補習と体育祭の練習が毎日続く中、日ごとに神経をすり減らす私は、気づくと家に帰るなりベッドに倒れ込むようになっていた。

 ――このままで大丈夫なのかな……

 木目の天井をぼんやりと見つめながら、なんとなくうまくいかない現状をひとりぼやいてみる。正直なところ、応援団の練習はうまくいっているとは言いがたかった。

 もちろん、その原因が私にあることはわかっていた。恭介くんのアドバイスをもとに声を出せるようになったとはいえ、その内容は他の応援団長に比べたら恥ずかしいくらいにレベルの差がある。そのうえ、演舞に関しても物覚えが悪い私のせいでみんなの足をひっぱっているのは明らかだった。

 ――やっぱり、引き受けなければよかったのかな

 練習の間に感じるみんなの視線に、日ごとに不満がつのっているのも感じていた。さらには、他の応援団から陰で笑われたりしているのもわかっているから、みんなには申し訳ない気持ちでしかなかった。

「みのり、ごはんは?」

 夕食の時間になり、ノックもせずに部屋に入ってきたお母さんがのんきに聞いてきた。もちろん、いつものように『いらない』と冷たく返すと、お母さんは壮大にため息をついた。

「あんた、そうやってうじうじするんじゃなくて、たまには一緒に食べたらどうなの?」

 いつもはあっさり引き下がるお母さんが、よりにもよって今日はしつこく誘ってきた。

「だから、わたしなんか気にしなくてみんなで食べたらいいでしょ!」

 練習の疲れとうまくいかない現状にイライラしていた私は、つい声を荒げてしまった。

「みのり、あんた最近変よ。なにか学校であったの?」

「あのね、そんな話はいいって言ってるの。学校でお母さんが心配することなんてなにもないから。だから、ほっといてって言ってるの!」

 変に気にかけてきたことにさらにイラッときた私は、今度ははっきりと拒絶の意思を込めて声を荒げた。

 こうなるとなにを言っても無駄だと思ったのか、お母さんは捨て台詞のようなため息を残して部屋を出ていった。

 ――ほんと、最悪だよ

 お母さんがいなくなり、急に静かになった部屋に自分の高ぶった心音だけが広がっていく。本当は、お母さんにイライラをぶつけようとは思ってないし、できれば三人で囲んでいる食卓に顔を出したい気持ちもあった。

 けど、その気持ちをうまく言葉にできない私は、こうやって意味不明に拒絶することしかできなかった。本当は、素直に気持ちを表してお母さんと話しをしたいけど、こんな性格である以上、私にできることはやってしまったあとに襲ってくる自己嫌悪に耐えるぐらいだった。

 ――わたし、ほんとなにしてるんだろう……

 再び力つきるようにベッドに倒れこむと、情けない自分が惨め過ぎて自然と涙が出てきた。

 ――もう、どうでもいいや

 次から次に押し寄せてくる自己否定の感情に疲れきったときだった。不意にスマホが鳴り、友達のいない自分になぜ電話がかかってくるのかと恐る恐る画面をみてみると、画面には恭介くんの名前が表示されていた。

 一瞬無視しようかと思ったけど、なんとなく誰でもいいから話をしてみたいという謎の欲がわいたことで、私は迷いながらも電話にでることにした。

『みのり、ちょっといい?』

 電話口から聞こえてくる喧騒が、あの夜を思い出させてくる。どうやら恭介くんは暴走行為の最中らしく、その合間になぜか私に電話してきたみたいだった。

『な、なんでしょうか?』

『いや、別に用はないんだけどさ、ただ、今日の練習のあとにきつそうだったから、ちょっと気になっただけなんだけど』

 耳に響く恭介くんの声から、彼が心配していることがはっきりと伝わってきた。

『いえ、わたしは大丈夫ですよ』

 大丈夫じゃないくせに、すぐにそう言うのが私の悪い癖だ。とはいえ、どんなに辛かったとしても大丈夫とごまかして話から逃げることが染みついてしまった私には、そう答える以外になかった。

『嘘つくなよ』

『え?』

『本当はつらいんだろ?』

『な、なんで、そう思うんですか?』

 ひとつ間があったあと、恭介くんがわずかにトーンを落として切り込んできた。そのツッコミに反応できなかった私は、明らかに狼狽しながら声が裏返るのをおさえられなかった。

『俺、言ったよな? お前と俺はどこか似てるって。だから、なんとなくそう思っただけ』

 しばらく黙っていた恭介くんが、小さく笑ったあとにそう呟いた。その声から、なんとなく恭介くんが頭をかきながら言ってる姿が想像できて、私は張りつめていた空気が自分の中から抜けるのを感じた。

『でしたら、恭介くんも悩んでばかりなんですか?』

 人と話すのは苦手だけど、このときはなぜか恭介くんと話がしたい気持ちが強くなって、つい私のほうから会話をきりだしていた。

『なんだ、みのりは悩んでばかりいるのか?』

『えっと、その、そうなります……』

『別にかしこまる必要ないから。それより、窓を開けて空を眺めたりできるか?』

 急な問いかけに一瞬意味がわからなかったけど、恭介くんに急かされ、考えるよりも先に窓を開けて雲ひとつない夏の夜空に目を向けた。

『俺も悩んだり落ちこんだりするときは、こうして夜空を眺めたりするんだ。なんかさ、きらめく星を見てたら段々と悩んでるのが馬鹿らしくなったりするから、案外いいもんだぞ』

 恭介くんの言葉を聞きながら、半信半疑で夜空にきらめく星をぼんやりと見つめていく。確かに、無限に広がっていきそうな空に散りばめられた無数の星を見ていたら、なんだか段々と考えていたことがどうでもよくなるような気がしてきた。

『恭介くんの言ってること、わかる気がします』

『だろ? で、そのうえで聞くけど、みのりはなにを悩んでいたんだ?』

 不意に話題が戻るように、恭介くんが私の悩みについて聞いてきた。

『悩みといいますか、単なる自己嫌悪なんです』

 聞かれることは予想していたけど、どう話していいかわからなかった私は、とりあえず応援団のことや自分の弱い性格なんかを、たどたどしい言葉で恭介に伝えた。

『そっか、みのりも大変なんだな。まあ、親とうまくいってないってとこは、俺も同じだな』

『恭介くんも、親と喧嘩したりするんですか?』

『まあな。ただ、俺の場合はやりたいことをやらせてもらえなくなって反抗しているってだけだけどな』

 小さく笑いながら、恭介くんがその胸の内を明かしていく。恭介くんは、小さいときから城崎家の長男というレッテルに苦しみ、いつしか親と対立することで今をなんとかごまかしているとのことだった。

『俺さ、ちゃんと親に話して野球やってたらって思うときがあるんだ。それでも、両親は許可しなかったってのはわかってるんだけどな。なあみのり、不思議だよな。親には平気で馬鹿とか言えるのに、なんで肝心な自分の気持ちはうまく言えないんだろうな』

『わたしは、馬鹿とまでは言ったことはないです。けど、肝心な自分の気持ちを言えないことは、私も同じだと思います』

 考えるまでもなく、私は自分の気持ちを他人にはおろかお母さんにさえ話したことはなかった。それがいつからそうなったのかはわからないけど、気づいたときには、私は気持ちにふたをすること以外に選択肢を持てなくなっていた。

『だったら、絶対にいつかは勇気を出して気持ちを伝えるんだな。でないと、俺みたいに死ぬ間際にまで後悔することになるぞ』

『え?』

 しんみりとした空気を覆すかのように、恭介くんがやけに力のこもった声をぶつけてきた。

『恭介くんは、その、後悔してるんですか?』

『まあ後悔というか、もう間もなく死ぬとわかった今、なんでもっと話をしなかったんだって思うくらいかな』

 わずかにトーンが落ちた恭介くんの声から、なんとなく彼の想いが伝わってくる。恭介くんは、野球選手になるという夢を抱きながら、城崎家の長男という理由でその夢を潰されてしまった。その結果、親と対立したまま暴走族をやっているけど、そのことを恭介くんは後悔しているのかもしれなかった。

『いきなり電話かけてきて変な話してごめんな。みのりのガス抜きしてやるつもりが、俺のぼやきになってしまったな』

『いえ、いいんです。わたしも、こうして夜空を見ながら恭介くんと話ができて気持ちが軽くなりました』

『そうか、ならよかった。けど、これだけは覚えておいてほしい。遠い将来に後悔しないように、今のうちに自分の気持ちを親に伝えるんだ。そのためにも、勇気をもてるように応援団長を任せたんだからな。今はきついと思うけど、みのりにはがんばってほしいと思っている』

 最後は恭介くんの優しさが詰まったような言葉だったせいで、私は『ありがとうございます』としか言えなかった。

 電話を切り、改めて夜空を見上げると、相変わらずの銀河がなぜかやけに綺麗に見えた。

 ――わたしも、いつか勇気を持てるのかな?

 グッと拳を握りしめながら、自分に問いかけてみる。今の私では無理だと思うけど、恭介くんのおかげでいつかその日がくるような気がした。