月曜日は学校が始まる憂鬱(ゆううつ)な一日だ。多くの学生は間違いなくそう感じているはずだし、私もそう感じている。

 だけど、私にとっての憂鬱はそれだけではない。かなり嫌みっぽい言い方だけど、女の子にもてる上に告白される――女子高だからというのもあるけど――。しかも遊びではなく本気でだ。

 今朝も登校すると靴箱に、ラブレターが入れられていた。その内容を簡単に言うと、とても回りくどい表現で、先輩のことが好きだから告白したいです。

 なので、昼休みに空き教室に来てくださいというものだ。こういう手紙がここ二週間の間に、今日含めて十回も入れられている。その度に断っているから、精神的にも参ってしまう。

 だったらいっそのこと、付き合えばいいのかもしれない。そうすればこんな悩みとはおさらばだ。私もかわいい女の子は大好きだから、別にそれでいいのかもしれない。

 だけど、私はそれをしたくない。まず、好きでもない子と恋人になるという思想が私にはない。そしてもう一つ理由があり、それが一番大きな理由であるのだが。

 こんなことを考えていると、待ち合わせの時間の五分前になっていた。呼び出された側とはいえ、遅れていくのは私のポリシーに反する。私は少しだけ急いで、その子が待つ教室に向かった。




 少しするとその教室に前に来た。左袖を少しだけめくり、手首を内側に捻る。腕時計は待ち合わせ時間の一分前を指している。ギリギリではあるが間に合ったようだ。

 教室をそっとのぞくと、ラブレターを書いたとみられる女の子が、椅子にも座らず顔を赤らめて、身体をくねくねさせている。遠くから見ても、緊張しているというのが丸わかりだ。

 そんな子を振ってしまうのは何度経験しても慣れないし、なにより心が痛む。でも、ここで逃げてもどうしようもない。私は覚悟を決めてドアを開いた。

「あ、ふ、ふっ、藤井(ふじい)先輩!」

 私が一声かける前に、その子が私の方を向いてくれた。

「やあ、こんにちは。君が今朝の手紙を書いた子かい?」

「は、はい! わわ、私です!」

 カミカミになりながらも、しっかり答えてくれた。分かってはいたが、やはり手紙の送り(ぬし)だったようだ。

 私はこの子を見ながら、靴箱に入っていた手紙を思い返していた。その手紙は、薄いピンクを背景に、リボンとトイプードルの絵柄をあしらった、実に女の子らしいものだった。

「そうか。君だったのか。とてもキュートな手紙をありがとう」

 私の一言に、女の子はとても照れ臭そうに黒髪のおさげを触っていた。

「こ、こちらこそ。先輩はこういうのが嫌いだと思ってたので、喜んでもらえてうれしいです」

 なるほど、嫌いね。やっぱり、私をそういう風に捉えているのか。私はひどくがっかりした。その気分のまま、少し意地悪なことを聞いてみようとしたがやめた。

「じゃあ本題に入ろうか。どうして私を呼び出したのかな?」

「え、えっと…………、せ、先輩のことがずっと前から好きでした! だから、私と付き合ってください!」

 その子は少しだけ目線を下げ、ギュッと手を強く握っていた。やっぱり私が思っていた通り、告白だったみたいだ。

「一つだけ聞いていいかな?」

「な、なんでしょうか」

 緊張がほぐれてきたのか、ちょっとだけ緩んだ雰囲気を出していた。

「なんで、私のことが好きなの? 一言でいいから教えて欲しいな」

 予想していない質問だったからか、一瞬、(きつね)につままれたような表情を浮かべていた。しばらくすると、また恥ずかしそうに手をこすっていた。

「え、えっと、背が高くて、スタイルもよくて、運動も勉強もできて、…………でも一番はかっこいいところです!」

 かっこいいか。私が予想していた通り、テンプレートの典型ともいえるような答えだった。この時点で、この告白に対する私のアンサーは決まった。

「ありがとう。こうやって告白してくれてとてもうれしいよ。だけど、君の想いには、応えてあげられないみたいだ。ごめんね」

 この言葉を告げられた瞬間、その子の中で何かが壊れたような音が、私の耳に聞こえてきたような気がした。

「い、いえ。ちゃんと先輩に気持ち、伝えられたので大丈夫です。来てくださってありがとうございました、し、失礼しました!」

 その子は私を一切見ないで、勢いよく教室を出ていった。おそらくその目には、涙を浮かべているだろう。ずいぶんと見慣れた光景ではあるが、その様子に心を痛めた。

「結局、今日もこうなっちゃったか」

 誰もいない教室で一人タメ息を吐いた。




 午後七時。部活が終わり部室から出ると陽はすっかり傾き、夕焼けが私の黒髪をオレンジ色に染める。ぴゅーと吹いた風は少しではあるが、涼しさを感じさせてくれた。

 どうやら秋は、思っているよりもずっと近いようだ。季節の変わり目を感じながら、私は上機嫌(じょうきげん)で校舎を後にする。

 しばらく道なりに歩いていると、(はぜ)並木が見えてきた。葉の色は、まだまだ生命感あふれる緑ではあるが、この調子なら十月くらいには、きっと美しい紅葉を見せてくれるだろう。まだ見ぬ美しい景観に、想いを馳せながら歩いていると、

「せんぱーい! 奈々(なな)先輩!」

 聞き覚えのある、柔らかな声が聞こえてきた。声のする方を向くと、正体はやはり朱里(あかり)ちゃんだった。朱里ちゃんは部活の後輩で、ブラウンの髪とふわふわした雰囲気が特徴的な、とてもかわいらしい小柄な女の子だ。

「朱里ちゃんか。どうしたんだい?」

「えっと、先輩の側に居たかったので呼び止めちゃいました」

 朱里ちゃんはてへっと、舌をだしてあざとそうな反応を見せた。

「それはうれしいよ。けどなんでこう、いつも途中でこうやって呼び止めているの?」

「えっと、ここなら先輩と二人きりでいれるからですよ」

 そう言って、朱里ちゃんはギュッと私の腕に抱き付いてきた。朱里ちゃんは、顎を撫でられた猫のように、とても幸せそうな顔をしていた。

「朱里ちゃん、暑かったりしないの?」

「全然ですよぅ。先輩とこうしていられればどんな状態でも満足ですぅ」

 どうも朱里ちゃんが離れてくれそうにないので、このまま歩き続けることにした。こんな感じで、朱里ちゃんは私にとても懐いている。これは朱里ちゃんが入学してきた、五カ月ほど前からずっとだ。

 面識があったかなあと時々振り返るが、そもそも小学校も中学校も違っていたし、部活の大会や練習試合でも朱里ちゃんの出身校とは対戦したことはなかった。

 なので、面識は全くないはずだ。そう考えると、なんとも不思議なものだ。

「そういえば先輩、また振ったんですよね」

 しばらくすると唐突に、朱里ちゃんからあまり思い出したくない話を、切り出された。

「ま、まあね」

 私は後ろめたさから、歯切れが悪くなる。

「昼から一年生の教室はずっとその話題で持ちきりでしたよー。先輩も罪な人なんですねえ」

 朱里ちゃんはニヤニヤしながら、私をじっと見てきた。

「だって、自分が本当に好きって言えない人と付き合っても、相手が困るだけだろうからさ……」

「先輩らしい理由ですねぇ」

 朱里ちゃんはクスッと笑いだした。その後も朱里ちゃんとたわいもない雑談をしていると、十字路に着いた。この道を私は左に、朱里ちゃんは右に曲がるのでここでお別れだ。

「ありがとうね。楽しかったよ。じゃあまた明日ね」

 私が左に曲がろうとした時、朱里ちゃんがそっと制服の袖をつかんできた。いつもなら、何か一言交わす程度で別れるのだが、どうしたのだろうか。

 今週どこかに遊びに行こう、みたいなものなんだろうか。これなら予定を調べればいいか。だが、告白じみたないようなら、ちょっと対応を考えないといけない。

「どうしたの? 朱里ちゃん」

 私は覚悟を決めて朱里ちゃんに聞いてみた。どうか面倒な内容でありませんように、と願いながら。

「先輩! いつか、先輩の家にお邪魔してもいいですか?」

 雰囲気とは裏腹(うらはら)に、とてもありきたりなものだった。それでも、朱里ちゃんは息を少し乱し、顔を赤らめている。

 かなり勇気を出して言ったということが、ダイレクトに伝わってくる。こんな簡単なお願いなら、大体の人が好意的な答えを出すだろう。

「えーっと、いいんだけど、(うち)って親戚とかがよく来るから、なかなか難しいかもしれないかな……」

 だけど私はウソをついた。これが朱里ちゃんのためなんだ、と心の奥底で思いながら。

「そうですか……。分かりました! では大丈夫そうな日があったら教えてください! その時に行きますので!」

 朱里ちゃんは、少しだけうつむきながら残念そうにしていたが、少しすると笑顔を作ってポジティブな答えを出してくれた。いくらバレたくないとはいえ、本当にこれでいいのだろうか。私はまた罪悪感に苛まれた。
 朱里ちゃんと別れて、少ししてから家に着いた。フィフティ・フィフティではあるが、家に誰もいないということがある。

 目安は、炊事場の電気がついているかどうかだ。背伸びして、ブロック塀からのぞき込む。(あか)りはついている。つまり、今日は留守ではないらしい。

 留守でないということがわかったので、私は玄関に向かいチャイムを鳴らした。

 チャイムが鳴るとお母さんは、はいはーいと、返事をしながらドアを開けてくれた。家の中に入りただいまと、声を掛けると、お母さんがエプロンのポケットから、一枚のチラシを取り出した。

「これ、なに?」

「奈々の好きそうな店のチラシよ」

 お母さんはふふーんと、上機嫌に鼻歌を歌っていた。私は知っている。こういう感じで私にチラシを渡すとき、その大半が塾か家庭教師関係のチラシだ。

 私が喜びそうなのは、今まで数えるほどでしかなかった。私が半信半疑でチラシを開くと、その数える程度しかなかった方のチラシだった。

「奈々、お母さんのこと疑ってたでしょ?」

 喜びのあまり放心状態だった私は、バカ正直に首を縦に大きく振ってしまった。

「まったく……。でも、それだけ喜んでもらえるならよかったわ」

「ありがとう、お母さん! でもどこでこのチラシを?」

「私の高校の友達がそういう店を建てるそうなの」

 私はへぇー、と生返事をしながら、チラシの中身を凝視していた。

「今度の日曜日にオープンらしいから、行ってきなさい」

 私はニコニコしながら、首を縦に振った。これで五カ月ぶりにコレクションを増やせる。そう思うと、ワクワクが収まらなかった。

「そういえば、朱里ちゃんだったっけ? あの凄く奈々と仲良くしてくれてる子」

 唐突な質問だった。私は何気なく、

「うん、そうだけど?」

と答えた。すると、お母さんはこんな提案をしてきた。

「せっかくだし、一緒に行って来たら? 多分喜んでくれると思うわよ」

 それは夢見心地な私を現実に引き戻し、そして絶対に首を縦に振れない提案だった。そりゃそうだ。これは、私のイメージに関わることだ。

 朱里ちゃんはずっと学校での私を慕っている。そんな朱里ちゃんのイメージを壊したくない。壊して、離れられたくない。私はただ黙り込んで、一切の答えを出さなかった。

「そうね。奈々の気持ちとか考えていることは分かるわ。私のその友達も、ずっとそういう事で悩んでたし、奈々も、それで嫌な思いをしてきたからね。でも、長く付き合ってくなら、いつかは言わないといけないんじゃないの? そうでなくても、あれだけ慕ってくれているのに、自分の素を見せてくれないなんて、かわいそうじゃない?」

 お母さんの忠告は、とても心に突き刺さった。今までで一番仲がいいと言えるのは、間違いなく朱里ちゃんだ。その朱里ちゃんは、自分の全てを惜しげなく見せてくれる。

 それなのに、私が見せないというのはどうなんだろう。でも、朱里ちゃんの好きな私は絶対に王子様のように、かっこいい私だ。だからこそ、壊せない。言い出せない。私は黙り込んだままだった。

「まあ、そんな簡単に割り切れるならとっくにそうしてるよね。今すぐにとは言わないわ。ゆっくりでいいからどうするか、答えを見つけなさい」

 お母さんはそう言うと、炊事場へ戻っていった。私はその場から動けなかった。




 結局明確な答えは出せず、うなだれながら二階の自室に戻った。入るなり荷物を置き、制服から私服に着替える。私はこの瞬間が、一日の中で一番好きだ。

 だって、学校で、外で期待されている、作りものの自分を演じる必要がない。そして、かわいいものに囲まれて過ごせる自由な時間になったことを、教えてくれるからだ。

 緊張の糸が切れた私は、間の抜けたような声をあげながら、ふかふかのベッドに思いっきりダイブした。そして、(そば)にいるメルちゃん――テディベアの名前――を顔に引き寄せながら、ぎゅっと強く抱きしめる。これが私の日課だ。

 メルちゃんの他にも、かわいい人形やテディベアはたくさんいる――もちろん全員にちゃんと名前を付けている――。だけど、私はメルちゃんを選ぶ。

 メルちゃんとは小学生のころからずっと一緒だし、何より一番毛がもこもこしていて、抱き心地がたまらなく気持ちいいからだ。

「メルちゃんただいまぁ」

 メルちゃんは何もしゃべらない。それでも、その愛くるしい顔に癒やされるし、メルちゃんから、

「おかえり奈々ちゃん」

という声が聞こえてきそうな、雰囲気を感じさせてくれる。

「メルちゃん、今日も大変だったんだよ」

 ただいまのあいさつを済ませ、今日学校であったことをメルちゃんに話す。さっきのように、メルちゃんが何か返事をくれるわけでも、なにか解決策を出してくれるわけでもない――答えてくれるならそれはとてもありがたいけど――。

 だけど、こうやって大好きなメルちゃんを抱きしめながら、悩みとかつらかったこととか色々と話すだけで、心の疲れがすぅーと身体から抜けていく。この快感がとてもたまらない。

 これが私の正体だ。学校では仕方なく王子様みたいなキャラを演じているが、部屋に入ればそんなのとは縁遠い、とにかく、かわいいものが大好きで、メルヘンチックな女の子だ。

 私はあることをきっかけに、それ以来ずっと家族以外には秘密にしている。朱里ちゃんも例外ではない。

「ねえ、メルちゃん。朱里ちゃんは私の部屋に来てもガッカリしないかなぁ。こんな私でも仲良くしてくれるかなあ」

 私の秘密を知った朱里ちゃんを、頭の中でシミュレーションしてみる。だけど、最終的には私から離れていくばかりで、何一ついいシチュエーションが見つからない。どういう風に伝えても、結局はそこに辿(たど)り着いてしまう。

「…………そうだよね、幻滅しちゃうよね。ありがとう、メルちゃん」

 私は今まで通り秘密のままにすることを決めた。

 少ししてから、椅子に座り宿題と予習をすることにした。音楽プレイヤーの曲のラインアップから、今日の一曲を探す。

 いつもはすんなりと決まるが、今日は珍しくすんなり決まらない。こういう日は何を聞いてもやる気は変わらない。なので、目をつぶって適当にタッチした曲を流すことにした。

「じゃあ、今日は数学から始めよっ」

 シャープペンシルを手に取り、教科書とにらめっこしながら問題を解いていく。今日の数学は苦戦すると思っていたけど、予想以上に簡単みたいだ。他の教科は、学校であらかた終わらせてきたので、恐らく予習を含めても一時間以内に終わりそうだ。

 そうなれば空いた時間は、今度の日曜日に買いたいもののリストアップをしよう。それでも余りそうなら、変装セットの確認でもしておこう。問題を解きながら、日曜日に想いを馳せていた。

「うふふ、楽しみだわ」

 思わず、声に出てしまっていた。
 迎えた日曜日。私はあまり人のいなさそうな夕方を狙って、訪れることにした。

 一つは、落ち着いた静かなところで、一人一人にしっかりと時間をかけて見たいからだ。もう一つは、自分の趣味がバレないようにするということだ。どちらかと言うと、後者の方が大きなウエイトを占めていた。

 もちろん、ウィッグや帽子をかぶったり、服装を大きく変えたりして、学校での雰囲気から大きく変えている。

 多分だけど、学校での私しか知らない人には、気づかれないとは思う。それでも、何があるかわからない。うっかり気づかせてしまうようなことを、言ってしまうかもしれない。

 とにかく知り合いに声を掛けられないようにと、必死に祈りながら歩いた。

 すると、ヨーロッパのレンガ造りの家を模したような、二階建ての建物が目の前にあった。玄関口には、こげ茶色のしゃれた木製の看板が置かれている。どうやら、ここがその店の様だ。

 こんなにおしゃれな店なら、間違いなく、連れて帰りたくなる子がいるはずだ。私は確信した。

 気持ちを高ぶらせながら店に入ると、大小様々なテディベアが、店内の棚に並べられていた。

 しかし、ただ単純に並べているだけじゃない。ベンチに座っていたり、ドールハウスみたいな形で飾られていたりと、魅力を最大限に引き出すための工夫が、あちこちに凝らされている。安っぽい言葉だけど、ここは私にとっての楽園だ。

 これまでにないくらい頬を緩ませながら、テディベア達を見て回った。遠くから見てもそう感じていたけど、ここにあるものはみんな質が高い。

 毛並みは奇麗だし、細かな縫い目までしっかりとした作りになっている。これを見られただけでも来てよかったなあと、心の底から思った。

「かわいいなあ、この子。連れて帰りたいなあ……」

 本音が思わず口からこぼれてしまった。すると、

「連れて帰る、か。なかなか独特な表現だね」

と、不意に後ろから声を掛けられた。そのせいで、ビクッと身体が跳ね上がってしまった。

「おっと、驚かせてごめんね」

 振り向くと店員さんと思われる女性が、穏やかな表情で私を見つめていた。

「いやー。あまりにも目を輝かせてみてたから、ついつい、声を掛けたくなってね」

「えっと、店員さんですか?」

「そうだね。私はteddy’s(テディズ) house(ハウス)――この店の名前――の店員兼店長の上野だ。ただ、名字で呼ばれるのは好きじゃないから、美奈(みな)さんって呼んでいいよ」

 美奈さんは気さくな感じで言ってくれた。それに対して私は、少しおどおどしながら返事をした。

「それにしても、連れて帰るって、なかなか独特な言い回しだねえ。初めて聞いたよ」

「え、えっと、テディベアにしても人形にしても極端に言っちゃえばモノですけど、私はそういう風に扱いたくなくて。ヒトと同じように、扱いたかってあげたかったのでそういう風に……」

「なるほど! 確かにその通りだ。私もその心意気を、見習わないといけないみたいだね」

 美奈さんがうんうんと、首を縦に大きく振った。それを見て、ホッと一息ついた。実は少し前に、ネットの掲示板でこんな感じの事を言った事がある。

 その時は、大多数の人からドン引きされてしまった。なので、変人扱いされたらどうしようと、内心ひやひやしていた。

 その後は好みの肌触りや毛並み、大きさの好みを語り合った。不思議なことに、美奈さんと私は好きなタイプがとても似ていたのだ。

 もしかすると、美奈さんも私のようなタイプの人なのかもしれないと、(ひそ)かに思った。

「それにしても美奈さん。ここにあるのは全部質が高いですね。ここまできちんとしてる店なんて初めてみました」

「でしょ。私が実際に見ていいと思ったものだけしか置いてないからね」

 奈々さんは誇らしそうな顔をしていた。

 私の目利きは絶対だと、目がそう語っているように見えた。

 それからは火がついたように自分の体験談を語り出した。自分の求めるテディベアを探すために、海外のあちこちを旅した話や、その時の苦労話、おもしろいエピソード。

 そのどれもが、頭にその情景が思い浮かんでしまうくらい、おもしろい話だった。

「スゴいですね、売らせてもらうためにそこまでやっちゃうなんて。やっぱり好きだからですか?」

「ああ、そうだとも。大好きだから、そこまでしたいのさ」

 美奈さんは不敵な笑みを浮かべていた。その表情に私はゾッとさせらてた。

「おっと、少し話すぎちゃったか」
 
 美奈さんに言われ、ハッと時計を見てみると、店に来てから三十分以上が過ぎていた。

「ごめんね。あとはじっくり、お気に入りの子を探してね」

 申し訳なさそうに言うと、美奈さんはショップの裏口の方に向かって行った。さて。じっくりと言われたけど、少し急がないと帰りが遅くなってしまう。そんな心配をしながら見ていると、

「あ、あのー……」

 なぜか、平日の夕方あたりによく耳にする声が聞こえた。反射的に振り向き、おそるおそる声の主を確認してみると、やはり朱里ちゃんだった。

「あっ、えっと、その……」

 朱里ちゃんが困惑しているような表情で、私をまじまじと見つめている。私は、頭の中がパニックに(おちい)り、身体のあちこちから冷や汗が流れ出していた。お互い次の言葉を出せず、沈黙したまま時間が過ぎていく。

「ど、どうしたの?」

 この空気に耐えられず沈黙を破った。すると、朱里ちゃんの表情は、普段私によく見せてくれるあの屈託(くったく)のない笑顔に戻った。

「あ、ごめんなさい! 後ろ姿が私の知ってる先輩に似てたので、つい声を掛けちゃいました」

 ぺこりと朱里ちゃんは頭を軽く下げた。よかった、どうやらバレていなかったようだ。私は心の中でほっと一息ついた。

「いいのよ、気にしなくて。空似(そらに)なんてわりとあることだから。それより、あなたもこの子達のことを見に来たの?」

「はい! 私、テディベアが大好きで、さっき今日オープンの店があるって聞いたので、急いで見に来ました」

「そうなの。よかったら色々お話しないかしら? この子達について」

 折角(せっかく)の機会なので、朱里ちゃんとテディベアについて語り合うことにした。

 話していくうちに、朱里ちゃんも私と同じくらい、テディベアが大好きだということが伝わってきた。

 そして、私と同じように、一人一人にちゃんと名前をつけていることも分かった。一方で、私とは好きな肌触りや大きさが、かなり違うようだ。私は少し大きめで、もこもこしたものが好きだけど、朱里ちゃんは小さめで、さらさらしたものが好きらしい。

 だけどそれで揉めることは一切なく、テディベア談義は進んでいった。

「ありがとう朱里さん。なかなか楽しめたわ」

「いえいえ。私も、普段友達とここまで深く話さないんで、ナナさん――私の教えた偽名――すごく楽しかったです」

 気が付けば、愛好家同士の熱い友情のようなものが芽生えていた。もしも、趣味の世界だけの付き合いだったら、朱里ちゃんとはこんな関係になれたのかと思うと、少し残念な気分になった。

「やっぱり、私の知り合いの先輩とは全然違いました。その先輩と名前は同じでも、声は先輩よりも凄くかわいいですし、服装だって、お姫さまって感じがしてめちゃくちゃかわいいですし。奈々先輩ったら、かわいさの欠片(かけら)もないんですよ! 少しくらい、こんな感じでかわいくすべきなんですよ! ナナさんの爪の垢を、煎じて飲ませたいくらいですよ」

 朱里ちゃんは唇を(とが)らせて訴えた。確かに、普段そういった雰囲気を徹底して出さないようにしてるから、そう見えてしまうのは当然だとは思う。

 だけど、ここまでボロクソに言われてしまうのは、流石にショックだった。

「ま、まあまあ……。朱里さんは、その先輩のことよく思ってないの?」

 落ち込んでいるのを悟られないよう、平静を装いながら朱里ちゃんに尋ねてみた。朱里ちゃんはこの質問に対して、首を横に振った。

「…………そんなことないですよ。むしろ、大好きです。顔とか行動がかっこいいのもあります。でも、それより、いつも真面目で、誰に対しても平等に優しくて、そんなところが私は大好きなんです。本当に素敵な先輩なんですよ。奈々先輩は」

 目を閉じて胸に手を当て、少しだけ頬を朱色に染めて朱里ちゃんは私のことを語ってくれた。言われた私の心の中は身体の奥底から湧き上がるうれしさを押し殺すのに精一杯だった。

 正直、かっこいいから好きだみたいなことを言うと思っていた。今まで会ってきたどの女の子もそうだったように。だから、こういうこと想ってくれていてそれを言葉にしてくれているのは本当に嬉しかった。

「……いい先輩なのね。奈々さんは」

 私は動揺を隠すため、一呼吸おいて軽く笑みを浮かべた。

 それから、私と朱里ちゃんは、それぞれどの子を連れて帰るのかを黙々と選び始めた。しばらくすると、朱里ちゃんがこちらに寄ってきた。どの子にするのかが決まったらしい。

「私、今日はこの子にします!」

 朱里ちゃんが手に取っていたのは、私の好みに近い子だった。

「え? それは朱里さん好みというより私のでは?」

「はい。そうですよ。ナナさんがあそこまで熱く語ってくれたので、この子にしました」

 朱里ちゃんは両手で大事そうに抱えながら、私を見てニコッと微笑んでいた。その表情に思わず胸がキュンとときめいた。

「それじゃあ、そろそろ帰らないとマズいので、私はこれで。また、会えるといいですね」

 そう言い残し、朱里ちゃんは少し駆け足で、レジの方に向かって行った。




 私が家路についたのは、六時を少し過ぎた頃だった。流石にお母さんも心配していたみたいで、家に着くと、なぜ遅くなったのかを真剣な顔で聞かれた。

 それに対して私は、朱里ちゃん関連以外の出来事を答えた。お母さんはそれを聞いて納得してくれたが、あんまり遅くならないようにと釘を刺された。

 部屋に戻り、連れて帰ってきた子に、アリスと名前を付けた。私は早速、アリスちゃんをメルちゃんの隣に置いてみた。

 大きくてもこもこした、ティーブラウン色のメルちゃんに対して、アリスちゃんは白くて小さくて、さらさらしている。改めて、自分の好みとはずいぶんと違うと感じた。

 だけど、アリスちゃんみたいなタイプも案外悪くない。いや、むしろかなり好きななのかもしれない。今まで少し敬遠していたタイプだっただけに、今までは少し敬遠していたタイプだっただけに、新たな新境地を開拓できたのかもしれない。

 そう考えると、今日朱里ちゃんと会えたことは私にとってはいい経験だったみたいだ。

「そういえば、来週の日曜日も予定は……」

 机に置いてある愛用の手帳を開いて、予定を確認する。私の記憶通り予定は開いていた。ならば、来週も美奈さんの店に行こう。

 ただ、今日のように遅くなると今度は怒られそうなので、早めに行こう。人は多いけど、朱里ちゃんに全く気付かなかったから大丈夫なはずだ。

 そうと決めたら手帳に書いておこう。私は黒のボールペンで日曜日のところに、予定を書き込んだ。

「来週も楽しみだなあ」

 私の頭の中は来週の事で一杯に埋め尽くされた。
  翌週の日曜日。私は予定通り、美奈さんの店に行くことにした。

 今日は、美奈さんとどんな話ができるのか、あるいは、どんな子達と出会えるのだろうか。そんな期待に胸を躍らせて店に入ると、なんという偶然だろうか。朱里ちゃんが今日もまたここに来ていたのだ。

「あ、ナナさん! またお会いできてうれしいです!」

 朱里ちゃんは私を見つけるなり、こちらに駆け寄ってきてくれた。

 予想外のことだけど、先週と同じ格好をしているので、余程ボロを出さない限りバレないはずだ。そういう意味では、少しだけ安心できる。私はちょっぴり肩の力を抜いた。

「私も会えてうれしいわ。朱里さんが(すす)めてくれたアリスちゃんは、本当にいい子だったわ」

「私も、ナナさんが推してたミラちゃんのこと、すっごく好きになりました! ナナさんのおかげで幅が広がってよかったです!」

 お互いに連れて帰った子のことを褒め合いながら、家のことや趣味とかの他愛のない話をしていった。

 普段、こうやって友達と深く話すことがないせいか、いつも以上にテンションが上がっていた。そのせいで時々、自分の正体をばらしそうなことを言いかけ、その度にかなりハラハラした。

 それでも、朱里ちゃんとの会話は本当におもしろかったし、なぜだか気がとても楽だった。

「本当、ナナさんとはすごく気が合いますよね。なんかもう、姉妹みたいな感じがしてうれしいです!」

 朱里ちゃんは顔を輝かせながら、私の手をそっとやさしく、両手で包むように握る。私は不意を突かれて、少し驚いた表情を浮かべてしまったけど、内心ではとてもうれしかった。

「そ、そう? そう言ってもらえると私もうれしいわ」

 喜んでいるのを見られるのが恥ずかしかったので、目線を朱里ちゃんから大きく外して言うと、

「もうっ、ナナさんったら恥ずかしがっちゃって!」

 朱里ちゃんは、左手の人差し指で私の左の頬《ほほ》を軽く突いてきた。

「まっ、全くもうっ! 私の方が年上なんだからねっ」

「うふふ、ごめんなさい。ナナさんがかわいかったから、ついつい、やっちゃいました」

 朱里ちゃんは、小悪魔のようなあざいとい笑みを浮かべていた。その笑顔に、私はなぜだかドキッとさせられていた。その後も適当に話をしていると、突然、朱里ちゃんがこう切り出してきた。

「あ、そうだナナさん! 一つ相談したいことがあるんですけど、いいですか?」

 朱里ちゃんは少し首を傾け上目遣いで私を見てくる。私はうん、と首を縦に振った。

「えっと、私じゃなくて親戚の子から相談されたことなんですけど……」

 朱里ちゃんは、相談された内容を詳しく話してくれた。朱里ちゃんによると、その親戚の子には同じ部活で大好きな先輩がいるらしい。

 普段から仲良くはしているけど、もっと仲良くなって、いずれは付き合いたいそうだ。だけど、そうなるきっかけが中々なくて、どうしようかと悩んでいるらしい。

「なるほどねえ……。一つ聞きたいけど、その子って高校生かしら?」

「はい。私と同い年なんですよ。本当は私がこうズバッと答えを出せたらいいんですけど、そう言った事に(うと)くて中々答えが出ないんですよぉ。ナナさん、何か言い考えないですか?」

 朱里ちゃんは困り顔をしている。多分朱里ちゃんは、私がそういう経験が豊富だと思って、私に相談してくれたのだろう。

 だけど、生憎私もそう言った経験に(とぼ)しい。とは言っても、せっかく相談してくれたのだから何か答えは出したい。

 私は頭をフル回転させ、アイデアを絞り出そうとした。すると、普段の学校での私が頭に思い浮かびあがってきた。王子様の私なら、どんな子と仲良くしようと考えるだろうか。そう考えていくと、意外なほどあっさりと答えが出てきた。

「そうだわ。お昼ご飯に誘ってみたらどうかしら?」

 私は思いついたことを、朱里ちゃんに提案してみた。

「お昼ご飯……、ですか」

「そうよ。ちょっと勇気はいるでしょうけど、お昼ご飯の時ってかなり会話も弾むから仲良くなるきっかけになりそうだと思うわ。それに、お昼ご飯一緒に食べましょうって言って、嫌そうにする人なんてほとんどいないじゃない」

「なるほどいいかもです! 親戚の子にこれを教えてあげます! 答えてくれてありがとうございます!」

 これが本当にいい方法なのかはわからない。それでも、朱里ちゃんの参考になったみたいでなによりだ。朱里ちゃんのよろこんでいる様子を見て、私もうれしくなっていた。

「では、先に失礼します。私に合いたくなったら二週間後のこの時間に来てください。必ずここに居ますから。それじゃ!」

 そう言うと、朱里ちゃんは一つ小さなテディベアを持って足早にレジへ向かった。




 翌日のお昼休み。普段は、適当に誘ったクラスメイトの子と食堂に行ってお昼ご飯を食べ、そして、気づいたら周囲に人だかりができているという感じだ。だけど今日は違った。

 四限が終わった直後に、朱里ちゃんが私の教室に来て、私の名前を呼んだ。何事かと思い私は(そば)に駆け寄ると、朱里ちゃんは私の手を取ってこう言った。

「先輩! ご飯一緒に食べませんか?」

 今までになかったことなので私は戸惑った。それでもせっかく誘ってくれたので、その誘いを受けることにした。

 この日はちょうど弁当を持ってきていたので、自分のカバンから弁当を取ってくると朱里ちゃんは、

「それじゃあ、一緒に行きましょっ」

と言って私の手を引いて走り出した。この時の朱里ちゃんが、不覚にもおとぎ話に登場しそうな王子様のようにとてもかっこよく見えて、思わず顔を赤くしていた。

 朱里ちゃんが連れてきてくれたのは中庭だ。今まで興味がなかったので、一度も訪れたことはなかったが、とてもきれいで美しい場所だった。

 緑色のカーペットのように()える芝生に、涼しげに揺れる木々と、その下の木陰に置かれたベンチ。ここなら弁当もおいしく食べられそうだ。

「先輩。いいでしょ? ここ」

「ああ、そうだね。初めて来たけどいい場所だね」

 私の言葉に朱里ちゃんはにこりと微笑んだ。

「ありがとうございます! 先輩によろこんでもらえてよかったです!」

 朱里ちゃんはとても上機嫌そうだ。それを見て私は頬を緩めた。

 というわけで、朱里ちゃんと二人でお昼ご飯を食べている。普段は一緒に食べないので、どのくらい食べるのだろうかと気になって、食事の様子を見てみると、恐ろしいほど量が少なかった。

「朱里ちゃん、そんな量で足りるの?」

 心配になって私は聞いてみる。

「はい。これだけ食べれば夕食までは持ちます」

 朱里ちゃんはにこやかな表情を崩すことなく答えてくれた。

「私からしたら、もっと食べた方がいい気がするけど、これ以上は入らないの?」

「そうですね。入らないことはないんですけど、これより量が増えると、気分が悪くなるのでこれくらいがちょうどいいですね」

「なるほど。じゃあ、朱里ちゃんが食べ放題にいったら大損しそうだね」

「あー、確かにそうですね」

 朱里ちゃんはうんうんと頷いた。この後もこんな感じで、普段なかなか話さないような事を、お互いに話していった――もちろん、自分の秘密は隠している――。

 普段の判で押したようなつまらない会話とは違い、変化に富んで、それでいて、とてもおもしろい内容だった。

 朱里ちゃんとお昼ご飯を一緒に食べてよかった。私は心の底からそう思った。

 けれども、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。気が付くと、そろそろ次の授業の準備をしないといけない時間になっていた。

「では、先輩。またいつかお昼一緒に食べましょっ」

「うん。そうだね。また機会があればお願いね」

 そう言って、私は手を振りながらクールに立ち去ろうとした時、ふと頭に疑問が思い浮かび、

「あ、あのさ、朱里ちゃん!」

 気がついたら、朱里ちゃんを呼び止めていた。

「なんでしょうか?」

「その、なんで今日一緒に食べようって、誘ってくれたのかな? 普段、食堂でも会わないから不思議に思ったんだけど」

 私の問いかけに、朱里ちゃんは照れくさそうに、少しだけうつむいていた。

「えっと、その……、簡単に言うと実験台にしました」

「実験台?」

「その、親戚の子に、仲のいい人ともっと仲良くなれる方法を教えてって言われて、それで、最近知り合った人に、いい方法を教えてもらったんです。でも、それが本当に、効果あるのか、分からなかったので、先輩で試してみて、本当に効果あるなら教えようって思って、試してみました」

 なるほど。あの時に私が言った事を、自分で実践するために誘ったということなのか。それなら納得がいく。

「そういうことだったのね。なるほど。それなら、これはきっといいアプローチだと思うよ? だって、お互いのこと色々知れて、距離が縮まったし、なにより凄く楽しかったからね」

「先輩……!」

「もちろん、本人のトークスキル次第ってところもあるだろうけど、きっと上手くいくと思うよ。だから、親戚の子に伝える時も、試された先輩も上手くいくって太鼓判押してたよって伝えてあげて」

「……はいっ! わかりました! 先輩の言葉、一言一句、正確に伝えておきます!」

 朱里ちゃんは目を輝かせながら、ハキハキとした声で答えてくれた。

「では先輩っ、お先に失礼します!」

 朱里ちゃんは小走りで、教室の方へと向かって行った。それを見送った後、私も少し急いで教室へと向かった。
 
 そういえば、朱里ちゃんは二週間後に来るって言ってたなあ。

 私はふと、昨日朱里ちゃんが帰り際に放った一言を思い出した。行くかどうか少し迷っていた。だけど、私のアドバイスがちゃんと上手くいったか聞いてみたい。だったら行こう。

 私は手帳の二週間後の日曜日のスペースを埋めた。
「はぁ……、はぁ……」

 二週間後の日曜日の朝。私は悪夢に叩き起こされた。内容は、私の小学生の頃の体験を鮮明(せんめい)に映したものだ。ずっと昔から月に一、二度ほど見せられるので、わりと見慣れたものではある。

 だけど、何度見ても嫌なものに変わりはない。数少ない友達が、冷たい目をして私のことを見放し、同級生の男の子からから執拗(しつよう)な嫌がらせをされるのは、悲しくて、きつくて、耐えられないくらい辛い。私は汗でメルちゃんを、汗でベチャベチャになっている手で、ぎゅっと抱き寄せた。

「メルちゃん、たすけてよぉ……」
 
 私は、悲痛な思いをメルちゃんにそっと呟いた。


 
 それからお昼を少し過ぎたところで、私は家を出た。自転車をこぎ、しばらくすると店に着く。着いてすぐに私は、店内をぐるっと一望(いちぼう)する。すると、あの約束通り、朱里ちゃんはいた。

「ナナさーん! こっちです、こっち!」

 朱里ちゃんは私を見つけるなり、ご主人様を見つけた飼い犬のように手を振ってくれる。それに導かれるように、朱里ちゃんの方へ向かった。

「約束通り来てくれたんですね! またお会いできてうれしいです!」

 朱里ちゃんのところに来るなり、私を強く抱きしめた。

「私も、また朱里ちゃんに会えてうれしいわ」

 私も同じように、朱里ちゃんを抱き寄せてあげる。すると、朱里ちゃんは、まんざらでもないような顔をしていた。

「な、ナナさんっ。一つ、お願いしてもいいですか?」

「なーに?」

「頭を、()でてもらってもいいですか?」

 いきなり何を言い出すんだこの子は。

 そんなことを思っていると、朱里ちゃんの体温がまた一段と上がってくた。朱里ちゃんの顔は見えない。だけど、恥ずかしそうに顔を赤くしている様子が頭に浮かぶ。

 そう考えると朱里ちゃんが、また一段とかわいいと感じる。そして気がつくと、私は右手を頭にそっと添えていた。

「え、えっと。こんな感じでいいかしら?」

 私は右手で優しく撫でてあげた。朱里ちゃんは軽くうんうんと頷いて、これでいいということを教えてくれる。それがわかると、私はまた撫で始めた。

 撫でてみてわかったことがある。朱里ちゃんの髪はエーブのかかった癖毛だけど、触ると凄くふわふわしている。

 この感触がとても気持ちいい。そして撫でるごとに、ブラウンの髪が波を立てるように動いてくれる。それが今の私には何よりも美しく見えた。
 
 撫でられている朱里ちゃんも気持ちがいいのか、うっとりとしたしている。すると、

「ナナさんだいしゅきぃ……。もっと、なでてぇ……」

と私を誘うかのように、妖艶な声でぼそっと呟いた。この一言で、私の理性というリミッターのたがが外れた。

 撫でたい! もっと撫でていたい!
 
 撫でれば撫でるほど、いつまでも撫でたくなるような感覚に陥っていく。次第に私たちは、ここがどこなのかさえも忘れてしまいそうだった。

「はーい、ストップストップ」

 美奈さんの一声で、私たちは現実空間に引き戻され、急いで離れた。

「まったく、人前で堂々といちゃついて……。(うらや)ましすぎて嫉妬(しっと)しちゃうよホントっ」

 美奈さんは呆れかえっているようだった。我に返った私は、恥ずかしさで顔から火が出そうになっていた。

「まっ、次から気をつけてね」

 そう言い残して、美奈さんはレジへと戻っていった。それからお互いの間に気まずい雰囲気が漂い、何も話せずにいた。その後しばらくして、沈黙(ちんもく)を破ったのは朱里ちゃんの一言だった。

「怒られちゃいましたね」

 朱里ちゃんが申し訳なさそうに小声で言った。私は、朱里ちゃんをフォローした。だけど、朱里ちゃんの顔は暗いままだ。そうしているうちに、お互いの間にまた、微妙な空気が漂い始めてしまった。

「…………。この件は、これで終わりにしましょう」

「そうね。それがいいわね」

 とりあえず、お互い自分を責めるのを止めることにした。

「けど、久々に人に頭を撫でてもらって凄くうれしかったです」
 
 朱里ちゃんは私に撫でられたところを、自分で撫でていた。その表情からも、撫でられてうれしかったということが十分に伝わってくる。それを見て撫でてあげてよかったなと、実感できた。

「そうね。私も頭を撫でるのは気持ちよかったわ」

「本当ですか!? そう言ってもらえるとうれしいです!」
 
 朱里ちゃんにいつも笑顔が戻ってくる。私もこれで少し安心できた。

「なんでしょう。撫でてもらえた時、小さい頃あの人に撫でてもらった感覚が蘇ってきて、」

「あの人?」

「な、なんでもないです! 気にしないでください! 別の話をしましょっ!」

 不自然なほどに、朱里ちゃんは話を逸らした。あの人のことが気になったけど、詮索をしないことにした。朱里ちゃんにだって、聴かれたくない秘密はあるだろうし。

「前にナナさんに教えてもらったアドバイス。あれを伝えてあげたんですけど、上手くいったって、すっごくよろこんでましたよ!」
 
 朱里ちゃんはまるで自分の事のように、顔を輝かやかせていた。それにつられて、私も頬が緩んでいた。

 私としては、上手くいったということもうれしかった。だけど、朱里ちゃんやその親戚の子に喜んでもらったことの方が、もっとうれしく感じられた。

「本当にナナのお陰です。その親戚の子も、また色々相談したいって言ってくれました。そこで、少し相談したいことがあるんですど……」

 朱里ちゃんは決まりが悪そうな顔をして、目線を私から少し外していた。私はどんな相談をしてくるのだろうかと、身構える。

 だけど、朱里ちゃんは中々言い出さない。居ても立っても居られなくなったので、私の方から聞いてみることにした。

 話を聞くと、どうやら私のアイデアが親戚の子の勘違いで、朱里ちゃんのアイデアということで伝わってしまったらしい。

 それで親戚の子からまた色々と、相談されてしまったそうだ。断ろうと思えば断れたが、ぐいぐいと迫られ結局断れず、相談に乗ってしまったと。もちろん、何も出せるわけがなく、また私にアドバイスを求めていたようだ。

「ごめんなさい! ナナさんのアイデアなのに、私のアイデアみたいにしちゃって。その上また頼ろうなんて。厚かましい、ですよね」

「いやいや、そんなことないわよ。ちゃんとその子のためになったんだし。それに、また頼ってもらえてうれしいわ」
 
 また朱里ちゃんがしょんぼりとしていたので、私は必死にフォローをしてあげた。

「そうは言っても、今回のは前のよりも難しくて……」
 
 それから、朱里ちゃんは詳細を話してくれた。中身をざっくりと言うと、好きな先輩から抱きしめられたい、というものだ。

 確かに難しい。恋人同士ならまだしも、部活でちょっと仲のいい先輩相手では、かなり無理がある。

「確かに、難しいわね」

「ですよね。それに、ここで長時間考えるのもどうかと思いますし……。なので、L○NEとかでやり取りしませんか?」

「あっ、ごめんなさい。L○NEはやってないから、メールでいいかしら?」

 私は嘘を吐いた。本当はL○NEのアカウントは持っている。だけど、このアカウントでやり取りをすれば、間違いなく私の正体がばれてしまう。

 だから、L○NEは使えない。心苦しいけど、そうするしかなかった。

「メール、ですか」

 朱里ちゃんは、首をかしげ悩んでいるようだった。そりゃそうだ。イマドキの女子高生はメールなんて使わない。使わないものでやり取りをするのは、あまり効率的ではない。

 さて、朱里ちゃんはどう返事をするだろうか。断られたらどうしようか。私は、次の手段を考え始めた。

 だけど、朱里ちゃんは私の予想とは違う反応を見せた。

「いいですよ。なんか、特別な感じがするんで、メールでしましょ」

 と言って、スマートフォンを差し出して、メールアドレスを見せた。私は少し面喰ったが、朱里ちゃんのメールアドレス打ち込み、空メールを送った。

「ありがとうね。今、空メール送ったから、登録しておいてね」

「はーい! わかりました!」

 朱里ちゃんはうれしそうに、スマホの画面を見ていた。

 それから、私と朱里ちゃんのメールでのやり取りが始まった。それとともに、学校での付き合い方も、変化し始めていった。
 これほどまでに、誰かを想ったことがあっただろうか。これほどまでに、一人のことを意識したことがあっただろうか。

 目線があっただけで、胸がぎゅっと締め付けられるようなことがあっただろうか。

 メールのやり取りが始まって一ヶ月が過ぎた今日。私はため息を吐きながら、勉強机に突っ伏して考えた。一体どうしてこうなったのだろうかと。

 最初のうちはただ純粋に、メールでのやり取りが楽しかった。相談の内容も軽いものだったから、気軽に答えられたし、なによりも趣味の事とか家での事とかを話すのはとてもおもしろかった。

 その頃は朱里ちゃんとの関係は何の変化もなかった。

 それが二週間くらい前からだろうか。雑談は相変わらず楽しかったけど、相談の内容が少しずつ重いものになってきた。

 私も真剣になって自分ならこうだと考えることが多くなり、私の好みに近い答えばかりになった。

 それでその答えを実験と称して私にやってくるのだ。私は段々と朱里ちゃんを意識するようになっていた。

 そして、一週間前に気づいてしまった。相談というのは建前で、本当は朱里ちゃんが私にアプローチするために、このやり取りをしているのだと。

 それからは、朱里ちゃんの前で平常心を保てなくなった。隣にいるだけで体温が急上昇するし、朱里ちゃんの一挙一動に心臓が高鳴り出す。いつもは真っすぐ見ていた目も、まともに見ることができなくなった。

 私はどうしていいのかわからなくなった。学校ではかっこいい王子様でいないといけないし、朱里ちゃんが見たいのもその私だ。

 でも、朱里ちゃんを前にするとそれができなくなってしまいそうになる。そうなったら、みんなが私から離れていってしまう。そうなるくらいなら、朱里ちゃんから一度離れて冷静になろう。

 そう考えた私は昨日から今に至るまで、朱里ちゃんを意図的に遠ざけた。あまり気は進まなかったし、悪い事をしているのも十分わかってはいた。

 それでも、一度落ち着きたかった。落ち着いて平常心を保てるようになってから、朱里ちゃんとは一緒にいたかった。

 だけど無理だった。距離を置いても、朱里ちゃんのことが頭から離れないし、傍にいないだけで、学校がとても寂しいものに感じてしまう。
 
 そしてなによりも、朱里ちゃんに会いたい気持ちは時間が経つごとに強くっていった。
 
 この二日間で、私が朱里ちゃんに恋をしているのは、はっきりと自覚できた。だけど、本当にこの想いを成就させていいのだろうか。
 
 朱里ちゃんが好きなのは学校での私で、今の私じゃないはずだ。そうでないなら、好きな先輩の設定を学校の私と同じにはしないはずだ。
 
 うぬぼれだけど、学校での私で告白をすれば確実に成功するだろう。間違いなく。
 
 問題はそこから先だ。私と付き合えばいつか必ず私の趣味に、本性に触れることになる。その時に朱里ちゃんのイメージを壊してしまう。
 
 そうなれば、朱里ちゃんは私を見放してしまうだろう。今までの人たちのように。
 
 朱里ちゃんから離れられたら、今の私は絶対に立ち直れない。これは間違いないだろう。今までの関係に戻れば、ばれることはないとは思う。

 だけど、今の私にはそれができない。
 
 私は朱里ちゃんを自分だけの子にしたい。朱里ちゃんが欲しい。そんな想いが、私の頭の中を常にぐるぐると駆け巡っている。
 
 一体どうすればいいのだろうか。私は、ベッドの片隅でうずくまっていた。
 
 それからしばらくして、ブルブルとスマートフォンが震えた。電源をつけて、何の通知なのかを確認してみると、一件メールを受信していた。

 もしやと思い、私はメールボックスを開く。送り主はやっぱり朱里ちゃんだった。
 
 メールが来たうれしさと、どんな内容なのかという不安で手が震える。そのせいで上手く操作できず、中々開くことができなかった。やっとの思いでメールを開くと、こう書かれていた。



“あした十時いつもの店に 絶対に来てください”



 
 私は黙って、わかったと返事を返した。
 
 ここが分岐点になるんだろうな。私の直観が静かにそう語った。





 翌日。私は待ち合わせの二十分前に店に着いた。美奈さんにどうしても相談をしておきたかったからだ。美奈さんが、スパッと何かいい答えをくれるかはわからない。それでも、この悩みを相談しておきたかった。
 
 幸い店には誰もいないようで、美奈さんは退屈そうにレジに座っている。私は決意を決めて、美奈さんに話しかけることにした。

「あの、美奈さん!」

「どうしたのかな? 顔を真っ赤にして」

 美奈さんに言われて、緊張していることに気づいた。わかってしまったせいで、心拍数がぐんぐん上昇していく。そのせいで中々次の言葉が出てこない。

 そんな私を美奈さんはキョトンと見つめている。そのまま時間も過ぎていく。
 
 早く、早く次の言葉を。次の言葉を言わないと。このままじゃ絶対に後悔する。私は唾をのみ込み、お腹の中から言葉を絞り出した。

「そ、相談したいことがあるんですが、いいですか?」

「ほう。相談ね……」

 相談という言葉を聞いて、美奈さんの表情が少し固くなっていた。ちゃんと真剣に聞いてくれるみたいで、少し安心できた。

 そこから私は、現状と私の悩みを話していった。所々たどたどしくはなったけど、上手く伝えられたのではないかと思う。

「なるほど。恋のお悩みねえ」

 美奈さんは考え込むように手を顎に当て、黙り込んだ。しばらくすると、うんうんと頷き顔をあげた。もしかすると、何か答えを出してくれたのかもしれない。

 そんな期待に胸を躍らせながらも、何を言われるのかという不安も少しずつ姿を現してきた。

「話をまとめると、女性同士で付き合うってことに悩んでいるんじゃないんだね」

「はい。そこはわかっていますし、何かされたり言われたりするかもっていう覚悟もできています」

 この答えを聞いて、美奈さんはなぜかクスっと笑っていた。

「それはご立派な覚悟だねえ。でも、そんな覚悟を持つ人間にしては、とてもくだらないことで悩んでいるみたいだね」

 くだらない……? 

 私は怒りに震えた。そのことでずっと苦しみ、悩んできた。それをくだらないの一言で片づけてしまうのが、許せなかった。

「おっと。そんなにらまない、にらまない。こんなこと言われて怒るのは私にだってわかる」

 だったら言わないでよっ! 奥歯を噛んで心の中で叫んだ。

「けどさ、私が朱里ちゃんだったら、今の話を聞いたら絶対に怒ると思うよ」

「朱里ちゃんは関係ないです!」

 語尾が荒々しくなる。今の私には、美奈さん言葉全てに敵意をむき出しにしてしまう。美奈さんはそんなのお構いなしに、涼しい顔を浮かべていた。

「でも君の好きな朱里ちゃんは、自分の理想と違っていたら手のひら返すように態度を変える、最低な人なんだよね。自分がそうされるかもしれないのに、よくそんな人を好きになれたね。びっくりするよ」

 美奈さんはまるで私を馬鹿にするかのようにあざ笑う。それを見た瞬間、私の中で何かがプツンと切れた。

「おっと危ない」

 美奈さんは襲い掛かる私の右手を左手で軽く払いのけると、私を挑発するように、ニヤリと笑っていた。

「こうやって手を出しちゃうってことは、違うって言いたいの?」

「朱里ちゃんは、そんなひどい人じゃない!」

「やっぱりそう思ってるんじゃないか。でも、君の話を聞いてたら、朱里ちゃんはそういう人にしか思えないんだけど。それはどうなの?」

「……っ?!」

 美奈さんの問いかけに、私はハッとさせられた。

「もしかすると、本当に朱里ちゃんはそういう人なのかもしれない。だけど、告白する前から相手をそうやって決めつけていいの? そうやって逃げてどうするの?」

 私はただ黙って下を向いて、美奈さんの言葉を聞くことしかできなかった。

「違うって思ってるんでしょ? だから私をぶとうとしたんでしょ? だったらそう信じて告白してみなよ」

 美奈さんは私の右手を、包み込むように握ってくれた。それはまるで、私に勇気をくれているようだった。

 美奈さんは私に一歩を踏み出して欲しいから、挑発的な行動を取ったんだと思う。それは十分にわかる。だけどまだ、前に進める勇気が湧かなかった。

 それは、怖いからだ。自分がそう信じていても、本当に朱里ちゃんが私の全てを受け入れてくれるかはわからない。そう思うと、どうしても前に踏み出そうと思えなかった。

 そんな私の心の中を悟っているのか、美奈さんは右手を優しく擦りだした。

「私も社会人になるまでは、今の君みたいに自分の趣味とかそういうのを隠してたし、ばれないように振舞っていたもんだ」

 私は驚いた。いつもさばさばしている美奈さんが、私のように悩んでいたなんて、とても信じられなかった。

「まあ信じられないだろう。でも、私もそうやって悩んだ時期があったんだ。それで、高校生の頃かな。好きな同性の子がいたんだ。寝ても覚めてその子のことずっと考えてるくらいにね」

「それで、その人とは……」

 私の問いかけに、美奈さんは静かに首を横に振った。

「その子が好きなのは学校の自分だから、ばれたら振られちゃう。そしたら私は立ち直れないって思って、友達として付き合うことにしたよ。そのおかげで、その子とは今でも大親友だよ。…………だけど、私は今でも、告白しなかったこと後悔しているよ」

 私の手を擦り続けていた手がピタッと止まった。突然のことで何事かと思い、美奈さんを見ると、何とも言えない表情をしていた。

「捨てきれないんだ。今でも好きだって気持ちが。今でも、もし告白できていたらって、考えさせられるくらいに。しかも、その気持ちが時々胸を痛めつけてくるんだ。その子と会った後なんてそれはもう、ひどい痛みだよ。そんなになっても、私は捨てられないし、捨てさせてもらえないんだ」

「なんで、捨てさせてもらえないんですか」

 私の疑問に、美奈さんは乾いた笑い声で答えた。その様子はまるで、自分自身をあざ笑っているかのようだった。

「友達としてって決めた後に色んな人とデートしたり、遊んだりしてみたんだ。男女関係なくね。でも、その人以外本気で好きになれる人ができなかったんだ。ミスコンにいそうな美人さんでも、ドラマで主演やってそうなイケメンでもダメだったし、その人に似てる人でもそうなれなかった。じゃあ、仕事とか趣味で忘れようって思ったけど、それもダメだった。そのせいで、今もその想いを忘れられないんだ」

 そう語った美奈さんからは、後悔と哀しみとあきらめと、とにかく色んな感情が漂っていた。私は何も言えなくなった。それから少し間を空けて、美奈さんが口を開いた。

「動かなきゃ傷つけられる心配はないさ。でも、何もしなかったらしなかったで結局は同じくらい、もしかしたらそれ以上の痛みを負うもんなんだ。それなら動いてみた方が、ダメージは少なくいはずさ。だから、一歩踏み出してきな。逃げて後悔して私みたいになるのは、やめてくれ。もしそれで傷ついたなら、その時は私が癒してあげるさ」

 美奈さんの話が終わると同時に、カランと戸が開く音がした。どうやら、朱里ちゃんが来たようだ。美奈さんはそれを察したかのように、グッと手を握ってくれた。

「さあ、いっておいで」

 美奈さんは優しく微笑んだ。私はためらいも迷いもなく、朱里ちゃんの方へ歩みを進めた。

「頑張ってね、奈々ちゃん」
 
 美奈さんが微かに呟いた言葉は、母親のように優しい声だった。
 朱里ちゃんと会った私は、近くにある公園に移動することにした。移動中は終始無言で、とても重苦しい雰囲気だった。少しすると、公園に着いた。着くなり朱里ちゃんは、

「あそこに座りましょっ」

 と言ったのでベンチに座ることにした。ただ、座ったところで重苦しい雰囲気は変わらず、隣にいるのに、離れた所に座っているような感覚だった。

 さて、どうやって話を切り出そうか。決意は固めた。だけどそれが中々言葉が出ない。朱里ちゃんを見ても何か考え込んでいるようで、口を開く気配がまるでない。

 ならば私から話さないと。だけど口が開かない。話しかけようとしても、その度に喉の奥で詰まってしまうのだ。

 それじゃダメだと、自分自身に何度も言い聞かせる。すると、少しだけ震えながらも口が開いた。よし、この勢いで声を掛けに行こう。

 私は、唾をのみ込み喉の奥に詰まっていた言葉を放った。

「あ、あの」

 ただし、それは不運にも朱里ちゃんの言葉と重なってしまった。そのせいでまた、気まずい感じになってしまった。

「あ、あの、先輩からどうぞ」

 沈黙を破ったのは朱里ちゃんの方だった。朱里ちゃんは、少し申し訳なさそうにしていた。

 さて、朱里ちゃんが譲ってくれたがどうしよう。こういう時、普段なら絶対に譲り返す。

 そうした方が、自分の気持ちが落ち着いて話しやすくなるからだ。けれども、今日はそうしたくなかった。

 なんとなくだけど、譲ってしまったら自分の想いを伝えられない気がしたからだ。

「じゃあ、私から話させてもらうね」

 そう言って息を吸って心を整え、言葉を吐き出した。

「ごめん朱里ちゃん。私、今まで嘘ついてたの」

 これを口火に、ひたすら謝りながら今までの事を洗いざらい話した。

 自分の正体を隠していたことも、学校で自分を演じていることも、実はかわいいものが大好きで、メルヘンチックな女の子だということも、とにかく隠していたことは全て話した。これで朱里ちゃんの心が離れてしまうかもしれない。

 それでも伝えたかった。私を知ってもらったうえで、朱里ちゃんに告白をしたかったからだ。

 私の話が終わると、朱里ちゃんは考える人のような姿勢になった。多分だけど、私の話を聞いてどうしようか考えているはずだ。

 驚いているような表情もリアクションもなかった。それでも、今までの私のイメージが崩れたのは間違いないはずだ。

 だからこうやって考えて、それでも私のことを好きでいられるのかを考えているはずだ。

 もしかすると、ふられたかもしれない。まあ、その時は美奈さんに慰めてもらおう。きっと優しく慰めてくれるだろう。それはそれでしれない。そう思えば気が楽になるだろう。

 そんなことを考えていると、朱里ちゃんが急にクスリと笑った。

 私が心配して声を掛けると、今度は大声で笑い出した。唐突すぎて私は状況がさっぱりつかめない。ある程度笑いが収まると、目を擦りながら、朱里ちゃんは話しだした。

「ごめんなさい。私が正体知ったのを本気で知らなかったって思うと、おかしくておかしくて」

 笑いの余韻を残しながら、朱里ちゃんは震える声で話した。なるほど。私が嫌いになったわけではないらしい。

 私は安心し……。いや、待て。この話を聞く限りだと、朱里ちゃんは私が正体を隠していたことも、こういう趣味だったってことも、全部知っていて、その上で今まで接していたことになる。

 でも、私はばれるような大ポカはしていないはずだ。一体いつ、気付いたんだろう。

「い、いつから正体に気づいてたの?」

「あの店で最初にあった時から気づいてましたよ。変装してても、私の目はごまかせませんよ!」

 私の質問に決め顔で答えてくれた。なるほど、変装は最初から意味をなしていなかったらしい。

 なのに私ときたらそんなことを全く知らずに、変装が上手くいっていると思い込んでいたという、とんでもなく間抜けなことをしていたようだ。

 私は恥ずかしさで、顔から火を噴きだしそうになった。

「別人のフリをしてる先輩、すごくかわいかったですよ。特に店で出くわしたあの日とか。会った瞬間は深刻な顔してたのに、別人でしたって私が言ったら表情がガラって変わったところとか。絶対変装が上手くいってるって、思ってるんだろうなあって感じがして」

「ああああやめて! 言わないで!」

 朱里ちゃんから弄られて、目を背けて手をぶんぶん振りながら大声を出してしまった。

「一昨日と昨日、私の事を無視した罰です。先輩にはとことん恥ずかしがってもらいますよ」

 どうやら朱里ちゃんは、あの事を根に持っていたようだ。それからしばらくの間、朱里ちゃんに恥ずかしさで死んでしまいそうなくらい、たっぷりと仕返しをされた。

「今日はこれくらいにしますけど、今度から絶対に無視しないでくださいね。わかりました?」

 朱里ちゃんはふぅーっと吐いた。

「はい……」

 私は絶対に朱里ちゃんのことは無視しないと、心に固く誓った。

「でも、先輩に嫌われてなくてよかったです。もし、そうだったら立ち直れなかったです」

 そう言った朱里ちゃんの表情からも、安心できたという気持ちが伝わってきた。この時私は感じた。

 今言わないと、自分から告白できないと。間違いなく後悔するだろうと。だから決めた。ここで、自分の想いを朱里ちゃんに伝えよう。

「あ、あのさあ朱里ちゃん」

 意を決して、朱里ちゃんを呼んだ。

「ん? なんですか?」

 朱里ちゃんはこっちを向いた。さあ、あとは自分の想いを言葉に乗せるだけだ。大丈夫。さっき言えたんだ。今度も言えるはずだ。震える心にそう言い聞かせた。

「私、朱里ちゃんのことが好きなんだ」

 その言葉は自分の思っている以上にすんなりと、冷静に出てきた。

「えっ? そ、それはどういう、意味ですか」

「恋人として、だよ」

 私の答えに朱里ちゃんの頬は紅潮する。今までも何度か、こんな表情をしているのを見たことはある。

 でもこの顔は、今まで以上に恋する女の子みたいな雰囲気を醸し出していた。

 喜んでくれるだろうとは思っていた。それでも、ここまでとは思っていなかった。思っていた以上の反応に、私も嬉しくなった。

「最初はやけに私に懐いているかわいい後輩くらいにしか思ってなかった。でも、この一カ月間、こうやって接しているうちに朱里ちゃんが後輩以上の存在になっていって、気づいたら朱里ちゃんのことばっかり考えるようになってた。こんなに誰かの事を想ったことがなかったから、どうしていいのかわからなくなっちゃって……。それで、朱里ちゃんを遠ざけちゃったけど、そのおかげで朱里ちゃんに恋してるってことに気づけたの……」

「先輩……」

「……私は知ってる。朱里ちゃんが本当に好きなのは学校の私なんだってこと。だから、好きな先輩の設定が学校の私だったでしょ?」

 朱里ちゃんは口を貝のように閉じて黙り込む。やっぱり、そうだったらしい。

「やっぱり、そうよね。朱里ちゃんが好きなのは、学校の私の方だよね」

 朱里ちゃんは少し目を伏せたまま何も言わない。

「大丈夫だよ。それでも朱里ちゃんが好きだから。私のこの気持ちは、変わらないから。だから、朱里ちゃんといる時はちゃんと王子様でいるように頑張るし、なんなら今の自分を捨てる。それでも嫌なら私は諦める。だから、朱里ちゃんの答えを聞かせて」

 私はありったけの想いを伝えた。後はどういう答えが返ってくるかだ。心拍数が上がり、胸が締め付けられる。

 もしかしたらダメなのかもしれない。それでも、自分の想いを素直にぶつけられたんだ。後悔はしないだろう。そう考えて、私は心を奮い立たせていた。

「返事をする前に、私の話を聞いてもらえますか?」

 朱里ちゃんが重い口を開けた。私は黙って首を縦に振った。
「実はこの高校に来るまでに二回だけ、先輩に会ったことがあるんです。憶えていますか?」

 衝撃の事実に驚いた。それもそうだ。今まで一度も会ったことないと思っていた人と、実は会ったことがあると言われたのだから。

「ごめん、憶えていない」

 私は馬鹿正直に答えてしまった。これはやっちゃたなあと思った。だけど、朱理ちゃんは落ち込んだり、ため息を吐いてがっかりしたりはしていなかった。むしろ、クスッと笑っていた。

「まあ、そうですよね。憶えてなくていいんです」

 朱理ちゃんはおどけてみせた。

「最初に会ったのは小学六年生の頃でした。友達と遊んだ帰りに自転車ごと電柱にぶつかって、それで倒れたんです。その時は痛みで動けなくて、ずっと立てなくて。だけど、側を通った人はみんな見知らぬ顔で、誰も助けてくれなくて……。このまま死んじゃうのかなあって思ってた時に手当てをしてくれた人が先輩でした。このタオル、見覚えありますよね。無いとは言わせませんよ」

 そう言ってポケットから取り出したのは、少しくたびれた青地のミニタオルだった。私はハッと思い出した。

 あれは、私が昔よく使っていたハンカチだ。誰かにあげたというのは憶えていたが、それが朱理ちゃんだったというのは驚きだ。

「うん。それ、私のだよね」

「そうですよ。この通り! ちゃーんと、裏のタグに名前が書かれていますよ」

 朱理ちゃんは私に見せつけるように、その部分を見せてくれた。確かにこれは私の名前だ。所々滲んでいるが私の書いた字で間違いはない。

 今までこうやって持っていてくれたことに、うれしさを感じられずにはいられなかった。

「これで止血してくれた時のこと、今でも憶えていますよ。凄く一生懸命で、それでいて笑顔で私を励ましてくれてたこと。こんな優しい人がいるんだなあって、すごく感動したんです」

 朱里ちゃんは澄んだ瞳と声で語ってくれた。

「それが初めての出会いです。二回目は憶えていますか?」

「ちょっと待っててね」

 私は頭の中にある記憶のタンスを片っ端から開けて探してみる。思い出すんだ。朱里ちゃんと入学式より前に会った記憶を。記憶を新しいものから順々に引っ張り出していく。

 すると、去年の八月くらいのところで朱里ちゃんらしき顔が浮かび上がってきた。去年の八月で朱里ちゃんと会えそうなイベントは……。なるほど、あの日に違いない。

「それって、体験入学の日のことだよね」

 思い当たるイベントを口に出してみた。すると、朱里ちゃんはそうです、と笑顔で答えてくれた。やっぱりそうだ。そうなれば朱里ちゃんと会ったのは始まる前の時間のことだ。

「確か、道に迷っていたんだっけ?」

 朱里ちゃんは、少し恥ずかしそうにうんと頷いてくれた。そう。この日私は体験入学の手伝いで、門の前で案内と誘導をしていた。朱里ちゃんと会ったのは開始の三分前くらいだった。

 一人おどおどしながら私のところに来て、体育館の場所を聞きに来たのだ。

 それで最初は地図で説明をしてみたけど、場所をイマイチ理解できていなかったみたいだったので、結局一緒に体育館まで行った。これが二回目の朱里ちゃんとの出会いだった。

「そうです! まさか先輩と再会できるなんて思ってもなかったので、めちゃくちゃびっくりしたんですけど、それよりもうれしかったんです。先輩があの時みたいに優しい人のままでいたことが、とても。それで気づいたら先輩のとりこになっていました。だから、本当は別の高校に行くつもりだったんですけど、急遽進路を変えて、この学校に受かるために必死に勉強して、やっとの思いで合格して先輩と一緒になれたわけです」

 普段はふわふわとしている朱里ちゃんだけど、今の朱里ちゃんにはしっかりとした思いのようなものが体いっぱいに詰まっているようだった。

 やっぱり、朱里ちゃんが惚れた私は間違いなく“カッコイイ”私だろう。

 そんな朱里ちゃんにはそぐわない私をさらけ出してしまっているのだ。朱里ちゃんからしたら、さぞがっかりしただろうなととてつもない罪悪感に包まれた。

「先輩? なんで暗い顔をしているんですか?」

「なんか申し訳なくて。今の私はさっきの思い出話のようにカッコよくないし、なんか朱里ちゃんをがっかりさせているような気がして……」

 すると、朱里ちゃんはがっかりしたかのようにため息を吐いた。

「先輩。私、カッコいいって言葉、一言も言ってないですよ」

 私は、はっとした。そうだ。朱里ちゃんはカッコいいと一言も言っていない。なのに私は、そういう自分を求められていると思い込んでしまっていた。

「私が先輩を好きになったのは優しかったからですよ。カッコいいが理由なら、私は先輩の変装に気づいた瞬間に手のひら返したような態度を取ってますよ。それに、私は今の先輩の方が大好きですよ」

 ここまで終始堂々としていた朱里ちゃんが頬をまた赤色にしながら、少し語尾を曇らせた。

「そりゃあ最初は驚きましたよ。なんでここにいるの。なんであんな恰好をしてるのって。でも、会ったり、話をしたりするうちに気づいたんです。このかわいい姿が本当の先輩で、でも私の好きな優しいところは一緒なんだって」

「…………」

「そう思ったら、そんなことどうでもよくなっちゃいましたし、趣味が一緒なんだと思うと、もっと好きになっちゃいました」

 朱里ちゃんがまたにこりと微笑む。その笑顔が私の心を締め付けていた鎖を、粉々に砕いた。それと同時に、目から今までの想いが止めどなく溢れだした。

「先輩。自分を捨てなくてもいいんですよ。先輩はそのままの先輩でいていいんですよ。私はどんな先輩でもずっと側にいますよ。ずっと、先輩を好きでい続けます」

「ありがとう……、朱里ちゃん」

 泣きじゃくる私を、朱里ちゃんはただ優しく抱きしめてくれた。
 あの日から一ヶ月後。私は文化祭のイベントであるミスコンの控え室にいる。本来、出る気は全くなかった。

 理由はイメージが崩れてしまうかもしれないから。男装で出るならまだしも、ドレスとかかわいい系の衣装で出れば確実に崩壊してしまう。

 朱里ちゃんなら受け入れてくれるけど、他の学校のみんなはそうじゃないかもしれない。それが嫌だから出ないと、朱里ちゃんに伝えた。

 すると、朱里ちゃんはひどく興奮しながらだったら先輩のかわいさをみんなに教えてやるまでです、と勝手に参加させた上に、衣装まで用意されたのだ。

 しかも、ご丁寧に私が好きそうな、薄いピンク色を基調にした、フリフリがたくさんあしらっている甘ロリな衣装を。

 断ろうとはした。しかし、私が出るという話はすぐに学校中に広まっていたので、引くに引けず、出ることになった。

 それで、今は朱里ちゃんが選んでくれた衣装を着て、ステージの側にある控え室で待機をしている。

「ね、ねえ朱里ちゃん。本当に大丈夫かな……」

 不安と恐怖で、身体中がガタガタと凍えているかのように震える。勝手に決められたとはいえ出ると決めた以上、やらないといけない。でも、怖い。

 みんなは、この衣装を着ていること知らない。もしも、みんなのイメージを崩してしまったら、どうしよう。

 そんなことを考えていると、朱里ちゃんはポンポンと軽く背中を叩いてくれた。

「大丈夫ですって。先輩のかわいさならきっと、みんな夢中になりますよ!」

 震える私を、朱里ちゃんは飛びっきりの笑顔で後押しをする。

 そうだ。私には朱里ちゃんがいる。みんなにそっぽ向かれても、朱里ちゃんは絶対に私を見ていてくれる。

 私は覚悟を決めた。

「奈々さーん、出番です。そろそろお願いします!」

 係員の声が聞こえた。

「行ってくるね。朱里ちゃん」

 朱里ちゃんに笑顔で答え、控え室のドアをひらいた。

 暗幕の裏を進んでステージに出るため、観客の様子はわからない。ただ、大音量の音楽にも負けないくらい悲鳴のような歓声が聞こえる。相当期待されているようだ。

 心の隙間から、また恐怖の感情が顔をのぞかせる。いけない。朱里ちゃんに背中を押してもらったんだ。大きく深呼吸をして、笑顔を作る。

 よし、行こう。

 私はステージへと足を踏み出した。

 その瞬間、歓声が一瞬ピタリと止んだ。

 あ、終わった。そう思った瞬間。

「キャーッ‼︎ かわいいーっ‼︎」

「こっち向いてせんぱーいっ‼︎」

「奈々様ーっ! かわいいですよー‼︎」

「世界一かわいいよー!」

 歓声が再びドッと湧き上がる。それはさっきよりも大きく、身体中が歓声でビリビリと痺れるほどだった。

 よかった。みんな喜んでくれて。

 ほっと、一安心した私はそのまま用意されている椅子に座った。それから、出演者が全員ステージに登場すると、いよいよトークタイムに入った。

 トークタイムでは出演者毎に、司会役の人と簡単にトークをする。私の順番は最後だ。順番を待つ間、どういうことを聞かれるのかを想像しながら、話を聞いてきた。

「では、最後に藤井奈々さん。お願いします」

 司会の人がそう言うと、マイクが手元に回ってきた。マイクを手に取り、どうもと一声挨拶をした。

「いやーっ、奈々さん。予想外の衣装でびっくりしましたよー!」

 早速、衣装について言及された。

「そうですよね。似合って、ました?」

 私が恥ずかしそうに問いかけると、笑顔で答えてくれた。

「めちゃくちゃ似合ってましたよ! 会場の皆さんもそう思いましたよね?」

 司会が会場にマイクを向ける。

「似合ってましたよーっ!」

「かわいかったですよー!」

 またさっきのように、客席から歓声が湧き上がった。私はうれしくて、頬が熱くなった。

「会場の皆さんも私と同じみたいですね」

「あ、ありがとうございます」

 私は軽くお辞儀をした。司会は私が頭を下げ終わると、話を続けた。

「しかし、奈々さん。こういう服とか好きなんですか?」

 いきなり、とんでもない質問が飛んできた。まさか、聞かれるとは思ってなかった。

 私は嘘をつこうと考えた。そうすれば、これはギャップを狙って選んだと言うことになるだろう。そうすれば、普段のイメージは傷がつかないだろう。

 そう答えようとした一瞬。朱里ちゃんのことが目に浮かんだ。もし、ここ嘘をついたら朱里ちゃんはどういう表情をするだろうか。きっと、がっかりしているだろう。

 私の嘘のせいで、好きな人の顔が曇ってしまう。そんなのは嫌だ。

「はい。こういう服、実は好きですし、かわいい人形とか、そういのも好きなので、この衣装を後輩の子から渡された時、嬉しかったですね」

 私は堂々と胸を張って答えた。いいんだ。これで。何が返ってくるかはわからない。でも、いいんだ。私は唾を飲んだ。

「へぇー、意外ですね」

 やっぱり、そういう答えが返ってきた。

「そうですよね……。おかしい、ですよね……」

 私は語尾を濁らせた。これで、今までのイメージはなくなった。きっと周りも離れてしまうだろう。私は覚悟を決めた。

「いえいえっ! 全然そんなことないですよ! 好きなものは好きでいいじゃないですか。それをどうこう言う人がおかしいんすよ。皆さんも、そう思いますよね」

 司会がマイクを観客に向けると、

「そうですよ奈々さん!」

「おかしくないですよ!」

 同じように肯定してくれる言葉が次々と飛んできた。

「会場のみなさんも、おんなじこと、思ってますよ。それに、奈々さんのこともっと好きになりましたよ。かっこいいだけの人かなって思ってたんですけど、こうかわいい一面もあって、それがまたいいなあって感じて」

「私もですよー!」

「わたしもですー!」

 この会場のみんなが、この私を認めてくれていた。そうか、私は今までイメージ通りにならなきゃいけないって、思い込みすぎてたんだ。

 こうやって、受け入れてくれる人はいっぱいいるじゃないか。なのに、一度失敗して、いじめられたから、それを隠して自分を偽って生きるなんて。そっちの方が、間違ってたんだ。

 私は私の好きを出していいんだ。

 朱里ちゃんも、それが言いたかったからミスコンに出したんだ。

 そうか。よかったんだ。

 私の目の奥から、堪えられないほどの想いが溢れ出した。

「な、奈々さん⁈」

「ごめんなさい。みんなのイメージ壊して、申し訳ないなって思ってたから、そう言ってもらえたのが、うれしくて……」

「いいんですよ。イメージを守ろうとしなくても。これからは、そんなものに縛られないで、奈々さんを出してください。それでいいんです」

 司会は私のそばに駆け寄り、やさしく私の背中をさすってくれた。私は、この後しばらく涙を止めることができなかった。