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 お盆最終日。
 ラジオから流れる道路交通情報では高速道路の渋滞予測が発表され、余裕を持って帰省するよう促していた。

 深瀬家のお墓参りは親戚総出で済ませており、祖父母の家には泊まらず日帰りで帰ってきた。
 祖父母は少し寂しそうにしていたが、来月にもまた来ることを伝えたら「楽しみにしてるからね」と笑顔を浮かべていた。

 執筆でしばらく引きこもっていたせいか直射日光が思いの外キツかった。
 腕と足が赤く腫れているし、風呂に入る時にヒリヒリして痛かった。
 日焼けというより火傷に近い。
 最高気温が40度を超える地点もあったみたいだし、対策無しに迂闊に外に出たら死人が出るレベルだ。

 久し振りの外出で体にダメージを負ったオレは今日も今日とて原稿と向かい合う。
 机に並べられた微炭酸飲料の缶は努力の結晶だ。

 里緒奈に片付けてもらった部屋は数日で元通りになっていた。
 いや、ゴミ袋にゴミを捨てているだけ前よりはマシか。
 ペットボトルのキャップを踏んで悶絶してからとりあえず床にゴミを放置することはやめた。
 ゴミはゴミ袋に。
 そんな基本的なことですら集中状態に入ると疎かになってしまう。
 こればかりは意識して改善するしかなさそうだ。

「ふーかーせーくんッ!」

 インターホンが鳴り、しばらく無視していると玄関先で少女が叫び始めた。
 どうやら母さんは外出しているらしい。
 インターホンが連続で鳴り続ける中、仕方なく玄関まで行き覗き穴から声の主を確認する。

「更科さん?」

 日焼け対策なのか変装なのか、キャップを深く被りサングラスをかけた更科さんが両手を口元に当てて叫んでいた。

「ちょ、ちょっと、更科さん? 近所迷惑になるから静かにして欲しいんだけど」

「やっぱりいるじゃん。深瀬くんいるならもっと早く出てきてよね。暑くて死んじゃいそうだよ」

 パタパタと手で仰ぐ更科さんを玄関に招き入れる。
 いつもは颯と一緒に来るのに今日は颯の姿がない。

「えっと、何か用かな?」

 親友の彼女を家に上げるわけにもいかず玄関で話をすることに。
 恐らく駅から歩いて来たのだろう。
 更科さんは額に浮かんだ汗をハンカチで丁寧に拭いている。

「深瀬くん、スマホの電源切ってるでしょ? 祭が心配してたよ。深瀬くんと連絡が取れないって」

「あ……」

 そういえば執筆に集中する為に電源を落としてそのままだった。
 すっかり忘れていた。

「さてはその顔は忘れてたな」

 更科さんが人差し指をこちらに向けてジト目で睨みつけてくる。

「すみません」

「私に謝らないで祭に連絡してあげて。付き合ってすぐ音信不通になったら誰でも心配するでしょ?」

「そうだね。少し考えれば分かることなのに追い込まれててそこまで気が回ってなかったよ」

「深瀬くんのことは颯から聞いてるけどあんまり無茶しちゃダメだよ。自分の体は自分で管理するしかないんだからさ。って私が言えたことじゃないけど」

「いや、更科さんの言う通りだよ。ただ、無茶できるのは若いうちだけだから……」

 叶えたい夢があるなら尚更のこと。

 更科さんはインフルエンサーとして仙台と東京を行き来して、イベントに出演して、動画撮影をして、ハードスケジュールをこなしている。
 オレなんかよりもよっぽど忙しいはずなのに周囲に弱音を吐いているところを見たことがない。

「まあ、ひとまず目の下のクマは気になるけど深瀬くんの無事が確認できて良かったよ」

「わざわざありがとう。伝えに来てくれて」

「もっとお礼を言ってくれてもいいんだよ。せっかくのオフに颯とのデートをキャンセルしてまで来たんだから」

「いや、もう、本当にありがとう。貴重な時間だったのにごめん」

「あはは、冗談だって。私の親友の彼氏なんだからもっと堂々としてもらわないと困るよ。祭を悲しませるようなことしたら許さないからね」

「肝に銘じておきます」

「それじゃ、そろそろ帰るね。今ならまだ颯とカフェくらいなら行けそうだし」

「うん、暑いから気を付けてね」

「また夏休み明けに!」

 恋のキューピッドこと更科さんはキャップとサングラスで素顔を隠して炎天下の中軽やかに帰っていった。

—2—

「藤崎さんごめん。連絡返してなくて。小説に集中する為にスマホの電源を切ってたんだ。さっき更科さんが家に来て藤崎さんが心配してたって聞いてさ」

 更科さんが帰ってすぐ、オレは藤崎さんに電話を掛けた。
 メッセージが数件溜まっていたところを見るに心配してくれていたことが窺える。

『そうだったんだ。前もって言ってくれればよかったのに。って、それは私も同じか』

 告白の返事を保留にしたまま約5日間連絡を返さなかった前科を思い出したのか藤崎さんが笑った。
 バスケに集中したかったから。藤崎さんはそう話していた。

「事前に連絡するべきだったよね。心配させてごめん」

『次からはお互い気を付けよっか』

「そうだね。藤崎さんは今はおばあちゃんの家?」

『うん、夕方にそっちに着く予定だよ。こっちは蝉が煩くてね。自然豊かだから仕方ないんだけど。聞こえる?』

 電話越しに蝉の鳴き声が聞こえてくる。
 オレの祖父母の家も田舎でほぼ山の中にいるような感じだから蝉が煩かった。

「聞こえるよ。かなり賑やかだね」

『こっちに来て4日目だからこれでも慣れたんだけど、やっぱり煩いよね』

 付き合っていなければすることのない日常会話。
 藤崎さんの声を聞いているともっと藤崎さんのことを知りたいという欲望が込み上げてくる。

「藤崎さん、夏休みが終わる前にどこかに出掛けない? 部活で忙しい?」

『ううん、午前で練習終わる日もあるし大丈夫だよ! どこにしようか?』

「仙台のアーケードで食べ歩きとかどう?」

『いいね! 仙台駅でずんだシェイク買ってから行こ!』

 食べ歩きと聞いて藤崎さんの声色が弾んだ。
 ずんだシェイクが好きなんだな。確かに甘くて美味しいよな。

『いつにする? 明日から部活再開だから行けそうなのは明後日か来週の23日だけど』

「小説の原稿がまだ残ってるから来週だと助かるかな」

『じゃあ23日にしよっか』

「うん、それまでには絶対終わらせる」

 机の上のカレンダーに目をやる。
 来週には夏休みも終わって学校が始まる。
 学校が始まったら今みたいにまとまった時間は取れない。
 執筆時間を確保するために睡眠時間を削るという方法もあるが、更科さんに体調管理で忠告を受けたばかりだ。
 夏休み中に原稿を仕上げて、学校が始まってから月末まで修正作業を行う。これが理想だ。

『もし難しそうだったら教えてね。原稿の方が大事だと思うから』

「分かった。じゃあまた」

『うん、ばいばい』

 耳からスマホを離して『×』ボタンを押す。
 室内にはエアコンの稼働音と時計の秒針が刻む音だけが響いている。
 鼓膜に残った藤崎さんの柔らかい声。
 その余韻に浸りながらオレはパソコンを開くのだった。