ピンポーン、ピンポーン。
夜中に響き渡るインターホン。お父さんはまだ帰って来ていないし、お母さんはバニラの散歩に行っている。
昼間の散歩であずきを見てから、私はバニラを連れて関屋くんに会うのが怖かった。今日の日中まで、あんなにニヤけてはしゃいでいたのに。
また関屋くんが分からなくなった。
今回も、転校の時のように何か理由があるんじゃないか、とは思う。でも、わざわざ他所の家の犬を散歩する? しかも、こんな夜に。
あずきの本当の飼い主さん、別に散歩ができないようには感じなかった。吠えているあずきを止めに、庭に出ようとしたんだから。
ピンポーン、ピンポーン。
「誰?」
時計を見ると、十一時を回っている。こんな時間にインターホンを鳴らすなんて、常識を疑う。出ない方がいい。
ピンポーン、ピンポーン。
それでも、執拗に鳴る。
思わずもしかして、と脳裏に浮かぶ人物の名前を呟いた。
「関屋、くん……?」
私は立ち上がり、部屋を出た。
***
「良かった。出てくれて」
私が向ける嫌悪の眼差しよりも、安堵の方が勝っていたのか、関屋くんの第一声はこうだった。
だから思わず冷めた声で尋ねた。
「あずきは? 一緒じゃないんだね」
案の定、硬い表情になる関屋くん。けれど、私は手を止めなかった。いや、止められなかった。
多分、転校の件を秘密にされていた前科がなければ、まだ我慢できたんだと思う。またやられた、という被害者意識が、私を暴走させたのだ。
「人様の家の犬を、長時間、散歩させることはできないから、でしょ?」
「こ、児玉……」
何で知っているんだ、という声なき声を聞いたような気がした。
「偶々歩いていたら、あずきが私に気づいて、嬉しそうに吠えたの。バニラのことが好きだからね、あずきは。だから飼い主の私に、自己アピールをしたんだと思う」
ここにいるからバニラを連れて来て、という感じだろうか。
「あずきがバニラに興味を持ったのは、俺が原因なんだ」
「え?」
「嘘っぽいかもしれないけど、あの春日井さんちは伯母さんの家で。小遣い稼ぎで、あずきの散歩をしているんだ、今も」
嘘、と言いかけた言葉を、グッと飲み込んだ。そんな都合のいい話なんて、信じられなかったからだ。
「中学の時、伯母さんの家から塾に通っていて。帰る前に気晴らしで、あずきの散歩をしていたんだ。そこで、あずきがバニラを好きになって、俺も……」
「待って待って! その話だと私たち、中学の時に会っているってこと?」
「うん。児玉は覚えていなかったみたいだけど。一学期で隣の席になった時、それとなく話題に出しても、全く気づかないほどだったから」
「嘘!」
関屋くんを、私が!? 気づかなかった!? あり得ない!
「本当だよ。だから、転校のことも黙っていた」
「それは……ごめんなさい。バニラの散歩をしている時って、誰々のお姉さん、とか。誰々ちゃんのお父さん、とか。そういう認識だったから」
「だったら、あずきの名前で分かるはずだと思うけど」
「関屋くん。ペット飼ったこと、ないでしょう。あずきの名前は、人気の名前に似ているんだよ。ムギとか杏とか」
自慢気に言って見せたが、明らかにどこが? という顔をされてしまった。
「つまり、あずきも俺も印象になかったってことか。バニラも俺に反応してくれなかったし」
「……ごめんなさい」
ここにバニラがいたら、一緒に謝っていたかも。いや、バニラを盾に顔を隠していたかもしれない。
だって、関屋くんが拗ねるくらい、私のこと……!
「それくらい好きなんだ」
「っ!」
「ちょっとストーカーみたいで、気持ち悪く思われるかもしれないけど」
「そんなこと、思っていないよ。転校のこととか、あずきの本当の飼い主じゃなかったこととか、秘密にされていたのは嫌だったけど」
一応、関屋くんの中では筋が通っている話だったみたいだし。
忘れている私も悪いわけだから……。
「でも、それは私も関屋くんを好きだから怒ったの。これだけは、私も分かってほしい」
「うん。分かったから、もう一回言ってほしい」
「え?」
「何の? とか、野暮なこと言わないよね」
もう間違えんなよ、という副音声が聞こえるような気がした。
「うん。その……関屋くんが好きです」
「俺も児玉が好き」
玄関先で、上着も羽織っていないのに、私の体は蒸気が出るほど熱かった。
関屋くんの笑顔を見るのが嬉しくて。私も笑顔を向けると抱き締められた。
これから遠距離恋愛をすることを、微塵も感じないほど私は幸せな気持ちでいっぱいになった。
***
後日。二学期が終わって、遠距離恋愛が始まる、と思っていたのは私だけだった。
いつも通りバニラの散歩に出ると、何故か関屋くんがあずきを連れて、待ち合わせ場所にいたのだ。
元々待ち合わせ場所は、バニラの散歩コースに入っていたため、意図しなくても立ち寄ってしまう。
「あの時、ちゃんと言ったよ。『俺は、この散歩を辞めるつもりはないから!』って」
「でも、引っ越したんだよね。転校の手続きだって終わったって、聞いたけど」
クラスの人気者である関屋くんの一挙手一投足は、すぐに教室内に広まる。耳に入れなくても、勝手に入ってくる仕様だった。
「うん。バイト禁止な学校だからさ、このまま伯母さんのところで、小遣い稼ぎさせてもらうことにしたんだ。あずきも喜ぶし、俺も児玉に会えるから」
関屋くんの言う通り、前を歩くあずきはバニラにベッタリだ。バニラは、というと、あずきに対して見向きもしていない。仲良くはしているけれど、あずきの万年片思いなのだ。
「……毎日こっちまで来るのは、大丈夫なの?」
「学校帰りに伯母さんちに行って、そのまま飯食わせてもらえるから。駅までは、伯母さんが伯父さんを迎えに行く車に乗せてもらえるし。実際はそんなに負担じゃないんだ。普通にバイトをするよりか、ずっと高待遇の扱いだしね。まぁ、賃金は身内だからかなり安いけど、ないよりかはマシだから」
口実を作って会いに来てくれるのは嬉しいけど……。
「無理しないでね」
「それはこっちのセリフ。結局、部活のことはどうしたの?」
「えっと……関屋くんのことで、すっかり頭から抜け落ちていたよ」
吹奏楽の大会は夏だからか、今の時期は熱も冷めて、日常を取り戻していた。
代わりに来年の春頃開催される、定期演奏会や、卒業式。あとは地域の催し物に出る、などといった行事が控えている。
そこについては音を外しても、先生からは大きく怒られない。部員たちからも睨まれない。皆、楽しく、といった本来の姿に戻っていた。
あれが夏限定なら、辞めるのは時期尚早かもしれない。まだ二年もあるんだから、もう少しだけ考えてみることにしたのだ。
「それは……喜んでいい、ところ、なのかな」
「え? 何で?」
「だって、俺のことばっかり考えてくれていたわけだろう?」
「っ!」
そんなつもりで言ったわけじゃないのにーーー!!
関屋くんの照れた姿に、私は何も言えなくなってしまった。
夜中に響き渡るインターホン。お父さんはまだ帰って来ていないし、お母さんはバニラの散歩に行っている。
昼間の散歩であずきを見てから、私はバニラを連れて関屋くんに会うのが怖かった。今日の日中まで、あんなにニヤけてはしゃいでいたのに。
また関屋くんが分からなくなった。
今回も、転校の時のように何か理由があるんじゃないか、とは思う。でも、わざわざ他所の家の犬を散歩する? しかも、こんな夜に。
あずきの本当の飼い主さん、別に散歩ができないようには感じなかった。吠えているあずきを止めに、庭に出ようとしたんだから。
ピンポーン、ピンポーン。
「誰?」
時計を見ると、十一時を回っている。こんな時間にインターホンを鳴らすなんて、常識を疑う。出ない方がいい。
ピンポーン、ピンポーン。
それでも、執拗に鳴る。
思わずもしかして、と脳裏に浮かぶ人物の名前を呟いた。
「関屋、くん……?」
私は立ち上がり、部屋を出た。
***
「良かった。出てくれて」
私が向ける嫌悪の眼差しよりも、安堵の方が勝っていたのか、関屋くんの第一声はこうだった。
だから思わず冷めた声で尋ねた。
「あずきは? 一緒じゃないんだね」
案の定、硬い表情になる関屋くん。けれど、私は手を止めなかった。いや、止められなかった。
多分、転校の件を秘密にされていた前科がなければ、まだ我慢できたんだと思う。またやられた、という被害者意識が、私を暴走させたのだ。
「人様の家の犬を、長時間、散歩させることはできないから、でしょ?」
「こ、児玉……」
何で知っているんだ、という声なき声を聞いたような気がした。
「偶々歩いていたら、あずきが私に気づいて、嬉しそうに吠えたの。バニラのことが好きだからね、あずきは。だから飼い主の私に、自己アピールをしたんだと思う」
ここにいるからバニラを連れて来て、という感じだろうか。
「あずきがバニラに興味を持ったのは、俺が原因なんだ」
「え?」
「嘘っぽいかもしれないけど、あの春日井さんちは伯母さんの家で。小遣い稼ぎで、あずきの散歩をしているんだ、今も」
嘘、と言いかけた言葉を、グッと飲み込んだ。そんな都合のいい話なんて、信じられなかったからだ。
「中学の時、伯母さんの家から塾に通っていて。帰る前に気晴らしで、あずきの散歩をしていたんだ。そこで、あずきがバニラを好きになって、俺も……」
「待って待って! その話だと私たち、中学の時に会っているってこと?」
「うん。児玉は覚えていなかったみたいだけど。一学期で隣の席になった時、それとなく話題に出しても、全く気づかないほどだったから」
「嘘!」
関屋くんを、私が!? 気づかなかった!? あり得ない!
「本当だよ。だから、転校のことも黙っていた」
「それは……ごめんなさい。バニラの散歩をしている時って、誰々のお姉さん、とか。誰々ちゃんのお父さん、とか。そういう認識だったから」
「だったら、あずきの名前で分かるはずだと思うけど」
「関屋くん。ペット飼ったこと、ないでしょう。あずきの名前は、人気の名前に似ているんだよ。ムギとか杏とか」
自慢気に言って見せたが、明らかにどこが? という顔をされてしまった。
「つまり、あずきも俺も印象になかったってことか。バニラも俺に反応してくれなかったし」
「……ごめんなさい」
ここにバニラがいたら、一緒に謝っていたかも。いや、バニラを盾に顔を隠していたかもしれない。
だって、関屋くんが拗ねるくらい、私のこと……!
「それくらい好きなんだ」
「っ!」
「ちょっとストーカーみたいで、気持ち悪く思われるかもしれないけど」
「そんなこと、思っていないよ。転校のこととか、あずきの本当の飼い主じゃなかったこととか、秘密にされていたのは嫌だったけど」
一応、関屋くんの中では筋が通っている話だったみたいだし。
忘れている私も悪いわけだから……。
「でも、それは私も関屋くんを好きだから怒ったの。これだけは、私も分かってほしい」
「うん。分かったから、もう一回言ってほしい」
「え?」
「何の? とか、野暮なこと言わないよね」
もう間違えんなよ、という副音声が聞こえるような気がした。
「うん。その……関屋くんが好きです」
「俺も児玉が好き」
玄関先で、上着も羽織っていないのに、私の体は蒸気が出るほど熱かった。
関屋くんの笑顔を見るのが嬉しくて。私も笑顔を向けると抱き締められた。
これから遠距離恋愛をすることを、微塵も感じないほど私は幸せな気持ちでいっぱいになった。
***
後日。二学期が終わって、遠距離恋愛が始まる、と思っていたのは私だけだった。
いつも通りバニラの散歩に出ると、何故か関屋くんがあずきを連れて、待ち合わせ場所にいたのだ。
元々待ち合わせ場所は、バニラの散歩コースに入っていたため、意図しなくても立ち寄ってしまう。
「あの時、ちゃんと言ったよ。『俺は、この散歩を辞めるつもりはないから!』って」
「でも、引っ越したんだよね。転校の手続きだって終わったって、聞いたけど」
クラスの人気者である関屋くんの一挙手一投足は、すぐに教室内に広まる。耳に入れなくても、勝手に入ってくる仕様だった。
「うん。バイト禁止な学校だからさ、このまま伯母さんのところで、小遣い稼ぎさせてもらうことにしたんだ。あずきも喜ぶし、俺も児玉に会えるから」
関屋くんの言う通り、前を歩くあずきはバニラにベッタリだ。バニラは、というと、あずきに対して見向きもしていない。仲良くはしているけれど、あずきの万年片思いなのだ。
「……毎日こっちまで来るのは、大丈夫なの?」
「学校帰りに伯母さんちに行って、そのまま飯食わせてもらえるから。駅までは、伯母さんが伯父さんを迎えに行く車に乗せてもらえるし。実際はそんなに負担じゃないんだ。普通にバイトをするよりか、ずっと高待遇の扱いだしね。まぁ、賃金は身内だからかなり安いけど、ないよりかはマシだから」
口実を作って会いに来てくれるのは嬉しいけど……。
「無理しないでね」
「それはこっちのセリフ。結局、部活のことはどうしたの?」
「えっと……関屋くんのことで、すっかり頭から抜け落ちていたよ」
吹奏楽の大会は夏だからか、今の時期は熱も冷めて、日常を取り戻していた。
代わりに来年の春頃開催される、定期演奏会や、卒業式。あとは地域の催し物に出る、などといった行事が控えている。
そこについては音を外しても、先生からは大きく怒られない。部員たちからも睨まれない。皆、楽しく、といった本来の姿に戻っていた。
あれが夏限定なら、辞めるのは時期尚早かもしれない。まだ二年もあるんだから、もう少しだけ考えてみることにしたのだ。
「それは……喜んでいい、ところ、なのかな」
「え? 何で?」
「だって、俺のことばっかり考えてくれていたわけだろう?」
「っ!」
そんなつもりで言ったわけじゃないのにーーー!!
関屋くんの照れた姿に、私は何も言えなくなってしまった。