自分の部屋に着くと鞄を床に置き、ベットに一旦横たわる。
 「あーなんだか朝から疲れたな」
  今日のことを思い出し、ぼそっと呟いた。


 俺には、家族と幼馴染みの楓しか知らないことがある。
 俺は『色覚障害』だ。
 日本での色覚障害の割合は男性では20人に1人。女性の場合は500人に1人。
 俺はその5%という確率の中にいる。

 それに気づいたのは小学生の時だ。
 両親が読み聞かせをしてくれていた絵本を見ていたとき、いつも見ていた電車の背景が、夕焼けの空ではなくなっていた。
 なんだこの変な空。
 俺には真っ黒に濃い茶色に黄土色。そして灰色にかすかに見える白色。
 いつもクレヨンで見ているあまり使うことがない色が、ここには塗られてあった。
 
 『俺の世界から赤色と橙色が消えた』

 サンタクロースが描かれている絵本を見ても、赤は暗い色といった濃い茶色や真っ黒に見えるのだ。
 俺の両親はすぐに病院へと連れて行った。
 そこで初めて分かった。
 『色覚障害』
 それが分かってからの1週間。両親は、俺が夜寝ている間に歯ブラシやコップ、お箸に、棚に置いてある雑貨など、家からありとあらゆる赤色と橙色を家から取り除いていた。
 俺は小学生ながらもその意味は分かっていた。
 青色のコップに青色の歯ブラシ。
 お気に入りだった赤いヒーローが目印の水筒が、海に浮かんでいるクジラが目印の水筒へと変わっていた。
 中学生にもなると、自分でも色について気を使うようになった。
 筆箱やお弁当箱。
 自分の持ち物は自分で選びたい、とお母さんの負担をさらにかけないようそう言った。
 中学の頃、幼馴染みの楓に色覚障害であり、赤色と橙色が見えないことを伝えた。
 もう仲良くしてもらえないだろうと思ったが楓は、
 「俺がいるから大丈夫だ!一緒に美術部入ろうぜ!!何かあったら俺が助けるから安心しろ」
 絵が好きなことを楓は分かってくれていた。
 その時の俺は、心が少し明るくなった。

 そう。だから俺は、色覚障害ということを知られたくないばかりに、学校生活では楓の力ばかりを借りてきた。
 楓以外の多くの人と関わることは怖かった。
 必要最低限の関わりを求めた。
 知られることが怖かったから。

 楓が美術部に誘ってくれたように、絵を描くことはやはり両親の影響もあって中学でも今でも好きだった。
 しかし、絵を描く時は自然とカーマインやバーミリオンという赤色や橙色を避け、コバルトブルーやセルリアンブルーといった青系の色で描いていた。
 この時からか、俺の世界は群青色に染まっていった。
 絵を描くのに、好きな色も使うことができないのか。本当はたくさんの色を使って描きたいのに。
 時々思う。
 名前に『橙』という字が入っているのに、その色を使った絵をお母さんやお父さんに見せたことがない。申し訳ないと思う。
 そして、部活の時だけは色についていつになく気を遣ってくれている楓にも。


 ずっと俺は群青の世界の中で描き続けていくのかな。