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里緒奈のライブイベントを翌日に控えた土曜日。
オレは冷房の効いた自室で夏休みの課題と格闘しながら颯の到着を待っていた。
今日は創作活動抜きの勉強会を行う予定だ。
本音を言えば『青春小説大賞』の原稿を進めたかったが、課題を後回しにした結果去年は大変な思いをしたので今年はまとめて片付けることにしたのだ。
原稿も勉強も前もって計画を立てるのだがそれ通りに進んだ試しがない。
計画を立てたことに満足して実行に移せない典型的なパターンだ。
1度作業に集中することができればしばらく没頭できるので、如何にしてやる気スイッチを入れられるかが鍵となってくる。
『Z』で『今日は◯,◯◯◯文字書けたからノルマ達成。完結まで残り◯,◯◯◯文字』と呟いている先輩作家を目にするが素直に尊敬する。
他人に見られているという環境を意図的に作り出して逃げ道を断つ方法なのだが、オレにはとても真似できそうにない。
見られていても書けない時は書けないからな。
「確か冷蔵庫にミルクティーが残ってたはず」
コップが空になり、飲み物の補充をするべく席を立つ。
甘い飲み物ばかり飲んでいると虫歯になりそうで怖いが体がミルクティーを欲しているのだから仕方がない。
「おう秋斗、邪魔してるぞ」
「おはよう深瀬くん」
リビングの扉を開けると颯と更科さんがソファーに座ってドラマを観ていた。
なぜか母さんを真ん中に挟んでいる。
「いつになっても来ないと思ったら、なんで人の母親とドラマ鑑賞してるんだよ」
カップルに挟まれている母さんはどんな心境なんだ?
「美結が録画し忘れたらしくてさ。秋斗も観るか?」
「観ないわ。そんなの見逃し配信でいつでも観れるだろ。ほら時間がもったいないから早く上に行くぞ。ちょうど飲み物取りに来たんだ」
「深瀬くん、私麦茶がいい!」
「俺も同じので。デザートはプリンがいいな」
小学生のように元気良く手を上げて注文してくる更科さんと颯。
なんだかファミレスの店員になった気分だ。
あと、人の家の冷蔵庫の中身を把握してるのが地味に怖い。
「分かったから早く上に行け。母さんも黙ってないで1回一時停止にしてくれ。2人とも画面の前から動きそうにないからさ」
「今良いところだからダメ」
頭の上にバツ印を作られてしまった。
まあ母さんは何も悪くないので無理強いはできないか。
「ほら行くぞ」
なかなか動こうとしない颯と更科さんをなんとかテレビの前から引き離し、2階に案内してようやく勉強会が始まった。
オレは定位置の机で、颯と更科さんはテーブルに向き合うようにして座り、勉強道具を広げている。
夏休みの課題は各教科から満遍なく出された。
科目によって得意不得意があるので担当を分けて各自問題を解きまくり、最後に答えを写し合うことで時間を短縮する作戦だ。
オレは国語と歴史を、颯が数学と物理を、更科さんが英語を担当することになった。
「深瀬くん、私までお邪魔することになってごめんね」
「別に気にしなくていいよ。もしかしたら来るかもなとは思ってたから」
更科さんは颯の彼女だし、一緒に遊びに来てもそれほど驚きはしない。
流石に1人で来たらびっくりするけど。
「それより更科さんのリュックパンパンだけどどうしたの?」
「この後、東京でMeTubeの撮影があるから着替えとか入ってるんだ」
「あれ? 明日里緒奈のライブに一緒に行くんだよね?」
「うん、明日の朝には帰ってくるから平気だよ」
「ならいいんだけど。随分と過密スケジュールだね」
「学生は夏休みが頑張り時だからね。ばりばり働くよ」
更科さんが両拳を体の前に構えてファイティングポーズをとった。
颯はそんな更科さんを優しい目で見ている。
体調を崩さないか心配している反面、インフルエンサーとして活躍している彼女の姿が嬉しいんだろうな。
「そうだ! 昨日、祭の家で遊んでたんだけど詩織先輩って人が来て大変だったんだよ」
「詩織先輩が……」
「深瀬くんのこと知ってたんだけど深瀬くん裏で動いてた?」
「里緒奈に女子バスケ部の子を紹介してもらってその繋がりで詩織先輩のことを知ったんだ。1回会って話したんだけどオレも感情的になっちゃって気まずい感じで別れたっきりだな」
それっきりとはいえ、ここ1週間の話だから最近の出来事だ。
でもそうか、詩織先輩が直接藤崎さんの家に行ったのか。
「祭が『なんで詩織先輩が深瀬くんのことを知ってたんだろう?』って不思議がってたからサラッと話したからね。話が拗れて面倒なことになってもアレだし」
「え、サラッとって?」
「えっとね」
更科さんがわざとらしく咳払いをして喉の調子を整えた。
「深瀬くん、祭のことが好きらしいよ。それで祭のバスケに対する思いを知ってバスケ部に復帰してほしいと思ったから色々動いてたみたい。詩織先輩ともそれで知り合ったんじゃないかな? みたいな」
「ちょっと更科さん!? 前半部分に酷いネタバレがあったと思うんだけど!! どうしてくれるの? 明日藤崎さんも来るんだよね? 合わせる顔がないんだけど!」
「動揺しすぎだって。冗談だよ冗談」
「そういう冗談は心臓に悪いからやめてほしいな」
「ごめんね、深瀬くんの反応が面白いからつい」
お腹を抱えて笑いを堪える更科さん。
そこまで笑わなくてもいいと思うんだけど。
「で、どこまでが本当なの?」
「バスケに未練を残した祭の力になりたいって話してたから裏で動いてたんじゃないかなって話したの」
「藤崎さんは何か言ってた?」
「うーん、混乱してたかな。なんでそこまでしてくれるんだろう? って」
「まあ、そうなるよなー」
普通に考えれば付き合っているわけでもないただの友達が自分の過去を探っていたらビックリするだろうな。
藤崎さんの反応は何も間違っていない。
「あ、そろそろ私行かなきゃ。麦茶ごちそうさまでした。颯もまたね! 夜に電話する!」
「おう、気をつけてな」
東京行きの新幹線の時間が差し迫り、更科さんが慌てて出て行った。
「さて、課題進めるか」
静まり返った室内。
珍しく空気を読んだ颯がパンッと手を叩きペンを走らせ始めた。
「そうだな」
そういえば更科さんに英語の課題見せてもらってないや。
—1—
ライブ当日の朝。
名取にある大型ショッピングモール。
駐車場の一角に建てられたライブ出演者用の仮設テントに望月里緒奈の姿があった。
パイプ椅子に腰を掛け、緊張した面持ちでタイムスケジュール表に目を落としている。
「RIONAさんの出番は11時15分からです。よろしくお願いします」
「はい、お願いします!」
機材の調整を終えたイベントスタッフが出演者の出席確認も兼ねて出演時間を案内していく。
1人あたりの持ち時間は15分。
準備時間やトーク時間を含めたとしても2曲歌える計算だ。
これまで歌ってみた動画を中心に活動してきた里緒奈はCutMovieで流行っている楽曲とオリジナル曲を披露する予定だ。
「緊張してる?」
里緒奈に声を掛けたのは都会の女子大生のような垢抜けた感じの可愛らしい少女。
青髪短髪で髪を耳に掛けており、青い月のイヤリングがゆらゆらと揺れている。
服装はレザー調の半袖。丈が短く大胆にお腹が見えている。ジャケットを羽織っているから肩の露出などはないが、正面から見たら筋の入った腹筋やくびれに目が奪われる。
あまりの美しさに里緒奈は口を開けたまま固まってしまった。
「RIONAちゃん、だよね? 私はSUMI。CutMovieで曲聴いてたから、会えて嬉しい」
「あ、ありがとうございます。ライブとか人前に出るのが初めてなので緊張しちゃって」
「Zでも派手に告知してたから、見に来る人多いかもね」
SUMIに言われてアプリを立ち上げる里緒奈。
ショッピングモールの公式アカウントがイベントの宣伝をしたところ拡散が300件を超えていた。
閲覧数も20万回を突破している。地方のイベントにしては注目度の高さが窺える。
「失礼ですけどSUMIさんはおいくつなんですか?」
「18歳。大学1年生だよ。RIONAちゃんは?」
「15歳で高1です」
「若いね。いいね」
「SUMIさんは良い意味で大人っぽいですね。綺麗です」
「そ? ありがと」
軽く微笑むSUMIから大人の余裕が感じ取れる。
ステージからトップバッターの音合わせが聞こえ始め、司会の女性が出演アーティストの紹介や注意事項など和やかな雰囲気で説明していく。
「屋外ステージだから熱中症にはくれぐれも注意しましょう」
「スマホでの撮影は可」
「SNSへのアップも可」
「むしろどんどん拡散して下さい」
など、台本に沿って一通り説明が終わると時刻は10時ちょうど。
『Girls Live Natori〜2027SUMMER〜』が開演となった。
—2—
里緒奈が音楽を始めた理由。
それは深瀬秋斗に言われた一言がきっかけだった。
幼稚園の音楽発表会。
秋斗が年長で里緒奈が年中だった頃。
秋斗の学年は楽器を使って演奏するのに対し、里緒奈の学年は合唱することになった。
当時の里緒奈は恥ずかしがり屋で自分から目立とうとする性格ではなかった。
絵を描いたり、工作をしたり、歌を歌ったり。
他の子供と同じように決められた課題に無我夢中に取り組むどこにでもいるような子供だった。
自由時間になれば一目散に秋斗の元に走り、遊具で遊んだり、砂場で城を作ったり、秋斗の妄想話を聞いたり。
里緒奈にとって同学年の子達と遊ぶよりも秋斗と一緒にいる方が楽しかった。
別に珍しい話ではない。
悪いわけでもない。
どこにでもあるようなよくある話だ。
ただ、先生達はそんな里緒奈にスポットライトを当てることにした。
毎日の歌の時間で里緒奈が歌が上手いことは先生達の間では周知の事実だったし、何より思い出を作って欲しいと考えたのだ。
当然、里緒奈本人の意思確認は必要。
先生から打診を受けた里緒奈は断れず、半分涙目になりながら承諾した。
「ソロパートを担当することになったって? 里緒奈が?」
「うん、さっき先生から里緒奈ちゃんはお歌が上手だからお願いできないかな? って」
鉄棒でコウモリをしていた秋斗を眺めながら里緒奈が呟く。
「オレにも聴かせてよ」
「嫌だよ。恥ずかしいもん」
「でも、本番では歌うんだろ?」
「それはそうだけど」
「だったらいいじゃん」
秋斗が鉄棒から降りて小さく丸まった里緒奈の顔を覗き込む。
「改めて歌ってって言われると恥ずかしいの!」
「分かったから怒るなって」
これ以上お願いしても里緒奈の機嫌を損ねるだけだと判断した秋斗は素直に謝った。
そして、迎えた音楽発表会本番。
花形である太鼓を担当した秋斗率いる年長の演奏が終わり、ステージには年中が上がった。
ソロパートを担当する里緒奈は1番目立つステージの中央に配置された。
保護者がカメラを向ける中、先生が伴奏に合図を出し、合唱が始まる。
緊張で手がびしゃびしゃになり、スカートで拭う里緒奈。
初めは声が震えていたが、1番が終わる頃には緊張も解けてきた。
ラストのサビに入る直前で練習通り里緒奈が1歩前に出る。
空気が変わった。
他の子の声が消え、里緒奈の歌声がこの場を支配した。
カメラを向けていた保護者がレンズの上に顔を出し、肉眼で里緒奈の姿を見て固まる。
里緒奈の歌声にはそれほど人を惹きつける力があった。
ワンフレーズだけだったので時間にしたら数秒だったが、だからこそ与えたインパクトは大きかった。
年中の合唱が終わるとこの日1番の拍手が起こっていた。
「里緒奈!」
ステージを降りた里緒奈の元に秋斗が駆け寄ってきた。
「凄いじゃん! 里緒奈ってこんなに歌が上手かったんだな! 歌手になれるんじゃないか? てかなれるだろ絶対!」
「もう大袈裟だよ」
そう言いながらも里緒奈は自分の胸が熱くなっていることに気付いた。
人からこれだけ褒められたのは生まれて初めてだった。
嬉しい。楽しい。もっと歌が上手くなりたい。そういった感情が芽生え始めていた。
小学生に入り、誕生日プレゼントにギターを買ってもらい、両親に弾き方を教えてもらいながら徐々に実力をつけていった。
歌ってみたの動画投稿も始めて、オリジナル曲も作った。
そして、1本の動画を機に世界が里緒奈を見つけた。
「夢に近づいたよ先輩。頑張ったらまた凄いって褒めてくれるかな?」
新たなステージに足を進め、里緒奈は真っ直ぐと観客を見つめる。
大好きな秋斗を見つけて一瞬だけ頬を緩め、すぐに表情を引き締める。
「初めまして。RIONAです——」
—1—
「おーやってるやってる。やっぱりライブは痺れるねー」
ライブ会場に着くや否や颯が全身を広げて音楽を浴びる。
通ぶってるのか分からないけど結構恥ずかしいからやめて欲しい。他の人に見られてるし。
「流石に前の方は人がいっぱいだな」
客席の中央には椅子が用意されているが、椅子を利用しているほとんどが子供や年配の人達でその他大勢は立ってライブを楽しんでいた。
ラムネやかき氷、焼きそばなんかの出店も出ているらしく、ちょっとしたお祭りのような賑わいを見せている。
「おっ、藤崎さんも着いたらしい。秋斗、合流して連れてきてくれないか? 俺は駅まで美結を迎えに行ってくる」
「分かった。集合場所はここでいいか?」
「そうだな。じゃそういうことで」
別に分散する必要は無いのだが、颯なりに気を遣ってくれたのだろう。
藤崎さんと2人きりになれる機会はそうそうないからな。
とはいえ、オレが裏で行動していたことが明るみになった以上、どう会話を展開していけばいいか想像がつかない。
ある程度の筋道を立てるのが小説家としてのあり方なのだろうが、どうもオレは行き当たりばったりになってしまう。
これで案外物事が悪い方向に進まないのだから直感を信じた方が良いのかもしれない。
CROSSで藤崎さんに現在地を聞き、そこから一番近いショッピングモールの自動ドアの前で落ち合うことにした。
「おはよう深瀬くん、もうみんな来てる?」
こちらに気付いた藤崎さんが小さく手を振って近づいてくる。
服装は白のフリルブラウスにデニムパンツ。
清楚な藤崎さんのイメージに合っている。
「颯が駅まで更科さんを迎えに行ってるよ。もうすぐ着くんじゃないかな」
「そっか。先に行って場所取ってた方がいいよね?」
「そうだね。なんだかんだ良い時間だしね」
「ごめんね、電車の乗り換えがあったから少し遅くなっちゃった」
「いや、全然。そういう意味で言った訳じゃなくて、ちょうど良い時間だなって」
「深瀬くんは優しいね」
藤崎さんが歩き出し、慌ててオレもその後を追う。
ショッピングモールの影のおかげで直接太陽の光を浴びているわけでは無いけど空気が蒸し暑い。
気を抜けば「暑い」と溢してしまうくらいに。
「深瀬くん、なんで深瀬くんは私のためにそこまでしてくれるの?」
こちらを見ずに、藤崎さんは何気ない会話をするかのようにそう言った。
聞かれるとは思っていた。
だからと言ってどう返すかまでは考えていなかった。
言葉を用意してしまったら本当の気持ちを伝えられないような気がしたから。
「藤崎さんの力になりたかったからだよ」
「どうして?」
足を止めた藤崎さんと目が合う。
「一生懸命バスケをする藤崎さんを見て応援したくなったんだ。それに言ってたでしょ。バスケがしたいって」
「フリースロー対決の時の……」
「うん、それに配信も聴いちゃったんだ。あれ藤崎さんのことだよね? 今でもバスケから離れる選択を取ったことを後悔してるって」
「……うん」
「後悔を残したまま生きて欲しくないと思った。オレにも似たような経験があるから。それがどれだけ辛いことか分かるから」
「アンチコメントがきて精神的に追い詰められて執筆ができなくなった時期があったんだよね?」
「どうしてそれを?」
「『キミの瞳に映る星を探して』のあとがきに書いてたでしょ?」
そういえば藤崎さんはオレの小説の読者だった。
「私ね、深瀬くんの作品に救われたんだ。体調を壊して塞ぎ込みになっていた時にネットに投稿された小説に勇気をもらったの。それがまだ賞を取る前の『キミの瞳に映る星を探して』だった」
将来の夢を忘れてしまったヒロイン。
主人公はそれをタイトルの『星』になぞらえて、ヒロインの交友関係や過去に迫っていくという話だ。
最終的には主人公がヒロインの『星』を見つけ、2人で新たな一歩を踏み出す。そんなラストだった。
でもそうか。
バスケから離れる決断をした藤崎さんと作品にはリンクする部分が多い。
だから刺さったのかもしれない。
「また深瀬くんに助けられちゃった」
「いや、オレは自分がそうしたいと思ったから動いただけだから。自分でも制御できないんだよ」
そう言って笑って誤魔化す。
藤崎さんはそんなオレを優しい瞳で見ていた。
「まだお礼を言ってなかったね。ありがとう。深瀬くんのおかげで前に進めそう」
じわっと胸の中で何かが溶けていくような感覚になった。
ああ、オレはやっぱり藤崎さんのことが好きなんだ。
「祭〜! 深瀬く〜ん! ごめんね! ギリギリになっちゃった!!」
「美結、目立つからあんまり大声出すなって!」
例の如くキャップを深く被りサングラスをした変装完璧? な更科さんがぴょんぴょん飛び跳ねながら駆け寄ってきた。
保護者役の颯も大変そうだ。
「ほら2人も行くよ!」
「ちょっと美結!?」
更科さんが藤崎さんの腕をぐいっと引っ張りそのまま走って行った。
驚いていた藤崎さんだったがすぐに更科さんと並走する。
流石の運動神経だ。
「俺はギブ。こういう時だけ美結は体力あるんだよな」
颯がオレの肩に腕を回してきた。
重いし暑い。汗がベトベトする。
「仕事終わりで解放されたんじゃないか?」
「何から?」
「いや、色々だよ。プレッシャーとか?」
「どうなんだろうな」
更科さんと藤崎さんは手を繋いでぶんぶんと楽しそうに振っている。
「藤崎さんとは話せたのか?」
「まあ、話せたよ。前に進めそうだってさ」
「おーそれはよかったな。となると次は秋斗が前に進む番だな」
「なんだよ急に」
「原稿、書けてないんだろ?」
ふざけているようで感情の機微に敏感。
それが颯の良いところだ。
オレはそんな素振り出したつもりはなかったんだけどな。
「色々あったからな。これから巻き返すよ」
「色々ねー。まあ秋斗がそう言うならいいんだけどさ。何かあったら相談しろよ。アドバイスできるかどうかは分からないけど」
「ああ、ありがとう」
頼もしい親友の言葉にオレは気持ちを引き締めるのだった。
—1—
「なあ、SUMIってまだ?」
「順番的に次の次じゃないか?」
「えっと次はRIONA? 誰だ? お前知ってる?」
「あれだろ。CutMovieでバズってた女子高生。おすすめで回ってきたわ。ほら、みゆみゆが投稿してた弾き語りの子」
「あーはいはい、この前見たやつね。あれ? でも確か顔出ししてなかったよな? どうやって歌うんだ?」
「さあな。流石に顔出しするんじゃないか。このステージじゃ隠れようがないし」
「だよな。可愛ければいいな」
客席の中央やや後方に位置取ったオレ達の前で学生2人が雑談をしていた。
SUMIは今日出演するアーティストの中で一番注目されている若手だ。
オリジナルグッズと見られるTシャツやペンライトを手にしている人がここからでもチラホラと見受けられる。
里緒奈の認知度はSUMIには一歩及ばず。
それでも顔出しの噂やSNSの影響で若者を中心に知名度を伸ばしている。
あと、更科さん、ファンの間では『みゆみゆ』って呼ばれてるんだな。
また1つ知識が増えた。
「いよいよだな」
「ドキドキするね」
颯と更科さんが小声で囁きながらステージをジッと見つめる。
曲が止まり、出番を終えた少女が頭を下げてステージから降りる。
それと入れ替わるように制服姿の里緒奈が姿を見せた。
客席が若干ざわつく。
素顔を晒してステージに上がった初めての反応だ。
「か、可愛い」
「俺、ファンになろうかな」
「SUMIはいいのかよ」
「推しは何人いたっていいんだよ」
学生2人組の反応からしても感触は悪くなさそうだ。
まあ、男子は単純な生き物だからな。可愛ければ応援したくなる。そういうものだ。
だが、音楽を楽しみに来ている人達はそうもいかない。
歌唱力が評価の対象になる。
ステージに上がった里緒奈と目が合う。
いつも見せる甘えた優しい笑顔。
そこから一気に真剣な眼差しに変わった。
スイッチを入れて里緒奈からRIONAに切り替えたのだろう。
「初めまして。RIONAです。今日はカバー曲とオリジナル曲の2曲歌いたいと思います。まず1曲目は天ノ川フユさんの彗星です」
ギターに視線を落とし、曲の前奏を弾き始める。
バラード調のこの曲は里緒奈の伸びやかな歌声を聴かせるにはピッタリの曲だ。
顔出しの件に触れなかったのも自己紹介が短かったのもまずは歌声を聴いて欲しい。そんな里緒奈からのメッセージに思えた。
ふと、幼稚園の頃の音楽発表会を思い出す。
ステージに立つ里緒奈から目が離せなくなったあの感覚。
グッと惹き込まれる歌声。
声に感情が乗っていて心に直接訴えかけてくる。
偶然この場に居合わせた人の中には斜に構えていた人もいただろう。
女子高生がインフルエンサーの力を借りてバズっただけ、と。
しかし、この歌声を聴いてしまったら最後。
1度心を掴まれたら簡単には離してくれない。
RIONAの歌声にはそれだけの力がある。
バズるべくしてバズったのだと誰もが理解したはずだ。
「ありがとうございます。改めましてRIONAです。初めてこういったステージに立ったので凄く緊張してます。私は小学生の頃からギターを始めて大好きな歌を歌ってきました。普段はカバーさせて頂くことが多いんですけど、今日はこの日のために新曲を作ってきました。スポットライトという曲です。聴いて下さい」
先程のバラードから一転。
弾むような疾走感のあるテンポに耳心地の良いRIONAの歌声がマッチしている。
この曲は恐らくオレが里緒奈から相談を受けた曲だ。
歌詞が浮かばない。
そんな里緒奈の悩みに対して『曲を通して誰に想いを伝えたいのか』とアドバイスを送った。
「これは……」
曲名のスポットライト。
これは主役である里緒奈を照らしてくれた存在を歌った曲だった。
歌詞に出てくる場所や風景が記憶の欠片と共に鮮明に呼び起こされる。
オレ達以外の人間が聴けば恋に悩む少女の恋愛ソングと認識するだろう。
しかし、里緒奈と関係性の深いオレ達にはさらに深い意味合いで捉えることができた。
「告白そのものじゃないか」
そう溢した颯。その奥にいる更科さんもこちらを見て様子を窺っていた。
拍手が鳴り響き、RIONAの初ステージが幕を閉じる。
曲の中の話とはいえ、まさか公開告白をされることになるとは夢にも思っていなかった。
—2—
「お疲れ。最高だった」
ステージ裏。
SUMIが歌い終えたばかりの里緒奈の肩にポンと手を置き、ステージに上がった。
湧き上がる大歓声。
熱狂的なファンを抱えるSUMI。そのファンネームは『SUMIっ子』。
ライブはアーティストとファンが一体となって作り上げるもの。
そういった意味では駆け出しの里緒奈とは雲泥の差がある。
「先輩に届いたかな?」
持てる全てを出し尽くし、やや放心状態になっていた里緒奈が想い人を想像して頬を赤らめる。
身体が熱い。心臓が激しく脈打っている。
これだけ興奮したのは里緒奈の人生で初めての経験だった。
幼稚園の音楽発表会の時とはまた違う。高揚感があった。
もちろん緊張もあった。
不安もあった。
だが、ステージに立って秋斗の顔を見たら全てが吹き飛んだ。
「楽しかったなー」
里緒奈の呟きがSUMIの歌声によって掻き消される。
芯のある力強い歌声によって。
ここで満足してはいけない。
恋愛もアーティスト活動もまだスタートラインに立ったに過ぎないのだから。
—1—
里緒奈の初ライブから2日後。
眠い目を擦りながら原稿に向き合っていたオレに1件のメッセージが届いた。
颯からの誘いだった。
既読を付けたはいいが、脳が疲労した状態では返信の文章を考えるのにも時間を要する。
スマホに目を落としていたはずがいつの間にか瞼が閉じていた。
「秋斗! 颯くん来てるよ!」
夢と現実の狭間でインターホンの音が聞こえたかと思ったらどうやら現実だったらしい。
母さんに呼ばれて急いで玄関のドアを開く。
「おい秋斗、まだ太陽が顔を出してから数時間だってのにどうしてそんなに眠そうな面してんだよ。まだ1日はこれからだろ」
「徹夜してたんだよ。逆にお前は朝っぱらから元気だな」
「自転車で太白大橋を超えてきたからな。だいぶ体があったまってるぞ」
イケメン特有の爽やかな笑顔が眩しい。
颯の家からオレの家までは自転車で20分くらい。
途中に600メートルを超える橋があるのだが、橋の両端に結構な傾斜がついていてそこそこ体力が削られる。
ましてや連日最高気温は30度を超えている。
大事な用事でもない限り自分から外に出たいとも思わない。
「家に入ってクールダウンするか?」
「いや、気分転換に外に出ようぜ。日の光を浴びると頭がスッキリするかもしれないぞ」
まあ、颯の言うことも一理ある。
原稿も行き詰まってるし、外に出て環境を変えるのもアリっちゃアリか。
ただ、暑いんだよな。
ほら、玄関の前で話しているだけなのにもわもわとした熱気が襲ってくる。
「分かった。着替えてくるから5分待っててくれ」
「おうよ」
せっかくここまで来てくれたのに代わり映えのない日常を送ってもつまらない。
落ちかけていたメンタルが颯と会って少しプラスに傾いた。
「待たせたな。で、どこに行くかは決まってるのか?」
「万代かショッピングモールか。逆に候補があれば俺はどこでもいいよ」
万代は駅の近くにあるリサイクルショップだ。
ゲーム、古着、オモチャ、古本、トレカ、お菓子、クレーンゲームなど大体なんでも取り扱っている。
時間を潰すならもってこいだ。
恐らく颯はUFOキャッチャーが目当てなんだろう。
オレもよく付き合わされるが、颯が景品を取ってる姿を見たことがないんだよな。
なんなら買った方が安いと思うんだが。
本人が楽しそうにしているから余計な口出しはしないけど。
「喫茶店に寄ってもいいか?」
「いいけど、秋斗と喫茶店が結びつかないな」
「いるか分からないけど話しておきたい人がいるんだ」
「なるほど。そういうことか」
理解したと颯が頷く。
藤崎さん関連の話は颯と更科さんに共有してある。
詩織先輩が藤崎さんに謝罪をした時点で中学時代の一件に終止符は打たれたが、オレと詩織先輩の間には気まずいシコリが残ったままだ。
頭に血が上ってしまったとはいえ、先輩に対して失礼な言葉を使ってしまった。
そこまでする必要はないのかもしれないけど、一言謝罪を入れておかないとオレの気が収まらない。
自転車で風を切り、良い具合に汗が流れ始めた頃、喫茶店に辿り着いた。
「俺は外で待ってるから。ダークモカでよろしく」
自転車に跨ったまま颯が顔の高さまで手を上げた。
「分かった」
颯を外に待たせてばかりで悪いからここはオレが奢るとしよう。
平日の昼前だというのに店内は賑わっていた。
これが夏休み効果ってやつか。
レジに目を向けると黒髪長髪の少女がこちらを見ていた。
目が合うと少女が気まずそうに視線を逸らした。
「おはようございます。この間は生意気な口を利いてすみませんでした」
「私も態度が悪かったと思うし、ああいう風な口調になるのも無理ないと思う。だから気にしないで」
側から見れば定員と客という立場からあまり大きな声で会話をすることはできないが、詩織先輩の表情や声のトーンから前回のような敵意は感じられない。
「祭さんの所に行ったんですね」
「あなたの言葉が頭から離れなくてね。いい加減逃げ続けるのは終わりにしようって思ったの。まあ、祭には拒絶されちゃったけど。でもいいの。端から許されるとも思ってなかったしね」
「そうですか」
結果はどうであれ過去と向き合い、詩織先輩は前に進み出した。
してしまったことは到底許されることではないけれど、被害者である藤崎さんと話がついたのであれば外野のオレが口を出す理由はない。
「注文は?」
「ダークモカと季節のおすすめでお願いします」
「はい、お待たせしました。ありがとうございました」
商品を受け取り、店を後にした。
「暑っ」
店内と外の温度差に体が驚いて反射的に声が漏れる。
「お、話せたみたいだな」
「おかげさまで」
颯にダークモカを渡す。
次の行き先を決めていなかったが、とりあえず自転車を押しながら万代に向かうことにした。
「一昨日の里緒奈ちゃんのライブ凄かったな。美結も喜んでたよ。里緒奈ちゃんの歌声を多くの人に聞いてもらえたって」
「オレも正直感動したよ。改めて衝撃を受けたというか。あの日、オレが感じた感情は間違いじゃなかったんだなって思った」
「と、言いますと?」
「昔の記憶を思い出したんだ。里緒奈の歌声が人の心を鷲掴みにする瞬間を。里緒奈はきっと歌手になるって」
「秋斗には先見の明があったってことか」
「いや、あの場にいた人なら誰もがそう感じたはずだ」
デビューに至るまでの道のりはオレなんかが想像もつかない険しいものなのだろう。
だが、里緒奈ならきっと夢を叶えるんじゃないかと思わせてくれる力がある。
それが里緒奈自身の魅力だ。
「それはそうと、藤崎さんから七夕花火のお誘いを受けたって聞いたんだが詳しく聞かせてもらおうか」
「なんだ。もう知ってるのか」
藤崎さんから更科さん経由だとは思うがこうも筒抜けだと迂闊に相談できたもんじゃないな。
まあ、颯も更科さんも頼りになるので筒抜け承知で今後も相談することになるんだろうけど。
いくら親友と親友の彼女とはいえ、もう少しプライバシーを守って欲しいものだ。
内心そう思いながらオレは空になった飲み物のカップを自転車のカゴに入れ、ペダルを漕ぎ出すのだった。
—2—
時刻は里緒奈のライブが行われた日の夜まで遡る。
風呂から上がり、ドライヤーをかけているとスマホのディスプレイに『藤崎祭』と表示された。
着信を知らせる表示に慌ててドライヤーを止め、『応答』をタップする。
『もしもし、深瀬くん?』
柔らかくて優しい声に思わず頬が緩む。
「うん、どうしたの? 電話なんて初めてだったからビックリしたよ」
『直接話したいなと思って』
「そっか」
『私ね、8月からバスケ部に見学に行くことにしたんだ』
「そうなんだ! それは良かった。応援してるよ」
『ありがとう。部のみんなに受け入れてもらえてやっていけそうだなって思ったら正式に入部することになると思う』
「藤崎さんならきっと大丈夫だよ。もし何かあったらオレが力になるし」
『それは心強いね。深瀬くんがいればなんでも乗り越えられそうな気がする』
「オレにそこまでの力があるかは分からないけど任せて」
ライブ会場で藤崎さんと面と向かって話したからなのか、電話で話す藤崎さんは普段よりも好意を向けてくれているような気がする。
『あの、結構前にフリースロー対決で私が勝ったの覚えてる?』
「うん、もちろん」
『そのお願いをしようと思って電話したんだ』
「お、とうとう決まったんだね」
『うん、深瀬くん、今度の七夕花火、一緒に行かない?』
「えっと……いいの?」
『なんでも1つお願いを聞いてもらうっていうルールだから深瀬くんに拒否権はないんだけどね』
電話越しに藤崎さんがクスクスと笑っている。
「いや、それはそうなんだけど。罰ゲームのはずなのにご褒美になってるというか」
『場所と時間はまた後でCROSSに送るからよろしくね』
「分かった」
『それじゃ、おやすみ』
「おやすみ」
通話が切れ、暗くなった画面を呆然と眺める。
デートに誘われた?
2人で花火を見に行くのは完全なるデートだよな。
どうしよう。着ていく服とか無いんだけど。
原稿に行き詰まっていたのもそうだが、藤崎さんとのこの電話がオレが徹夜をすることになった主な理由だった。
—1—
8月2日月曜日。
荒い息を上げながら体育館で汗を流す女子バスケットボール部員。
靴が高速で振動することで「キュッキュッ」と高い音が鳴っている。
屋内の競技は直射日光に晒されることはないが、バドミントン部との合同練習になると窓を完全に締め切ってしまうため、サウナ状態になる。
水分補給や小休憩を小まめに入れてはいるものの、基礎トレやフットワークなど常に足を動かしているため、体力の消耗が激しい。
「集合!」
顧問の山田先生が体育館に姿を見せ、部長の玉越が集合を掛けた。
機敏な動きで部員がサッと集まり、山田先生とその隣に並ぶ小柄な少女に視線が集まる。
「今日から体験入部で練習に加わる藤崎さんです。藤崎さん、挨拶を」
「2年の藤崎祭です。よろしくお願いします」
『「よろしくお願いします!」』
声の圧に若干驚きを見せる祭。
女子バスケ部は世代交代しており、主体が2年生になっている。
祭も顔見知りの生徒が多いが、教室で見る雰囲気とはまた違った印象を受けていた。
「今日は午後から新体操部が体育館を使うのでウエイトルームで筋トレをします。あとスケジュール表にも載せてたけど、週末に名取東高校と練習試合があるので試合を意識して調整するように。これからは活躍次第でスタメンをどんどん入れ替えるのでそのつもりで。以上、練習再開!」
『「はい!」』
「藤崎さんも練習に混ざってみんなの動きを真似てみて」
「はい、分かりました」
体験入部とはいえこの時期に2年生が加入することになり動揺している部員の姿も見える。
一方で1年生の久世彩芽と長濱琴は品定めをするように冷静に祭の動きを観察していた。
パス練習、シュート練習。
練習が進むにつれて祭の注目度が上がっていく。
特段派手なプレーをしているわけではない。
動きが滑らかでそつなくこなしているため自然と目が祭を追ってしまうのだ。
「上手いな」
顧問の山田先生も期待以上だと思わず声を漏らす。
練習の終盤は紅白戦が行われた。
体験入部初日の祭は見学することになった。
「祭先輩、お久し振りです」
1試合終えた琴が飲み物を片手に声を掛けた。
「久し振り。またよろしくね」
祭が琴の顔を見上げながら優しく微笑む。
気まずくならないように先輩としての配慮だろう。
「こちらこそよろしくお願いします。祭先輩、動きがキレキレでビックリしました」
「練習は続けてたからね。琴ちゃんもスタメンなんだよね? 凄いね」
「私は身長のおかげなので」
「身長も才能だよ。それに身長があっても実力がないとスタメンにはなれないでしょ」
「そうですね」
中学時代から今に至るまでの月日を埋めるように当たり障りのない会話から徐々に深い話へと移行していく。
「祭先輩、中学の頃はすみませんでした。私は何が起きていたのか知っていたのに周りの雰囲気に飲まれて見て見ぬふりをしていました」
「うん、知ってるよ。でも仕方ないよ。中学の頃の2学年上ってもう大人だもん。大人にはそうそう逆らえないよ。たとえそれが間違った行動だとしてもね」
「すみませんでした。本当なら同じ高校に通ってるって分かった時点で言うべきだったのにこんなタイミングになってしまって」
「いいよ。その気持ちを伝えてくれただけで嬉しいよ」
祭の中でもう過去に区切りはつけた。
先輩が引退して嫌がらせを受けて当時は1人で孤独に戦っていたかもしれない。
だが、気にかけてくれていた人はいた。
それが分かっただけで十分だった。
「祭先輩と琴ちゃん、今取り込み中?」
ウェーブのかかったポニーテールが特徴的な彩芽が試合を終えて駆け寄ってきた。
午前の練習は終了。
1年生が体育館の片付けを始めている。
「どうしたの彩芽? そんなに慌てて」
「だって体育館の使用時間が来ちゃうからさ。祭先輩、私と1on1しませんか?」
彩芽はハンバーガーショップで祭の話を聞いた時から祭の実力が気になっていた。
練習の様子から技術的な面では現バスケ部員と遜色ないことが分かった。
ただ、実戦からでしか分からないこともある。
「私はいいけどいいのかな?」
片付けをしている部員を手伝った方がいいのではないか、と祭は琴に意見を求める。
「大丈夫です。言い出したのは彩芽なので、事情は私から説明しておきます」
「そういうことなら。早く終わらせよっか」
「2本先取にしましょう。祭先輩からでいいですよ」
ゴールの前に彩芽が立ち、ボールを祭にワンバウンドで渡した。
祭がダムダムダムとボールを弾ませる。
右手でドリブルをしながら彩芽との間合いを詰めていく。
集中状態に入り2人の目の色が変わる。
彩芽が腕を伸ばしてボールを奪おうとした瞬間、祭が右から左にバウンドさせてボールを持ち変えた。
そのまま一気に彩芽を抜き去り、ドリブルでゴールに近づく。
しかし、彩芽もすぐさま追いつき祭の前に立ちはだかった。
祭は高速で右に左にボールをバウンドさせて彩芽の重心を崩そうとタイミングを図る。
そして、彩芽が踏み込んできた刹那、祭が逆方向に切り返した。
彩芽は足が石のように固まって動けない。
祭は危なげなくレイアップでシュートを決め、先制点を取った。
「今のはやられました。次は私です」
祭からボールを受け取り、彩芽が勢いよくゴールに迫る。
祭も必死にディフェンスするがじわじわと距離が縮まる。
祭と彩芽に身長差はほとんどない。
将来的には同じポジションになる可能性が高い。
自分で仕掛けた勝負だが、彩芽も負けられない。
腰を落として祭を押し込みながらリングを見て距離を確認。
「!?」
ボールから目を離した一瞬の隙に祭にボールを弾かれてしまう。
転がったボールを急いで拾い、リングの真横の位置から一直線に駆けていく。
祭をかわすように全力で走り、リングを越えた地点で跳躍する。
一切リングを見ずに放たれたシュートはネットに吸い込まれた。
「うわ、凄っ」
片付けを終えた1年生がモップを持ったままギャラリーとなっていた。
清掃の邪魔になっていることは言うまでもない。
そんな視線を感じ取った祭は彩芽からボールを受け取ると脱力した様子で後退してリングから距離を取った。
予想外の動きに彩芽も距離を詰めようとしない。
祭はそのまま3ポイントラインまで下がると何事も無かったかのようにシュートを放った。
「嘘……」
綺麗な放物線を描いたその軌道はリングに触れることなくネットを通過した。
勝負は2本先取。
1on1を仕掛けた彩芽が先行を譲ったのだが、それが結果的に祭の勝ちとなった。
強力なライバルの出現に彩芽は危機感を覚えると同時にやる気に満ち溢れるのだった。
—1—
「この公園も随分と殺風景になったな」
七夕花火の前日。
オレは里緒奈に呼び出されて近所の公園に足を運んでいた。
幼少期に滑り台やジャングルジムで遊んだ記憶が蘇るが、公園にそういった類いの遊具は1つも無くなっていた。
どうやら安全性などの観点から撤去されたみたいだ。
水飲み場とベンチが点在した落ち着いた空間へと生まれ変わっていた。
「秋斗先輩、なんか黄昏てます?」
ベンチに腰を掛け、砂場でトンネルを掘っていた男の子を眺めていると里緒奈がオレの顔を覗き込んできた。
「思い出の場所が変わってたら寂しくもなるだろ」
「覚えてますか? 高い所が苦手な私に秋斗先輩が大丈夫だからってジャングルジムの上から手を引っ張って無理矢理引き上げたの」
「ああ、今思うと結構危ないことしてたな」
「この間のライブで新曲にそのシーンを入れたんですけど気付きました?」
「うん、他にもオレと里緒奈がしてきたことが色々と詰まってたな」
「どうでした?」
「それはライブがって意味か?」
「それもありますけど……」
里緒奈が恥ずかしそうに目を逸らした。
恋に悩む少女が想い人に振り向いてもらおうと努力する歌。
それが里緒奈の新曲だった。
言わば告白のような歌だった。
歌詞を読み取るに里緒奈の想い人というのがオレ。
「嬉しかったよ。幼稚園の頃に音楽発表会のステージで歌った里緒奈がライブのステージに1人で立って。堂々と歌って。心が震えたし、オレも頑張らなきゃって勇気をもらった」
「それは良かったです。それで、あの、気付いてると思うんですけど、新曲は秋斗先輩を想って作ったんですけど——」
「あ、猫だ」
目の前を虎柄の猫が横切り、視線が奪われる。
里緒奈の話が核心に触れる前に反射的に遮ってしまった。
オレは最低だ。
里緒奈の告白には答えることができない。
オレは藤崎さんのことが好きだから。
だが、それを伝えてしまったら里緒奈を傷つけてしまう。
それだけじゃない。
答えを出してしまったら今の関係が壊れてしまうかもしれない。
幼稚園の頃から10年近く幼馴染として一緒の時間を過ごしてきた。
それが失われてしまう。
まだ心の準備ができていない。
きっと里緒奈は覚悟を持ってオレに答えを求めようとしたはずなのに。
それなのにオレは曖昧にして、話を逸らして、なんて卑怯なんだ。
先延ばしにしたところで里緒奈を苦しめるだけなのに。
「先輩、明日七夕花火じゃないですか。一緒に行きませんか?」
「ごめん、明日は用事があるんだ」
「そう、なんですか。それは残念です。じゃあ琴ちゃんと彩芽と行ってきます」
「ああ、悪いな」
里緒奈がベンチから立ち上がり、スカートを手でパンパンと払った。
「誘いも断られたことですし、そろそろ帰りますか」
気まずくならないようにあえて茶化したように里緒奈がそう言った。
里緒奈に対する後ろめたさで足取りの重くなったオレを察して里緒奈が歩くスピードを緩めた。
そして、
「私、先輩のこと諦めませんからね」
ギリギリ拾えるくらいの声量でそう呟いた。
—1—
仙台七夕花火の打ち上げ時間は19時15分から20時30分。
オレは電車と地下鉄を乗り継ぎ、西公園までやってきた。
時刻は18時30分。
例年45万人の人出があると公式ホームページに書かれているだけあって会場はかなり混雑していた。
花火を見る前に人に酔ってしまいそうだ。
藤崎さんは部活の練習が押しているらしく到着までもう少し掛かるらしい。
「この混み具合だと出店で食べ物を買うだけでも一苦労だな」
藤崎さんが来るまでに焼きそばでも買っておこうかと思ったが出店の前には長蛇の列ができていた。
花火を見るスポットも人で埋まっていてもはや空いているスペースを探す方が難しい。
今までは里緒奈の父親が場所取りをしてくれていたからすんなり花火を見ることができたが、今日は頼れる人はいない。
どこか良い穴場スポットはないものか。
辺りを見渡しながら歩いていると右も左もカップルだらけでちょっとだけ気まずい。
1人で歩いているとなんか恥ずかしいな。
というかこれだけ混んでいたら藤崎さんと合流できるかすら怪しい。
「喉渇いたな。自動販売機でも探すか」
出店でラムネを買うよりも自動販売機を見つけた方が早く買えそうな気がする。
歩きながら無意識に腕を掻いていたら足まで痒くなってきた。
どうやら蚊に刺されたみたいだ。こんなことなら家を出る前に虫除けスプレーをしてくればよかった。
なんか始まる前から肉体的にも精神的にも結構なダメージを受けてる。辛い。
「お、秋斗じゃん!」
「深瀬くん、ヤッホー!」
颯と更科さんが人混みに流されながらこちらに歩いてきた。
出店で色々買い込んだのか颯がビニール袋を持っていて、更科さんはチョコバナナを食べている。
今日の更科さんは特に変装をしていない。
この人の数だし、花火が上がってしまえばみんな空を見上げるから変装する必要もないのか。
「まだ藤崎さん来てないのか?」
「ああ、部活が長引いてるらしい」
「そうか。もうそろそろだから間に合うといいな」
「祭、花火見るの楽しみにしてたみたいだよ。人も多いし、ナンパされないように深瀬くんがしっかりエスコートしてあげてね。祭、可愛いから」
「エスコートって。でもまあここにいても仕方ないから駅まで迎えに行ってみるよ」
駅までは徒歩3分。
人でごった返しているだろうが会場にいるより見つけやすいはずだ。
「応援してるよ〜」
更科さんと颯に見送られながら会場を後にする。
駅に向かう途中で藤崎さんにCROSSでメッセージを送るも既読は付かない。
恐らく移動中なのだろう。
自動販売機で水を2本買って喉を潤す。
どこもかしこも人、人、人。
夏祭りや花火は小説を書く上では定番イベントの1つだが、自分が物語の主人公のような経験をすることになるとは夢にも思っていなかった。
藤崎さんとのフリースロー対決の時は空振りに終わったからな。
藤崎さんは何を思ってオレを花火に誘ってくれたのか。
真意は分からない。
けれど意味もなく異性を誘ったりはしないはずだ。
だめだ。
花火会場に来てからカップルを見過ぎて脳が恋愛に侵食され始めている。
過度な期待はするな。
きっとオレが花火に誘ったことを覚えていて誘ってくれたんだ。
そこに深い意味はない。
暑さと人の熱気から逃れるように水を口いっぱいに含む。
ペットボトルが空になり、夜空に花火が打ち上がる。
大きく咲いた一輪の花は水族館で見た海月のように綺麗だった。