一章
目を覚ますと、そこには波琉の悲しげな顔があった。
波琉が涙を流しているだけでも驚きだというのに、死んだなどと言われ、ミトはなにがなんだか分からずに困惑する。
視線を巡らせれば見知らぬ部屋だということは分かった。
さらに、ふと目に入ってきた窓の外に見える空は青空ではなく虹色に輝いており、たくさんの龍が空を飛んでいた。
あれは龍神ではないのか……。
過去一度だけ龍になった波琉と同じ姿をしている。
「ここはどこ……?」
少なくも、ミトが知る龍花の町ではないことは分かった。
ミトの小さなつぶやきを拾った波琉が答える。
「ここは天界だよ」
「天、界……?」
意味は理解できるのに、頭に入ってこなかった。
いや、考えることを頭が拒否している。
自分が天界にいるという事実。それを意味するものを、ミトはちゃんと分かっていた。
だからこそ、手が震える。
人間が天界へ行けるのは寿命を終えた後だ。
それなのに波琉はここが天界だという。
自分が天界にいるという現実に、ミトは顔色を悪くした。
「どうして……?」
ぼんやりとしていた意識は今はもうはっきりとしている。
ミトは説明を求めて自分を抱きしめる波琉の服を握った。
まるでそうしていないと迷子になってしまうかのようにすがりつく。
「波琉」
ミトが呼ぶと、波琉は言いづらそうにしながら口を開いた。
「ミトはどこまで覚えてる?」
「……教室で千歳君と会って、でも千歳君から電話があったの。直感的に目の前にいる人が千歳君じゃないって思って、その人から逃げようとして、それで……。そうだ、波琉が走ってくるのが見えた……」
ミトはひとつひとつ、思い出しながら言葉を紡ぐ。
そうすることで自分の記憶を整理するように。
「記憶が遠くなって、目を覚ましたら花畑にいたの」
「花畑?」
その話は予想外だったのか、波琉は不思議そうにする。
「うん。いつも夢で波琉と会っていたあの花畑。見えない壁はなくて、代わりに水が流れてたんだけど、これまでの夢でそんなことなかったから、先になにがあるのかなって歩いていったら湖があったの。それで水に手を入れたら水中に引きずり込まれちゃって、そこから記憶がない」
「花畑……」
朧気な記憶を引っ張り出しながら話終えると、波琉は難しい顔で考え込んでいる。
「波琉?」
ミトが不安そうな顔で呼ぶと、波琉ははっとしたようにミトに視線を戻し、安心させるように微笑んだ。
「どうやら天帝にお礼を言っておかなきゃならないみたいだね」
「どういうこと?」
そこで天帝の名前が出てくる意味がミトには分からない。
「とりあえず最初から話すよ、いい?」
波琉はミトの顔色をうかがいながら問うので、ミトは自分は大丈夫だと伝えるように頷く。
「うん」
「ミトが最後に会った千歳君は、彼じゃなく姿を変えた堕ち神だったんだ」
それを聞いたミトは驚くよりは納得した。
最後に会った人物はどう思い返しても千歳ではなかった。
「簡単に言うと、ミトはその堕ち神に殺されてしまった。ごめんね、ミトを守りきれなくて……」
ミトを抱きしめる力が強まる。
途端に悲しげな目をする波琉からは後悔の念が伝わってきて、とても責める気にはならなかった。
「波琉のせいじゃないでしょう? 悪いのは堕ち神なんだから」
本当はショックで泣き叫びたかったが、そんなことをすれば波琉がどんな気持ちになるだろうかと考えると、泣くわけにはいかず、ぐっと耐える。
ミトがなにを言うより前に、波琉は誰より自責の念にかられているはずだから……。
そんな彼に追い打ちをかけるような真似をしたくはない。
ふと、ミトに疑問が浮かぶ。
「でも、待って。確か波琉のおまじないがあったんじゃなかったの?」
そのおまじないによって車同士の事故からも美羽からも助けられたので、その力は確かなはずだった。
堕ち神に襲われてもおまじないの力が守ってくれたのではないのだろうか。
「ミトに与えていたおまじないは万能じゃないんだ。蒼真から聞いたかもしれないけど、龍神が人間の世界で使える力にも制限がある。好き勝手に力を乱用できるわけじゃないんだ」
「うん。それは聞いた」
「ミトにしたおまじないは、継続的に効力を発揮するものじゃなく、回避するたびに力を消耗していくんだ。人間の世界の物で言うと電池みたいなものかな? 使い切ったら力もなくなってしまう。力を補充しておけばよかったんだけど、最後に残っていた力を直前で使ってしまったんだけど覚えてる?」
「あ、うん。確か吉田さんに反応してた」
「堕ち神はミトを守る力が使い切るのを待っていたんだろうね。無防備な状態になった瞬間を狙われてしまった」
波琉は悔しそうにする。
「力の制限がなかったらあんなヘマはしなかったのに」
忌々しそうに吐き捨てる様子は、いつもの穏やかな波琉とは少し雰囲気が違う。
鬼気迫るものがあった。
「ミトを守る力がなくなったのに気がついてすぐに向かったけど間に合わなかった。ごめん……。ごめんね……」
波琉から伝わってくる懺悔と後悔の気持ち。
ミトの首元に顔を埋めるようにして抱きしめるために、波琉の顔はミトには見えないが、先程のように泣きそうな顔をしているに違いないと思うと、ミトの手は自然と波琉の頭を撫でていた。
気にするなとは言えない。
ミトはまだ自分の『死』を受け入れられずにいるから。
けれど、波琉がミトを殺したわけではないのだから、責任を感じる必要なんてない。
「波琉が悪いんじゃない」
それだけは伝えたかった。
けれど、その程度の言葉で波琉の気持ちを晴らすことはできなかったらしく、波琉は沈んだ声色で話し出す。
「なんとか助けようと手を尽くしたけれど間に合わなかった。ミトには辛い話だと思うけど、龍花の町ではミトの葬儀がすでに終わってるんだ」
波琉を撫でるミトの手がぴたりと止まった。
「私の葬儀……」
意図せず声が震える。
先程からの説明で分かっているはずだったが、急に現実見を帯びミトを襲った。
「で、でも、私はここにいるのに葬儀って? 遺体は?」
「今のミトの体は、天界へ来る際に天帝から与えられたものだ。人間としてのミトの肉体はすでに死に、火葬されている」
ミトはなんと返したらいいのか、衝撃が大きすぎて言葉にならない。
そんなミトを前に波琉は続ける。
「こんなこと言ったらミトは怒るかもしれないけど、正直よかったと思う」
なにがよかったというのだろうか。ミトには理解できない。
死んでしまったというのに。
「花の契りを結んだおかげでミトは天界へ来ることができた。もし花の契りを結ぶ前だったら、ミトの魂はそのまま輪廻の輪に組み込まれ僕の手を離れていただろうね」
そう説明されると確かにその通りだった。
ミトがここ最近起こった事故で身の危険を感じ、覚悟を決めたことで波琉の予定より早く花の契りを結んだ。
だからこそ、ミトは天界にいられる。
もしミトの覚悟が遅れていたら、もう波琉とこうして会うことはできなくなっていた。
そう思うと、一気に恐怖が襲うとともに、後押しをしてくれた母親の志乃への感謝が浮かんでくる。
「お父さんとお母さんは?」
自分が死んで心配させたに違いない両親を思い浮かべる。
「ミトが死んでひどく取り乱していたよ。まあ、僕も同じ状態だったけど」
「波琉も? どうして? 花の契りをしたら天界で会えるって分かってたでしょう?」
「普通はね、下界で伴侶の寿命が来たのを見届け、その場で魂を回収するんだ。龍神は花印の伴侶の魂を持って天界へ戻り、そこで伴侶は天帝から新たな肉体を授かるんだ。決して伴侶のそばを離れることはないんだよ。けれど、僕はミトの魂を見失っていた。どこにいるのかその存在を感じられなくて、ずっと探していたんだよ」
波琉は苦笑しながら教えてくれる。
「そうなの?」
「うん。もう本気で焦ったよ。どこにも見当たらないんだから」
今の波琉から焦りなど微塵も感じられないが、きっと血なまこになって探してくれたに違いない。
「昌宏には殴られちゃった。どうしてミトを守らなかったんだって」
軽い調子で口にした波琉の言葉に、ミトは「えっ!」とぎょっとしたように声をあげる。
波琉はクスクスと笑っている。
先程までの暗い空気が緩んだのが分かったが、ミトはそれどころではない。
「お父さんに殴られたの!?」
「うん。それはもうガツンと。蒼真と尚之が青ざめてた」
「そりゃあそうだよ」
龍神を殴る人間などそういるものではない。
いや、初めてなのではないだろうか。
なにせ、龍花の町は龍神のために作られた町。
神薙は神に仕える下僕。
龍神の、それも王を殴るなど、きっと蒼真も尚之も肝を冷やしたに違いない。
その光景が目に浮かぶようである。
「ごめんね、波琉」
「いいよ。気にしてないから。それに殴られたおかげで少し頭が冷えたからね。王である僕が探してもミトの魂が見つからないのは、誰かの介入があったんじゃないかって考える余裕ができた」
「誰かって?」
「天帝だよ。ミトの話を聞いて確信した。ミトの魂を回収して天界に連れ去ったのは天帝だろう。どうりで僕が探して見つからないはずだよ。僕に黙って勝手になにをしてくれるんだって恨み言をぶつけたいけど、助かったっていう気持ちの方が大きいから、お礼を言わないとだね」
にこっと微笑む波琉にどんな反応を返したらいいのか困る。
先ほどから天帝の話をされるが、ミトは天帝の名前しか知らないのだから当然だ。
「天帝はどうして私の魂を回収したの? 普通は伴侶になる龍神が連れていくものなんでしょう?」
「たぶん堕ち神に捕まらないように、介入してくれたんだと思うよ」
話をするにつれ、波琉のまとう空気が緩んできて、いつもの調子を取り戻していっている。
暗い顔をしたままよりはずっと嬉しいのだが、話についていけていない。
首をかしげるミトを、波琉はぎゅうっと抱きしめる。
「は、波琉?」
「本当によかった……。探しても見つからなくて、そんな時に瑞貴から手紙が来て、僕と同じアザを持つ子が天界にいるって聞いて慌てて戻ってきたんだよ。まさかって思ったけど、本物のミトでびっくりだし安心したしで、感情がめちゃくちゃだよ。ミトがいるといろんな気持ちを知って嬉しいのか悲しいのか分からないね。花印っていうものを作った天帝にはちょっと文句を言いたくなったよ」
感情をあらわに告げる波琉はどことなく拗ねているようにも感じる。
波琉は言い終えると、ミトを解放してポンポンと頭を撫でると、ニコリと微笑んだ。
「いろいろと早く解決させて、町に戻ろうね。昌宏も志乃もミトを待ってるから」
「えっ……。お父さんとお母さんに会えるの?」
ミトは目を大きく見開く。
「煌理の伴侶の千代子を覚えてるよね?」
「うん」
金赤の王である煌理の伴侶となった人間である。
花印を持つ者として、ミトの先輩になる。
「彼女も元は百年前に生きていた人間で、死んだ後天界にやって来たけれど、彼女も普通に煌理と一緒に龍花の町に来ていたでしょう?」
「あ、確かに」
言われてみればそうである。
人間としての寿命は終えて天界へ迎え入れられたはずなのに、普通に町に来ていた。
死んだという点で、状況としてはミトと同じだ。
「じゃあ、私も町に行けるの? またお父さんやお母さんに会えるの?」
期待に満ちた眼差しを向けると、波琉は優しく微笑みながら頷いた。
「もちろんだよ」
「あ……。よかった……っ」
死んだと聞かされてから初めて、ミトの目に涙があふれた。
大きな安堵が、これまで張り詰めていた糸を切った。
「もう会えないって思って……」
そう覚悟していたからこそ、会えると知った喜びも大きい。
「ふ、うっ……」
次から次へと零れてくる涙を手で拭うミトを引き寄せる。
波琉の胸に顔を押しつける形となり、ミトは申し訳なくなる。
「波琉、服が汚れちゃう……」
しゃくりあげながら波琉から離れようとするが、波琉がそれを許さない。
「いいよ。好きなだけ汚して、気の済むまで泣いて」
「……ん」
ミトは抵抗をやめ、波琉に胸を借りる。
グスグスと泣くミトに、波琉は静かに話しかけた。
「ひとつ言っておかなきゃならないんだけど、今のミトの肉体は天帝から与えられたもので、その肉体とミトの魂が定着するまで少し時間を必要とするんだ。それが終わるまでは龍花の町に行くのは許可できないからね」
「どれぐらいかかるの?」
途端にミトは警戒する。
龍神の『少し』を言葉の通り受け取ってはいけない。
長い時を生きる龍神にとっては、一年も百年も大した差はないのである。
少しの時間が百年後を言っているのだったら、ミトの両親はとっくに生きていない。
それでは町に行く意味がなくなってしまう。
ミトの懸念を察したのか、安心させるように答える。
「大丈夫だよ。人間の世界で一、二週間ってところだから」
それを聞いて、ミトは心から安堵した。
目を覚ますと、そこには波琉の悲しげな顔があった。
波琉が涙を流しているだけでも驚きだというのに、死んだなどと言われ、ミトはなにがなんだか分からずに困惑する。
視線を巡らせれば見知らぬ部屋だということは分かった。
さらに、ふと目に入ってきた窓の外に見える空は青空ではなく虹色に輝いており、たくさんの龍が空を飛んでいた。
あれは龍神ではないのか……。
過去一度だけ龍になった波琉と同じ姿をしている。
「ここはどこ……?」
少なくも、ミトが知る龍花の町ではないことは分かった。
ミトの小さなつぶやきを拾った波琉が答える。
「ここは天界だよ」
「天、界……?」
意味は理解できるのに、頭に入ってこなかった。
いや、考えることを頭が拒否している。
自分が天界にいるという事実。それを意味するものを、ミトはちゃんと分かっていた。
だからこそ、手が震える。
人間が天界へ行けるのは寿命を終えた後だ。
それなのに波琉はここが天界だという。
自分が天界にいるという現実に、ミトは顔色を悪くした。
「どうして……?」
ぼんやりとしていた意識は今はもうはっきりとしている。
ミトは説明を求めて自分を抱きしめる波琉の服を握った。
まるでそうしていないと迷子になってしまうかのようにすがりつく。
「波琉」
ミトが呼ぶと、波琉は言いづらそうにしながら口を開いた。
「ミトはどこまで覚えてる?」
「……教室で千歳君と会って、でも千歳君から電話があったの。直感的に目の前にいる人が千歳君じゃないって思って、その人から逃げようとして、それで……。そうだ、波琉が走ってくるのが見えた……」
ミトはひとつひとつ、思い出しながら言葉を紡ぐ。
そうすることで自分の記憶を整理するように。
「記憶が遠くなって、目を覚ましたら花畑にいたの」
「花畑?」
その話は予想外だったのか、波琉は不思議そうにする。
「うん。いつも夢で波琉と会っていたあの花畑。見えない壁はなくて、代わりに水が流れてたんだけど、これまでの夢でそんなことなかったから、先になにがあるのかなって歩いていったら湖があったの。それで水に手を入れたら水中に引きずり込まれちゃって、そこから記憶がない」
「花畑……」
朧気な記憶を引っ張り出しながら話終えると、波琉は難しい顔で考え込んでいる。
「波琉?」
ミトが不安そうな顔で呼ぶと、波琉ははっとしたようにミトに視線を戻し、安心させるように微笑んだ。
「どうやら天帝にお礼を言っておかなきゃならないみたいだね」
「どういうこと?」
そこで天帝の名前が出てくる意味がミトには分からない。
「とりあえず最初から話すよ、いい?」
波琉はミトの顔色をうかがいながら問うので、ミトは自分は大丈夫だと伝えるように頷く。
「うん」
「ミトが最後に会った千歳君は、彼じゃなく姿を変えた堕ち神だったんだ」
それを聞いたミトは驚くよりは納得した。
最後に会った人物はどう思い返しても千歳ではなかった。
「簡単に言うと、ミトはその堕ち神に殺されてしまった。ごめんね、ミトを守りきれなくて……」
ミトを抱きしめる力が強まる。
途端に悲しげな目をする波琉からは後悔の念が伝わってきて、とても責める気にはならなかった。
「波琉のせいじゃないでしょう? 悪いのは堕ち神なんだから」
本当はショックで泣き叫びたかったが、そんなことをすれば波琉がどんな気持ちになるだろうかと考えると、泣くわけにはいかず、ぐっと耐える。
ミトがなにを言うより前に、波琉は誰より自責の念にかられているはずだから……。
そんな彼に追い打ちをかけるような真似をしたくはない。
ふと、ミトに疑問が浮かぶ。
「でも、待って。確か波琉のおまじないがあったんじゃなかったの?」
そのおまじないによって車同士の事故からも美羽からも助けられたので、その力は確かなはずだった。
堕ち神に襲われてもおまじないの力が守ってくれたのではないのだろうか。
「ミトに与えていたおまじないは万能じゃないんだ。蒼真から聞いたかもしれないけど、龍神が人間の世界で使える力にも制限がある。好き勝手に力を乱用できるわけじゃないんだ」
「うん。それは聞いた」
「ミトにしたおまじないは、継続的に効力を発揮するものじゃなく、回避するたびに力を消耗していくんだ。人間の世界の物で言うと電池みたいなものかな? 使い切ったら力もなくなってしまう。力を補充しておけばよかったんだけど、最後に残っていた力を直前で使ってしまったんだけど覚えてる?」
「あ、うん。確か吉田さんに反応してた」
「堕ち神はミトを守る力が使い切るのを待っていたんだろうね。無防備な状態になった瞬間を狙われてしまった」
波琉は悔しそうにする。
「力の制限がなかったらあんなヘマはしなかったのに」
忌々しそうに吐き捨てる様子は、いつもの穏やかな波琉とは少し雰囲気が違う。
鬼気迫るものがあった。
「ミトを守る力がなくなったのに気がついてすぐに向かったけど間に合わなかった。ごめん……。ごめんね……」
波琉から伝わってくる懺悔と後悔の気持ち。
ミトの首元に顔を埋めるようにして抱きしめるために、波琉の顔はミトには見えないが、先程のように泣きそうな顔をしているに違いないと思うと、ミトの手は自然と波琉の頭を撫でていた。
気にするなとは言えない。
ミトはまだ自分の『死』を受け入れられずにいるから。
けれど、波琉がミトを殺したわけではないのだから、責任を感じる必要なんてない。
「波琉が悪いんじゃない」
それだけは伝えたかった。
けれど、その程度の言葉で波琉の気持ちを晴らすことはできなかったらしく、波琉は沈んだ声色で話し出す。
「なんとか助けようと手を尽くしたけれど間に合わなかった。ミトには辛い話だと思うけど、龍花の町ではミトの葬儀がすでに終わってるんだ」
波琉を撫でるミトの手がぴたりと止まった。
「私の葬儀……」
意図せず声が震える。
先程からの説明で分かっているはずだったが、急に現実見を帯びミトを襲った。
「で、でも、私はここにいるのに葬儀って? 遺体は?」
「今のミトの体は、天界へ来る際に天帝から与えられたものだ。人間としてのミトの肉体はすでに死に、火葬されている」
ミトはなんと返したらいいのか、衝撃が大きすぎて言葉にならない。
そんなミトを前に波琉は続ける。
「こんなこと言ったらミトは怒るかもしれないけど、正直よかったと思う」
なにがよかったというのだろうか。ミトには理解できない。
死んでしまったというのに。
「花の契りを結んだおかげでミトは天界へ来ることができた。もし花の契りを結ぶ前だったら、ミトの魂はそのまま輪廻の輪に組み込まれ僕の手を離れていただろうね」
そう説明されると確かにその通りだった。
ミトがここ最近起こった事故で身の危険を感じ、覚悟を決めたことで波琉の予定より早く花の契りを結んだ。
だからこそ、ミトは天界にいられる。
もしミトの覚悟が遅れていたら、もう波琉とこうして会うことはできなくなっていた。
そう思うと、一気に恐怖が襲うとともに、後押しをしてくれた母親の志乃への感謝が浮かんでくる。
「お父さんとお母さんは?」
自分が死んで心配させたに違いない両親を思い浮かべる。
「ミトが死んでひどく取り乱していたよ。まあ、僕も同じ状態だったけど」
「波琉も? どうして? 花の契りをしたら天界で会えるって分かってたでしょう?」
「普通はね、下界で伴侶の寿命が来たのを見届け、その場で魂を回収するんだ。龍神は花印の伴侶の魂を持って天界へ戻り、そこで伴侶は天帝から新たな肉体を授かるんだ。決して伴侶のそばを離れることはないんだよ。けれど、僕はミトの魂を見失っていた。どこにいるのかその存在を感じられなくて、ずっと探していたんだよ」
波琉は苦笑しながら教えてくれる。
「そうなの?」
「うん。もう本気で焦ったよ。どこにも見当たらないんだから」
今の波琉から焦りなど微塵も感じられないが、きっと血なまこになって探してくれたに違いない。
「昌宏には殴られちゃった。どうしてミトを守らなかったんだって」
軽い調子で口にした波琉の言葉に、ミトは「えっ!」とぎょっとしたように声をあげる。
波琉はクスクスと笑っている。
先程までの暗い空気が緩んだのが分かったが、ミトはそれどころではない。
「お父さんに殴られたの!?」
「うん。それはもうガツンと。蒼真と尚之が青ざめてた」
「そりゃあそうだよ」
龍神を殴る人間などそういるものではない。
いや、初めてなのではないだろうか。
なにせ、龍花の町は龍神のために作られた町。
神薙は神に仕える下僕。
龍神の、それも王を殴るなど、きっと蒼真も尚之も肝を冷やしたに違いない。
その光景が目に浮かぶようである。
「ごめんね、波琉」
「いいよ。気にしてないから。それに殴られたおかげで少し頭が冷えたからね。王である僕が探してもミトの魂が見つからないのは、誰かの介入があったんじゃないかって考える余裕ができた」
「誰かって?」
「天帝だよ。ミトの話を聞いて確信した。ミトの魂を回収して天界に連れ去ったのは天帝だろう。どうりで僕が探して見つからないはずだよ。僕に黙って勝手になにをしてくれるんだって恨み言をぶつけたいけど、助かったっていう気持ちの方が大きいから、お礼を言わないとだね」
にこっと微笑む波琉にどんな反応を返したらいいのか困る。
先ほどから天帝の話をされるが、ミトは天帝の名前しか知らないのだから当然だ。
「天帝はどうして私の魂を回収したの? 普通は伴侶になる龍神が連れていくものなんでしょう?」
「たぶん堕ち神に捕まらないように、介入してくれたんだと思うよ」
話をするにつれ、波琉のまとう空気が緩んできて、いつもの調子を取り戻していっている。
暗い顔をしたままよりはずっと嬉しいのだが、話についていけていない。
首をかしげるミトを、波琉はぎゅうっと抱きしめる。
「は、波琉?」
「本当によかった……。探しても見つからなくて、そんな時に瑞貴から手紙が来て、僕と同じアザを持つ子が天界にいるって聞いて慌てて戻ってきたんだよ。まさかって思ったけど、本物のミトでびっくりだし安心したしで、感情がめちゃくちゃだよ。ミトがいるといろんな気持ちを知って嬉しいのか悲しいのか分からないね。花印っていうものを作った天帝にはちょっと文句を言いたくなったよ」
感情をあらわに告げる波琉はどことなく拗ねているようにも感じる。
波琉は言い終えると、ミトを解放してポンポンと頭を撫でると、ニコリと微笑んだ。
「いろいろと早く解決させて、町に戻ろうね。昌宏も志乃もミトを待ってるから」
「えっ……。お父さんとお母さんに会えるの?」
ミトは目を大きく見開く。
「煌理の伴侶の千代子を覚えてるよね?」
「うん」
金赤の王である煌理の伴侶となった人間である。
花印を持つ者として、ミトの先輩になる。
「彼女も元は百年前に生きていた人間で、死んだ後天界にやって来たけれど、彼女も普通に煌理と一緒に龍花の町に来ていたでしょう?」
「あ、確かに」
言われてみればそうである。
人間としての寿命は終えて天界へ迎え入れられたはずなのに、普通に町に来ていた。
死んだという点で、状況としてはミトと同じだ。
「じゃあ、私も町に行けるの? またお父さんやお母さんに会えるの?」
期待に満ちた眼差しを向けると、波琉は優しく微笑みながら頷いた。
「もちろんだよ」
「あ……。よかった……っ」
死んだと聞かされてから初めて、ミトの目に涙があふれた。
大きな安堵が、これまで張り詰めていた糸を切った。
「もう会えないって思って……」
そう覚悟していたからこそ、会えると知った喜びも大きい。
「ふ、うっ……」
次から次へと零れてくる涙を手で拭うミトを引き寄せる。
波琉の胸に顔を押しつける形となり、ミトは申し訳なくなる。
「波琉、服が汚れちゃう……」
しゃくりあげながら波琉から離れようとするが、波琉がそれを許さない。
「いいよ。好きなだけ汚して、気の済むまで泣いて」
「……ん」
ミトは抵抗をやめ、波琉に胸を借りる。
グスグスと泣くミトに、波琉は静かに話しかけた。
「ひとつ言っておかなきゃならないんだけど、今のミトの肉体は天帝から与えられたもので、その肉体とミトの魂が定着するまで少し時間を必要とするんだ。それが終わるまでは龍花の町に行くのは許可できないからね」
「どれぐらいかかるの?」
途端にミトは警戒する。
龍神の『少し』を言葉の通り受け取ってはいけない。
長い時を生きる龍神にとっては、一年も百年も大した差はないのである。
少しの時間が百年後を言っているのだったら、ミトの両親はとっくに生きていない。
それでは町に行く意味がなくなってしまう。
ミトの懸念を察したのか、安心させるように答える。
「大丈夫だよ。人間の世界で一、二週間ってところだから」
それを聞いて、ミトは心から安堵した。