夏休みも終わりが近づいた頃、真夜中に突然恭介くんから呼び出しがかかった。なにごとかと思いつつ緊張しながら理由を聞くと、今夜、恭介くんが最後の暴走をするらしく、それにつきあえということだった。

 恭介くんの話からあの夜の喧騒が蘇ってきたけど、恭介くんに誘われたことが素直に嬉しかったし、最後の暴走という言葉も気になったので参加することを決めた。

 忍び足で玄関から靴を取り、心臓が飛び出るような緊張の中、窓から息を殺して外へ出ると、少しだけ暑さが落ち着いた夏の夜風が私を包みこんでくれた。

 けど、爽快に感じた夜の気配は一瞬のことで、目の前に広がるあの夜の喧騒の再現が、私をすぐに落ち着かない気持ちにさせた。

 ――誰にも声かけられませんように

 極力下を向きながら、交差点に集まったギャラリーや警察官と目をあわせないように早足で通り抜ける。恭介くんとの待ち合わせはここから離れた公園だから、そこまで本当に息を止めるような思いで向かった。

「お、みのり、こっちだ」

 外灯がなく暗闇に沈んだ公園の一角にずらりと並ぶ改造バイク。その一台にまたがっていた恭介くんが、昼間の鬼の形相とは違ったのんきな笑みを浮かべて手をふってきた。

「悪かったな、急に呼び出して」

「いえ、それはかまいませんけど……」

 手招きされてかけよる子猫のごとく恭介くんに近づいた私は、改めてげっそりとして顔色の悪い恭介くんに声を詰まらせてしまった。

「みの、よく来たな」

 集団の大半は応援団のメンバーで、その中からヘルメットをかぶった立花くんが手を上げて近づいてきた。

「これから走るけど、みのは恭介の後ろで大丈夫だよな?」

 立花くんに問われ、私は覚悟をしていたけどぎこちなく頷いた。そんな私を見て立花くんが意味深に笑みを浮かべたことで、なんとなく私の気持ちを見透かされた気がして一気に恥ずかしくなってきた。

「大丈夫、今日は俺の最後だから交差点で騒ぐような真似はしないから心配しなくていいぞ」

「でも、すごい数の人が集まってましたけど」

「ああ、あれはSNSで集めたダミーだ。よく知らない連中も参加してるみたいだし、警察の気を引くのにちょうどいいってわけ」

 遠くに見える赤色灯を指さしながら、恭介くんが舞台裏を説明しだした。どうやら恭介くんたちはSNSで暴走イベントの情報を流し、それを見た人たちに参加を促していたみたいだ。その結果、たくさんの人が集まったけど、恭介くんたちはそもそもイベントには参加しないという。

「最後ぐらいは、こいつらと気がねなく走りたいんだ」

 最後という言葉に妙な重みを感じた私は、ただ黙って相づちをうつしかなかった。

「みの、なんかむかつくと思わないか? 俺たちを置いて勝手に死んでしまうくせによ、泣き言の一つもなく笑っていやがるんだから」

 恭介くんを軽くにらみながら、立花くんがあきれたように鼻息をもらした。確かに、思い返してみたら恭介くんが余命に対して泣き言を言っているイメージはなかった。

「あほ、こんな馬鹿みたいな人生にやっとおさらばできるのに、泣き言なんか言うかよ」

 立花くんの苦言に、今度は恭介くんがあきれたように吐き捨てた。

「けどよ、俺たち小学校からのつきあいだろ。もう少し、お前らとは離れたくはないとか言ってもいいんじゃないのか?」

 そう言うと立花くんは、明らかなうそ泣きをしながら恭介くんに抱きついていく。その立花くんに恭介くんが奇声をあげながら抵抗したところで、周りから笑いが巻き起こっていった。

 ――ほんと、みんな仲いいんだなあ

 繰り返される見慣れた光景に、気づくと私も笑っていた。決して関わることはないと思ってた人たちだけど、こうして関わってみてわかったことは、みんな優しいということだった。

 ――わたしにも、恭介くんみたいな友達ができたらよかったのにな

 笑い合うみんなを見て、ついそんなことが脳裏によぎった。これまで、私にはうちとけてなんでも話せる友人はいなかった。

 けど、それで寂しいとか辛いとか思ったことはなかった。ただ、自分の性格では仕方がないと諦めるしかなかったからだ。

 でも、今の恭介くんたちを見て、それは間違いだと思った。私は辛いとか寂しいと思わなかったんじゃなくて、思うことから目をそむけていただけだった。

「おいおい、みのりがドン引きしてるぞ」


 気づくとうつむいていた私に、恭介くんが心配そうに声をかけてくる。きっと、今顔を上げたら泣いてるのがばれそうだから、私は大げさに手をふってごまかした。

「みのり、言っておくけど俺は死ぬことを怖いと思ってないし後悔もないからな。それよりも心配なのはこいつらのことだ。考えてみろ、こんな馬鹿ばっかりやってるこいつらの今後の人生は確実に終わりだからな。その点、みのりはまだ救いようがある。といっても、今のままだとみのりの人生も笑えた話じゃないけどな」

「ふん、なんか偉そうに言ってるけど、お前もその馬鹿のひとりだろうが」

「まあな。でも、そのおかげで安心して死ねるってわけだ。馬鹿みたいな人生にいち早く脱出できるし、苦しんでるお前らを横目に生まれ変われるからな。将来、大物のメジャーリーガーが出てきたら、お前らダサい顔を並べて応援にこいよ」

「はあ? なにがメジャーリーガーだよ。もしそうなったら、ネットでこいつは元暴走族の生まれ変わりだってこき下ろしてやるよ。それに、お前の秘密をネタに毎晩馬鹿騒ぎしてやるからな」

「なんだと、立花、そのときは覚えとけよ」

 ヒートアップする恭介くんと立花くんのやりとりに、周りのテンションも上がっていく。恭介くんは笑って相手しているように見えるけど、立花くんはどこか無理してるようなぎこちなさがあった。

「さて、そろそろ出発するか」

 地鳴りのような爆音と、けたたましいサイレンの音が遠くに響き出したのを合図に、恭介くんがみんなに声をかける。そのままヘルメットをかぶせられた私は、ちょっと緊張しながらもバイクの後ろに乗った。

「みのり、色々と悪かったな」

「え?」

「けどよ、お前なら絶対に前に進めると思う」

 前を向いたまま語る恭介の言葉に不意をつかれた私は、彼の言葉の意味を知ることなく走り出したバイクに身を委ねることになった。

 ――なんか、うまく言えないけど、綺麗だなあ

 十数台が連なって走るわけだから、その騒音は耳を塞ぎたくなるものがあった。けど、闇夜に浮かぶ様々な光が糸をひくように流れていき、味気ない町並みに幻想的な光景が広がる様は、普段経験することのない高揚感を嫌でも私に植え付けていった。

 ――恭介くん、あなたはこんな世界を生きたんだね

 そっと恭介くんを掴む手に力を込めながら、わいてきた哀愁のような感情に思いを寄せていく。夢を諦め、余命わずかとなった恭介くんがたどり着いたのは、まやかしだとしても自由を仲間と感じられる世界だった。

 ――え? 雨?

 なんとなくしんみりしたところで、急に冷たい雫が頬にあたるのを感じた。一瞬、雨かと思って空を見上げたけど、雲一つない空は無数の星で埋め尽くされたままだった。

 ――ひょっとして……

 スピードが落ちた恭介くんのバイクは、気づくとみんなから段々と離れていた。この状況に異変を感じた私は、そっと恭介くんの横顔を覗き込んで息が止まってしまった。

「ちくしょう……」

 かすかに聞こえてくる恭介くんの声が、鋭く胸に刺さってくる。さらには、必死に我慢しながらもこらえきれなくなったという感じであふれる涙が、恭介くんの本心を語っていた。

 ――やっぱり、そうだよね。恭介くん、死にたくなんかないんだよね

 死ぬことに怖くも後悔もないと語っていた恭介くんだったけど、それは彼なりにみんなを想ってついたウソだった。

 本当は、まだ生きていたいというのが恭介くんの本心だろう。野球についても本当は全然諦めきれてないだろうし、色んな後悔を背負ったままでいるのが恭介くんの本当の姿だった。

 やがて、バイクはよろよろと路肩にとまった。もちろん、その理由を聞かなかったし、異変にも触れなかった。なぜなら、恭介くんが必死につき通そうとしたウソを守ってやりたかったからだ。

 ――恭介くん、本当はもっと野球をやりたかったんだよね? もっともっとみんなと楽しく生きたかったんだよね? 本当は、両親や真彦くんとも仲良くしたかったんだよね?

 なにも言わない恭介くんの背中に、そっと問いかけてみる。もちろん答えが返ってくることは期待してなかった私は、代わりに恭介くんの肩をつつき、ふり返った恭介くんに空を見上げるように促した。

「みのり……、俺さ……」

 バイクからおりた恭介くんが、声にならない声をもらしだす。私はそんな恭介くんの背中に自分の背中を預け、黙って銀河の空に目を向けた。

 ――わたし、やっぱり恭介くんが好きなんだ……

 背中越しに伝わってくる恭介くんのぬくもりを感じながら、今頃になってようやく自分の気持ちに気づいた。でも、それが決して口にはできないということがわかった私は、生まれて初めて身を切るような痛みを胸に感じた。

「星、きれいだね」

「ああ、ほんと最悪なくらいきれいだな」

 そんなどうでもいいことを口にしながら、それでもお互い決して胸の内を明かすことはないまま、いつまで黙って二人で夜空を眺め続けた。



 翌日から、恭介くんは一切学校に来なくなった。真彦くんによると、ホスピスに入った恭介くんは、面会謝絶のままひとり過ごしているとのことだった。

 セミの音が落ち着きをみせ、夏の終わりの気配が漂う中、夏休み最後の総練習が終わった。練習がうまくいったかはわからないけど、ただ、なんとなく私の中に新たな感情のようなうねりができたことで、以前のようなぎこちなさがうすらいだように感じていた。

 そんな私の姿を、できれば恭介くんに見てほしかった。全然応援団長らしくないとしても、恭介くんのおかげでなにかが変わろうとしている私の姿を見てもらいたかった。

 けど、その願いは叶うことなく、恭介くんは医者の宣告通り、夏休み最後の総練習が終わった夜にひとりでこの世界から旅立っていった。