。
午前の授業が終わり、昼休みになるとみんな食堂へと向かう。
いつもは湊音と食べているが、残念なことに今日は彼はお弁当を忘れてしまい食堂に行ってしまった。
一人になってしまった僕も食堂に行こうと思い教室を出る。
「おっ! 光希じゃん! 一緒に昼飯食おうぜ!」
教室を出た直後、僕と小学校の頃から仲がいい向井亮太に声を掛けられる。
彼とはクラスは違うが、今も仲がいい。
「お、学校で会うの久々だね。あれ、昼練は?」
亮太はテニス部に所属していて、毎日昼練をしている。
彼のテニスをしている姿は見たことないが、噂では彼は県ベスト四に入るぐらい強いらしい。
学校で表彰されていたこともあるので、どうやら本当のようだ。
「昨日の雨でコートが使えないから今日はオフー」
嬉しそうに話す亮太。確かに昨日の雨じゃ練習は厳しいだろう。部活が好きだった僕からしては、オフの嬉しさはいまいち分からない。
「どこで食べる?」
僕の教室で食べるのでも良かったが、大半の男子は食堂に行き、教室にはほとんど女子しかいない。
そのためそこで食べるのは少し躊躇った。
「適当に空いてる教室行こうぜ」
そう言って僕たちは適当に空いてる教室を見つけ、ドアを開け中に入る。
そして机をくっ付けてお互いに弁当を食べ始める。
亮太と昼を一緒に食べるのは久々だったため、話に花が咲く。
「光希はもうバスケはやらないの?」
不意に言った亮太の言葉に僕は喉を詰まらせかけた。彼は僕の事情を知っているからこそ、バスケのことについて触れてこなかった。
それに僕も触れて欲しくはなかった。
きっと亮太は僕にもう一度バスケをして欲しいと思っているんだろう。あの時の僕はとても輝いていたから。その姿は今とは比べ物にならないくらいに。
それは本気で夢を追いかけていたから。
「光希ならもう一度バスケをすることが出来ると思うよ。それに・・・・・・」
「そんなこと分かってるよ! でも僕の足はもう無理なんだよ・・・・・・」
予想以上に大きな声が出てしまう。
「あっ、ごめん・・・・・・」
僕の声に驚いた亮太は口を大きく開けたままだった。
僕だってバスケをもう一度したいとは思っている。
それでも運動ができるほど足は動かない。病院の先生に言われたあの言葉は今でも覚えている。
『残念だけど君はもうバスケをすることは出来ないんだ』
中学生というまだ幼い時に、僕は初めての挫折を味わった。バスケしか取り柄がなかった僕は、バスケを失った後は、毎日死んだように生きていた。
高校に入ってからはこのままではダメと分かり、少しは前向きになれることが出来た。それでもバスケだけは頭から離れなかった。
僕の言葉のせいで重たい空気が教室に流れる。どうにかしてこの空気を変えないと。その時。
──ガラガラ
「あれ? 光希くんじゃん!」
ドアを開けて入ってきたのは、姫野さんだった。でもどうして姫野さんがここに?
それに姫野さんの隣には、同じクラスの常盤さんがいた。彼女は姫野さんとは真逆で長い髪の毛に大人しそうな印象の子だ。
亮太は全く状況を飲み込めていなく、キョロキョロと何度も目を泳がせていた。
「あっ、光希くんと同じクラスの姫野朱莉です! よろしくね!」
急に自己紹介を始める姫野さん。きっと亮太の戸惑っている様子を見たからだろう。しかしそんな彼女の行動にはその場の誰もがついていけなかった。
「そしてこっちの子も同じクラスの常盤莉緒ちゃんです!」
「あっ、よろしくです・・・・・・」
姫野さんの隣にいる彼女も状況を飲み込めていないらしく、戸惑っている様に見える。
「おいおい光希、お前いつの間に女の子と仲良くなってるんだよ!」
「いやまぁをかくかくしかじかで」
「それにめっちゃかわいいじゃん・・・・・・」
僕の耳元でうるさく話す亮太。中学では僕が女子と関わるのなんて見てこなかったから、きっと驚きもあるのだろう。
「俺は隣のクラスの向井亮太! よろしく!」
そしてすぐに切り替え自己紹介をする亮太。
そんな彼を見て、環境適応能力が高すぎると僕は思った。
亮太も姫野さんも似たような性格だから、相性がいいのかもしれない。
「私たちお弁当食べる場所探してたんだけど、ここで一緒に食べてもいい?」
「どうすっ・・・・・・」
「もちろんいいぜ!」
僕の話など聞かずに許可を出す亮太。少しは聞く耳を持って欲しい。
「ありがとう!」
結局四人でお弁当を食べるという形になってしまう。こうして女子と一緒にお弁当を食べるのなんて初めてだった。
姫野さん達と初対面の亮太は持ち前のコミュ力ですぐに打ち解けていた。
対してコミュ障の僕は常盤さんと話すことが難しい。
同じクラスでも彼女と話したことはまだ無かった。それでも亮太と姫野さんが話題を投げ掛けてくれるおかげで、話せる程度までになれた。
常盤さんは姫野さんとは真逆でお淑やかな印象だったが、実際には姫野さんと似ている部分が多かった。
──キーンコーンカーンコーン
授業五分前を知らせるチャイム。話に夢中で時間を全く見ていなかった。
「やばっもうこんな時間だ! 明日もみんなで食べよう!」
「そうだね!」
「賛成!」
姫野さんの発言に同調する亮太と常盤さん。僕だけが完全に取り残されてしまう。
「光希くんもだからね!」
僕の反応がないことに気づいた姫野さんは、すかさず僕に向けてそう告げてくる。
「分かってるよ」
そして僕たちは机を元に戻し、空き教室を出て、各自教室に戻る。
「詳しい話はまた後で聞かせろよ」
教室に入る直前、亮太にそう言われた。きっと姫野さんたちの話だろう。特に話すことなどないのに。
わずかながらにも僕はあの時間が楽しいと思えた。あの三人と話しながらお弁当を食べたあの時間が。
明日も一緒に食べれることが、少しだけ楽しみだったことは胸に秘めておく。
五時間目は魔の授業と呼ばれる古典だ。
なぜ魔の授業と呼ばれるのか。担当の先生がおじいちゃんということもあり、大半の生徒が夢の世界へと入ってしまう。
特に食後である五時間目では、起きているということは至難の技だ。第一に今の御時世になぜ古典なんて習うのだろうか。
誰もが一度は考えたことがあるだろう。古文や漢文を覚えたとして、いつどこで使うのだろう。そんなことをするなら現代文をもっとやるべきだ。
僕は現代文もそこまで得意では無いけど。
いつも通り緩い感じに授業が始まり、時間が流れていく。残り時間二十分と言ったところで、クラスメイトの約三割の瞼は閉じている。
必死に眠気に抗おうとする人や今にも寝てしまいそうな人ばかり。中には寝ないためか、携帯を出している生徒もいた。
湊音はほんとに授業中なのか疑うくらい爆睡。常盤さんも時折、瞼が閉じており眠いのだと分かる。
僕が驚いたのが、意外にも姫野さんは真面目にノートに板書をしていた。
肩にギリギリかからない黒髪。パッチリとした大きな目。拳くらいの小さな顔。
僕はその横顔につい見とれてしまっていた。彼女がクラスの男子から人気の理由が分かった気がした。
僕の視線に気づいたのか姫野さんがこちらを見る。目が会った瞬間、僕は慌てて前を向く。その後は何事もなく時間が過ぎていく。
結局半分以上の生徒は眠気に勝てず寝てしまっていた。授業の終わりを知らせるチャイムで次々と目を覚ますクラスメイト。
先生も寝ている生徒など気にせずに、授業を終わらせる。ほんとにこんな授業で大丈夫なのか。僕は少し心配だったが、点数が引かれてる気もしないから良しだ。
次の時間は体育のため、急いでジャージに着替える。
ジャージに着替えた僕は靴を持って体育館へと向かう。
今の体育では体力テストを行っている。今日の種目は立ち幅跳びだ。足が使えない僕は基本体育は見学のみ。
足の件は先生たちや家族、それに湊音と亮太しか知らない。そのためクラスメイトには体育の時に見学のことについて毎度突っ込まれる。
その時に僕は足が悪いとだけ伝えている。全部を話すと嫌なことを思い出すから。
軽い運動や足を使わないものなら出来るが、さすがに立ち幅跳びは厳しかった。今日の見学は僕だけでは無かった。
「あれ? 光希くんも見学なの?」
姫野さんも僕と同じで見学の様だった。どうしてこんなにも彼女と似ているのだろうか。
「今日はちょっと足が痛くてね」
いつもは男女で体育は別々だが、今日は女子の方の担当の先生が休みだった。体力テストは男女合同でも問題無しとなり、男女合同でやることになったらしい。
さすがは高校生男子。女子と一緒だとわかった瞬間に歓喜の声を上げる。
やはり男子ってバカなのだと僕は思ってしまった。
いつもは男女別々なので、姫野さんやクラスの女子は僕はいつも見学だということを知らないのだろう。
「逆に姫野さんは何で見学なの?」
「女の子には色々事情があるんだよ」
そう言われてしまっては、僕はそれ以上聞くことは出来ない。それ以上聞くのはデリカシーが無いと思われてしまうし、人として良くない。
みんなが体力テストをしているのを僕たちはただ見ているだけ。時折、えぐいジャンプ力のやつを見て、僕は圧倒されていた。
体育を見学することはとても退屈だ。授業中でもあるから、姫野さんと話すことも僕は控えていた。だけどそんなこともお構い無しで、彼女は話しかけてくる。
「光希くんって趣味とかないの?」
「趣味か・・・・・・今は特にないかなー」
少し考える仕草をとったが、僕には趣味という名の趣味などない。今までにバスケ以外に没頭したものなどなかったから。
僕の返答に姫野さんはつまらなそうな顔をする。
実際に事実を言っただけなので、僕は何も悪くない。
それなのにそんな顔をされるのはどこか気に食わない。
「ちなみに私の趣味はねー! 音楽を聴くこととか、バスケの試合を見るのも好きだよ!」
誰も聞いてないのに勝手に一人語りする姫野さん。本当に彼女は不思議な人だ。だけど姫野さんがバスケの試合を見るのが好きなのには少し興味があった。
音楽はともかく、バスケの試合を見ることが好きなのは僕も同じだった。
もしかしたら彼女もバスケ経験者なのかもしれない。
「姫野さんってもしかしてバスケ部だ・・・・・」
「おいお前らー、見学だからって喋ってばっかしてるんじゃねーぞ!」
タイミングが悪く、僕の言葉を遮るように先生からの注意を受ける。バスケの話が出てきてつい我を忘れてしまっていた。
「怒られちゃったね」
全く悪びれる様子などなく、むしろ姫野さんは楽しそうに見えた。きっと気のせいだろう。
その後は極力話さないように努めた。授業が終わった後、僕たちは先生に呼ばれ軽く説教を受けた。別に少しぐらい話してもいいと思うのに。
そんなことを思ったが、火に油を注ぐだけと分かっていたので言わないでおいた。帰りのホームルームも終わり、各々部活へ向かう生徒たち。その生徒たちの横を通り抜け俺は下駄箱へと向かう。
「光希くんちょっと待ってー!」
後ろから僕を呼び止める声。振り返るとそこには息を切らした姫野さんが立っていた。
少し意地悪でもしてやろうと、僕は何も聞こえなかったかのように前を向き歩く。
「ちょいちょい!」
僕は服の袖を掴まれ強制的に止められる。だけどその力は全く運動をしてない僕でも、簡単に剥せる程だった。さすがに可哀想だから振り払うことはせずに、彼女の方を向く。
「どうしたの?」
今日は週番の仕事もないし、僕と姫野さんが関わる理由は特にないはずだ。だけどこんなに急いでいるということは、なにか大事な用なのかもしれない。僕は彼女が喋り出すのを静かに待つ。
「一緒に帰ろ!」
てっきり急用なのだと思った僕がバカだった。周りからの視線を集めるのは嫌だったが、姫野さんがわざわざ息を切らしてまで来てくれたので、断るのは申し訳なかった。
それに彼女と話すのが僕も少しばかり楽しいと思ってしまった。僕の隣を並行して歩く姫野さん。いつもは早足で帰る僕も、今だけは彼女のぺースに合わせて歩く。
昨日とは打って変わって今日はとても快晴だった。もうそろそろ梅雨が明けるのだと、感覚的に分かった。
「ねぇ光希くん、ずっと思ってたんだけどさー私のこと姫野さんって呼ぶのやめてくれない?」
「それじゃあ何て呼べばいいの?」
「うーん、朱莉って呼んで欲しいな!」
急に突拍子もない要求をしてくる彼女に僕は少し困った。同い年の女の子を下の名前で、ましてや呼び捨てなんて僕にはハードルが高すぎる。
せめて朱莉さんが限界だ。だけどそんな僕のことなどお構い無しに、彼女は僕に呼ばれるのを待つように目をキラキラさせてこちらを見る。
その姿はまるで新しいおもちゃを前にする小さな子供のようだ。
「あ、朱莉・・・・・・」
気恥しい気持ちを隠しながらぎこちなく名前を呼ぶと、彼女は満足気に喜ぶ。
「よく聞こえない! もう一回!」
「えぇ・・・・・・」
僕は新手のいじめにでもあっているのだろうか。もうどうにでもなってしまえばいい。
「朱莉」
今度は姫野・・・・・・いや朱莉に聞こえるよう声で告げる。
「はーい! よく出来ましたー!」
朱莉はパチパチと手を叩き、分かりやすく喜ぶ。彼女といるとどっと疲れる。
僕は彼女にバレないように小さくため息をつく。そして先程聞けなかった質問をする。
「朱莉ってもしかして、バスケやってたんじゃない?」
「えぇすご! なんで分かったの!?」
僕の質問に驚いたようにこちらを向く彼女。どうやらその予想は当たっていたらしい。バスケの試合を見るのが好きなら、バスケに何かしら関係があるのが妥当だと思った。
それに勘違いかもしれないが、僕は朱莉の名前を初めて見た時に、その名前に見覚えがあった。
一向に思い出すことは出来なかったが、彼女がバスケをやっていたなら見覚えがあるのも納得いく。
「ねぇ光希くん! なんで分かったの!」
「僕もバスケやってたからなんとなく」
気になりすぎてどうしようも無い彼女は、問い詰めるように聞いてくる。
見覚えがあったからなどと言うと、またしつこく聞かれるかもしれない。
それは面倒だから適当に嘘をつく。
「君の方こそどうしてバスケ部に入らなかったんだい?」
朱莉が僕にしてきた質問。僕も彼女がなぜバスケをやめたのか気になっていた。
「えっとねー・・・・・・私バスケめっちゃ下手で高校では無理な気がしたの。だから今はバスケを辞めた!」
一瞬の間が少し気になったが、それ以上深く追求はしない。僕が嫌だったように、誰にでも触れてほしくないことは一つや二つあると思うから。
暗くなってしまった空気を壊すため無理やり話題を変える。
「朱莉って音楽聴くのも好きって言ってたよね。どんな曲聴くの?」
咄嗟に思いついた質問。だが、話題を変えるにはちょうど良かった。
「恋愛ソングとかあと洋楽とかも聴くよ!」
さっきまでの空気が嘘だったかのように、彼女はまた笑顔になる。恋愛ソングをよく聴くあたり、女子高生なんだなと実感する。
僕も色々な曲を聴くが、洋楽だけはあまり聴かない。その理由は単純に英語なんて全く理解出来ないからだ。
「光希くんはどんな曲聴くの!」
「僕は洋楽以外なら幅広く聴いてるよ」
「なんで洋楽は聴かないの!? もしかして・・・・・・英語が分からないとか」
朱莉はニヤつきながら僕の方を何度も見てくる。実際にはその通りだけど、それを認めるのは癪だった。
「何も言わないってことは図星かな?」
彼女は楽しそうに笑いながら勝手に納得している。僕も否定は出来ないので、しょうがなく認める。
第一に日本人である僕たちがなぜ他の国の言葉を覚えなきゃいけないんだ。将来外国で暮らすとかならまだしも、僕は外国に行くなど考えたことも無い。
僕はそんな子供じみた考えを持っていた。これだから一生英語の点数が上がらないのだ。
そんなこんなで話に夢中になっていると、朱莉の家の前に着いていた。
気がつけば僕は無意識に彼女を家まで送っていた。
「今日も送ってくれてありがとね! 明日も一緒に帰ろう!」
「別にいいよ、また明日」
ずっと手を振っている彼女に小さく手を振り、駅へと向かった。
まだ時刻は五時前であったから、駅のホームには人はあまりいない。電車を待っている時に僕は彼女の言葉を反芻する。
「明日も一緒に帰ろうか・・・・・・」
小学、中学とバスケばかりで恋愛なんてしてきてこなかった僕は、彼女との関わり方に少し不安だった。もし変なことを言って彼女を傷つけてしまったらどうしよう。
女の子はとても繊細な生き物だ、などと、どこかで聞いたことがある。だから避けていたということもある。
しかしそんな不安も吹き飛ぶぐらいに、僕はありのままの自分でいることが出来た。変に気にするでも、優しい言葉を使うなどもしなくて良かった。それはきっと朱莉だからだろう。
彼女の性格だからこそだと僕は思った。
それと同時になぜ彼女は僕なんかと関わろうと思ったのか。
週番が一緒だったから?
ただそんな理由で全く面識の無かった男子と、一緒に帰ろうなんて言うのだろうか。
──君と仲良くなりたいからだよ!
あの言葉の裏にはきっと何かが隠されていると思う。朱莉が僕と仲良くなりたかった本当の理由。
そんな疑問を持ちながら、僕はやってきた電車に乗った。