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「うん。もうちょっとって感じだね」
「やったー!」
 腕を上げて喜ぶミト。
 もうすぐ肉体が安定すると波琉からお墨つきをもらったのだ。
 その元気な姿に安堵しているのは、波琉だけでなく瑞貴もだった。
 微笑ましそうに笑みを浮かべている。
「よかったですね。ミト様のような形で天界へ来られる方はこれまでいなかったので、どうなることかと心配しましたけれど、何事もなく幸いです」
「ほんとだよねー。夢を通って天界へ来るなんて、さすがの僕も予想外だよ。下界でミトの魂が見つからないはずさ。堕ち神に渡さないために天帝も慌てて介入してくれたんだろうね」
「ん? どういうこと?」
 ミトの魂を堕ち神が狙っていたとも取れる波琉の発言。
 ミトは意味が分からず首をかしげる。
「ミトには今度説明するよ」
「うん……」
 そうきっぱりと言われてしまえばミトも深く追求できない。
 時々こうして波琉はミトに隠す素振りがある。
 後でと言いつつ、そのままなあなあにされているような気がしてならない。
 けれど、緩い空気感を持ち、優しい雰囲気をまとう波琉だが、その意思は強く、こうと決めたら揺るがない。
 そんなところはやはり龍神たちをまとめる王のひとりなのだなと感じさせる。
 ミトあきらめ話を変えた。
「波琉は何度も天帝のおかげとかお礼を言わなきゃとか言ってるけど、もしここに来られたのが天帝のおかげなら、私からもお礼を言いたいんだけど会える?」
 途端に波琉も瑞貴も困った表情をする。
「んー、それは難しいかな。天帝は人前に姿を現すような方じゃないから」
「そうなの? よく分からないけど、天帝ってどういう人なの?」
 できれば会ってお礼が言いたかったが、波琉や瑞貴の様子を見ていると、簡単に会える人ではないということは伝わってきた。
「そうだねぇ。人間に天帝を理解してもらえるように説明をするのは難しいんだけど、ミトでも分かりやすく簡単に言うと、僕たち龍神を創造した親であり主人。そして、天界の頂点にいる王かな。そんな天帝の手足となって働く下僕が僕たち龍神ってわけだよ」
「下僕……」
 あんまりな言い方にミトは頬をヒクつかせるが、波琉はいたって普通だ。
 己の存在を卑下してるわけでもなく、天帝に対して悪意があるわけでもない。
 ただ、事実をのほほんと伝えてくる。
「あっ、それから、四人の王を決めたのも天帝だね。拒否権なしの強制だよ。本当に参っちゃうよね」
 ニコニコと笑顔を浮かべる波琉は。
「誰かに押しつけたいんだけどね~。瑞貴を推薦してみよっか」
 などと軽口を叩いて、真面目な顔をした瑞貴に「やめてください」と本気で嫌がられている。
「波琉みたいな四人の王様なら天帝に会えるの?」
「うーん。僕たちでも難しいかな。ていうか無理? 天帝にはこれまで会ったこともないし」
「えっ! 一度もないの!?」
「そうだよ」
 波琉はなんてことないように話している上、瑞貴も驚いていないところを見るに、事実なのだろう。
「えっ、だって、四人の王様を決めたんだよね?」
「うん。会わなくても天帝の意思は伝わるからね。僕を始め、龍神なら誰だってね。お告げみたいな感じかな」
「でもでも、会ったこともない人の言葉をどうして信じられるの?」
 人間であるミトには理解不能だ。
 騙されているとは思わないのだろうかと疑問が湧く。
「それが龍神という生き物だからとしか言いようがないね。そういう風に創られたんだよ、龍神はね。天帝はちゃんと存在している。それを疑う龍神はいないよ」
 波琉が瑞貴に目配せすれば、瑞貴もこくりと頷いた。
「そうなんだ……」
 ミトにはまったくもって理解できない不思議な世界だと感心した。

 肉体は安定しつつも、まだ少し時間が必要だ。
 ミトは静かにその時を待っているのだが、その間、波琉はミトのそばを離れようとしない。
 長椅子でふたり並んで座り、ぴったりくっついてニコニコしている。
「波琉、お仕事大丈夫なの?」
「大丈夫、大丈夫」
 と、即答する波琉に、ミトは疑いの眼差しだ。
 なにせ、今朝も瑞貴がひどい剣幕でミトの部屋にやってきたかと思うと、波琉の居場所を聞いてきたのだ。
 見渡す限り波琉がいなかったためすぐに退出していったが、まるではかったかのように入れ違いに波琉が入ってきた。
 そして、また瑞貴が様子を見に来ると波琉は姿を消し、いなくなると戻ってくる。
 まるでかくれんぼであった。
 その様子を見れば嫌でも瑞貴から逃げていると察せられる。
 瑞貴は「仕事が進まない!」と愚痴をこぼしていたので、ミトは仕事の心配しているのだが、波琉は我関せずという様子だ。
 本当に大丈夫なのだろうか……。
 そんな心配をしつつふたりでのんびりしていると、ミトの部屋にぴょこっと白いうさぎが姿を見せた。
「うさぎ?」
 一羽だけかと思ったうさぎは、次から次へとミトの部屋に入り込んできて、あっという間に占拠されてしまった。
 目を丸くするミトに、波琉は苦笑する。
「桂香が下界から連れてきた眷属だよ。うさぎ好きで、なにかと理由をつけて贈ってくるんだ。いつの間にかこんなに増えちゃって困ったものだよ」
 実際に困っているのか、迷惑そうな波琉の膝にうさぎがびょこんと乗った。
 それを合図に、次々にうさぎが波琉の体に飛び乗っていく。
「わっ!」
 ミトは驚きのあまり波琉からとっさに離れると、さらにうさぎが波琉の上に突撃していき、波琉は押し倒された状態になった。
「は、波琉、大丈夫……?」
「ミト、ひどい。ひとりだけ逃げたね」
 恨めしげな眼差しを向けられ、ミトは反応に困る。
「ごめん、つい」
 頭で考えるより先に、反射的に体が動いてしまったので仕方ない。
 しかし、波琉からしたら裏切り行為に等しかったようだ。
「まったく、なんなの?」
 波琉は困惑顔でうさぎたちを見ていると……。
「やっと捕まえましたよ」
 その声にびくっと体を震わせた波琉がゆっくりと部屋の扉方向に目を向けると、青筋を浮かべながら笑みを浮かべる瑞貴が立っていた。
「あ、やばい……」
 波琉が危険を感じた時には遅く、瑞貴はうさぎの中から波琉を引きずり出すと、うさぎたちに笑みを向けた。
「よくやりましたよ、あなたたち。後でご褒美をあげます」
 うさぎたちは嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねて喜びを表した。
「瑞貴、ここまでやる? 一応僕紫紺の王なんだけど……」
「あなたを捕まえるのに手段は選んでいられませんから」
 どうやらうさぎを差し向けてきたのは瑞貴のようだ。
「さあ、溜まった仕事を片づけてもらいますよ」
「え~」
 波琉は不満げな声をあげるも、瑞貴はかまわず無理やり連行していく。
 その様子は、王を相手にするにはやや雑な扱いのように思えるが、普段のふたりの関係性がよく分かるやり取りだった。
 残されたのはミトとたくさんのうさぎたちだ。
 すると、白いうさぎがぴょんとミトの膝の上に乗り、キュルンとした愛らしいまん丸な目でミトを見あげる。
「かわいいっ!」
 胸を撃ち抜かれたようにときめくミトは、うさぎを手に乗せて頬ずりした。
 ふわふわとした毛がミトの頬を撫でる。
「モフモフだ~」
 シロやクロにも負けない柔らかな毛を堪能していると、千代子がやって来た。
 千代子は金赤の王の住まう宮殿には帰らずに、しばらく水宮殿に滞在することにしたようで、こうしてちょくちょくミトの様子をうかがいにくる。
 ミトとしては、右も左も分からぬ天界で、人間の世界を知る元人間の千代子がいてくれるのは安心感を抱くので助かっていた。
「ミトさん、調子はいかがですか?」
「元気です。波琉からももうすぐ安定するだろうって言われました」
「それはよかったです」
 優しく笑う千代子の存在は志乃を思い出させて、少し寂しさを覚える。
 そのたびに早く帰りたいと、考えてしまう。
「波琉は瑞貴さんに強制連行されちゃいました」
 基本的に龍神には『様』という敬称を使うミトだったが、瑞貴にそうしたところ、王たる波琉を呼び捨てにしているのに自分を様づけする必要はないと固辞されてしまった。
 かといって呼び捨てになどできず、妥協案として『瑞貴さん』となった。
 ミトはうさぎを膝の上に置いて、千代子には向かいの席を勧める。
 椅子に腰を下ろした千代子はクスクスと笑った。
「そのようですね。先ほど瑞貴様に連れていかれる波琉様を拝見しましたから」
「紫紺の王っていうから、もっと仰々しい扱いをされているのかなと思ったんですけど、気さくな感じなんですね」
 その中でも特に瑞貴は容赦がない。
 龍花の町で、波琉は不発弾でも扱うかのように、それはもう慎重かつ丁寧に遇されていた。
 いや、ある程度砕けた態度の蒼真という例外はある。
 それでも、一定の礼儀は弁えていた。
「波琉様は四人の王の中でも温厚で有名な方ですからね。怒られた姿を見たことがある者など稀ではないでしょうか? そんな性格の方なので瑞貴様を初め、波琉様に遠慮がない上、水宮殿に仕える方々は気さくな方が多い印象ですね」
「そうなんでね」
 ミトにも気安く接してくれる龍神たちのその気性は、波琉が王だからのようだ。
「これが漆黒の王である桂香様ですと、首を跳ねられかねませんから」
「え、冗談……ですよね?」
 千代子は答えず無言で微笑むだけ。
 ミトは頬を引きつらせた。
 苛烈な性格の王だとは聞いたが、そこまでとは思わずビビるミト。
「で、できればお会いするのは遠慮したいですね……」
「波琉様の伴侶である以上、それは難しいかもしれませんが、お会いするのはずっと先のことですよ。王同士は何百年単位で会わないのが普通ですから」
 すぐではないと聞いてほっとするミトだったが、期待はそうそうに裏切られる。
 千代子と他愛ない会話を楽しんでいると……。
「ここが波琉の女の部屋か?」
 なんの前触れもなく無遠慮に部屋の中に入ってきた女性に、ミトは目を丸くする。
 艶やかな黒く長い髪に黒よりも黒い漆黒の瞳を持った、美しい女性。
 ミトと歳の頃は同じか少し若いだろうか。
 お人形のように整った容姿ながら、気の強そうな目。
 手に持った扇子をミトに突きつけた。
「お前が波琉の女か?」
 あまりにも堂々たる振る舞いに、ミトが困惑していると、千代子が立ち上がって驚いた声をあげる。
「桂香様! どうしてこちらに?」
 千代子から発せられた『桂香』という名前を先ほど聞いたばかりのミトは唖然とする。
「えっ、千代子さん、もしかして漆黒の王様ですか?」
 千代子は困惑顔でこくりと頷いた。
 ミトはさらに驚く。
 苛烈と聞く漆黒の王。
 女性だとは聞いていたが、ミトの想像していた人物像よりずっと若い。
 龍神なので実際はミトが生まれるはるか昔から存在しているのだろうが、見た目だけならミトの方が年上に見える。

この人が漆黒の王、桂花……。





※試し読みはここまでとなります。ありがとうございました。