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 祭の視線が左右を彷徨う。
 突然現れた詩織を前にして記憶の奥底に封印していたトラウマが呼び起こされる。

「久し振り。元気にしてた……? じゃないか。ごめん、上手く言葉が出てこないや」

 頭を掻きながら必死に言葉を探す詩織。
 祭からひしひしと伝わってくる拒否反応。
 逃げ出したい気持ちを抑えてもう1度顔を上げる。
 祭は怯えた瞳で詩織を見つめていた。

「中学の時は悪かった。スタメンを取られて、不甲斐ない自分に腹が立って祭に八つ当たりしてた。最後の試合も負けたのは祭だけのせいって訳じゃなかったのに」

 祭は口を固く結び、詩織の話に耳を傾けていた。
 謝られたところで痛みが消える訳でも、青春が戻ってくる訳でもない。
 受けた苦しみは恐怖となって記憶に刻まれている。

「あんたが誰よりも責任を感じてたよね。そこに追い討ちを掛けるような真似しちゃってさ」

 詩織が下唇を噛みながら謝罪の言葉を絞り出す。

「ほんと、ごめん」

 深く頭を下げて誠心誠意気持ちを込める。
 祭が知っている詩織とはまるで別人。
 人を平気で傷つける彼女の姿はもうそこにはなかった。

「詩織先輩、顔を上げてください」

 恐る恐る顔を上げる詩織。

「詩織先輩、私はあなたを許しません。この3年でどんな心境の変化があったのかは分かりません。先輩、謝って自分が楽になろうとしていませんか?」

「そんなことは……」

 チクリと胸が痛む。
 祭に申し訳ないという気持ちはあった。
 その気持ちに嘘偽りはない。

 ただそれと同じように過去の自分と決別したい。
 区切りをつけたい。
 この謝罪にはそういったニュアンスも含まれていた。
 かつて汚い言葉を浴びせられ、陰湿ないじめに耐え抜いた祭だからこそ真意を読み取ることができた。

「わざわざ謝りに来てくれてありがとうございます。でももう私のことは忘れて下さい」

「分かった。祭、深瀬くんといい、良い友達を持ったね」

 2人のやり取りを心配した様子で見守っていた美結が警戒心剥き出しの目で詩織を睨んでいた。
 思いを上手く伝えることはできなかったのかもしれない。
 それでも逃げ続けてきた過去と向き合うことができた。

 謝れば次の日から仲直り。
 そんな都合の良い話は物語の中だけ。
 時間が経てばまた違った形で再会する日が来るかもしれない。
 それまでは別々の道を、自分の人生を歩むしかない。

「祭、よかったの?」

 詩織の背中を見送りながら美結が問い掛ける。

「何が正解かは分からないけど、私も詩織先輩もいつまでも過去に囚われてちゃダメだと思ったから。これでよかったんだと思う」

「そっか。祭がそれでいいなら私は祭の味方だよ」

 ギュッと美結が祭に抱きついた。
 心を許せる友達が側にいてくれたからこそ詩織を前にしても怯まず立ち向かうことができたのかもしれない。
 祭はそう思った。

「あれ? でもなんで詩織先輩が深瀬くんのことを知ってたんだろう?」

「深瀬くん、祭にはまだ何も話してないのか」

「美結は何か知ってるの?」

「うーん、多分だけど——」

 美結はこれまでの経緯を祭に話すのだった。