「――あの、このチョコ、受け取ってもらえませんか!」

 彼がそう言った瞬間、全ての窓が空いていた教室のカーテンが激しく揺れた。強い風が吹いたのだろう。さっきまで何も音がしなかったこの空間に突如そのカーテンが棚引く大きな音がしたのだ。まるでその音はこの空間を引き立てるBGMのようだった。

 私のスカートも揺れる。

 私と彼は1ヶ月ごとに回ってくる日直当番だったから、放課後に日直の仕事の1つである教室の掃除をしていた。私も彼も掃除に対する概念は強かったので、気づけば掃除を終えた頃には教室からクラスメートの姿は消えていた。

 そんな私と彼の2人だけの空間で、彼はここだと思ったのか、私にそんなことを言ってきたのだ。

 ――そういえば、今日はバレンタインデーだった。

 そんなこと、私の頭の端っこにしかなかった。

 ただ、私はその言葉にきょとんとなってしまった。だって、こんなこと今までの人生の中で一度もなかったから。正直、どうしていいのか分からなかった。私にはそういう場面になったときに働く思考なんてものは持っていなかったのだ。

「そのチョコって、手作り……?」

 私が一番初めに出た言葉がそれだった。そんなことを一番最初に聞くのは少し変わっているかもしれない。

「うん、何回も試作してやっとできたんだ。味は保証できないけど、君のために頑張って作ったので、よかったらもらってくれませんか!」

 彼の声からもいかにこのチョコに努力をかけたかが伝わってくる。彼は更にチョコの入った箱を私の目の前まで持ってくる。

 普通、恋愛とは全く無縁の私みたいな人からしたら異性からのプレゼントなんてものは嬉しいものだろう。正直に言えば私も嬉しかった。嬉しくないはずがなかった。胸のドキドキが抑えられなかった。「君のために」なんて言われたらなおさらだ。

 ただ、私は――

「気持ちはすごく嬉しいし、それをいただきたいんだけど、私、手作りしたものはちょっと……」

 私はもじもじしながら、曖昧なことを言い断ったのだ。

「えっ、それって僕のことが嫌いってことですか!?」

 私の言葉に反応し、彼が私の目をはっきり見てそう問いかけてくる。いや、そういう意味じゃない。彼は優しいし、皆のことをよく見てくれてるし、いろんなことができるし……すごい人だと思っている。それに――

「いや、違くて……。別にそういうんじゃなくて、あの、君がというより私が――」

 私はなんとかもらうことができない理由を説明しようとした。でも、未曾有の状況であったということもあってなかなか適切な言葉が見つからなかった。

「いや、いいよ。ごめんなさい……。実は好きだったんだ。だから、せめてチョコだけでもと思ったけど、それも無理だったか……」

 彼は私が全てを説明する前に、そう諦めたかのような言葉を放ってチョコを持ったまま教室を足早に去ってしまったのだ。私はそんな彼を止めることはできなかった。止める勇気なんてものは私には存在しなかった。ただ、教室から出ていく彼を見るだけ。彼を見ると、雫のようなものが見えた。

 彼は普段から自分の意見を素直に言えない弱い子だった。全てを周りに流されてしまうそんな子。頼み事をすれば嫌なことだって引き受けてしまう。昨日だって早く部活に行きたいからという理由でとある子が押し付けてきた掃除当番をやっていたし。

 そんな彼が私にチョコを渡そうとしてきたのだ。相当勇気がいたに違いない。相当悩んだに違いない。そんな子からのチョコを私は断ってしまった。彼の努力を無駄にしてしまったのだ。

 もし、他の人が見ていたならチョコぐらいもらってあげなよと思うだろう。それぐらいもらってあげてもいいじゃんって。むしろ君みたいな人はありがたく思えよって。私だって本当のことを言うのならもらいたかった。いや、もらうことぐらいはできたのかもしれない。でも、それを食べることはできないんだと思う。もらうだけで食べない……そんなの失礼じゃないか。だから、もらわないという方を選んだのだ。

「――私が、潔癖症じゃなければな」

 私は彼の出ていった扉の方を見て、そっとそうつぶやいた。私からも雫が垂れた。ぽたりと。悔しい。ごめん……。でも、どうすればよかったの……。誰もいない教室で少しの間、涙を流した。気づけば、床が濡れていた。小さな水たまりになっていたのだ。唇にも涙が流れたけれど、コーヒーなんかよりも苦かった。



 ――潔癖症。名前ぐらいは聞いたことがある人も多いかもしれない。手が汚れているという強い概念に取り憑かれ、手を何度も洗ったり、他人が触るものを汚いと感じ、触ることをためらってしまったり、できないことだ。もちろん、潔癖症の中でも強さは様々あるけれど、私はかなりの潔癖症と言えると思う。でも、私が潔癖症についてちゃんと話したのは、特に仲のいい友達と担任の先生ぐらいだ。

 だから、手作りのチョコとかそういうのは食べるのが特に難しい。それを彼が知らないのは当然だと思う。そういう背景があって私は断ったのだ。ただ、私がちゃんと説明できなかったことがいけなかった。説明すれば優しい彼にはちゃんと分かってもらえたと思う。

 それが少なからず私の義務だったと思う。



 ――その義務を果たせないまま、1週間が過ぎた。

 高校2年生も残り約1ヶ月。義務を果たせる気がしない。どうしていいのかわからない。もしかしたらずっとこのままなのかもしれない。高校3年生になるとクラスが変わり、同じクラスじゃなかったらもうこのまま卒業することになる。そんなことは、いやだ。

 ただ、あの日以来、かつては彼と話すことも時々あった気がしたけど、彼と一言も喋ってないところが見ることもできていない。だから、彼が今どんな表情をしているのかもわからない。

 彼が私を嫌いになるのは構わない。でも、このままは嫌だ。ちゃんと自分のことを伝えたい。潔癖症で食べられないってことを。

 だけど、どうやって伝えればいいんだろう……自分のことを。説明したところで、都合のいいこと言って、嘘なんじゃないかと疑われてしまうかもしれない。

 じゃあ、どう伝えるかじゃなくて、ちゃんとチョコをもらえばいいんじゃないか。

 ――!

「――あのさ、私、潔癖症を克服したい!」

 私はお昼休み、仲のいい2人の友達とお昼ごはんを食べようと弁当を広げ始めたときに、それを宣言するかのように少し大きな声で言ったのだ。今まで悩んでいたことの答えがやっと分かったのだ。これなら彼のチョコも食べられる。ちゃんと想いを受け取ってあげられる。

「いや、どうしたの急に……」

「熱でもあるの……?」

 ただ、私が想定していたような反応はせず、むしろ2人に引かれてしまった。いや、そんなに引くようなことか。私、今、おかしなこと言った? これは本気だ。

「なにー? 好きな人ができていい感じのところまでいったけど、潔癖症てことを伝えたらダメだったとか……!?」

 侑凛(ゆり)が私の頭を優しく慰めるように撫でながらそう言った。一応きっかけは異性ではあるけど、好きとかそういうのじゃ……。

「いや、ちが――」

「そんなの大丈夫だよ! むしろ分かってくれる人を選んだ方が幸せだよ! 分かってくれない人はもうこっちからお断りしちゃいな!」

 私が喋ろうとしたことに気づいていなかったのか依都(いと)も私を慰めるようなことを言ってきた。勝手に私が潔癖症が原因のため恋愛を失敗したようなことに2人の中ではなっているみたいだが、そういうわけではない。

「そうだよ! 仮に分かってくれる人がいなくたとしても愛澄(あすみ)のことは私達が一生愛してあげるから! ね!」

「ありがとう……」

 勘違いされているのに、反射的に私はその言葉を出してしまう。一生愛してくれるという言葉は素直に嬉しいし、頼りがいのある言葉だけど、今はそういう話ではない。

「いや、違くて私も皆と同じようにしたいなって。夢みたいな感じ……? とにかく、私は潔癖症を治したいんだ!」

 うまく伝わる文とは程遠いような気がしたけれど、私の熱意が伝わったのか、

「それなら協力するよ!」

「私もー!」

 2人は一瞬にして慰めるから協力するに変わってくれた。これでなんとか2人の協力を得ることはできそうだ。まずはクリア。

「でも、どうやってやるの?」

 痛いところをつかれた。私はあくまで目標を言っただけで、その目標に近づくには具体的にはどうしたらいいか全く考えていない。勉強を全くする意欲がない人が偏差値の高い医学部を目指すと言ってるのと同じことだ。潔癖症ってどうやったら治るんだろうか。

「それは……少しずつ控えてきたことをやっていくとか? 普通の人と同じようにする。まあ、頑張るから、とりあえずお腹すいたしお昼でも食べよう!」

 私のお腹はもう限界に近かったので、手をぱちんと叩きながら2人にそう言う。すると2人はお弁当箱の蓋を開け、美味しそうにおかずを頬張る。私はウエットティッシュで手を拭いていく。指先や親指の付け根は特に汚れやすいと言われているから特に念入りに拭いていく。最後に仕上げも兼ねてもう1枚新たにウエットティッシュを出して拭いていく。

 ただ、何か痛い視線を感じる。私はそう思って手だけを見ていた視線を上に上げる。すると2人が唐揚げを食べながら私の顔をじっとみていたのだ。私の顔に何かついているのだろうか。でも、さっき鏡を見たときには何もついていなかったはず。

「……どうしたの?」

 じゃあ、なんだろうと思い、私は恐る恐る尋ねる。

 すると、侑凛の視線はウエットティッシュに向けられていた。このウエットティッシュ、侑凛のだっただろうか。いや、違う確実に私のだ。名前もちゃんと書いてあるし。

「……さっきできるだけ普通の人と同じようにするって自分で言ってたよね」

 侑凛は唐揚げを飲み込むと、私に対し少し冷たい視線のままそう言ってきたのだ。たしかに、私は自分からそう宣言したのだ。なのに、手をかなり念入りに、それに無意識に拭いていた。

「あっ、たしかに。でも、気にならない? だって、ご飯食べる前だよ?」

「いや、私は大丈夫。パンとか手づかみのものじゃないし、それにさっき3人で手洗ってきたし……」

 やはり、共感は得られなかった。普通の人はここまでしなくても大丈夫なのか。私がやりすぎなだけなのか。

 ――やっぱ私、無理なのかもしれない。

 諦めたほうがいいのかもしれない。人ってそんなに簡単に変われるものではないんだし。

「やっぱ、そのままの方がいいんじゃないかな。無理しなくても……」

 依都が少し言いづらそうな感じでそう言ってくる。

 いや、でも――

「いや、でも私、これまでもテストでクラス一桁取るために今回こそは! と思って勉強しようとしたときも途中でユーチューブを見たり、運動しようとジョギングを始めたときも結局3日で終わっちゃったし……。だから、潔癖症を克服するっていうことができたら私そのものも変われる気がするんだよね! だから、頑張る!」

 私は続かないという癖が小さなときからある。勉強も、運動も……それ以外も。だからこそ、続かないという癖を変えるためにも私にはこれが今必要なことなのだと思う。私を変えるためにも。

「あの、一賢(かずよし)くん知らない?」

「先生、一賢くんになにか用ですか?」

 どこからか暖かな風でも入ってきた――と思ったら担任の先生が教室に入ってきたみたいだ。相変わらず十分大人のはずなのに、声が可愛い。生徒と間違えてしまいそうだ。でも、私が決意を固めたのを聞かれてないだろうか。もし聞かれてたら恥ずかしいなと思い、少し体を縮めた。でも、依都が先生に対応してくれたので私の出番はいらなそうだ。

「前に課題出したじゃん? それで一賢くんは神社について調べてたんだけど、それについて少し聞きたいことがあって……」

「あー、一賢くんは多分、今購買に行ってます。帰ってきたら伝えておきますね。そういえば、一賢くんって本当に神社のこと詳しいですよねー。この前私も恋愛に強い神社を聞いちゃいました」
  
 侑凛は少しニコリとしながらそう言う。

「へー、そうなの? いいじゃん。じゃあ、よろしくね。職員室で先生が呼んでるよって伝えておいて」

「先生もマッチングアプリがうまくいくような神社でもお探しですか?」

 そして次にニヤリとした顔を浮かべながら突っ込んでくる。

「いや、別に私マッチングアプリとかしないから。というか結婚済みで、子供も去年できてます」

「そうでしたね。先生モテますもんね。とりあえず、了解です」

 侑凛は最後に警察官のポーズのようなものをして先生に了解ということを示していた。先生はにっこりとした顔をした後、生徒の姿を見てから教室を出ていった。

「一賢くんって神社に詳しいの?」

 私はさっきの会話に気になり聞いてみる。

「うん、神社オタクっていうか神社博士として有名だよ」

 甘そうな卵焼きをほおばりながら、依都が常識だよという風に返す。そうなのか、私はどちらかといえば陰キャ系で男子との関わりなんてほとんどないからそんなことは知らなかった。侑凛が一賢くんに恋愛の神社を聞くというほどだからかなりの神社博士なのだろう。

 ――神社? 神様?

 それなら、変えられるのかもしれない。ベストな方法とは言えないかもしれないけど、自分の力で無理ならば!

「購買で収穫したし、早くメシにしようぜー!」

 一賢くんの声だ。どうやら一賢くんが購買から戻ってきたみたいだ。男友達を連れて教室に戻ってきた。

「あ、一賢くん帰ってきたね。じゃあ私伝えてくる」

 さっき先生に任された役割を果たそうと侑凛が席から立ち上がる。いや、待って――!

「――いや、私が伝えてくるよ!」

「えっ、別にいいけど……。一賢くんと話せるの?」

 陰キャよりの私がこんなことを言って、少し不思議に思ってるだろう。でも、私には今、一賢くんに言いたいことがあるのだ。ただそれだけを言う勇気なんか私にはない。でも、何か用があって、それとなら言える気がするから。

「あー、うん」

 ただ、勢いで言ってしまったけど、話せるかどうか正直少し不安な部分もある。でも、もう後戻りはできない。私は一賢くんの方に行く。幸い一賢くんの友達はトイレに行ってしまったようで、今は一賢くん一人で席に座っていたので大チャンスだ。

 私は一旦頭を整理してから、一賢くんに「あの……」と声をかける。

「ん? 僕によう?」

 私にはまだ一賢くんと話すのは早かったかもしれない。一瞬で緊張という感情が出てくる。でも、ここで黙るわけにもいかない。だから、私はまずは先生からの伝言を伝える。

「あー、サンキュー、ありがとう」

 で、ここからが本番だ。先生からの伝言を伝えるなんてまだレベル10中2ぐらいのこと。今から言いたいことのレベルは8ぐらい。単純計算でさっきの4倍だ。

「まだ何かある感じ? 勉強の相談? それなら俺より違うやつのほうがいいと思うぞ、勉強全然できないし」

 私がもじもじしているのに気づいたのか彼からそう優しく声をかけてきた。感が鋭い。

「いや、違くて……。あの、ライン交換してくれませんか――!」

 私はポケットからスマホを出して、一賢くんにそう言った。ただ、一賢くんは状況を理解できていないかのようで少しきょとんとしている感じだった。私のやっていること、これじゃあナンパじゃないか。一賢くんがきょとんとするのも分かる。異性とのコミュニケーション能力が薄すぎる! ただ、それをナンパだと思われるわけにはいかない。

「というと……?」

 少し経ってから一賢くんが私の顔を覗いてくる。

「あの、一賢くんって神社とか詳しいじゃん。それについて少し聞きたいことがあって……。ラインの方が話しやすいなーと」

 この説明をすればナンパだとは思われないだろうか。まだ胸のドキドキが止まらない。こんなにも胸がドキドキしたのは彼からの告白以来。私のお腹の中に風船が入っていたとしたら確実に割れているだろう。

「――! あ、そういうことね。りょうかい、りょうかい」

 一賢くんは、私が説明し終えると、アイデアをひらめいたときのように納得の表情を見せていた。なんとか私の今あるコミュニケーション能力で分かってもらえたようだ。一賢くんはスマホを出すと、私のラインのQRコードを読み取り、無事にラインを交換することができた。これで一歩前進だ。

「最初からそう言ってくれればいいのにー」

「ごめんごめん」

 それが私にはできないんです! とは言わなかったけれど、私苦笑いで返した。

 交換したばかりの一賢くんのラインのアイコンは、やはり神社のアイコンだった。これは夜に撮ったものだろうか、周りが暗い。でも、立派な鳥居がそびえ立っている。私はありがとうと言ってその場を後にする。ただ、かなりの時間がかかってしまい2人には何があったのかと拷問されてしまったが、なんとかうまくごまかすことができた。



 部活を終え、家に帰ると早速手を念入りに消毒した後に、今日交換したばかりの一賢くんにラインする。

『潔癖症を治したいんだけど、そんな私に合う神社はないかな? 潔癖症を治したくて……』

 送信。多分、異性にラインなんて何ヶ月ぶりとかそれぐらいだろう。そのラインも連絡事項だったし。近くにあった紙に触れると、少しその紙が濡れた。多分私の手汗だ。一賢くんにラインを送っただけなのにここまで緊張するとは思わなかった。

 そのラインの返信は10分足らずできた。その間、ずっとスマホを握っていた。

『どうして治したいのか教えてほしいな』

 ただ、一賢くんはまだ神社については教えてくれないようだ。たしかに、どうして直したいかそれぐらいは相手も知っておきたいか。ラインを交換するときだって、理由を知らなきゃ少しためらってしまうのと同じように。

 私はこれはより私にあう神社を探してもらうためだと、彼の名前は伏せたうえで、一連の出来事をかなり長文になってしまったが、文字にして送った。チョコを受け取って欲しいと言われたけど、受け取れなかったこと……。

『うん、分かった。もちろん、神頼みだけではいけないよ。その上で本当に治すべきだと思うっていうならその神社を紹介してあげる』

『うん、紹介してほしい(お願いマーク)』

『分かった。ただ、少しその神社は道が分かりづらいところにあるしあまり知られてないから一緒に行こうか。あと、その神社は夜の方がいいって言われてるんだよね。急だけど今から行けるなら行く?』

 そうなのか。その神社は夜の方がいいと言われているのか。普通の神社は午前中がいいとかいうのを聞いたことがあるけれど、これは一賢くんだからこそかもしれない。

 ただ、今から行けるなら行く? その文字に反応してしまう。

 時間の問題ではない。夜とはいえ今はまだ8時。親はそこまで厳しくない人なので友達と少し行ってくると伝えれば行けることはいけるだろう。

 じゃあ、何に反応したのか。それは、2人で行くということ。異性とのコミュニケーション能力が欠けている私なんかが一賢くんと。一賢くんの性格からして何か変なことをやってくるとかそういう心配はいらないだろうが、ちゃんと会話ができるか、気まずい雰囲気にならないかを心配している。

 ただ、私が神社を紹介してほしいとラインまで交換して行かないというのはあまりにも自分勝手すぎる。今日じゃなくて自分の心が整ってからいくということならまだいいかもしれないが、物事を先延ばしにすることになり少し逃げている感じがする。だから私は、

『行こう』

 とだけ返信をした。

 すると、一賢くんがここに来てほしいというのを画像付きで送ってきた。ここなら私の家からも近い。私はささっと外に行く準備をしてからお母さんに友達とご飯食べてくると適当に嘘をついて家を出た。私は玄関の棚のところにあるお出かけ用の消毒液とウエットティッシュも忘れずにカバンの中に入れた。

「おっ、来たか」

 もう辺りは暗いので、初めははっきりと一賢くんだとは判断できなかったけれど、近づくにつれそれが一賢くんだと分かった。私服姿の一賢くんは少し新鮮でどこか格好いいと感じてしまった。それに、普段はしていないメガネをしていた。私が見る初めてのメガネ姿だ。

「じゃあ、行くか」

 一賢くんが向かったのは明かりが多く、街の栄えている方ではなく明かりがない細い道の方に入っていった。

 少し入るともう辺りは真っ暗で洞窟のようにも思えてくる。ただ、一賢くんがスマホのライトを照らしたので進む道は見える。たしかに、これは私一人では迷子になってしまう可能性が高そうだ。暗いときに来るなら余計に。

「嫌だったら答えなくてもいいんだけど、どれだけ潔癖症なのか、ちょっと聞いてもいい?」

 沈黙の空間を作らないためか、それとも私の潔癖症に少し興味があるのかは分からないけれど、そんなことを聞いてきた。

「あ、うん。理解してくれる人がいるのは嬉しいから大丈夫だよ」

「そうか、じゃあできるかできないかで答えてほしいんだけど、誰かが握ったおにぎりとかそういうのは無理なんだよね」

「うん、それは難しいかな。だから、あのチョコももらえなくて。私、理由を先に言わないで……酷いよね」

 私はその問いに対して即答した。親が作ったおにぎりならちゃんと手を洗ったりしてきれいな状態で作っているのが分かっていたり小さい頃から食べているのでまだセーフだが、コンビニのおにぎりとかは少し難しい。外食もできるだけ使い捨ての割り箸があるところを探したりして行くようにしている。

「いや、酷いとまでは言えないと思うけど……。じゃあ、公園とかにある公衆トイレは?」

 私の酷いという言葉にはあまり触れず、一賢くんは次の質問をした。公園のトイレか。

「あー、あれも緊急事態以外は入らないかな。ちょっと……って感じ」

 さっきよりも素早く即答する。これは私の中でも特に苦手なもの。緊急事態のときに一回入ったことがあるが、その時も息は吸わないようにしたし、できるだけ素早く出た。

「俺は入れなくはないけど、座るのは少しためらうかな……。あー、別に俺は潔癖症じゃないからな」

 この件については一賢くんも少し納得してくれた部分があるみたいで、大きく頷いてくれた。

「あと潔癖症といえば聞くのはポテチを箸で食べるとか……?」

「あー、うんやるかも。ポテチ好きなんだけどね。特にのり塩が。ただ、大人数のところでは箸を使って食べると少しあれだからポテチを食べること自体控えてる。食べたいけど、しょうがないよねー」

 この質問に対しては少しだけ考えてから答えた。まだ前に言った2つよりは許せるということだ。最近も、侑凛と依都が購買でポテチを買ってきたのだけど、それを私と食べるためあらかじめきれいな箸で私の分だけを取り分けてくれるという配慮をしてくれた。いつも私のことを理解してくれる2人には感謝しかない。でも、今日だけで一賢くんという心強い味方ができたかもしれない。

「それは少し辛いなー。好きなのに控えなきゃいけないって」

 ――好きなのに控えなきゃいけない。

 別に一賢くんはこの言葉を少し強調して大きく言ったとかでは決してない。前の言葉と同じように普通に言っていた。でも、その言葉がつっかかる。リンクするのは私にチョコを渡そうとした彼だ。好きなのに控えなきゃいけない。それが彼のことを表しているかのように感じてしまったのだ。

 私も好きなのにできないこと、潔癖症だからたくさんあるって理解してるはずだし、体験してるはずなのに。それで辛いなって分かってるはずだったのに。彼の気持ちが今、もう少しだけわかった気がする。

 私はその気持ちを十分理解できたはずなのに……あのようなことをしてしまった。だからこそ、彼のために私は変わらないといけない。

「ん……? なんかあったの」

 彼がそう声をかけてくれたのは急に私がその場に止まってしまったからだろう。あのことを強く思ったがために止まってしまったんだろう。暗いから一賢くんには見えていないんだろうけど、今、実は私は少しだけ涙が出ているんだ。そんなことは気づいてないはず、音としては出てないんだから。音として出したら気づかれてしまうから。

「――愛澄。あの……」

 気づかれただろうか。暗いからよく見えないけれど、一賢くんは私を不思議な目で見てきているような気がしたのだ。私は慌てて涙を止めた。それとほぼ同時に一賢くんがスマホのライトを私の方に向けてきた。なんと言われるのか、少し怖かった。私がもし逆の立場だとしたらなんと言うんだろうか。わからない。だからこそ、少し怖かった。

「確かに、そっちの方が道は安全だな。こっちから行っても距離は変わらなそうだし。頭いいな、瞬時に判断できるなんてー!」

 ――あれ、れ……?

 よくわからないことが起きているけど、泣いているのがばれたわけではなさそうだった。確かにこっちにも道はあり、こっちの方が整備されているので安全そうなのは確かだ。別にそういうわけじゃないと言おうか迷ったけれど、だったらなんで立ち止まってたのと質問されても困るなと思ったので、特に何も言わないことにした。

 私の見つけた(?)安全な道を数分進むと、小さな神社みたいなものが見えた。感覚としては集合場所から20分ぐらい歩いたような気がする。ただ、夜中というのもあり感覚はバグっている気もする。それに、この場所がどこなのか私にはわからない。

「……やっと着いたね」

 その神社は多くの人が参拝しに来るような大きな神社ではなさそうだけど(暗いのであまり把握はできていない)、しっかりとした鳥居が私達を迎えてくれた。

「この神社が潔癖症を治す神様がいる……そんな神社?」

「うん、まあそうだね」

 私は先頭を歩く一賢くんを頼りに境内の中に入っていく。こんな時間に神社に来たのは生まれて初めてだ。普段神社でお参りするときには感じないような虫の音がはっきりと聞こえてくるような気がした。それに、何か魂のようなものがある気もした。空気が澄んでいる。そして、まとわりつく。 

 見渡す限り、誰かいそうな気配はない。

 ここで肝試しをやったらきっと盛り上がるだろう……そのような場所だけど、一賢くんがいるから特別怖いとかそういうことは思わなかった。ただ、不気味なBGMは耳の中で流れている。

「じゃあ、お参りしてもう夜だし早いところ帰ろうか」

「……そうだね」

 でもやはり少しは怖いみたいで、私の声は自分が思ったよりも小さかった。

 賽銭箱の前に立つと、私は財布からお金を出し、勢いよく入れた。

 ――チャリン。

 お金の音が大きく響く。その音が耳の奥深くを刺激する。

 私は手を合わせた。願うことはもちろん――

 ――どうか、潔癖症が治りますように。

 何秒間、祈っただろうか。何秒間、目をつぶって祈り続けただろうか。神様に私の願いは届いているんだろうか。神様は私の願いをはじいたり意地悪なことはしないだろうか。

 かなり長い間、祈っていたみたいだけど一賢くんは私の傍でずっと待っていてくれた。何もすることなく。

「うん、ありがとう」

「まあ、神様だけに頼らず自分で努力もしないとな、受験と一緒で。応援してるから」

「うん」

 ――小さなことから始めよう。そう思った。




 昨日は、10時前には家につき、お風呂に入ると睡魔が襲ってきたため一賢くんに『今日はありがとう』というラインとSNSにとある投稿をして寝てしまった。朝は目覚まし時計の爆音で起こされた。スマホを見てみると、一賢くんからOKというスタンプとともに、『また必要だったらいつでもついていくから呼んで!』というメッセージが届いていた。一賢くん、頼もしいなと素直に思ってしまう。

 私の学校についてからの日課というかルーティンは少し変わっているかもしれない。私の学校は朝は8時45分に朝のホームルームが始まるのだが、8時前には学校に着いている。45分以上も早く学校にいるわけは、いつも学校内を散歩しているからだ。(決して教室の空気が悪いというわけでは無いが)、朝の外の空気は澄んでいておいしいし、一日を過ごすためのやる気を出してくれているからだ。教室には入らずそのまま校舎の周りをうろつく。カバンを背負ったまま歩くのは運動にもなるからという理由だ。私のオススメは富士山を見られる中庭を通るコース。今日は天気もいいしそのコースにしようと思い、スマホでとあることをしてからゆっくりと歩き始める。

 微かに吹く風が気持ちいい。この風が私の潔癖症を吹き飛ばしてくれればいいのにな……なんて思ってしまう。少し歩いたところで中庭に着いた。中庭には木でできたベンチやテーブルなども備え付けられていてここでお昼を食べる人もいるぐらい心地いい空間だ。

 だけど、今は朝ということもあり誰もいなかった。

「ここでラテとか飲んだら最高じゃん」

 思わず私は独り言を言ってしまった。恥ずかしい。

 流石に、誰も見てないよな。まだ、こんな時間だし――。

「愛澄! おはよう!」

 私は急に肩の辺りをぽんとたたかれた。侑凛だ。なんで、こんなに朝早くからいるの!? 私は驚いた顔のまま何も言うことができない。

「あー大丈夫だよ。手を洗ってから、消毒して、最後にウエットティッシュで拭いてから愛澄をぽんって叩いたから」

 侑凛は朝から眩しい笑顔でそう言った。確かにそこまでしてくれたなら、触るのは全然いいのだけど、私が驚いてるのはあくまでそこじゃない。

「あれでしょ? どうしてここにいるのか」

 そうです。私が聞きたいのはそれです。その意味を込めて私はうん、うんと2回頷く。

「それは、愛澄の匿名のSNS、見つけちゃったから!」

 押しのライブのチケット取れました―とでも言うかのようなテンションで笑顔を崩すことなく言ってくる。えっ、匿名のSNSを見つけられた。私は匿名でSNSをしているのだけど、特には誰にも言ってなかった。ただ、鍵はつけていないので見つけられることができれば簡単に閲覧できる。

「まじ!?」

 どちらかというと陰キャの私が普段使うことない、陽キャが使う言葉ランキングトップ5に入ってくるであろう言葉を使って反応した。

「うん、FDでしょ?」

 そう、正解。FDは私のSNN。FDは「Fastidious disease」つまり潔癖症から取ったものだ。侑凛はにやりという顔で私を見つめてくる。

「で、さっきも『今日も朝散歩! 空気が美味しいー!』って投稿してたから来ちゃった。まあまあ、時間もあるんだしベンチに座って話そうよ。せっかく近くの喫茶店で飲み物買ってきたんだから!」

 確かにさっきそんな投稿をした。間違いなく私のSNSだろう。そういえば、さっきまでは侑凛が来てくれたこととかに焦点がいってしまって気づいてなかったけど、侑凛は学校近くの喫茶店チェーンの紙袋を持っていた。私がさっき思ってたことが少し叶った。

 私はカバンをベンチに置いてしてから座って、侑凛が買ってきてくれた飲み物を飲みながら富士山を眺めた。もちろん消毒等は念入りにしてから。ちなみに、今飲んでいるのはストロベリーティーだ。学校で飲むのには少し似合わない気がするが、美味しすぎる。幸せだ。

「で、愛澄のSNS見てて色々つっこみたいことあるんですけど!」
 
 思わず吐き出して、侑凛の制服にぶち撒けてしまうところだった。そうだ、私のSNSが侑凛にバレてしまっていたんだ。このストロベリーティーが美味しすぎて、そんなことすっかり忘れていた。

「ってか、それ依都には言ってないよね?」

「うん、私だけだよー。なんと言おうと私はクラスメートのSNSを見つけるプロですから!」

 まさか、依都にも知られてないかと気になったけれど、どうやら知られていないようで少し安心した。

 ただ、クラスメートのSNSを見つけるプロというのはなんだか変なプロだなと正直思ってしまうが、ここは付き合っておこう。

「で、愛澄さん、なんですか昨日の投稿! 夜中に神社って、まさか1人!? 危ないでしょ!」

 侑凛はわざとらしく私のことを『さん』付けしてきた。そうだ、昨日は夜中に神社に行ったことを寝る前に投稿したんだった。ここで私には3つの選択肢がある。1つ目は、1人で行ったということにする。2つ目は女子の友達と行ったということにする。3つ目は、男子と行ったということにする。1、2はそんなの危ないよと怒られそうだし、3は彼氏でもできたの? よかったじゃんとか言われそうだし……。

「いや、一人じゃなくて、一賢くんと……」

 結局、3を選んだ。ただ、私の声はすぐに消えてしまうぐらいの小声。そんなの大きな声で言えるわけない。

「えっ、まさかそれって――」

「いや、違くて!」

 私は侑凛に彼氏という単語を言わせるのを防ぐために、急に大声を出した。

「いや違うの、聞いて。一賢くんには潔癖症を治すのにいい神社を聞いてたんだ。だから……」

 みたか、私の迫真の演技! この心細そうな感じを出せば流石に侑凛だって信じてくれるだろう。と言いながらも、実際本当のことなんだけど。

「潔癖症を治したいって言ってたもんね。ごめん、ちょっと勘違いしちゃった……」

「いや、いいよそこまでしょげないで……」

 私の演技が迫真過ぎたのか、素直に侑凛はそのことを信じ、今度は侑凛が悪い事しちゃったなという感じに心細そうな感じを出してきた。そこまでしてほしかったわけではもちろんないので、少し申し訳なく感じる。

「なんてね、演技、演技!」

 ――なんだよ。私は思わず笑ってしまった。わざとかよと。

「まあ、飲みながら戻りますか」

 侑凛はそう言うと、ベンチから立ち上がった。私も勢いを付けて立ち上がる。よいしょ。私達はストロベリーティーを飲みながら校舎の方に戻った。

「あ、あの倉庫にいるの先生じゃない?」
 
 校舎の方に戻るところにあった倉庫で担任の先生らしき人がいた。侑凛は指を指して私に伝えてくる。あまり視力はよくないけれど、私の視線の先には何か探している先生の姿があった。

「行ってみる?」

「まだ時間もあるし、行ってみようか」

 ここで行かないでおこうよというのも何か違うような気がして侑凛の誘いに私は乗った。たぶん、侑凛は先生を後ろから驚かそうとかそんなことでも考えているのだろう。私、鋭いでしょ。潔癖症になってそういうところも敏感になっているかもしれない。

「先生おはようございまーす」

 予想に反して、侑凛は普通に先生に挨拶をしていた。先生は私がさっき見たように何かを探している感じだった。この倉庫は比較的最近できたものなので埃っぽさは少ないが、ものが散乱していた。

「なにか探しものですか?」

 私は何かお手伝いができることはないかと思い、先生にそう尋ねる。

「あー、私宛の荷物をここに置いたはずなんだけど、どこだっけな―と思って。結構前に置いたから、別にどうでもいいやつなんだけど」

 やっぱり先生はなにか荷物を探してるみたいだった。じゃあ、私が手伝いまーすと言わんばかりに侑凛は大きく手を上げて、倉庫の中をあさり始めた。私も探そうとしたけれど、この背負っている大きな荷物も邪魔だ。

 ――地面にこの荷物を置けばいいじゃん。

 普通なら、こう思うだろう。そんなのも思いつかないのかと。

 ただ、私は潔癖症。ベンチやソファーなどに置くならまだしも、地面や床に置くのは少し気が引ける。だから、電車に乗るときも常にカバンを前に抱えている。

 だけど、私は潔癖症を克服すると決めたんだ。一賢くんまでも巻き込んでおきながら自分はまだ逃げているのか。カバンを地面に置くぐらいならハードルは低い。

 私は目をつぶった。もちろん真っ暗だ。何も見えない。でも、どこかで私の未来が見えたような気がした。

 ――理想の私。

 私はゆっくりとカバンを地面に置いた。

 置いた音が少しだけした。この空間に一瞬だけ響いた。

 その小さな音を侑凛は感じ取ったのか、私の方を向いた。侑凛は私のカバンが地面に置かれているのをしっかり見た。その光景に、口がぽかんと開いていた。まるで漫画でよくあるような感じで。

「愛澄、カバン……」

「言ったでしょ、私……」

 私がたった一言だけ言うと、小さく頷いた。ただ、その瞬間、侑凛が少しお母さんのように見えてきた。私を見守るような目を見せてから何事もなかったかのように先生の探している荷物を探し始めた。先生も私の潔癖症についてはちゃんと知ってくれてるはずだ。ただ、先生は私たちの会話は聞こえていたはずなのに特に振り向いたりすることはなかった。わざと、そうしたんだろうか。

 私も探すのに加わり5分ぐらい経ったところでその荷物は無事に見つかった。私が見つけたのだ。

「おーありがとう。どうでもいいものを探すのに付き合ってくれてありがとうね」

 私は探し終えると、カバンを地面に触れていた部分をティッシュで払ってから背負った。少し違和感はあるけれど、耐えられないほどとかそこまでではない。

「ちなみに、何が入ってるんですか?」

「あー、見る?」

 侑凛が先生にそう聞いたので、先生はダンボールの中を開けた。私もそのダンボールを覗くと、かつらや目玉メガネなどが入っていた。予想とは大幅に外れたものに思わず私達は笑ってしまう。

「これ、本来はね先生たちが体育祭のリレーで使おうとしたんだけど、やっぱ生徒に見られるのは恥ずかしいよってことで、なしになっちゃったんだよね。でも、もうすぐ3月も終わるでしょ? だから先生たちの打ち上げで使おうって話になって」

「先生たちも打ち上げやるんですね」

「もちろん、先生だってパーとしたいですよ」

 打ち上げか。私のクラスでも行事ごとに打ち上げがあって、文化祭ではすき焼きを食べたって言ってたな。『言ってたな』っていう言葉を使ったのは私は行っていないから。都合が合わなかったから、お金が無かったからとかいう理由ではない。これもまた潔癖症が原因だ。もちろん、私も潔癖症がなかったら皆とワイワイはしゃいで食べたい、そして笑いたい。ただ、潔癖症の方が私には怖いのだ。

「先生、打ち上げってやっぱ楽しいですか……?」

 私は先生が、先生という立場だということを悪用してこういう質問をした。先生という立場でなんていうのか聞きたかったから。この質問に先生ならなんて答えるのか知りたかったから。

「それは、つまり愛澄さん自身が行ったほうがいいか、そうじゃないか……それを聞きたいってこと?」

 流石先生だ。質問の意図が分かってくれている。先生はいつも潔癖症の相談にのってくれるし、色々と対応してくれる。今日も、いつも通りだ。私はうんと頷く。
 
「さっき、気づいてたけど、愛澄さんは潔癖症を治したいって思ってるんだよね? それについてはすごいと思うし、できることは手伝うし、応援するよ。一番最初の質問に答えるなら楽しい。誰かとはしゃいだり、共有したり……。でも、そうなれるように急がなくていいんじゃないかな? 自分のペースでいいんじゃないかな。だって、子供がほしいからってだけの理由で急いで結婚したりしないでしょ? 子供が欲しくてもちゃんと選んでその人と結婚する。私も子供が欲しかったけど、慌てずにちゃんと大切な人を選んだから。その部分は少しにてるんじゃないかな?」

 流石、先生だ。流石という言葉が出てしまった。私は先生ということを使って少し意地悪な質問をしたはずなのに、先生という立場を使ってそう答えてきた。確かに……。それしか言葉が出ない。点数をつけるなら満点の回答だ。

「じゃあ、愛澄、難しい顔しないでそろそろ教室に戻ろう! 遅刻になっちゃうよ!」

 考え事をしていた私を一気に侑凛が現実に戻してくれた。

「あ、うん。じゃあ、先生も行きましょう!」

「そうだね。あと、3分で始まるよ。2人とも遅刻かな?」

「元はといえば先生のを探してたんですから!」

「そうだね、それじゃ遅刻してもこれはチェック付けられないなー。っていうか、3分あるならまだ大丈夫だよ」

 私は、自分のペースでゆっくりやっていけばいいんだ。焦る必要ない。急ぎすぎると転んでしまうんだから。色々な意味で。だから、走らずに教室に向かった。



 先生の言葉もあってか無理に潔癖症から抜け出そうとはしなかった。だから、お昼はいつもどおり念入りに消毒をしてから。でも、先生はあくまでも焦らなくていいと言っただけでしなくていいと言ったわけじゃない。だから、少しずつ消毒の量も減らした。ただ、もう2年生はあと1週間で終わる。チャンスは来週しかない。彼に言うのなら。ただ、まだ言える私ではないのは確かだ。

 だから、また神様にもお願いに行くため一賢くんにお願いした。一賢くんは少しも嫌がる素振りを見せることなく承諾してくれた。前と同じで暗い時間に行ったので少し怖かったけれど、一賢くんはやはり頼もしかった。

「どうだ、今のところ潔癖症は?」

「少しずつだけど改善してるかな。まだ人の作ったものには抵抗があるけど、電車のつり革を少しなら触れるようになったよ! まさか、半月少しでここまでなるとは思わなかったな……過去の私はきっと驚くと思う」

「おー、すごいじゃん! いいんだよ、少しずつで」

 最近、新しく電車のつり革を少しなら触れるようになった。その後に消毒は癖でしてしまうけど、私にとっては大きな進歩だ。これも一賢くんがこの神社を紹介してくれたから。神様って、やっぱちゃんと見てくれているんだな。

「一賢くん、本当にありがとう!」

「いや、俺のおかげじゃねえよ――」

 暗いからちゃんと見えるわけではないけれど、私が微笑んだ顔でお礼を言うと、なにかいいたそうな――逃げたいような口調でそういった。どうしたのか聞こうとしたけれど、神社に着いてしまったのでその話には持っていけなかった。多分、俺のおかげなんかじゃなく神様のおかげなんだから関係ないよとでもいいたいんだろう。そう解釈した。

 私は前回と同じような流れでお参りをしていく。もちろん、今回も誰もいなかった。夜に行くことで効果があるんだから一人ぐらいいてもいいはずなのに誰もいない。

 私は前回と同じように長い間祈った。ただ、少し願い方が変わった。前回は『どうか、潔癖症が治りますように』だった。でも、今回は、

 ――どうか、あの子のチョコを受け取れる理想の私になれますように、と少し変わっていた。

 願ってることは変わってないのかもしれない。ただ――
 
 私は十分に願った後に目を開けてこの世界に戻ってきた。隣には一賢くんがいた。一賢くんも何か願っているようだった。私は邪魔をしないように一賢くんを見ていた。

「あ、もう終わってたのか悪いな」

 一賢くんが目を開ける。

「いや、全然。一賢くんは何願ってたの?」

「それは内緒だろ。言ったら願い事、叶わなくなっちゃうじゃん!」
 
 一賢くんは願い事が叶わなくなってしまうという理由ではなく、ただ単にいいたくないんだろう。私はそのような感じだったからこれ以上は聞かないでおいた。でも、何を願ったんだろうか。この神社で、それもこんな真夜中に。

 お参りも終わったし帰ろうと、後ろを向いたところ、前は天気がそこまでよくなかったから見えていなかったのかもしれないけれど、今日はとあるものが私の瞳にはっきりと映った。光を発するもの。きらめくもの。

「き、れ、い……」

 ――星。

 この神社は少し小高いところにあるからこんなにも星が綺麗に見えるのかもしれない。真夜中を照らす自然のイルミネーションのようだ。私が目をつぶっても、また目を開ければそこには星が輝いている。星が数えられないほど多く溢れている。どこを見ても星が私を迎えてくれる。

「綺麗だよなー」

 一賢くんも星があることに気づいたのか、相槌を打った。一歩前に出る。

「そうだね、ここ数年間で一番きれいな景色かもしれない」

「大げさだな」

「いや、でもそれぐらい綺麗」

 私は子供みたいなことをやってるなと思いながらもその星に手を伸ばした。もちろんだけど、その星に全然届くはずなんてない。その距離までは遠すぎる。でも、理想の私に向かって今、手を伸ばしているんだとしたら少しは近くなったんじゃないだろうか。近づくことが出来た気がする。

「写真撮りたいな……」

 その景色を見て思わずぼそりと独り言を言ってしまった。

「あ、でもスマホ置いてきたんだった」

 そしてまた、私は独り言を言ってしまった。充電がなかったからスマホは家に置いてきたんだった。

「ねえ、一賢くん、この星空を写真に撮ってよ」

「いや、でも俺写真下手だし……。俺のスマホ使っていいから愛澄が撮れば? 後でラインに送ればいいし……」

 一賢くんはポケットからスマホを取り出したが、突然なにかに気づいたかのように「あ、ごめん……」と言ってスマホをしまった。私が潔癖症だというのを忘れていたんだろう。

「いや、一枚だけ撮ってみる。一賢くんのなら大丈夫だよ」

 確かにスマホの画面はかなり汚いと言われている。でも、一賢くんのだし、潔癖症を直すための訓練にもなるんだから少しぐらいなら。

 私が一賢くんの前に手のひらを広げると、一賢くんは自分のスマホを私の手のひらにぽんと置いた。私はそのスマホを使って素早くこの空の写真を撮った。そして、すぐに一賢くんにそれを返す。その動作は本当にあっという間で、それはシャボン玉ができて割れる時間よりも短かった気がする。一賢くんはそうだよねという顔をしながらスマホを触り、私のラインに今撮った写真を送ってくれた。

「じゃあ、帰ろうか、愛澄」

「そうだね、あともう少しで私も……」



 彼に対してなんと言えばいいのか、紙に書き起こしているけれど、さっきから消しゴムのかすが増える一方だ。2年生が終わるまであと一日。つまり、明日が最後なのだ。もし、明日を逃せばこの出来事を一生引きずっていくことになるかもしれない。だから、私は今日は彼に何を言えばいいのかを徹夜で考えた。でも、どうして私は彼のことに対してここまで本気になっているのだろう。

 気づけば、外が明るくなっていた。私が最後に時計を見た時間から何時間も進んでいた。そしてここは机。どうやら私は途中で寝てしまったらしい。机には書きかけの紙が事故現場のように散乱している。

 結局なんと言えばいいのかまとまらなかった。通学中も考えたけれど、車の音などかすかな音が雑音に聞こえてそれどころではなかった。

 教室に入ると、1年あっという間だったねというものや、また一緒のクラスになれるといいねという声が飛び交っていた。その声を聞いた瞬間、私は苦しくなってトイレに駆け込んだ。でも、なんとか収まったので教室に戻った。

 朝のホームルームで先生も『今日で区切り』ということを強調していた。本当に、今日で終わっちゃうんだ。

 確かに、1ヶ月前よりも潔癖症は改善している。最近は消毒液の減りも鈍くなってきたし、物に触れる回数が増えてきた。お母さんにも変な目で見られたぐらいだ。それは一賢くんやあの神社、それに侑凛や依都の協力もあって。でも、誰かが作ったものを食べるのにはまだ少し抵抗がある。

「本当に今日で終わっちゃうよー、放課後なんかしたいね、花火とか!」

「春に花火? それはちょっと違くないー」

「そうだね、なんかあるかな……」

 1時限目の大掃除の時間になるまで私たちは教室の隅っこの方で談笑することにした。いつも通り侑凛は面白いことを言ってくる。それに私は思わず違くないかと反応してしまうが、依都はそんな私たちの会話にいつも通り丁寧に反応する。

「おー、君たち放課後空いてるの? それじゃあ夜中にカラオケ行こうとしてるんだけど3人も来る?」

 一賢くんの友達が私達の会話を聞いて、カラオケに誘ってきた。私は突然のお誘いに戸惑ってしまったが、侑凛と依都はいいよと反応した。ちなみに、男子チームはこの子の他に一賢くんと、私が申し訳ないことをしてしまった彼も参加するみたいだ。それで、誘ってきたこの子が幹事の立場らしい。

「――愛澄はどうする」

 幹事くん(と呼ぶことにしよう)が今度に私に対してだけそう言ってくる。

「どうしようかな……」

 あっ、という感じで侑凛と依都が視線を送ってきた。そう、カラオケは潔癖症の私には少し難しいものと言えるだろう。マイクで歌う、皆でシェアして食べる……。でも、楽しそう。やってみたい。本音を言うなら行ってみたい。だけど、少し怖い。

 けど、彼も参加するんだ。もしかしたら言えるかもしれない。学校では無理でも。

 私の中で行くか、行かないかが対立してなかなか結論が出せない。どうするべきか分からない。誰も正解は教えてくれない。

「――じゃあ、私も参加しようかな」

 言ってしまった。まだ脳はそれを言えという命令は出していないはずなのに、口はもうその言葉を発していた。後戻りはこれで効かなくなってしまった。もし、これで辞めると言ったら道路を逆走してるのと同じことだ。

「おー、了解。じゃあ後で場所とかのライン送っとくね―、ありがとう」

 侑凛と依都は何か言ってくるのかなと思ったけれど、特には何も言ってこず、さっきのような会話に気づけば戻っていた。今日の夜にカラオケに行くこと、それだけが頭のほぼ全部を埋めていた。考える部分までも埋めてしまったのだ。




 夜の方が盛り上がるじゃん! ということで、太陽がもうとっくに見えない午後8時に開始し、店が閉まる10時にお開きにすることにした。もちろん、その場には彼も来ていた。ただ、私と彼の距離は同じ空間にいるのにもかかわらず遠い。

 まずは幹事くんが今流行りの曲を身振り手振りを交えながら熱唱する。私も気づけばリズムに合わせて手拍子していた。特別歌が上手いというわけではなかったが、この空間が一気に熱い空気に包まれた。

「おー、歌った歌った、点数は……?」

 かなりテンポが早い音楽であったため、幹事くんは一曲歌い終わると少し汗をかいていた。まもなく、点数が表示される。

「おーい、全国平均以下かよ、おしー!」

 得点は全国平均よりも一点低かった。それに幹事くんは悔しがっていたが、次の人にマイクを渡す。

 次は侑凛がとあるアニメの主題歌を歌った。少女ものアニメの主題歌だったので、男子たちにはわからない曲だったみたいだけど、これも盛り上がった。こんな感じでまずは一人ひとりが順番に歌っていった。彼も一曲歌っており、それは恋愛ソングだった。最初は恥ずかしそうに歌っていた彼だけど、最後の方には熱唱していた。

 私は一番最後に歌うことになった。何を歌おうか悩んでいたところ、依都が珍しく私に対してニヤリという笑顔を見せてから、勝手に恋愛ソングを入れた。私はまだ使ってないマイクを持って、しょうがなくその曲を歌い始めた。この曲は知っていたけれど、かなり深みのある恋愛ソングだったので、顔を真っ赤にしながら歌った。ただでさえこの空間が熱いというのに、これで更に熱くなってしまった。

 皆が一回ずつ歌い終わると、夜ご飯を頼むことになった。確かに、私もお腹が空いてきた。さっきから何度もお腹の音がなっている。

「どうするパーティー的な感じで適当に俺頼んじゃってもいいー?」

「……あ、それぞれ頼んだ方がいいんじゃない?」

 幹事くんはパーティー的な感じに適当に頼まないか提案してきたが、一賢くんは私のことを気遣ってか、そう提案していた。

「そうか、女子たちはー?」

「適当に頼んじゃってもいいと思うよ!」

 これを言ったのは侑凛でもなければ、依都でもない。正真正銘私だ。今度はちゃんと脳が命令を出してから言った、間違いなく私の意志そのものだ。確かにさっきもマイクは新しいものを使ったので潔癖症が完全に完治したわけではない。でも、幹事くんの提案の方が楽しいと思った。皆でワイワイ食べる方が。

「じゃあ、適当に頼んじゃいますか! 食べたいものあるやつは言ってー」

 幹事くんが備え付けの電話を使って、ポテトや唐揚げやチキンナゲット、ピザなどを注文していく。こんなにも沢山注文してる幹事くんの姿を見るのはなぜか爽快だった。注文が全て終わると、皆でソフトドリンクを取りに行く。私はまず初めにオレンジジュースの炭酸をコップに入れて、手拭きと紙ストローを持って、部屋に戻った。

 今度は2人ずつや、男子チームだけや女子チームだけなどという形で複数人で歌っていく。自分の意見がなかなか言えない彼は今回も流されてしまうかもしれないと思っていたが、

「こっちを歌いたいな」

 とちゃんと意思表示をして歌っていた。そして、男子たちと楽しそうに歌っていた。もちろん、上手いとまでは言えない歌声だけど。

 私はこの1ヶ月で潔癖症を克服しようと頑張り、成果はでてきてもう小さいことは気にしないものも多くなってきた。私はこの1ヶ月彼と話してもなければ、目を合わせてもない。だから、彼がどんなことをしていたかというのは私には分からない。でも、もしかしたら彼も私と一緒で変わろうとしていたのかもしれない。そんな彼に私はちゃんと言えるのだろうか――。

 幹事くんが頼んだ料理が運ばれてきて、私たちはその豪華さに思わず黄色い声を出してしまった。ただ、ここでも一賢くんは間接的に私を気遣ってくれて、皆にちゃんと綺麗に手を拭いてからねと言ってくれた。

 私はもうあまり気にすることなく、ポテトなどを食べていった。皆とこうい形で食べるのはいつぶりだろうか。全く怖くなかったわけではないけれど、人生で一番楽しいかもと思ってしまった。私のいる世界には、こんなに楽しいことがあったのに、どうやら私はそんなことから逃げていたようだ。少し過去の自分が悔しく思えてきた。

「ふー、疲れた、少しトイレに行ってきます。確か結構遠いところにあるんだよね」

「私もー」

「あ、じゃあ俺も」

「僕も行ってこよう」

 皆がトイレに行ったりしたため自然と私と一賢くん二人だけの空間になった。大人数でいるときにはあった熱気が少し冷める。

「愛澄、今のところ大丈夫?」

「うん、色々気遣ってくれてありがとう。一賢くんたちと、あの神社の神様のおかげだよ!」

「あのさ、その神社のことなんだけど――」

 私が神社というワードを出した時、一賢くんが一瞬、ビクッと震えていた。そして、何やら言いづらそうな顔をしてから、視線を下に向けた。

「――ごめん、あの神社、実は潔癖症を治す神様なんていないんだ」

「えっ、でも私――」

 でも、私、潔癖症、治ってきてるよ。突然言われたその告白に動揺を隠すことが出来ない。あの神社、潔癖症とは関係ない……?

「あの神社は、本当は『努力の神様』がいる神社なんだ。だから、それは愛澄の努力の結果なんだよ。あとは、思い込みによるプラシーボ効果だと思う。もうそろそろ、打ち明けなきゃって思ってたから」

 そうだったのか、『努力の神様』がいる神社だったのか。一賢くんが嘘をついた理由――なんとなくわかる。理由は潔癖症の神様がいなかったり、いたとしてもここから遠い場所にあるのでその神社を紹介できないから。そうなんだろう。私が必死にお願いしたからないなんて言えなかったから。でも、こうなってることは事実だ、プラシーボ効果だろうが、私が努力しただろうが。

「まあ、『努力の神様』だから、俺もお願いしてたんだけどな、あの時。俺もさ、今はこの高校に通えてるけど、実は昔は頭が悪くて、友達は皆頭が良かったからよく仲間外れにされてた。この神社に誓って努力してここまで来てさ、俺にとっても意味の大きい神社だったし、周りと違うことに悩む気持ちがわかるから愛澄にも紹介したんだと思う」

「そうだったの?」

「うん。その神社を見つけて、神様の力はすごいなって気づいたから僕はそれからいろんな神社を調べるようになったんだと思う」

 そうなのか、一賢くんが私にこの神社を紹介した理由はそんなものもあったのか。そんな過去があったのか。ちょっと、ずるい。嘘をついたことじゃなくて、何かがずるい。

 その証拠にと、一賢くんはいつもお守り代わりに持っているという中学生の1年生時のテストと中学3年生のときのテストを見せてきた。中学1年生のときのテストは50点だったけど、中学3年生のときのテストは90点だった。そうか。

 でも、まだ私には一つ聞きたいことがあった。

「――でも、なんで真夜中に? 多分夜中が一番いいとかあれも嘘でしょ」

 そう、真夜中という嘘をついたわけ。真夜中にしか効果がないというのは嘘だってこと、2回目に行った時には薄々気づいていた。

「真夜中――考えてみればだいたい分かると思うけど、昼間に行ったらだいたい場所が分かって検索かけられたらバレちゃうじゃん。そしたら、もしかしたら逆に悪化させちゃうかもって思ったから」

 そこまで考えてくれていたのか。確かに暗いからその場所がどこなのかわかってないから、マップで調べようとはしなかった。明るいときに行ったらもしかしたら、調べていたかもしれない。そしたら私は……よく考えられている。

「――あと、もう一つ。もしかしたらこっちの方が大きな理由かもな。あそこで星が見えたでしょ? あのきれいな星、見せたかったから。その星をさ、あの子と一緒に見てほしいから。今日来ているあの子と」
 
「名前言ってないけど、バレてたの?」

 今度のことはあまり驚かなかった。なぜかは分からないけど。

「まあ、彼も変わろうとしてたからさ。でもさ、愛澄もさ、彼のためにそこまでするなんてね。あ、もうすぐみんな帰ってくるからここまでにしておこう」

 一賢くんがそう言ってから数十秒後に男子の二人がトイレから戻ってきた。そして、少し経ってから侑凛と依都も戻ってきた。

 私達はお開きになる10時まで歌いまくった。だから、最後の方には喉がかなりやられていた。明日、喉がどうなるかはもう分かりきっている。

 最後は、皆で歌った。勇気を与えてくれる定番の応援ソングだ。

 あっという間に2時間は過ぎてしまったけど、今日はまだ終わってない。私は皆と別れた後に、彼を呼んだ。そしてあの神社に連れて行ったのだ。偶然か知らないけれど、その神社はここから近いところにあった(神社の場所は一賢くんに教えてもらった)。雲を浮かべていた彼だけど、特に何もわずその神社についてきてくれた。ただ、今日の空に雲はない。

「こんなところに連れてきて、僕のことが嫌いじゃなかったの?」

 神社についたところで、ようやく彼が口を開いた。

「私、そんなことは一言も言ってないよ。今日は、チョコの話をしたくて、ちゃんと分かってほしくて」

 彼はなにかいいたそうだったが、特には言わなかった。なので、私は話しを続ける。

「実はさ、私、潔癖症なんだ。だから、人の作ったものは少し難しかったの。それで受け取れなかった。食べないのに受け取るだけは違うと思ったから」

「でも、今日さ、皆でワイワイ食べてたよね?」

 彼がそう反論してくる。そうだ、今日、私はそんなことをしていた。それは間違いない事実だ。疑われても仕方がない。

「うん、私、頑張って克服しようとしたんだ。ここにいる努力の神様にお願いして、そして自分でも頑張って。君のチョコをもらいたいから。嬉しかったから」

 本当のことだけど、都合のいいこと言ってるようにもしかしたら聞こえるかもしれない。彼が信じてくれるか分からない。それが少し怖かった。

「……そうだったんだね」

 彼はかなりゆっくりとしたスピードでそう言った。それは、まるでちゃんと理解したよという風に。彼は私の言ったことに対し、なにも疑う様子はなかった。

「僕もさ、あの時からずっと考えてた。こんな僕のこと、愛澄さんの中に存在しないよなって。だから、もらうこともしてくれないんだなって……勝手に解釈してた。それで僕は頑張って自分の意見を言える人になろうとした。今日だって、僕が自分の意見言って歌を変えたとこ見てたでしょ?」

「うん、見てたよ。で、あのさ、今度またチョコ作っくてくれない? 今の私なら食べられる気がするんだ。想いを受け取れる気がするんだ」

「……分かった。別に、この言葉は受け取らなくてもいいけど、僕は愛澄さんのことが好きだ」

 前に彼が「好き」と言ったときと、今言った「好き」はかなり違うものに思えた。口調が違うだけでなく、その中に含まれている意味も。想いも。

「私、まだ断定できないんだけど、私も君の好きなのかもしれない。だって、ここまで誰かのことを考えたとこはなかったし、君のために潔癖症を治したいと思ったから。ありがとう。でも、断定できなくてごめんね」

 私ももしかしたらそういう気持ち、あるのかもしれない。そのことを今日気づいた。気付かされた。でも、まだ断言はできなかった。それにはまだもう少し彼と時間を通わす必要があるだろう。彼に明確な答えは出せなかったけど、彼はそっと微笑んでいた。

「あのさ、後ろ向いてごらん」

「ん?」

 私はそんな彼にそう言った。今、私達の背後には特別な景色が広がってる。どんな景色よりも美しいはずだ。

「星だ、綺麗」

 彼は一瞬にして答えを見つけてしまった。私も振り返る。前に見たときよりも星の数が多いように思えた。私は大きくまばたきする。

 私の視界には今、輝く星しかない。

「綺麗だよねー」

 私は彼に相槌を打つ。

「そうだね、ここ数年間で一番きれいな景色かもしれない」

「大げさだな」

「いや、でもそれぐらい綺麗」

 彼はその景色が気に入ったのか、少しの間その空を見上げていた。私はそんな彼を少しの間見ていた。

「……あのさ、またここに一緒に見に来ない?」

 彼は少し恥ずかしそうな感じでそう言ってきた。でも、私にはその声がはっきりと聞こえた。

「うん、いいよ。また、来ようか」

 私は彼からの誘いに乗った。これが一賢くんの狙いだったのかもしれないと思った。確かに、約束をししまった。仲を深められる約束を。夜に嘘をついた理由。

「じゃあさ、せっかくこの神社に来たんだし、それぞれ理想の自分になれるようお参りしていかない?」

「うん、そうしようか。あとさ、星にも願わない?」

「おお、いいね!」

 私は今日はこう願った。 

 ――彼の想いを受け取れますように、と。

 どうか、叶うといいな。

 いや、叶えたいな。

 私のうけとりたいもの――