「夕矢、かぁ…」
なんか嫌だなぁ…。
私は昨日の夜、夕矢さんが私のことを呼び捨てしてしまって、もう「さん」付けに戻れないから、僕のことも「さん」付けずに呼んでくれと念押しされたため、夕矢という単語を意味もなく復唱していた。
まず、夕矢さんがおかしい。なんで、女子高生が大人の男の人の向かって呼び捨てしないといけないのだろうか。
まさか夕矢さん、いよいよ友達がいなくて寂しいのかな。…いや、そんなわけない。23歳の普通の男の人がそんなこと考えているか?
なんかなぁ…。幼馴染や兄妹と間違えられそうだ。そうなると色々めんどくさい。
「学校、行かなきゃ…」
そう言いながら、私はベットからむくっと起き上がり、朝の支度をした。
「おはようございます、原先生」
「おはよう、小野さん。昨日の問題は、解決した?」
「うん。おかげさまで。本当にありがとうございました」
原先生が、笑顔でこちらを向いた。
「よかった」
その言葉だけで、私もほんのり笑顔になった。
それから少しして、私は口を開いた。
「原先生」
ん?と、いつも通りの短く返す原先生。
さあ、私は言わなければ。
昨日の夜、お母さんとも相談したのだから。
原先生、どんな顔するかな。
「…私、リモート授業してみようかなって、考えてるんです」
「…え?ほ、本当に?」
原先生が、信じられないような顔をしている。
「昨日、お母さんにも相談したんですけど。なんか、少しずつだけど、前よりかは、勇気が出てきたから…」
言葉がうまくまとまらないけれど、そんな私を見て、原先生はぱっと笑顔になった。
「いいじゃん!よく頑張ったね…!!」
そう言って、原先生が私の肩を掴んで揺らした。
「え、私、なんか頑張ったことありますか」
「いつからしてみる?もう少し先でも、今すぐやりたいなら今すぐでも、小野さんがやりたい時に教えてね。担任の先生と相談しながら、こっちで色々手配するから。じっくり考えてみて」
おおぉ、と声が漏れる。原先生の勢いがすごい。でも、かけてくれる言葉は優しい。
「今日だと急だし、自分的には明日とか…」
「おっけー、明日ね。小野さんの気持ちが変わらないうちにっ、何としてもやってあげたい…!」
放課後訊いてきてあげるね、と言われ、私に対しての原先生の一生懸命な姿が心強かった。
その夜、夕矢さんにそのことを報告すると、とても喜んでくれた。ついでに、さん付け無しの延長をお願いしておいた。
次の日。リモート授業が始まると、タブレット端末のモニターに先生と黒板が映し出された。私の顔は先生に見えないようになっているとはいえ、私の緊張はマックスだった。
『小野さん。もし黒板が見えづらかったりしたら、声をかけてくださいね』
「は、はいっ」
「ふはっ!いや、小野さん。それ先生に聞こえてないよ」
「あっ、そうだ!すみません!」
だから聞こえてないって、と原先生にツボられ、少し緊張が和らいだ気がした。
ただ、やはり何年ぶりかの授業は懐かしい気もして、同時に小学生の時から止まっていた授業の見え方も全く別物と化していた。
「ありがとうございましたー…」
退室ボタンを押すと、一気にどっと疲れが出てきた。
「お疲れ様。いきなり環境変えるとよくないから、段々増やしていってみようって、担任の先生が言ってたよ」
「そうかもしれない。…少しずつ、体に慣れさせていきます」
そうそう、と原先生が頷いた。お昼ご飯は、いつもの倍お腹が空いていた気がする。
昼休みになって、最近買った小説を読んでいると、突然ガラガラと保健室の戸が開いた。
そこには、なんとなく見覚えのある顔の女子生徒が立っていたのだ。
「し、失礼します。小野藍詩さんっていますか…?」
目が大きくて可愛い顔をした、真面目そうな女の子。
「…ほ、細川さん?」
「小野さん…!」
四年生の時、クラスが一緒だった気がするけれど、そこまで仲が良かったわけではないと思う。
「…これ、先生が小野さんにプリント作ってくださったみたいなので、渡しに来ました」
「ごめんね。ありがとう…」
プリントを渡してもらったが、帰る様子がない。
「…どうかした?」
「…あのっ、これ…!」
微かに手が震えていて、細川さんは、ある一冊の本を差し出してきた。
「ごめんなさい。私っ、小学四年生の時、小野さんに本を貸してもらったの。小野さんが、いつもすみっこにいる私に声をかけてくれて、本好き?って言って、この本を貸してくれた。本当に優しくて、嬉しくて、あの日家に帰って泣いちゃったんです。だけど、私読むの遅いから…。貸してくれたんだからその分ちゃんと読もうって思ってたら、小野さんが学校へ来なくなってしまっていたんです」
確かにそんなことがあった気がする。…わざわざ、何年ぶりかに返してくれるなんて。
「小野さんが学校へ来なくなって、私、本当に申し訳ない事したなって…。小野さんの異変にも気付かず、この本だって借りた物なのにずっと持っていたから…!!本当に、ごめんなさい…!」
涙がぽつりと落ちた。私は、その本を受け取って、こう言った。
「細川さんのせいじゃないよ」
学級委員を決める時、細川さんは、ただ一人俯いていて、何も喋らなかった。
私はそれを今、ちゃんと思い出したよ。細川さん。
きっとそれは、細川さんなりに、私のことを気遣ってくれていたのだ。細川さんは、そんなことで野次を飛ばすような人じゃなかった。
「…私も、急に不登校になって驚かせちゃったよね。本のことなんて全然忘れて、突然いなくなったから。ごめんなさい」
そんなことないです、と涙を浮かべた細川さんの目が、ギュッと閉じられる。目に溜まっていた涙がじわりとはみ出す。
「…でも細川さんは、きっと私をただ一人気にかけてくれてた。今気づいたとか、もう遅すぎるけど。…悪いのは全部みんなだと思ってたけど、細川さんみたいな優しい気持ちに、あの時は気付けなかった。気付く余裕がなかった。…そんな気持ちを無視して、ごめんね」
言い訳みたいになってしまう私の文章力の無さ。けれど、細川さんは、ずっと首を左右に振っていた。そんなことない、と。
私はその時、言いたいことが言えていない気がして、言葉に何かが足りない、と思った。
一番言わなければいけないことを、言えていなかったんだ。
「…ありがとう、細川さん」
私も、瞳が潤ってくる感覚がした。
二人で、感謝や後悔が混じった、濃い味がする涙を流した。
少し落ち着いて、細川さんと喋っていると、やっぱり細川さんは話しやすいな、と思った。
私がリモート授業を受けていることを知り、すぐに駆けつけてくれたらしい。
今は生徒会に所属しているため、まずはクラスのことから、お手伝いできることはしたいのだそうだ。
真面目に、でも柔らかく話す細川さんは、とても優しくて、芯がある人だなぁと実感した。
…細川さんと、友達になりたい。
「…あの、細川さん」
私はそう言った。
「なんですか?」
「…私と、お友達になってくれませんか」
え、と細川さんはとても驚いた表情をして、ほんのり頬を赤くした。
「よ、喜んで!いいんですか…?嬉しいです」
じゃあ敬語外さなきゃ、と、細川さんは笑った。
久しぶりなこの「友達」という感覚に、胸がワクワクしたりドキドキしたり、私は嬉しさが止まらずにいた。
小学生の時は特に「親友」といった特定で仲のいい人はいなかったし、何より久しぶりの感覚で懐かしかった。
自分のペースで頑張ります、と細川さんに言うと、何かのプロフィールの自己紹介文にありそうな文ですねと言われた。
昼休みが終わり、保健室に自分一人になると、やっぱり二人もいいかも、と感じた。
「ゆ、夕矢」
「…えっ!?藍詩、え?い、今、夕矢って」
「頑張ったんだよ!これでいいでしょ!」
「わ~っ!やばい、呼び捨ての感覚が懐かしすぎる…」
その夜。ついに、夕矢に呼び捨てをしてしまった。罪悪感と少し恥ずかしい思いの自分にあきれてしまった。
でも、今日は報告したい嬉しい出来事がある。
「私、友達できた」
そう言って今日のことを話すと、夕矢はぱっと笑顔になった。
「よかったじゃん、藍詩!仲良くね。藍詩の友達どんな人なのかなぁ…」
私は、そんな夕矢にこう言った。けれど、この発言が、後になってどれだけ後悔するかなんて、知らなかった。
「めっちゃ優しくて真面目で可愛い子」
「それって藍詩じゃん」
「…は?」
ふざけてるのか、本気なのか、無意識なのか。私がそんな完璧女子高生なわけないじゃん。
「…いや、冗談でしょ?」
「え、何が?」
「夕矢!!」
「え…?なんで怒ってんの」
もういっか、と、私は諦めた。夕矢、優しすぎてどうせ人のことが良く見えちゃう奴なんだ。
それにしても、私の心の奥にある何かが、さっきのやりとりを繰り返し呟いている。
この気持ち、なんて言う名前なんだっけ。
初めて感じたその気持ちが、今夜はずっと頭の片隅で発光していた。
桜の香りを久しぶりに感じた。温かな日差しが学校を照らして、生徒たちの新たなスタートを見守っている。
こんな日は、とても眠い。前までは、そう思っていた。
けれど今年から、私は変わった。
「藍詩ちゃーん!」
「あ、こはる!」
前までは細川さんだったのに、今では「こはる」と下の名前で呼んでいることに、時の流れを感じる。
「藍詩ちゃん、クラス替え見に行こう!でも、教室にはやっぱり来ない?」
「うん…。でも、行ってみたい気もするんだ。だから、今年もできるだけ頑張る。受験もあるし」
「そうだね。自分たちのペースで!」
段々と、周りの素直な温かい気持ちに気付けるようになってきた。だから、今年は受験に向けて、頑張るのだ。
大学は、夜間大学に行きたいと思っている。そこでちゃんと勉強をして、人との関わりも大切に、学校という所での生活を少しでもやり直したい。
「…クラス、どう?」
こはるが目を細めて、じっとクラス替えの表を見つめる。
「同じ…か、な…?あっ、同じだ!藍詩ちゃん、クラス一緒だよ!!」
私は、本当!?と、ぶんぶんとこはるの手を揺らして何度も確認した。
確かに、同じだ。
この感覚。どうしようもなく、懐かしい。
こんな感じだった。小学校の頃も、保育園が同じだった子や、よく話している子とクラスが一緒になると、飛んで喜んだ。
まるで、小学生に戻ったみたいだ。
きらきら、視界が輝く。
「藍詩ちゃんは進級式出るんだよね?」
「うん。出るよ」
「おっけー。私、毎年そこまで人数はいないけど、新任式が楽しみなんだよね~。どんな新しい先生が来るのか」
確かに気になる、と言って、私たちは新しい教室に向かった。
ざわついた教室は、今でもほんの少し怖い。
「私、とりあえず保健室行ってくるね」
「行ってらっしゃい!」
そう言って保健室に向かって歩いた。
通り過ぎる教室から、わいわいと声が聞こえてくる。みんなハイテンションで少し居づらい気もするけれど、私もその気持ちはわからなくもなかった。
「おはようございます、原先生」
「おはよう、小野さん。本当は職員室に居てもよかったんだけど、どうせ来るだろうなって思って待ってたよ」
「なんか言い方ちょっとひどくないですか…?」
そんなことはない、と、原先生は笑った。原先生がまだこの学校の保健室の先生でよかった。退任式はどきどきした。
「クラス替えはどう?細川さんと一緒になれた?」
「うん。なれた。めっちゃ嬉しいけど、今は学校の雰囲気から逃げてきて素直に喜べないです…」
「ここが小野さんの逃げ場になれていてよかったわ」
なんか今日原先生らしくないですね、と言ったら、寝不足なんだよ、と言った。原先生にも寝不足なんてことがあるのか。
「まぁ、私は今年も小野さんが、小野さんのやり方で学校に通えることを応援しています」
「ありがとうございます。私も、原先生の寝不足が何かに影響してしまわないよう祈っています」
ほんとそうだね、と言いながら原先生はあくびをした。
私と夕矢は毎晩話していて、変わらずにいる。
小さく前に進もうとしている私に向けられる夕矢の瞳は、最初からずっと優しいままだ。
こはるや原先生にも「最近どう?」と夕矢のことを訊かれる時があり、私の身の周りの人達はみんな夕矢のことを知っている。
ふと、進級式が始まる五分前のチャイムが鳴り、私は体育館へと走った。
「よかった、ま、間に合った…!」
「藍詩ちゃん、それ結構ギリギリじゃない…?」
こういった集会の時は、クラスのみんなが私に「なんでいるの?」と疑問を抱いて集中が途切れてしまうと悪いので、私はいつも体育館の奥の方に原先生と座っている。
先生の話している声はよく響いてくるので、しっかりと聞こえる。
私はそのいつもの定位置に座って、みんなの背中をざっと見た。
最近短くなってきた校長先生の話が、前までとは違い潔く終わったので、なんだかこちらもいい気分だった。
いよいよ新任式だ。どんな先生が来るだろうか。
今年は、なんとなく若そうな見た目の先生が三人、並んで立っていた。
一人目の挨拶はとても可愛い声の女の先生で、人気が出そうだな、と思った。
ただ、その次。
『みなさんはじめまして。一年C組の副担任になりました、三和夕矢です。教師となって初めての学校なので緊張していますが、少しでもみなさんの力になれるよう頑張ります。よろしくお願いします』
…ん?
…みわ、ゆうや?
そんなわけないだろう。だって、夕矢は教師諦めたって言ってたし。ないない。
マイク越しの声だけど、別に似てなかったし。身なりだってどこにでもいるような身なりだし。
そう自分に言い聞かせるけれど、それに反発するように野次が飛ぶ。
「え、イケメンじゃね?」
「声可愛いっていうか良いっていうかさ、声優?透き通ってんだけど」
「申し訳ないけどあの先生に習いたかった」
「一年羨ましぃー」
これは違う…でしょ。きっと。
そのことが頭にこびりついていたせいで、その後の話など聞いている余裕なんてなかった。
「はー終わった!新任式、今年すごいよかったっていうか、若い人いて嬉しかったな」
「…そうだ、ね…」
藍詩ちゃん何かあったの?と訊かれたので、あった、と返した。
保健室行って、原先生に言おう…。隣にいたのに、さっきは驚きすぎて言えなかったから…。
「原先生…」
ん?と短く返される。
「…おとなりさんが、いるかも…」
え?と言われたので、状況を説明する。
すると、原先生は首を傾げた。
「んー、小野さんの話聞いてる限りは、なさそうだけどなぁ。でも年齢的にあり得る事だから、別に私的には可能性はあると思う」
原先生に言われたら、絶対いる気がする。終わった。
「試しに、放課後一年C組覗きに行ってみれば?いなかったら職員室とか」
「うん…。うわぁ、やばい。もしいたらどうしよう…」
ただ挨拶すればいいんじゃん、と原先生は言うけれど、状況が理解できない。
そのまま時間は過ぎていき、もう下校時刻となってしまった。
保健室にこはるがやってきたが、私はそれどころではない。
「藍詩ちゃん、なんか顔が…」
「…終わってる感じ?」
はぁぁぁ…と大きなため息をついて、こはるにも説明をした。
「…いや、藍詩ちゃん。そんなことある?だって、もしおとなりさんがこの学校に来てたら噓つきじゃん」
「だから、なんとも言えないんだよぉ…」
すると、ガラガラと保健室の戸が開いた。
聞き覚えのある声が、すっと、私の耳を通っていった。
「…すみません、三和なんですけど、三年B組の小野藍詩さんってここにいますか」
ばちっ、と目が合う。スーツがかっこよくて、優しい声色なのに教師モードになっている。
いつもよりきっちりとされた、目元がギリギリ見える前髪が、ふわりと揺れる。
そして、ぱっちりと見開かれた大きな目が、私を優しさと強さで包み込む。
…夕矢だ。
「…なんで、いるの」
「あっ…!藍詩!」
夕矢は私へ駆け寄ってきてしゃがみ、私の手を強く握った。
明るく笑う顔が、最初会った時の夕矢とはまるで別人のように輝いていた。
「僕ねっ、今日からここで教師として働くんだよ」
「えっ、え?だって、前教師は諦めたって」
「あーっと…、それ、たぶん全部噓。ごめん」
う、噓?しかも全部?信じられない。
「友達と一緒に教員免許は取ってた。でも、そこで止まってたのは事実。そんな時に藍詩が僕の夢を支えようとしてくれたから、頑張ってみようって、勇気が出たんだ。それから、藍詩に内緒で採用試験受けて、無事合格しました」
「え、それでなんでうちの高校に来たの…?」
「それはたまたま。偶然だよ。まぁ、とりあえずこの一年間ずっと藍詩と同じ所で生活するってこと!」
いや、言い方…。っていうか、なんでそんな子供みたいにはしゃいでんの…?
…さっきの教師モードとのギャップがすごいんだけど!!!
でも、嬉しい気持ちが隠せないような、今私はそんな状態になっている気もする。
「え、三和さん、小野さんのおとなりさんだったの?」
原先生がそう言って、夕矢が元気よく「はい!」と答える。
「三和先生?が?藍詩ちゃんのおとなりさん?」
続けて、こはるもそう訊ねる。
「そうだよ!あ、藍詩から話聞いてるけど、細川さんですか?藍詩がお世話になってます」
うわ、藍詩ちゃん、本当のおとなりさんじゃん。こはるにそう言われ、私も何がなんなのかわからなくなってくる。
「あ、でもおとなりさんってよりかは」
そう夕矢が口を開く。
「僕の教師になる夢を応援してくれた、優しいおとなりさん」
ね、と目が合って、同意せざるを得ない空間。わかんないけど、と思いながら、少し首を傾げて頷く。
「あと、もう一つ大事な事」
大事なこと。あともう一つなんて、あっただろうか。
「この前さ、僕が藍詩に真面目で優しくて可愛い女の子は藍詩だよって言ったじゃん?」
「うん…。でも違うじゃん。私はどうせ、もう一生『可愛い女の子』にはなれないよ。だってそんなのどっかいったし」
「でも」
夕矢は笑顔で私の頭に手を置いて、すうっと息を吸うと、こう言った。
「藍詩は、僕にとって一番最初の、可愛い大切な生徒だよ」
私は、とくとくと音を立てる心臓に、こう言った。
無理させてごめんね。ここだと爆発寸前かもしれないからね。今はやめよう、って交渉してくるから、もう少し待っててね。
「…夕矢、家に帰ってからにして。ベランダで話してくれ…」
「えー…。だって僕は藍詩を褒めまくらないと生きていけない身だよ?」
「大袈裟…」
そんな私たちを見る二人が、こう言った。
「三和先生、藍詩ちゃんのこと好きすぎじゃないですか…。愛が重くないですか…?」
「大丈夫ー?ちゃんと教師できるー?」
夕矢は、またビシッと教師モードになり、
「大丈夫です。切り替えには、藍詩のおかげで自信があるので。後、藍詩とはベランダでも話せるし」
と言った。
最初は、こんな関係になるなんて思ってもいなかったのに。…夕矢は、どれだけ私の気持ちを動かしたのだろうか。
私は、そんな夕矢を見て笑った。
「…夕矢がいてくれてよかった」
私が発したその声は、必ず誰かに聞こえるわけではない。
けれど、大切な人の優しさが、そっと掬い取ってくれる、小さな小さな感謝だ。
夕矢は噓をついたけれど、それで私は変われた。頑張ってみようと、思うことができた。
いくら私達の「日常」が変わろうと、私達には絶対に変わらないものがある。
夜明けはまだだ。けれど私達は暗い中彷徨い続けて、思い思いの星の形や光の色、強さを見つけてきた。あのベランダで。君と共に。
永遠に続くと思っていた暗闇が、現実で、真夜中という私達の支えとなった。
それは全て、君がいてくれたから起こった出来事。
「こんばんは」の挨拶から始まる、私達の夜。
君の優しさが創る、夜の温かい空気。
今夜の話は何かな。
そうやって、今日も明日も明後日も、ずっと。
君と共に話す夜が、続くといいと思った。