もうすぐ日付が変わる。
こんな真夜中に高校生の私が外に出ていいわけがない。
それも、こんな真っ暗な海に寒い中、たった一人で。
私は、小さい頃から心が弱い。小さなことを言われただけでも心が大きく傷つく。普通の人より何倍も、何十倍も心が過剰に反応してしまうのだ。
「そんなこともできないの?」「ちょっとムカつく」こういうような言葉を言われたとしても気にせず流せばいいだろう。でも、私には流すことができず、直接心の奥にその痛い言葉が侵入してくるのだ。
そんな私は、クラスの男子たちからいじめのようなものにあっている。もちろん男子全員からいじめられてるわけではない。それに、いじめている側もそのような意図はたぶんないんだろう。だからあえて”いじめのようなもの”と表現したのだ。そう、私が過剰に感じてしまっているだけだろう。もしかしたら、やめてほしいとはっきり言えばやめてくれるかもしれない。でも、心の弱い私にはもちろんそんなことはできない。
もし、今が夜じゃなかったら海に向かってこう叫んでいただろう。
――私の心が強ければ。
と。
きっと私の心が強ければ、いじめのようなものにあうこともなかったはずなのに。そしたらクラスの端っこの狭い所にいる必要もなかったのに。もっと堂々とすることができていたのに。1年生の時、同じクラスだった子が今の姿を見たらきっと驚くんじゃないだろうか。
この時間に出て海まできた理由は正直言ってわからない。だから、もう帰ろう。
その時に私のポケットの中から音がした。スマホの着信音だ。珍しい。それも、こんな真夜中に。
私がスマホを開くと、誰かからメールが来ていた。そのメールはちょうど日付が変わる前の午後11時59分に来ていたみたいだ。早速そのメールを読む。
――10日後、君に『好き』だと告白します。By君と同じクラスの誰か
えっ。
好き……?
告白……?
告白します……?
これってつまり――告白予告!?
私は考えもしなかった急な展開に頭が追いつかず、思わず思考が止まってしまう。このまま何かしたら、心臓が飛び出てしまいそうだ。いつも通り何も逆らうことなく時間が進んでいくものだとばかり思っていた。私の今見た景色は間違いなんじゃないだろうかと思い、何度も何度も目でその文を追うも、その文字が変わる気配は全くない。むしろ、告白という文字が私を取り囲む。
じゃあ、今、私のいる場所は夢の世界なんじゃないだろうかとも思ったけれど、顔を少しひっぱたくと痛みは当然かのように感じるし、吹きつけてくる海風もちゃんと感じている……ここは現実世界で間違いないだろう。
いや、でも、ちょっと待って、待って……。
こんな私なんかを好きになるなんて本気なんだろうか。
クラスの男子に嫌われているであろう私が。
ただ、同じクラスの誰かとしか書かれておらず様々なところを探したが、名前はどこにも書いていなかった。メールアドレスも聞いたことはない。
――送り主は、誰?
春休みが終わってしまった。また、憂鬱な日々が始まる。せめて、3年生に上がる際にクラス替えがあればまだよかったのに。できるだけ、石ころのように目立たないようにしていかないといけない。でも、本当にあのメールの送り主は誰なんだろう。告白なんてされたことなかったから私は正直言えば春休みの間、あのことで頭がいっぱいだったし、数日経った今でもそのことが大半を占めている。なにか、今日、わかるだろうか。
本当はサボりたかったけれど、そういうわけにもいかず私は通学のために使っているバスに乗る。
「あ、紫莉ー?」
――えっ!?
「……! あー、明佳、か……」
「3年生でもよろしく」
「あっ、うん」
私はどうやらぼーとしていたらしく、その声に過剰に反応してしまったので、相手まで驚かせてしまったようだ。声をかけてきたのはこ3年間同じクラスで仲のいい友達の明佳だった。目の前にいるのは明佳だと認識したはずなのに、まだ視界に少し白い靄がかかっている。そうだ、明佳も同じバスで通学してるんだった。
「ん? その感じはどうやら違う人が声をかけてきたと思ったのかな? 誰だと思ったの? かなりビビってたけど……。まあそんなこといいや」
「……あ、ごめんなさい!」
次のごめんなさいについては、明佳に対してではない。今到着したバス停から乗ってきたおばあさんに対してだ。私がふと辺りを見回した時、近くに座れなくて困っている様子のおばあさんがいるのに気づいたので、ここは優先席ではなかったけれど、席を譲ることにした。駅から乗ったときにはぽつぽつと座席が空いていたのに、もう今は全て席が埋まっており、明佳のように立っている人も多くいる。
「いいえ、どうもお気遣いありがとう。お言葉に甘えて座らせてもらうね」
私が席をどくと、おばあさんがそのスペースに座った。
「いえいえ。すみませんすぐに気付けなくて」
「いいのよ。むしろありがとうね」
おばあさんのニッコリと優しく包んでくれるような笑顔が温かい。
「あれ、お嬢ちゃん、なにか落ちたよ。これは……しおりかな? よいしょっ」
私は席を譲った際に、本に挟んでいた動物の描かれたしおりを落としてしまったらしく、それをおばあさんが前かがみになってひょいっと拾ってくれた。私はそれをありがとうございますとお礼を言いながら受け取る。本好きの私にとってそれはお気に入りのしおりだったからおばあさんが気づいてくれて少しほっとした。
「いいえ。小さいけど、席を譲ってくれたお礼」
確かに、さっきと立場が逆転している。おばあさんの言う通り、今のはおばあさんからの小さなお礼なのかもしれない。私はさっきまではぼーとしていたけれど、私はおばあさんに拾ってもらったしおりをしっかりとカバンの中に入れてから、今度はスマホに入れてある勉強アプリをやった。
ただ、次のバス停に着いた瞬間、何か視線を感じた。チクチクする。でも、周りを見渡すと人が乗ったり降りていくだけで特に変化は見られなかった。
何なんだろう。一体、何を感じたんだろう。
今、複雑な、色々な色の絵の具を混ぜた……そんな気持ちだ。この感情にどんな名前をつければいいのかもわからない。
窓から見える景色は、西側は雲が多めで今にも雨が降りそうなどんよりとした天気なのに、東側は夏の太陽がジリジリと照らしていた。
3年生になったけれど、特別なんだということもない。ただ、私は自分の席でスマホをいじっているか、たまに女子が話しかけてくれるのでそれにのっているだけだ。窓側に男子たちが集まって何やら楽しそうに談笑していた。私が一瞬そっちの方を向いた瞬間、男子の一人と目があってしまったので、すぐに目を背ける。
でも、その男子と目があったのは今日初めてではない。さっきも廊下で目があり、
『邪魔』
と言われたのだ。私はもちろん何も言い返せなかった。
だから私にはちゃんと聞こえてるわけじゃないけど、今目があった男子にまた悪口なようなものを言われてるんじゃないだろうか。ただ、明佳もそこにいたので、そういうような話はしてないんだろう。私がいじめのようなものを受けていると知っている友達はいない。
「おー、紫莉、3年生でもよろしくなー」
「俺ともよろしく。桜、今年もきれいに咲いたよなー」
男子の声だ。こんな私にも話しかけてくれる男子がいる。それが、駿汰くんと、天飛くん。この二人は決して私をバカにしたりしない心が温かく優しい人だ。
「そうだね、桜、今年もきれいだね」
私は相槌を打つために共感したけれど、本当のことをいうと、心が汚れているからか桜自体は綺麗なんだろうけど、私にはそう見ることが出来ないのだ。
「……ん? どうかした?」
「あ、なんでもない」
私はわざとらしくごまかす。一瞬、こう考えてしまったのだ。
――もしかしたら、告白予告をしたのはこの二人のうちのどっちかだろうか。
と。
でも、この二人ではない気がする。この二人は爽やかイケメンだし、毎回体育で活躍するほど運動神経もいいし、何といっても優しい。私と真反対だ。だから、こんな私を好きになるはずがないし、好きになったら逆に困る。でも、もしかしたらそうかもしれないと思い、二人にこう聞いてみる。
「二人ってさ、春休み中、メールとか使った?」
「メール? ラインしか使ってないな」
「俺もー」
私の変な質問に対して、駿汰くん、天飛くんの順に答えてくれた。それも即答だったし、表情も一切変わらなかった。じゃあ、もしかしたら私をいじめてるような人の中の誰か、なんだろうか。実は……的な。そんなのはないか。
「そうだよね、今の時代はあまり使わないよね。ありがとう!」
たぶん、2人はなんで私がこんな質問をしたのか少し疑問に思っているだろう。でも、2人はお安いご用さとでも言うかのように「おぅ」と反応した。ただ、駿汰くんは「おぅ」とやった時、手を挙げたのだけど、腕を軽くひねったらしく私と天飛くんは思わず苦笑いしてしまった。
「暑っ……」
朝はちょうどいい心地だったのに、帰りはこの時期なのに太陽がジリジリと照りつけ、まるで夏が一足早く来てしまったかのような気候だった。
サウナに入ったかのような、全身を覆う熱気が私を襲ってきた。一瞬で汗が形成される。私は、大きく深呼吸した後に学校の駐輪場から自転車を出し、最寄りの駅へと向かう。
駅までは自転車で約15分ほど。普段ならこの時期の自転車は風を切る馬になったようで気持ちいけれど、今はなんだか簡単な言葉でまとめると酷暑だ。これじゃ、何もかもやる気にならないし、ちゃんとした判断ができるか少し怪しい。信号が赤になったところで購買で買ったペットボトルの水をガブ飲みする。
半分ほど来たところで、私はふと何かを探しているような――不可解な動きをしている大学生ぐらいの女性の人が目に入った。別になにか犯罪を犯すとかいう怪しい行動ではなさそうだ。多分、迷子になっているのだろうと思い、自転車をその人の前でゆっくりと止めた。その瞬間、大量の汗が私の顔から垂れた。
「どうかしましたか?」
「あの……この辺りにある有名なアイス屋さんどこにあるか知らないですか……? スマホを頼りに探してるんだけどなかなか見つからなくて」
やっぱり、怪しい人とかではなくただの観光客みたいだ。その人の言っているアイス屋さんはこのあたりでは美味しいと比較的有名なので私ももちろん知っている。行ったことはほとんどないけれど大体の場所は分かっているし、時間はあるので、自転車を押しながらその人を案内することにした。
「わざわざありがとうね、高校生?」
「はい。ここら辺高校に通ってます」
「え、ここら辺って✕✕高校? 私はこの辺の人じゃないからあまりわからないけど、頭がいいとこだよね? 偉いなー。私が高校生のときなんて宿題は滅多に出さなかったし、チャイムの鳴る前の滑り込みがある意味自分の中の思い出になるぐらいの高校だったからなー」
私はお姉さんの言ったことに対して少し吹き出しそうになってしまったけど、それは少し失礼かもしれないと思い、微笑だけに留めた。でも、この高校にもそういう人、結構いますよと私が言うと、そうなの? と驚いた顔をしていた。
「ちなみに、嫌じゃなければ、お姉さんはどうして1人で旅行に来たんですか?」
「あー、確かにそうだね。なんか、私、ちょっとした病気になって最近まで入院してたの。今はもう、この通りだけどね。そこから学んだんだよね、できることはできるときにしておかないと。いつできなくなるか分からないんだからって。だから、今回旅行に来たんだよね。て、私なんか熱く語っちゃったね」
「いえいえ、そうなんですか。退院、おめでとうございます」
「ふふっ。ありがとう」
この人の言った言葉がいつの間にか体に吸収されていく。確かに、心の弱い私もよく小さい頃は熱を出したから普通に生活できるありがたみはよく分かっている。でも、だからといって普段、何かをしてるわけでもない。なので、こういうお姉さんの姿に少し尊敬してしまう。それに、初対面なのに話しやすいし、それも楽しい。たぶん、この人、大学ですごくモテるんだろうな。
私とは真反対だ。
「あ、ここです」
そのアイス屋さんは路地裏的な少し人目につきにくい場所にこぢんまりとした姿で存在している。
「おー、ここがそのアイス屋さんなんだ」
お姉さんは感心した様子で手をパチパチと叩く。
「はい、そうです」
この人は建築に興味があるのだろうか、そのお店の周りを2周ほど回ってお店の木の組み方や外装などを見ているようだった。私はそんなお姉さんの姿をなぜだか新鮮な感じで見てしまう。
「そういえば、お名前、もしよければ教えてくれる?」
「あ、私は、紫莉って言います」
「へー。すごい可愛らしい名前だね。じゃあ、紫莉ちゃん、お礼にアイスをプレゼントしたいな」
一瞬、可愛いという言葉に心を刺激する。
「いや、そこまでいいですよ」
お礼は嬉しいけれど、道案内しただけでそこまでは申し訳ないと思い、大きく手を横に振る。
「うんん、遠慮しないで。小さなお返し」
お姉さんからの圧に負けてしまい、結局手のひらに乗るぐらいのたまごアイスが挟まれた小さなクッキーアイスをプレゼントしてもらうことにした。
ちょっと申し訳ないけれど少しだけ得した気分。私は買ってもらったばかりのアイスの袋を開けて、そのアイスを太陽の光で一瞬、輝かせた後にそのアイスに大きく口を開けてかぶりついた。外は暑いのにもかかわらず、私の体は一気に冷たい空気で満たされていく。
――そのアイスの味はなんだか青春の味。
口にアイスがついていてもお構いなしに食べていく。
私達はさよならを言って別れた。アイスを食べてからの道のりは魔法にかけられたかのように一気に軽くなった。さっきまでは暑いと感じていた空気も自然と涼しく感じるように変化した。
ただ、私は前みたいにまた視線を感じた。
――誰かいるの?
でも、誰もいる気配はなかった。もう一度後ろを振り返っても誰もいない。
――この告白は、許されないものなんだと思う。
誰かがそんなことを言う。その姿、見たことはあるけれどシルエットのみ。あまり人のことを見ていない私が遠くにあるそのシルエットだけでその人物を特定できるわけがない。女子か男子かも正直いえばわからない。
『許されないってどういうこと?』
私は知らないその誰かに聞く。私にとっては単純に誰かが私のことを認めてくれるのは嬉しいから、許されないという表現がどういうことなのか分からなかったから、そう聞いてみた。
『それは、考えてみなよ、許されないの意味を』
……?
……?
――紫莉、紫莉
今度は私の名前が呼ばれる。さっきと同じようで違う。優しく方の辺りをポンポンと叩かれた
……!
「ん……? はっ――!」
どうやら授業中に寝てしまったようだ。
授業の内容が入ってくるようで入ってこない不思議な感覚になっていたんだ。ノートに落書きのようなものをしている間に別の世界に行ってしまった。エアコンの風で落書きをしていたそのノートがめくれた。
私がそれに反応すると、どうやら私が先生から指名されているようだった。それに気づき、小さくすみませんと先生に向かって言う。
「あれ、寝るなんて珍しいな。まあいいや、じゃあ、ここの問題の答えを言ってほしいんだけど、できるかな? それとも他の人に変わってもらう?」
「あ、大丈夫です。えっと……3322です」
そうだ。数学。私は事前にそこの部分の予習をしていたので、その練習問題の解答を言う。ただ、一部の男子達が乾いた笑いをする。
少し、痛い。痛い。つつかれる。
でも、この笑いはさっきまで寝てたから当てずっぽうで言ったんだろ、という意味で笑ったんだろう。
「お、流石。正解。ちょっと不安になる数字だけどな。笑ったお前ら、適当に言ったと思ってるけどちゃんとあってるぞ、ちゃんとお前ら勉強しろー」
なんとか正解だったようだ。3322という大きく、更に微妙な数字だったのであまり自信はなかったけど、どうやらこれで正解のようだ。先生は私を笑った男子に軽く忠告した。
「じゃあ、次進めるぞ」
先生は次の部分に入るため、教科書に書いている例題について黒板に板書しながら説明し始めた。
――ピピピピ。ピピピピ。
「ん? スマホか?」
「あ、ごめんなさい」
スマホの着信音がなってしまった生徒が、慌てて対処する。時々あることだ。
「音は切っとけよー。っていうか、今の音、どうでもいいけどなんかポケベルみたいな音がしたな。ポケベルと言えばあれでいうと……。まあいいや、でここがこうなる理由は――」
先生はチャイムの鳴るときまで沢山の説明をしていたみたいだが、私のノートには重要なことだけが書き込まれていて、それ以外の小さなポイントのようなもはいつもは書いているはずなのに今日は特に書かれていなかった。
昼になると、いつものように明佳と木々が生い茂った小さな森林のようなところに、木でできたテーブルや椅子が並べられている小さなピクニック施設なようなところでお弁当を食べることにした。教室で食べてもいいのだけど、私があまり騒がしいところが得意ではなかったので、明佳は協力してくれて私達は静かなこの空間でいつも食べている。
今日も外は暑かったけど、ここは木々のお陰で全体が日陰になっているし、木の葉がゆらゆらと揺れる音や、小さな川が流れる音が風鈴のように聞こえてそこまで暑いとは感じなかった。
「今日も授業寝ちゃったよー」
明佳はそうぶつぶつ言いながら、テーブルにお弁当を広げる。私も同じような動作をする。
「あっ、私、今日、箸忘れてるじゃん! やっちゃったー。少し面倒くさいけど購買で買ってくるね」
明佳はそういった後によいしょと声を上げ立ち上がると、小さなお財布をポケットの中にしまった。箸……?
「あ、明佳、私、割り箸でもいいなら持ってるよ!」
「お、本当? 天才すぎる! ありがとう!」
私はそういえばいつも忘れたときとかのために割り箸を持っているんだということを思い出し、それを明佳に渡した。たぶん使うときなんてないだろうなとは思ったけど、案外こういうのって役に立つものだ。
「ありがとう。君は神様だよー!」
まるで明佳は私がどこか遠くの存在の人間かのような感じで見てくるけど、私はただの女子高生だ。それも小さい頃から心が弱いという条件付きの。だから、そんな目で見られても困る。でも、なんか明佳、かわいい。
「それだけで大げさな……」
「お礼に私のお弁当、少しあげるね。この玉子焼きでもいい?」
「えっ、いいのに。でも、美味しそうだしお言葉に甘えちゃおうかな!」
「どうぞどうぞ」
なんか、昨日から同じようなことを繰り返してるみたいに思える。少しいいことをしてお礼をもらう。でも、偶然だろう。必然的にこんなことが続くはずがない。
私は、明佳から黄色い玉子焼きをもらった。それをまずはありがたくいただく。ふんわりとした優しい触感が私の口を包み、そして優しい味が口の中に広がっていく。ふんわり。簡単に言うのなら幸せだ。
そういえば、玉子焼きといえば、少し思い出がある。私は1年の時から図書委員会なのだけど、休日に図書室のイベントを考えるために委員が集まった時、その日はちょうどいい気温だったので、やっている部活もなかったし校庭で大きなレジャーシートを広げて皆でお弁当を食べたんだっけ。でも、まだその頃は高校に入ってから間もない頃だったから私は沢山の先輩たちと食べるのに少し緊張していた気がする。
そんな時に、とある子が優しく色々と話しかけてくれた。その中でお弁当の話題にもなったんだった。それが玉子焼き。お互い、玉子焼きが2つずつ入ってたので、それぞれ1こずつ交換して食べるという、今考えれば少し恥ずかしいようなことをしたんだった。お互いの玉子焼きの味はそれぞれ不思議な味がしたけれども、どちらの玉子焼きも美味しかったことはちゃんと舌が覚えている。そして、その人はたしか、話の中でこんなことも言っていた。
――紫莉さんは玉子焼きみたいに、優しく色々包んでくれるよね、と。
私はたしか、この時、小説の読み過ぎじゃないとかいって少しからかったような気がする。でも、もしかしたら私の魅力を少し見つけてくれていたのかもしれない。
私は、そんなことを思いながら、笑顔で明佳に向かって、
「おいしい」
と簡単ながらも感想を言った。
「おー、よかった。なんか、玉子焼きって少しその人の家柄が出る料理だよね」
「たしかにー」
「ねー、突然話が変わるけど、告白予告ってどう思う?」
「急に、話変わったねー」
どうやら自然にこの話に持っていく力は私にはなかったようだ。明佳の表情がそのことをもの語っている。でも、明佳のその表情も一瞬だった。
「んー、それがどんな風に書かれていたかにもよるけど、なんかその時までに考えてほしいっていう意図でもあるんじゃない?」
明佳は一旦食べるのをやめて、青空を見ながらそう答える。
「でも、仮にその人が伝えたい想いがあるとかじゃなくて、まる日後に好きだと告白しますって書いてあったら、もうすでに完全告白してるようなもんじゃん? なのにあえて予告する理由は何だと思う?」
言い終わってから思ったけど、私、明佳に対してガツガツいき過ぎじゃないだろうか。これでは、まるで自分が体験したことを相談してるみたいじゃないか。口調も少し強くなっているし。
「まあ、私ならの場合ね。完全に告白する言葉を言ってまで予告する理由か……。なんか、想いは完全に分かってほしいけど、本当に伝えたいときは今じゃない的な感じ? ほらあるじゃん、なんかの記念日とか、何かの準備が終わるのがその日とか! そういうのだよ。まあ、あくまで推測に過ぎないけど」
「へー、そうか」
確かに、妙に納得してしまう。でも、10日後になる2日後、私の誕生日というわけでもないし、特に行事的なものも思いつく限りはない。じゃあ、何にかを準備していて、終わるのがあれから10日後ということだろうか。そうなのか。
「……っていうか、まさか、紫莉、告白予告でもされたの!?」
やはり、そう思ってしまったみたいで明佳が私の顔をぎょろりとした目で覗いてくる。私を追い詰めてきたのだ。流石にやりすぎたのでこう言われるのは当たり前かもしれないけれど、なんとかしてこの状況を誤魔化したい。
「いやー、そんなんじゃなくてほら、昨日のさ、いつも私たちが見てる番組で、『突然、告白予告されたと友達に相談したらどういう反応をするのかー!』っていう企画あったじゃん。それに似た感じのを今やったの!」
我ながら、いい嘘をついたんじゃないだろうか。ドッキリでしたって感じで片付けられるし。
「いや、私、昨日そのテレビ見たけど、そんな企画なかったよ」
やばい。とっさに考えた嘘だから、そこまでは考えてなかった。私、勉強は自分で言うのもあれだけどある程度できるくせに、こういうことに関しては少し馬鹿すぎる。別の意味で汗が出てきてしまいそうだ。
「あー、そうだった違う。私の好きなあのユーチューバーがやってたんだった。間違えた、間違えた」
「へー。そうなんだ。私は見てないから知らないな。なんだー、実際にされたわけじゃないのか……少し期待しちゃったな」
おっ、どうやらこっちが正解だったようだ。でも、この口調から本当に嘘だと信じてくれたのかは少し微妙だけども、とりあえずはこの危険を回避することに成功したみたいだ。本当は、こんな私なんて誰も好きになってくれるはずないじゃん! とか言おうとしたけれど、そうだよねと明佳に共感されると地味に傷つくなと思ったので、ここまでに留めておいた。でも――
「なんか、がっかりそうだね」
妙にがっかりした顔が気になった。私のことなのに。
「なんだろう、認めてくれる人がいるなら紫莉が心の弱いところも少しは治るのかなって思ったから」
「そうか……」
確かに、そうかもしれない。実際、そうなるのかもしれない。でも、私は確信がもてずそれ以上は言い返せなかった。
時間が経つのは早い。10日ってあっという間なんだって初めて気づいた。誰かが意地悪をして時計を早く動かしてしまったんじゃないかとも思ってしまう。明日が告白予告の日。
「手伝いに来てくれてありがとうね。昨日の箸に引き続き、本当に助かる! やっぱ紫莉はいいやつだなー」
「まあ、なんてったって私も図書委員ですからー。それに、今日は午前中で授業が終わったけど、特に午後はやることないし、別にいいよ」
今、私は図書委員の明佳と図書室の文庫本の整理をしている。委員の子がみんな用事とかで明佳しか担当がいなかったので手伝いに来たという感じだ。最近は割り当てもなかったから図書室に入ることもなかったので、なんだか入ったときには久しぶりにおばあちゃんの家に行った時みたいに懐かしい空気感を感じてしまった。
普通の学校の図書館ならあまり本棚に隙間が開いている光景は見られないだろうけど、うちの学校の図書館は至るところに隙間がいていて、本を借りる人が多いんだなと実感させられ、本好きとしてかもしれないけど嬉しい気持ちに自然となる。
「本っていいよねー。非現実世界に入れるし」
「あー、明佳の言うこと分かる! でも、入り過ぎちゃう人もいるけどね」
「まあねー。でも、小説とかでよくあるみたいに、想定もしてなかった少し変わった告白ないかなーとか思っちゃうけどね。どこかで期待してる」
「言ったそばから入りすぎてるしー。そんな人、一生現れないかもよ」
「そうかもね。もう少し現実を考えないとね」
なんだか、この図書室で作業していると、少し前の気持ちが鮮明に蘇ってくる。ここ数日、私の頭の中を支配している告白予告について。でも、まだ差出人が誰かわからない。
私は次にライトノベルの本の状態を点検した後に、それぞれ元の場所に戻した。確か、私の今点検した小説は前に駿汰くんが一番好きだと言っていた本だった気がする。駿汰くんいわくその話の内容は、好きなのかわからないけど、とある理由でその想いを伝えなければいけない少年があることをして――的なお話だった気がする。妙に気になる。少しだけ、全部読むとその世界に入ってしまいそうだからプロローグだけでも読んでみようかな。
でも、この美しい文字に目を奪われてプロローグだけでは当然物足りなかったため、結局その本を借りることにした。私がそれを借りると、明佳からトイレに行ってくると言われたので、私は1人でカウンターに立った。でも、今は誰もいないので困ることはなさそうだ。
ただ、足音を立てながら図書室に誰かが入ってきた。元々借りると決めていたのか純愛恋愛の漫画を何巻分かぶっきらぼうにカウンターに置いた。
それを置いたのはクラスの男子。私の味方ではない。
「はい、4点で、貸出は2週間になります」
できるだけすぐ終わらせようと、素早く貸出手続きをする。
「それ、お前が借りたやつ?」
その子は私がさっき借りた小説を指で指してきた。あまり話したくないけれど、流石に無視をするわけにはいかずそうだよとだけ言った。
「……変なの。お前に恋愛は似合わないよ」
痛い。
痛い。
確かに、私に恋愛は似合わないかもしれない。
でも、冷めた口調が私の心を傷つけたのだ。嫌みを言われてるような気がして。
なんで否定されなきゃいけないの……?
なんでそんなこと言われなきゃいけないの……?
でも、私、告白予告されたんだよ! 似合わないなんて失礼だな! なんて言えるわけない。こいつに。あと、あんたにもその漫画は似合わない気がするとも言えない。
いや、今なら少し反抗できるかも。私を認めてくれる人がいるのだから。告白予告されたんだから。
「あの――私のことに否定とかしないでください」
私の口調は少し冷たかった。その子は少し驚いているかのようだった。私は言い終わった後も、唇を噛み続けた。そして少し睨んだ。血の味がする。
私は睨んだ顔をした。でも、直接は見れなかった。
「なんだよ、生意気……」
相手の口調も冷たかったが、私は無視した。すると、その人はそれ以上は何も言わずにまるで何も残さないかのような感じで去っていった。
私は言った。初めて言ったかもしれない。こんなこと。
――少しだけ、気持ちが落ち着いた。
反抗できたんだ。
あの人と入れ替わるようにして、今度は駿汰くんが入ってくる。駿汰くんは何を借りるのだろうか。少し、興味を持ってしまう。
駿汰くんはちょっとの間、私の視覚になる所で本を探していたけれど、すぐに戻って来て、視線を駿汰くんの手に移すと、本を2冊持っていた。
「これ、お願いします」
「はい」
ほんの少し前まで駿汰くんは私の数メートル先にいた気がするのに、もう今は私の目の前にいる。少し間が空いた後に私は貸出の手続きを始める。
――医療についてと、人生観についての本。
どちらも私にはあまりわからない数式のようなものしか書かれていない難しそうな本だった。
「図書委員会おつかれさんー、今日担当だったんだ―」
「うん、ありがとう。でも、今日は手伝いに来たって感じかなー」
「そうか、偉いなー」
その単純な言葉、私をこそばゆくする。
「なんかよく分からない難しい本借りてるなと思ったでしょ」
「うん」
あくまでも人が借りた本のことについては図書委員会の委員ということもあって、聞かないことにはしていたけど、駿汰くんの方から話しかけてくれたので、凄いねーと付け足しした。
「人生観の本はなんか、人生豊かにしたいなーっていう軽い気持ちで、医療の本はちょっと将来医者もいいかなって―」
そんな軽い気持ちでこれを借りることができる駿汰くんは単純にすごい、尊敬してしまう。でも、少しだけ言葉に詰まっていたように思えたのは気のせいだろうか。だけど、私の勘違いということもあるし、詰まってたからなんだということもあるのでそれ以上は深掘りしなかった。
「これ、紫莉が借りたの?」
さっき、恋愛は似合わないと言われたきっかけを作った小説を今度は駿汰くんが指で指してくる。駿汰くんなら怖くはない。
「うん。駿汰くんが面白いって言ってたから気になって」
「そうか。いい小説だったよ。じゃあ、ありがとう!」
「うん、私が言うのもあれかもだけど本借りてくれてありがとう!」
さっきの男の子のときとは違い、駿汰くんが本を借りてくれるのは気持ちが良かった。心の弱い私はさっきまで落ち込んでいたけれど、そのことはほとんど駿汰くんにかき消されてしまった。
まだ、明佳はこないな……と思い、それに誰もいなくなってしまったので図書委員の日誌のようなものでも書こうかと思って、それを書き始めた。
「あっ……」
日付を書き終わった時どうやら手が少し滑って鉛筆をカウンターの外に落としてしまったようだ。私はその鉛筆を取るために一旦、そっちの方に行く。
「……う? 紙?」
真っ白な折りたたまれた紙が私の目に入った。私は無意識でそれを拾う。誰の紙だろうか、さっきまではたしかに落ちていなかった。ということは、駿汰くんの……?
私はその紙を開くと、一番最初に『駿汰へ』という文字が見えた。駿汰くんに送った誰かからの手紙だろうか。それにしてはこういう紙に書くのは少し違うように思える。
少し悪いなと思いながらも、辺りを見回して誰もいないことを確認してからその紙を開く。
『駿汰への罰ゲーム』
――罰ゲーム。
次にそんな文字が書かれていた。
あまりよくないことが書かれているんじゃないかと思いながらもその先に進めていく。
『紫莉に嘘告白予告してこい。方法はなんでもいいから。エイプリルフールにやったら嘘でしたって言っても許されるし、それでいいんじゃない(笑)』
ボールペンでそう書かれた上に大きくバツが書かれていた。
――嘘、告白予告。
そうか、そういうことか。私は全てを悟った。
確かに、あの日はエイプリルフールだった。1年の中で唯一嘘をついていい日だ。日付が変わる前の真夜中に送ったのはきっと悩んでいたからだろう。したくないのに、しなきゃいけないから。そのことをこの大きなバツ印がもの語っている。
私なんかを好きになる人なんているわけないっていうことは分かっていたのに、馬鹿らしいや自分。
少し期待してしまった自分もどこかにいて。
ちょっと浮かれた自分がいて。
嘘だってことも考えないで。
最初から、おかしいことだらけだったもん。
その嘘告白予告は間違いなく明日だ。そこで駿汰くんは種明かしをするつもりだったのだろう。
別に、駿汰くんに対して怒りがあるとかそうは思っていない。だって、駿汰くんも被害者なんだから。
でも、誰のしわざだろうか。
――変なの。お前に恋愛は似合わないよ。
この言葉が、再度私の耳の中で反復した。さっき、あの人が言った言葉だ。そうか、この男子たちの仕業か。それなら十分に考えられる。
その紙を私の持ってる握力で強く握りしめた。
「ごめんー紫莉! ちょっと他の子に止められちゃってさ―」
私は明佳が来た瞬間に急いで手に持っていた白い紙を隠した。こんなもの、誰かに見られるわけにはいかない。
でも、私の巧みな動きにより一瞬ん? という感じはした明佳だけど、特には気づいていない様子だった。
「いや、全然大丈夫。ほぼ人は来なかったし」
「それならよかった」
普段なら、図書委員の仕事は私にとってすごく楽しいものであるはずなのに、早く逃げ出したいと思ってしまった。でも、時間は私のことをお構いなしいつも通りにしか進んでいかない。早く逃げ出したいのに。息もちゃんと吸えたのかわからなかった。だから、仕事の時間が終わった瞬間、私は急いで外に出て空気を大量に吸った。空気を奪ったのだ。
今日は勉強する気になれず借りた小説を半分ぐらいまで読んだ。駿汰くんの言った通り、とある理由で伝えなくてはならない。その理由は、駿汰くんの持つ理由とほとんど似ていた。
また、こんな時間に来てしまった。明日は予告された日だ。
もうすぐ日付が変わる。
こんな真夜中に高校生の私が外に出ていいわけがない。
それも、こんな真っ暗な海に寒い中、たった一人で。
私は、小さい頃から心が弱い。小さなことを言われただけでも心が大きく傷つく。普通の人より何倍も、何十倍も心が過剰に反応してしまうのだ。
こんな……。
海に叫びたい。叫んでもいいかな。私の心の中を――。
――私は、馬鹿だ
と。
あと、1秒で日付が変わる。
日付が変わった。予告の日。
周りが真っ暗な真夜中。
照らすものは何もない。
私の姿を照らしてくれない。
「あれ、紫莉ー?」
こんな時間に、こんなところにいる知り合いなんているわけないと思って、最初は振り向かなかった。たぶん、幻想とかそういうものだろう。でも、もう一度私の名前を呼ばれた時は、幻想とかそんなものは信じられなくなった。
「――駿汰くん?」
私には真面目な人という感じしかない駿汰くんがこの時間に外をぶらつくだろうかと思ったけれど、目を擦り合わせてもう一度見てもたしかにそれは駿汰くんだった。間違いない。
「なんかさ、この時間、落ち着くんだよね。よくないなとは思いながらも悩み事がある時はここに来ちゃうっていうかー」
たぶん、その悩みごととはあの嘘告白予告のことだろう。無理もない。私も今そのことで悩んでいる。
その嘘告白予告の相手がもっと私より何倍も可愛くて、性格がいい人だったら嘘にしないで本当の告白にしちゃおうとかもできただろう。私の場合は、そうはならない。駿汰くんは優しいから心の弱い私にどうやったらまだましになるだろうかずっとずっと探してくれているんだろう。実は嘘だったという方法を。
「紫莉は、どうしてここに……?」
「私も駿汰くんと同じ理由かな」
全く同じ理由だ。立場が逆なだけで、その原因は同じ。
きっと今、駿汰くんも海に向かって叫びたいはずだ。
「この広々とした海に叫べたらきっと気持ちいいだろうな」
ほら。絶対。
「あのさ、駿汰くん」
自分から言ってしまおうか。嘘告白予告した人は駿汰くんで、その内容は罰ゲームで嘘だった……そのことを。本人はそのことについて全く知らないだろうから最初は驚くだろう。そして、これ以上ないよというぐらいに私にお詫びをしてくるだろう。そして、駿汰くんはその申し訳なさから私と関わることを辞めるだろう。
でも、私といつも仲良くしてくれる私の支えである駿汰くんとは関わりたい。
「あのさ、この紙知ってる……?」
私は海の空気を吸ってから、ポケットに入れていたあの紙を取り出し駿汰くんの方に見せた。このあたりは暗いので最初はその紙がなんだか駿汰くんは分かっていない様子だった。
でも、それがなんだかわかった瞬間、駿汰くんの表情がみるみる変わっていった。
「紫莉、それって――」
うん、そうだよ。分かってたんだよ。知ってたんだよ。
そんなことを教えるために、私は静かに頷いた。
「今日、でしょ……」
「ごめん、紫莉――、あの実はずっと言えなかった。今、ちゃんと言う――」
――えっ。
――なに。
駿汰くんの姿が、消えた。
正直にいえばあの後、何が起きたのかわからなかった。でも、私はできることは全てやった。やるべきことはやった。こんな状況に遭遇したことはないけど、もちろん何もしないわけにはいかなかった。駿汰くんだもん。
「まず、ありがとうございました。実は、息子は心が弱くてよくストレスをためてしまうみたいで……今回もどうやらそれが原因で脳貧血、いわゆる失神を起こしたみたいで」
「そうでしたか……」
目の前にいるのは駿汰くんではない。駿汰くんのお母さんだ。
どうやら駿汰くんは時々脳貧血、いわゆる失神を起こしてしまうみたいで、今回もそのようなものを起こしてしまったらしい。命には特に影響はないみたいだからよかったけれど、やはり心配だ。
あと、もう一つ、気になったことがある。――心が弱くてよくストレスをためてしまう、という部分だ。私は勝手に駿汰くんは心の強い人だとばかり思っていた。心に余裕があるからこそ私にも関わってくれてるんだとばかりに。でも、人の姿を全て見るのは難しいみたいで、実は駿汰くんも私と同じように小さい頃から心が弱い。だから、あの告白予告も断ることができなかったのかもしれない。
私と反対ではなかったんだ。
駿汰くんと対面するために、まずはお母さんがその中に入った。お父さんもいたけれど、私を一人にするのは申し訳ないと思ったのか私の側にいた。髭を生やし背も高く少し強面という感じだけれど、何度も何度も駿汰くんを助けてくれたことに対し感謝を伝えてきてくれた。でも、私は今複雑な気持ちでまともにその感謝を受け取る事ができない。
「でも、なんで息子はあんな夜に、それにあんなところに……?」
私は駿汰くんの親に対しては偶然その辺りにいた所、駿汰くんが倒れていたので助けたという話しをした。私があの時間にあんな所にいたのも問題だが、その辺りは目をつぶっていてくれてるようだけど、駿汰くんのお父さんはそんなことを独り言のようにして言った。
「それはたぶん、私のせいなんです……」
独り言のようにして言ったから答えるべきなのかは少し悩んだけれど、私はこのままでは駿汰くんのためにならないと思い、私は思いきってそんな事を言った。半分事実で、半分嘘だ。
「……?」
駿汰くんのお父さんは何も言うことなく、私の目を見てきた。その目は決して怒っているときの目ではなく、あくまではてなマークを浮かべた目だった。
「私も小さい頃から心が弱いから……」
「うん、いいよ無理に言わなくて」
私は一言だけ言って詰まってしまった。言うべき言葉はあるはずなのに、どう言えばいいのか未熟な私にはわからなかった。そんなことを悟ったのか、優しい口調で駿汰くんのお父さんはそう言った。だから、私は無理することなくここで言葉を止めた。
「あの、紫莉ちゃん? 駿汰が少し話したいって」
あの時言おうとしたことの続きだろうか。たぶん、駿汰くんはこんな状況にもかかわらず謝り続けるんだろう。ごめん、ごめん。こんなことしてごめん、と。
私は「はい」と言ってその病室に入る。駿汰くんお母さんは病室の外にいるのでこの空間には駿汰くんと私の二人だけ。生暖かい空気が周りを取り巻く。真夜中の病院。駿汰くんの周り以外に明かりはない。
「まず、ごめん、そしてありがとう……」
駿汰くんは私の姿を確認するなりそんな事を言った。駿汰くんはベッドで横になっている。倒れた時軽く頭も打ったけれど、頭に包帯とかは特にしていなかったので大きなことにはなっていないようだ。この病室には名前のわからない器具などがたくさんあって少しだけ怖く感じてしまった。でも、いつもより弱く震えた口調だけど駿汰くんの声を聞けてどこか心が安心した。
「とりあえずよかった」
「あのさ、あの続きなんだけど……」
あの続き――倒れる前に言おうとしていたことだろう。嘘告白予告というネタバラシ。
「いや、私から言わせて」
私は駿汰くんから言わせるのは更に心の負担になるだろうと思い、ここは私からまず話しをさせてもらうことにした。駿汰くんは私の言葉にたいして、弱々しくうんと頷く。
私は唾を飲みこみ、駿汰くんのことを目をつぶって考えてから話し始める。
「嘘告白予告だってことは少し前に知ってたんだ。それがあの時見せた紙に書かれてたから。でも、駿汰くんを恨んでたりは全くないよ。だって、駿汰くんも辛かったんだよね。罰ゲームを断れなくて。そんなに強くなかった。私にはそのことがわかるから。でも、告白予告は……正直に言えばすごく嬉しかった。初めてちゃんと認めてくれた人がいて。こんな私を好きになってくれた人がいて……まあ、嘘だったけどね。仮に嘘だとしても心の弱い私にはすごく意味のある――私に自信を付けてくれた嘘告白だったよ。実はその罰ゲームを仕掛けた人に少し言い返せたから、ほんの少しだけどね」
私の言いたいことはだいたい言えた。元々知ってたこと。怒っていないこと。嘘だとしても意味のあるものだったということ。
「あのさ、その嘘告白予告、実は、嘘っていう文字消えちゃったんだ……」
私が全て言いたいことを言い終えてから一秒足らずの間も空けずにそう言ってきた。
ただ、駿汰くんが言ったことが私にはわからなかった。『嘘』が消えたということが。
「たぶんなんとなくわかってると思うけど、僕は強制参加の勝負をして負けたから罰ゲームをすることになって……断れなかったんだよね。だから、申し訳なかったけど、エイプリールの日にあの告白予告をしたんだ。日付の変わる1秒前まで悩んでたからあんな時間になっちゃったけど……。そんな紫莉にいつ本当のことを言うべきかを考えるために紫莉を観察してたんだ」
前に感じた数々のあの視線とは駿汰くんのことだったんだろうかと思った。それなら辻褄が合う。でも、今は話の焦点がそこではないと思い、言葉を挟むことはしなかった。
「観察してるとさ、おばあちゃんにすぐに席を譲ってあげられなかったことを、譲るだけでなくちゃんと謝っていたし、困っていた観光客の人にも丁寧に道案内してたり、友達の手伝いを頑張っていたり……。そんな姿に段々僕の心が自然と惹きつけられたんだよ――」
確かに私はそんなことをした。ここ数日であった出来事に間違いはない。でも、私の中ではそれは当たり前なこと。少しも特別ではない。生活の中で行ったほんの少しのいいこと。
「僕はさ、小さい頃から心が弱いから自分のことしか考えられないんだよね。他の人のことなんてちゃんと考えてあげられないんだ。でも、僕と同じで心の弱い紫莉は自分以外のことも考えられる……紫莉にとってはすごい人だから当たり前なことかもしれないけど、僕にとっては特別なことなんだ。最初は嘘告白予告だったけど、本当の告白予告にしたいなって最近思ったんだ」
――最初は嘘告白予告だったけど、本当の告白予告にしたいなって最近思ったんだ。
つまり、それはあの真夜中に送ったメールの内容は嘘ではなく、本当ということ。書き変わったということ。
「紫莉は沢山の人にいいことをした。だから、お礼になるかわからないけど、君のことを認めたい。――もし、よかったら本当に告白させてくれないかな?」
駿汰くんは少し変わったことを聞いてきた。告白予告をしているのに、告白してもいいかと聞いてきた。
「うん、君の自由にして」
でも、私はちゃんと答えた。逆に予告までしておいて告白しないのはずるなんじゃないだろうか。
「……でも、いざとなると恥ずかしいな……。小さい頃から心が弱いから。少しあれだけど、あの時みたいにメールで送るね」
そうか。そうだよね。私だって、仮に好きな人がいたとしても直接できないもん。私の心は弱く脆いから。すぐに傷ついてしまうから。
駿汰くんはスマホを出すと、何なら操作をし始め、その操作を終えると私の方を向いてきた。その目は輝いていた。まるで瞳の中に宝石が入っているんじゃないかと思うほどに。
――ブー、ブー。
私のポケットが小刻みに揺れる。着信音。誰からのメールか見なくてもわかるけれど、駿汰くんからのメッセージだ。私はすぐさまその内容を確認する。
『予告通り、君に告白します。君の姿に心を奪われました。これは決して嘘じゃないです。あの真夜中は嘘をついたけれど、この夜は嘘なんて言えません。ちゃんと、はっきり書きます。僕は君のことが「好き」です。だから、もっと仲良くしてくれませんか? これが、僕の自分勝手な望みです』
10日前の夜とは違う。駿汰くんは嘘をついた。嘘の告白予告をしたのだ。でも、もう日付が変わって何時間かたったこの夜に嘘なんてつけない。今は本当のことしか言えない真夜中なのだ。
温かい涙が出てきた。その涙が唇辺りに垂れる。少ししょっぱかった。甘くはない。
私もメールで返そう。そう思って文字を打っていく。私には美しい文字を打つ技術はない。でも、その文字だけで想いを伝えられると信じてる。
『気持ち、ありがとう。嬉しいよ。私も、仲良くしたいです! そして、2人で協力して何かをやり遂げたいな。これが、私の自分勝手な望みです。まずは、早く体を治して、退院しろよ(笑)!』
駿汰くんはこのメッセージを見ても特に何も言わなかった。でも、その代わり私に対してこっちの方に来るように手招きしてきた。私はそれに従う。そして、駿汰くんが私の手を握ってきた。ドキドキという言葉は今はなぜか存在しなかった。でも、その手は温かい――そんな言葉で表される。
私には何も言わなくても、駿汰くんが何を言いたいのか、なんと言ってるのかがわかってしまう。
あの後の駿汰くんの経過は順調で一日入院すれば大丈夫ということだった。私は駿汰くんのお父さんに家まで送ってもらったけど、家に変えると親にすごく怒られてしまった。そうだろう、あんな時間に外に出ていたのがバレたのだから。でも、お母さんは叱り終わると私に寄り添ってくれた。
駿汰くんが退院してからやったことは言うまでもないかもしれない。罰ゲームを仕掛けて来た人たちへの復讐だ。また、あの人達は教室の端っこで私の悪口を言っている。これまでの私はそれを耐える、もしくは無視するしかできなかった。駿汰くんもそれについては実は元々知っていたみたいだが、目をつぶることしかできなかったみたいだ。でも、今は違う。駿汰くんはとあるものを持ってその人達に近づいたのだ。
「おー、退院おめでとうな。あの嘘告白どうなった? 相手はたぶん告白予告されて嬉しかっただろうに、嘘だとわかってかなり落ち込んだだろうな」
「だろうな、あんなやつに告白予告するやつなんていないって」
「ダメダメなあいつにさ……、もう少し可愛かったら別だけどよー。ブサイクだし」
普通ならその人達と遠いところにいる私には微かにしかそれは聞こえないはずだけれど、駿汰くんがとあるものを持っているので私にもそれはよく聞こえる。
「それって紫莉に対する悪口?」
駿汰くんは鋭い口調でその男子達に問いかける。すると、その男子達は駿汰くんの方に一歩分足を出す。
「あー、そうだよ。別にいいだろ。また罰ゲームやってほしいのか?」
相手も負けじと冷たい口調で言う。遠いからあまり見えないが、その目つきはまるでチーターのようだった。普通ならこんなことを言われるのがわかってたからそんなことは問いかけないはずだ。でも、駿汰くんは顔色一つ変えなかった。
「これ、録音させてもらってるよ」
駿汰くんは右ポケットから録音機を出したのだ。私はその録音機の音声を自分のイヤフォンを付けてスマホから聞いていたのだ。だから、あの男子達の言ってることは筒抜け。全部ぜんぶ聞こえていた。
「おい、何してるんだよ」
「やめろよ!」
ちょうどそのタイミングで1校時開始のチャイムが鳴り担任の先生が入ってきた。このタイミングまでうまく計算されている。流石だ。駿汰くんはその音声を担任の先生に聞かせた。すぐに担任の先生は聞き始めたのでその男子達に抵抗する時間はなかった。すると、担任の先生は全てを悟ったかのように、その男子達を呼び出した。
「先生はとある人達とお話があるので自習にします」
先生は全体に対してそうとだけ言うと、その人達を連れて教室を出ていった。駿汰くんも先生になにかを話した後、そのままその男子達とともについていく。きっと今までのことも全部説明してくれるのだろう。私が今まで受けたいじめのようなことを。言えなかったことを。成長したから言えるようになったことを。
駿汰くんの頼もしい後ろ姿。
少し経ってからまた、音声が聞こえた。
「なんで、あいつの悪口でお前がそこまでするんだよ、まじわからね―」
怒り口調のままに、小声で駿汰くんにそう質問している。少し、気になった。この質問に対し、駿汰くんがなんと答えるのか。どういう言葉で表現するのか。
「――それは、紫莉のことが心から好きだからだよ。それを行動で示しただけだよ」
駿汰くんは当たり前のことを言うかのようにそう言った。イヤフォンで聞いていたからその声が本当に近く言われたような感じがして思わず口を抑えてしまう。その気持ちは知っているはずなのにやはり言葉で言われると、体が異常に反応してしまう。小さい頃から心が弱いんだから、やめてよ……。でも、ありがとう。違うかも。
私も行かなきゃ、私はイヤフォンをはずすと、廊下に飛び出した。たぶん、クラスメートたちはなんで飛び出したんだと思っているだろう。でも、明佳は廊下に飛び出す私に優しくぽんと触れた。もしかしたら、半分ぐらいなんで飛び出したかわかってるのかもしれない。
私は廊下を走って、駿汰くんの背中を追いかけた。