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 夏休み3日目。
 藤崎祭は自宅の庭に設置されたバスケットゴール目掛けてシュート練習を行っていた。
 歌手を目指す里緒奈の姿に触発された訳ではないが、普段の練習よりも熱量が高い。
 仮想の敵を想像しながらドリブルを仕掛け、大きく切り込んでからレイアップシュートを放つ。
 着地と同時に汗が垂れ落ち、地面に黒い染みを作る。

「ねえ祭、そろそろ家に入らない?」

 太陽の光から逃れるべく影に身を隠していた更科美結がソーダ味の棒アイスをかじりながら祭に呼び掛ける。

「もうちょっとだけ」

「さっきももうちょっとって言ってたよ」

「じゃあ、もう少しだけ!」

「えっと、言葉が変わっただけで意味は変わってないと思うんだけど〜」

 美結のボヤキも祭のドリブルの音で掻き消されてしまった。
 最初は2人でフリースロー対決や1対1をしていたのだが、日頃CutMovie(カットムービー)にダンス動画を投稿するくらいしか運動をしていない美結が祭の体力についていけるはずもない。
 早々にダウンして日陰に逃げ込むこととなった。
 日焼け止めを塗って紫外線対策をしているとはいえ、肌を日光に晒し続けるのはインフルエンサーとして自殺行為だ。

「そういえば里緒奈ちゃんのライブ、颯と深瀬くんも誘っておいたから4人で見に行こう」

「美結はお仕事大丈夫なの?」

「その日は空いてるから平気だよ」

 夏休みはインフルエンサーとしての活動が忙しくなる。
 同世代のクリエイターとのコラボ撮影やイベント、企業案件など、地元仙台を飛び出して東京での活動が増える。
 すでに何件か仕事が決まっており、こうしてゆっくり祭と遊んでいられるのも片手で数えられるくらいしかない。

「それPictureup(ピクチャーアップ)に投稿するの?」

 3ポイントラインまで下がった祭がボールを脇に抱えて美結の方を見ると、美結が食べかけの棒アイスを太陽にかざして写真を撮っていた。

「うん、メモリーだけどね。夏の思い出に映えそうだなって」

 メモリーとはPictureup(ピクチャーアップ)内の機能の1つでアップしてから24時間で消えてしまう投稿のことだ。
 通常の投稿よりもハードルが下がるので気軽にアップすることができる。

「あ! 私の写真は載せないでよ。恥ずかしいから」

「リア垢ならいい? 可愛い祭をみんなにも見て欲しいな」

「だめです。却下します」

 美結が不意打ちで祭の写真を撮るも投稿の許可は下りなかった。
 ペースを狂わされた祭が息を軽く吐いてからシュートを放つ。
 軌道は良かったが惜しくもリングに当たって跳ね返った。
 小走りでボールを拾いに行き、再び3ポイントラインまで戻ろうと振り返る。
 その瞬間、祭の体が石のように固まった。

「詩織先輩……?」

 かつて祭に嫌がらせを行い、精神的に追い詰めた柳井詩織が立っていた。

—2—

「詩織、大してバスケ上手くもないくせに人のことどうこう言うのはどうなの?」
「中学ではその性格で通用してたかもしれないけど高校じゃ無理だよ。早く大人になりな。いつまでも子供じゃないんだよ」
「陰口叩いてるような奴にパスは出さないよ。少しは反省しろ」
「試合に出たいんだろ? スタメンになりたいんだろ? だったらそれに相応しい人間にならないと」

 名取東高校に進学した柳井詩織はバスケ部に入部するも部に馴染めず、1年生の秋に自主退部した。
 原因は詩織の性格にあった。
 両親の過剰な愛情を受けて育てられた詩織は世界は自分中心で回っていると錯覚していた。
 思い通りにならなければ他者に当たり散らかして決められたレールを無理矢理捻じ曲げようとした。

 中学時代は周囲をイエスマンで固めていたため、詩織の行動や言動に異を唱える者がいなかったが、高校で人間関係がリセットされ、新しい環境になり、徐々にチームメイトから詩織の行き過ぎた行動を問題視する声が上がり始めた。

 上級生から指摘されても懲りずに陰口を叩き、詩織は部内で孤立していった。
 当然その噂はバスケ部以外の人にも知れ渡り、同級生からも距離を置かれるようになった。

 自分の周りから人が離れていく過程で過ちに気付いた詩織だったが、その頃にはもう取り返しのつかないところまできていた。
 同じクラスの女子に話し掛けようとしても空気のように扱われ、授業でグループを組むように言われても最後まで余った。

 間違っていたのは自分。
 悪いのは自分。

 これまでの行いを振り返り、自分がしてきた最低な行為に罪悪感を抱く日々。
 今更、謝ったところで許してはもらえない。
 話を聞いてすらもらえないだろう。

「祭……」

 中学時代の後輩の姿が頭に浮かぶ。
 その後輩は圧倒的な才能でバスケ部のエースに抜擢された。
 当時、私はスタメンを奪われて悔しかった。
 彼女の才能に嫉妬していた。
 羨ましかった。
 許せなかった。

 努力の末に勝ち取ったスタメンの座をあっという間に奪われて腹が立った。
 むしゃくしゃした気持ちをどこにぶつければいいのか分からなかった。
 顔を見るだけで憎かった。

 ただ、実力は確かだった。
 紅白戦をしたことがあったが自分には叶わないと思い知らされた。
 でも、認めたくなかった。
 後輩に負けたと認めてしまったら格好悪い気がして、惨めな気持ちになるから。

 最後の大会で私が試合に出場することはなかった。
 ベンチから見ていることしかできなかった。
 試合は祭のミスが響き、流れが持っていかれてそのまま敗退した。
 自分が試合に出ていればあんなミスはしなかった。
 勝てていたはず。
 たらればの話にはなってしまうがそう信じて疑わなかった。
 だから後輩に強く当たってしまった。

 彼女にトラウマを植え付けてしまった。
 選手生命を絶つほどの強烈なトラウマを。
 全くクズでどうしようもない先輩だ。

 アルバイト先に彼——深瀬秋斗が訪ねて来てから祭に対する罪悪感で満ちていた。
 彼に正論を言われて頭の上からバケツの水を浴びせられたような感覚になった。

 私は言い訳を探して謝ることから逃げていたんだ。
 向き合うことが怖かったんだ。
 恨まれているだろう。
 憎まれているだろう。
 顔を合わせることすら避けられるだろう。
 拒絶されるだろう。

 謝って許されるとは思っていない。
 青春を奪ったんだ。
 それ相応の罰を受けなくてはならない。

『そんなことって……あなたは1人の人生を壊したんだぞ!』

 彼の言葉が胸に突き刺さる。
 会って、謝って、どうなるかは想像もつかない。
 ただ、いい加減向き合わなければならない。

 全ては身勝手で自己中心的な私が起こした問題なのだから。