ツインくるっ!〜双子の姉に恋して悪いですか⁈〜

 そんなわけで奏お姉ちゃんに本命チョコを渡すための一週間が始まった。

 まあチョコと言っても、今回作るのはチョコではない。ガトーショコラだ。これにした理由はいくつかある。

 まず、手の込んだ料理の方がいいということだ。普通のチョコや生チョコを渡してもいいが、作るのが私にとっては簡単すぎる。

 もちろん拘れば色々とやりようはあるが、残念ながら見た感じではそれが伝わらない。

 一方でガトーショコラは卵白でメレンゲを作る工程が難しいし、見た目でも拘った感が出る。その方が気持ちも伝わるのではないかというのが琴姉と私が話して出た結論である。

 そしてもう一つ重要なのが、ガトーショコラは私の好物の一つであるということだ。

 いやいや、お前の好きなものを作ってどうするという声が聞こえてきそうである。だけど、私は重要なことに気付いたのだ。

 私と奏お姉ちゃんの味覚は基本的に一致しているのだ。私の好きなモノは基本好きだ。むしろ私以上に好んでいることばかりだ。

 だから私の好物であるガトーショコラもきっと大好きに違いないと思ったのだ。まあもしかすると違う可能性もあるが、それは信じてみる価値がある。

 というわけで、ガトーショコラを作ることにした。試食役は当然琴姉だ。

 まずはチョコを細かく刻んでいく。ここで細かくしておくと湯煎(ゆせん)が楽らしいので可能な限り細かく刻む。

 刻んだらボウルの中に刻んだチョコレートに無塩バターを入れて湯煎にかけて溶かす。

 今度はクッキングシートを敷いて、薄力粉とココアパウダーを合わせて振るって、容器に移す。これはまあ簡単だ。

 そしたら別のボウルに卵黄を入れて混ぜる。混ぜ終わったら砂糖を入れて白っぽくなるまで混ぜていく。

 ハンドミキサーがあれば楽に混ぜれるが、そんなものないので泡立て器でひたすら混ぜていく。思ってた以上に重労働である。

 そこに溶かしたチョコレートを加えてよく混ぜ、さらに生クリームも加えて混ぜる。ここまではまだ簡単だ。次の工程がポイントになってくる。

 氷水の上に別のボウルを乗せて、卵白を入れて泡立てる。そしたら砂糖を3、4回に分けて入れ、その都度泡立てる。

 これが半端なくキツイ。中々泡立たないし、ツノが立つまで泡立てないと上手く出来ないからだ。ヘトヘトになりながらも何とかメレンゲが作れた。

 これが終わればある程度楽になってくる。チョコレート液にメレンゲを3分の1加えて、泡が見えなくなるまでゴムベラで混ぜる。

 そこに振るった粉の半分を加えて、粉っぽさがなくなるまで混ぜていく。

 さらに残りのメレンゲの半量を加え、また泡が見えなくなるまで混ぜ、振るった粉の残りを全部入れて混ぜる。

 最後に残ったメレンゲを全部入れて混ぜ、生地作りは完了。ここに来るまでにそこそこ時間がかかってしまった。けど、美味しくする為にはこれくらいの労力は必要だろう。

 出来た生地を型に入れ、平にならし160℃に余熱したオーブンで35分間焼いていく。ここまできたらあとは完成するのを待つのみだ。

 その間、私はリビングのテーブルに座り、琴姉と雑談をしながら待つことにした。

「美優羽は最近どんなネット小説読んでるんだ?」

 琴姉がそう尋ねてきた。ネット小説というと所詮素人の作品と思われがちだが、馬鹿にできない出来の作品も多い。中々いい趣味を見つけたものだ。

 その中で、最近見つけた小説を一つ話してみる。

「そうねえ。やっぱり、百合小説を中心に読んでるかしら。最近だと『かわいいわたしを』って作品がよかったわ。カッコいい主人公を演じる女の子が、後輩の女の子と触れ合っていくことで、その子を好きになって、そしてその子の言葉でカッコいい自分じゃなくて、かわいいものが好きな自分を出すことが出来るようになるっていう青春ストーリーなの」

「なるほどねえ。それは読んでて感動しそうだなあ」

「まあ感動って程ではないけど、爽やかな気持ちになれたわ。私もあんな感じで素直に自分を出せるようになれればなあ」

「美優羽は、奏だけにそうなれないだけだろ。他の子にはそうじゃないだろうから、それとは違うんじゃないか?」

 琴姉はそう言った。確かにその通りだ。私が素直になれないのは、奏お姉ちゃんだけだ。だから、その指摘は何も間違ってはいない。少し痛いところを突かれてしまった。

「ま、まあその通りよね。そう言えば、琴姉最近曲アップロードしてたよね。3日前なのに、もう100万再生超えてるんだから凄いよね」

 私は琴姉を褒めた。琴姉は滅茶苦茶有名なボーカロイドPなのだ。間隔は開きがちだが、曲を上げれば基本100万再生を超える。まさに売れっ子なのだ。

 CDも発売していて、かなり売れているとか。それなら一人暮らししてもよさそうだが、琴姉は前述の通り料理以外はテンでダメなので、この家に住み続けている。

 そのお陰で色々相談に乗ってもらえてるから、有難いのではあるが。

「まあ、100万再生はあくまで結果だからそこまで気にせんよ。それより、曲の感想が気になる。美優羽はどう思った?」

 琴姉は少し前のめりになっている。それほど感想を知りたいようだ。

「けど、こういう感想ってもっと音楽に精通した人とか、評論家に聞いた方がいいんじゃないの?」

「まあそういうのも大事だ。だけど、曲を聴く人の大多数はそうじゃない。フツーの人が多い。だから、フツーの人の感性でどう聴こえるのかを聞くことは大事なんだ。だから美優羽に聞いてる」

 琴姉は私を真っ直ぐ見つめている。確かにそうだけど、私の感性が普通というのは喜ぶべきなのだろうか? それとも悔しがるべきなのだろうか? わからないけど、とりあえず頼りにされていることを感じて、正直に答えよう。

「そうねえ。曲調は相変わらず暗いかなあ……。私はもっと明るい曲が聴きたい。でも、テンポが良いし、所々韻を踏んでいるっぽいから印象に残りやすいし、口ずさみやすいかなあ」

 それを聞くと、琴姉はふむふむと頷き、スマートフォンにメモをしていた。

「こ、こんな感想しかないけど、これでいいの?」

「ああ、問題ない。そういうストレートに感じたことを言ってくれるのが良いんだよ。次の曲はちょっと明るめに作ってみるよ」

 琴姉は少し微笑んでいた。まあ、役に立ったのならよかった。

 こんな感じで雑談をしていると生地が焼けた。このまますぐにかぶりついてもいいが、一旦冷ましてから型から外し、最後に粉糖(ふんとう)をかけて完成だ。ここまで約1時間。長かった。

 けど、これで美味しいガトーショコラが出来たはず。私はリビングに持って行き、二人分に切り分けて食べてみることにした。

「うん、うまいなあ。これならいいんじゃないか」

 琴姉は食べるなり開口一番でそう言った。

 本当にぃ? 

 そう思いながら私も一口。うん、確かに美味しい。濃厚なチョコの味が口一杯に広がる。しっとりとした食感も中々いい。

 けれど、まだ美味しく出来そうな気はする。

 確かに濃厚な味ではあるがもっと重厚感が出せるはずだ。メレンゲを混ぜるところでもっと泡立てるべきなのだろうか? それとももっと前のチョコを湯煎するところからだろうか?

 そんな感じで私はこれからより良くしていく為の案を練り始めた。その時だった。

「わぁ、美味しそう! 美優羽ちゃん食べていい?」

 匂いを嗅ぎつけたのか、奏お姉ちゃんがのこのことキッチンの方へやって来た。

 ふわっとした髪質に透き通るロングで美しい白銀の髪。身長は高くないが、決して太すぎず痩せすぎずと言った、バランスの取れた身体つき。

 そして、メガネから見せるくりっとした瞳に優しい微笑み。そしてとてもいい匂いがする。爽やかというか、甘いというべきか、判断はつかないがとてもいい匂いである。

 それから、見た目通りにとても優しい。私が素直になれなくても、優しく見守ってくれるし、失敗した時も常に励ましてくれる。

 それは私だけじゃない。電車で老人を見かければ席を譲るし、迷子になった子がいれば面倒を見て警察まで連れて行ってあげる。何か無くしたって同級生が言えばそれを全力で探してくれる。

 まさしく、天使そのものなのだ。地上に現れた触れられる天使。それが奏お姉ちゃんなのだ。

 そんな、奏お姉ちゃんの登場に身体中から熱が湧き上がってくる。

 さて、お姉ちゃんがガトーショコラを食べたそうにしている。

 本当はもっと良く出来ているだろう完成品を食べさせたい。けど、奏お姉ちゃんは食べたそうに試作のガトーショコラを見ている。どうしようか。ここはあげてもいいかな。私はそう決めた。

「ダメっ。食べちゃダメ!」

 だが私の考えとは裏腹に、出て来た言葉は全く違うものだった。

「これは大切な人にあげる為の練習用なの。だからダメ!」

 思っている言葉と出てくる言葉が全然違う……。またやってしまった。これで奏お姉ちゃんに嫌われたかも。そう思いながら奏お姉ちゃんの顔を見ると軽く微笑んでいた。

「うーん、わかった。じゃあ食べないでおくね」

 やっぱり奏お姉ちゃんは優しい。私は一安心した。

「けど、いつか食べてみたいなあ。いつかで良いから作ってくれると嬉しいなあ」

 奏お姉ちゃんは優しく微笑んだ。

「い、いいわよ! その時があるかはわからないけどねっ!」

 私は早口で語尾を強めて言った。そうすると奏お姉ちゃんは、わかったわと言ってリビングを後にした。

 奏お姉ちゃんがいなくなって少しして、琴姉が口を開いた。

「試作くらい食わせてもいいじゃないかって……それを素直に言えてたらここまで苦労してないわな」

 私はただただうなづくしかなかった。
 それから私は毎日ガトーショコラを作り続けた。作り続ける毎に1分くらいではあるが、作る時間が減ったような気がしてきた。味の方も段々と良くなってきた。

 3日目くらいで琴姉はこれで良いんじゃないか、もう練習はしなくていいんじゃないかと言ってきた。

 確かに味の方はこれ以上良くなる可能性はなさそうだった。けど、本番はワンミスも許されない。練習で完璧に出来て初めて本番でも上手くできるのだ。だから私は作り続けた。

 そんな感じで本番のバレンタインデーに向けて作り続けたいた1日前に、事件は起きた。

 それは私が奏お姉ちゃんの部屋を訪れた時だった。

「あ、あのね。お姉ちゃんは14日は何時くらいに家に帰ってくる?」

 私は足を少しモジモジさせながら、聞いてみた。聞いた理由は奏お姉ちゃんが家に帰ってくるタイミングで完成したガトーショコラを渡したいからだ。

 いつもは生徒会の仕事が終わってからだから18時頃くらいになるから、おそらくそのくらいの時間だろう。私はそう思っていた。

「えっとねえ。8時過ぎるかもしれないかなあ。だから、ご飯は先に食べておいていいよ」

 思いもよらない答えだった。

「ど、どどどどうしてそんなに遅いの⁈」

 私はしどろもどろに奏お姉ちゃんに問いかける。すると奏お姉ちゃんは微笑みながらこう返してきた。

「えっと、(いつき)くんの家に行くんだ。それでね……――――――――」

 樹くん? それって男の子の名前……。つ、つまり、おっ、男の子の家に行く⁈ 私はショックのあまりその後に言っていた言葉が全く聞こえなかった。

「――――っていう事なの」

 奏お姉ちゃんは満面の笑みを浮かべる。目がとても喜んでいる。こんな目をした奏お姉ちゃんは見たことがない。

「あ、うん……。わかったわ。じゃあね…………」

 私は力無く、重い足取りで奏お姉ちゃんの部屋を後にした。そこから何をしたのか記憶がなく、気づいたらパジャマを着てベッドの上に横たわっていた。

 バレンタインデーに男の子の家で二人でなんて。それはもう恋人になりますよって宣言しているようなものではないか。お姉ちゃんが……、奏お姉ちゃんが…………。

 私は涙が止まらなくなった。自分が知らないだけで、奏お姉ちゃんは遠くへ旅立っていた。自分の知らないうちに奏お姉ちゃんは他人のものになっていた。

 なんで私はもっと素直になれなかったんだろう。もっと積極的になれなかったんだろう。チャンスはあったはずだ。

 中学の修学旅行の時の自由行動で二人っきりになれた時とか、文化祭で一緒に回った時とか。チャンスはたくさんあったはずだ。受け入れてくれたかはわからない。けど、その確認すらできずに私の恋は終わらせなきゃいけない。

 私は素直になれなかった自分を悔いた。ひたすら悔いた。こんなに自分の中で後悔することは今までなかった。

 でももう後悔しても遅い。奏お姉ちゃんをちゃんと祝ってあげないと。そう心を切り替えようと必死に思った。

 だけど、それが出来ない。浮かんでくるのは奏お姉ちゃんへの想いと後悔だけだ。涙がずっと止まらない。

 寝る時間はとうに過ぎているはずなのに、全くそんな気が起きない。後悔と想いを抱えながら過ごしていると、朝日が見えてきた。私はとうとう一睡もできなかった。

「朝ご飯……、作らないと……」

 この家のご飯担当は私だ。眠っていないが作らないといけない。私は重たすぎる身体をなんとか起こして、自室から一階のキッチンへと上がらない足をひきづりながら向かった。

 キッチンに着くと灯りがついていた。

「エナドリあるかなあー。おはよう美優羽、って顔やばいぞ。昨日からだけど何かあったのか」

 冷蔵庫を物色していたであろう琴姉から心配そうに声を掛けられる。私は琴姉なら話を聞いてくれるだろうと思った。

「お姉ちゃんが……。奏お姉ちゃんが……」

 話しながら何度涙したことだろうか。私はここに至るまでの経緯を途中言葉に詰まりながら琴姉に話した。

「そうか。それは辛いよなあ。私は経験したことないけど、失恋って辛いよなあ」

 背中を丸めうずくまる私を琴姉は背中を優しくさすってくれた。

「今日の朝食は私がどうにかしとくから、部屋に戻ってろ。学校も休んでいいから」

 そう言って私を部屋へと琴姉は連れていってくれた。

 それからしばらく私は部屋のベッドで放心状態になり、ぼーっとしていた。途中何度か琴姉が食事を運んできたが、私は全く食べる気が起きなかった。

 それでも琴姉は文句も言わず、黙って残した食事を運んでいってくれた。

 学校も休んだので、友達からの連絡が鳴り止まなかった。私は簡単な返信だけをして、あとは何もせずにじっとしていた。

 部屋に閉じこもっていても時間が流れるのは早いもので、気づけば午後6時近くになっていた。

 奏お姉ちゃん8時には返ってくるって言ってたなあ。力が湧かないけど、ガトーショコラを作らないといけないって気分にはなっていた。作ったところで何の意味もないけど、作るだけ作ろうか。お姉ちゃんの為に。

 私はキッチンへと足を運んでいた。

 琴姉からは大丈夫か、と声を掛けられたけど私は軽く大丈夫とだけ返して作り始めた。

 今日のガトーショコラははっきり言って最悪の出来に近かった。

 メレンゲがイマイチ泡立たなかったし、チョコを溶かす時にバターを入れ忘そうになったし、その他にも信じられないミスを連発した。

 それでもなんとか完成させることができた。

 完成したガトーショコラをリビングのテーブルに置き、じっと座り込んでいた。

 奏お姉ちゃんが帰って来れば、聞きたくない報告を聞かなければならない。けど、それは奏お姉ちゃんにとっては喜ばしい事だから祝福しないといけない。何ともいえない気持ちの板挟みだ。

 どちらの言葉が先に出るんだろうか。どっちの気持ちが強く出るんだろうか。その時私はどんな顔をしているんだろうか。この迷いが消えることはなかった。

 ピンポーン。

 チャイムの音が鳴り響く。きっと奏お姉ちゃんが帰ってきたんだ。煮え切らないまま私は玄関へと向かい鍵を開けた。ドアを開くとやはり奏お姉ちゃんだった。
「お姉ちゃんおかえり」

 私がそう言うと、ギュッと私を抱きしめてくれた。

「美優羽ちゃん大丈夫だった?」

 奏お姉ちゃんは私の心配をしてくれた。お姉ちゃんはやっぱり優しい。こんな私を心配してくれるんだから。

「だ、大丈夫よ。ある程度元気になったから」

「それならよかったぁ。本当はそばに居たかったけど、琴葉お姉ちゃんが私が面倒見とくからって言って聞かないから。ずっと心配してたよぉ」

 奏お姉ちゃんは私の肩を持ちながら言った。その目には少し涙が浮かんでいるようだった。

「し、心配しすぎよ。私そんなやわじゃないからっ」

 私は少し頬を緩ませて返した。そんな私を見た奏お姉ちゃんは目元を手で軽く拭っていた。

「それなら良かったぁ。それじゃあこれ、受け取って!」

 そう言うとカバンの中からは少し大きめの箱を取り出した。

「これは何?」

「チョコレートだよ! 美優羽ちゃんの為に作ったんだ!」

 奏お姉ちゃんは嬉しそうな笑顔で答えた。チョコレート? なんでチョコレート? 樹くんの家で二人っきりって言ってたのになんでチョコレートを作ってるの? 

 私の頭の中はハテナで一杯だった。

「お姉ちゃん、二人きりでチョコ作ってたの?」

 私がそういうと奏お姉ちゃんは首を大きく横に振った。

「前にも言ってたじゃん。友達4人と一緒に作ってたの。樹くん手際が良くて、女子力高いなあって思っちゃったよ」

 奏お姉ちゃんは微笑みながら言った。なるほど。二人きりと言うのは私の勘違いだったらしい。そうか。それなら良かった……。

 ん? ちょっと待って。樹くんなのに女子力が高い? これは一体どう言うこと?

「ね、ねえ。樹くんって男の子じゃないの?」

 私が疑問をぶつける。すると、奏お姉ちゃんはまた首を横に振った。

「違うよー。女の子だよぉ。男の子が欲しかったご両親が、男の子っぽい子に育って欲しくて樹って付けたんだって。本人もそれを気に入っているし、それでみんなあだ名で樹くんって呼んでるの。ほら、この子だよ」

 そう言うと、奏お姉ちゃんはスマホを取り出し、一枚の写真を見せてくれた。確かに茶髪でボーイッシュな見た目ではあるが、この顔立ちは完全に女の子だ。

 つまり、今日の出来事は全て私の勘違いだったと言うわけだ。私は力が抜けてヘナヘナと座り込んでしまった。

「ど、どうしたの⁈ いきなり倒れ込んで」

 心配そうに奏お姉ちゃんは私を見つめる。

「だ、大丈夫だから。私の勘違いだったから」

 私は苦笑いを浮かべながら答える。

「勘違い……?」

「いいの、気にしなくて。こっちの話だから」

 不思議がる奏お姉ちゃんに悟らせないよう、私は手を横に振った。奏お姉ちゃんは何か言いたそうだったが、私は気にすることなく立ち上がった。

「そ、それでっ。そのチョコは私にくれるのっ?」

「うん。そうだよー。美優羽ちゃんのは一番大きいんだよぉ」

 奏お姉ちゃんは微笑みながら、チョコの入った箱を渡してきた。私は大事に落とさないよう慎重に両手で受け取った。

「な、なんで大きいのかしら?」

 私の問いかけに奏お姉ちゃんはちょっとだけ恥ずかしそうに微笑んだ。

「だって、一番大切な人なんだもん。毎日ご飯作ってくれるし、ちょっと言葉がトゲトゲしい時はあるんだけど、それでもなんだかんだ優しいし、大切な妹だもん。だから、一番大きなチョコにしたんだ」

「お姉ちゃん……!」

 私は胸一杯になりながら奏お姉ちゃんに思いっきり抱きつく。頬には大粒の涙が絶えることなく流れていた。奏お姉ちゃんは優しく背中に手を当ててくれた。

 私は嬉しくて堪らなかった。奏お姉ちゃんがこんなにも私のことを思ってくれていたなんて。優しいお姉ちゃんだけど、いざ言葉にしてくれるとやっぱり嬉しい。大事な妹だって言ってくれてメチャクチャ嬉しい。

 こんな奏お姉ちゃんを好きになって良かった。私は心の底からそう強く想った。ありがとう、奏お姉ちゃん。私はしばらく涙を流しながら、強く奏お姉ちゃんを抱きしめていた。

 それからしばらくして私が落ち着いたところで、奏お姉ちゃんはリビングを見て指差した。

「ねえ、あれは美優羽ちゃんが作ったの?」

 奏お姉ちゃんが指差しているのは私が作ったガトーショコラだった。

「そうよ。私が作ったガトーショコラよ」

「ジーーーーーーーッ」

 奏お姉ちゃんが食べたそうに見つめている。どうしようか。今日の出来ははっきり言って酷い。そんなものを食べさせていいのだろうか。だけど、すごい食べたそうに見ている。

「あ、そうだったね。あれは大事な人にあげるのだったよね。そしたらまた今度だね」

 奏お姉ちゃんは残念そうに目線を下に下げた。いけないっ。いくら失敗したとはいえ、奏お姉ちゃんに食べさせることなく終わるなんて。そんなのダメっ!

「た、食べていいわよ!」

 その一言がやっと出てきてくれた。奏お姉ちゃんは驚いた表情で私を見ていた。

「けど、大切な人にあげるんじゃなかったの?」

「お姉ちゃんも、大事な人だから。だから、食べていいのっ」

 少し乱暴な言い方になったが、言いたい言葉がやっと出てきてくれた。私は少し肩で息をしていた。

「美優羽ちゃん……。ありがとう。じゃあ食べるね」

 そう言うと奏お姉ちゃんは戸棚からスプーンを一本取り出してきた。やっとここまで来れた。私の胸はまた熱くなってきた。

 すっとスプーンで一口サイズに切り分け、奏お姉ちゃんは食べた。味はどうだったのだろう。

 もしかしなくても不味かった? メレンゲがうまく作れてなかったから食感がイマイチだった? チョコの混ざりも微妙だったから味にムラができて美味しくないのかもしれない。

 こんな事になるなら昨日作ったのを残しておけば良かった……。私が心の中で深い後悔に包まれている時だった。

「うん。美味しい!」

 奏お姉ちゃんは笑顔を見せていた。

「ほ、ほんと⁈ 無理して言ってない?」

「そんなことないよ。ちゃんと美味しいよ」

 そう言うと二口目を食べ始めた。良かった。満足してもらえる出来で。私はホッと胸を撫で下ろした。

 それからも奏お姉ちゃんは美味しそうに一口、一口と食べ進めていった。

「美味しかったぁ。ごちそうさまでした」

 奏お姉ちゃんは満足そうに手を合わせていた。

「お姉ちゃんの口に合っていて良かったわ。不味かったらどうしようって思ってた」

「そんなことないよぉ。美優羽ちゃんの作る料理はいつも美味しいんだから」

「もう、お姉ちゃんったら!」

 私と奏お姉ちゃんが少し他愛のない話をしていると、琴姉がひょこっと顔を出してきた。

「二人とも盛り上がっているところ悪いんだが、晩御飯どうするよ? (うた)姉さん――一番上の姉――が晩御飯早くと五月蝿(うるさ)くて(かな)わん」

「あっ!」

 私は全く晩御飯の用意をしていない事に気づいた。時計を見ると8時30分。晩御飯はまだかと言われても仕方がない時間だ。急いで作らないと。

「もうこんな時間だから簡単なので済まそう! お姉ちゃんと琴姉手伝って!」

 二人ははーいと返事をし、私たち三人は晩御飯の準備を始めた。




 それから晩御飯は無事に作り終えてなんとかなった。色々あったけど、お姉ちゃんからチョコをもらうことができた。

 本命のチョコかと言われたら多分違う。あくまで大切な家族にっていう意味のチョコだろう。だけど、今はこれでいい気もする。まだ告白してどうのこうのって段階にはないしね。

 私のことを好きなのかはわからないけど、大切なのがわかっただけでも大きな進歩じゃないか。

 この結果に満足することにしよう。今はそれでいい。だけど、いつかは……その時が来るまで、今日のことは忘れないようにしよう。

 私は奏お姉ちゃんからもらった箱を大事に抱えながら静かに眠りについた。
 バレンタインデーから三日後。私は早くも次なる行動を取ろうとしていた。それは一緒に眠ることだ。

 いやいや。バレンタインデーにチョコを貰えた程度で何調子に乗ってるんだ。そう言われるかもしれない。いや、そう言われるだろう。

 確かに段階を飛ばしすぎてるのは否めない。

 だが、一緒に寝るということは仲が良くないとできないこと。これができるなら、だいぶ仲が深まるということだ。あと、単純に奏お姉ちゃんの寝顔が見たい。

 そんなことを考えながら今日も今日とて琴姉の部屋に転がり込んだ。目的はもちろん、いいアイデアを聞くためである。

 以上のことを琴姉に伝えると、琴姉は大きな溜息を吐いた。

「あのなあ……。私を某猫型ロボットかなんかと勘違いしてないか?」

 琴姉は呆れ果てた顔をしていた。私は痛いところを突かれた。そんなことは思ってもいないが、こう頼ってばかりではそう思われても仕方がない。

 しかし、この相談に乗ってくれる適任者が琴姉しかいない。琴姉に頼れなくなったら私は悩みの持って行き場がない。

「琴姉しか頼れる人がいないんだよぉ。どうにかいいアイデアを……」

 琴姉に私は懇願する。チラッと下から椅子に座る琴姉を見上げるが、琴姉は厳しい顔をしたままだ。

「と言われてもなあ……。そもそも誰かと寝るなんて経験が私にはない」

 そう言って琴姉は険しい表情をしている。

「こうお泊まり会とかそういう経験もないの?」

「私にそんな友達がいると思うか?」

 琴姉はさらに険しい表情になった。どうやら地雷を踏み抜いてしまったらしい。私はただ黙っているしかなかった。

 しばらく黙っていると、琴姉はパソコンをカタカタと打ち出した。だが、表情が変わることはなく、溜息を吐くばかりだった。

「調べてみても出てこん。犬や猫と寝る方法くらいしかない。残念だが、今回は力になってやれん。自分で考えだしてくれ」

 琴姉はお手上げだと言った表情だ。仕方ない。今回は自分で探そう。私はありがとうとお礼を言って琴姉の部屋を後にした。




 それから何も案が出ないまま、翌日の夕方になった。今日は買い出しの日だ。数日分の食料を買いにスーパーへと向かった。

 今晩の夕食は何にしようか。奏お姉ちゃんはなんでも食べてくれるが、上二人はかなり好き嫌いが激しい。

 ちょっとでも嫌いな材料があると露骨に食事量が落ちる。かと言って好きなもので固めると栄養が偏ってしまう。そうなると冬はやはり鍋が鉄板になってくる。

 ちょっと鍋が最近多いが、みんな鍋は好きだから文句はないだろう。自分にそう言い聞かせ、白菜や人参、椎茸、鶏肉などの材料を買い物カゴに詰め込んでいった。

 買い物が終わりスーパーを出る。それと同時に風に吹かれる。

 そろそろ3月も近いというのに風はまだまだ冷たい。春の訪れはまだまだ先のようだ。そんな季節のことを感じていると、目の前にレンタルビデオショップを見つけた。

 レンタルビデオか……。昔はよくアニメとかのDVDを借りていたが、スマホやサブスク全盛期の最近では滅多に寄らなくなったなあ。私は昔を懐かしんだ。

 まだ自分が昔見ていたアニメは置いてあるかなあ。

 昔はビデオ屋に来る度に借りていたが、最近ではそんなことはしない。小学校3年生くらいの頃までだったから、相当昔の話だ。今も置いてあるのか気になる。

 あと、最近はどんなのが人気なんだろうか? ちょっと気になってきた。買い物袋が少し重いが久しぶりに寄ってみよう。私は店に入っていった。

 店内に入り、真っ先にアニメのコーナーに向かった。確かこのあたりにあったはず。昔の記憶を頼りに作品を探す。あった! 私はそれを見つけることが出来た。

 作品の内容は女子中学生くらいの女の子達が悪の組織と戦うという結構ベタな内容だが、それが面白いのだ。

 敵キャラも一筋縄で行かない個性的なキャラが揃っており、敵にも感情移入できる作品だ。

 パッケージ一つ一つを見ながら、私は懐かしさを覚えていた。そう言えば昔はこの子達みたいになりたいなんて奏お姉ちゃんと一緒に言ってたなあ……。

 そして陳列の下の方を見ると、なんとこの作品の続きが出てきたではないか。それも1シリーズではなく、いくつもある。

 気になってスマホで少し調べるとなんと今も主人公が変わりながらも続いているらしい。

そっか。こうやって受け継がれていくんだなあ。私はしみじみ思った。今度放送してる時間を調べて今のシリーズでも観てみようかな? 私はそう考えた。

 アニメコーナーを見終わった私は、特集コーナーに向かう。なるほど、今はこんなドラマが流行っているのか。普段ドラマを全く見ない私には新鮮に映った。

 コーナーの作品を物色しながら移動する。すると、今までとはまるで違う黒に血の色を模した文字が浮かぶ作品が出てきた。どうやらホラーコーナーに来ていたようだ。

 ホラーか……。私は怖くてとてもじゃないが観れない。ホラーを観られる人は凄いと思う。私はビビって早送りを連発しそうだなあ。そんなことを考えていると、ふと思いついた。

 そうだ。ホラー映画を一緒に観れば一緒に眠れるかもしれない。作戦はこうだ。

 まず一緒にホラー映画を観る。そしたら奏お姉ちゃんはきっと怖がるはずだ。

 奏お姉ちゃんと私の好きなものはリンクしている。だったら嫌いなものもきっとリンクしているはずだ。きっとそうに違いない。

 それで、怖くなると一人で寝る時に思い出して一人に眠れなくなる。そうすれば、奏お姉ちゃんは一緒に添い寝しようと提案してくるはず。

 ちょっと古典的な作戦かもしれないが、これなら自分から寝ようという必要はない。その上涙目で怖がっているかわいい奏お姉ちゃんが見られる! 素晴らしい作戦じゃないか! 私はこの作戦を採用することにした。

 そうとなればホラー映画を借りなければいけない。あまり怖くない作品だと怖がらないかもしれない。

 私はスマホで怖さに定評のある映画を探す。なるほど、この映画か。パッケージはそこまで怖そうにない。

 本当に怖いのかな? 私は半信半疑になったがネットの評価は高く、怖い映画ランキングで1位に輝いている。ならばこの映画で決まりだ。私はパッケージからDVD入れを取り出し、レジへと持っていった。
「あ、あのねお姉ちゃん。一緒に映画でも観ない?」

 夕食の片付けが終わってから私は奏お姉ちゃんに声を掛けた。奏お姉ちゃんはにっこりと笑みを浮かべた。

「いいよぉ。どんな映画なの?」

「ホラー映画よ」

 私がそう言うと、奏お姉ちゃんは不思議そうな顔をしていた。

「ホラー……? 美優羽ちゃんホラーとか怖い系苦手なんじゃないの?」

「だ、大丈夫よ! 怖いのはもう克服したわっ」

 私は強がってそう答えた。本当はいまだにホラーが苦手なんですけどね。そんなことを思っていると、奏お姉ちゃんは何か閃いた表情をしていた。

「そうだっ! 美優羽ちゃんが怖くないように、みんなで観ればいいんだ!」

 そう言って階段を登って行った。5分後。悲しい表情で奏お姉ちゃんは降りてきた。

「唄お姉ちゃんも琴葉お姉ちゃんもダメだって……」

 と言うことは二人で観ることになるのか。よしっ。私は心の中でガッツポーズをした。みんなで観たら奏お姉ちゃんの怖がる顔を独占出来ないもんね。これで良かった。

 がっかりしている奏お姉ちゃんをよそに、私はDVDをプレイヤーの中に入れ、視聴の準備を始めた。さてこれからが楽しみだ。私はまだ見ぬ奏お姉ちゃんの表情にワクワクしていた。




 2時間後。映画が終わった。結論から言おう。滅茶苦茶怖かった。店内では本当に怖いのかなんて思っていたが、そんなことはなかった。舐めたこと言ってすみませんでした。

 特に怖かったのは霊から逃げるシーンだ。

 霊を振り切って一安心しているとどアップで霊が出てきた。それも不協和音と一緒に。主人公が叫び声をあげていたが、私も一緒に叫び声をあげてしまった。

 このシーンは今日寝る時にフラッシュバックしてきそうだ。そう考えるととても恐ろしい。

 さて、問題の奏お姉ちゃんだが私が見る限り声をあげて怖がるどころか、表情があまり変わらなかった。今も平然とした表情だ。

「怖かったねぇ」

 おっとりとした表情で奏お姉ちゃんは言う。

 本当に怖かったのか? どう見てもそうは感じない。怖がるお姉ちゃんを見るはずだったのに……。この調子じゃ、一緒に添い寝してくれなんて言わないだろうなあ。

 私の作戦は完全に失敗に終わった。私は落胆するしかなかった。

「どうしたの美優羽ちゃん。そんなに落ち込んだ表情して?」

 奏お姉ちゃんは心配そうに見ている。

「気にしないで。こっちの都合だから」

「それならいいけど。あ、美優羽ちゃんとっても怖がってたけど、大丈夫だった?」

「大丈夫よ。私は怖いの克服したから……」

 力なく私は答える。嘘です。怖いのなんて全く克服できてません。今も滅茶苦茶怖いです。そんなことを思っていると、

「一緒に寝たりとかしなくて大丈夫?」

 奏お姉ちゃんはそう提案してきた。これはチャンスじゃないか? 望んだ形ではないが一緒に眠れるチャンスだ。一緒に寝るように言おう。私はそう考えた。

「べ、別に大丈夫よ! 私平気だから!」

 ああ、また素直に言えない。私の口は反対の言葉を言ってしまった。私の言葉を受けて奏お姉ちゃんは少し頬を緩ませた。

「それなら大丈夫ね。じゃあ私、部屋に戻るね」

 そう言って階段の方へと行った。折角のチャンスを不意にしてしまった。私は酷く落ち込むしかなかった。




 DVDの片付けとネット小説を読んでいると12時を少し過ぎた時間になっていた。宿題は済ませているからもう寝よう。私はベッドへと向かった。

 結局今日思いついた作戦では上手くいかなったなあ。上手くいくと思ってたんだけどなあ。また新しい作戦を考えないといけない。

 次はどうしようか。いっそ二人用の寝袋でも買って、一緒に寝てみようなんて誘ってみるほうがいいのだろうか。まあそもそも二人用の寝袋なんて売ってるのかしら?

 ちょっと気になったが調べるのは明日にしよう。今は寝ることに集中しよう。そう思い目を閉じる。

 だが、浮かんでくるのは夢の景色ではなく今日観たホラー映画の映像だ。迫り来る霊。吹き出す血飛沫。血まみれになった変死体。そしてどアップで映る死神のような霊。

 ダメだ。今日の映像がぐるぐるしている。怖くてとても眠れそうにない。私は小刻みベッドの中で震えた。

 この調子だと一人じゃ絶対眠れない。やっぱり添い寝してもらおう。

 唄姉は……却下だ。寝相が悪そうだし、いびきが酷いから余計に眠れそうにない。

 琴姉もない。というか琴姉夜に寝ないから、添い寝できないし、部屋の明かりで目が冴えそう。

 となると、奏お姉ちゃんしかいない。しかし、あんなこと言った手前今更一緒に寝てくださいって言い辛い。

 さっき言えなかったのに、今言えるとは到底思えない。それにもしかしたらもう寝てるかもしれない。

 けど、このまま一人で怖さに震えて眠らずに過ごすのは流石にダメだ。自分から言うのは恥ずかしいが、言うしかない。頑張るんだ美優羽。私は自分を奮い立たせた。

 そうと決まれば奏お姉ちゃんの部屋に行こう。私はベッドを飛び出しお姉ちゃんの部屋に向かった。

 向かう途中も映画の幽霊が出てきたらと思い、怖くて震えたがなんとか奏お姉ちゃんの部屋に辿り着いた。
 コンコン。

 私は奏お姉ちゃんの部屋のドアをノックする。はーい。と返事があった。やった。どうやらまだ寝てなかったらしい。ラッキー。私はドアを開けて部屋に入った。

 暗い廊下から光のある部屋へと入る。部屋は綺麗に整理整頓されており、所々に人形が置いてある女の子らしいものだ。無機質な私のとは大違いだ。

 部屋では奏お姉ちゃんはベッドでスマホを眺めていた。

「あれ? 美優羽ちゃんこんな時間にどうしたの?」

 私の心拍数が急上昇する。それとともに体温が上がり、口は溶接されたかのように開かない。何も言えないまま時間が過ぎていく。奏お姉ちゃんは私をじっと見ている。

 言え、言うんだ私! 私は勇気を振り絞った。

「あ、あの……一緒に寝ないっ」

 ようやく私の口が開いてくれた。それも素直に言えた。そうすると、奏お姉ちゃんは優しく微笑んだ。

「いいよぉ。こっちにおいで」

 奏お姉ちゃんはそう言って手招きをした。私は招かれるように、奏お姉ちゃんのベッドに入った。私がベッドに入ると、奏お姉ちゃんはリモコンで電気を消灯した。

 奏お姉ちゃんといざ寝るとなると緊張するなあ。私の体温は急上昇中だ。心臓も音が聞こえそうな程ドキドキしている。

「やっぱり怖かったんだ」

 私がベッドに入るなり、奏お姉ちゃんは少しニヤニヤしながら言った。

「そ、そういうわけじゃないわよっ。ただ今日は寒かったから、一緒に寝ようと思っただけよっ」

 私は嘘をついた。

「うーん……。今日はそんなに寒くなかったような……。けどまあ、そう言うことにしておいてあげるね」

 奏お姉ちゃんはにこりと微笑んだ。もっと言及されると思ったのでこれで済んで良かった。私は少し安心した。

「そういえばこうやって寝るの、小学生以来だねえ」

 奏お姉ちゃんはそう言った。

「そうだね。小学校3年生の冬だったよね」

「そうそう。あの時も怖い映画を観た後だったよねぇ」

「だから今日は違うって」

 私は強く否定した。すると奏お姉ちゃんはクスクスと笑い出した。

「そうよね、違うのよね。ごめんごめん」

「もうっ。お姉ちゃんったらっ」

 私は少しだけ怒った。それを見てか奏お姉ちゃんは笑うのをやめてくれた。この件はここで終わりそうだ。

 こんな感じで話してはいるが、私の心臓はずっとバクバクしている。体温も上がったまま下がる気配がない。とても眠れる気がしない。

 どうしよう。このままじゃ寝れない。そう思っている時だった。

 ギュッ。

 奏お姉ちゃんが私を優しく抱きしめてきた。

 な、なんで急に抱きついてくるの? ベッドの上とはいえいきなり抱き付かれるなんて! これには私の心は大火事である。

「おおおおお姉ちゃんっ。なんでいきなり抱きつくの?」

 私は混乱する頭をなんとか稼働させて言葉を話す。

「いつもは人形さんを抱いてるんだけど、今日は美優羽ちゃんがいるから美優羽ちゃんに抱きついちゃった」

 奏お姉ちゃんは無邪気な笑みを浮かべていた。

 これは嬉しい誤算だ。嬉しい。とてつもなく嬉しい。だけど、このままじゃ私の身体と心が()たない。とは言えこんな事滅多にない。これを逃したら一生ないかもしれない。

 離してもらうべきか、このまま我慢すべきか。

 …………脳内での検討の結果、我慢することにした。離そうとすると奏お姉ちゃんが悲しむかもしれない。それなら私が我慢すべきだ。それにこんなご褒美を逃すわけにはいかない。

 私は我慢することを決めた。

「美優羽ちゃんふわふわしていて気持ちいいなあ」

 お姉ちゃんが甘い声で言った。抱き心地を褒めてもらえるなんて思いもしなかったからなんか嬉しくなった。

「すっごいポカポカしてるし、ドキドキしてる? どうしてかなぁ?」

「い、いきなり抱きつかれたら誰だって緊張するわよっ」

 奏お姉ちゃんの無邪気な問いかけに、私はドキドキしながら答えた。

「そうなんだねぇ。じゃあ、友達にはやらない方がいいね」

 奏お姉ちゃんは一人で納得しているようだった。こんな事友達には絶対やらないで欲しい。やるのは私だけにして欲しい。私はそう強く願った。

 それから少しすると奏お姉ちゃんはうとうとしだした。

「抱きついてたら眠くなっちゃった。私もう寝るね」

 そう言って奏お姉ちゃんの(まぶた)はゆっくりと閉じていった。奏お姉ちゃんは安眠できそうだ。その一方で私は全く眠れる気配がしない。

 この部屋に来るまでは添い寝してもらえれば眠れると思っていたが、全くの逆効果だ。まあ怖さに震えている状況よりはマシだとは思う。だが眠れないという事には変わりない。

 どうしたらいいのだろうか。私は奏お姉ちゃんを見ながら呟いた。

 そう言えばあの時もこんな感じだったなあ。私は昔の記憶を思い出した。

 小学校3年生の冬の夜。あの日も今日と同じように怖い映画を観て全く眠れなくなってしまった。

 なので奏お姉ちゃんの部屋に行って一緒に寝てもらった。その時も今日と同じくらいドキドキしたし、眠れなくなってたなあ。

 ようやく眠れたと思ったら今度はトイレに行きたくなって、奏お姉ちゃんを起こして一緒についてきてもらった。今はそんな事ないけどね。

 その時は文句一つ言わず、笑顔でついてきてくれたなあ。奏お姉ちゃんはあの時のまま優しいお姉ちゃんのままだ。

 この寝顔も多少大人に近づいてきたが、昔の面影を残している。相変わらずかわいい顔をしている。私はそんな奏お姉ちゃんが大好きだ。

「大好きだよ。奏お姉ちゃん」

 私はそっと(ささや)いた。まあこんなことしても返事が返ってくるとわけないんですけどね。そう思っていた時だった。

「私もだよ……。美優羽ちゃん」

 奏お姉ちゃんがおぼつかない口調で返事をしてきた。一瞬起きているのかと思いビックリしたが、目を見ると完全に寝ている。どうやら寝言のようだ。

 一体どんな夢を見ているのだろうか。きっといい夢なんだろうと私は思った。この言葉をいつかちゃんと起きている時に言ってもらえたらいいなあ。私は未来の想像をした。

 そんなことを考えていると、心拍数も体温も落ち着いてきて眠たくなってきた。

 私もそろそろ眠ろう。奏お姉ちゃんと一緒に寝るんだからきっといい夢が見れるだろう。そんなことを想いながら瞳を閉じた。




 チュンチュン……。

 目を覚ますと鳥の声が聞こえる。朝になったようだ。今日の夢は実にいい夢だった。私と奏お姉ちゃんが一緒にカフェをやっていて、仲良く働いている夢だった。

 夢の中でこれが現実ならと何度思ったことだろうか。けど、これから私が頑張れば実現できる夢だから、これから頑張ればいいか。私はそう考える事にした。

 さて、朝ご飯を作らなければいけない。今日はいい夢を見たから、ちょっと手の込んだものを作ろうかな? そんなことを考えているとあることに気付いた。

 私は今、奏お姉ちゃんに抱きつかれているということだ。嬉しい状況ではあるが、起きるためには離れてもらわなければいけない。

 しかしだ。この奏お姉ちゃんを起こせるのかという話だ。かわいい顔して、かわいい寝息を立てて気持ちよさそうに眠る奏お姉ちゃんを私は起こせるか。私には無理だ。

 だけど、起きなければ朝ご飯を作れない。どうしよう。どうしよう。私は究極の選択を迫られていた。このまま寝顔を見ていたが、起きなければ家族全体に関わる。惜しいが起こすしかない。

「お、お姉ちゃん。朝ご飯作りたいから離してっ」

 私は奏お姉ちゃんを揺らす。だが、起きてくれない。それどころかまたさらにギュッと抱きしめられた。これは、多分起きない。ダメだ。もう諦めるしかない。

 私は諦めて奏お姉ちゃんが起きるまで眠る事にした。

 その後は奏お姉ちゃんが起きると共に起こされて、急いで朝食を作ることになった。当然手の込んだものは作れず、目玉焼きとトーストになった。

 朝食を作る時間が遅れたもんだから、学校も当然遅刻してしまい怒られるハメになった。

 そんなわけでちょっと後味が悪い感じにはなってしまった。けど、個人的にはとても満足している。次はホラー映画に頼らずに一緒に寝られるといいな。

 そして、夢で見たように奏お姉ちゃんと一緒にカフェを開けるといいな。そんなことを考えながら私は今日の授業を受けていた。
 季節は3月初旬。風がまだ冷たいこともあるが、昼間は暖かい風も少しは吹いてきて春の訪れが近いことを感じさせてくれる。

 今は学校が終わって帰っている途中。私は誰かと帰ることはない。別に友達がいないからってわけじゃない。

 まず奏お姉ちゃんは生徒会に入っているから、忙しくて一緒に帰れない。待っていてもいいのだが、奏お姉ちゃんが待たせたことを申し訳なさそうにして悲しい顔をするので、それはやらないようにしている。

 あとはクラスメイトがいるが、私は帰宅部。なので、周りの部活をしている子たちと帰る時間が合わないだけだ。

 まあ一人部活をしていない子はいるが、何故だか断られてしまう。悪いことしてるつもりはないんだけどなあ。

 だからこうやって一人で帰っているのだ。

 この隣に誰でもいいからいてくれればいいのにと思うが、いない以上は仕方がない。センチメンタルな気持ちに沈む時間にでもしてしまおう。少し寂しいが。

 そんなことを考えながら、私は帰り道の住宅街を歩いていく。

 スタスタスタ…………ピタッ。

 人の気配がする。私は振り向く。だが誰もいない。あるのは電柱が何本かとゴミ箱のようなもの。気のせいか。私は前を向いて再び歩きだす。

 だが、数歩歩くと再び人の気配がしてくる。今度は急旋回してみる。だが、何もない。誰もいない。道沿いの壁が隠れられそうになっているから、一応確認してみよう。

 私はそこに向かう。着いたら壁の向こうを覗き込んでみる。だが、誰もいない。ただ人の家の庭があるだけ。人のいた痕跡もない。

 おかしい。何か絶対におかしい。私の脚は恐怖で震え出した。

 実はここ一週間ずっと帰り道で誰かにつけられている。なのに犯人が見つからない。気のせいかもしれないが、こんなにも誰かに尾行されてる感覚が一週間も続くだろうか。絶対にない。誰かにつけられてるに決まっている。

 今この瞬間も誰かにつけられてるのかもしれない。早く帰ろうっ。早く帰って家族……琴姉に相談しよう! 私は急足で家へと向かった。

 その途中も誰かにつけられてる気はしたが、気にしないように前だけを向いて帰った。




「誰かにつけられてる気がする……か」

 帰ってくるなり私は早速琴姉に相談した。琴姉は相談を聞くなりパソコンを叩き出した。

「まあ手っ取り早いのは警察に相談だなあ」

 警察か。私は難色を示した。確かに警察に相談するのはベストな気はする。しかし、警察に相談すると大ごとになる。そこまでのことにはしたくないって言うのが私の本音だ。

 そのことを伝えると、琴姉は少し難しそうな顔をしていた。

「確かになあ。そうなると面倒だもんな。それに、犯人の目星もついてない上、証拠もないんじゃ警察も動きづらいだろうしなあ」

 そう言うと琴姉は再びパソコンを打ち出した。やがて答えを見つけた琴姉はパソコンを閉じた。

「とりあえず、帰り道を変えてみるくらいじゃないかな。出来そうなのは」

 帰り道を帰るか。なるほど。これなら簡単にできる。これで解決すれば警察の手を借りなくても済む。いいアイデアだ。私は琴姉に感謝した。

 それで翌日。私はいつもの帰り道を大きく迂回するルートを取ってみた。結果は、なんとこれが上手くいきついてこられる気配はなかった。

 なんだ簡単な話じゃん。これでこの話は終わりだ。私はそう胸を撫で下ろした。しかし、そんなに上手くいかなかった。

 なんと次の日にはもう、誰かにつけられてる気配がするのだ。もうルートがバレてしまったのかと思い、次の日またルートを変えてみた。だが、これも効果がその次の日には無くなってしまった。

 やはり、ルートを変えるだけでは意味がないのか。私は落胆した。こうなったら他の人にも相談してみよう。そうだ、学校のクラスメイトで親友の秋葉楓(あきばかえで)に相談してみよう。

 楓は滅茶苦茶仲のいい友人だ。彼女なら親身に相談に乗ってくれるだろう。そうしよう。私は早足で帰りながら、次の相談の相手を決めた。




「なるほど……。最近つけられていると」

 楓はメガネをクイっと持ち上げた。楓は高校からの友人だ。大人しく物静かな、まさに大人な女性と言うべき存在だ。

 髪は黒色の三つ編みで、ザ・図書委員って感じの見た目をしている。だが顔はかなりの美人で、身長もそんなに低くはない。噂によると隠れファンが多いとか。

 そんな彼女に相談した理由は口が固く、他の人に漏らしそうにないからだ。

 それから、楓はすっごく真面目な女の子だ。こういう悩みも真剣に聞いて、何かいい策を出してくれそうだ。

 あと純粋に仲がいいからと言うのもある。さて、楓はどんな解決法を提示してくれるのだろうか。

 少し悩んだ後、楓が口を開く。

「無視すればいいんじゃないでしょうか?」

 楓特有の澄んだ声で楓は言う。なんとも意外な答えだった。そんなんじゃ何も解決しなさそうだと言うと、楓は続けた。

「反応するから、面白がってストーキングしているって側面もありそうな気がします。美優羽さんが何も気にしなければ、面白く無くなって飽きて辞めるんじゃないかなと思います」

 楓は真面目な顔をして言った。確かにそうかもしれない。私が振り返ったり、探したりするから、それが面白くてやっているのかもしれない。

 けれど、気にしないなら気にしないでそれに付け込んで、さらに加速させてきそうな気もするのだ。

「そうかなあ……」

 私はどうすればいいかがわからなくなった。

 その時だった。

「美優羽ちゃーん!」

 隣のクラスの奏お姉ちゃんが私のクラスの教室に入ってきた。

「美優羽ちゃん教科書ありがとうね。お陰で助かったよぉ」

 そう言いながら、穏やかな顔で数学の教科書を私に返してきた。

「数学って毎日あるのに忘れるのが不思議だわ。カバンの中に入れっぱなしにしとけばいいのに」

「昨日勉強してたらつい入れ忘れちゃって……」

 てへっ、と奏お姉ちゃんは舌を出して答えた。珍しくお茶目な表情をしている奏お姉ちゃん。こういう奏お姉ちゃんもアリだな。私は心の中で拳を握り締めた。

 その時ふと楓を見ると何故か複雑な表情をしていた。どうしたんだろうか? 何か奏お姉ちゃんとあったのかな?

「楓、なんかすごい顔してるけどどうしたの?」

 私がそう尋ねると楓は慌て出した。

「あっ、すいません。そんな顔していましたか?」

「うん。すっごいどうしようか悩んでそうな複雑な顔してた。何かお姉ちゃんとあったの?」

「いえ。ちょっと……いえ、なんでもありません」

 楓は誤魔化すように言った。まあ本人が何も無いっていうなら大丈夫なんだろう。

「ふーん。そうなんだ」

 私はこのことを気にしないようにすることにした。

「ところで二人はどんな話をしていたの?」

 奏お姉ちゃんがにこやかな表情で聞いてきた。ストーカーされている事を素直に言っていいものだろうか。正直に言うと、奏お姉ちゃんを心配させたくない。

 けれど、奏お姉ちゃんに言わずに悪化してしまったら余計に悲しませるかもしれない。仕方ない。正直に話そう。

「実は……」

 そこから奏お姉ちゃんに自分が誰かにつけられている気がするという事を告げた。始めは驚いた表情を見せていたが、次第に真剣な眼差しに変わっていった。

「なるほどぉ。つけられているかぁ」

 奏お姉ちゃんは顎に手をつき考え込んでいる。こんな真剣に考えてくれる奏お姉ちゃん見たことがない。いい表情が見れた。私はこの時点で相談してよかったと思った。

「それなら、一緒に帰らない?」

 奏お姉ちゃんが出した提案は意外なものだった。

「一緒に帰ってどうなるの?」

「ストーカー被害がなくなるとは思わないけど、一緒に帰ってれば人数が多いから、ストーカーさんは何もしてこないと思うよぉ。それなら危なくないから安心して帰れると思うんだぁ。ただ私が生徒会で遅くなるから待たせちゃうのが申し訳ないんだけど、美優羽ちゃんに何かある方が嫌だから、こうしようかなあって思ったのぉ」

 なるほど。確かにストーカー自体をどうにか無くすことは難しい。けれどこうすれば、その後何かされる心配は無い。

 あと純粋に奏お姉ちゃんと合法的に一緒に帰ることができる。そう思えればいつまでも待てる。なんと素晴らしい事だろうか! 私はその考えに賛同することにした。

「いい考えだわ。じゃあ一緒に帰りましょう」

「わかったわ。それじゃあ二人ともちょっと遅くなるけどよろしくねっ」

 奏お姉ちゃんは頬を緩ませていた。

「えっ? 私もですか?」

 楓は少し困惑した表情を浮かべていた。

「ダメ……だったかな?」

 奏お姉ちゃんが困ったように言うと、楓はフルフルと首を横に振った。

「い、いえ。大丈夫ですよ」

 楓の表情は笑みへと変わった。こうして今日は奏お姉ちゃんと楓と私で帰ることになった。
 と言うわけで、奏お姉ちゃんと一緒に帰ることになった。しかし、奏お姉ちゃんは生徒会の仕事があるので、それまで私と楓は図書館で待っていることにした。

 待っているといっても暇なので、私と楓は本を読んでおくことにした。

 私は朝の読書時間に読んでいる本を読むことにした。なので、本をカバンの中から取り出して読み始めた。

 ちなみに読んでいるのは、女の子が沢山出てくる異世界ファンタジー小説だ。私らしいと言えば私らしいか。

 一方の楓は、図書館のどこから探してきたのだろうか。料理本を何冊も持ってきて、読み出していた。

 本を読んでいる楓は目を輝かせている。そして、ページをめくるスピードも早い。普段の楓からは想像もできない早さだ。

 そんなに面白い本なのだろうか。料理本で面白いとは一体どんな内容なのだろうか。

 気になった私は楓の背後に立ち、気づかれないように本の内容を見てみた。

 えっと……、これは肉じゃがのレシピ。次のページにとんだ。これは筑前煮のレシピ。それで次は、ひじきの煮付け。

 本の内容はいたって普通のレシピ本という感じだった。一応プロの料理人が監修しているっぽいが、私が見た感じ何か目を輝かせて面白いと思う要素はない。

 何が楓を惹きつけているのだろうか。私は気になって仕方がなかった。

「ど、どうかしましたか?」

 背後に立っていた私に気付いたのか、楓は後を振り返っていた。

「あっ。えっとねえ、楓がすっごい面白そうに見ていたから何が面白いのか気になって……」

 私は正直に思っていた事を答えた。まあ誤魔化すようなことでも無いしね。

 私がそう言うと、楓は少し恥ずかしそうにしていた。

「実は、私料理が大好きなんです。だからこうやってレシピ本とか見ちゃうとつい興奮して読んじゃうんですね」

 なるほど。楓は料理が好きなわけか。これは意外な発見だった。これは一緒に図書館にいないとわからなかったことだ。私はちょっと得した気分になった。

「へえー。私は本が面白いからかなあって思ってたけどそうだったんだ」

「面白い料理本があれば、それはそれで見てみたいですけどね」

 楓は軽く笑いながら言った。

「けど、料理が大好きってことは腕にも自信があるのかしら?」

「そうですね。人並み以上にはできると思います。色んな研究をしているので」

 楓は自信満々と言った感じだ。こんなに自信ありげな楓は初めて見た。こんなに自信があるなら、さぞ美味しいことだろう。私は楓の料理が食べてみたくなった。

「そんなに自信があるなら、一度でいいから食べにきてみたいなあ」

 私がそう思ったことを口にすると、

「あ、あのっ。言ってくれれば作りますんでっ。いつか家に来てくれませんかっ?」

 楓は少し固い声と赤みがかった頬をしていた。

 ここまで楓が言うんなら一度行ってみたいものだ。

「いいわよ。いつか都合のいい時に連絡するね」

「おっ、お待ちしていますっ! いつでもどうぞ!」

 楓は少し下を向いて目をギュッと閉じていた。

 楓がそこまで言うのなら、いつか家に行ってみたいなあ。どんな家なんだろうか。私はまだ行ったことのない楓の家について、想像を膨らませていた。

 そんなことを考えていると、ガラッと図書館の扉が開いた。

「美優羽ちゃーん、秋葉さーん。生徒会の仕事終わったから帰ろう」

 奏お姉ちゃんの仕事がようやく終わったようだ。私は本をカバンの中にしまう。楓は持ってきた本を元の場所に戻しに行った。

「二人ともどんな話してたの?」

 奏お姉ちゃんは微笑みながら聞いてくる。

「楓が料理得意だから、いつか楓の家に行ってもいいかって話をしてたの」

「へえー。ねえ秋葉さん。その時は私も一緒に行っていいかな?」

「いっ、いい……ですよ…………」

 奏お姉ちゃんの無邪気な笑顔とは対照的に、楓は苦虫でも噛んだような表情をしていた。楓は何もないと言ったが、奏お姉ちゃんの時だけ露骨に態度を変えてる気がする。

 一体何があったのだろう。私はそのことが気になって仕方なかった。




「それでね、会長さんは椅子があると思って座ろうとしたらないから尻餅ついたの。普通座る前に椅子があるか確認するはずなのに、あるって思い込んでて。確認って大事なんだなあって思ったよぉ」

 奏お姉ちゃんは今日の生徒会であったエピソードを面白おかしく語ってくれた。私的に生徒会はもっとお固いイメージがあったが、こういう面白いこともやってるんだと感心した。

「生徒会にもそんなイタズラする人がいるのね。生徒会って真面目な人たちの集団ってイメージがあったから、そんなことするイメージがなかったわ」

 私がそう言うと、奏お姉ちゃんは笑いながらそんなことないよーと、否定してきた。

「どっちかと言うと、変わった人の集まりだと思うよぉ。もちろんやる時はしっかりやるけどね」

 奏お姉ちゃんは楽しそうに語った。

 夢にまで見た奏お姉ちゃんとの帰り道。思っていた以上に会話が弾み楽しい。こうやって帰り道ならもしかして、素直に色々なことができるかもしれない。

 そうなればもっと大胆なことだって……。私はこれからの期待に胸を躍らせていた。

 その一方で気になることもある。楓がここまで一言も喋っていない。顔もそんなに楽しそうに見えない。

 普段からそんなに明るい表情をする子ではないが、こんな顔をしているのは流石に気になってしまう。

 一体どうしたのか。私が声をかけようとした時だった。

「秋葉さん……、ずっと黙っているけど楽しくなかった?」

 奏お姉ちゃんが先に声をかけた。その顔は少し心配そうな顔だった。奏お姉ちゃんも同じことを思っていたらしい。

 声をかけられた楓は首を横に振った。

「そんなことないですよ。ただ、お二人が楽しそうに会話をされていたので、邪魔をしてはいけないと思ってただけです」

 楓は軽く微笑んでいた。それならいいのだが、楓も会話に入ってくればいいのに。私はそう思った。

「そうなの。ならよかったけど、秋葉さんも会話に入ってきていいんだよぉ」

「あっ、はい。わかりました」

 楓は真顔で答えた。それから少しの間、3人の間を沈黙が包み込んだ。

 いけない。何か喋らないと。そう思い口を開こうとすると、先に奏お姉ちゃんが言葉を発していた。

「そういえば、秋葉さんと美優羽ちゃんってどうして仲がいいの?」

 奏お姉ちゃんは不思議そうにしていた。

「えっと、話しているうちに仲良くなったよね。楓?」

 私が楓に問いかけると、楓は何故か黙り込んでしまった。少し待ってみたが、何も返事をする気配がない。何か地雷でも踏んでしまったのだろうか。

「か、楓……? どうしたの?」

 そう問いかけると、楓は少し驚いていた。

「あっ、そっ、そうですね。私と美優羽さんとは話している間に仲良くなったんです」

 楓は少し言葉を噛みながらも答えてくれた。よかった。てっきり仲がいいのは私が思い込んでるだけかと思ってしまったから、そう答えてくれて少し安心した。

「へえー。じゃあ秋葉さんからしたら美優羽ちゃんはどんな人?」

「とても優しい人で、私にとって恩人です」

 楓は奏お姉ちゃんの問いに、即答でまっすぐな瞳で答えた。その目には曇り一つすら感じ取れなかった。

「お、恩人なんて大袈裟な! 私はただ仲良くしてるだけだよ」

 私は照れ臭くなって楓の言葉を否定した。だが、楓はその目を変えることはなかった。

「いいえ。美優羽さんがどう思っていらっしゃっても、私にとっては恩人で大切な人なんです。奏さんにとってもそうなんでしょうけど、この気持ちは誰にも負けるつもりがありません」

 楓はどこか覚悟が座っているようだった。ここまで強く自己主張の激しい楓は、初めて見たかもしれない。

「うわー。なぜか宣戦布告されちゃったよぉ。美優羽ちゃん」

 奏お姉ちゃんは口を軽く開いて両手で押さえていた。

「だけど、美優羽ちゃんが他の友達にも大切に思われてるって知って嬉しくなったよぉ。お互い美優羽ちゃんを大事にしていこうね」

 奏お姉ちゃんが手を差し出すと、楓はその手をぎゅっと強く握っていた。

「ええ。私負けませんので」

 普段の楓からは想像もつかない力強い声で言った。とりあえず、これで仲良くなれたの……かな? それならよかった。私は少し安心した。

 そんな事をしていると、私の家の前に着いた。帰り道はこれで終わりだ。

 そう言えば、今日の帰り道は誰にもつけられている感覚がしなかった。いつもならもう2、3回は振り返ったり、早足になったりするのにそれもなかった。

「今日誰にもつけられなかった。これ、もしかしたらいいのかもしれない」

 私がそう言うと、奏お姉ちゃんは私の手を握ってきた。

「そうなの! じゃあ明日から学校の日は一緒に帰ろう!」

「そうねっ。それで解決だわ!」

 こうして、学校のある日は3人で一緒に帰ることになった。これがよかったかはわからないが、3人で帰りだしてからはつけられてる感覚がなくなった。

 これでストーカー問題は解決した。私はそう思っていた。
 学校のない土曜日の夕方。夕飯の買い出しに私は買い物に出かけた。いつも行っているスーパーで買い物をして、帰っている最中だった。

 スタスタスタスタ……。

 私以外の足音が聞こえる。明らかに誰かにつけられている。早歩きでなんとか撒けないか試してみる。だが、ストーカーもついてくる。

 ダメだ。早歩きじゃ撒けない。走ってもいいが、今は買い物の荷物を持っている状態。中身がぐちゃぐちゃになる事態は避けたい。

 ならば警察に電話? だけど、すぐに来てくれないから犯人は取り逃してしまう。打つ手がない。

 仕方がない。とにかく追いつかれないように早歩きで家まで帰ろう。

 私はなんとか追いつかれないよう、かつ荷物がぐちゃぐちゃにならない速度の早歩きで家に帰った。

 家に着いた私は、琴姉と奏お姉ちゃんに先程の状況を伝えて相談することにした。

「うーん……。ここまで被害があるのなら、いよいよ警察に相談するしかないんじゃないかなあ」

 開口一番に琴姉は深刻そうな表情で言った。

「そうだねぇ。何かあってからじゃ遅いしねぇ」

 奏お姉ちゃんは真剣な表情で言った。奏お姉ちゃんも、その意見に同意しているようだった。

「そうするしかないのかなあ……」

 私は少し複雑な気分だった。

 確かに警察に相談すれば解決しやすくなるだろう。その方が賢明な選択なのだろう。だが、何故か私はそうしたくないのだ。

 解決させたくない訳ではない。ストーカーから一刻も早く解放されたい。そのはずだが、本能的な何かがそれを拒むのだ。

 本能的な何かが具体的に何かはわからない。けど、それが警察に相談するのを拒絶しているのだ。

 そうやって私が黙り込んでいると、琴姉が口を開いた。

「そんなに悩んでいるのならこうしよう。明日一日私と奏が美優羽と常に一緒に行動する。それでも、誰かにつけられるんなら、警察に直行しよう」

 琴姉は私をまっすぐな目で見つめていた。

「そ、そうしよう美優羽ちゃん」

 奏お姉ちゃんも私を説得するように見ていた。そこまで二人に言われるのなら、仕方がない。私が折れよう。

「わかったわ。じゃあ明日は二人についてもらう。それでダメなら警察に行く」

「了解。それじゃあ明日は私と奏が一緒について回るから安心しろ」

 琴姉は私の手を優しく握ってくれた。




 日曜日の夕方。私はどうしても買いたい本があったので本屋に行っていた。今読んでいる小説の最新刊だ。

 図書館に続きが置かれるのを待つという手もある。しかし、それだといつ入荷してくるのか分からない。その上、入荷しても直ぐに読める保証がない。

 お小遣いが減るのは痛い。ただ、どうしても気になる展開で待たされているので、好奇心が抑えられない。やむを得ず買いに行くわけだ。

 新刊ということもあり、本屋さんでお目当ての本はすぐに見つかった。私は会計をさっさと済ませて、家路についていた。

 もちろん、この買い物には琴姉と奏お姉ちゃんが着いて来ている。

「なあ。買った小説ってどんな中身なんだ?」

 琴姉が興味津々に聞いてきた。

「えっとね。簡単に言うと中世に転生した主人公が旅をして、旅した先々の問題を解決するって話。それで今友人に告白されて、どう答えを出すのかってのが今回の話になるの」

「ふーん。美優羽的にはどうなるって予想してるんだ?」

「多分断ると思うの。主人公は妹が好きだから、妹が振り向くまで頑張ると思うの。けど、妹が好意に気づいてないのが、なんとももどかしいんだよねえ」

「それはまるで……おっとっと」

 琴姉は口を止めた。おそらく言おうとしたのは、まるで私みたいだと言うことだろう。そうに違いない。読んでいて私も自分っぽいと思わされるもの。

 しかし、それ故とても共感ができて読むことができるのだ。姉と妹という違いはあれど、姉妹を愛する気持ちは変わらないはずだ。きっと私と同じくらい、主人公は妹を愛しているはずだ。

 だからこの主人公はとても応援できる。報われてほしいと。まるで自分を重ねるように。

「なあ、奏だったらこういう告白されたらどうするよ」

 琴姉が奏お姉ちゃんに尋ねる。奏お姉ちゃんは間の抜けた顔をしていた。

「うーん。私だったら断るのも申し訳ないから付き合うかもしれないなあ。ただ好きな人が別にいるんでしょ? うーん……、迷うよねえ。いい答えが出ないや」

 奏お姉ちゃんはそう言って、少し笑って誤魔化した。なるほど。奏お姉ちゃんは押しに弱そうだなあ。もしかすると、私が強引に迫れば案外落ちてくれるかも。そんなことを私は考えだしていた。

 その時だった。

 グキッ。

 後方から謎の音がした。もしかして今さっきまでつけられていた? 私は後を振り向く。

「どうしたの美優羽ちゃん?」

 突然私が後を向いたので、奏お姉ちゃんは心配そうに聞いてきた。

「あそこ、なんか怪しい」

 私は茂みを指差した。その茂みは草の高さに対して明らかに何かが盛り上がっていた。

「本当だ。怪しい。ちょっと行ってみよう」

 奏お姉ちゃんがそこへ近づいていく。すると、そこから人と思われる物が凄い勢いで逃げ出して行った。あれがきっと犯人だろう。

「追いかけるよ! 美優羽ちゃん! 琴葉お姉ちゃん!」

 奏お姉ちゃんが猛然と犯人を追いかける。私はなんとか離されないよう必死についていった。

 犯人の脚が速くないのもあるだろう。そして奏お姉ちゃんが俊足の持ち主というのもあるだろう。差がどんどん縮まっていく。

 犯人は捕まらないよう、障害物を使ってうまいこと逃げようとするが、奏お姉ちゃんにはほとんど意味をなさなかった。

 結局差を詰められ、ついには奏お姉ちゃんに捕まえられた。

「捕まえたよっ!」

 がっしりと犯人をホールディングしていた。さてようやく捕まったか。一体どんな顔をして……。

「えっ⁈ 嘘でしょ……」

 その犯人の顔を見た時私は驚かざるをえなかった。

「な、なんで……楓が……?」

 そう。犯人が楓だったのだ。こんなことをするような子じゃないのに一体何故。何が楓をそうさせてしまったのか。

 いや、これはたまたまかもしれない。たまたまそう言う風になっただけなのかもしれない。

 私の頭は色んな思いで一杯一杯になっていた。

「ご、ごめんなさい! ほんの出来心だったんです!」

 涙目になりながら楓は事の顛末(てんまつ)を話だした。

 楓の話によると、私がストーキングをされていると感じる前の2月中旬から今まで、ずっとストーキングをしていたらしい。

 土日に関しては私が買い物によく出かける時間を調べて、それを基にストーキングをしていたとのことだ。

 つまり最初から犯人は楓だったわけで、私は犯人に相談をするという、なんともお間抜けなことをしていたらしい。

 どおりで3人で帰った時に都合よくストーキングされなかったわけだ。じゃあ、あの苦い顔はストーキングができなくなるから都合が悪いってことでやってたのかな。そう考えると辻褄があう。

 しかし、なんでストーキングをやってしまったのだろうか?

「じゃあどうしてストーキングしていたの?」

 私は楓に尋ねた。

「…………一緒にいたかったんです」

 虫の声のような小さい声で楓は答えた。

「美優羽さんと学校の外でも一緒に居たかったんです。そうすれば、寂しくないから」

 なるほど。そんな理由だったのか。恨んでいたとかそう言う理由じゃなくてよかったと、私は一安心した。でも、言うべきことはしっかりと言わないといけない。

「あのね、楓。そういうのはちゃんと言ってくれれば私は断らないし、一緒に居てあげるから。だから、こういうストーキングだけは私も嫌だからやめてね」

「はい……もう二度としません」

 楓はしょんぼりと答えた。

「それから、今度から一緒に帰ろう。図書委員の当番の日は一緒に待ってあげるから。だから一緒に帰ろう」

 私は楓に右手を差し出した。

「い、いいんですか? こんな私と一緒に帰ってもらって……また仲良くしてもらって……」

「いいに決まってるじゃない。この話はこれで終わりだし、そしたらまた仲良くしましょうよ。仲良くするんだから一緒に帰るくらいどうってことないわよ」

 私がそう言うと、楓は私の差し出した右手を握った。その右手にはポツリポツリと、涙が落ちてきていた。

「ありがとう……ございます……」

 楓は涙で声を振るわせながら言った。そんな楓を私は抱きしめて背中をさすってあげた。

「はぁ、はぁ。やっと追いついた……って何事⁈」

 ようやく追いついた琴姉はこの状況を見て驚くしかなかったようだった。