次の日から、誰もリカルの相手をしなくなった。
相手をしなくなったというよりかは、相手にする暇が無くなったと言った方が正しいか。
何処もかしこも、交戦準備と国民の避難準備で手一杯で、無駄なことは一切出来ない。
リーゲルやルーダなどの、王国軍関係者は、帝国戦の戦略を練っていて、アステラもそこに入っていた。
リカルが何処かに行こうとすると、「邪魔だ」と言われ、自室に戻される。
そんな毎日だったが、然程辛くは無かった。
時折シュリが、リカルの自室へと入り、リカルの相手をしてくれるからである。
どんな時も、持ち前の陽気な笑顔で場を和ませる彼女は、ある意味“天才”であった。
そしてリカルも、そんな彼女のおかげで、この周りからの対応も特に苦にはならなかった。
ある時はその愛読書の話をしたり。
ある時はアステラとの出会いを聞いてみたり。
アステラの良いところを聞いてみたり。
だがシュリは、リカルの過去を一切聞こうとしなかった。
アステラから聞かされていたのか、空気を読んでなのか。
そう言った話へと流れそうであれば直ぐに話を変え、その話題から遠ざける。
リカルはいつしか、そんな彼女を気に入り、彼女と話すのを心待ちにしていた。
リカルは、シュリが大好きだった。
数日後。
開戦日が後二日後に迫っている中、ようやく国民の避難準備が終わり、避難誘導を始めた。
そしてこの日はアステラとシュリの結婚式の前日なので、二人とも気分が高揚していた。
ウェディングドレスやタキシードも準備が終わり、式場の準備も済み、後は明日が来るのを待つのみであった。
そんな時。
ドォォォォォォォォォォォォォォンンンンンン!!!
王宮の南から、激しい赤い光と共に、途轍もない轟音が響いた。
鼓膜が破けそうなその音がした方向を確認すると、そこには、驚くべき風景があった。
アステラやシュリ、リーゲルが、口を丸くしてその風景を眺めた。
一瞬にして、ギルジュグリッツより南部の町が、跡形もなく焦土と化していたのだ。
あれ程美しかった煉瓦の家屋は瓦礫の山へと姿を変え、目を凝らすと、そこにいた国民達の血が飛び散っている。
一体何人死んだのか。
避難はまだ完了しておらず、襲撃を受けた地区にも、未だ国民がいた。
そしてその全員が、この襲撃で命を落とした。
赤い光。あの轟音。この焦土。
何の攻撃だったのかを照合すると、恐らくあの攻撃は、超大規模な爆発系魔法であったと推測できる。
炎弾や暁光蝶では、あそこまでの轟音はならない。
だが、爆発系魔法の爆発音だと考えれば、その時の状況と合致する。
そして、そんな規格外の魔法が使用できるとすれば、ザルモラ・ベルディウスただ一人。
サルラス帝国の、要注意人物のトップであった。
アステラは、必死に自分を落ち着かせようと、そんな事を考えていた。
リカルはというと、その大規模爆発の衝撃波で頭を打ってしまい、自室で気絶していた。
なので、実際その焦土を見たわけでは無かった。
そしてその後、何があったのかも、リカルは知らない。
リカルが目を覚ました時には、アルゾナ王国は敗北寸前であった。
前線に向かった兵も、サルラス帝国の魔法師団に悉くやられ、兵は壊滅状態、リーゲルも怪我を負い、瀕死状態にあった。
その原因の多くは、サルラス帝国が、設定した日時を守らなかったことにある。
突然の襲撃だった為に、多くの準備が未だ完了していなかった。
それに、皆も困惑していたのだ。
リカルが部屋の窓から見下ろすと、倒れているリーゲルを介抱する様に、マグダとアステラとシュリが並んでいた。
腹を損傷したのか、リーゲルのお腹からは血が流れている。
リーゲルはアステラやマグダ、シュリに何かを喋っているようだが、リカルには一切聞こえなかった。
そしてリーゲルは、南に向かって人差し指を突き出した。
リカルが目を凝らしてみてみると、その指の先端には、炎で出来た何かが飛んでいた。
やがてそれは飛び上がり、リカルの前も通った。
その時初めてそれが何なのか、リカルは理解した。
それは、炎で出来た蝶であった。
それ程大きくは無いそれは、軽く煌びやかにその双翼を舞わせ、リカルの眼前を通り過ぎた。
それはあまりにも美しく、思わず見惚れてしまった。
暫くしてその蝶は、焦土の中心部分で止まった。
その時の羽根の動きは、蝶らしからぬ動きであった。
まるで、大空を羽ばたく鷹のようにゆっくりと羽を動かしていた。
そして羽をたたみ開いたその瞬間。
「…………なっ…………………………!」
その蝶の羽が、さっきまで綺麗だった碧天を赤く染めた。
空を覆う炎。
よくみると、蝶の翼の形状をしている。
その空に赤い影を作る様は、まるで暁光を見ているようであった。
その後その蝶は、一つの“点”となった。
まるでその空を覆う蝶を凝縮したかのようなその“点”は、ゆっくりゆっくり、地面へと落ちていった。
帝国兵は皆空を見上げ、その“点”を見た。
逃げ出そうとする者もいた。
すると、その逃げ出そうとする者を逃すまいと、リーゲルは炎獄牢を焦土を囲むように出した。
そしてその“点”が地面と接触したその瞬間。
ブワッッッッッ。
炎獄牢の中で、途轍もない熱波がその“点”から放たれた。
特に大きな爆発や発火は無かったが、その熱波は、炎獄牢の中にいた帝国兵を全員溶かした。
悲鳴など一切聞こえなかった。
ただ聞こえたのは、冷めきったその熱波が生み出す涼しげな風の音のみ。
リカルは、帝国の敗北を悟ったと同時に、その人智を超えた魔法について知りたくなった。
その魔法の名は「暁光蝶」。
暁光のような蝶が生み出す熱波で相手の命を根絶させる炎属性最上位魔法。
その魔法の発動代償は、術者の“命”であった。
リカルは、必死に階段を駆け降りた。
暁光蝶の発動代償が術者の命である事は、リーゲルから教えられていた。
そしてさっきの炎の蝶と激しい熱波は、リーゲルの説明していた暁光蝶の概要と見事に符合した。
なら、暁光蝶を発動したリーゲルの命が危ない。
リカルもリーゲルにはとても世話になっていたので、助けたかった。
リカルの自室からリーゲルのいた王宮の城門前までは、近いようで結構遠かった。
リカルの自室は、王宮の本練三階からの連絡通路でしか行けない別練の四階にあった。
そして王宮の出入りはその城門のみでしか行えない。
なので、リーゲルの元へと向かうには、別練の一階まで降り、長い連絡通路を渡り、本練の一階まで、全て階段で降りる必要があった。
昇降機もあると言えばあるのだが、未だ実用化にまでは至っておらず、事故発生の危険性が極めて高い開発段階であったので、使用禁止となっている。
ので、リカルは、長い長い階段を、一段一段駆け降りていたのだ。
移動している時、人に会う事は無かった。
リーゲルの暁光蝶で、帝国兵がほぼ殲滅できたので、帝国兵の生き残りがいないかを確かめている為、皆王宮内ではなく、焦土と化したギルシュグリッツよりも南部の街跡で奔走している。
リカルは、足が捥げそうになろうとも、力が入らなくなっても、息が苦しくなっても、恩師を助ける為、全力で走った。
そして、本練の階段を降りている時。
「ガッ!!!」
思わず足を踏み外し、階段から落ちてしまった。
頭はぶつけなかったものの、足を強打し、激痛が走った。
それでも、リーゲルの為。
そう思い、その激痛をもろともしない風体で、必死に立ち上がった。
そして次の階段に足をかけたが、足が思うように上がらず、また転げ落ちてしまった。
「うぅ…………………………」
階段の上の方から落ちてしまったので、体の様々な部位を強打してしまった。
整った顔には、赤いアザ。
強打した足や腕は青いアザで埋め尽くされ、運悪く段差の淵で切ったしまった太腿からは、まるで足をコーティングするかの如く大量の血が流れた。
痛い。
痛い。
痛い。
痛い。
でも、リーゲルの苦しみに比べたら。
そう自分をなんとか鼓舞し、また、体を立ち上がらせた。
落ちた先は丁度本練の一階だった。
本練一階の階段から城門までは直ぐだった。
走れば約十五秒ほどで着く。
もうちょっと、もうちょっとでリーゲルが。
助けになれる。
私を助けてくれた恩師。
生き甲斐を与えてくれた国王。
早く。
動け、自分の足。
こんな痛みなんて、今までの苦しみに比べたら塵のようなもの。
痛みなど、微塵も感じない。
歩け。
動け。
進め。
そう心の中で叫びながら、足を引き摺って歩いていた時。
正面玄関から、アステラが歩いてきた。
よくみると、誰かを抱えていた。
リカルも、急いでアステラの元へと向かう。
リーゲルはどうなったか。
まだ助けられるか。
そう思いながら、アステラの抱えていた人を見て、リカルは呆然と立ち尽くし、絶望した。
シュリが。頭と心臓を撃ち抜かれ、血を細く垂れ流して死んでいたのだ。
そんなシュリを横抱きしながらアステラは、涙も流せぬ程に失意していた。
リカルが、「早く救護班の所へ!」と促しても、「もう死んだ」と、生気の感じられない声で言う。
アステラは諦めていた。
脈も測ったらしい。
「それでも連れて行けば何か未だ手立てが…………」
リカルがそう促すと、アステラは突然叫び出した。
「そうだと良いんだ!! でも、向こうで何度も何度も確認した。だがもう駄目なんだ。脈はない。呼吸もない。脳も貫かれている。瞳孔は散大している。もう死んだんだよ。シュリは。」
ようやく、アステラの眼から、一筋の涙が流れてきた。
その涙が、抱えているシュリの頬に落ちたが、当然シュリが起きる事はなく、ただ静かに眠っている。
「………………国王様は…………?」
リカルが、静かにアステラに聞いた。
「死んだよ。そりゃぁあんな大魔法を行使したんだ。しかも暁光蝶なんて、自分の命を代償にするような魔法。しかも体のあちこちを怪我していて、瀕死状態だった。あんな極限状態の中で暁光蝶なんて物を発動したんだ。体への負担は想像を絶する物だっただろう。」
アステラが俯く。
リーゲルは、アステラの実の父であった。
リカルが来る前はあまり仲が良く無かったが、リカルが来たおかげで、仲が良くなり、頻繁に他愛もない話をする仲にまで成長していた。
そんな時に、リーゲル、そして、アステラの愛した人、シュリが、息を引き取った。
リカルはその場に、膝をガクッと折った。
そして、アステラの顔を見上げて聞いた。
「誰が。誰がシュリさんを殺したの…………?」
「シュリは、私を狙った攻撃を庇ったんだ。水射針と言う魔法。水の弾丸。それを撃たれようとする私をシュリは庇って、頭と胸に弾丸を受けた。その攻撃の発動者は………………」
少しためてから、アステラは言った。
「ザルモラ・ベルディウス。」
その後シュリは、リーゲルと共に、王宮の最深部で火葬された。
大衆の面前でする事は、リーゲルやシュリの望む事では無いだろうと、アステラとマグダの、最後の親孝行らしい。
リカルは、シュリやリーゲルが死んだと言う事実が未だに受け止められず、火葬場ではなく自室に籠った。
アステラが誘っても一向に部屋から出て来ず、中からは只、啜り泣く声のみが聞こえた。
王宮は、涙に包まれた。
だが、そんな状況下であっても、国の指導者であるリーゲルが居なくなったので、第一王子であるアステラが、この戦争の後始末をしなければならなかった。
悲しみ憂いている時間は、少ししか無いのである。
それが例え、実の父親の死であっても。
最愛の女性の死であっても。
前に進む他、道は無かった。
自室でリカルは、様々な事を考えた。
自室で籠るのではなく、もしアステラの側で、アステラやシュリを守れたら、シュリは死ななかったのでは無いか。
リーゲルに教わった炎魔法が役に立ったのでは無いか。
少なくとも、助けられる命はあったのでは無いか。
私が前に出なかったから。
自室の中で気絶なんかしていなければ。
大切な人を喪わなかった。
私が。
私が。
私が。
リカルは、自分を蔑み続けた。
なんとか自分を落ち着かせようとするが、その自虐が、また自分の気を荒立たせる。
もうどうして良いのかが分からなくなった。
大事な人を喪った後。
リカルは、自分の生きる意味を見出せなくなった。
俯いていた顔を少しあげると、机の上に、一つの林檎と、皮を向く為のナイフが置いてあった。
アステラが、「リカルが元氣になるように」と思い、持ってきた物だ。
私が死ねば、この柵から脱せられるのか。
もしかしたら、シュリやリーゲルにも会えるかも。
丁度目の前にナイフがある。
手首の太い静脈でも掻っ切れば死ねるかな。
頸動脈を切ったら死ねるかな。
リカルは、自分の首に、ナイフの刃先を押し当てた。
だがリカルは、ナイフを床に落としてしまった。
「痛い。」
刃先で少し刺した首から、一滴だけ垂れた血が、手に付いた。
手の平に、乾いた血が、擦れている。
そうだ。
今こうして血が流れているのも、こうやって思うことが出来るのも、想うことが出来るのも、アステラが私を引き取ってくれたおかげなのだ。
なら、私までもが死んでしまったら、きっと悲しんでくれるだろうか。
悲しんでほしい。
それ程に、私を大事に思っていてくれたと言う事だから。
でも、悲しんで欲しくない。
悲しんでいる顔なんて見たくない。
もうあんな、シュリを抱えて絶望している顔なんて。
なら、私がアステラを守れば良いんだ。
側に居れば良いんだ。
シュリの最愛の人。
リーゲルの大切な人。
アルゾナ王国の大切な人を。
今までの恩を返すように。
私がアステラを守れれば。
助けになれれば。
もうアステラの悲しむ顔など見たくない。
私の大切な人を失いたく無い。
その一心でリカルは、アステラの側で助けられる様、勉強する決意をした。
その後リカルは、毎日毎日勉強に呆けた。
何処に行っても、行政、税務、法律、憲法の勉強。
そして、第一次サルラス帝国侵攻があってから十五年後のある日。
リカルが、国王アステラの第一秘書に決定した。
今までアステラには秘書と言った秘書が居らず、リカルが初めてであった。
「よろしくな。リカル。」
リカルの努力を目の当たりにしていたアステラは、この結果を確信していた。
なので、特にリカルが秘書に任命されても、あまり反応は薄かった。
だが、そう言った時の笑顔は、これまでのリカルの努力の行き先を見せてくれたような、今までの長い道のりの道標の様な。
リカルは、この身を結んだ努力に、歓喜した。
そして二度と、大切な人の笑顔を崩さないと、アステラを守ると。
そう強く胸に誓った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
だが、そのアステラも、今目の前で腹に剣を刺して倒れている。
守ると決めたのに。
ずっとアステラを見ていたのに。
なのにこの様。
秘書として恥ずかしい。
主人も守れないとは。
まるであの時と同じ。
あの時と同じ感覚が、リカルに蘇った。
リカルは背筋を凍らせた。
二度とあんな思いをしたく無い。
大切な人を失いたく無い。
助けたい。
でも、激しい痛みで、自分の体を動かせない。
手を伸ばせば届きそうな距離に、アステラは居る。
なのに、どうしても手が伸びない。
動かない。
どうして。
どうして。
リカルは、自分の無力さに失望した。
悔しかった。
自分がもっと強ければ。
自分がちゃんと、周りを警戒していれば。
死んで欲しくない。
生きて。
生きて!
生きて!!!
そう念じた時だった。
ピカッと、建物の外から、激しい黄色をした光が見えた。
まるで雷の様に一瞬だけ光った。
その瞬間、外が静かになった。
なんだ。
外の敵兵が全滅したのか。
はたまた、王国軍が全滅したのか。
そんな事を考えていた時。
「兄上はここにいるか?!!!!」
建物の入り口から、男の声が聞こえた。
咄嗟にリカルは、その方をギリギリ動く首を動かして見た。
そこには、エルレリア侵攻を阻止して帰還した、マグダとエルダの姿があった。
――――――――――――――
帝国軍殲滅直後のエルレリア。
「アルゾナ王国の方角に、灰色の風塵が見えた。」
「まさか…………っ……………………」
マグダとエルダが、顔を合わせながら青褪める。
二人は瞬時に悟ったのだ。
自分達が、“サルラス帝国の手の平で転がされていた”事を。
簡単な話。
アルゾナ王国最主要戦力であるエルダやマグダがアルゾナ王国から去れば、サルラス帝国の勝機は格段に上がる。
なら、エルダが大切にしているエルレリアに少数の兵を送り、エルレリアの危機を知らせれば、エルダは其方へ向かい、アルゾナ王国は警備が手薄になる。
それに、マグダまでもがエルレリアへと同行してしまったのだ。
それにより何が起こるか。
サルラス帝国侵攻の勝機が格段に上がる。
言い換えれば、アルゾナ王国滅亡の危機である。
そして、エルレリア上空から目視できる、アルゾナ王国で上がる灰色の風塵。
もう既に、サルラス帝国の二度目の侵攻が開始されたと考えても良いだろう。
状況としては、非常に良く無い。
とても拙い。
最悪の事態だ。
「済まない、クレリア。急用ができた。」
エルダは、さっきまでしていたクレリアとの会話を中断して、マグダの元へと駆け足で向かった。
「父さん。どうする?」
「行くっきゃねぇが…………エルダ。此処からアルゾナ王国まで、最速だと何分で行ける?」
「人体の影響を考慮しなければ、三十分程で行けると思う。」
「よし、分かった。それで行こう。」
「ちょ…………ちょっと待って………………」
そう言ったが、今のマグダに、止まる様子は無かった。
エルレリアからアルゾナ王国までを三十分で移動する程の速さなど、生身で体験すれば、体全体に、3Gとか4Gとか、そう言った次元では無い重力がかかる。
一瞬にして体が肉片と化す。
要するに、一瞬で死ぬ。
エルダの場合、浮遊魔法の作用点を、浮遊中の自分の前に壁の様な形で配置すれば、飛んでいる時の空気抵抗をその作用点が外に逃がせて、エルダは無傷で飛べる。
だがマグダは、そんな芸当が出来ない。
幾ら複製魔法が使えるからと言って、流石に浮遊魔法は使えない。
魔力消費が途轍もなく多いのだ。
なので、使用した瞬間死ぬ。
っていうか抑も、発動が難しすぎるので、発動する事すら出来ない。
なら尚更どうするのか。
そう悩んでいた時であった。
マグダが突然両目を閉ざし、集中した。
その瞬間、マグダの上半身全体を覆う様、先端の尖ったドリルの様な形の氷が、マグダを覆った。
「これで、ある程度の加速には耐えられるだろう。さぁ、エルダ。頼む。」
本人は至極冷静の如く喋っているつもりだろうが、側から見ると、慌てふためいている様にしか見えないマグダは、そう言いながら、冷や汗をダラダラと流していた。
「…………どうなっても知らないよ? 父さん。」
「あぁ、覚悟の上さ。」
そう言ってマグダは、少し引き攣った笑顔を見せた。
「……飛翔。」
エルダはそう呟き、マグダとエルダの体を宙に浮かせた。
「またな! クレリア!」
「あぁ、行ってらっしゃい。」
そう言ってエルダとクレリアは、大振りに手を振り合った。
「じゃぁ行くよ。父さん。」
「あぁ、頼んだ!」
エルダは、自身とマグダの体を真横に向けて、自身の頭の前に、前からの空気抵抗を逃す為、浮遊魔法の作用点を壁上に配置した。
そして、深く深呼吸をした後、飛行を開始した。
ブォンン!!
エルダとマグダが出発した瞬間、エルレリアに突風が吹いた。
途轍もない速さで出ていった為、その時の衝撃波が風となって突風を生み出した。
今にも体が飛んで行きそうな突風を凌ぎ、クレリアは、碧く輝く碧雲を眺めた。
「ぐ、ぐぅぅぅぅぅ……………………」
マグダの唸り声が聞こえた。
「大丈夫か?」
平気なエルダが、マグダに聞いた。
「ま、まぁ………………何とか。」
そう言ってはいるが、明らかに疲れている。
エルダは空気を外に逃すだけなので魔力消費が少ないが、氷魔法を行使しているマグダの魔力消費は途轍もないものだった。
何が一番魔力消費が多いかといえば、空気抵抗に争って、自分の移動する速度に合わせながら前に前にと動かす事である。
氷魔法で出した氷であれば、術者はその氷を、浮遊魔法の様に動かすことができる。(自身で出した氷のみに限る。)
だが、氷魔法の浮遊と、浮遊魔法の浮遊であれば、浮遊魔法の方が、一度に使用する魔力コストが格段に低く、実用的な魔力の使い方ができた。
浮遊魔法の方が、効率が良かった。
約二十分後。
想定よりも大分と早くに、ギルジュグリッツに到着した。
戦況は、見て分かった。
明らかに、アルゾナ王国が劣勢である。
周りを見渡すと、アルゾナ王国兵の姿が見えず、サルラス帝国兵の姿しか見えなかった。
「このままでは拙いな………………」
息切れを何とか隠しながら、マグダは言った。
「……よし。エルダ、このまま私を浮かせておいてくれ。」
「あ、あぁ。分かった。」
今から何をするのか、マグダは一切何も喋らなかった。
マグダは、右手の平をギルシュグリッツに向け、左手で、右手首を握った。
そして、こう呟いた。
「雷風。」
その瞬間、ギルシュグリッツ内に居る全てのサルラス帝国兵に、稲妻が走った。
マグダの手から出た一本の稲妻は、街の道の中を蛇行し、サルラス帝国兵を次々に戦闘不能にさせた。
魔法名詠唱から帝国兵鎮圧までにかかった時間は、約0.3秒。
まるで一本の雷が音も無く帝国兵に降り注いだ様だった。
よく見ると、アルゾナ王国兵にはその攻撃が一切当たっていなかった。
改めてエルダは、マグダの魔法センスに度肝を抜かれたのであった。
その後エルダとマグダは、ギルシュグリッツの王宮跡前に降り立った。
瓦礫の山と化している王宮を見て、呆然と立ち尽くした。
「……ここまで戦闘が激化していたとは…………」
マグダは、自身の目を疑った。
開戦から約二十分ほどした未だ経っていないので、そこまで被害は少ないだろうと考えていたが、王宮を破壊される程に激化していた事に驚愕した。
そして、自信がどれだけ、魔法発展国であるサルラス帝国の魔法技術を舐めていたのかを思い知らされた。
「…………アステラは………………?」
「言われてみればそうだな。兄上の姿も…………リカルの姿も見えないな。」
二人が周りを何度も見渡すが、アステラとリカルの姿が一向に見えない。
アステラの性格的に、交戦中安全な避難所では無く、この王宮付近にいた筈だ。
そしてその第一秘書であるリカルは、主人を守る為、その近くに居る筈。
なのに、王宮付近、何処を探しても見つからない。
そんな時、マグダはルーダを見つけた。
早速マグダはルーダの元へと行った。
「ルーダ。兄上とリカルは今何処に?」
突然、エルレリアに居た筈のマグダに話しかけられて驚いていたが、その質問を聞いて、肩を落とした。
「…………どうした?」
「…………いえ、何でもありません。」
そう言ってルーダは、何かを包み隠そうとする素振りを見せた。
「父さん。叔父さん居た?」
ルーダと話していた時、前の方からエルダが来た。
「丁度良かったです。二人揃ったのなら。今なら未だ国王を救えるかもしれない……………………あの、マグダ様、エルダ様、私と同行願います。一刻を争うのです。お願いします。」
そう言ってルーダは、深々と頭を下げた。
「あぁ、わかった。案内してくれ、兄上の所に。」
「父さん、俺も同行した方が良い?」
「あっ、エルダ様も同行頂けると助かります。是非、よろしくお願いいたします。」
「了解。」
そうして、ルーダを先頭に、マグダとエルダは、アステラとリカルの居る、救護所へと向かっていった。
「此処です……………………」
ルーダは、敵兵に見つからない様にか、敢えてボロい素材で作られたまぁまぁ大きな建物の前へと連れてこられた。
屋根の上には、カモフラージュの為の草が、気持程度に置かれている。
早速マグダは、その建物の入り口へと駆けて行った。
エルダもそれについていく。
そして入口から中へ入り、マグダは叫んだ。
「兄上はここにいるか?!!!!」
その声を聞いて、建物の中にいた人がほぼ全員、マグダの方を向いた。
エルレリアからの帰還の早さに驚いている者も居れば、国の最高戦力が帰ってきて希望を感じている者も居た。
だが、誰もその場を動こうとせず、一瞬マグダを見ただけで、所定の場所へと戻っていってしまった。
理由は至極簡単。
此処が救護所であったから。
入った瞬間にマグダは分かった。
明らかに薄らと、部屋に血の匂いが充満していたのだ。
それに、明らかな怪我人が何人も目に入った。
此処が救護所と分からない方が可笑しい。
此処でマグダは考えた。
マグダはルーダに、“アステラとリカルがいる場所”を聞いた。
そして救護所へと連れて行かれた。
という事は、アステラやリカルは救護所に居るという事になる。
となると、アステラもリカルも、怪我を負っているのか。
そうなると、大分と拙い。
マグダは、此処で一番人だかっていた場所へと向かい、そこに居た負傷者を見た。
それを見て、マグダは絶望した。
アステラが、腹に剣を刺して倒れていたのだ。
顔は青褪め、息はしているかしていないのかよく分からない程に微弱で、今にも事切れそうな様子であった。
ばっとマグダは目を逸らすと、その逸らした方向に、病床に寝込むリカルも居た。
左半身の皮膚が焼けて爛れ、見るも無惨な姿となっていた。
「…………っ…………………………」
マグダは、心を痛めた。
何か方法は無いか。
怪我人全員を助ける方法は。
そうやって考えている時、ある方法が思いついた。
(そうだ、昔“あの魔法”を見たじゃないか。それを使えば………………)
マグダは、部屋の中心と思われる場所に立って言った。
「救護員は一旦救護所を出てくれ。早急にだ。そしてエルダ。もし私が倒れたら、頼んだ。」
マグダのその言葉を聞いて、救護員達は直様持っていた器具を置き、救護所を出た。
そして、何をするのか一切分かっていないエルダは、何を頼まれたのかイマイチ理解していないまま、救護所の入り口から、その様子を眺めた。
救護員が全員出て行ったことを確認したマグダは、深呼吸を一回して、気合を入れた。
そして、両手をばっと広げ、手の平を外側に向けた。
もう一度深呼吸をした。
覚悟を決めた。
「範囲複製.回復」
マグダがそう呟いた瞬間、マグダを中心としてそこから全方向に向かって風がブワッと吹いた。
そして、何処からか現れた黄金色の粒が、風に乗って、負傷者の元へと舞って行った。
そしてその黄金色の粒は、負傷者の負傷部の着地した。
そして複数の黄金色の粒に負傷部が覆われた時、治癒は開始される。
覆われていて中で何が起こっているのかは分からないが、その黄金色の発光が終わった時には、怪我は跡形もなく消えているのだ。
その黄金色の粒は、アステラやリカルの元へも舞って行った。
気づけば、リカルの左半身はその黄金色の粒に覆われ黄金に輝煌し、アステラの腹部に刺さっていたままの剣は、見る見るうちに抜けて行った。
そして、カランカランと音を立てて剣が落ちる頃には、アステラの傷は癒え、静かな寝息を立てて眠っていた。
そしてリカルも、あの綺麗な白い肌が戻り、火傷など、見る影も無くなった。
左半身は服も焼けていたので、マグダは、そっと毛布をリカルにかけた。
そして全員の治癒が完成した。
救護員達は、何が起こったのか一切分かっていないまま、ソワソワしながら待っていた。
そしてエルダは、その一部始終を眺めていた。
あまりにも綺麗な魔法だった。
まるでたんぽぽの綿毛の様に舞う黄金色の粒が、神々しさを醸し出した。
治療が完了して、その黄金色の粒は消えて行った。
エルダも、それは視認できた。
全員の治癒が完了したのかと、エルダはマグダの力の凄さに呆然とした。
そしてその時。
バタッ
まるで、消えゆくその黄金色の粒に生気を吸い取られたかの様に、マグダは意識を失い、地面へと倒れた。
マグダが倒れたのを見て、エルダは真っ先にマグダの元へと向かった。
「父さん! 父さん!!」
そう叫びながら、マグダの両肩を握り振った。
だが、起きる気配は無かった。
一旦自分の気を落ち着かせ、エルダは、マグダの脈を取った。
健康的な、一般的な速さで心臓が鼓動している。
呼吸もちゃんと出来ている。
気を失っているだけだと悟ったエルダは、少し安堵した。
「救護員の誰か。父さんを、何処か安全な場所で寝かせてきてくれ。」
そう言ってエルダは、救護室に入ってきた救護員にマグダを渡し、「頼んだ」と、その救護員に言い、見送った。
そして、マグダの姿が見えなくなった頃、病床の方からガサゴソと音がした。
ばっとエルダが振り向くと、そこには、上体を起こしたアステラが居た。
周りをキョロキョロと見渡して、此処が何処か、イマイチ分かっていない様子だった。
「…………叔父さん…………………………」
エルダがゆっくりと後ろから近付き、アステラに言った。
「エルダ………………」
アステラが、エルダを見て、何とも言えない表情をした。
いつもより少し目は開き気味で、口は少し開いている。
そして、はっと気付いたように、さっきまで剣が刺さっていた場所を摩った。
マグダの回復魔法のおかげで、怪我は完治している。
その後アステラは、地面に目を向けた。
そこには、アステラの血が付着した、刺さっていた剣があった。
「エルダ……………………一体何が……………………?」
何が何だか理解出来ていないアステラは、目を大きく開いて聞いた。
「えーっと……………何ていうか…………何にせよ途中からしか知らないので、それまでに何があったのかはさっぱり…………」
エルダがそう言っている時、後ろから誰かが近付いてきて言った。
「ならば、私が説明します。」
近付いてきたのは、ルーダだった。
ルーダであれば、大体の時間アステラの側にいたので、アステラが刺されてからの事も知っているだろう。
「じゃぁルーダさん。お願いします。」
「はい。そちらこそ、是非お父上の元へ。きっと寂しがっておりますよ。」
そう言ってルーダはエルダに一礼した後、アステラのいる病床へと向かって行った。
その後アステラと、会話中にひっそりと起き上がっていたリカルは、ルーダから今まで会ったことと、現在の状況を聞き、エルダは、王宮近くにある寮の一階にある部屋のベッドに寝かされているマグダの側の居た。
その寮は、王宮に勤めているが自宅から王宮まで来るのに時間がかかる者の為のもので、王宮の背後にあった為、王宮全壊の原因となった超巨大炎弾の影響も受けなかった。
そしてその一階に、救護室があるので、そこのベッドに、マグダが寝かせてある。
そのベッドの隣に、エルダが座っていた。
現在の状況としては、マグダがアルゾナ王国内へと侵入したサルラス帝国兵を、電気で麻痺させ、行動不能にさせたので、その兵の回収を行なっている。
「出来るだけ人は殺さない」という、アステラのポリシーの下、麻痺させた帝国兵は全員、サルラス帝国の国境付近に置いておく。
どうせ誰かがその兵を見つけてくれるだろうと言う、確実性のない確信があった。
その行動は、アステラの指示があった訳では無かったので個々の兵の独断によるものであったが、後にその行動が高く評価されアステラから賞されることを、未だ誰も知らない。
約七時間後
マグダは既に目を覚まし、アステラとエルダとマグダの三人で少し話をした後。
マグダの魔法により完全回復したリカルは、戦後処理の総指揮へと回り、ルーダも、帝国兵対処班の指揮をとっている。
アルゾナ王国軍救護師団師団長であるガラブは、避難した国民への、戦争の結果と現在の状況を説明しに、ギルシュグリッツを離れている。
そして今、ある程度の戦後処理が終了し、皆が休息を取っていた頃だった。
エルダは、その王宮寮の屋上で、一人柵に凭れて夕日を眺めていた。
「こんな所に居たのか。」
アステラが、屋上へとやって来た。
「叔父さん…………どうして此処に?」
「なに。少しエルダと話がしたくて。迷惑だったかな?」
「いえいえ、そんな事は一切………………」
アステラも、エルダの隣に凭れた。
「エルダ。エルレリアで人を殺したか?」
突然アステラが、エルダに向かって聞いた。
「………………はい。大勢の帝国兵を殺しました。」
「そうか……………………」
エルダが、夕日から視線を逸らし、俯いた。
「私は、人を殺した事が無い。」
アステラは、俯くエルダに向かって言った。
「…………嫌味ですか?」
エルダが、そういうアステラに対し、少し苛立ちを覚えた。
「いやいや、そういう事じゃない。いや…………何だ。私にも、『人を殺す勇気』があったらなぁ…………って。」
アステラが、夕日の、もっと遠くを見ている様な目をして言った。
「私にその勇気が有れば。前に帝国に攻められた時も、父上やシュリが救えたのかな………って。」
「……シュリとは誰なんですか………………?」
「あぁ、エルダは知らないのか。シュリは…………まぁ話すと長くなりそうだから、この戦後処理が完全に終了した時に話すよ。」
「はい……………………」
「それでは私はそろそろ。」
そう言ってエルダは、屋上を去った。
「はぁ……………………」
アステラは、深くため息をついた。
「『人を殺す勇気』、か。私は未だ甘いんだろうな………………」
そう言いながら、アステラは少し口角を上げた。
あの時。
リーゲルが暁光蝶を放った時。
あの場には、アルゾナ王国の国民の遺体が数えきれない程あった。
それを暁光蝶は、全て焼き払い、この世から消し去った。
一国の王としての、リーゲルのその決断は、どれ程のものだったのか。
今回の第二次帝国侵攻は、国民での死亡者や負傷者は一切出さずに終結したので、王としての最善は尽くせた。
只、マグダやエルダが居なければ、アルゾナ王国は滅亡していたかもしれない。
アステラは、国民を守り切った安堵感と、自身の無力感を強く感じながら、沈み行く落陽を、遠い目で眺めていた。
――――――――――――――――
カルロスト連邦国、首都ジズグレイスの王城にて。
「ギニルよ。例のスラムの掃除は終わったのか?」
図太い声の肥えた男は、自身の臣下、ギニルに向かってそう言った。
ワインを片手に、小さな台に肘を付きながら、グラスを踊らせていた。
「いえ、未だ解体中でして………………後一週間程ご猶予を頂ければ必ず……………………」
それを聞いた男は、持っていたワイングラスをギニルの膝下に投げつけた。
「何だと?! わしは今日中に済ませよと命じた筈じゃが! そんな醜態を晒しよって。反吐が出る。もう良い。」
そう言って男は、ギニルの頭に向かって指を指した。
「国王、どうかそれだけは! 命だけは! ちゃんと例の女奴隷の獲得に成功したじゃありませんか! なのでどうか! これからも国王のお役に立ちますので! 何卒…………」
そう言っている途中で、男は、水射針をギニルの心臓に向かって撃ち抜いた。
ギニルは息絶え、地面に寝転がり、胸から血を流している。
「おい、サラナ。掃除をしてくれ。」
男はそう言い、自身の第一秘書、サラナ・モルドに目の前の死体の掃除を命じた。
女は、何も言わずに前へ出て、死体をゆっくりと転がし、着ていたスカートをちぎり、それで床の血痕を拭き取った。
その間男は待っていたが、命じてから三十秒後。
「えぇぃ! 遅い遅い!! もっと速く掃除せんか!! 無能か?」
そう言って男は、台の上にあったワインボトルを、サラナの頭に目掛けて投げ付けた。
だがその軌道はずれ、サラナの背中に当たった。
砕け散ったボトルの破片は、サラナの背中を切り裂き、漆黒のドレスを真紅に染めた。
それがワインなのか血なのか。
そんな事、男は毛頭考えていなかった。
それを受けたサラナは、一言、
「申し訳ありません。」
と言って、死体を抱えて部屋を去った。
そしてそれと入れ替わる様に、別の臣下が部屋に入ってきた。
「国王。サルラス帝国からある報告が…………」
「ほほぉう。帝国から。なんと?」
男は目を見開き、臣下を見た。
「先の第二次帝国侵攻で活躍したあの浮遊魔法師が、カルロスト連邦国へと来るそうです。」
「ほぅ。それは難儀な…………」
男が悩んでいた時、それに畳み掛ける様に、臣下は言った。
「そういや、その浮遊魔法師は、帝国侵攻の時に売却された北東部のスラムの生まれだったとか……………………」
それを聞いた男は、ニヤとあぜ笑い、言った。
「おい、今すぐサラナを呼んで来い。国力増強の時間だ。」
――――――――――――――――――――
第二次帝国侵攻終戦から二週間後。
戦後処理も大分と落ち着き、被害のあった民家も、粗方修復が完了した。
アステラの指示で、王宮の再建を後回しにしたお陰だろう。
ある日アステラは、住宅に被害があったであろう、北部の避難所にいる避難民に向けて直接謝罪をした。
「国民あっての国。そしてその国民を守るべき立場である我々が、民の大切な家や物に損害を与えてしまった事を深く謝罪する。ついては、復旧資金や人手は全てこちらの方で確保し、最大限、国民の有るべき日常を取り戻さんと奮起する次第でありますので、どうかご容赦頂きたく存じます。」
そう言ってアステラは、大衆の前で深く頭を下げた。
そして様々な事を話し、その去り際。
ある国民に、こんな事を聞かれた。
「アステラ王の仰る通り王宮の修復を劣後するのでしたら、その間王は一体何処で生活を?」
その問いに対し、アステラは、頭だけを振り向かせ、言った。
「そんな事、正直何にも考えておりませんでした。まぁ言うとすれば、野宿でも別に良いですしね…………まぁ、成り行きに任せるとします。」
「ですが一国の王がそんな……………………」
「ありがとうございます。私にとっては、そうやって私の事を心配してくださっている事自体が幸福で仕方が無いのです。その為なら私、野宿だってなんだって、喜んでいたしましょう。
ありがとうございます。こんな国王を信じてくれて。」
そう言ってアステラは、その場を去った。
そしてアステラは有言実行。
王宮はそのままに、全人員を、街の復興に携わらせ、僅か二週間足らずで、ほぼ全ての住居の再建が完了したのだ。
そして今、もう既に避難民の誘導が始まっている。
つまり、一部が瓦礫の山と化していた街に、再び人が住むのだ。
アステラもやっと肩の荷を下ろし、地面にへたった。
だがそんな休息も束の間。
ギルシュグリッツよりも北部の、被害が一切無かった地域で、アステラ王の信任に対するデモが起こった。
「街を守りきれなかった駄人間。」
「弟の手柄を自分のものにしようとしたペテン師。」
そんなデマが、中部から北部地域にて出回っているのだ。
当然それは、アステラの耳にも入っており、大衆の前での謝罪会見は余儀無い。
突然の宣戦布告と戦争、そして戦後処理と、もう疲労で満身創痍な中、新たに事実無根なデマによるデモが勃発した。
目の下にはクマができ、目は真っ赤に染まり、既に限界を迎えているアステラは、国のためと自分の足を無理矢理歩かせながら、謝罪会見の準備を取り急いだ。
次ぐ日。
アステラの謝罪会見の噂は瞬く間に国中に広がり、当日発表だったのにも関わらず、数万人の国民が、アステラの言葉を聞きに集まった。
舞台はとても簡素な物であったが、話をするには十分な設備だった。
舞台裏でアステラが、今にも崩れかけそうな足をなんとか立たせながら、開始時刻を待った。
そして正午。
民衆がしんと静まり返り、アステラの登場は未だかと待っている。
だがアステラは、この間に立っていることすらも儘ならなくなり、遂には、とても演説などできる状態では無くなるほどに衰弱した。
会見の実現は絶望的だった。
そんな時、アステラの眼前を誰かが横切った。
「叔父さん。後は俺に任せてください。貴方が教えてくれなければ、エルレリアは無かった。恩を返したいのです。どうか、許して欲しい。」
アステラにその言葉が届くかは分からなかったが、その男は、アステラの返事を待たずに、会見の壇上に上がった。
アステラではない男の登場に、会場は騒めいた。
あの王は逃げたのか。
そうだ、逃げたに相違ない。
デモ集団は、一心にそう思った。
エルダは、壇上の中心にあるマイクに向かって叫んだ。
「デモグループの奴等に言う。お前等は馬鹿か?」
その言葉に、会場はより一層騒めいた。
「父さんの手柄を横取り? 街を守れなかった駄人間? 実に馬鹿馬鹿しい。そんなデマ、誰が信じるか。」
その言葉に苛立ちを覚えた一人が、エルダに向かって言った。
「第三者が何知った口でほざいてんだ。さっさと失せろ! あの糞国王を庇うってんだったら他でやれ!」
「黙れ。恩人の努力を無碍にする糞を糞と言って何が悪い。もっとも、あんな出来の悪い事実無根のデマを信じるのは本当の阿呆だろうが。」
「何だと!!」
「じゃぁ聞く。お前は、第二王子のマグダがこの国を救ったと知っている筈だ。」
「あぁそうだが、それが何か?」
「誰に聞いた?」
「そんなの、あの駄人間からに決まっているだろう。」
「じゃぁ何故アステラ王は、利用する弟の手柄を、わざわざ民に公表するのか。そんな情報は闇に葬り去った方が、手柄を奪うには得策。何故公表したのか。お前は何故たと思う?」
「………………っ………………」
エルダは、それに畳み掛ける様に言った。
「それに次いで聞く。お前らなら、今回の侵攻の被害をもっと抑えられたのか? 今回の被害の復旧を、二週間未満で終わらせる事は出来たのか。」
「それは………………」
「当然無理だろう。とりわけ、お前がウン百人と言った優れた技術者を連れてくることが出来るなら話は別だが。出来るのか?」
先まで威勢の良かったデモグループの男が、遂に黙り込んだ。
それを確認したエルダは、最後に言った。
「分かったか! お前らが信じていた情報は、全て事実無根の大嘘だ! それが分かったら、王が元気な時にでも、土産の一つ持っていって、感謝して帰れ。あの王のことだから、直ぐに許してくれるだろう。
………………良かったなお前ら。自身の国王がこんなにも優しくて。俺の故郷なんてそんな………………」
マイクも拾えぬ程小さな声で最後言って、エルダは壇上を去った。
次の日。
アステラが一時的に暮らしている小さな小屋の前に、沢山のお札が落ちていたらしいが、それが誰のものなのか、何故置かれていたのか。
真相は未だにわかっていない。
だが、その札束の下に、ある紙切れが挟まってあった。
『王宮の再建費にでも使って下さい。』
アステラが目覚めたのは、エルダの乱入した会見の二日後未明。
アステラの寝ていた小屋の近くを偶々通りかかったエルダが、アステラの回復を確認した。
大量のお札も、その時エルダが発見し、アステラに報告したのだ。
小屋の中でエルダは、一昨日の会見の話をした。
直前にアステラは倒れたので、そこからの記憶が一切無かった。
エルダは、アステラを安心させられる様、「その場にいるほぼ全員に、アステラの潔白を証明出来た。」と伝えた。
二日間も寝ていた為、その話を聞いた後アステラは、水分不足と極度の空腹でベッドに寝転んだ。
それを見てエルダは南無三、直様外へ出て、リカルを呼びに行き、朝食の支度をお願いした。
街の復旧をたった二週間で済ませたアルゾナ王国の手際の良さは流石で、そのご飯の準備も、エルダがリカルに伝えてから僅か五分ほどで完了した。
アステラの小屋に飯を持って帰っている途中マグダにも会ったので、エルダは、マグダと同行しながら、アステラの小屋へ向かった。
一応アステラは未だ回復段階なので、飯の内容も、お粥やスープなどの、体に優しい物だらけだった。
お盆を浮かせながら小屋まで向かったが、その時に鼻へと流れてくる料理の匂いが、エルダやマグダの空腹を煽った。
アステラの小屋へと着き、マグダがアステラに飯を食わせることとなった。
なのでエルダは、小屋の隅で、その様子を眺めていた。
よく考えれば、アステラとマグダは、十数年ぶりの再会だったのだ。
その上、再開の瞬間も、戦中だった為ゆっくり話をすることが出来なかった。
なので今この時間が、再開して初めての、兄弟の団欒の時間だった。
ある程度ご飯も食べ終わり、アステラが元気になっていっている時。
エルダは、ある事を言う為、ばっと立ち上がり、アステラとマグダの前に立った。
「父さん、叔父さん。俺、決めました。」
それを聞いて、はて?と首を傾げる二人。
それに続けてエルダは言った。
「俺、一度カルロスト連邦国に帰ろうと思います。」
それを聞いて、思わず音を立ててマグダが立ち上がった。
「なんで?」
あんなに治安の悪い所にわざわざ行かなくても……と思っているのだろう。
十何年も会っていなくとも、マグダはエルダの父。
息子の身を案じての質問だった。
「俺は、この大陸を、色々な国を旅したいと思って、故郷を発ちました。そして今、エルレリアとアルゾナ王国を周りました。次に行く国…………と考えると、今の所、カルロスト連邦国しか無いんですよ。サルラス帝国は怖いし、オームル王国は未知数だし。それに、カルロスト連邦国と云う国をしっかり知りたいのです。」
「…………そうだな。色んな国を知っておく事は大切かもしれんな。」
アステラが、エルダの話を聞いて、そう返事をしながら上体を起こした。
「兄上…………」
「マグダ。別に、エルダの事は心配せんでもいいだろう。カルロスト連邦国だろ? 早々に死にゃぁせん。だってめちゃくちゃ強いから。恐らく、今のマグダよりも。」
「そうですな…………そんな心配は無用だったか。よしエルダ! 行ってこい!!」
アステラの言葉を聞いて、マグダの様子がガラッと変わった。
まるで盲点を突かれた様な顔をしながら、エルダに優しく微笑みかけた。
「ありがとう!」
そう言ってエルダは、故郷への帰国の準備をした。
「一般的な親だったら『我が息子も成長したなぁ』とか思うのだろうけれど、その考えは、その成長過程をずっと見ていたからこそ言える事であって。私も言いたかったな。なんて。」
エルダが去った後、独り言の様にマグダが言った。
「まぁ、一般的な同年代の人と比べたら、大分しっかりした人間だと、私は思うがな。」
「そう言ってくれると嬉しいなぁ…………」
いつの間にか二人は、タメ語で話す様になっていた。
「あっ、ごめんなさい。ついタメ語で………………」
「良いんだマグダ。タメ語の方が此方としても落ち着く。どんな国王だって、タメ語で話せる仲の人間が、一人ぐらいは欲しいだろうから。」
「ありがとう。」
そう言って二人は、互いに笑みを浮かべあった。
「まさか、こんなにも子供の成長が速いとは。エルダの幼い頃も、一緒に居たかったな………………」
そう言いながらマグダは、エルダの去った小屋の入り口に視線を移しながら、扉のもっと遠くの方を眺めていた。
昼。
アステラは、マグダの回復系複製魔法で完全回復し、エルダも、出発の用意が完了した。
空を飛べるのでわざわざ門から出国する必要がない。
なのでエルダの見送りは、王宮跡前で行われた。
王国軍とは思えない程に無造作に並んだ兵の先頭には、ルーダやリカル、もっと先頭に、アステラやマグダが並んだ。
「じゃぁ。カルロスト連邦国でも、無事で居ろよ?」
そう言いながらアステラが、エルダの肩を二回叩いた。
「はい、勿論。」
エルダは一回、軽く頷いた。
「またアルゾナ王国に帰ったら、カルロスト連邦国での話でも聞かせてくれや。」
「あぁ。」
マグダはそう言いながら、純白の歯を見せつけて笑んだ。
「それじゃぁ、行ってきます!!」
エルダはそう叫びながら、此処で貰った食糧と野宿用の色々な道具を入れた鞄を背負い、宙に浮いた。
大きく手を振り、優しく笑んだ。
「飛翔。」
エルダはそう呟き、アルゾナ王国を後にした。
アルゾナ王国の防御壁を飛翔で超え、そのまま直線距離でカルロスト連邦国へと向かった。
前にマグダとエルレリアからアルゾナ王国へと戻った時の速度で移動すると、恐らく途中で魔力が切れて動け無くなるので、ゆっくりとのんびり移動した。
浮遊魔法を持っていることがバレると色々と面倒なので、出来るだけ木々の上ギリギリを飛んでいる。
これなら、空高くで飛ぶよりもバレにくいだろう。
ただ飛んでいるだけでは暇なので、エルダは周りの景色に視線を向けた。
あの日。
スラムに居るのが嫌になって、そこを発った。
そして無闇矢鱈に、ただ一方向に、真っ直ぐに歩き続けて、奇跡的にアルゾナ王国に到着した。
そしてその時の道を、今度は帰る為に辿っている。
ただただ木々が並んでいるだけの光景の連続だが、とても懐かしい気持ちになった。
何か、見覚えのある様な配列の木々があったりするのだ。
そう云った物を見る度に、郷愁に駆られた。
あの頃の自分は、弱い自分が嫌いだったけど、今は違う。
自身の力についても理解し使える様になったし、一般教養も手に入れた。
昔の自分はもう居ない。
今いるのは、自信に満ち溢れた、活発な青年。
エルダは成長した。
そう、はっきりと感じることが出来た。
カルロスト連邦国までの道のり凡そ半分辺りの地点に到着した頃。
既に日は傾き、夜もそろそろだった。
一旦地面へと降下し、背負っていた鞄を地面に下ろし、近くの太めの木の幹に凭れ掛かった。
ため息を一つほぉっと吐いた後、地面に置いた鞄を浮かせて、自分の元へと持ってきた。
中から物を出すのを、わざわざ魔法を使うのも面倒臭いので、自分で行った。
中から事前に用意しておいた火打ち石を出し、浮遊魔法でそこらの木の枝を集めて積み、火をつけた。
暖かい炎が、エルダの体を温め、体を赤く照らす。
この炎を見ていると、オーザックを思い出す。
あの日。
燃え盛ったあの村。
照らされた体。
赤い炎と地面に流れる紅い血。
あまり思い出したくない過去だ。
エルダは、水筒の水を一口飲みながら、万点の星空を見上げた。
翌朝。
さっさと出発準備を済ませ、昨日と同じ様に飛び立った。
予定では、今日の昼頃に到着する。
スラムに帰って何かしたい訳では無いが、昔住んでいたあの家を少し見ておきたい。
そして、カルロスト連邦国内を回ってみたい。
そう言った願望を胸に、エルダは連邦国へと向かった。
昼。
ようやく、メルデス大森林の終わりが見えてきた。
カルロスト連邦国が目と鼻の先である証拠だ。
嗚呼、今故郷はどうなっているのか。
こう云った考え方はあまり良く無いかもしれないが。故郷の奴等が自分を蔑んだのは、“平民の出なのに魔力を保持していた”からであった。
だが自分は、平民の出では無かったのである。
父が王族だったのだ。
なので、蔑まれる理由は何もない。
寧ろ媚を売ってくる者が居ても可笑しくないのかもしれない。
だから、別に故郷に帰ったって、怖がる事は何も無いのだ。
それに向こうには、母親を延命させてくれた薬屋もいる。
連邦国内にいる人物の中で、最も信頼出来る人物だ。
名は確か、グリリア・スクリだったか。
もし今日逢う事が出来れば、約六.七年ぶりの再会となる。
あの頃と比べて自分は、大分と変わっているので、エルダと分かってくれるのか、少し不安になったが、その時間が一番楽しかった。
「…………………………?」
エルダが不思議に思った。
この距離であれば、故郷スラムの建物が見えて来る筈なのに、その様な影が一切確認出来ない。
木々に隠れるにしても、明らかに可笑しい。
この約一年の間に何があったのか。
少し恐怖を感じながらも、少しずつ前へと進んでいった。
そうして暫く進むと、あり得ない光景が広がっていた。
さっき建物が見えなかった理由も、これではっきりした。
エルダの故郷の区画一帯が、何も無い、ただの更地と化していたのだ。
名残など一切無い。
瓦礫の一つも無い。
まるで初めから何も無かったかの様な。
初めからこうであった様な。
自分の家は勿論、よく通っていた道も、電球の切れかけていた街灯も、あの懐かしい町並みも、お金を稼いでいた仕事場も。
何もかもが無に帰していた。
一体何があったのか。
自然災害やそう云った物では無い事は分かる。
恐らく人為的な物だろう。
だとすれば誰が、何故。
それに此処に住んでいた連邦国民は、何処に行ったのか。
周りを見渡しても、誰も見当たらない。
その更地と化した故郷へと降り立ち、周りを見渡す。
その時だった。
「初めまして、エルダ・フレーラ様。」
突然背後から、元は元気そうな声を無理矢理押し殺して感情を消した様な声が聞こえた。
ばっと後ろを振り返ると、そこには、街に行けば一躍話題に上がりそうな程に顔の整った女性が立っていた。
「初めまして、エルダ・フレーラ様。」
彼女はもう一度そう云った後、こう続けた。
「私、サラナ・モルドと申します。是非、お見知り置きを。」