体育祭本番を迎え、朝から落ち着かないでいた私は、わずかに暗い顔をした立花くんたちと一緒に応援合戦の準備にとりかかっていた。

 ――なんか似合わないんだけど……

 ど派手な刺繍の入ったハッピに恐る恐る腕を通してみたけど、明らかに場違いかつ不似合いな雰囲気でしかなかった。

 ――やば、めちゃくちゃ緊張してきた……

 号砲を合図に始まる応援合戦。これまでの各軍の得点は僅差だから、どの軍が優勝するかは応援合戦のできに委ねられているといってよかった。

 それだけに、各軍の応援団の演舞には熱がこもっていた。さらには、各応援団長の口上もユーモアやセンスにあふれていて、私の心は始まる前から折れかけていた。

「みの、そんなに緊張するな。俺たちは俺たちなんだからな」

 完全に石化して固まっている私に、立花くんが声をかけてきた。見ると、みんなは既に気合十分で立ちつくしていた。

 ――どうしよう……、失敗したらまずいよね?

 僅差を争う戦いだけに、各軍の演舞は甲乙付け難い内容だった。それだけに、ここでのミスは致命的なものになるのは一目瞭然だった。

 そう考えた瞬間、心臓が飛び出るような勢いで喉を塞ぎ、まともに息ができなくなった。さらには景色が歪みながら霞んでいき、全ての音が消えていった。

「みの、行くぞ!」

 ぼんやりとした意識の中、立花くんに肩を叩かれたことでようやく現実に戻ってきた私は、既に演舞開始の号砲がなっていることに気づき、なにも考えられないまま弾けるようにグラウンドに走り出した。

 ――どうしよう、どうしよう、どうしよう……

 もう何回も練習したというのに、最初の陣形についた瞬間、全ての演舞の内容が頭から飛んでいってしまった。さらに、なにもできないでいる私に次第に周囲から笑い声がわき始め、私は完全にパニックに陥ってしまった。

「みの、落ち着け。うまくやれなくてもいいんだ。失敗しても俺たちがカバーするから、思いっきりいけ!」

 私の異変に気づいたのか、立花くんがすぐに声をかけてきた。しかも、この状況にもかかわらず、立花くんはすずしい顔で笑みまで浮かべていた。

 ――な、なんとかしないと

 立花くんの言葉と笑みに少しだけ冷静さを取り戻した私は、もう考えることもできないまま無理矢理演舞に入った。

 けど、当然ながら壮大に裏返った私の情けない声がグラウンドにかすかに響くだけで、まわりからは隠そうともしない笑い声と冷やかしの声が上がり続けるだけだった。

 ――みんな、ごめんなさい……

 ちぐはぐな動きのまま、なんとか半分の演舞は終了した。けど、あとに残ったのは、応援団長なんか引き受けてしまったことへの激しい後悔と、みんなに迷惑をかけてしまった罪悪感だけだった。

 ――やっぱり、わたしなんかがこんなことしたらダメだったんだよ

 ひょっとしたら少しは変われるかと思ったけど、現実はあまりにも残酷だった。結局、地味子でしかない私がこんな人前に出ることが、最初から間違えているだけのことだった。

「みの、大丈夫か?」

 顔をあげることすらできずにいるところに、立花くんが再びかけよってきた。残すはメインの口上と最後の演舞になっているけど、とてもじゃないけど今の私にやれそうになかった。

「ごめんなさい、立花くん、口上を代わってもらえませんか?」

 なんとか声をふりしぼり、自分にはもう無理だと伝える。いよいよのときは立花くんが代わってくれるようになっていたから、私は考えるまでもなく立花くんに代役を頼むことにした。

 ――え?

 立花くんの返事を確認しようと顔を上げたときだった。なぜか周囲の時間が止まったかのように、全ての動きが停止していることに気づいた。

 ――どうなってるの? え? あれは恭介くん?

 突然のことにパニックになる私の目に、なぜかこっちに向かって来る恭介くんの姿が飛び込んできた。

「みのり、どうだった?」

「え? あ、はい、やっぱりわたしにはうまくできませんでした」

 亡くなったはずの恭介くんが、なぜか姿を現して声をかけてくるという事態に頭が追いつかなかったけど、それでも私は、再会した恭介くんに隠すことなく泣き言を呟いた。

「やっぱり、わたしみたいな人間にこんなことできるわけなかったんです。せっかく色々と面倒みてもらったのに、みんなに支えてもらったのに、結局、わたしはそれを全て台無しにした上に、勝つこともできなくなってしまいました」

 全ての感情をおさえることなく吐き出したとたん、気づくと堰を切ったように涙があふれてきた。

「なんで泣いてるんだ?」

「いえ、その、よくわかりませんけど、その、きっと悔しいからだと思います」

 恭介くんの問いに、私はちぐはぐになりながらも感じた思いを伝える。なんでこんなにつらいのかはわからないけど、ただ、今の私は失敗したことに対して、人生で初めて悔しいと感じてるからだと思った。

「みのり」

 不意に名前を呼ばれた瞬間、いきなり恭介くんが私のことを抱きしめてきた。もちろん、抱きしめられている感覚はなかったけど、それでも確かに恭介くんは私を抱きしめて頭を撫でていてくれた。

「よくがんばったな。けど、最後の大仕事がまだ残ってるぞ」

 恭介くんの不意打ちに頭と鼓動が混乱しているところに、恭介くんが口上の件をきりだしてきた。

「恭介くんには悪いんですけど、わたしにはもうできません。これ以上やったら、本当に無様に終わるだけです。だから、これ以上みんなに迷惑かけないように、その、立花くんにお願いしようと思ってます」

「みのり、それは間違いだぞ」

「え?」

「俺は最初に言ったよな。これは勝ち負けの戦いじゃないって。これは、みのりが勇気を出せるかどうか問題なんだ。だからみのり、つらいとは思うけど、俺みたいにならないように勇気を出して今は前に進むんだ」

「恭介くん……」

 優しくさとしてくる恭介くんの声が、折れていた私の心に入りこんでくる。恭介くんは、このままの私だと後悔するとわかっていたからこそ、私に応援団長をやることで勇気を持つことを教えようとしてくれていた。

 なのに、今の私はどうだろうか。せっかく作ってくれたチャンスを台無しにした上に、さらに前に進むきっかけとなる口上からも逃げようとしている。それが果たして、本当に私が選ぶべき道なんだろうか。

 そう考えた瞬間、脳裏に恭介くんとすごした最後の夜が蘇ってきた。あの夜、恭介くんが初めて見せた涙や彼がついたウソに、私は確かになにかを感じとったはずだった。

「恭介くん、私に勇気が持てるでしょうか?」

「ああ、みのりなら絶対にできる。そして、前に進むことができたら、そうだな、いつか俺が生まれ変わってメジャーリーガーになったときに、俺のイラストを描いてくれよ」

 いつものように照れ隠しで頭をかきながら、それでもはっきりと恭介くんは私にできると伝えてきた。

「そこで見ているから、自分の気持ち、みんなに伝えてくるんだ」

 そう言い残し、恭介くんがグラウンドのすみへと歩いていく。と同時に、止まっていた時間が動きだすように、周りの景色がゆっくりと鮮明になっていった。

「みの、大丈夫か?」

 全てがもとに戻ったところで、心配そうな表情を浮かべた立花くんが声をかけてくる。その気づかいに感謝しながら、私は前言を撤回するように何度も「大丈夫です」とくりかえした。

 ――恭介くんが教えてくれたんだ。これは勝ち負けじゃない、私が勇気を出すことなんだって

 今なお続く馬鹿にした笑いや冷やかしの中、私はグラウンドの中央に用意されたマイクスタンドを目指した。今からみんなの前で自分の気持ちを口にすることを考えたら、それだけで全身のふるえが止まらなかった。


 それでもマイクの前に立ち、今にも吐きそうになるくらいの緊張に耐えながら、私は手にした口上の紙をふるえながら開いた。

 ――大丈夫、笑われたっていい。それよりも、せっかく背中を押してくれた恭介くんの気持ちを無駄にしたくないし、なにより、もう後悔はしたくない

 大きく深呼吸し、ありったけの想いを込めた文を眺める。周りにどう思われるか怖かったけど、もう後戻りはしないと決めた。

「こ、……口上!」

 持てる限りの勇気をふりしぼり、懸命に声を張り上げる。一瞬、声が裏返って詰まりそうになったけど、かまわず力の限り声を出し続けた。

「わたしは、今までずっと自分の気持ちにふたをして生きてきました。やりたいことから目をそむけ、言いたいことも言えないまま、ただ黙っているだけの弱い人間でした。そんな性格をなんとかしたいと思っても、臆病なわたしにはどうすることもできませんでした。でも、恭介くんと出会い、彼に背中を押してもらってここに立っています。
 そんなわたしが、今、言いたいことは、わたしはこんな性格のまま生きていたくなんかないってことです。
 だから、今ここで、わたしはみんなに宣言します。わたしは、自分の夢を叶えるため、デザインの世界で勝負したいと思います。そして、いつか必ず、世界で活躍するような有名なクリエイターに、わたしはなってみせます!」

 途中カミカミになりながらも、私はありったけの力を込めて声を張り上げ続けた。終わった瞬間、鼓動が耳もとで聞こえて周りの音が消えていたけど、気づくといつの間にかまわりから拍手と歓声が上がっていた。

「みの、よくやったな。見ろよ、これがみのに対するみんなの答えだ」

 熱くなって頭がぼーっとする私に声をかけてきた立花くんにうながされ、周りに目を向けてみる。さっきまで笑っていたみんなから、今は拍手と共に私を称える声が上がっていた。

 ――やった、やったよ、恭介くん!

 自分でもびっくりするような反応に驚きながらも、私はやりきった嬉しさを伝えるためにグラウンドのすみに目を向けた。

 ―――恭介くん……

 てっきり、恭介くんが手をふってくれてると思っていた。けど、さっきまでいた場所に、もう恭介くんの姿はなかった。

「みの、どうした?」

「あの、立花くん、お願いがあります」

 恭介くんの姿がないことで全てをさとった私は、最後の演舞を急遽変更することを立花くんに伝えた。

「なんか、そう言うと思った」

 私のわがままをあっさり受け入れた立花くんが、急いで団員のもとへ私の案を伝えに行く。その様子を見ながら、私は最後の演舞のために浮つく気持ちを切り替えることにした。

 ――恭介くん、あなたはわたしを信じてくれたんだよね? だから、最後は背中だけを押して姿を消したんだよね? わたしならできるって、恭介くんは信じてくれたんだよね?

 空を見つめながら、あふれそうになる涙を必死にこらえる。これから行う演舞は、私と恭介くんにとって涙は似合わないからだ。

 準備が整い、再びグラウンドに静寂が広がっていく。みんなの視線にも不思議となにも感じなくなった私は、ゆっくりと深呼吸をして最後の演舞にとりかかった。

「わたしに変わる勇気ときっかけをくれた城崎恭介は、野球選手になるのが夢でした。残念ながら夢叶わず亡くなってしまったけど、きっと生まれ変わったらその夢を叶えると思います。だから、そんな城崎恭介の新たな門出と夢を叶えるためにエールをおくります」

 今度は、声が裏返ることなくはっきりと言えた。そのことが嬉しくて、私はこれまでの感謝の気持ちを込めて力の限りに声を張り上げた。

「フレー、フレー、恭介!」

 私に続いて、団員が恭介くんにエールを届ける。

 なんの変哲もない演舞だった。

 でも、それでもよかった。ただ、恭介くんにさえ届けばよかった。

 だから、最後の最後まで祈りながら声を張り上げ続ける。

 天まで届けこのエール、と――。