「あんまり入れ込みすぎないようにね」
浴衣を着つけてもらっているとき、お母さんは暗い顔で言った。
なんのことかは考えなくてももう頭に浮かんでいた。唯空のことだ。
どう返事をしたらいいかわからなくて、聞こえていないふりをした。そしたら、お母さんもそれ以上なにか言ってくることはなかった。
「おまたせ」
家が隣なのに待ち合わせをするのは、唯空の希望だった。
赤い鳥居の前で、紺色の浴衣を着た唯空と約束の十七時の十分前に落ち合う。
「さっき来たところだよ」
そう、横に並んで神社の境内へと足を進める。
毎年八月中旬に行われるこのお祭りに来たら、いつも夏休みはあと半分だと帰り道に心が少し重くなる。きっと今日は、いつもよりもずっしりとその重みを感じることになる。
唯空と来られる夏祭りは、これで最後かもしれないのだから。
「何食べる?」
声を張って会話をする。いつものトーンで話していると、周りの人の声でかき消されてしまう。
「焼きそばかなぁ」
きょろきょろ周りの屋台を見て、考える様子もなく答えた。
並んで手に入れた焼きそばと、同じ屋台で売っていたたこ焼きを一つずつ。ちょうど空いた白い仮設ベンチに腰掛けて、膝の上にほかほかのプラスチックパックを取り出す。
「昔から変わらないね」
「そうか?」
焼きそばをすすりながら、こちらを見る。幸せそうだ。
「うん。昔もお祭り来たらいつも焼きそば食べてた」
小学生の頃も、中学生の頃も。一応出店している屋台は見るけど、王道の焼きそばを選んでいる。
「家で食べるよりも美味いじゃん。屋台の焼きそば」
「確かに」
「にんじん入ってないし」
にんじんが嫌いなのは相変わらずで、給食のカレーに入っていたにんじんを唯空の分まで食べたことを思い出した。
「ちょっと豪華だしね」
「そうそう。僕の家、豚バラじゃなくてベーコンだったし」
「うちはウインナーの輪切り」
「知ってる」
家庭の味ももちろん美味しいけど、雰囲気も服装も、うるさいくらいの話し声も提灯の明かりだけに頼るぼんやりと薄暗いところも。全てが調味料に変わるのがお祭り。
前に来たとき、唯空が言っていた。
「ねぇ唯空」
呼んでみたはいいものの、何を言おうか悩んでしまった。話したいことはほとんど毎日会っているのに、まだまだたくさんあった。
「ん?」
「えと、あのね」
「うん」
微笑みながらも真剣な顔で頷いてくれる。
そうだ。一番話さないといけないことがある。唯空に伝えないといけないこと。
「私、やっぱりシンガーソングライター目指すことにした」
「ほんと?」
「ほんとだよ。だから、ずっと私の声、聴いててくれる?」
病院でも家でもいい。嫌だけど、もちろん世界一嫌だけど、最悪の場合、空の上でも。
「もちろん。約束する。じゃあ僕も、全力で協力するから」
そう言ったあと、ボソッと口にした小さなつぶやきは、ちょうど始まった花火の音でかき消されてしまった。
「何か言った?」
「ううん。花火、綺麗だな」
ちょうど後ろを振り向くと、色とりどりの花が夜空に咲き、消えていく。そこにいたという印の煙と火薬の匂いだけ、その場に残して。
なんだか人が生まれ、死んでいくみたいだ。それが余命宣告をされた唯空と重なってしまって、鼻がツンとして、頬を水が流れる感覚がした。
まっすぐ花火を見ているその綺麗な横顔を見られるのは、今日で最後かもしれない。屋台のご飯を一緒に食べるのも、浴衣を着て隣を歩けるのも。
もう、また来年も一緒に来よう、と指切りはできないかもしれない。
そう思うと、早く止めたくても、どれだけ拭っても、洪水のように溢れてくる。
「うぇっ?ちょ、え?どうした?」
戸惑いながら浴衣の袖で私の目元を優しく拭ってくれる。
「どうした?花火嫌いになった?」
その質問に首を振ると、右手で涙を拭って、左手を私の右肩に添えて詰まっている距離を更に縮めた。
「ぎゅってして……?」
心配そうな目で私のことを見つめる唯空に、気づいたころには既にそう口にしていた。
唯空は驚いた顔をして、私も自分の発言に驚いてピタッと涙は止まった。
「ごめん。ごめん、変なこと言った……」
全て言い終わるころには、左肩を寄せられ、唯空の両手は私の背に周り、すぐ右には唯空の頬があった。
心臓が早鐘を打っていた。顔は熱くて、でも心地いい。
「どうしたの?」
ヒュルルルル、ドーン、と花火が上がり、「おぉー」とそれを見ている人の声が聞こえる。
「ごめん。……久しぶりに唯空と花火見たから、綺麗すぎて」
「なにそれ」
笑いの混ざった涙声が耳元で聞こえる。回された腕の力が強くなる。花火と花火の音の間に、ズズっと鼻をすする音も聞こえた。
肩に落ちた唯空の涙の温かさで、私も涙がぶり返して、唯空と見られる最後の花火は、最初の一発目を見ただけで、あとは抱き合って泣いて終わってしまった。