春樹と暮らし初めて二年目の春をむかえた。
 僕は密かに、僕たちは同棲しているんだと思っているけど、春樹にとっては男同士の同居でしかない。

 そんな毎日に空しさを感じないわけはない。胸の奥に押し込めた片想いが僕を押し潰しそうになる夜もある。それでも毎朝、目が覚めると春樹がいる幸せを、僕は手放すことはできない。

 僕たちは産まれた時から一緒だった。母親同士が親友でスープの冷めない距離に住んでいたから、お互いの家を行き来して、どちらがどちらの家かわからなくなることも多いくらいだった。そんな環境だったから僕は春樹を特別な存在だとは思っていたけれど、家族として大事なのだと、ずっと思っていた。
 それが恋だと気づいたのは中学二年の秋。春樹がクラスの女子と付き合い始めた時だった。仲良く二人並んでいるのを見ると、僕は身の内にわだかまる真っ黒な嫉妬に焼き殺されそうになった。その炎で春樹を焼いてしまわないように僕は春樹を避けた。
「お前、なんで俺を避けてるんだよ」
 ある放課後、図書館へ向かう渡り廊下で、春樹が僕を待ち伏せていた。僕は春樹と目をあわせることができなくて春樹の靴の爪先を見ていた。
「だって……。僕、二人のじゃまになるから」
「じゃまってなんだよ。誰がそんなこと言った」
 春樹は怒っていた。声だけでわかる。いや、爪先をみただけで、僕にはわかる。
「誰も言わないけど、普通、そうじゃない」
「普通なんか知らないよ。お前が俺から離れたいのか?」
 うん、と言うべきだったのだ。
「そんなわけ……ないでしょう」
「なら、離れるなよ。お前が居心地悪いなら、彼女と別れるよ」
 窓から真っ赤な夕陽がさしこんで僕の顔色も目立たなかったことを幸運に思った。こんなに嬉しい言葉を、僕は他に知らない。
 それから一度も春樹は彼女を作らず、高校二年の今まで来た。二人が受かった高校は自宅から通えない遠距離で、僕たちは二人でアパートを借りた。少ない仕送りを補うために、アルバイトで生活費をまかなっていた。学校とバイトに明け暮れて、春樹と僕は友達ともろくに遊ばずに、お互いの顔ばかり突き合わせていた。幸せな、とても幸せな毎日だった。
 手紙をもらった。古風に封筒と便箋だった。封筒はピンクで、ハート型のシールでとめてある冗談みたいな手紙だった。開けなくても内容がわかる形式美に、僕はある種、感動した。だからつい持って帰ってしまい、つい机の上に置いてしまった。
「おいおい、これラブレターかよ」
 帰宅した春樹が僕の机の上を指差した。
「やるじゃん、お前。で、付き合うの?」
 春樹は普段通りの落ち着いた声で僕に尋ねた。
「付き合ったら、どう思う?」
 つい、僕は聞いてしまった。答えなんて決まってるのに。春樹は僕が誰と付き合おうとも気にもとめないに決まってるのに。
「やめとけよ」
「え?」
「お前のために俺が彼女と別れたの、覚えてるだろ」
「うん……」
「だから、やめとけよ」
 そうだ。僕は僕のわがままで春樹の自由を奪ったんだ。春樹は嫌々彼女と別れたのに。
「春樹、今度は僕、じゃましないから」
「じゃまってなんだよ」
「好きな人ができたら、遠慮しなくていいから。僕に気をつかわないでよ」
 春樹は僕の目をじっと見つめた。僕はまっすぐに春樹を見ることが出来なくて目をそらす。
「わかった」
 ぼそりと呟いた春樹の声が胸に突き刺さる。わかってる、僕だって。僕たちはいつまでもこのままではいられない。いつかみんな変わってしまう。春樹が恋をしたときに、あるいは僕が春樹の手を握ったときに、今の幸せは泡のように消えてなくなる。
 春樹が僕に背を向けてドアを出る。その背中に手を伸ばしかけて、僕は歯を食い縛り自分の手を、泡沫の幸せを握りしめた。