—1—
日曜日の昼下がり。
オレは自身のデビュー作『キミの瞳に映る星を探して』を片手にパソコンと睨み合っていた。
画面には2つの小説のタイトルが表示されている。
・『この世界が誰かの犠牲の上で成り立っているとしたらあなたは今を大切に生きようと思いますか?』
・『人嫌いのクラスメイトが茜色に染まるまで』
「主人公とヒロインが成長していく姿を描くなら人嫌いかなー」
会員登録さえすれば誰でも無料で小説を投稿することができるWEBサイトでは定期的にコンテストや賞が開催される。
コンテストによって入賞特典は様々だが、年に1度開かれる大型の小説賞ともなると大賞賞金100万円+書籍化確約+コミカライズ化検討というかなり魅力的なものになっている。
出版社によって押し出したいジャンルが棲み分けされていて、異世界ファンタジーや現代ファンタジーを全面に売り出している出版社もあれば恋愛や青春を中心に扱っている出版社もある。
つまり、コンテストもサイトによって募集するジャンルがある程度決まっているのだ。
今回オレが応募しようと考えているのが『青春小説大賞』。
応募期間は7月1日〜8月31日。
文字数が8万文字以上13万文字以内と定められている。
書籍1冊が大体10万文字と言われているので販売を想定しての文字数制限なのだろう。
賞の情報が解禁されてから2作品のタイトルとキャラクター、ざっくりとした設定をまとめたが期限内に書き上げられるのは1作品が限界だ。
学校に通いながら書かなければならない点とオレの執筆速度から計算するに2作品手を付けてしまうとクオリティーが落ちてしまうリスクがある。
自分の納得のいくできでなければ作品を書き続けることはできないからな。
「秋斗先輩、遊びに来たよ!」
勢いよくドアが開かれ、里緒奈が部屋に飛び込んできた。
「呼んでないんだけど」
「呼ばれてないと来ちゃダメなんですか?」
「いや、普通は呼ばれたら来るんじゃないか?」
「だって先輩、昨日もいなかったじゃないですかー。漫画返すのに何往復させるつもりですか? まあ近いから全然いいですけど」
「事前に連絡くれればすれ違わないで済むだろ。っておい、ベットにダイブするな!」
「あははっ」
オレに怒られて何故か嬉しそうな声を上げる里緒奈はベットでバタ足をしている。
埃が舞うから本当に勘弁してほしい。
里緒奈の服装は白のシャツに黒のショートパンツ。
外は暑いから過ごしやすそうだが制服と比べたら露出が多い。
動いているから背中もパンツも見えてるし、いくら幼馴染とはいえ目のやり場に困る。
「秋斗先輩、喉渇きました」
「そりゃ動けば喉も渇くでしょうね」
「お水下さい。お腹も空いたのでお菓子も食べたいです」
「自由だな本当に」
仕方なく台所で飲み物とお菓子を調達することに。
麦茶とポテチでいいか。
茶の間では母さんが昼ドラを観ていた。
人を招き入れる時は最低限確認くらいはして欲しいものだ。
里緒奈だったからまだ良かったが自称友達を名乗る知らない人だったらと思うと怖い。
家のセキュリティーの甘さに不安を覚えながら自室へと戻る。
「ありがとうございます」
麦茶を受け取り、口を付ける。
部屋の中央にあるテーブルには何冊か漫画が積まれていた。
どうやらオレのいない間に物色していたらしい。
「面白そうなのはあったか?」
「何個かあったんですけどとりあえず続きを借りることにしました。これでようやく最新まで追いつきます」
「意外と早かったな」
里緒奈が読んでいるのは100巻を超える冒険ファンタジー。
4月から読み始めたから2ヶ月半ってところか。
音楽活動の息抜きに読んでいるらしいが思ったよりもペースが早かった。
余程続きが気になっていたのか鼻歌を歌いながら漫画を手に取ってページをめくり始めた。
里緒奈が大人しくなったことだしオレも原稿を書くとしよう。
—2—
里緒奈が漫画を1冊読み終えた頃。ちょうど30分が経っていた。
集中してキーボードを叩いていたがストーリーの触りくらいしか書くことができなかった。
7月と8月はどちらも31日までだから×2で計62日。
10万文字で完結させるとして62日で割ると1日あたり1613文字がノルマになる。
当然書けない日も出てくるから今のうちに貯金を作っておいた方が後々焦らなくて済みそうだ。
「秋斗先輩、お昼って食べました?」
里緒奈が両手でお腹を押さえてベッドに腰を下ろした。
そういえばまだ何も食べていなかった。
12時過ぎに母さんにインスタント麺を食べるか聞かれたけど新作の設定を考えていたから断ったんだった。
「息抜きがてらにパスタでも巻きに行くか」
「いいですね!」
下ろしたばかりの腰を浮かせて里緒奈がパチンと指を鳴らす。
パスタと言っても近所のファミレスなんだけどな。
安くて早くて美味いの三拍子が揃ってるから利用頻度が高い。
カルボナーラと明太子パスタがオススメだ。
「14時でもそれなりに混んでますね」
お昼時を過ぎても店内はそれなりに賑わっていた。
流石は日曜日といったところか。
とはいえ、時間帯も時間帯なので待つことなくすんなり席に案内された。
「何にします?」
「カルボナーラと骨付きチキンにしようかな。里緒奈は?」
「私はエビのサラダとマルゲリータピザにします」
注文を紙に書いて定員に渡してメニュー表を片付ける。
「女子ってサラダ頼むよな」
「栄養のバランスを気にしてるんですよ。秋斗先輩も野菜食べないと太りますよ」
「オレはあれだ。小説書いて頭使ってるから食べた分が消化されていくから大丈夫だ」
「なんですかその無茶苦茶な理論は」
「そんな目で見るなよ。里緒奈のサラダを少し貰ってもいいか?」
「仕方ないから許可します」
渋々里緒奈が頷いた。
これからはサラダも頼むようにしよう。
そう心に誓っていると話題に上がっていたサラダが運ばれてきた。
それを皮切りに残りの料理が次々とテーブルに並べられていく。
「いただきます」
手を合わせてそう呟き、カルボナーラをフォークでくるくると巻く。
卵と粉チーズが絡んで濃厚な味わいだ。
低価格でこのクオリティーなら文句の付け所がない。
里緒奈も大きく口を開けてピザを頬張っている。
「サラダ貰うぞ」
「どうぞ」
エビと一緒にレタスを摘む。
ドレッシングがさっぱりとしていて野菜と合うな。
自分が思っていたよりお腹が空いていたのか箸が進む。
「それで、昨日は学校に何をしに行ってたんですか?」
里緒奈がピザを食べ終えた手でこちらに指を差してくる。
「誰から聞いたんだ?」
「先輩のお母さんです」
勝手に家に上げるに留まらず人のプライベートも話してるのか。
まあ息子が祝日に学校に行く姿は珍しかっただろうな。
「ちょっと用事があったんだよ」
「その用事が何かを聞いてるんです」
ダメだ。完全に獲物を追い詰めるモードに入ってる。
この調子じゃいくらはぐらかしても里緒奈から逃れることはできなさそうだ。
かと言って真実を話す訳にもいかない。
芯に触れなければセーフか?
「藤崎さんと会ってたんだ」
「藤崎先輩とですか?」
藤崎さんの名前に驚いたのか里緒奈が固まった。
「クラスメイトって話はしただろ。実は藤崎さんと隣の席なんだけどなんでかオレの鞄に藤崎さんのノートが紛れ込んでてさ。それを返してたんだ」
「わ、わざわざ祝日にですか?」
「復習で使いたかったんだって。確認しないで持ち帰ったオレが悪い」
「それはそうかもしれないですけど……」
もちろん全て作り話だが一応は里緒奈を納得させることができたようだ。
里緒奈が不機嫌そうな顔でフォークでサラダのエビを突き刺した。
今の話の中に怒られる要素があっただろうか?
「怒ってる?」
「別に怒ってないです。秋斗先輩は小説だけ書いてればいいんですよ」
「絶対怒ってるよな?」
「そうやって何回も聞かれると本当にイライラしてくるのでやめて下さい」
「はい、すいません」
オレは唇を尖らせる後輩から視線を落とし、パスタを巻いて口に運んだ。
うん、濃厚だ。
—1—
7月上旬。
第二校舎の男子トイレをピカピカに磨き上げること4日目。
小窓を開けて換気を行い、便器と床を入念にブラシで磨く。トイレットペーパーを補充して三角に折り、雑巾で鏡を拭いたら放課後の掃除当番は終了だ。
「秋斗、終わったかー?」
「もう終わる」
鏡で自分の寝癖頭を見ていると颯がトイレの外から声を掛けてきた。
放課後まで重力に逆らい続けた寝癖を手で押さえるも効果は無し。
手を離すとすぐにピョンとハネてしまう。
水で濡らして直そうかとも思ったがもう帰るだけだし自分の中で面倒臭さが勝ってしまう。
こういう所が彼女ができない理由の1つなんだろうな。
「深瀬くん、お疲れ〜」
「お、更科さんもいたのか」
廊下に出ると颯と颯の彼女が出迎えてくれた。
手を上げて労いの言葉を掛けてくれたのが更科美結。
肩口まで伸びた銀髪はウェーブがかかっていてゆるふわな柔らかい印象を与えている。
顔は小さく切れ長の目に薄い唇が特徴的。
無表情の時は側から見たらちょっとだけ怖いと感じるかもしれないが、彼女の性格を理解してしまえば全くそんなことはない。
基本的には食べ物のことしか考えていないし、可愛い物に目がない。
そんな更科さんはインフルエンサーとして活動している。
総SNSフォロワー数は70万人超え。
ショート動画投稿アプリCutMovieにダンス動画を中心に上げていて同世代の若者から支持を集めている。
「女子がまだみたいだし別にオレを待たないで帰ってもらっていいぞ」
せっかくのカップルで過ごせる時間を奪う訳にもいかない。
というかオレが間に入ったら邪魔だろう。
「いや、颯から面白い話を聞いてさ。それを確かめに来たんだよね」
更科さんから向けられる視線と発言を受け、無意識に警戒モードを発動してしまう。
颯はというと明後日の方角を見て口笛を吹いている。こいつめ。
「面白い話っていうのは?」
「深瀬くん、祭のことが気になってるの?」
更科さんがワクワクした表情でオレの返答を待っている。
颯め、いくら彼女とはいえ他人のプライベートを横流しするのはどうかと思う。
「気になってるというか仲良くなりたいなって感じだよ」
「えー、仲良くなりたいなってことは気になってるってことでしょ?」
「う……まあ、そう捉えてもらっても構わない」
最速で追い詰められたオレは反論できずにコクリと頷いた。
更科さんは颯と違って口は堅いだろうし、変に広まることもないだろう。
「彼女が欲しくて欲しくてたまらない深瀬くんの為に私が恋のキューピッドになってあげよう」
オレの心臓に矢を放つジェスチャーを見せる更科さん。
恋のキューピッドは分かるけどオレの心臓を撃ち抜くのはやめてほしい。
親友の彼女なのに危うく好きになってしまいそうだ。
「颯、お前後で覚えとけよ」
「まあそう怒るなって。近い将来きっと俺に感謝する時がくるって」
颯がオレの肩を揉んで宥めようとしてくる。
もちろん本気で怒っている訳ではないから腹が立っているとかそういう感情は微塵も無いが、口が軽いことに関しては注意が必要だ。
「お、噂をすればだね」
更科さんの視線の先にはトイレ掃除を終えた藤崎さんの姿が。
「ん? 美結、噂ってなに?」
藤崎さんが小首を傾げる。小動物みたいで可愛い。
1年生の時にクラスが同じだったのは知ってたけど結構親しそうだ。名前呼びだし、口調が砕けている。
「今度の日曜日に颯と水族館に行く話を深瀬くんにしてたんだけど、深瀬くんも小説のネタ探しがてら行きたいってなってね。だったら祭も行かないかなーって。ほら、いつだったかクラゲが見たいって言ってたじゃん」
「行きたいかも」
チラッとオレの顔色を窺ってから藤崎さんがそう呟いた。
「じゃあ決まりだね! 日曜日はみんなで水族館だ!」
更科さんがオレにだけ見えるように親指を立てて得意気に笑った。
どうやらかなり優秀なキューピッドがオレの味方になったらしい。
—1—
7月4日日曜日。
電車とバスを乗り継いでやって来たのは仙台うみの杜水族館。
開館から1時間近く経っているのに入館チケット購入の列には若いカップルの姿が目立つ。
遊園地、水族館、動物園、映画館。
昔からデートスポットとして王道と言われているだけあって学生からの人気も高いようだ。
「水族館ってこんなに混むんだね。美結、バレないように気を付けてね」
「大丈夫! バッチリ変装してきたからね」
インフルエンサーとして70万人のフォロワーを抱える更科さんはキャップを深く被り、サングラスをしていた。
本人は自信満々に藤崎さんに対してVサインを送っているが、スタイルの良さと髪色も相まって逆にオーラを放っているような気がする。
順番が近づきポケットから財布を出した颯も優しい瞳で2人のやり取りを見ている。
「よし、イルカショーが13時からだからそれまでは色々見て回ろうぜ」
元々更科さんとのデートで訪れる予定だった颯は事前に下調べを行っていたらしく、イベントのスケジュールや館内のレイアウトを頭に入れてきたらしい。
彼女にしか見せない頼もしい一面を目の当たりにして、やっぱり彼女持ちとそうでない自分とでは意識の持ちようが違うのだと思い知らされる。
自分が楽しむことをメインで考えていたオレと相手を楽しませることをメインで考えていた颯。
近しい友人から色々と学ばされるな。
「颯、なんかせっかくのデートなのについてくるような形になって悪いな」
前を歩く藤崎さんと更科さんには聞こえないように小声で呟く。
「なんだよ気にすんなって。元はと言えば美結が言い出したことだし、それに藤崎さんと近づくチャンスだろ?」
「それはそうだけど」
気にしていないと颯が軽く笑い飛ばす。
「だったら話してこいよ」
背中を押され、大水槽の前で目を輝かせている2人の背後へ。
颯が更科さんに声を掛け、視線だけで意図を汲み取った更科さんは自然な流れでオレたちから距離を取った。
藤崎さんは水槽に向かって人差し指を向け、魚を引きつけて笑っている。
「この子可愛いね」
「そうだね」
どうしよう。魚よりも藤崎さんの仕草の方が可愛い。
「あれ? 美結と新川くんは?」
「先に行ったんじゃないかな?」
「そっか。2人はデートだもんね」
側から見ればオレたちもカップルに見えているのだろうか。
そう考えると緊張してきた。
大水槽に満足したのか藤崎さんは次のエリアに向かって歩き出した。
それに合わせてオレも足を進める。
「深瀬くん、邪魔したら悪いからこのまま2人で回ろう」
「そうしようか」
遠くの方で颯の腕を引いてはしゃいでいる更科さんの姿が見える。
13時にイルカショーがあるとは言っていたからそこで合流すれば問題ないか。颯もそのつもりなのだろう。
薄暗い館内には巨大なマンボウが展示されていたり、深海の生物が展示されていたりとそれなりに楽しむことができた。
2人きりになると会話に困るかと思ったが、目の前に何かしらの話題が転がっている為、会話が途切れることはなかった。
水族館のメインとなる生き物は2階に展示されていた。
その中でもペンギンやウミガメは愛嬌があって癒された。
「綺麗」
「目的達成だな」
藤崎さんが楽しみにしていたクラゲは6基の水槽でゆらゆらと泳いでいた。
体が白く光っていて神秘的だ。
足を止めて写真に収めている人も多い。
「そろそろ時間だね」
食い入るように水槽にへばり付いている藤崎さんに声を掛けるのは心苦しかったけど、移動時間も考えたらそろそろイルカショーの会場に向かった方が良さそうだ。
「もうそんな時間か」
名残惜しそうに水槽に背を向ける藤崎さん。
よっぽどクラゲが好きなんだな。
「クラゲ好きなんだね」
「うん、白く輝いててなんか花火みたいじゃない?」
「言われてみればそう見えるかも」
「水中に咲く花火。水族館に来れば季節を問わないで花火を見ることができる」
藤崎さんの瞳には夜空に咲き乱れる花火が映っていたのかと思うと、人によって物の見え方が異なっていて面白い。
「花火と言えばVOICEでの配信者名も藤崎花火だよね」
「私の名前って祭でしょ。お祭りと言ったら花火でしょ。だから花火にしたの」
「なるほど」
一種の連想ゲームのような形で付けたということか。
ペンネームを考える時によく使われる手法だ。
「深瀬くんはそのままだよね」
「オレは小説サイトに登録する時に間違って本名で登録してて、作品にファンも付いてたし変えるタイミングを失っただけというか」
「そうだったんだ」
藤崎さんが手で口元を押さえてクスクスと笑う。
本名でデビューしちゃったし、今更ペンネームを変えようとも思わない。
屋外に出てイルカショースタジアムを見下ろすと前列に颯と更科さんの姿を見つけた。
オレと藤崎さんの席も確保してくれていたみたいだ。
やっぱりできる男は違う。
「おーい! 祭ー! こっちだよー」
こちらに大きく手を振る更科さんに視線が集まり、一部でざわざわと騒がしくなる。
すぐさま颯が更科さんの頭を掴み、強引に前を向かせた。
70万人のフォロワーがいると言っても実際にはどれだけの認知度があるか分からなかったけど、変装しててもバレるくらいだから更科さんの人気は本物だ。
イルカショーはおよそ20分間。
飼育員の合図に合わせて芸を披露するイルカが健気で可愛かった。
また、前列なだけあって水飛沫が飛んできたりとかなり迫力があった。
人間の言葉を理解できる高い知能を持っているからこそ可能になる飼育員との連携に感心させられっ放しだった。
藤崎さんも更科さんも技が決まる度に「おー!」と声を漏らし、拍手を送っていた。
ショーが終わり、余韻に浸りながら館内へと戻り、フードコートで昼食を取ることに。
ラーメンとカレーライスが主なラインナップとして並んでいるが、更科さんは海鮮丼を注文。
それにつられて藤崎さんも海鮮丼を注文。オレは味噌ラーメンを、颯はビーフカレーを頼んだ。
「2人共、水族館で海鮮丼ってどうなの?」
ハムスターの口のように口いっぱいに頬張っている更科さんを見ながら思わずツッコミを入れてしまう。
「魚を見てる時もずっと、あれが美味しそう。こっちはどんな味がするのかな? って食べることばっかり言ってたからな」
喋れない更科さんの代わりに颯が解説してくれた。
更科さんには食材が泳いでるように見えていたんだな。
「なんか美結らしいね」
「ん、そういう祭だって海鮮丼頼んでるじゃん」
「そ、それは美味しそうに見えたんだもん。ダメ?」
口の中の物を飲み込んだ更科さんに突っ込まれて語気が弱くなる藤崎さん。
恥ずかしさを誤魔化す為なのか返答を聞く前に箸で海鮮丼を一口大に持ち上げ、口に放り込んだ。
魚も見たし、お腹も満たしたしということで水族館を堪能し切ったオレ達は更科さんの発案で記念写真を撮ることに。
初めは更科さんのソロ写真。カメラマンは颯だ。
写真や動画を共有するアプリPictureupに載せる用として数枚撮るらしい。
水族館の入り口を背景に更科さんがポーズを決める。
流石はインフルエンサー。
被写体となると先程までの雰囲気がガラッと変わり、彼女の魅力に惹きつけられる。
視線をレンズから外したり、下から見上げるような構図になったりとバリエーションも豊かだ。
普段から撮影に付き合っているのか撮影する颯も手慣れている。
「お待たせ。次はみんなで撮ろう!」
颯からスマホを受け取った更科さんは内カメラにしてぐいっと手を伸ばす。
角度を調節しながら4人が画角に入るように調整する。
「はい、チーズ! オッケー!」
連写で撮影され、更科さんによって厳選された数枚がCROSSで送られてきた。
こうして思い出が記憶としても形としても残り充実した1日となった。
—1—
華やかな週末が過ぎ去り、退屈な授業をなんとか耐え抜き、眠気がピークに達した放課後。
外気に触れ、体内の澱んだ空気と新鮮な空気を循環させる。
夏特有の熱気を感じながら渡り廊下を歩き、第二校舎に足を踏み入れると本校舎の喧騒が嘘のように静まった。
上の階から微かに聞こえてくるのは吹奏楽部の楽器の音色。
今週末から開催される野球部の夏の大会の応援に向けて最終調整を行っているのだろう。
試合に勝ち進めば一般生徒も応援に参加することになるらしい。
野球部に限らず、運動部にとってこの夏は世代交代がかかった最後の大会だ。
帰宅部のオレに直接的な関わりは無いが、側から彼等の努力を見てきた者として3年間の努力を実らせて欲しいと思う。
高校生という生涯1度しか訪れない貴重な青春を費やしたのだから。
そして、クリエイターにとっても夏は重要な季節となる。
図書室に入り、テーブル席に目をやると颯が鞄から筆記用具を出している最中だった。
「うす」
「おう」
短い挨拶を交わし、颯の対面に腰を下ろす。
テスト期間になるとそれなりに混み合う図書室もこの時期はほぼ無人に近い。
受付のお姉さんも度々利用するオレや颯のことを認知していて、小声程度の会話であれば許容してくれている。
「んじゃ、早速やりますか」
颯が筆箱からシャープペンを取り出し、『人嫌いのクラスメイトが茜色に染まるまで〜表紙イラストイメージ〜』とノートに書き記した。
そう。今日は『青春小説大賞』に応募している新作の宣伝用イラストを颯にお願いすることにしたのだ。
「ヒロインの女子高生が夕陽をバックにして微笑みかけてるようなシーンを描いて欲しいんだけど」
幼少期のトラウマをきっかけに心を閉ざした少女が主人公の茜に心を許して笑顔を向ける感動のラストシーン。
2人の少女の成長を描いた青春小説、になる予定だ。
「女子高生で夕陽バックね。オッケ。場所はどうする?」
「んー、河川敷かな」
「グラウンドが広がってる感じか、川が流れてる感じだとどっち?」
「川が流れてる感じ」
自分自身でも不鮮明だった部分が颯の質問に答えていくうちに確かなイメージとなって固まっていく。
「なんとなく構図は浮かんだから次はヒロインについて聞きたいかも。まず髪の毛の長さは?」
「セミロングくらいで。色は黒」
「了解。制服にする? 私服にする?」
「制服で」
「となると制服も考えないといけないか。俺達の高校の制服を参考にして何パターンか作ってみるからできたら送るわ」
「分かった」
こんな感じで颯の質問はしばらく続いた。
表紙イラストに関するQ&Aでノートの見開きがぎっしりと埋まったところでようやく颯はシャープペンをテーブルに置いた。
「制作期間は早くて1ヶ月ってところかな。描き込む量によってもう少し伸びるかもしれない」
「小説大賞の期間が8月31日までだから8月2週目までには完成させてくれると助かる」
『青春小説大賞』はWEBでの人気が直接選考に影響する訳ではないが、読者や選考委員の目に留まる工夫をしておいて損はないはずだ。
颯に描いてもらった表紙イラストを日常の出来事を自由に呟く交流型SNS『Z』にアップして拡散する予定だ。
創作物は結局のところ人に見られて評価を受けて初めて輝きを放つ。
しかし、コンテンツが溢れる現代において人に見られるということこそハードルが高い。
自己満足で活動している人なら閲覧数や評価コメントなど気にならないのだろうが、オレ達は違う。
小説×イラスト。
集客の為ならお互いの武器を最大限に活かすつもりだ。
「夏休みに入れば時間が取れるはずだから間に合わせるよ」
颯がスマホで『河川敷』『夕陽』『女子高生』などの検索ワードを入れてイラストの参考資料を作り始めた。
「なあ、颯、ずっと聞こうと思ってたんだけど、なんでそんなに協力してくれるんだ?」
颯はこれまでもオレがWEBで連載していた小説のキャラクターイラストを無償で描いてくれた。
いくら親友とはいえ、作業量や労力を考えたらお金を取ってもいいレベルだ。
「俺の夢は最高に可愛いオリジナルキャラを生み出すことだ。妹キャラからお姉さんキャラ、ボーイッシュ、同級生、それから露出が高いキャラとかな。秋斗に協力してるのは俺の夢を叶える上で近道だと思ったからだ」
自分で質問をしておいてあれだが、他人の夢をじっくり聞く機会なんて無かっただけに新鮮な気分だ。
「今回みたいに背景を描く練習もできるし、指定されるキャラクターの雰囲気も毎回違うから描く度に引き出しが増えていく。書籍化経験のある秋斗の作品のキャライラスト、表紙イラストとなるとそれなりに閲覧数も付くからやりがいもある。こうして実績を積み重ねていけばゆくゆくは仕事に繋がるかもしれないしな」
「凄いな。そこまで考えてたのか」
「女子の胸やお尻ばっかり追いかけてるように見えて実は色々計算してやってるのよ」
「おい、更科さんに怒られるぞ」
「冗談に決まってるだろ」
「どうだかな」
颯は冗談を交えて和やかな雰囲気を保ったまま自分の夢を語ったが、内側に秘めてるクリエイターとしての炎は本物だ。
睡眠時間を削ってVOICEでお絵描き配信を行い、書店で参考資料を買い漁り、ライトノベルの表紙や挿絵、漫画から構図を勉強している。
高校に入ってオレと出会ってからイラストを描き始めて約1年という短期間でメキメキと上達してきた。
身近にこれだけの熱意を持ったクリエイターがいるこの環境はオレとしても恵まれていると思う。
小説とイラストでジャンルは違うがお互い切磋琢磨して登っている感じが心地良い。
「ちょっとトイレ行ってくる」
颯にそう伝えて席を立った。
脱水症状対策でこまめに水分補給をしていた分トイレも近くなる。
「いつかWEBじゃなくて秋斗の書籍のイラストを担当できたらいいな」
オレに聞かせるつもりで発した訳ではないのかもしれないが、静寂に包まれた室内は声の通りがよく、ギリギリではあったがドアに手をかけていたオレの耳まで届いた。
颯のもう1つの夢。
それはオレの夢でもある。
その夢を叶える為には書籍化を決め、天才達が蠢く過酷な世界で生き残らなくてはならない。
—1—
廊下に出ると柔らかいギターの音色と優しい歌声が聞こえてきた。
階段を見上げると里緒奈が踊り場にあぐらをかいて弾き語りをしていた。
オレと目が合い、嬉しそうに頬を緩ませる里緒奈。
普段なら飼い主を見つけた犬のように勢い良く近寄ってくるのだが、音楽に向き合っている時の彼女は違う。
真剣にただひたすらに自分の理想の音楽を表現することだけに集中している。
サビに入り、心に訴えかけるような力強い地声と透き通った裏声が校舎に反響して鼓膜を刺激する。
耳が喜ぶとはまさにこのことだろう。
オレはトイレに行くことも忘れ、歌い終わった里緒奈に拍手を送っていた。
「放課後はここで練習してたのか?」
「毎日ではないですけど、本校舎と比べると静かなのでここはお気に入りの場所です。秋斗先輩は図書室で何を?」
「颯と打ち合わせだ。小説大賞に応募してる作品のイラストの依頼をしてたんだ」
「そうだったんですか。今度の作品はどんなお話なんですか?」
里緒奈がBGMの代わりにギターを弾き出した。
「人間不信に陥ったクラスメイトと向き合う女の子の話だ。女子同士だから恋愛には発展しないけど、同性だからこそ描くことができる高校生の青春を詰めていく予定だ」
「これまでとはちょっとテイストが違うんですね」
「ああ、市場の流行を取り入れてみようと思ってな」
今までは男女の恋愛模様とSF要素を掛け算してストーリーを組み立てていたが、ここ数ヶ月の書籍化作品やアニメ化作品でヒットしているタイトルの傾向を分析するに女性主人公+女性ヒロインが共通点として挙げられた。
消費者の求めている物が明らかになっている以上、それに寄せて作るのも立派な手法だ。
需要があるなら供給するに越したことはない。
「完成したら読ませてくださいね!」
「ああ、その時は感想を聞かせてくれ」
「任せてください」
里緒奈がトントンと拳で心臓の辺りを叩いた。
「里緒奈もオリジナル曲が出来たら聴かせてくれよ」
「それは、どうでしょう……」
「行き詰まってるのか?」
「実は歌詞がうまくまとまらなくて。あははっ」
里緒奈は力無く笑い、
「でも大丈夫です。なんとかするんで!」
じゃーんと力強くギターを弾いてみせた。
「そうか。あんまり無理はするなよ」
「はい、ありがとうございます」
スランプに陥っている時は我武者羅に打ち込んだところで解決するとは限らない。
WEB小説賞で銀賞を受賞して以来、大した結果を残せていないオレもまたもがき苦しんでいる。
何かきっかけがあればスランプから脱することができるのだろうが。
そう都合良くきっかけが訪れるはずもないので目の前のことを1つずつこなしていくしかない。
それが人生というものだ。
「じゃあ、オレに何か手伝えることがあったらいつでも言ってくれ」
「分かりました」
再び強烈な尿意に襲われ、オレはトイレに急ぐのだった。
—1—
週の真ん中水曜日。
7月7日、七夕の昼休み。
朝のニュース番組で七夕特集が組まれていたが、オレ達高校生の生活に変化があるかと言われれば特に変わりはない。
約400年の伝統をもつ宮城県の仙台七夕まつりは全国一の規模を誇り、毎年200万人以上が訪れている。
七夕だから7月7日にやるお祭りなんじゃないかと思われることが多いが、仙台七夕まつりはお盆と稲刈りの豊作の両方を祈るという意味合いがあり、開催期間が8月6日〜8月8日となっている。
これは新暦と旧暦の間の中暦が採用されているかららしい。
祭りの前日にあたる8月5日の前夜祭では約16,000発の花火が上がるのでそこも見所の1つだ。
去年は里緒奈の家族とオレの家族の合同で花火を見に出掛けたが今年はどうなることやら。
つい最近、水族館で花火の話をしたからか藤崎さんの顔が浮かぶ。藤崎さん、「祭りと言ったら花火」って言ってたし、花火が好きなんだろうな。
まあ、祭りに行くにしても原稿を書き進めて完結までの目処をつけておかないと話にならない。
今日も帰ったら夜までパソコンと格闘だな。
そんなことを考えながら黙々と弁当を食べ進める。今日も冷凍食品が美味い。
ちなみに藤崎さんはというと弁当を持ってどこかに行ってしまった。
代わりに颯が藤崎さんの席に座っている。
颯が言うには恐らく更科さんのクラスじゃないかとのことだ。
「食後の現代史は眠くなるんだよな」
すでに欠伸をしながら颯が気怠そうにぼやく。
「現代史に限らず食後は眠い。あと異様にトイレに行きたくなる。授業中に挙手してトイレに行くか休み時間まで我慢するかで毎回悩んでる」
「我慢するなよ。病気になるぞ」
「毎回トイレに行ってたら気まずいだろ」
「それはそうだけど病気になるよりはマシだろ」
食事中にトイレトークで盛り上がっているとプリントを抱えた鈴木先生が教室に入ってきてキョロキョロと誰かを探し始めた。
鈴木先生はオレ達の担任で化学を担当している。男子ソフトテニス部の顧問で小さいけどガタイがしっかりしている。優しくて生徒からの人気も高い。
「秋斗! 悪いけどこのプリント職員室まで届けてくれないか? 先生急用入っちゃってさ。日直だし、頼むわ」
「分かりました。先生の机の上に置いておけばいいんですよね?」
「ああ、よろしくな!」
日直という言葉を出されたら断る訳にはいかない。
鈴木先生からプリントの束を受け取り、急遽職員室に向かうことに。
弁当も食べ終わったし、昼休みもまだ半分くらい残ってるから時間には余裕がある。
「颯、手伝ってくれたり?」
「おやすみ秋斗。夢の中で応援してるわ」
淡い期待もあっさりと砕かれ、机に突っ伏す颯。
寝るのは自由だがせめて自分の席に戻れ。藤崎さんの席で寝るな。
オレが職員室に行っている間、客観的に見れば勝手に女子の席で寝てるヤバい奴に見えなくもないが本人は寝ると言っているんだ。放置しよう。
—2—
「あ、深瀬くん、職員室におつかい?」
「更科さん、いや、鈴木先生にプリントを届けて欲しいって頼まれてさ」
職員室で用事を済ませると廊下で更科さんとばったり遭遇した。
水族館振りに会ったが変装をしていない更科さんは他の生徒とは身に纏っているオーラが違う。何が違うんだろうな。インフルエンサーって凄い。
「パシリにされた深瀬くんにご褒美として恋のキューピットである私が良いことを教えてあげる」
「良いこと?」
「体育館に行ってみな。祭と2人きりになれるよ」
更科さんはウインクをして教室の方に戻って行った。
体育館の方から歩いてきたということは途中まで藤崎さんと一緒だったのだろう。
恋のキューピットから有難いお告げを頂き、体育館に足を伸ばす。
藤崎さんが1人で何をしているのか気になるが、その答えはすぐに分かった。
床を弾むボールの音。
体育館でボールの音となるとバスケとバレーの2択まで絞られるがこの重量感のある音はバスケットボールだ。
靴を脱ぎ、靴下で体育館に入る。
藤崎さんはフリースローラインからリング目掛けてシュートを放っていた。
洗練された美しいフォームを前にして、なぜかオレは音を立てないように忍び足のような形になってしまう。
邪魔をしてはいけないと脳が判断したのだろう。
体育の時も思ったが、藤崎さんの所作は経験者のそれだ。素人目だがかなりの実力者に見える。
「深瀬くん?」
5連続でシュートを決めたところでようやくオレの存在に気が付いた。
「凄い上手だね」
「いつから見てたの?」
「ちょっと前から」
「深瀬くんって気配を消すのが特技だったりする?」
「いや、そういうわけじゃないよ」
思い返せば体育館裏で会った時もこんな感じだったっけ。
オレって影が薄いのか?
「パス」
「おっとっと」
藤崎さんが転がっていたバスケットボールを拾い上げ、バウンドさせて渡してきた。
昼休みの間、しばらくシュートを打ち込んでいたのか髪の毛が汗ばんで肌にくっついている。
動きやすくする為だろうが、制服も半袖のシャツを短く折り畳み、スカートも普段より短い。
少し前屈みになっただけで健康的な太腿が露わになりドキッとする。
「フリースロー対決しない?」
「いいけど、藤崎さんに勝てる気がしないんだけど」
「うーん、お互いにプレッシャーをかけあうっていうのはどうかな? 罰ゲームの内容を決めたりしてさ」
「罰ゲームか」
顎に手を当てて考える素振りを見せる。
藤崎さんにして貰いたいことなら山ほどあるがどれも口に出せるようなものじゃない。
小説家として想像力があるのは良いことだが、豊か過ぎるのも困ったものだ。
「私が勝ったら1つだけ何でも言うことを聞いて貰おうかな」
「お、オレが勝ったら七夕花火に一緒に行って欲しい」
恐る恐る言葉を紡いで出てきたのは罰ゲームというよりはオレの願望。
朝のニュース番組の影響で七夕が脳裏に残っていた。
「えっと、それは罰ゲームなのかな? まあいいや」
藤崎さんはフリースローラインから2歩離れた位置で足を揃える。ハンデのつもりだろうか。
視線を上げ、シュートモーションに入り膝を曲げる。
柔らかいタッチで手からボールが離れた瞬間、ボールがリングを通過すると確信する。
「やったね。これで深瀬くんが外せば私の勝ちだよ」
「追い詰められたな」
プレッシャーをかけるつもりが逆にかけられる展開になるとは。
体育ではたまたま上手くいったが2度もまぐれが続くとは考えにくい。
だが、七夕花火を賭けた以上は一応脳内のシミュレーションで成功イメージを思い描く。
膝を柔らかく使い、リングの手前を狙ってボールを放つ。
が、ボールはリングに触れることなく虚しく地面にバウンドした。
言い訳になってしまうが靴下だから上手く踏ん張れなかった。
「私の勝ちだね。お願いが決まったら言うから叶えてね」
クシャッと子供のような笑顔を見せる藤崎さん。
「オレが出来る範囲のもので頼む」
「それはどうかなー」
七夕花火に一緒に行くという夢は破れたが藤崎さんとの仲が深まった気がするから良しとするか。
ゲームでもそうだが経験値はコツコツ貯めるに尽きる。
今日のオレは少し急ぎすぎた。
1人で反省会をしていると昼休み終了を知らせる予鈴が鳴った。
ボールを片付けて体育館を後にする。
「藤崎さんって帰宅部だよね?」
「うん、そうだよ」
「それだけバスケが上手いのになんでバスケ部に入らなかったの?」
素朴な疑問。
教室に向かう道中、少しでも藤崎さんのことを知ろうとして出た質問だった。
藤崎さんは足を止めて視線を足元に逃がした。問いに対する言葉を探しているみたいだ。
もしかして無神経な質問だったか?
「私にはバスケ部に入る資格が無かったから。バスケをやりたくても入部届けを提出する勇気が無かったの」
藤崎さんの声は震えていた。
資格がないとはどういうことだろうか。
部活は誰でも自由に所属することができる。
つまり学校側の問題ではない。
藤崎さん側のメンタルの問題ということだろう。
弱々しく言葉を絞り出した藤崎さんにこれ以上質問を重ねることはできなかった。
「授業遅れちゃうよ」
そんなオレの様子を察してか、藤崎さんは明るく声を掛けてきた。
オレはまだ藤崎さんのことを何も知らない。
—1—
「てなことが昼休みにあったんだけど2人は何か知ってたりする?」
授業が終わり、駅のホームで帰りの電車を待つ中、オレは昼休みの出来事を颯と更科さんに話した。
藤崎さんがバスケ部に入部できなかった理由。
仲の良い更科さんなら何か知っているかもしれない。
「本人がいないところで話すのはちょっとあれだけど、深瀬くんを体育館に案内したのは私だし、私が知ってる範囲で話すね」
耳をつんざくような甲高いブレーキの音が鳴り響き、反対側のホームに電車が停車した。
乗客が乗り降りしている様子をただの背景としてぼんやりと眺める。
「祭は小学生の頃に地元のミニバスのチームに入ってたみたい。体育で見たと思うけど実力が評価されて高学年の時にはキャプテンにも選ばれたんだって」
ドリブルもできてシュートも打ててコート全体をカバーできる広い視野も持っている。
そんな選手が同じチームにいたら心強いに違いない。
「中学でもバスケ部に入って2年生で先輩からレギュラーの座を勝ち取ったんだけど、先輩の引退がかかった最後の大会でミスをしちゃってそれが原因で負けちゃったみたい。祭は責任を感じて自分から顧問に退部を申し出たんだって」
すでに電車が発車しており、向かいのホームには誰もいなくなっていた。
自らのプレーが原因でチームが敗退。
団体スポーツをしている人間だったら誰もが経験する仕方のないこと。
だが、自分のミスのせいで先輩が引退となると責任を感じてしまうのも頷ける。
「バスケ部に入る資格がない」「入部届けを提出する勇気が無かった」藤崎さんの言葉から察するに中学時代の大会での出来事を消化できないでいるのだろう。
それでもバスケをやりたいという気持ちに嘘はつけない。
だからああやって昼休みに1人で自主練習をしているのだろう。
「祭にレギュラーを取られた先輩と他の部員からもキツく当たられたらしくて、それも辞めた原因の1つなのかなって。祭の親友の私の立場としてはバスケ部に入って思いっきりバスケをして欲しいんだけどねー」
「高校に上がって環境が変わっても部活に入らなかったってことはトラウマになってるんじゃないのか? 女子って人間関係ギスギスしてそうだし、俺だったら精神的に病みそうだな」
親友としてバスケ部で活躍している姿を見たいと言う更科さん。
一方で復帰は難しいと話す颯。
どちらの考えも理解できる。
ただ、声を震わせながら自分の内に秘めた思いを口にした藤崎さんの表情が脳裏にチラつく。
「藤崎さん、バスケをやりたいって言ってたんだ。何か力になれないかな」
藤崎さんの実力があれば2年生の夏からでも遅くはないはずだ。
余計なお世話になるかもしれないが、あれだけ努力をしている人が報われない世界は間違っている気がする。
本人が望んでいるのなら尚のことだ。
何より藤崎さんには後悔して欲しくない。
「ずっと側で見てきた私でも変えられなかったから難しいと思う。でも、深瀬くんだったらもしかしたら——」
「秋斗先輩!」
明るい里緒奈の声が暗くなった雰囲気を打ち破った。
軽快な足音がすぐ後ろまで近づき、振り向こうとするも次の瞬間両肩を掴まれ、ドサッと背中に体当たりされた。
今日の里緒奈はいつにも増してスキンシップが激しい。
「里緒奈、危ないから駅では大人しくしろって」
「あははっ、秋斗先輩が驚きすぎなんですよ。あ、美結先輩もお疲れ様です! 今日も可愛いです!」
「相変わらず元気だね里緒奈ちゃん」
更科さんが小さい子供を見るような優しい笑みを浮かべる。
里緒奈はSNSを通して更科さんのインフルエンサーとしての活動を逐一チェックするレベルで更科さんのファンらしい。
里緒奈曰く憧れの存在らしい。
「里緒奈ちゃん、一応俺もいるんだけど」
「ども」
里緒奈が颯に対して軽く頭を下げた。
「どうしよう。里緒奈ちゃんの俺への対応が日に日に酷くなっていってるような気がする」
「まあ気にするな。里緒奈は気分屋だからそういう日もある」
落ち込む颯の肩に手を置いて形だけでも慰める。
「あの、美結先輩に相談したいことがあるんですけどいいですか?」
「私に?」
「はい、美結先輩しか答えられないことだと思うので」
「可愛い後輩に頼られちゃったら断れないな。で、どんな内容?」
「すみません。ここからは女子同士で話したいので秋斗先輩と颯先輩には聞かせられないです」
里緒奈は手を合わせてそう謝るとホームに入ってきた電車の隣の車両に乗り込んだ。
「そういうことらしいから颯、また長町駅でね」
「分かった」
相談役に指名された更科さんも里緒奈と同じ車両に乗り込んだ。
女子同士の秘密の相談。
隣の車両では一体どんな内容が話されているのか。
—2—
電車が動き出し、扉近くの手すりに掴まっていた里緒奈は意を決して口を開いた。
「私、秋斗先輩のことが好きなんです」
「やっぱりそうだったんだね」
「え?」
予想していた返しとは別の返答が返ってきた為、里緒奈は目を丸くして固まった。
「気付いてたんですか?」
「気付くなって言う方が無理があると思うけど」
「う、嘘。隠せてたと思ったんですけど……でも、秋斗先輩が全然気付いてくれないから少し大胆になってたかもしれないです」
羞恥で里緒奈の耳がみるみる赤くなっていく。
「相談っていうのは恋愛相談ってことでいいのかな?」
「はい、美結先輩と颯先輩は幼馴染だったんですよね?」
「うん、幼稚園の年中の時に同じ組になってそこから小学校、中学校、高校までずっと一緒だよ」
「私もそうなんです。幼稚園で秋斗先輩と出会ってそこから家族ぐるみで付き合うようになって先輩を追いかけて高校も名取西に決めました」
「里緒奈ちゃんは一途なんだね」
好きな人のことを想って純粋に語る里緒奈の姿が美結には眩しく見えた。
「颯先輩とはいつから付き合ったんでしたっけ?」
「中学3年生の夏だったかな」
「告白はどっちからしたんですか?」
「颯からだよ」
ある意味自分の理想の形を築き上げた美結の恋愛話を聞き逃すまいと里緒奈が質問を畳み掛ける。
美結は先輩の余裕を見せつけるかのように落ち着いて受け答えをこなす。
「失礼な質問になっちゃうんですけど颯先輩のどこが良かったんですか?」
「CutMovieに投稿したダンス動画がバズって一気にフォロワーが増えたんだけど、急に多くの人の目に触れるようになってそれまで来なかったアンチコメントが来るようになったんだ。それで病んじゃって」
SNSの匿名性を盾に心無い言葉を浴びせる現代の風潮。
里緒奈も歌ってみた動画を投稿しているが極稀に批判コメントが付く時がある。
「もうSNS活動を辞めようって思った時に颯が言ってくれたんだ。見えない誰かの言葉より俺の言葉を信じろって。その言葉で凄く楽になった気がしたんだよね。私には味方がいるんだって思えて」
「カッコイイですね」
颯のことを秋斗に付き纏う邪魔者だと思っていた里緒奈も認識を改めた。
「私、女優を目指してるんだ。演技のお仕事をするのが夢なの。SNSを始めたのもそれが理由。有名になればきっと誰かが私を見つけてくれるんじゃないかって。颯は私の夢を知ってたから応援してくれたんだと思う」
「美結先輩ならきっと素敵な女優さんになれると思います。私も応援します」
感動的なエピソードに里緒奈も思わず胸が熱くなった。
「ありがとう。里緒奈ちゃんの恋愛相談に乗るつもりがなんか私ばっかり話しちゃってたね」
「いえいえ、質問したのは私なので」
里緒奈がぶんぶんと手を振り否定する。
車内にアナウンスが流れ、里緒奈の家の最寄りの南仙台駅が近づく。
「美結先輩、秋斗先輩と付き合うにはどうしたらいいと思いますか?」
里緒奈は1番聞きたかった質問を美結にぶつけた。
幼馴染という似た境遇でありながら好きな人と結ばれた美結からアドバイスが欲しかったのだ。
「深瀬くんは鈍感なところがあるから里緒奈ちゃんの方からもっと積極的にアピールした方がいいんじゃないかな」
秋斗の恋のキューピットとして動いている美結は返答に困ったが、里緒奈に頼られた手前真剣に考えてそう答えた。
「積極的に、ですね! 美結先輩、ありがとうございました!」
扉が開き、里緒奈が電車から降りる。
礼をして健気に手を振る後輩の姿を見て、美結は胸を痛めるのだった。
三角関係は全員が幸せになれる訳ではないから。
—1—
7月中旬のある日。
『青春小説大賞』用の原稿を書き進め、気が付けば夕方。
カーテンを閉めるべく立ち上がったついでに体を天井に向かって伸ばす。
座りっぱなしで背中もお尻も痛い。
ゲーミングチェアのような高価な椅子を買えばデスク作業の負担も軽減できるのだろうが、買い物に行く足がないのと組み立てが面倒臭そうという理由から小学生の頃から愛用している木の椅子を使い続けている。
ネットでゲーミングチェアの価格帯を調べると3万円〜4万円も出せばかなり良い物が買えそうだ。
お金は有難いことに銀賞を受賞した際の賞金と印税が残っている。
今後のことを考えて今度時間がある時にでも両親に頼んで家具屋に行ってみるか。
「さて、やりますか」
小休憩のネットサーフィンをやめて再び小説管理画面へ。
「それにしても伸びないな」
『青春小説大賞』では選考に読者からの評価は影響されないが、WEB連載という形で作品を投稿しているからにはどうしても数字が気になってしまう。
『人嫌いのクラスメイトが茜色に染まるまで』
フォロワー数7 PV数22 評価数6 評価者2
書籍化作家でもこれが現実だ。
賞への応募作品数はすでに500作品を超え、毎日更新されるランキングの上位作品はフォロワー数1500人越え、評価数が700を超えてるものもある。
とはいえ、青春という限定的なテーマということもあってファンタジーを主題とした賞に比べたら全体的に数字の動きが鈍い。
青春小説の中でも市場で人気を博しているのが青春リベンジ系の作品だ。
大学生や社会人の主人公が高校時代にタイムリープをして青春をやり直すという内容だが、恋愛や部活など爽快感があって面白い。
他には何らかの理由で突然ヒロインと同居することになる、同居系の作品も流行っている。
『青春小説大賞』でもこれらの流行を取り入れた作品がランキングの上位に並んでいる。
オレはもう1つのトレンドでもある女性主人公+女性ヒロインというテーマで作品を構成したが、タイトルからはそこまで読み取れない為、敬遠されているようだ。
伸びない数字を見て嘆いていても何も始まらないので作品を書き進めるしかない。
作品の応募受付が始まって半月。
早くも焦りが出てきた。
『青春小説大賞』規定文字数到達まであと67,548文字。
—2—
アイデアは考えて捻り出そうとする時ほど出なかったりする。
オレの場合はトイレをしている時や電車に乗っている時など、無意識下に突如として降ってくる。
それはお風呂に入っている時も同じ。
フル回転させていた脳をリフレッシュさせるかのようにシャンプーで頭皮まで揉みほぐす。あ、気持ち良くて眠くなってきた。
健康面を考えたら湯船まで使った方がいいのかもしれないが、最近は暑いからシャワーだけで済ませている。
「ちょっ、入ってるんだけど」
シャンプーを洗い流そうとシャワーに手を掛けるとお風呂場の扉が開かれた。
目を閉じているから誰かは分からない。
というか、何も言わないし出て行く気配もない。
「ちょっと?」
「ダメです。こっち見ないで下さい」
急いで髪の毛を洗い流して振り返ろうとするも細い指で頭を押さえられた。
後頭部が一瞬柔らかい何かに当たった気がしたが、その答えが何なのかは目の前の鏡を見てすぐに分かった。
「里緒奈、何してるんだ?」
「秋斗先輩、なんでそんなに冷静なんですか?」
体にタオルを巻いた里緒奈が鏡越しにそう聞いてきた。
スラリとした健康的な足にタオル越しにもはっきりとわかる胸の膨らみ。こいつ案外着痩せするタイプだったのか。
いくら幼馴染とはいえ、この状況で意識するなという方が無理がある。
冷静を装うことで精一杯だ。
「恥ずかしいならなんで風呂場に入ってきたんだ? というかどうやって入ってきたんだ?」
鏡越しだが里緒奈の頬が赤く染まっている。
「玄関で秋斗先輩のお母さんと会って、買い物に行くからゆっくりしていきなさいって」
「流石にお風呂に一緒に入れって意味ではないと思うんだけど」
いくらセキュリティーの甘い母さんでもそこまで馬鹿ではないだろう。
年頃の男女をお風呂に招くなんて真似は。
「……せ、積極的にって更科先輩が言ってたから」
背中でゴニョゴニョと何か言っているが声が小さくて聞き取れなかった。
「で、オレはどうすればいいんだ? 髪も洗ったしそろそろ出たいんだけど」
「だからこっち見ないで下さいってば!」
「んぐっ」
危ない。もう少しで首が折れるところだった。
「先輩は湯船に浸かってて下さい。私はシャワーを浴びます」
「はい」
逆らうだけ時間の無駄だと判断したオレは股間を押さえながら大人しく湯船に体を沈める。
早くしないと母さんが買い物から帰って来そうだしな。
「今日は秋斗先輩に相談しに来たんです」
「相談?」
里緒奈は椅子に座り、シャワーで体を流し始めた。
艶のある肌が水を弾いている。
「オリジナル曲の歌詞がまとまらないって話をしたじゃないですか。先輩は小説を書く時に何を考えてますか?」
「難しいな。キャラクターを物語のゴールに向かって導くようなイメージかな。起承転結を意識したり、展開に起伏を付けて読者が飽きないように工夫はしてるけど」
「なるほど。じゃあ、先輩は何の為に小説を書いてますか?」
「何の為か……」
簡単な質問が故に言葉が喉元で引っ掛かる。
風呂場にはシャワーの音だけが響き、湯気やらこの状況の恥ずかしさやらで頭が熱くなってきた。
「初めは単純な理由だった。漫画でもアニメでも影響を受けた作品の続きとかサイドストーリーを考えるのが好きだったんだ」
「小さい頃公園でよく話してましたよね。自分だったらこんな展開にするって」
オレが小学生の頃、友人達の間で毎日のように漫画の考察をああでもないこうでもないと話し合っていた。
そんな各々の妄想をぶつけ合う時間が1番楽しかった。
「自分で小説を書くようになってからは自分が作る最高に面白いと思う物語に共感して欲しかった。読んだ人に喜怒哀楽のどれでもいいから何らかの感情を抱いて欲しかった。過去形みたいな言い方になったけどそれは今でも変わってない」
「感情の揺さぶりですか。深いですね」
里緒奈がシャワーを止めてうんうんと頷く。
何か感じるものがあったのだろう。
「里緒奈は曲を通して誰に想いを伝えたいんだ? 聞き手の顔を想像したら自然と歌詞とメロディーが降ってくるかもしれないぞ」
「私が想いを伝えたい人……」
ゆっくりと横目でこちらを見てくる里緒奈。
こっちを見ないでとは言われたものの、しっかりと目が合ってしまう。
と、その時。
「秋斗、アイス買ってきたから冷凍庫に入れとくねー。ん? あらあら」
買い物から帰ってきた母さんが洗面所の扉を開けて声を掛けてきた。
すぐに扉は閉まったがオレは重要なことに気付いてしまう。
「里緒奈、着替えってどこに置いた?」
「洗濯機の上です。先輩の着替えの横に畳んで置きました」
「そうか。そうだよな」
あ、これ死んだな。100%母さんに見られた。
こうなったら下手に言い訳するより触れない方がいいだろう。
オレと里緒奈は時間をズラしてお風呂から上がり、何事も無かったかのように自室でアイスを食べた。
—1—
ついこの間、食後の現代史の授業は眠くなるという話を颯としたような気がするがあれからもう1週間が経った。
担任の鈴木先生もクラス替え初回のホームルームで「就職してから時間が経つのが早く感じる」とか嘆いていたし、こうやってどんどん歳をとっていくのだろう。
彼女ができたこともないし、これといって青春らしいこともできていないし、突然超能力に目覚めてオレの周囲だけ時間の流れが遅くならないだろうか。
などと職業病である妄想が捗ってしまう。
まあ、実際クリエイターとして活動している以上、結果を出せていない状態で時間だけが過ぎていくのは不安でしかない。
「今日の授業はリレー小説をします!」
現代史担当の山田先生の言葉に妄想世界から現実世界へと引き戻される。
山田先生は背伸びをしながら黒板に注意事項をまとめ始めた。
低身長な彼女は若手の女教師で女子バスケ部の顧問をしている。
プライベートな話をあまりしたがらない教師が多い中で、山田先生は生徒と歳が近いこともあり授業の冒頭数分間を使ってアニメや漫画の話、時事ネタなどオレ達が興味を持ちそうな話題を提供してくれている。
フレンドリーでとても親しみやすい先生なのだが、授業中は現代史という授業の性質上教科書の音読が多くなる為、居眠りをする生徒が多発している。
もちろん居眠りがバレたら起こされるのだが、1人また1人と夢の世界へと旅立って行く。
「完成した原稿は全員分印刷して後日配布するから必ず期限を守ること。次の授業で感想シートを提出してもらいます。それではグループを作って初めて下さい」
ここからはフリー時間。
生徒が一斉に移動を始める。
「秋斗、やろうぜー」
「おう」
颯の誘いに頷き、黒板に書かれた注意事項に目を通す。
・グループは3〜5人で形成すること。
・1人当たり原稿用紙2〜3枚で収めること。
・舞台は現実世界、主人公は高校生とする。
・感想シートに面白いと思った作品を1つ選び、どこが面白いと感じたか記入すること。
※投票数の上位3作品と先生が選んだ1作品は内申点が5点加算されます。
授業をサボらないようにする為の工夫だろうが優秀作品は内申点が貰えるみたいだ。
これでも小説家の端くれだから物語を作ることに関しては自信がある。
どうせやるなら上位を狙いたい。
「藤崎さん、良かったら一緒にやらない?」
「うん、いいよ」
誰をグループに入れるとかそういう相談も無く、目の前で藤崎さんの加入が決まった。
颯の行動力はオレも見習わないといけないな。
「じゃあ、秋斗あとは任せた」
役目は果たしたとばかりに颯が丸投げしてきた。
ノートの隅に絵を描き始めたし、なんていうか自由な奴だ。
「任せたって言われてもな」
とりあえず机を合わせてルーズリーフを1枚取り出す。
「藤崎さん、小説って書いたことある?」
「小学生の頃に国語の授業で絵本を作ったことはあるけどそれ以来かな」
「なるほど。となると設定は話しながら決めていこうか」
「なんか作家先生っぽいね」
藤崎さんが興味津々といった感じで机に身を乗り出した。
ルーズリーフに物語の軸となる設定を書き出していたのだが、そんなにじっと見られると緊張するな。
「最初にジャンルを決めようと思うけど初心者でも書きやすいのは恋愛かホラーかな」
「怖いの苦手だし恋愛がいいな」
藤崎さんがルーズリーフに書かれた恋愛の文字を丸で囲った。
「次は登場人物だな。同級生にするか先輩後輩にするか」
「うーん、迷うけど同級生で」
「同級生の恋愛で定番なものだと部活か学校行事になるけど……おい、そろそろ颯も話に参加しろって」
「それじゃあ王道の文化祭に1票」
颯がビシッと人差し指を立てる。
こいつ決断力はあるんだよな。
「私も文化祭でいいよ」
「了解。最後に書く順番か。起承転結を3人で分担するとしてオレが転と結を担当するよ。藤崎さんは最初か2番目だとどっちがいい?」
「新川くん、最初お願いしてもいい?」
「いいよ。任せて」
不安はあるけど颯もライトノベルをそれなりに読み込んでるし、話の組み立てに関しては問題無いだろう。
「んじゃ原稿用紙貰ってくるから颯からスタートな」
「はいよ」
—2—
オレ達のグループのテーマはスクールカーストを飛び越えた恋だ。
クラスの最下層に位置する内気な主人公『友陽』が1軍の女子『明日菜』に恋心を抱きながらもその想いを伝えてしまうと彼女の迷惑になると思い、自分の胸にそっとしまいながら生活を送る。
友陽のクラスは文化祭でお化け屋敷をすることになり、連日準備に取り掛かる。
カースト上位の1軍男子達からこき使われるも文化祭の成功を願う友陽は懸命に作業をこなす。
そんな友陽の姿を明日菜が見ていて。
「颯、これはアリなのか?」
ストーリーの立ち上がりとしては申し分のない出来なのだが、颯の原稿用紙の3枚目に視線を落としたオレと藤崎さんが目を合わせて難しい顔をする。
「まあ、ダメだったらそれはそれで没にしてくれればいいよ」
「まあ原稿用紙2枚は書いてるから問題はないか」
3枚目の右半分にはキャラクターイラストが、左半分にはヒロインの明日菜が友陽に笑いかけるシーンが描かれていた。
短時間で描かれたクオリティーとは思えない魅力的な仕上がりに同じクリエイターとして素直に尊敬してしまう。
が、授業のテーマがリレー小説なのでイラストが認められるかが怪しいところだ。
「次は私だね」
颯からバトンを受け取った藤崎さんがシャープペンを走らせる。
小学生の国語の授業以来とは言っていたが、筆に迷いがなくスラスラと物語が進んでいく。
普段から平和主義を掲げている藤崎さんだが、ストーリーは暗く重い方向へとシフトしていく。
1軍男子のリーダー『純正』による嫌がらせが過激化。
教室に響く怒声。
クラスメイトは誰もカースト上位の意見には逆らう事ができない。
純正は文化祭の準備を全て友陽に押し付けて仲間と遊びたい放題。
自分が犠牲になっている間は他の人が標的になる事はない。だから我慢するのは自分の役目だ。
友陽は自己犠牲の精神で理不尽に耐える。
そこに明日菜が寄り添い、優しい言葉を掛ける。
好きな人を守る為には変わらないといけない。
明日菜との接触で友陽の中にそんな感情が芽生え始める。
そして、いよいよ運命の文化祭当日を迎える。
「どうかな?」
原稿を読んでいたオレの顔を藤崎さんが心配そうに覗き込む。
「リアリティーがあって凄く面白いよ。特に友陽の名前の由来が語られるシーンにはグッときた」
「秋斗よりも才能があるんじゃないのか?」
「新川くん、嬉しいけどそれは言い過ぎだよ。登場人物に感情移入したら思ったよりもスラスラ書けて自分でもビックリしてる」
「それを才能って言うんだよ。よしっ、後はオレがみんなを結末まで導く」
軽く目を閉じ、息を大きく吐き出す。
「やっぱり集中した秋斗はカッコイイな」
キャラクターと自分がリンクしたような感覚。
台詞も自然と浮かんでくるし、情景もまるで自分が物語の中に入り込んだかのように鮮明に映る。
スポーツ選手で言うところの極限状態『ゾーン』と似た感覚がごく稀にクリエイターにも起こる。
1枚、もう1枚と原稿用紙が文字で埋め尽くされていく。
物語は中盤からクライマックスへ。
文化祭の最中にトラブルが発生。
他校の男子生徒の集団がお化けに扮した女子生徒の体を意図的に触ったのだ。
被害に遭う女子生徒の悲鳴。
明日菜から助けを求められた友陽は勇気を振り絞って男子生徒に立ち向かう。
拳を顔面に喰らって倒されても好きな人を守る為だったら立ち上がる。そうやって自分の殻を破っていく。
一瞬の隙をつき、男子生徒の注意を引いた友陽は明日菜の手を引いて教室から飛び出し、夢中で体育館の裏まで走った。
息を整えていると体育館から軽音楽部の演奏が聞こえてくる。
背中を壁に預け、2人でのどかな田舎の風景を眺める。
何気ない会話をするかのように友陽が明日菜に想いを伝え、明日菜もそれに答える。めでたし、めでたし。
「流石は秋斗だな。読み終わった後の余韻が凄いわ」
「話の展開がジェットコースターみたいに勢いがあって面白かった。ラストもハッピーエンドで良かった」
2人の反応を見るに満足してもらえたようで良かった。
「一応タイトルも考えたんだけど『君のヒーローになりたくて』でどうかな?」
「異議なし!」
「いいと思う」
満場一致でタイトルも決まり、オレ達の作品は無事完成した。
1週間後の現代史の授業でオレ達の作品が投票数首位に選ばれるのだが、この時はまだ知らない。