—1—

 夏休み前最後の登校日。
 1限から全校集会が開かれ、校長先生の有難いお言葉が頭の奥で木霊する。ダメだ。暑さで意識が遠のいていく。
 どこの学校でも似たような光景が見られるだろう。
 暑さで蒸された体育館。
 下敷きをパタパタと仰ぐ生徒。
 それを注意する教師。

 体育館に冷房設備を付けてくれれば解決する話だが、伝統ある我が公立高校には予算がない。
 雨が降れば校舎の廊下に雨漏り対策でバケツが配置されるし、野球部が割った部室の窓ガラスは段ボールで塞がれたまま放置されている。
 地球温暖化の影響から教育施設にもエアコンの設置が進められているとはいえ、もうしばらく我慢が必要になりそうだ。

 代謝がいいのか滝のような汗を流す(はやて)を尻目に1学年の方に目を向けるとちょうどこちらを見ていた里緒奈と目が合った。
 ぱあっと明るい笑顔を見せながら胸の下で小さく手を振ってきたが、それに気付いた女子バスケ部顧問の山田先生が里緒奈の背後で足を止めた。
 前回の件といい、すっかり目を付けられてしまったみたいだな。

 永遠にも思われた校長先生の話も終わり、夏休みの過ごし方に関する注意事項などいくつか事務的な案内がされ、3年生から教室に戻るよう指示が出された。
 後はホームルームで配布物やら課題やらを受け取れば下校となる。

「秋斗先輩、先輩のせいで山田先生に怒られたじゃないですか」

 里緒奈が体育館の出口に向かう人の波に逆らってこちらにやって来た。
 ムスッと頬を膨らませているが全然怖くない。

「オレのせいではないだろ」

「先輩がこっちを見なければ私も手を振ってなかったので先輩のせいです。先輩が悪いです」

「随分と暴論だな」

「って、そんなことを話に来たわけじゃないんですよ。先輩に報告があって」

 どちらかと言えばオレは相槌を打っていただけのような気がするがまあいいや。
 里緒奈がスマホを操作してオレの目の前にずいっと差し出した。

「ショッピングモールのイベントで歌を歌うことになりました。先輩も見に来て下さい!」

『Girls Live Natori〜2027SUMMER〜』

 イベントは今週末の日曜日7月25日。
 ショッピングモールの屋外ステージが会場らしい。
 若手のソロ歌手が16組出演するようで『RIONA』の文字も載っていた。

「顔出しするのか?」

「はい、良い機会だと思うので。CutMovie(カットムービー)の動画がバズった影響ですでに何枚か私の写真が流出してますし」

「それは何というか大丈夫なのか?」

「中学の卒業アルバムの写真とプリクラとかなので大丈夫です。先輩が期待するようなエッチなのじゃないですよ」

 里緒奈が悪戯な笑みを浮かべる。
 別に期待なんてしていない。心配しただけだ。

「そうか。ならいいんだけど。颯に声を掛けて見に行くよ」

「ありがとうございます。先輩、なんか元気ないです?」

「そう見えるならちょっと疲れてるだけだ。昨日も外に出てたからな」

「ふーん、詩織さんでしたっけ? 会いに行ってたんですか?」

 相変わらず勘が鋭い。
 顔色を伺うだけでそこまで分かるなら最早それはエスパーの類だろう。

「まあそんなところだ」

「小説は順調なんですか? ほら、賞に応募してるって言ってたやつです」

「遅れ気味だからいい加減そっちも取り掛からないとなんだよなー」

「先輩らしくないですね」

「そういう時期もあるんだよ。年中絶好調だったらそれもそれで怖いだろ?」

「そうですね。何か私に協力できることがあったら言って下さいね」

「分かった」

 つい先日までオリジナル曲の歌詞がまとまらないと言っていたのにすっかり立場が逆転してしまったな。

 インターネットが発達する前は才能があっても発掘する場が限定的で一握りの人しか夢を掴むことができなかったが、反対にコンテンツが溢れ返った現代では才能があっても埋もれてしまうケースが多い。

 SNS時代と呼ばれる現代では自身をプロデュースする能力も重要視される。
 大衆の目をどれだけ自分に惹きつけることができるか。
 里緒奈の場合、きっかけは更科さんが投稿した動画だったかもしれないが、これまで蓄積してきた弾き語りの動画が後伸びで伸び始め、着実にファンを増やしている。

 1度殻を破れば後は羽ばたくだけ。
 才能という武器を味方にどこまで飛んでいけるか。
 元々ポテンシャルは高いからあっという間に手の届かない存在になるかもしれない。

 更科さんが里緒奈の弾き語り動画をCutMovie(カットムービー)に投稿してから約1週間。
 動画は失速することなく伸び続け、14.7万いいね、198.8万回再生という数字を叩き出していた。

—2—

「あ! 藤崎先輩ですよね? 今帰りですか?」

 校舎脇にある駐輪場。
 自転車の鍵を挿してロックを解除した藤崎祭に1年生の望月里緒奈が声を掛けた。

望月(もちづき)さんだよね?」

「はい、覚えててくれたんですね! 良かったら一緒に帰りませんか?」

「うん、いいよ」

 2人は1度ショッピングモールの書店で顔を合わせている。
 接点と言えばそれくらいだが里緒奈のテンションが妙に高い。

「明日から夏休みですね。先輩はどこか出掛ける予定とかあるんですか?」

「お盆におばあちゃんの家に行くけど後は特に決まってないかな。望月さんは?」

「私、歌手を目指してるんですけど色んな巡り合わせでライブイベントに呼んでもらえたので、歌を歌ってると思います」

「夢があるってキラキラしてていいよね。私も予定が合えばライブ行くね」

「はい、是非!」

 全力で青春している里緒奈を前に自転車を押す祭の頬が緩んだ。
 しかし、その表情とは裏腹にハンドルを持つ手に力が入っていた。
 あの時、夢を諦めていなければ自分もこんな青春を送ることができていたのではないかと思ってしまったのだ。

「藤崎先輩って彼氏とかいるんですか? あ、いきなり踏み込みすぎですかね?」

 祭の表情を伺いながら里緒奈が笑い声を上げて空気を和らげる。

「いないよ」

「じゃあ、好きな人とか気になってる人はいないですか? 確か先輩、秋斗先輩と同じクラスですよね。秋斗先輩はどうです?」

「深瀬くんは良い人だけど、好きとはまた違うかな。尊敬、憧れ、恩人。言葉では上手く表せないけどそんなニュアンスが近いかも」

「恩人ですか……」

 秋斗と祭が出会ったのは高校に入ってから。
 去年は違うクラスだったはず。
 秋斗が現在進行形で進めている女子バスケ部関連の出来事を除けば2人の関係値は浅い。
 それなのに恩人という言葉が飛び出し、里緒奈の思考が止まった。

「私の家、駅の向こうだからまたね」

 祭が自転車に跨って手を上げた。

「はい、ありがとうございました」

 里緒奈は後輩らしくペコリと頭を下げた。
 当初の予定では自分の好きな人が秋斗だと打ち明けて祭に牽制するつもりだったのだが、話の展開からそこまで持っていくことができなかった。

「藤崎先輩はああ言ってたけど、尊敬とか憧れから恋愛に発展するパターンもあるからなー」

 近頃の秋斗の行動といい、祭の発言といい、里緒奈の悩みはまだまだ尽きない。