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 里緒奈の初ライブから2日後。
 眠い目を擦りながら原稿に向き合っていたオレに1件のメッセージが届いた。
 颯からの誘いだった。
 既読を付けたはいいが、脳が疲労した状態では返信の文章を考えるのにも時間を要する。
 スマホに目を落としていたはずがいつの間にか瞼が閉じていた。

「秋斗! 颯くん来てるよ!」

 夢と現実の狭間でインターホンの音が聞こえたかと思ったらどうやら現実だったらしい。
 母さんに呼ばれて急いで玄関のドアを開く。

「おい秋斗、まだ太陽が顔を出してから数時間だってのにどうしてそんなに眠そうな面してんだよ。まだ1日はこれからだろ」

「徹夜してたんだよ。逆にお前は朝っぱらから元気だな」

「自転車で太白大橋を超えてきたからな。だいぶ体があったまってるぞ」

 イケメン特有の爽やかな笑顔が眩しい。
 颯の家からオレの家までは自転車で20分くらい。
 途中に600メートルを超える橋があるのだが、橋の両端に結構な傾斜がついていてそこそこ体力が削られる。
 ましてや連日最高気温は30度を超えている。
 大事な用事でもない限り自分から外に出たいとも思わない。

「家に入ってクールダウンするか?」

「いや、気分転換に外に出ようぜ。日の光を浴びると頭がスッキリするかもしれないぞ」

 まあ、颯の言うことも一理ある。
 原稿も行き詰まってるし、外に出て環境を変えるのもアリっちゃアリか。
 ただ、暑いんだよな。
 ほら、玄関の前で話しているだけなのにもわもわとした熱気が襲ってくる。

「分かった。着替えてくるから5分待っててくれ」

「おうよ」

 せっかくここまで来てくれたのに代わり映えのない日常を送ってもつまらない。
 落ちかけていたメンタルが颯と会って少しプラスに傾いた。

「待たせたな。で、どこに行くかは決まってるのか?」

「万代かショッピングモールか。逆に候補があれば俺はどこでもいいよ」

 万代は駅の近くにあるリサイクルショップだ。
 ゲーム、古着、オモチャ、古本、トレカ、お菓子、クレーンゲームなど大体なんでも取り扱っている。
 時間を潰すならもってこいだ。
 恐らく颯はUFOキャッチャーが目当てなんだろう。
 オレもよく付き合わされるが、颯が景品を取ってる姿を見たことがないんだよな。
 なんなら買った方が安いと思うんだが。
 本人が楽しそうにしているから余計な口出しはしないけど。

「喫茶店に寄ってもいいか?」

「いいけど、秋斗と喫茶店が結びつかないな」

「いるか分からないけど話しておきたい人がいるんだ」

「なるほど。そういうことか」

 理解したと颯が頷く。
 藤崎さん関連の話は颯と更科さんに共有してある。
 詩織先輩が藤崎さんに謝罪をした時点で中学時代の一件に終止符は打たれたが、オレと詩織先輩の間には気まずいシコリが残ったままだ。
 頭に血が上ってしまったとはいえ、先輩に対して失礼な言葉を使ってしまった。
 そこまでする必要はないのかもしれないけど、一言謝罪を入れておかないとオレの気が収まらない。

 自転車で風を切り、良い具合に汗が流れ始めた頃、喫茶店に辿り着いた。

「俺は外で待ってるから。ダークモカでよろしく」

 自転車に跨ったまま颯が顔の高さまで手を上げた。

「分かった」

 颯を外に待たせてばかりで悪いからここはオレが奢るとしよう。
 平日の昼前だというのに店内は賑わっていた。
 これが夏休み効果ってやつか。
 レジに目を向けると黒髪長髪の少女がこちらを見ていた。
 目が合うと少女が気まずそうに視線を逸らした。

「おはようございます。この間は生意気な口を利いてすみませんでした」

「私も態度が悪かったと思うし、ああいう風な口調になるのも無理ないと思う。だから気にしないで」

 側から見れば定員と客という立場からあまり大きな声で会話をすることはできないが、詩織先輩の表情や声のトーンから前回のような敵意は感じられない。

「祭さんの所に行ったんですね」

「あなたの言葉が頭から離れなくてね。いい加減逃げ続けるのは終わりにしようって思ったの。まあ、祭には拒絶されちゃったけど。でもいいの。端から許されるとも思ってなかったしね」

「そうですか」

 結果はどうであれ過去と向き合い、詩織先輩は前に進み出した。
 してしまったことは到底許されることではないけれど、被害者である藤崎さんと話がついたのであれば外野のオレが口を出す理由はない。

「注文は?」

「ダークモカと季節のおすすめでお願いします」

「はい、お待たせしました。ありがとうございました」

 商品を受け取り、店を後にした。

「暑っ」

 店内と外の温度差に体が驚いて反射的に声が漏れる。

「お、話せたみたいだな」

「おかげさまで」

 颯にダークモカを渡す。
 次の行き先を決めていなかったが、とりあえず自転車を押しながら万代に向かうことにした。

「一昨日の里緒奈ちゃんのライブ凄かったな。美結も喜んでたよ。里緒奈ちゃんの歌声を多くの人に聞いてもらえたって」

「オレも正直感動したよ。改めて衝撃を受けたというか。あの日、オレが感じた感情は間違いじゃなかったんだなって思った」

「と、言いますと?」

「昔の記憶を思い出したんだ。里緒奈の歌声が人の心を鷲掴みにする瞬間を。里緒奈はきっと歌手になるって」

「秋斗には先見の明があったってことか」

「いや、あの場にいた人なら誰もがそう感じたはずだ」

 デビューに至るまでの道のりはオレなんかが想像もつかない険しいものなのだろう。
 だが、里緒奈ならきっと夢を叶えるんじゃないかと思わせてくれる力がある。
 それが里緒奈自身の魅力だ。

「それはそうと、藤崎さんから七夕花火のお誘いを受けたって聞いたんだが詳しく聞かせてもらおうか」

「なんだ。もう知ってるのか」

 藤崎さんから更科さん経由だとは思うがこうも筒抜けだと迂闊に相談できたもんじゃないな。
 まあ、颯も更科さんも頼りになるので筒抜け承知で今後も相談することになるんだろうけど。
 いくら親友と親友の彼女とはいえ、もう少しプライバシーを守って欲しいものだ。
 内心そう思いながらオレは空になった飲み物のカップを自転車のカゴに入れ、ペダルを漕ぎ出すのだった。

—2—

 時刻は里緒奈のライブが行われた日の夜まで遡る。
 風呂から上がり、ドライヤーをかけているとスマホのディスプレイに『藤崎祭』と表示された。
 着信を知らせる表示に慌ててドライヤーを止め、『応答』をタップする。

『もしもし、深瀬くん?』

 柔らかくて優しい声に思わず頬が緩む。

「うん、どうしたの? 電話なんて初めてだったからビックリしたよ」

『直接話したいなと思って』

「そっか」

『私ね、8月からバスケ部に見学に行くことにしたんだ』

「そうなんだ! それは良かった。応援してるよ」

『ありがとう。部のみんなに受け入れてもらえてやっていけそうだなって思ったら正式に入部することになると思う』

「藤崎さんならきっと大丈夫だよ。もし何かあったらオレが力になるし」

『それは心強いね。深瀬くんがいればなんでも乗り越えられそうな気がする』

「オレにそこまでの力があるかは分からないけど任せて」

 ライブ会場で藤崎さんと面と向かって話したからなのか、電話で話す藤崎さんは普段よりも好意を向けてくれているような気がする。

『あの、結構前にフリースロー対決で私が勝ったの覚えてる?』

「うん、もちろん」

『そのお願いをしようと思って電話したんだ』

「お、とうとう決まったんだね」

『うん、深瀬くん、今度の七夕花火、一緒に行かない?』

「えっと……いいの?」

『なんでも1つお願いを聞いてもらうっていうルールだから深瀬くんに拒否権はないんだけどね』

 電話越しに藤崎さんがクスクスと笑っている。

「いや、それはそうなんだけど。罰ゲームのはずなのにご褒美になってるというか」

『場所と時間はまた後でCROSSに送るからよろしくね』

「分かった」

『それじゃ、おやすみ』

「おやすみ」

 通話が切れ、暗くなった画面を呆然と眺める。
 デートに誘われた?
 2人で花火を見に行くのは完全なるデートだよな。
 どうしよう。着ていく服とか無いんだけど。

 原稿に行き詰まっていたのもそうだが、藤崎さんとのこの電話がオレが徹夜をすることになった主な理由だった。