少しドギマギしながらもハイタッチしてくれた椎奈に、驚いてしまった。
 正直、やらないと思っていた。前のように、控えめに手を少し出すだけだと思っていた。それが、自分からしてくれた。
 あ〜俺の馬鹿。いきなり呼び捨ては悪かったかもな〜。でも、案外椎奈は嬉しかったりして…いや、分からない。
 更衣室で適当に相槌を打ちながら、試合を振り返る。まあ予想通り、ほとんど俺が得点したが、椎奈も頑張ってくれていた。故に、授業終わりは少し息が切れていた。
 ふと一瞬、これはもう、「隣の人とは仲良くしたい主義」とは言えないのではないかと思った。確かに、仲良くしたいがためにわざわざペアを組むのは少しやり過ぎな気もする。いつもより数倍早く、距離を詰めている気もする。椎奈も、少しずつ抵抗がなくなっているようだが、それにしても俺がおかしい気がする。

 俺は紺野蓮。「隣の人とは仲良くしたい主義」。なんとなく、隣の人の好きなものを調べて、話をうまく盛り上げ、居心地のいい時間を作る。でも、それ以上のことはしない。相手から好意を持たれようが、知ったこっちゃない。告白は全て断っている。だから彼女なし歴が年齢だ。
 俺が、俺じゃなくなっているような気がして、少し心臓が縮む。
 気を紛らわすために、会話に参加した。


「あ、椎奈。ちょっと待ってて。」

 時計は午後3時40分を指していて、部活のない俺らは下校の時間だ。今日はゆっくりと帰り支度をする椎奈を、俺は引き止めた。
 椎奈はもう、リュックを背負ってしまっている。猛スピードで帰り支度を済ませ、リュックを背負った。

「一緒に帰ろ。」
「え…あ…はい…。」

 2人で駅に向かう。人が少なくて、静かな空気が流れていた。

「…今日、ペア組んでくれてありがとね。助かった。」
「いえ…私なんて…。」
「あ、俺も「れもきみ」読んだよ。なんか檸檬が良かった。」
「え…。私は青くん派です…。いっつも青くんに感情移入して読んでて…。」
「そーなの?俺、檸檬に移入してるかも〜。3巻のさ、あの手繋ぐシーン良かったよな〜。「うわーっ!」って感じで、めっちゃ引き込まれたわ〜。」
「分かります。あのシーンは本当に好きで、何回も読んでて…。」
「1巻ではそんなだったのに、段々好きになる檸檬と青がいいんだよな〜。」
「ですよね…!」

 珍しく、椎奈がたくさん喋ってくれている。それほど好きなのだろう。「れもきみ」が。これは、最新刊まで読み進めるしかないな。

「椎奈ってああいうのが好きなんだな。なんか普段は真面目そうな本ばっかり読んでるから、イメージなかったわ〜。」

 少しの間が空いた。どうしたのかと思い、椎奈の方を見ると…椎奈は氷漬けにされたように、固まっていた。
 少し目を見開いて、完全に時が止まったようになる。桜色の唇が、段々と色味を失う。目は完全に俺を見透かして、どこか遠くの方を見ているようだ。

「椎奈…?」

 俺が呼びかけると、金魚のように口をパクパクする。言いたいことがあるのに声が出ないらしい。ただ立っているだけなのに、椎奈の肩が上下し始める。
 絶対に、俺がなにか言ってしまった。何を言った?思い出せ。「イメージなかった」とは言っちゃダメだったか?いや、そのくらいでこうなるか?

「…ほ、ほんとうに…?」

 ようやく絞り出せた、椎奈の細くて消えてしまいそうな声が宙に浮く。

「…意外ですか…?」
「え?…うん。」

 確かに意外かと聞かれれば意外だ。

「…キモいですよね。」

 そして、椎奈はやや早く歩き始める。逃げるように。

「は?全然キモくないって。」

 慌ててついて行く。

「はあ…。…私の部屋を見ても、そんなこと言えますか…?」
「え…?」

 椎奈の部屋?椎奈の部屋がキモい?ん?どういうことだ?

「…来てください。」

 なぜか分からないが、いきなり家に呼ばれた。