私のいちばん好きな星

 みなさん、南の空をごらんください。
 ひときわ強く輝く、美しい星が見えるでしょう。
 あれがおとめ座の一等星スピカ。
 私のいちばん好きな星です。


「歌奈、ホントにやるの!?」
「うん!」
 梅雨もそろそろ落ち着いた六月の終わりごろ。
 止めようとするゆめちゃんを押しきって、私は二階の校舎の窓から外に出た。
「うわぁ……」
 足場はあるものの、とても細い。
 うっかり足を踏み外したら、まっさかさまに落ちちゃいそう。
 身体を壁につけて、そろりそろりと進む。
 目の前には大きなクスノキ。
 よし、やってみよう。
 ぐっ、と手を伸ばし、しっかりと枝をつかむ。
 あわてずに、落ち着いて、落ち着いて。
 ゆっくりと足をかけてよじ登る。
 やった! 木の上に来られた。
 高さはそう変わらないのに、校舎から見る景色とはまた全然ちがう。
「わぁ……」
 空の青さが、いちだんとハッキリしてる。
 雲が手に届きそうなくらい近くに見える。
 風と緑のにおい。少しチクチクッとする木の肌の感触。
 旅に出た「彼女」が見た景色もこんな感じだったのかな――。

「歌奈、大丈夫?」
 ゆめちゃんの声がする。
「うん、うまくいった――!」
 と、窓のほうに顔を向けようとしたそのとき。
 グラリ、とバランスをくずした。
 やばっ! 油断した。
 このままじゃ、まっさかさまに落っこちちゃう!
 成功したと思ったのに、私、一瞬で天国行き!?
 まだ十六歳になったばっかりなのに。
 あっという間の人生だったな……。

 バサバサバサバサッ!
 枝と葉っぱが折れる音が耳に響いて、バシッ! と身体がなにかにぶつかった。
 そうか。私、地面に落ちたんだ。
 あれ……? でも、身体は全然痛くない。
 それに、地面ってこんなにあたたかかったっけ?

「おい」
 耳元で低い声がした。
 パチッと目を開けると、目の前には見知らぬ男子がいた。
 つやのあるサラサラとした黒髪に、キリッとした強いまなざし。
 整った高い鼻と引きしまった口元。
 シャンプーか、ヘアスプレーのせいかな。かすかにミントの香りがする。
 カッコいいひとだなぁ。誰だろう?
 ぼんやりと、そのひとの顔を見つめていると。
「あんた、死ぬ気か?」
 そのひとは、形のよい眉をムスッとひそめた。
「あなたは、神さま?」
 夢見ごこちのまま、そうつぶやいたとたん。
「ボーッとしてんじゃない! ちゃんと状況見ろ!」
 ものすごい勢いで一喝された。
 状況?
 そう言われて、あたりを見まわしてみると。
 地面に転がる木の枝と葉っぱの数々。
 あれれ、でもおかしいな。
 私も地面にいるはずなのに、転がってる木の枝と葉っぱがずいぶん遠くに感じる。
 まるでベッドに寝そべって、空中から観察してるみたい。

 ん?
 寝そべる???
 私はようやく背中の感触に気づいた。
 たくましい二本の腕のじんわりとしたあたたかさ。
「わわわ!」
 分かった。
 私、地面に落ちたんじゃない。
 このひとが抱きとめてくれてたんだ!

「すっ、すみません!」
 やっと自分の置かれた状況を理解して、全身が真っ赤になる。
 黒髪の見知らぬ男子は不機嫌そうに私を下ろすと、
「いったいなんでこんな危険なことしたんだ! ヘタしたら死ぬところだったんだぞ!?」
 と、厳しい口調でしかってきた。
「ゴメンなさい。劇の練習してて――」
「劇……?」
 男子の顔がいっそう険しくなった。
「はい。私、演劇部に入ってるんです。九月の文化祭で舞台やるんで」
「……」
 あれっ、だまっちゃった。どうしたんだろう?
「あの、演劇って興味ありませんか?」
 なにげなくそう聞いたつもりだった。
 だけど、そのひとは険しい顔をくずさないまま、
「ねーよ。そんなもん、観たくもねぇ」
 と、吐き捨てるようにつぶやくと、そのままプイッと背を向けて、私のそばから去って行った。